71.祈   り

 

絶えず祈りなさい。(Tテサロニケ5:17)

 

 1.神は、いつでもあなたに何が必要であるのかを、あなたよりもよく知っておられ、またあなたが、何について祈ろうとしているのかを、知っておられるのに、一体どうして聖書の中で、祈るようにと、繰り返してあなたに告げておられるのか? 時々主は、祈りもしない内に答えられるとさえ言われることがある。祈るということは、おもに主の益のためではなく、あなたの益のためなのであって、主がいて下さらなければ、何事も行うことができないということの主への告白なのである。

 2.私はキリストがおられることを知っている。今朝、彼と話をしたのだから。

 3.パワーは常に流れている。メッセージは常にそこにある。神の御霊は、四六時中放送している放送局のようなものである。しなければならない事、それはただ、スイッチを入れて周波数を合わせるだけである。

 4.あなたが、どれだけ多くの賜物をもっていようと私はかまいはしない−−もし絶えず、主との接触を保っていないなら、あなたは困ったはめになる。

 5.あなたが御霊にあって強いなら、神はあなたのために何でもして下さるであろう! あなたは神と一つになっている。そしてこういう状態になると、あなたは神にどんなことでも命令することができる。

 6.神は四六時中放送されている。私たちはただ周波数の合わせ方を学ばなければならないだけである!

 7.主は必ずしも常に、私たちに直ちに答えられるとは限らない。それは時々、私たちの信仰を試し、御霊において私たちをもっと主に近くしてくれる。

 8.イエスに溺れよ−−ちょうど酔っ払いが悲しみを酒で溺れさせるように!

 9.私は、答えをすべて知っているわけではない。しかし、私は答えを与えてくれる人を知っている!

 10.あなたが成し得る最悪のことは、何をすべきか分からないのに進み続けることである。

 11.主の力なしに主の仕事はできない!−−またその力を得るためには、主と共に時間を過ごさなければならない!

 12.初めにコンサートを行い、その後で楽器を調律してはいけない。一日を神の御言葉と祈りとで始め、まず何よりも、主との調和を得ることである。

 13.主と二人だけで幾らかの時間を過ごして、再び満たされることなしに、絶えず他の人々に、注ぎ出し続けることのできる者はいない。

 14.主に耳を傾けることに忙しくするなら、自分ではしなければならないと考えている、これら他の事柄によって煩わされることはないであろう。

 15.もし主と二人だけになって、悪魔を最初にやっつけてしまうのでなければ、止めてしまった方が良い!

 16.もしあなたが主のチャンネルにおり、主との絶え間ない交信を持っていて、絶えず主の振動を受けているなら、あなたは絶えず、主の声を聞いているわけである。そしてそれは、あなたの霊という精神の目で絶え間なく主の声を聞いているということである。一日中、さらには夜眠っている時にも、あなたはイエスと波長が合っている!

 17.主は夜の静けさの内に、あなたの心にささやきかける、その優しく、穏やかな愛情深い御声で、あなたに求愛するのを好まれる。

 18.祈りの翼にのって、私たちの重荷は飛び去り、

思い煩いの荷は軽くて背負えるほどになり、

沈んだ心は、神の素晴しい、愛の香油によって、

いやされるために上へと引き上げられる!

そして私たちの目の涙は、私たちのすべての問題や恐れや、絶望を理解してくれる愛情深い父の御手によって、乾かされる。

私たちが祈りの翼にのせて、

それを主の所に持って行くならば。

 19.主に、喜びと健康と幸福とを運んできていただくために、あなたは神の動力に、個人的に接触することを学ばなければならない。

 20.人間が偉大なのは、ただ膝まづき祈る時だけである。

 21.もし神があなたの父親であるなら、是非家に電話をかけてほしい!

 22.祈りのシークレット (秘密) は、シークレット (密か) な祈りである。

 23.祈りは、神の際限のない水源の貯水場から、私たちの人生のちっぽけなたまり水へと通じる水路を掘ってくれる。

 24.落胆し、涙を流し、思い煩いでいっぱいなのか?

信じ続けよ、神は祈りに答えられる!

 25.ある人々は、祈りに答えてもらえないことについて、不平を鳴らす時、その 「ノー」 、あるいは 「待て」 −−が答えであることに気づいていないようである!

 26.これからとても忙しくなるので、いつもよりも多くの時間を、祈りの内に過ごさなければならない。

 27.人が花の匂いをかぐのを好むように、

神は祈りをかぐのを好まれる。

祈りは柱や塔になって、

踊りながら昇っていく。

 28.神の遅延は拒否ではない。

 29.神と二人きりになって、祈ることもできないほど忙しいなら、あなたは忙しすぎる。

 30.人間の最大の力は、祈りの力の内にある。

 31.神はただ、あなたが状況に関して命令を下すのを待っておられるのである! 神は、 「わたしに命じよ!」 と言われた。主は、それほども多くの信仰と力とを、あなたに与えておられるので、あなたは自分のために神にしていただきたいと望むことを、神に命令して行わせることさえできるのである!(イザヤ45:11) もしあなたが義人であり、 正しいことを行い、また神を喜ばせようと努めているなら、あなたは、主にしてほしいと望むことを行うように、主に命じることができる。主は、その御言葉の中で、もうすでにそのことを、つまりあなたの祈りに答えることを約束しておられるからである。

 32.私は、自分の立場に堅く立ち、ある特定の事柄を行って下さるようにと神に要求した時に、神が何かをして下さらなかったことは、一度もなかった! それは必ずしも常に、私が要求していたことではなかったこともある−−だが大抵の場合は要求していたことだった−−が、主は常に答えを示されるか、あるいは私が必要としていたことを行なわれた。

 33.もし神が、一人の人の祈りを聞いて、そのことの故に歴史を変え、全国民を助命したり、あるいは全国民を殺戮したりすることができるのであれば、神は確かに、私たちの祈りをすべてまとめて聞くことができる!

