Raise'em Right!

幸せな子供を育てるために!

 

ハグとキスそれからおしりにポン パート2

 

  10対1ルール

 

 子供は、励ましのこもった関心を寄せてもらう必要があります。批判、不平、否定的な言葉をかけられると気落ちし、ますます悪いことをやりがちです。しかし、励ましや、肯定的なほめ言葉は、植物の肥料のように子供の成長を促します。

 児童心理学では指折りの権威者であるルドルフ・ドゥレィカス博士は、かつてこう述べました。

「励ますことは、子育てにおいて、何よりも重要である。励ましてもらえないことは、悪い行いの根本原因とみなされているほどである。悪い事をする子供は、実は気落ちしている子供である。植物が水を必要とするように、子供は皆、常に励ましてもらうことを必要としている」

 良いことをしたら、それに報いてあげてはどうでしょうか? 建設的なしつけをするには、子供が良いことをした時を見逃してはいけません。実際、私は10対1ルールを推薦します! 否定的な言葉一言につき、肯定的な言葉を10言うのです! このルールを守るなら、あなたが長い間なりたいと思っていた肯定的な親になることができます。

 肯定的な関心を寄せてもらえないと、子供はその振る舞いにおいて大きな問題を抱えることがあります。例えば、困り果てた様子である母親がこう言いました。

「私は5才になる息子のカートのことでほとほと手を焼いています。カートは生意気で言う事を聞かないんです。頼んだことと正反対の事ばかりするんですよ。上のディーンは本当にいい子なのに、どうしてカートがああなのかわかりません。えこひいきせず平等に育てようと努力してきましたが、ディーンの方が扱いやすいので、ついディーンの方をよく構ってしまいます。どうして二人の子はこんなに違うのでしょうか?」

 本当に驚きですね。一人の子はものすごくいい子で、もう一方はとても「悪い子」だなんて。親が両方を同じように扱ってもうまくいかないとは。これは、子供は一人一人、違った性格をもって生まれてくるからです。扱いやすいかどうかは、性格によります。しかし、どんな性格であろうと、子供は誰でも励ましのこもった関心をもらう必要があります。ほめ言葉をかけてもらったり、自分を認めてもらって、自分が特別な存在だと感じる必要があるのです。

 兄弟の一人がとても素直で、自然とほめられる事も多ければ、扱いが難しい方の子供は、それに気づきます。少なくとも無意識の内にわかるのです。長男や長女は親の言うことをよく聞き、2番目の子供は反抗する場合が多いというのは、非常に興味深い事です。下のほうの子供は、上の子(または、素直に従う子)だけが、言う事をよく聞く事によってみんなからの関心を独占できると感じ始めます。そして、自分はどんなに頑張っても、どうせそんなに良い子にはなれないのだから、努力しても無駄だと思い込むのです。

 しかし、扱いの難しい子供も関心を注いでもらうことを必要としており、そのことに飢えています。だから、他の面で他の子供よりも抜きん出ようとしますが、それは多くの場合、反抗という形で現れるのです。そのような子にしてみれば、構ってもらえないよりは、悪いことをしてでも注目を集めるほうがましです!

 カートが家族の気にさわる事ばかりするようになったのは、関心を必要としているからかもしれません。では、どうやったら、カートのような子供の振る舞いを向上させられるのでしょうか? 提案を幾つかあげてみます。

 1.どの子供も平等に、自分の良い所を認めてもらっているよう気を配る。つまり、カートの場合には、カートのした良い事に今までの何倍も気づいてあげる必要があります。それが、当然な事、ささいな事に思えても、少しでも従ったなら、ほめてあげるのです。

 2.カートにとって、従うのが楽しく、簡単になるようにする。しばらくの間は、カートが反抗するとわかっている時には、何も頼まないようにしましょう。もっとほめてあげられるよう、子供が従う機会をできるだけ増やすことです。

 3.従う事が絶対に必要な事柄については、断固とした態度を取ること。尊敬の念に欠ける態度や生意気な態度は許してはいけません。ただし、その事のゆえにあまりに否定的な対応の仕方ばかりしないように。子供がそんな態度をとったら、冷静に、「あなたがそんな態度をとると、傷ついてしまうわ。他の人は傷つけないようにね」と言います。そしてその子が振る舞いを正すまで、部屋から出さないか、その他の方法で罰を与えます。

