66.迫   害

 

  いったいキリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな迫害を受ける。(Uテモテ3:12)

 

 1.真理を告げるなら、必ず敵を何人かつくることになる。愛を信じているなら、必ず憎しみを信じている人に直面する。自由を信じているなら、必ず、あなたがそれほど自由であるべきではないと考える人に出会う!

 2.あなたの敵は、悪を証明できないなら、善を反証しようとする−−ラスプーチン

 3.聖書は危険な本であり、イエスは危険人物である! その名を口にするというのは、あなたにとっても危険なものとなり得る!

 4.あるがままのあなたであることの故に、憎まれることの方が、実際には、そうでないあなたであることの故に愛されることよりも良い。

 5.圧政者が死ぬ時、その人の統治は終わり、殉教者が死ぬ時、彼の統治は始まる。

 6.私たちは、雀蜂の巣よりももっとひどいものをかき乱してしまった。すなわち地獄のすべての悪鬼どもをかき乱して、私たちに敵対させてしまったのである。それは私たちが、全世界にメッセージを伝えるということにおいて実に効果的で、徹底的な仕事をしてきたからである!

 7.刑務所においてもPRを行うことは、非常に重要である。そうすれば彼らは最後には、あなたたちが善良な人々であることを認め、一体どうして刑務所に入れられたのか理解できなくなるであろう。

 8.殉教者の血は、真の教会の種である。だから彼らが殺されれば殺されるほど、彼らの後を継ぐ者たちの数が増えていく!

 9.悪い報道は、良い報道をもたらしてくれる。何故なら、あなたたちがどれだけ悪いかを見るためにみんながやって来て、結局はさほど悪くはないことを知るからである!

 10.もし彼らの攻撃がなかったなら、私たちがニュースになることはなかったであろう! 世間に知れ渡るためには、攻撃に耐えることができるようでなければならない!

 11.善には常に敵がいる。善は常に悪によって攻撃される。

 12.私たちを拒み、私たちを望まず、証しすることをあまりにも困難にしてしまう地域において戦うには、時があまりにも短かすぎる。

 13.神は、私たちの敵どもに対して、彼らが私たちを迫害することの報酬として受け取るお金よりも、はるかに多くの代価を彼らにかけさせる事ができる。

 14.彼らは決して私たちを阻止することはできないが、私たちの方が彼らを阻止するようになる日が近づいている!

 15.あなたを目覚めさせるために必要としているのは、もしかしたら迫害なのかもしれない!

 16.あなたにできる最も賢いことの一つとは、あなたの敵が戦うのをやめるように、彼に勝ったと思わせることである。

 17.はやまって船をあきらめてはならない! 沈む前に飛び出してはならない。あまりにもはやまって戦いをやめてはならない! そうしなければならないのでない限り、隠れてはいけない! 地下に追い込まれるまで地上にとどまりなさい! 攻撃されるまでやめてはならない!彼らに追い出されるまで立ち去ってはならない!

 18.単に悪魔が威しをかけてくるというだけで、戦場を明け渡し、彼に降伏してはならない。戦い続けよ。そうすればどうしても勝ってしまう。何故なら、そのことに対して、神があなたを祝福されるからであり、栄光に満ちた勝利を与えられるからである!

 19.彼らをやっつけることも、彼らに加わることもできないなら、逃げなさい! 

 20.多くのクリスチャンは、もし彼らが逃げるか、あるいは法律に公然と逆らわないほどの常識を持っていたなら、苦しみを受けずにすんだことであろう。

 21.肉体的な迫害でさえ、以前と変わらぬ悪習慣やわだちや霊的な無気力状態や教会人による教会主義の催眠術に陥ってしまうことほど危険ではない。

 22.一つの地域に福音を本当に浸透させ、またできる限り大勢の魂が受け入れ、刈り取られたなら、主はあなたたちを次の場所へ追いやるために、悪魔があなたたちに対して迫害を引き起こす拒絶者や敵を駆り立てるのを許される。

 23.弱い枝や弱い部分を吹き飛ばし、ただ強い者だけが生き延びるように、神はこの人生の嵐を許される。

 24.時々神は、あなたたちが証ししてきたが、その心を頑なにしてしまった者たちを滅ぼすことができるように、あなたたちを邪魔にならない所に除かなければならないことがある。

 25.行くべき時が来たなら−−行きなさい!−−最悪の事態が起こるまで待っていてはいけない!