 34.主の祈りを唱える時は、いつでも、神の御国が来ますようにと祈っていることになる!

 35.神の存在の最大の証明の一つとは、祈りに対する答えである。

 36.重要なのは祈りの量ではなく質である!

 37.もし主のために働くつもりならば、まず主に耳を傾けた方が良いであろう!

 38.たとえ自分のしていることが何であれ、あなたは常に祈ることができる!

 39.神は、私たちの信仰と私たちの要望とに、御自身とその活動とを制限してこられた。

 40.この仕事は、霊において祈り、霊において待ち、霊において耳を傾け、霊において語り、そしてその後で主が私たちにするようにと告げられたことを霊において従うことによって始まった!

 41.あなたの祈りは力あることを行い、歴史の進路を変えることができる!

 42.もし一人だけで祈る習慣がついているなら、人前で祈るのも困難ではないだろう。

 43.呼び求めている限り、あなたは神に答えていただくことを期待することができる。からっぽである限り、満たしていただくことができる!

 44.もしあなたが神の子であって、何かのことについて主に尋ねているなら、大抵の場合、あなたが聞く最初の声は神のものであり、その次の声は悪魔のものだという可能性が高い!

 45.一日が忙しければ忙しいほど、もっと祈らなければならない。

 46.祈りによってとても多くのことを成し遂げることができる! あなたが祈らなかったために、一体どれだけ多くのことが成し遂げられてこなかったのかを世界は決して知り得ないであろう!

 47.祈りとは、スイッチを入れる信仰の手である。

 48.どうか祈ってほしい! あなたはオペレーターである。メッセージを伝えることはあなたの責任である。どうか怠らないでほしい!−−そうでないと誰かが、神の重要な電話を受けそこなってしまう。忠実なオペレーターになりなさい−−祈りなさい!

 49.祈りたいような気分でない時に祈ることは偽善ではない−−それは人生における、最大の任務への忠実さである。

 50.祈りは、姿勢と何の関連もない。ただ心の姿勢だけが重要なのである。

 51.神がなされることは、あなたの意志、あなたの行動、あなたの望むもの、そしてあなたの祈り方に依存している! あなたはただそこに突っ立っていて、神と悪魔とにけりがつくまで戦わせるというような態度をとるべきではない!

 52.手と手をつなぐことには、何かがある。それには霊的な重要性がある! もしかしたらそれには、ちょうど電気の回路を完結するといったような、何らかの力があるのかもしれない!

 53.手には、実際の持って生まれた霊的な力がある。特にイエスの御名による祈りにおいてそれを使う時には!

 54.私は、手を置くということが持つ力を信じている!−−たとえそれが、ただの従順以外には、何の理由もないとしても!−−しかしそれには、ある特定の、持って生まれた霊的な力も存在している!

 55.行動する前に祈りなさい−−あなたの熱意のおもむくままに流されてはならない!

 56.あなたは、主と祈りのために時間を割いた方が良いであろう。さもないと時間が足りなくなってしまうことを見出すようになる!

 57.重要なのは、祈りの長さとか量ではなくて、どれだけ信じているかである。

 58.主は、認知されることを望まれる。あなたには主が必要であると、あなたが知ることを望まれる。だから主は、あなたに祈ってもらいたいのである。

 59.主よ、あなたの御言葉を聞くこれらの耳を祝福したまえ。あなたの真理を見るこれらの目を祝福したまえ。あなたのメッセージを語るこの口を祝福したまえ。あなたの愛を与えるこの心を祝福したまえ! イエスの御名によって。

 60.主は、あなたが明確に祈るのを望まれる! それは、あなたの信仰のしるしである!

 61.祈りは、神の御霊からやって来る!

 62.実に多くの事が、私たちに、又私たちの祈りに依存している!

 63.祈るためには、本当に何らかの代価がかかる!

 64.あなたは、本当に神に対して真剣に取り組むべきだ! 真に主に対して呼ばわり、本当に心から祈って主を尋ね求め、強い異言と涙をもって、霊の内に心から祈り、また一心になって真に主に呼ばわる時がなければならない!

 65.あなたたちは祈ることができ、またあなたたちの祈りは物事を変えることができるのだから、もし物事が変わっていないなら、それは祈っておらず、信じておらず、また神に何かをするように求めていないことで、あなたたちの過失になる。

 66.あなたの意図や動機は良いものかもしれないが、もし主の知恵とその取り掛かり方について神を尋ね求めないなら、あなたは道を誤ってしまうことがある。

 67.誰かを呼んだり、誰かと話したりする前に、神に話しかけなさい。その日の指令を主から受けなさい。

 68.敵によって引き起こされるわざわいから免れたいと思うなら、常に、毎瞬間、必死に祈らなければならない。

 69.今日主から指令を受け取りなさい。そして昨日告げられたことだけに従って行動してはならない。

 70.祈りの力には、人々をその場にピタッと立ち止まらせ、その人の口を閉ざしてしまうような何かの力がある!