 4.最後に、10対1の規則に従いましょう。子供に、否定的な言葉一言につき、ほめ言葉や励ましの言葉を十言うようにするのです。扱いの難しい子供はどうしても、扱いやすい子供よりも、叱られたり、罰を受けることが多いので、そのような子供には、ほめ言葉や励ましももっと頻繁に与えるようにしないと、効果がありません。例えば、カートがほほえんだり、忘れずにありがとうと言ったり、みんなから構ってもらっていなかった犬と余分に遊んであげたりしているなら、そうした良い行いを目ざとく見つけるようにならなくてはいけないのです。

 賞賛や励ましは、必ずしも言葉で与える必要はありません。ほほえんだり、ウィンクしたり、頭をなでてあげたりでもよいのです。すると、あなたが子供に関心を払っていることが伝わって、その子の愛のコップが満たされます。これは容易ではありませんが、努力する価値は確かにあります。

 

 幼い頃に正しい価値観を植え付ける

 

 子供の行為をあなたが許容するかしないかは、直接あなたの価値観を表しています。例えば、子供の手が清潔ならば手づかみで食べても害にはなりませんが、手づかみで食べるべきか、フォークを使うべきかの判断は、その人の価値感によって決まります。

 親が子供に与える注意の大部分は、親自身の価値観に基づいてなされます。自分や人、物などを傷つけるという理由からではなく、親自身が重要と思うので、子供にも従わせるのです。

 親によって価値観は違います。菜食主義を通すことや、子供が就寝時間を守ることの重要性や、遊び時間の長さなど、夫婦の間で意見が異なることもあります。このような価値観の相異は大きな論争の種になり、何が本当に大切なのか、子供が混乱してしまうことにもなりかねません。

 ある家庭では許されている行為が、他の家庭では厳しく禁じられていることもあります。別にこれらの行為の是非を定める基準があるわけではないので、激しい親子喧嘩に発展してしまうことさえあります。友達がしていることを、どうして自分はできないのか、子供には理解できないからです。

 このような衝突を最小限に抑えるには、正しい価値観に基づいた容認できる振る舞いとは何かをはっきり教えることです。それは早ければ早いほど良く、幼児期から始めるのが最適でしょう。そうすれば、「ジミーはしてもいいのに、どうして僕がしたらいけないの?」と聞かれた時に答えられます。自分の家庭での振る舞いの基準が確立されているなら、「うちでは、こうするのが大切だと思っているんだよ」とか、「うちとその子の家庭とは考え方が違うの。うちでは、そういうことは許していないの」と言えるでしょう。

 親の価値観を子供に「受け継がせる」最善の方法の一つとは、親がそのことについてどう思っているかを、直接にではなく間接的に子供が聞くようにすることです。直接、子供に言い聞かすよりも、ただ大人の会話を子供が耳にするほうが効果的であることがよくあるからです。

 子供に、親の価値観を無理やり押しつけることはできません。しかし、子供が親の価値観を尊重し、その価値観に従うことによって、成長しつつある子供がより豊かな人生を送ることを願っているのなら、子供と良い関係を築くことはもとより、その価値観が筋の通ったものであることが大切です。そして、子供が幼い頃から正しい価値観を植え付け、絶えずあなたの指導と手本によって子供がその価値観を維持し続けるようにして下さい。

 

  問題は子供か? あるいは状況か?

  

 子供の問題には二種類あります。状況に問題がある場合は、その状況や環境を変えることによって解決できます。人に問題がある場合は、本人が変わることを決断した時にのみ解決することができます。

 幼い子供が好ましくない行いをする時は、たいていその状況に問題があります。そのような問題は状況を改めるだけで解決します。親の関心を引こうとして子供が駄々をこね出す前に、その子の必要を満たしてあげるなら、問題を未然に防げるのです。また、親が権威をもって子供をしっかりしつけることによって問題が解決される場合もあります。では、よくある問題とその解決法の例を幾つか紹介しましょう。

 赤ちゃんが泣く:おしめを取り替えると泣きやむ。

 幼児が食卓から食べ物を投げる:お皿を取り上げるなら投げるのをやめる。

 ジョイシーの娘ベッツィーは、4歳の子供によくあるような、状況が原因の問題を引き起こすようになりました。ベッツィーのせいで、みんなが幼稚園や学校に遅れてしまうのです。というのも、朝食が終わった後すぐに歯を磨いたり、コートを着たりしないで、ただぐずぐずしていたからです。母親はベッツィーを早めに起こすことも試みましたが、何の効果もないようでした。予定より早く朝食を終えても、やはりぐずぐずして遅れるのでした。