 26.もし行って、自分の国のために死ななければならないのであれば、それは結構である。しかし、そこに出ていって自国のために生き、世界を征服することの方が優れている!

 27.もしどこか別の場所に行って殉教者となり、神の御国のために生きることができるのであれば、自国のため、つまり神の御国のために殉教者となって死ぬことは、何の役にも立たない。

 28.迫害を受けずに、神の預言者となることはできない!

 29.ただ重荷や問題となるばかりで、あなたたちを手間どらせてしまうだけの人々を始末するために、時にはふるい分けや、テストや、試練や、分裂が必要なこともある。

 30.もし正しい方法で行うなら、悪魔は戦いを挑んでくるであろう。もし何の反対も受けないなら、仕事を行っていないに違いない。

 31.迫害は弱い者をさらに弱くするが、強い者をより強くする!

 32.主が私を何かから追い出される時に、それによって私を何かより良いものに追い込んで下さらなかったことは一度もない!

 33.堕落させられないで、3つのP、すなわち power (力)、prosperity (繁栄) 、 popularity (人気)  その内のいずれかを受けることのできる者は、ほとんどいないように思われる‥‥神が常に他の3つのPを私たちにもたらされなければならないのは、このためであるように思われる: すなわちそれは persecution (迫害)、 poverty (貧困)、 それにpain (苦痛) であって、 それは私たちを謙遜にし、他の3つのPが持つ毒を消すためである!

 34.迫害は、一つの地域においてあなたたちの仕事が終ったことの最も確実なしるしの一つである。

 35.あなたたち、すなわち主の油注がれた者たち、主の預言者たちに触れる時、彼らは神の体の最も敏感な部分、すなわち神の目に触っているのである!

 36.神が迫害を許されるのは、私たちを清めるためである。

 37.風自体はそれほど危険なものではない−−風によって吹き飛ばされるものが危険なのである。

 38.嵐がおさまる時に、まだ立ったままでいるのは最強の者たちだけである。

 39.嵐を止めようとしてはならない。ただ吹くにまかせよ!

 40.嵐に恐れることなく直面し、風と波とに乗るならば、危害を受けることはない。

 41.神の信仰によって、彼らのたけり狂う猛威に挑戦する時、私たちは嵐を楽しみ、彼らを面と向かって笑い飛ばすことさえできる。彼らが勝利を収めることはあり得ず、結局は私たちが彼らを征服するようになることを知っているからである!

 42.戸や窓を開け、彼らの激しい怒りの風を吹き抜けさせることを恐れてはならない。それはただ、家の中から何かそれに耐えることができるほど十分に強くないものや、人を一掃する助けとなってくれるだけである。

 43.すなわち自分が勝利を収め、また何をされても阻止されることはあり得ないと知っている、挑戦者の浮き浮きするようなスリルや挑戦の喜びをもって風と波とに乗りなさい!

 44.私たちのねたみ深い敵どもは、私たちに関する多くの極悪な嘘を告げてきた! これは私たちが的を射抜いていることのしるしである。何故なら、たたかれる犬がほえるからである!

 45.今日あなたたちのような類いのクリスチャンとなることは、初代教会にとってそうであったのと全く同じくらい危険なことである。

 46.敵がどれほど近くにやって来ても、神ほど近くまでやってくることはできない。

 47.彼らは勝利できない。あなたたちを阻止することはできない!神が、あなたたちと共におられる故、それは不可能である!

 48.悪魔は、この世の神であり、誰であれ悪魔以外の何かを崇拝している者たちを忌み嫌っている。だからできることなら、彼はそういった者たちを攻撃してくるであろう。

 49.偉大なる仕事をすることをやめて、私たちが下に降りて来ないように、私たちを城壁の上にとどまるため、敵共でさえ必要とされている。

 50.私たちが彼らによって、どのように呼ばれようと、私は気にしない。主が私たちを召され、また私たちが主の召しに従っている限り。それだけが大事なことなのである。

 51.聖徒とは、百年も前に死んでしまい、今では聖者の列に加えられているが、生きていた時にはこっぴどく攻撃された信念の人のことである。

 52.悪魔の軍勢やアンチキリストや、私たちの現在及び将来の敵について気に病む必要はない!−−彼らが私たちにとって敵であるよりも、神の方が彼らにとってははるかに大きな敵だからである!