 71.たとえ正直な無神論者であっても、正直な不信者であっても、神に呼ばわるならば、神は答えられる!

 72.彼らを追い出すよりは、祈りによって出す方が良い!

 73.祈りの力を決して過小評価してはいけない。

 74.ある人々は、主を待ち望む (主に仕えること) 代わりに、主によって待ち望まれる (主に仕えてもらう) ことを望んでいる。

 75.あなたはただ、祈りの内に入らなければならないだけではなく、御霊の内にも入らなければならない!

 76.あなたは主に語りかけること、そして何よりも耳を傾けることを学ぶ必要がある。

 77.祈りとは、他にあなたがしていることが何であっても、四六時中欠かさずに行うことのできるものである。それは行動しながら考えるようなものである!

 78.ほとんどのクリスチャンがより多くの関心を持っているのは、自分たちの言わんとすることを神に聞いていただくことであり、神の言わんとされることを聞くことではない。

 79.あなたは、耳に入ってくる音楽に合わせて、それを奏でなければならない。(聞きながら行動する)

そしてそれは、あなたの耳、また主の音楽であった方が良いであろう!

 80.祈りとは、ただ単にあなたの言いたいことを述べることではなく何よりも神に、その言いたいことを語っていただくことである。

 81.神の声を聞くために時間を割きなさい。そうすれば神も問題を解決するために時間を割いて下さるであろう。

 82.祈る前に聖書を読みなさい−−それは信仰を与えてくれる!

 83.信仰に満たされた必死の祈りは、私たちが持っている最強の武器であり、どんな状況でも、心でも根底から変えることができる。

 84.神は、あなたの必要を御存知である。しかし、神は、あなたが謙遜になり、喜んで祈り、主の力を認め、求めることによって、あなたの信仰を示すことを望まれる。それから神は、答えるのがお好きである。そうすればあなたが感謝と栄光を彼に与えることができるからである。 85.祈りは呼吸のようなもので、絶えず、聖霊を呼吸していることである。あなたは、絶えず主との交信を取っており、絶えず主のことについて考え、主に、その思いを留め続けているので、主は全き平安の内にあなたを保って下さる。

 86.私たちは、自分で何とか防げる間違いはやらかさなくても、自分ではどうしようもない間違いを十分犯してしまう! みんな一つになって真の必死の祈りをし、神があなたに何を成すことを望んでおられるかを、神に尋ねることが要求されるような重大な問題に関して、私たちはとっさの判断を下すような余裕はない。

 87.神はあなたが、あなたの祈りを行動に移すことを期待される。

 88.一日を正しく始め、主の声を聞きなさい。もし主が言わんとしておられることに耳を傾けるなら、主は一日が始まりもしない内に、多くの問題を解決して下さるであろう!

 89.共に祈る家族は、共にとどまる。

 90.祈りのない仕事は、神抜きの仕事に等しい。

 91.主御自身の模範である祈りは、たったの66語だった!−−それで十分であるに違いない!−−そして、その祈りはすべてのことを取りあげている!

 92.主の道は如何に素晴しいものだろう−−しかしもし主に尋ねるなら、それは決して測りがたいものではない!

 93.祈りは力強い! 私たちが祈る時、物事は起こり、物事は変わる! 神は祈りに答えられる! しかし神はある時、イスラエルに対し、悪い事が起こっているのは、 「自ら励んで、わたしに呼ばわるものがない。」 からだ、と語られたことがある。(イザヤ64:7)

  94.まず神に尋ねなさい!−−その方が、リーダーシップに長距離電話をかけるよりもはるかに容易で、安上がりである。

 95.私達の全ての小さな祈りは良いものであるが、ある事柄、又ある人々について、祈りの内に、主に対して真に必死になるべき時がある。

 96.主は、私たちが幸せであることをのぞまれるが、ただいつもの物事の成り行きでは満足できず、必要とされている変化のために、真に主を尋ね求めて心から祈り、あなたの心を主に対して注ぎ出す時があるべきである。

 97.祈る時に、もしあなたが本当に感動していないなら、その祈りがどれほど効力があるか、疑問である!−−一体あなたは、どうやって神に動いていただくことを期待できるのか?

 98.祈りに、あるいは少なくともあなたの祈る権利に敬意を払わない人は、ほとんどいない。

 99.祈りには何か心を打つものがある!

 100.あなたは、あなたの求めるもの、また信仰を持っているものを手に入れる! 神は、あなたの言葉をそのまま受け止められる!

 101.もしあなたの一日が祈りによってすそ縫いされているなら、それがほどけてしまう可能性は少ない。

 102.敬神的な男女の祈りは、世界中のすべての軍隊よりももっと多くのことを達成できる。プレーヤークラフト (祈りの力) は、エヤークラフト (航空機) よりも偉大である!

 103.小さなトラブルが大きなものになってしまわないように、その最初の徴候を見た時に祈った方が良い!

 104.どんな男女でも、祈っている時ほど、それほども僅かの時間を費やすことで、それほども多くのことを成し遂げる時はない。

 105.天国に行く時私たちは、起こった事、あるいは起こらなかった事の多くが悪魔のせいでも、あるいは神のせいでもなく、私たちのせいであったことを知るようになる。それは私たちが、祈ることを怠ったからである!