 とうとうこの母親はその問題についてベッツィーと腰をすえて話し合いました。その結果、娘は幼稚園も大好きだけれど、母親にもっと時間をとってほしがっていることを知りました。毎朝ぐずぐずするのは、良くない行動をしてでも、とにかく母親から関心をもらいたかったからなのです。

 毎朝大忙しの状態だったので、ベッツィーが母親に構ってもらうには、悪い子になるしかなかったことにジョイシーは気がつきました。そこでジョイシーは、ちょっとした実験をしてみました。夜の内に翌日のお弁当と朝食を用意しておく事にしたのです。そしたら毎朝20分余分にベッツィーと時間がとれます。本を読んであげたり、お人形ごっこやおままごとをしたり、何でもベッツィーがしたい事を一緒にするようにしました。さて、結果は? ベッツィーはママとの時間がもらえて大喜びで、問題は解消したのです。

 幼稚園に間に合うよう準備できなかったのは、ベッツィーが母親からの関心を必要としていたからであって、それが満たされない状況に問題があったことに、ジョイシーは気がついたのです。だから、ジョイシーは状況を変えることを目標としました。すると問題はたちまち消え去ったのです。もし問題を誤って判断し、ますますベッツィーを叱っていたら、知らぬ間に火に油を注ぐような結果になっていたかも知れません。

 問題は必ずしも簡単に解決するわけではありません。問題への対処の仕方を変えなければならない事もあるし、真の解決策を見つけるまで色々な方法を試さなければならない事もあります。また、状況を変えさえしたら簡単に解決できたような問題が、子供が大きくなっても影響を及ぼすような根深い性格上の問題に発展してしまう事も往々にしてあります。例えば、関心を引くためにひけらかす習慣を身につけてしまったり、厳しく罰せられるのを恐れて嘘をつくなどです。

 子供に好ましくない行為をやめさせようと、あの手この手を使ったのに、何の成果もないなら、失敗を認めて、以下のようにすることを勧めます。

 1.その問題について本人と話す。問題はその子にあることを子供が悟るように助ける。また、そのような行為を改めないなら、子供自身にどんな悪影響を与えるかを話して下さい。

 2.あなたが喜んで助けたいと思っていることを話す。ただし、それは子供自身が変わりたいと思い、あなたに助けを求めた場合に限ると。子供が悪い習慣を克服する「ガッツ」を得るためには、ただそのことを思い起こさせて、子供に変りたいという気持ちを持たせるだけで十分かもしれません。

 3.子供に自分は価値ある人間だという意識を持たせる。その子の愛のカップを満たしてあげて下さい。励ましを与えましょう。懲らしめよりはむしろ、今までとは全く違った対応が必要なのです。

 自分の性格や他からの評価を作り上げるのは自分自身であることを、子供に悟らせる。彼らはどんな人間になりたいか自分で選ぶことが出来ます。子供は時に、自分のしたくないことをし、すべきだとわかっていることをしないこともあるでしょう。しかし、もしその子が主の助けを求めさえするならば、キリストは彼らが変わるために必要な勇気や自制心を与えて下さいます。「神はなんでもできるからである」(マルコ10章27節)

 

 責任感のある子供を育てる

 

 自分が子供にいつもガミガミ言い、すべきことを何から何まで指図しているように感じたことはありませんか? 「歯を磨きなさい。布団をたたみなさい。ごみ箱のごみを捨てなさい」というように。偉そうに振る舞うことなど真っ平ですが、子供がすべきことをしないと、他に打つ手がないように感じてしまうのです。

 ガミガミ言うことで無責任な子を責任感のある子供にすることはできませんが、私はそのための作戦を知っています。第一は、子供が自分自身のボスになるように励ます。第二に、子供に、あなた、つまりその子のボス面した親を再教育してごらんと挑戦を投げかける! 第三に、すべきことをいちいち言わなくてもすむように、子供に正しい決断の仕方を教える。では、これらの作戦にはどんな効果があるかを説明しましょう。

     ―――――――

  私達は、神が私達を扱うように、子供を扱うべきである。神は私達が、強制されたからとか、懲らしめを恐れるからではなく、神と人々への愛のゆえに、愛に基づいた正しい動機のゆえに物事をするようにと導かれるのだ。

     ―――――――

 人に命令ばかりするのはイヤなものですが、それは、家族の中の年長者や、何でもこなせる人が陥りやすいワナです。私はその事をよく承知しています。私の家庭でもそれが起こったからです。ケビンが小さかった頃、パパやママや二人の姉がいつもケビンにあれをしろこれをしろと、うるさく指図していました。しかし、6歳になるいとこのジェニファーが、「どうして皆、ケビンに命令ばっかりしてるの?」と尋ねるまでは、全くその事に気づいていませんでした。そこで私達は、ケビンが自分の行動に責任を持てるよう、何かをしなければいけないと思いました。だからある夜、ケビンを寝かしつけている時に、こう尋ねてみました。