 53.彼らが真理を弾圧し、それに従う者たちを押しつぶそうとすればするほど、私たちはますます成長し、より早く従っていく!

 54.迫害が悪化し、試練がよりきつくなり、福音を広めるための状況が一層困難になればなるほど、あなたたちはそれをするための超自然的で奇跡的な助けをもっと多く受けるようになる!

 55.殉教者を作るのは大義であって死ではない。

 56.あなたが公然と悪魔に対抗し始める時、悪魔もまたその時に、公然とあなたに対抗し始めることを実際に予想することができる。

 57.イエスの時代の宗教的な指導者たちがイエスをひどく憎むようになったどんな事を彼らは暴露したのか?−−イエスがしたことはただ、彼らが宣べ伝えていなかった真理を宣べ伝え、彼らが示していなかった愛を示したことだけだった。彼は、彼らに敵対して物を言うことを避けるために、できるすべてのことをされたが、ただイエスの方が彼らよりも多くの愛を示したという事実そのものが彼らを暴露したのであった。 58.イエスに最も多くのトラブルを引き起こしたのは一体誰だったのか?−−律法学者とパリサイ人、すなわち主の恨み重なる敵共であった、宗教指導者たちである。

 59.クリスチャンは、幾世紀にも渡って国家の敵としての部類に入れられてきたし、以前にも何千という単位で殉教死させられ、また殺戮されてきたので、これは何も新しいことではない。今では彼らはただ、それを合法的な装いで着飾るように努めているだけであるが、実際には偽りの教会による独善的で偽善的な、真のクリスチャンたちに対する迫害なのである。

 60.教会を不純物のないものとし、清め、 白いものとして彼らの愚かさを取り除くために−−神が患難期を送らなければならないのも不思議なことではない!

 61.あなたの敵共が、あなたと戦い始める時、彼らはあからさまに出て来て、その正体を暴露しなければならない。あなたの敵共はあなたと戦うために彼ら自身を暴露しなければならないのである。

 62.殉教者たちの死は、他のクリスチャンたちをして、その信仰のために喜んで生き、また死ぬことを厭わなくなるように霊感した。主よ、私たちが良い模範を示し、恐れではなく信仰を示し、迫害にあったり、さらには私たちの確信のために死ぬことをも恐れることのないように助けたまえ。

 63.悪魔は実際かなりの間抜け者である。何故なら歴史を通じて、神の教会に対して攻撃をしかけるたびに、それはただ教会の益となり、メッセージをもっと多く世に伝え広めることになったからである。

 64.イエス御自身も何度か、迫害から逃れ、また祭りのためであってもエルサレムに行くことを拒まれたことが何回かあった。それはユダヤ人がイエスを待ち伏せしていたので、イエスがそこに行かれることは危険なことだったからである。

 65.私たちの人気がひとたび頂点に達すると、敵がその姿を現して、私たちを暴露し、それが一体誰であるのかに関して、私たちの広告代理業者として私たちの名前や行動を世に伝え広めるのである。私たちはそれに対して功績か非難のいずれかを受けることになる。そしてこれは、羊と山羊を分け、良い穀物と毒麦や雑草を分ける結果を招き、その後で迫害をもって試されるのであり、ただ最善の者だけが生き残るのである。

 66.迫害は、あなたちにとって益になる。それは目的をもった迫害である!−−1) あなたたちを清め、傷やしみのない者とするため。2)軍隊の構成員から、 仕事に本気で取り組んでおらず、献身的でなく、忠誠心もなく、誠実でもない者たちを取り除くため。3)  誰があなたの敵であるかを示し、彼らが何をしようとしているかを示すため。4) あなたが誰であるのかを、すなわち神の真の預言者であり、あなたのメッセージが真理であることを示すため。5) あなたが良き仕事を成し、自分の責任を果たし、悪人に警告し、その仕事を終えた事を示すため。6)あなたのメッセージを拒み、その後であなたを拒んだ者たちに対して、神がその裁きをもたらすのを可能にするため。7) 何処か他の町、あるいは国の人々に機会を与えて、あなたに神の道を引き続き進ませるため!