 106.祈りをやめる者は、栄えることもやめてしまう。

 107.祈りとは、あなたを進め続けてくれる休止である。

 108.祈りは、力強いものである。それは神が、御自身をその祈りに拘束し、束縛しておられるからである。

 109.自分の足で立ち直るための最も手っ取り早い方法は、膝まずくことである。

 110.あなたの人生は壊れ易い!−−祈りを込めて扱いなさい!

 111.もしある思い煩いが、祈りに値しないほど小さすぎるのであれば、それはあなたの重荷にするにも値しない。

 112.祈りは、鷲が決して飛んだことのない所へ飛んで行く。

 113.もし神のために働こうとしているなら、評議会を形成しなさい。神と共に働こうとしているなら、祈りのグループを形成しなさい。

 114.信仰をもって祈りなさい!−−友人から小切手をもらった場合、それを現金に換えるまで彼に礼を言うのを待つだろうか?

 115.もし信じるなら、世界は今でもあなたの祈りによって動かすことができる。

 116.一人なら、千人を追うことができる。二人なら、万人を敗走させることができる。だから圧迫されていると感じたり、悩まされていると感じたり、敵によって攻撃されているように感じるなら、誰か他の人に一緒に祈ってもらうことは、 大きな助けになる。

 117.共にする団結した祈りには大いなる力がある。

 118.もしあなたに、喜んで神に耳を傾ける気持ちがないなら、神もあなたに耳を傾けては下さらないであろう!

 119.あなたが耳を傾けるのをやめる時、それは神が語るのをやめられる時である!

 120.ほとんどの人々は−−5才という年令で、 「主よ、お語り下さい。しもべは聞きます!」 と語った幼な子の預言者、愛するサムエルのようにではなく−− 「主よ、お聞き下さい。しもべは話します!」 と祈る。

 121.ほとんどの人々にとって祈りとは、一方通行であり、人々の方が話す方を専門に行っている!

 122.もし必要がそこにあるなら、答えもまたそこにあるに違いない。だからあたりを見渡して、それを祈って手に入れなさい。

 123.まず信仰と従順とが先に来る−−その後で神は、祈りに答えられる!

 124.決断を下すための主要なルールの一つとは:  話し続けてはいけない−−祈りなさい!

 125.神は、神とふたりだけでいる時に、山をも溶かし去ってしまうような霊的な解決策を与えられる!

 126.最も弱い聖徒がひざまづき、祈るのを見る時、

サタンは恐れおののく!

 127.もし祈るなら、毎日何か新しいことを開拓できる!

 128.私たちは、聞くために生きるべきである!

 129.あなたが気遣っている誰かに手を差し延べたいなら、あなたの心から始め、祈りを唱えなさい。

 130.神は常に答えられる:  時には 「イエス」 と言われ、時には 「ノー」 と言われ、また時には 「待て」 と言われる!

 131.イエスがその血を流されたように、私は彼らのために涙を流す。

 132.私の涙は、天国の大広間におられる神の耳に届く。

 133.祈りは、父のところまで立ち昇る香のように、非常に美しい。

 134.それらの祈りは、とても美しい! それはまるで、あたかも踊っているかのように、からみ合いながら流れていく御使のような、きれいな乙女のようなものである!

 135.私は、私の心を燃やし、私の魂をイエスに注ぎ出す。するとその煙が立ち昇り、かぐわしい蒸気が立ちこめる。

 136.聖徒たちの祈りは、主の家にあって、かぐわしい香りのように立ち昇る。

 137.主は、私たちの祈りを花の芳香のようにかぐのを好まれる。

 138.私たちは燃えて、燃え尽き、心を注ぎ出す。するとそれは、主のところに立ち昇っていく。

 139.あなたは祈りを通して、すなわち主の御言葉の掟に対する従順により、主の御霊と接触することを、霊的に尋ね求めることを通して、主の力と接触する方法を学ばなければならない。

 140.「わが貧しき者たちのために、わたしに嘆願する者はさいわいである!」

 141.祈りは、神のなさりたくないことを、神にさせることではなく、神の最もなさりたいことをつかみ取ることである。

 142.時という砂の上に、いつまでも残るようになるただひとつの足跡は、膝まづき祈った、その膝跡の後にできる足跡だけである。

 143.言葉に表せない切なるうめきは、しばしば神にとって断われない祈りである。

 144.眠れない時には、羊飼いに語りかけなさい。

ただ何もしないで、

羊を数えながら横たわっていてはいけない!

 145.食べる前に、

食べ物を祈りによって、

清めるように気をつけなさい!

 146.祈りを求めなさい! それは主に対するあなたの信仰の現れである。

 147.祈りは、神の手と心とを動かす!

 148.あなたはイエスの御名によって祈り、イエスの御名によって求め、イエスの御名によって勝利を要求し、イエスの御名によって敵を叱責すべきである!

 149.私が、神に呼びかけるのは、主の祈りを唱える場合だけである。そして主の祈りを唱える時には、常にイエスの御名によってそれを唱える。

 150.あなたはいつでも、主に呼びかけることができるし、主によって、すべてのものにまさる力を持つことができる。

 151.もし隣の部屋で、キリストが私のために祈ってくれているのを聞くことができるなら、私は百万の敵をも恐れないであろう! しかし、距離は何の問題にもならない:  キリストは、私のために祈ってくれている!  「キリストは甦ってとりなしてくださるのである。」  (ローマ8:34)

 152.祈りで、大事なのは私たちの心の態度であって、体の姿勢ではない!