「ケビン、みんなからあれしなさい、これしなさいって言われるのは好き?」

「大嫌い」と、力を込めてケビンが言いました。

「それなら、あなたが自分のボスになったらどうかしら。自分でちゃんとすることができるなら、誰からも指図されたりしないわ。すべき事をちゃんとしているなら、ガミガミ言われずにすむの。だから、みんなから指図されるのは誰のせいかしら?」

「僕のせいか」と、もじもじしながら答えました。

「そうね。あなたが自分のボスになって自分に指図しないなら、他のみんなから指図されるようになってしまうのよ」

 ケビンはため息をつきながら言いました。

「でも、そんなこと大変だよ。だって、しなくちゃいけないことをするのはイヤなんだもん」

「でも、やるべき事はやらなくちゃ。だから自分からするようになるか、そうでないなら、ママ達がケビンに指図しなければならないわ。これからケビンが自分のボスになって、ちゃんと仕事をしたら、どんなごほうびがほしい?」

「ママ、後ろにオートバイをのせてる小さなトラック、覚えてる?」

「いいわ。じゃ、新しくケビンのボスになる人の二日分の給料は、それにしましょう。毎朝すべきことのリストを作るのを手伝ってあげるわね。お昼までに、ボスとしての仕事をちゃんとしてることを証明してね。その間は、誰もあなたに指図したり、ガミガミ言ったりはしないようにするから。でも、お昼までに新しいボスがちゃんと仕事をしていないことがはっきりするなら、みんなは、あなたにあれしなさい、これしなさいって命令する権利があるのよ。そしてその日の分は、ごほうびのトラックのために働いたことにならないわ。二日間続けて、ちゃんとやらなくちゃ! 新しいボスはちゃんとやるかしら?」

「うん」

 私はケビンの額にキスしてあげました。

「ボスは、よく休んでおいた方がいいわ。4人分の仕事を引き受けるようになるんだから。みんなの代わりに、一人で全部するようになるのよ。お休みなさい、ボス」

 こうささやいて、ドアを閉めました。

 その二日後に、ケビンのボスはやすやすと自分のサラリーを稼いでしまいました。オートバイが後ろにのっているトラックです。一番の問題は、ケビンの前のボス四人を再訓練することでした! しかし、ケビンが責任を持って行動するようになってから、私達も各自の責任を果たすという元来の役割にすぐ収まることができました。

 親の扱いに反感を抱き、そのせいで親を非難する子供は結構います。彼らは、自分がそういう扱いをされているのは、自分の無責任さのゆえだという事に気づいていないのです。けれども子供にそう言っても、とりつく島もないでしょう。この理由から私は、親を改善するようにと、子供にチャレンジを与える方法が好きなのです。「年寄りの犬に新しい芸を仕込む」のは難しいですが、やればできます。だから親を再訓練するのも容易ではありませんが、やってみる価値はあります。

 色々な決断を自分ですることによって、子供は決断力ある人間に成長します。とても幼い子でも、簡単な決断ができるようになります。正しい決断に導く情報を子供が求め、幾つか可能性のある選択を考慮する事ができ、それぞれの決断からもたらされる結果を受け入れる事ができるなら、その子は自分自身の決断を下す事ができるようになるでしょう。SEAと覚えていて下さい。Sは、情報を求めること(seek)、Eは、他の可能性も考慮すること(evaluate)、Aは、その結果を潔く受け入れること(accept)です。

 この作戦は次のように展開します。あなたの3歳児がいつも道路に飛び出そうとすると仮定します。そのようなことを子供の選択に任せることは絶対にできません。その子は、3歳児の歩調に対する車の速度と、ブレーキをかけてから停車するまでの距離といった、非常に重要な情報を理解できません。道路に飛び出すことに関する利点と不利な点を考慮することは、子供の能力を越えており、その決断いかんによっては非常に恐ろしい結果になってしまいます。だからこのような場合は、親の決断に従わせます。

 しかし、この3歳児も、より単純で危険の伴わない事柄については選択できます。例えば、間食するべきかどうかです。娘のキムはこの決断を三歳の時にしました。クッキーをほしがったのですが、私は「だめ」と言いました。それでもほしがってぐずぐず言うので、SEA戦法を試してみることにしました。

