7.懲らしめ
すべての訓練は、当座は喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。(ヘブル12:11)
1.懲らしめは、いつも愛と憐れみによって和らげられなければならない。
2.主は、弱い者や無力の者に対しては、非常に寛大で忍耐強いお方であられる。しかし物事をよくわきまえているはずの年長の者に対しては、厳しい親であられる。
3.たとえ救われていても、もし誤ったことをするなら、神はそのためにあなたを罰せられるであろう。
4.あからさまに戒めるのは、密かに愛するのにまさる。 (箴言27:5)
5.鞭と戒めとは、知恵を与える。わがままにさせた子は、その母に恥をもたらす。(箴言29:15)
6.あなたの子を懲らしめよ。そうすれば彼はあなたを安らかにし、またあなたの心に喜びを与える。(箴言29:17)
7.人々がうっかりやってしまった哀れな小さな間違いのために、人々をとても厳しく、とても激しく懲らしめることをやめよう。
8.愛情深い父親として、正しい方法で、愛の内にお仕置きをしなさい−−きつくなりすぎず、厳しくなりすぎず、過酷になりすぎず、またあなたの子供があきらめて試みることをやめたり、あるいはあなたの霊的な赤ん坊がただあなたの標準に従って生きられないせいで、ただやめてしまい、背教し、家に戻って行く結果になるほど、完全な落胆と絶望状態に追いやってはいけない。
9.お仕置きする約束をしておいて、それを実行しないなら、お仕置きする約束など一度もしなかったほうがましである!
10.実施されない法律は、全く法律ではない! 実行されない懲らしめは全く懲らしめではない!
11.懲らしめの原則は: 愛は敗れず!
12.次回あなたが神の警官、すなわち悪魔からお仕置きを受けるなら、それは恐らくあなた自身の誤りでそうなったということをおぼえていなさい!
13.あなたは罰に処すと厳しく言っておきながら、それを実行しないわけにはいかないのである! 鞭をふるわない父親は、全く父親ではない! 実施されない法律は全く法律ではない!
14.子供が、間違っているとは知らないで、何か誤った事をしたなら、そのためにその子を罰するのは正当ではない。
15.それぞれの子供のしつけは、その子特有の必要、その子独自の性格に合わせられなければならない。多くの事が子供と、また何が本当にその子にわからせることができるかにかかっている。
16.あなたは、子供に対して多くの愛と、忍耐と、祈りとを持ち、道理を多く説いてやる必要がある!
17.神のお仕置きですら、愛の内で行なわれ、それは彼の愛の証明の一つである!
18.全てのルール、全てのおきてについては、同意され、あらかじめ警告された何かの罰がなくてはならない。
19.お仕置きは、結果をえるならその価値がある!
20.聖書の中で、子供の訓練に使われている言葉は、懲らしめである!
21.杖のために神に感謝しよう!
22.私は頻繁に叱り、杖をふるうが、なだめ、励まし、慰め、あなたに回復とあがないの希望を与えるために、いつもお仕置きの後で、愛のいやしの香油を加えてやるのである。
23.神は、まだいくらかの希望がある人々を懲らしめられる。
24.懲らしめの杖をもちいなければならない時、必ず自分が正しい霊の内にその杖をふるうように確かめなさい。
25.どんな兵士でも、学ばなければならないことがあるとすれば、それは自分の間違いのために指揮官から怒鳴りつけられるのを素直に受け入れて、「イエス・サー、サンキュー・サー」 と言うことである。
26.懲らしめは、神があなたをどれだけ愛しておられるかを示すための、受け入れがたい賛辞である。
27.矯正は多くのことを成すが、励ましはそれ以上多くのことを成す。とがめの後の励ましは、にわか雨の後顔を出す、太陽のようである。
28.私の父は、私が間違った道にいるのを見ると、彼はいつも、彼の腕前を見せてくれた。
29.神のお仕置きは、時々受け取りづらいことがあるが、それは神の愛の証拠であり、神の 「受け取りがたい賛辞」 なのである。そしてもしあなたが、それによって教訓を学び、その方法で神との調和と幸福へと導かれるなら、それはあなたにとって良いものである。
30.神は、神ご自身の子供が背教したときには、ときどき彼らの背に最も強い杖を振るわれることがある。何故なら彼らは物事をわきまえているはずであり、言い訳がないからである。
31.一度羽根を折った小鳥は、神の恵みによって前よりも高く飛ぶであろう。
32.神は心の砕けた男女だけを使われる−−他の人々を使う事はできない。
33.私たちの良い父親であられる神は、私たちが正しい方向に進み続けるように、矯正の鞭を使われる。
34.もし主がほのめかしておられることを感じ取らないなら、主はときどきあなたを強く押されることがある。
35.愛によって制御できない者は、恐れによって制御されなければならない。神を恐れることでさえ、知恵の始まりである。
36.悪魔は検察官である。だからもし何か悪魔が非難できるものがあるとすれば、悪魔にはそうする権利がある−−それがルールである!悪魔はその罪の故に、その体かその人を、罰か懲らしめによって悩ます権利があるのである。
37.苦々しい根を持つようになるのではなく、立ち直りなさい。
38.犯罪の予防は、電気椅子からではなく、ベビー用ハイチェアーから始まるのである。
39.杖は最後の手段である。杖を使うこと自体、適切な教え方、訓練においてどこかで何かが誤っているのであり、主の道に従って子供たちに愛を与えていなかったということを示している。
40.杖を用いることを恐れてはならない。それをあなたの手の中にある神の杖、神の僕と見なしなさい。神がご自分の子供たちに、つまり私たちに神を恐れるようにと教えられるのと同じように、あなたが自分の子供たちに、あなたを恐れることを教えるように。
41.大人を修繕するよりは、子供を築きあげるほうが容易で、もっと良い。
42.近代家庭の他の全てのものが、今スイッチをいれるだけでコントロールされている−−子供もスイッチ (しなやかな小枝の意をかけている) でそうしたらいいではないか?