  153.もし私たちの心が、謙遜の内に膝まづき、主の御前にひれ伏していて、思いが主に集中しているなら、それこそ大事なことなのである!

 154.もし御霊において膝まづいているなら、肉体的に膝まづく必要はない!−−しかしそれも助けになる!

 155.祈るときには聖句を引用しなさい。神にその約束を守らせなさい。

 156.愛と祈りがあるなら、常に希望がある!

 157.神のビジネスは、常にコミュニケーションである−−すなわち、人間に対する主の交信、そして主に対する人間の交信であり−−主がメッセージを、つまり御言葉を与えられ、人間がそれを受け取ることである!

 158.ラジオが発明されることを主が許されたのは、多くの理由があると思うが、祈りと霊的な交信を例で示し、また説明するためであるということも、その理由に含まれている。

 159.イエスの御名を用いることをためらってはいけない。祈りの対象となっている人に、再三再四イエスの御名で祈らせ、イエスの御名を唱えさせ、またイエスの御名によって、救出されることを求めさせなさい。

 160.聖書には祈りに関する実に多くのことが書かれている。そしてあなたが祈りに関して語る時にはいつでも、請い求めることを語っている!−−だから、物を請い求めていけない理由はない。

 161.私が主をこれほどもよく知るようになった一つの理由は、とても多くの時間を、主と二人だけで過ごしたからである。

 162.「ダビデの子供たちによる忠実な祈りは、効果がある。」

 163.もしあなたが、主のチャンネルにおり、主との絶え間ない交信を持っていて、絶えず主の振動を受けているなら、あなたは絶えず主の声を聞いているわけである。そしてそれは、あなたの霊の内面の耳で、絶えず主の声を聞いているということである。

 164.祈りとは、この世の放浪に疲れ、神の胸元にとんで行き、神がその心に語りかけ、その霊を生き返らせて下さるまで、祈りの内にそこに待つ、人間の魂である。

 165.しばしば神が奮い立って下さらないのは、私たちが奮い立っていないからである!

 166.祈りは、神がその御言葉の中で行うと約束してこられたすべてのことを実現させることができる。

 167.天国の露、そして選り抜きの祝福は、静かになって主の御前で待つ、魂の上に落ちる。

 168.祈りは、人間の必要と聖なる方の供給源とを結びつけるきずなである。 

 169.会衆の前で行なわれる祈りは、同じ時にすべての心を共に和合させる手段であるが、それはまた、聞く者の益のためでもある。すなわち、彼らが祈りを聞いて、それが信仰の内に祈られ、答えが期待されているということを知るためであり、それによって答えがやって来た時に、それをなしたのが祈りであったということを、知るようになるためである!

 170.あなたは祈りによって、神の考えを変えることができる。モーセは、とても懸命に祈ったので、神はとうとうイスラエルの子らに対して、行おうとしておられたことを考えなおされた。

 171.あなたは神の考えを変えることができるか? ある一定の範囲以内でなら変えることができる。神の全般的な計画は、決して変わっていないし、その全般的な御心も、決して変わっていない。しかし、ある特定の詳細においては、神の考えを変えることができるのである。そうでなかったなら、祈るのを止めてしまった方が増しであろう。もし祈っても、何一つ変わらないのであれば、やめてしまった方が良い。

 172.もし私たちのミーティングが、何らかのものであるべきだとするなら、それは御霊が完全に支配し、あなたたちが異言で祈り、 異言で語り、その説き明かしを話し、預言をして、神が数々の奇跡を成される、霊的なミーティングであるべきだ!

 173.神が、如何にあなたたちの祈りとあなたたちの関心、あなたたちの興味の度合に依存しておられるかを知って驚くことであろう。主は、あなたたちの祈りに答えられる。だから祈ろうではないか?

 174.神があなたたちの祈りに答えられる時、神はそれらの祈りを転換され、あなたたちが祈ってあげている人に対して、影響を与えるために、その祈りの力と願望とを増大される。あなたたちは、あなたたちの祈りを通して、彼らに実際の影響を及ぼすのである。

 175.主は多くのものを、私たちと私たちの関心や祈りに委ねておられる。もしただ半分の心でしか呼ばわらないなら、受け取る答えも半分でしかない。もしあなたたち自身を奮い立たせるなら、神も御自身を奮い立たせられるであろう。

 176.非常に多くが、私たちと私たちの祈りと、私たちが何を成したいかに依存している! 多くの人々は怠惰な態度を持っており、一体どんなことが起きても、主がそのすべてをして下さると考えているようである−−しかし、本当のところは、多くのことが私たちに依存しているのである。

 177.主は、私たちが状況に関して関心を示し、祈ることを望まれる。もし本当に信じるなら、すべての祈りは聞かれ、また答えられる−−しかし祈らないなら、それは成されない。非常に多くが、あなたに依存している。

 178.主はしばしば、あなたが呼ばない内に答えられる−−あなたがそうするようになることを御存知だからである。

 179.あなたが祈る時の、熱心な努力そのもの、また本当に真剣になったり、それを望んだりすることは、答えに反映される。

 180.祈りは、以下の3つの要素に依存している: あなたの位置、神の位置、それにあなたが祈っている相手の位置である。あなたがそれを完全に支配しているのでも、彼らがそれを完全に支配しているのでもない。神はそれを完全に支配してしまわないように、明確に御自身を制限してこられ、あなたの位置と彼らの位置によって影響されるのを許されてきた。