 まず、間食する事になぜ反対しているかの情報を娘に伝えました。お菓子でお腹がいっぱいになったら、栄養のある夕食が食べられなくなってしまうからです。私が考慮すべき他の可能性として娘に示した事はとても簡単でした。クッキーを今一枚食べて夕食の時には何もデザートを食べないか、今は何も食べないで夕食のデザートにいちごを食べる事です。夕食前にクッキーを一枚食べても、生死にかかわるような事はありません。もちろん、そうするなら夕食があまり食べられなくなってしまうでしょうし、食事と食事の間に健康的ではないおやつを食べる習慣がついてしまうかもしれません。(その習慣は後で克服しなければならなくなるでしょう)しかし、どちらにせよ、娘の決断能力に余るほど深刻なことには感じませんでした。だから、娘が結果についてはっきりと理解したことを確かめてから、自分で決断させました。

 もうぐずぐず言うことはありませんでした。キムは夕食まで持つことに決めたのです。

 あなたの子供が同じような決断をすると約束することは出来ません。私もキムがどんな決断をするか定かではありませんでした。娘がどうするか知るすべは何もなかったのです。そして、一度それがうまくいったからと言って、いつもうまくいくとは限らないこともよく心得ています。しかし、やはり自分で一生懸命考えて決断を下す機会を子供に与えるべきです。誤った決断を下し、その結果に苦しむことは、学んでいく上で欠かせないことですから!

 責任感のある子供を育てるには、時々あなたが助手席に移って、子供にハンドルを握らせる必要があります。あなたがひっきりなしにガミガミ言ったり、指図したり、子供に代わって決断を下したりして、全責任を負っているなら、子供は自分の責任をあなたに任せっきりにして、いつかあなたが子供に指図するのを忘れる事を願っています。そして何かが成し遂げられないと、指図する事を忘れたあなたの責任になってしまうのです。

 以上の作戦のどれかを利用して、子供に自ら責任を負うことを学ばせて下さい。そして、子供が自分の責任を果たさないなら、どんな結果が生じるか、はっきりと子供に教えて下さい。子供が大きくなってきたら、責任を果たさなかった場合にどんな罰を受けるのが適切か決めるのを、子供自身が助けてくれるでしょう。そして、子供が誤った決断を下してしまったなら、その結果に苦しむようにさせましょう。酷に聞こえるかも知れませんが、そのことによって貴い教訓が学べるのです!

 すべきことを覚えておくための方法が色々あることを教えてあげて下さい。その一つは、リストを作る事です。ある時間帯にするべきことを一つのリストにまとめておく事もできます。「朝ご飯の前にすべき事」などのように。定期的にすれば、すぐに習慣になってしまう仕事もあります。どうしても覚えていられない場合でも、「僕が今しなくちゃいけないこと、他に何かある?」と誰かに尋ねるよう教えたらいいでしょう。子供が覚えていられなくても、誰か他の人が覚えているかもしれないからです。

     ―――――

 子供は、自分が将来なる人間に、今なりつつある。

     ―――――

 

 あなたは児童虐待者?

 

 あなたは児童虐待者ですか? 「とんでもない」と即座に答える前に、以下を読んで下さい。これはすべての親にあてはまることです。すべての親が児童虐待者である可能性があるからです。

 これを認めるのは本当にいやなのですが、子供の発育に関して数々の学位を取ったにもかかわらず、私はたまに子供に対してひどい扱いをします。ある午後のことを私は決して忘れません。自分の感情を抑え切れず、ついに爆発してしまったのです。すべき事は山ほどあり、何一つうまくいかないようでした。家の中は散乱状態で、私の3人の幼児たちはハイエナの群れのように走り回っていました。子供達の金切り声や叫び声が大きくなればなるほど、私はますますいらいらしてきました。

 そして、ある事が起こった時には、もう我慢の限界で、子供達をこっぴどく怒鳴りつけたのです。後になって自分が子供達にどんなにひどい扱いをしたかを考えて、深く反省しました。

そして子供達に謝らなければならないと気づいたのでした。だから子供達を呼んで、ひざの上に座らせると、自分がさっきひどい態度をとり、本当にひどい事を言ってしまったことを心から謝りました。

 ほとんどの人は、児童虐待というのは、子供にけがをさせ、身体に一生残る傷あとをつけるような、過酷で、分別のない、暴力的な扱いのことだと考えます。

 この種類の児童虐待は極悪非道な犯罪で、ほとんどの親は自分の子供をそのように扱うことなど考えもしません。しかしもっと軽いタイプの児童虐待があり、結局のところ、私達全員がそれを行ったことがあるのです。ぎょっとする事実を言いましょう。もしあなたの子供が2歳以上なら、あなたの家庭ではすでに児童虐待が起こっているのです。それも、あなたが児童虐待者で、子供が被害者です。