43.子供を矯正し始めるべき時というのは、子供があなたを矯正し始める前である。
44.あなたは自分の先祖を変えられないが、自分の子孫に関しては何かできる。
45.あなたは必要不可欠な人物ではない。誰もそのような人はいない!−−私でさえ必要不可欠な人物ではないのだ!−−もし私が価値ある人物であるよりも多くのトラブルを引き起こし、役立つよりも邪魔になっているなら、神は私を取り除かれるであろう!
46.あなたは砕かれ、ゲッセマネを経験し、心の割礼を受けるという経験を通っているのであり、それは痛いものである。しかしそれは主があなたを愛しておられ、あなたが主の子供であるという保証なので、主があなたを懲らしめられる時、とても痛いが、快い痛みなのである。
47.優しさをもたらすためには、苦しみがなくてはならない。炎の美をもたらすためには、何かが灰とならなければならない!
48.いわゆる罰の最も良い種類のものは、懲らしめ、または子供の訓練であり、子供たちに何かを教え、訓練し、子供たちが教訓を学ぶのを助け、子供たちが二度と同じ間違いをしないように助けてあげられるものであるべきである。
49.羊飼いの杖は、羊を救い、指導するという両方の役目を果たす。そしてあなたを正しい道にとどまらせるために、あるいは誤った道から離れさせるために、ときどき主はその杖で、あなたをピシッと打たなければならないことがあるかもしれない。
50.「魂の父は、わたしたちの益のため、その清さにあずからせるために、訓練されるのである。」 言い換えれば、それを通して主は私たちを清め、私たちから罪をきれいに取り除き、私たち自身の心の中で、全てのトラブルを引き起こす不純物を、きれいに取り除かれるということである。そして神に感謝する事に、私たちは清くされるのである! (ヘブル12:10)
51.もしあなたがあるルールを厳しいものにしすぎるなら、ある人々は反抗的になって、その全てを放りなげてしまう!
52.懲らしめの杖が誤っているというのではなく、大切なのはそれを振るう時の霊である。神ご自身、神の杖によって私たちを懲らしめられるが、神はそれを愛の内に忍耐を持って行なわれる。そしていつもその後、私たちを慰め、私たちの間違いにもかかわらず、進み続けるように励まそうとされるのである。
53.あなたが、あなたのまわりにいる人々の間違いや、過失や、罪を矯正する時、神が私たちに対してされるように、また他の人によって私たちが矯正される時にしてもらいたいように、正しい霊の内にいることを確かめなさい。
54.神は、愛の神であるだけではなく、もしあなたがルールに従わず、あなた自身、あなたの生命、私たちのファミリー、そして仕事を危険にさらすなら、神はまた怒りと懲らしめと裁きの神でもあられる!