 181.誰が神の御心を知っているだろうか?−−私たちにできること、それはただ祈って、何らかの答えを期待することだけである。

 182.答えを要求し、また期待しなさい! 主は、それを約束しておられる! 主が失望させられないこと、御自身を否定できないことを私は知っている! 主はその御言葉によって縛られている。主にそれを思い起こさせ、主の約束にしがみつき、それらを絶えず暗記し、また引用し、神が答えて下さるということを、一瞬たりとも疑ってはならない−−そうすれば神は答えて下さるであろう! 答えなければならないのである! 答えたいのである! 主に信頼し、たとえ答えを直ちに見ることがなくても、その答えを主に感謝しなさい。何故ならば見よ、あなたの信仰の試練は、金よりもはるかに尊いからである!

 183.あなたがもっと祈ることを決心し、それから必死に神に呼ばわると、たちどころに、続けざまにその結果が生じる! すなわち、聖霊が直ちに働き始め、あなたは何らかの作用を見始めるのである!

 184.神は今でも御座におられ、祈りは物事を変える!

 185.もしあなたたちが、会合 (meet) し、祈ら (pray) ないなら、あなたたちは悪魔の食物 (meat) や餌食 (prey) になってしまう!

 186.主の祈りに対する答えは、極めて完璧なものである。そしてそのことは、私たちがパンのように見える石を求めていた時に、私たちに先見の目がないために、石のように見えたパンを与えて下さったことによって、しばしば分かる。

 187. 私たちは、イエスという、

何と素晴しい友を持っていることか、

彼は私たちのすべての罪と悲嘆をその身に負われる。

祈りの内に、すべてのものを

神に持って行くことができるのは、

何という特権だろう!

ああ、私たちは、

如何にしばしば平安を失ってしまうことか、

如何に不必要な痛みを、

この身に負ってしまうことか!−−

ただ祈りの内にすべてのものを

神に持って行かないばかりに。

 188.私は、私の祈りに、矢のように方向を与える。そしてその後は、その矢が命中したかどうかを見るために、 「目を上げてみる」 。祈りが、朝に方向を与えられるなら、その 「目を上げる」 行為は、一日中続く(詩篇5篇)

 189.祈りとは、あなたのからっぽの状態から、神の満ち満ちている状態へと通じる、水路の開口部である。

 190.未だ開発されていない最大の資源とは信仰であり、未だ用いられていない最大の動力とは、祈りである。

 191.私は充分に絶望的になる時、膝まづいて祈ることを好む。それは心と同様、体にとっても良い姿勢である!

 192.まず第一に、祈りの内により集い、主をほめたたえ、御霊の内に入り、神があなたたちを使って下さるように、必死に祈りなさい!昔ながらの祈りの集会のスタイルで、四つんばいになり、預言者や使徒や昔の神の人たちがそうしたように、主に請い求め、また主に呼ばわって、あなたたちが主の愛の内に、共に溶け合わされるのを助けて下さるようにと神に懇願しなさい。

 193.誰かに敵対して祈るなら、あなたは彼らを呪っているのである。

 194.祈りは、儀式ではなく、関係である。

 195.目を閉じるということは、霊の中で物を見、自分の回りにあるものや自分の回りにいる人々を意識しないようにするのを、また気をそらすものが何もないようなくつろいだ姿勢で、あなたの思いを主に留めるのを助けてくれる。

 196.神は、あなたが明確であることを好まれる。神はあなたが、正確に一体何を望んでいるのかを、主に告げることを好まれる。何故なら、実際あなたが何のために信仰を持っているのかを知りたいと思っておられるからである。

 197.主は、私たちに答えを与えることができるように、私たちが問題を持つのを許されることがある!

 198.主は私たちが、必ずしも常に、私たちのすべての問題を解決できないこと、また主の助けが必要であることを知るのを好まれる! もし私たちが、そのすべてを考え出し、すべての問題を解決できるなら、私たちには主が必要でなくなってしまう。

 199.主にとっては、すべての答えは簡単であり、すべての解決策は容易である!

 200.もし祈ることを忘れるなら、それは祈ることを望まないのと、同じくらい悪いことである。何故ならあなたは、自分が答えを知らないこと、またその答えを求めなければならないことを、喜んで認めることを厭うからである。

 201.あなたは毎日、あなたの一日の仕事に取りかかる前に、朝早く短い祈りの時間を取ってみるべきである。問題に対する解決策を主に尋ねることは、解決策を得るための最も容易な方法である。 「祈るのは大変だ、祈る時間がない。祈ることは時間の浪費だ」 とか何とかと考えてはならない−−もしもう少し多くの時間を祈りに費やすなら、仕事をやり、成し遂げるために費やす時間も、大幅に少なくなるであろう! それほど簡単なことなのである。

 202.主は答えを与えることを、大いに好まれる。主はすべきこと、またそれをする方法を正確に知っておられるので、それを自分たち自身で解決しようと努めて、その一切の手間暇をかけるよりは、主に尋ねてみてはどうなのか。