 児童虐待は、子供に殴る蹴るの乱暴を加える事だけではありません。自分も人格を持った一個の人間、価値ある人間であるという意識を子供から奪ってしまう行為は何でもそうです。それは、子供を肉体的に、または口頭で虐待することなのです。虐待行為は、目に見える傷あとを残すとは限りません。内面に、つまり子供の考え方や性格に傷あとを残すこともあります。子供は、自分は価値のない人間だと考えてしまうのです。

 以下は、虐待的な行為を絶対にしないようにするための、具体的なガイドラインです。

 1.怒って子供を懲らしめないこと。怒り心頭に達している時には、子供を懲らしめるのは後にしましょう。近所をひとまわりしたり、汚いガレージをきれいにしたり、雑草を抜いたり、テニスをしたり、夫または妻に電話をしたり、子供と顔を合わせる前に必死に祈ったりすることです。自分の感情を抑えられれば、その問題を解決する建設的な方法を考えつくのがずっと簡単になるでしょう。

 2.思わず厳しい言葉や無情な言葉が口から出たり、衝動的に子供をひっつかむか、ひっぱたくなら、すぐに子供に謝ることです。親が心から反省していて、もっと良い親になろうと努力しているとわかれば、子供はすぐに立ち直ることができ、恨みを抱いたりしません。

 3.子供を扱われて当然の方法で扱うのではなく、あなたがその子の立場であったなら、こう扱われたいと思うような方法で、またはキリストならその子をこう扱われるだろうと思う方法で扱いましょう。

 4.ただ悪い振る舞いに対処するよりは、そのような振る舞いを防ぐことに力を入れなさい。問題がまだ小さく、解決がわりと簡単な内に、解決のための時間を取るのです。あなたやあなたの子供の感情が爆発寸前の危険な状態になってからでは遅すぎます。愛のカップの原則を忘れないように。

 5.神の御言葉によってあなたの行動を導いてもらいなさい。

 6.勇気をもって。過去において虐待的な行為をしたことが何度かあっても、あなたは変わることができます。

 もし自分の怒りや感情を抑えられないという問題が頻繁に起こるなら、その原因を問う必要があります。自分の生活を振り返ってみて下さい。あまりにも多くのプレッシャーがありませんか? プレッシャーをいくらか取り除くために状況(義務や責任)を調整することはできますか? 過度に働かなくてはいけないのは一時的なことで、すぐに終わるものですか? その状況が一時的であることをいつも頭に入れておき、物事をもっと気楽に受け止め、リラックスするよう努めることはできますか? 

 また自分の子供を見てください。扱いの簡単な子供もいれば、難しい子供もいます。扱いが難しければ難しいほど、積極的で明るい態度を維持するために、他の人からの励ましや支持がもっと必要になってきます。そうしないと、イライラや怒りに圧倒されてしまいます。ためらわずに助けを求めましょう。あなたがいつも新鮮な気持ちでいるために、子供から離れる時間も必要です。子供が難しければ難しいほど、子供から離れている時間がもっと必要なのです。

 

 かんしゃくを抑える

  

 親がかんしゃくを起こし、子供に金切り声をあげるのは、それが効果があるからです。たとえパパとママが何度言っても、子供は、親が怒って金切り声をあげるまでは、ほとんど何もしないということを、よく知っているのです。その結果、子供は親が大声をあげるのを聞くまで従いません。そして、親が大声をあげてきたら、それは本気だというしるしだから、即座に言われた事をした方がいい考えるのです。そうでないと罰をもらうからです! 子供は親から怒鳴られて初めて従う傾向にあり、そのために、親は子供を従わせるために、ますますかんしゃくを起こすようになります。だから、パパやママがテーブルをバンとたたいたり、声をあげたりすることが増えるのです。

 これは悪循環です。しかし、この悪循環を断ち切るのは可能であり、ぜひ断ち切らねばなりません。かんしゃくを起こすことによって子供を従わせても、結局、あなたはもっと大切なものを失っているからです。かんしゃくを起こすたびに、子供は親の抑制されていない振る舞いを見るので、親に対する尊敬心を失ってしまうのです。