(No.18,38,39,55,75,606,718,915,1023,1512,1527も参照。)
55.申命記8:5,6 あなたはまた、人がその子を訓練するように、あなたの神、主もまたあなたを訓練することを心にとめなければならない。あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼を恐れなければならない。
56.歴代志下7:13,14 わたしが天を閉じて雨をなくし、またはわたしがいなごに命じて地の物を食わせ、または疫病を民の中に送る時、わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いてその罪を許し、その地をいやす。
57.ヨブ5:17,18 見よ、神に戒められる人はさいわいだ。それゆえ全能者の懲らしめを軽んじてはならない。彼は傷付け、また包み、撃ち、またその手をもっていやされる。
58.ヨブ33:19 人はまたその床の上で痛みによって懲らされ、その骨に戦いが絶えることなく。
59.詩篇30:5 その怒りはただつかのまで、その恵みは命の限り長いからである。夜はよもすがら泣き悲しんでも、朝と共に喜びが来る。
60.詩篇73:14 わたしはひねもす打たれ、朝ごとに懲らしめを受けた。
61.詩篇94:12,13 主よあなたによって懲らされる人、あなたのおきてを教えられる人はさいわいです。あなたはその人を、災いの日からのがれさせ、悪しき者のために穴がほられるまで、その人に平安を与えられます。
62.詩篇118:17,18 わたしは死ぬ事なく、生きながらえて主のみわざを物語るであろう。主はいたくわたしを懲らされたが、死にはわたされなかった。
63.詩篇119:67 わたしは苦しまない前には迷いました。しかし今は御言葉を守ります。
64.詩篇119:75 主よ、わたしはあなたのさばきの正しく、またあなたが真実をもってわたしを苦しめられたことを知っています。
65.詩篇141:5 正しい者にわたしを打たせてください。それはいつくしみとなるでしょう。また彼にわたしをとがめさせてください。それはわたしのこうべの骨を折ることのない、優れた油となるでしょう。
66.箴言3:11,12 わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない。その戒めを嫌ってはならない。主は愛する者を戒められるからである。あたかも父がその愛する子を戒めるように。
67.箴言9:8,9 あざける者を責めるな、おそらく彼は、あなたを憎むであろう。知恵ある者を責めよ。彼はあなたを愛する。知恵ある者に教訓を授けよ、彼はますます知恵を得る。正しい者を教えよ、彼は学に進む。
68.箴言15:32 教訓を捨てる者は己の命を軽んじ、戒めを重んじる者は悟りを得る。
69.箴言17:10 一度の戒めがさとき人に徹するのは、百度の懲らしめが愚かな人に徹するよりも深い。
70.箴言19:25 あざける者を打て、そうすれば思慮のない者も慎む。さとき者を戒めよ、そうすれば彼は知恵を得る。
71.箴言25:12 知恵をもって戒める者は、これを聞く者の耳にとって金の耳輪、精金の飾りのようだ。
72.箴言27:5,6 あからさまに戒めるのは、ひそかに愛するのにまさる。愛する者が傷付けるのはまことからであり、あだのくちづけするのは偽りからである。
73.箴言28:23 人を戒める者は舌をもってへつらう者よりも、大いなる感謝を受ける。
74.箴言29:17 あなたの子らを戒めよ。そうすれば彼はあなたを安らかにし、またあなたの心に喜びを与える。
75.伝道の書7:5 賢い者の戒めを聞くのは、愚かな者の歌を聞くのにまさる。
76.伝道の書8:11 悪しきわざに対する判決がすみやかに行なわれないために、人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いている。
77.エレミヤ10:24 主よ、わたしを懲らして下さい。正しい道に従って、怒らずに懲らしてください。さもないとわたしは、無に帰してしまうでしょう。
78.マタイ18:15-17 もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼と二人だけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。もし聞いてくれないなら、他に一人二人を一緒に連れていきなさい。それは二人または三人の証人の口によって、すべての事柄が確かめられるためである。もし彼等の言うことを聞かないなら、教会に申しでなさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人、または取税人同様に扱いなさい。
79.Tコリント11:32 しかし、裁かれるとすれば、それはこの世とともに罪に定められないために、主の懲らしめを受けることなのである。
80.Tテモテ5:20 罪を犯した者に対しては、他の人の前でその罪をとがむべきである。
81.テトス1:13 だから彼らを厳しく責めて、その信仰を健全なものにし‥‥
82.テトス3:10,11 異端者は、一、二度訓戒を加えた上でしりぞけなさい。確かにこうい人たちは、邪道に陥り、自ら悪と知りつつも、罪を犯しているからである。
83.ヘブル12:5-13 「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められる時、弱り果ててはならない。主は愛する者を訓練し、受け入れるすべての子を鞭打たれるのである。」 あなたがたは訓練として、耐えしのびなさい。神はあなたがたを子として取り扱っておられるのである。いったい父に訓練されない子があるだろうか。誰でも受ける訓練があなたがたに与えられないとすれば、それこそあなたがたは私生児であって、本当の子ではない。その上肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼を敬うとすれば、なおさらわたしたちは、魂の父に服従して真に生きるべきではないか。肉親の父はしばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、魂の父はわたしたちの益のため、その清さに預からせるためにそうされるのである。すべての訓練は当座は喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。それだからあなたがたのなえた手と、弱くなっている膝とを真っ直ぐにしなさい。また足のなえている者がふみはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために真
っ直ぐな道をつくりなさい。
84.黙示録3:19 すべてわたしの愛している者を、わたしは叱ったり、懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。
(申命記21:18-21も参照。)