 67.神は、ご自身が栄光を受けられるように、私たちを救い、私たちに対する非難を晴らすことに関心をもっておられる。それは私たちが、世界に対する神の代弁者だからである。神は、できる事なら、ご自分の預言者たちを守ろうと努められるが、迫害は、神の最後の手段なのである。

 68.苦しみと迫害とは常であるが、大抵の場合殉教者は例外である。

 69.悪魔は、実際にはあなたを打ち負かすことができないので、いつも脅かしたり、殺戮することを口にしたり、はったりをかけて追い出そうとするか、降伏するように、単に説得しようとしている。

 70.すべての迫害が敵のせいではない。中には、あなた自身の愚かな過ち、あなた自身の祈りの欠如、神と神の知恵に対する依存心の欠如の故に、あなた自身のせいで起こったというのもある。

 71.ローマ人が火刑に処したり、ライオンの餌食にしたすべての殉教者たちは、ただもっと多くの信者たちの信仰を、霊感するという結果になっただけだった。自分の大義のために殺戮されてきたすべての殉教者は、ただもっと多くの者たちを霊感して、自分の後を継ぐために立ち上がらせた。

 72.聖書の中で、大患難と呼ばれている3年半に及ぶ恐怖の統治において、神の聖徒たちに戦いを挑むようになるアンチキリスト政権の、来たるべき世界大の極悪非道の独裁政治の最中に、神の子供たちに対して起こる獣のごとき凶悪な人間たちのすべての激しい怒りにもかかわらず、悪の軍勢は決して神の真の子供たちを完全に滅ぼすことはできないであろう。 また、ものすごい恐るべき殺戮に対する大いなる復讐によって神の敵共を滅ぼすための、キリストによる地球の大気圏への凱旋的な帰還を、神の子供たちの内の非常に多くの者がなおここにいて、喜びをもって迎えるであろう!

 73.仕事を成し遂げるために、たった今、喜んで日々死ぬ気持ちをもっていないのであれば、あなたは、いつの日か殉教者として死ぬことは決してできないであろう。

 74.真の教会、真の信仰、そして真の宗教を迫害するのは、常に既成の宗教である。

 75.悪魔と私たちの敵共のために神に感謝しなさい! 神は他のどんな方法によっても、私たちにその仕事を成し終えさせることができない場合には、私たちに余分な後押しを与えるために、例の老いぼれとその相棒たちを送られるのである!

 76.たとえあなたが、あなたの敵共によって殺されるとしても、それはあなたを、あなたの苦しみから抜け出させるための主の方法なのである。主は、すべてのものを、すなわちあなたの思い煩い、悩み、驚愕、恐れ、敵、さらには死をも巧みに工作されるのである。その時あなたは、主と共に目覚めるわけである。

 77.ただ単に小さな迫害を受け、少しの苦しみを耐え、悪魔からの二、三の威しや、驚かしを受けるからといっても、あなたが証しや文書伝道や福音の宣教を続けることができる限り、それは必ずしも直ちに逃げるべきだという意味にはならない。

 78.あなたの命は、神にとって非常にかけがえのないものなので、それを救うために、神は十分な警告を与えようとされる。あなたは、神の雇用者であり、神の働き人なのであって、あなたの奉仕は非常に貴重なものであり、あなたの主人であられる神は、あなたが引き続きそれに従事し、神に対して有益なものとなり、何処か別の場所に行って引き続き福音を宣べ伝えることを望まれるのである。

 79.主よ、彼らを祝福し、守り、また彼らを励まし、霊感して、彼らに導きと案内とを与えたまえ。彼らを強め、恐れのかわりに大きな信仰を−−主よ、その敵共に対してさえ、憎しみではなく大きな愛を−−彼らに与え、その敵共の多くはただ欺かれているだけなのであり、何をしているのか分からずにいるということを、また何をしているのかを確かに知っている他の者たちによって煽動されているので、私たちはそれらの敵のことを許してやらなければならないということを、彼らに悟らせたまえ。

 80.もし敵がおらず、敵対する側がなかったならば、神の民は決して試されることも、試みられることも、何らかの敵対者を与えられることもなく、神に助けを呼び求めなければならない何らかの戦いを持つことも決してなかったであろう。そして神が栄光を得られるのはこういった時なのである。神は、サタンが反対勢力を導き、神の民を試み、テストし、迫害することを許されるが、その後で神の民が神に呼ばわると、神は常に勝利を収められるのであり、常に悪魔を打ち破られるのであり、常に、すなわちそのたび毎に、敵の王国、敵の権威、敵の帝国、敵の首都、敵の王たちを滅ぼされるのである!