 かんしゃく、とりわけ金切り声をあげることが、子供を従わせる手段として適切でないもう一つの理由は、子供を卑しめることになるからです。

 誰かあなたの上に立つ人(先生や上司)があなたに腹を立て、金切り声をあげるなら、どんな気持ちがするでしょうか? おそらく、すくみ上がり、穴があったら入りたいような気持ちがすることでしょう。人前でそれをされるなら、ひどい屈辱にも感じるでしょう。あなたは言われた事をすぐにするでしょうが、自分に恥をかかせたその人のことは軽蔑するのではないでしょうか。

 子供はこの点において大人とあまり変わりません。特に人前でけなされたり、恥をかかされるのが好きではないのです。

 本当に腹を立て、子供に向かって大声をあげたくなる前に、我に帰るのが最善です。以下はそのための幾つかの秘訣です。

 もし最初の一回か二回で子供があなたの言うことに注意を払わないなら、声を上げるかわりに声を低くして話してごらんなさい。子供のところに行って、その子の目を見つめ、子供に聞いてほしいことをささやくのです。私の知っているある先生は、クラスが騒がしいと、声を小さくすることで、生徒をすばらしくコントロールしていました。生徒は先生の言うことに耳をすませるために、静かになったのです。

 あるいはもう一歩進んで、沈黙を使うこともできます。ただ子供のそばに行って立ち、子供が振り向いて自分のほうを見るまで何も言わないのです。その子があなたに注意を向けたら、自分の要求している事を告げて下さい。時には、あなたの手をやさしく子供の背にあてて、子供が注意を向けるまで待つのも効果があります。

 いったん子供の注意を自分に向けることができたら、要求している事を、確信をもってはっきり言いましょう。それから、その子が言われた通りにしているかどうかを後で確かめるのです。こうすれば、有害な副作用もなく、子供ははるかに従うようになります。さらにあなたも、自分の感情を抑えられたことで良い気分になれるのです! 

 

 自分の感じていることをはっきり言う

 

 とても忙しい日だったとしましょう。でも、くたくただったけれども、子供たちのためにとびきりおいしいごちそうを作りました。ところが子供たちは「ありがとう」も言わず、食事をたいらげ、ストロベリー・パイの最後の一切れがなくなるやいなや、すっといなくなってしまいました。あなたは誰もおいしかったと言わなかったことでがっかりし、後片付けを始めます。積まれたお皿は山のようです。

 あなたは自分を哀れに思います。

「どうして子供たちは手伝ってくれないのかしら?」 

けれども子供たちには何も言いません。宿題をしているからです。でも考えれば考えるほど、気がめいってきます。「いったいうちの子供たちはどうなっているのかしら?」 そして今まで、一人で夕飯の後片づけをしなければならなかった時の事を考え、「不公平だわ!」と言いながら、スポンジを取って乱暴にお皿を洗い始めます。ちょうどその時、14歳の子供がやってきて、何気なしにこう言います。「ママ、『エンサイクロピーディア』はどういうスペルだっけ?」 あなたはもう耐えられません。突然、たまっていた怒りをぶちまけて、大声でこう言うのです。「知るもんですか。あなたが後片づけの手伝いをしないなら、お母さんもあなたの勉強なんか手伝いませんからね!」

 どうしてあなたは爆発したのでょう? 最初に失望感に襲われた時に何もしなかったからです。その感情を無視しようとしましたが、無視してもその感情は消え去りませんでした。それどころかますます大きくなり、醜くなったのです。そしてとうとう否定的な感情を抑え切れなくなって、かんしゃくを起こしてしまいました。

 どうしたら、これを防げるでしょうか? 最初に自分の内に否定的な感情があるとわかったらすぐに、「ママ(またはパパ)はこういう気分だ」と自分の感情を表現するのです。例えばこのように。

「一生懸命ごちそうを作ったのに、誰も『おいしかった』とも何とも言ってくれないから、がっかりだわ。お母さんだって、感謝の言葉をかけてもらえたらうれしいのよ」 または「たった一人で後片づけをすることになると、いらいらしてくるわ。今晩はまだ他の仕事もいろいろ残ってるし」

 自分の感情を表すのに効果的な事が三つあります。

 1.「お父さん(お母さん)は」の後に、自分の気持ちを言う。

 2.どんな時にそんな気持ちがするかを言う。

 3.そんな気持ちがする理由を言う。

 こうして実際に、感情を言い表してみて下さい。怒りをしずめるには、こうして気持ちを表現したほうが、かんしゃくを起こすよりはるかに効果的です!