  (No.T,4,73,74,78,85,98,126,191,302,320,

341,345,369,384,546,638,646,700,706,708,

712,753,950,1249,1384,1637,1647,

「涸れることのない流れ」 と 「主のみ衣のすそ」 も参照。)

 

 

 203.出エジプト32:31,32  モーセは、主のもとへ帰って、そして言った 「ああ、この民は、大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。今もしあなたが、彼らの罪を許されますならば−−しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書き示されたふみから、わたしの名を消し去って下さい。」

 204.申命記23:21  あなたの神、主に請願をかける時、それを果たすことを怠ってはならない。あなたの神、主は必ずそれをあなたに求められるからである。それを怠る時は、罪となるであろう。

 205.サムエル記上3:9a,10  そして、エリはサムエルに言った。 「行って寝なさい。もしあなたを呼ばれたら、 『しもべは聞きます、主よ、お話し下さい』 といいなさい。」 主は来て立ち、前のように 「サムエルよ、サムエルよ」 と呼ばれたので、サムエルは言った、 「しもべは聞きます。お話し下さい。」

 205a.サムエル記上7:9b  そしてサムエルは、イスラエルのために主に叫んだので、主はこれに答えられた。

 206.サムエル記上12:23  またわたしは、断じてあなたがたのために祈ることを止めて、主に罪を犯すことは決してしないであろう。わたしはまた、良い、正しい道をあなたがたに教えるであろう。

 207.サムエル記下22:5-7  死の波はわたしを取り巻き、神に背く者たちの大水は、わたしを恐れさせた。陰府の悲しみはわたしを取り囲み、死のわなはわたしに立ち向かった。苦難の内にわたしは主を呼び、またわが神に呼ばわった。主が、その宮からわたしの声を聞かれて、わたしの叫びはその耳にとどいた。

 208.列王紀上19:11b,12  その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は、風の中におられなかった。風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞こえた。

 209.列王紀下22:19  あなたは、わたしがこのところと、ここに住んでいる民にむかって、これは荒れ地となり、呪いとなるであろうというのを聞いた時、心に悔い、主の前にへり下り、衣を裂いてわたしの前に泣いた故、わたしもあなたの言うことを聞いたのであると、主は言われる。

 210.歴代志上16:11  主とその御力とを求めよ。常にその御顔を尋ねよ。

 211.歴代志下26:5 彼は、神の幻を悟っていたゼカリヤの世にある日の間、神を求めた。彼が主を求めた間、神は彼を栄えさせられた。

 212.詩篇19:14  わが力、わがあがない主なる主よ、どうかわたしの口の言葉と心の思いがあなたの前に喜ばれますように。

 213.詩篇62:8 民よ、如何なる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避けどころである。セラ。

 214.詩篇66:18,19  もしわたしが、心に不義を抱くならば、主はお聞きにならないであろう。しかし、まことに神はお聞きになり、わが祈りの声に御心を留められた。

 215.詩篇102:17 主は、乏しい者の祈りを顧みられる。彼らの祈りをかろしめられないからです。

 216.詩篇106:15 主は、彼らにその求めるものを与えられたが、その魂をやせ衰えさせられた。

 217.詩篇106:44,45  それにもかかわらず、主は彼らの叫びを聞かれる時、その悩みを顧み、その契約を彼らのために思い出し、そのいつくしみの豊かなるにより、御心を変えられた。

 218.詩篇116:1,2  わたしは主を愛する。主はわが声とわが願いとを聞かれたからである。主はわたしに耳に傾けられたので、わたしは生きる限り、主を呼びまつるであろう。

 219.詩篇119:2  主のもろもろの証しを守り、心を尽くして、主を尋ね求めるものはさいわいです。

 220.箴言8:17 わたしは、わたしを愛する者を愛する。わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。

 221.箴言28:9 耳をそむけて律法を聞かない者は、その祈りでさえも憎まれる。

 222.イザヤ30:19b  主は、あなたのよばわる声に応じて、必ずあなたに恵みを施される。主はそれを聞かれる時、それに答える。

 223.イザヤ40:31  しかし、主を待ち望む者は、新たなる力を得、わしのように翼を張って昇ることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。

 224.イザヤ45:11  イスラエルの聖者、イスラエルを造られた主はこう言われる、 「あなたがたは、わが子らについてわたしに問い、またわが手のわざについてわたしに命じよ。」

 225.イザヤ55:6 あなたがたは、主にお会いすることのできる内に主を尋ねよ。近くにおられる内に呼び求めよ。

 226.イザヤ65:24  彼らが呼ばない先にわたしは答え、彼らがなお語っている時に、わたしは聞く。

 227.エレミヤ29:13  あなたがたは、わたしを尋ね求めてわたしに会う、もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば。

 228.エレミヤ33:3  わたしに呼び求めよ、そうすればわたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない、多くの隠されていることをあなたに示す。

 229.ダニエル10:12,13  すると彼はわたしに言った、 「ダニエルよ、恐れるに及ばない。あなたが悟ろうと心を込め、あなたの神の前に身を悩ましたその初めの日から、あなたの言葉は、すでに聞かれたので、わたしはあなたの言葉の故に来たのです。ペルシャの国の君が、21日の間、わたしの前に立ちふさがったので、天使の長であるミカエルが来て、わたしを助けたので、わたしは彼をペルシャの国の君と共に、 そこに残して置きました。」