 81.悪魔の領土を侵略して彼を怒らせないでいることはできない−−彼は長い間に渡ってその場所を自分のものとしてきたからである。

 82.自分が山から来たことを知っており、真理をもち、また自分が正しいことを知っているなら、谷間の安逸さと安全の中で嘘に生きるよりは、激しく襲われ、投獄され、また十字架にかけられるほうが幸いである。

 83.あなたが迫害されるのは、あなたが正しいからであり、彼らはその正しさに我慢できないからである。谷間の人々はとても長い間暗闇の中にいたので、光は彼らの目をくらましてしまう。そして彼らは、あなたが正しく自分たちが間違っていたということを知ることに耐えられない。暴露されたくないのである。

 84.ほとんどすべての偉大なる宗教指導者、改革者、および革命家たちは、あまりにもしばしば、他ならぬ、自分が救おうと努めていた人々の手にかかって投獄され、また殺された。

 85.あなたが自分の仕事を終えており、またグランドフィナーレとして殺される方法でより良い証しを与えることができない限り、神は敵にあなたを殺させるようなことはなさらない。

 86.神は、あなたがいつの日か神のために死ななければならなくなるかもしれない日が来るまでは、あなたができるだけ長く、またできるだけ幸せに神のために生き、主の喜びの良き幸せな見本となることを望まれる。

 87.人々が迫害し始めるなら、それは称賛である。それはあなたが仕事を成し遂げていることを示しているからである!

 88.世界史によれば、預言者たちは、体制に対して多くの損害を与え、また多くの魂を救い、多くの人々の目を覚まし、少なくとも幾らかの真理と、幾らかの福音と幾らかの救いを保ってくれた。そしてあなたたちがここにいるのは、そのおかげである。何故なら、彼らが体制と戦い、誰かが真理のために戦ってくれたからである−−すなわちあなたたちが真理をもつことができるように、その命を与えてくれた昔の預言者たちから始まって、サボナローラ、マルチン・ルター、ジョン・ノックス、ティンダル、およびその他そういった者たち何人かのおかげなのである! 彼らは一人残らず、彼らの時代の体制、偽りの宗教体制と戦ったのであり、彼らのほとんどすべてがそのためにひどい目にあったのである! しかしその結果としてあなたたちは今日ここで神の真理を聞いているのであり、聖書が失われずにきたのである−−そして私たちは、神の真理のために喜んで生き、そして死ぬ気持ちを持っているので、私たちがいなくなった後できっと誰かがそれについて聞き、それを信じ、受け入れ、またそれを受け継いでいくようになるであろう!

 89.自由でない人々は、自由を理解さえしていないし、それを理解したいとも思っていない。彼らは彼らのわだちにとどまり、その目を閉じて、自分たちは幸せであり、自由なのだと自らに言い聞かすことさえ望む。そして彼らは特に、誰かがやって来て、そうではないのだと告げられることを好まない。事実、彼らは真理をひどく恐れているので、あなたを黙らせるためには、あなたを殺すことさえ厭わないのである。

 90.もしあなたのミニストリーが終了し、あなたの行くべき時が来たならば、その時には殉教者となりなさい。もしあなたのミニストリーが、まだ終了していないなら殉教者とならずに、移動する者となりなさい! 殉教者となるよりは、移動する者となる方が良い。(マタイ10:23)

 91.私たちが、自由な状態にとどまっていられる唯一の方法は、絶えず移動を続け、何処かの場所にあまりにも長くとどまらないことである。そして一体どれくらいの期間があまりにも長すぎる期間なのか?−−それは彼らから迫害されて、あなたが主のためのあなたの仕事、あるいはあなたの証しを続けたり、またはそれがどんなものであるにせよ、生き延びることが不可能同然の状態となるまでである。私たちは、こういうわけで移動し続けなければならないのである。