 

 氷山の心理学

 

 子供を叱る時に親が一番よく犯す間違いは、自分が好きでない振る舞いを直ちに攻撃するだけで、その問題の元となっている子供の心の内の感情を探ろうとしないことです。このワナに陥らないようにするには、子供があなたの好きではないことをする度に、氷山のことを思い出す習慣をつけましょう。

 言わんとする事をわかってもらうために、氷山について説明しましょう。氷山は、水の上に突き出ている部分はごく一部で、大部分は水中に隠れています。氷山の一角は見えますが、水面下の巨大な部分は見えないのです。目に見える一角を削ってその氷山を変えようとしても、水で隠れた部分が動いて、別の一角が浮き上がってくることでしょう。

 これは子供の振る舞いにとても似ています。破壊的な振る舞いであれ、生意気な態度であれ、意地悪な言葉であれ、からかうことであれ、反抗的な行動であれ、何であれ、私達が好きでない振る舞いが見える時、それは氷山の一角に過ぎません。親は、自分の気にさわる振る舞いを取り除こうとする傾向があります。叱ったり、大声をあげたり、脅したりして、その振る舞いを変えようとするのです。時にはうまくいって、その振る舞いが消えることもありますが、その振る舞いを引き起こしていた内面の感情を和らげることをしないなら、また他の振る舞いが表に現れてくることでしょう。そして第二に出てくる振る舞いは、最初に取り除いたものよりもひどくなる可能性があります。

 ある日、10歳のブルースが家に帰るなり、大声でこう言いました。

「あんな先生、大嫌い。あの先生は本当にバカだ」 

顔が怒りで真っ赤です。そして本を床にたたきつけて、もう一度、「先生なんか大嫌いだ!」と言ったのです。

 息子が激しい口調で非難しているのにショックを受けた母親は、怒って息子の部屋の中に入り、こう言いました。「ブルース、何てこと言うの。先生の事をそんなふうに言うもんじゃありません」

「かまうもんか!」と鋭く言い返します。

「先生はバカなんだ。大嫌いだ」

「もうたくさん! そんな言い方は許しません。人をそんなふうに言うのはよくないわ。人のことを、それも先生のことをバカだなんて言ったから、しばらく部屋から出ちゃいけません。さあ、床に投げた本を拾いなさい」

 この時には、ブルースはかんかんに怒っています。乱暴な足取りで部屋を出ると、バタンとドアを閉めました。

 もう一度、最初のシーンに戻りましょう。でも今度は少しの変更を加えて、ここから何か学べるようにするのです。10歳のブルースが家に帰るなり、「先生なんか、大嫌い。先生はバカだ」と大声を上げました。

 母親はブルースのこの行動を容認するわけにはいきません。大人を尊敬するように、また人をバカと呼ばないようにと教えてきたからです。しかし、母親は、息子がこのような態度を取るには何か隠れた原因があると考え、その問題を探り始めます。どうなるか見て下さい。

 母親がこう言います。

「まあ、すごく怒ってるのね」

「もう頭に来た。先生は今日、みんなの前で僕をばかにしたんだ」

「友達の前で恥をかかされたら、誰だって怒るわね」

「そうだよ」とブルースの表情はゆるんできて、床に投げつけた本を拾いあげます。

「どうして先生が僕をいじめるのか、わからない。僕のせいじゃないのに。僕はそのことを説明しようとしたのに、全然聞いてくれないんだ」

この時点では、ブルースの怒りは収まってきています。母親は息子のそばにきて、息子の肩を抱いてやります。すると息子のほおに涙がつたい落ちました。二人はソファーに座り、ブルースはどうしてそうなったか、一部始終を母親に打ち明けるのです。

 ブルースがすべてを話し、自分の説明に耳を傾けてもらい、感情が収まると、母親はこう聞きました。

「あなたと先生との問題をどうやったら解決できると思う?」 

そして次の10分間、母親とブルースは問題の解決に取り組みます。そして一番最後に母親はこう付け加えます。

「ああ、それからね、ブルース、怒っても決して解決にはならないのよ。また人をバカと呼んでも解決にはならないの」

「うん、わかっている。聞いてくれてありがとう」

 誤った振る舞いの下にある感情を探る鍵は、耳を傾けることです。嵐のように逆巻く感情を和らげる唯一の方法は、そのことについて話すことだからです。

 そして耳を傾けると、とても興味深いことが起こります。誤った振る舞いを引き起こしていた強い感情が消えていくのです。そして一旦その感情がしずまると、子供は問題解決という次の段階に進むことができます。だから、今度子供が容認できないような振る舞いをした時には、氷山のことを思い出してください。あなたの見ている行動は、氷山の一角にすぎないかもしれません。

 

−−パート3へ続く−−