 230.マタイ6:6-13  あなたは祈る時、自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると隠れたことを見ておられるあなたの父は、公然と報いて下さるであろう。また祈る場合、異邦人のようにくどくどと祈るな。彼らは言葉数がおおければ聞きいれられるものと思っている。だから彼らの真似をするな。あなたがたの父なる神は、求めない先からあなたがたに必要なものは御存知なのである。だからあなたがたは、こう祈りなさい。天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。御心が天に行なわれる通り、地にも行なわれますように。わたしたちの日毎の食物を今日もお与え下さい。わたしたちに負債のある者を許しましたように、わたしたちの負債をもお許し下さい。わたしたちを試みに合わせないで、悪しきものからお救い下さい。御国と力と栄光とは、とこしえにあなたのものだからです。アァメン。

 231.マタイ18:18,19b,20  よくよく言っておく、あなたがたが地上でつなぐことは、天でもみなつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。もしあなたがたの内二人が、どんな願いごとについても、地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父は、それをかなえて下さるであろう。二人、または三人が、わたしの名によって集まっているところには、わたしもその中にいるのである。

 232.マルコ1:35  朝早く、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて淋しいところへ出て行き、そこで祈っておられた。

 233.マルコ11:24  そこであなたがたに言うが、何でも祈り求めたことは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、その通りになるであろう。

 234.マルコ14:36  父よ、あなたにはできないことはありません−−しかし、わたしの思いではなく、御心のままになさって下さい。

 235.ルカ6:12 その頃、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。

 236.ルカ11:9-11  求めよ、そうすれば与えられるであろう。捜せ、そうすれば見出すであろう。門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見出し、門をたたく者は開けてもらえるからである。

 237.ルカ18:1b  人は失望せずに、常に祈るべきである。

 238.ルカ21:36  ふさわしい者であると見なされ、これらの起ころうとしているすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目を覚まして祈っていなさい。

 239.ヨハネ4:23,24  しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって主を礼拝する時が来る。そうだ、今来ている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。

 240.ヨハネ14:13,14  わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。父が子によって、栄光をお受けになるためである。何事でも、わたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。

 241.ヨハネ15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、何でも望むものを求めるが良い。そうすれば与えられるであろう。

 242.ヨハネ16:23b,24  あなたがたが、父に求めるものは何でも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば与えられるであろう。そしてあなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。

 243.ローマ8:26  御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。何故なら、わたしたちはどう祈ったら良いか分からないが、御霊自ら、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。

 244.ローマ8:34 だれがわたしたちを罪に定めるのか。キリストは死んで、否よみがえって、神の右に座し、またわたしたちのためにとりなして下さるのである。

 245.ローマ12:12b 常に祈りなさい。

 246.ローマ15:30  兄弟たちよ、わたしたちの主、イエス・キリストにより、かつ御霊の愛によって、あなたがたにお願いする。どうか、共に力を尽くしてわたしのために、神に祈って欲しい。

 247.Tコリント14:15a するとどうしたら良いのか、わたしは霊で祈るとともに、知性でも祈ろう。

 248.エペソ3:20 どうか、わたしたちの内に働く力によって、わたしたちが求め、また思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに。

 249.エペソ6:18 絶えず祈りと願いとをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目を覚ましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈り続けなさい。

 250.ピリピ4:6  何事も思い煩ってはならない。ただことごとに感謝をもって、祈りと願いとを捧げ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるが良い。

 251.Tテサロニケ1:2   わたしたちは、祈りの時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことをいつも神に感謝している。

 252.Tテサロニケ5:17 絶えず祈りなさい。

 253.ヘブル4:16 だからわたしたちは、憐れみを受け、また恵みにあずかって、時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。

 254.ヘブル13:3 獄につながれている人たちを、自分も一緒につながれている心持ちで思いやりなさい。また、自分も同じ肉体にあるものだから、苦しめられている人たちのことを心に留めなさい。

 255.ヤコブ1:6,7  ただ疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。

 256.ヤコブ4:2b あなたがたは求めないから得られないのだ。

 257.ヤコブ4:8a 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。

 258.ヤコブ5:16b-18  義人の効果的で熱心な祈りは、大いに益のあるものである。エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと、熱心に祈りを捧げたところ、3年6カ月の間、地上に雨が降らなかった。それから再び祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実を実らせた。

 259.Tヨハネ3:22 そして願い求めるものは、何でもいただけるのである。それは、わたしたちが、神の戒めを守り、主の目に喜ばれることを行っているからである。

 260.Tヨハネ5:14,15  わたしたちが、神に対していだいている確信はこうである。すなわち、わたしたちが何事でも、神の御旨にしたがって願い求めるなら、神はそれを聞き入れて下さるということである。そしてわたしたちが願い求めることは、何でも、聞き入れて下さると分かれば、神に願い求めたことはすでに、かなえられたことを知るのである。

 261.黙示録5:8  巻き物を受け取った時、4つの生き物と24人の長老とは、おのおの竪琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は、聖徒の祈りである。

 262.黙示録8:3,4 また別の御使が出てきて、金の香炉を手にもって祭壇の前に立った。沢山の香が彼に与えられていたが、これはすべての聖徒の祈りに加えて、御座の前の金の祭壇の上に捧げるためのものであった。香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈りと共に、神の御前に立ち昇った。

  (出エジプト32:9-14;  民数記14:11-21;  申命記9:18-29;  マタイ8:5-13も参照。)