 92.もし何の迫害も受けておらず、また何のトラブルも持っていないのであれば、あなたは何もしていないに違いない。

 93.栄光ある殉教者ステパノを受け入れるために、イエスは明らかに立ち上がられた! 何という栄誉であろうか! 彼らから石を投げつけられ始めた時、一体どうして主はステパノに、天におられる神とイエスのビジョンを見させて下さったのだと思うか?−−それに立ち向かうことができるための勇気を彼に与えるためである! 栄光を一目見た後、彼は何が起ころうとも気にしなかった。彼の行く準備は整っていた。誰が知るだろうか、もしかしたら彼は、全然石を感じなかったかもしれない。もしかしたら最初の一撃が頭に命中して、その瞬間に気絶してしまったのかもしれない。何人かの殉教者たちは、彼らが焼かれている時、天国に行くまで歌い、宣べ伝え、証しをしながら、 何の痛みさえも 感じない、と証言したと言われている!(使徒行伝7:54-60参照。)

 94.神は、誰よりもよく私たちの敵共を裁き、彼らに報復することができる。神は言われた、 「退いて、わたしが戦うのを見ていなさい。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する。これはあなたがたの戦いではなく、わたしの戦いである。」! そして私たちの敵共が怒れる神の手中に落ちる時、彼らは法律やどこかの体制の手中に陥っている時よりも、一層悪い状態にある! すなわち彼らは、彼らに対して真に報復を果たし、その急所を撃ち、さらに必要な場合には彼らを一掃することさえできる、より強力な手中に陥っているのである!

 95.主が、未だにあなたの必要物を供給しておられ、未だに証しするための自由を与えておられ、あなたが今でも実を結んでいる限り、また生計を立てたり、証ししたり、実を結んだりするのを、彼らが不可能にしていない内は、そこにとどまりなさい。

 96.あなたは常に、何らかの小さな迫害を受けるようになるであろうが、あなたがもはや自分の仕事をすることも、自分の生計をたてることもできなくなるような状態になってしまうなら、その時は行くべき時である。また激論や騒動が非常にきついものとなり、もうこれ以上それを耐えることができなくなってしまうなら、その時には立ち去らなければならない。

 97.あなたは、良い仕事を成すまでは、決して追い出されることはない。あなたが真に効果的になって、初めて悪魔がそれほども怒るのである。

 98.もしあなたが真のクリスチャンであるならば、クリスチャンであることは、危険なことである。

 99. 「主を愛する者には、万事が共に働いて益となる」 。 そして神が定められ、また意図されること以外には、あなたの身に何も起こらないであろう。自分自身で何か愚かな過ちを犯してしまい、それによって自分の身にトラブルを招くことがないように、あなたはただ、自分が主と協調していることを確かめなければならない。

 100.時には、それと戦ったり、あるいはそれに加わったりしないで、逃げる方が良いこともある! 私たちは、自分たちが主から正しく合図を受け、つまりあっちに行くべき時に、こっちに行ったり、こっちに行くべき時にあっちに行ったりすることのないように確かめなければならない。

 101.悪魔が人々を滅ぼす最中に、神御自身の者たちを滅ぼすことができるなら、悪魔は喜んで自分自身の者たちをも滅ぼすであろう。彼は年中それをしている。すなわち戦争で都市全体を一掃したり、疫病や、あらゆる種類のもので全住民を一掃したりする。もし主のものである一人を殺すことができるのであれば、たとえその一人のために千人を一掃しようと、彼は意に介さないのである。

 102.迫害と悪い報道とは、羊を山羊から分けてくれる。それは確かにあなたの友人たちをして、あなたのために立ち上がらせ、そしてあなたの敵共を暴露する。それは、まさに神のそうしようと望んでおられたことに他ならない−−つまり誰があなたの味方であり、誰があなたの敵であるかを示すために、麦を毒麦から分けることである。

 103.あることが、たとえどんなに悪くても、また如何に悪いように思えても、またその時点では、それを理解することができなくても、結局最後には、常にうまく働いて、何か良いものとなるのである。

 104. 「彼らは、あなたの油注がれた者たちに触れ、あなたの僕たちに害を及ぼしました。神よ、彼らは確かにあなたに敵対して戦い、確かにあなた御自身と、あなたの聖なる御子イエスとに敵対して、その邪悪な手を振り上げているのです!」(彼らが迫害しているのは、イエスである! それはあたかも彼らが、主御自身に向かって手を延ばし、彼を捕らえ、そして滅ぼそうとしているかのようである!)

 105. 「彼らは炎を消し、火を消そうと思っているが、幼な子に栄養を与える彼女の乳房の口を止めることができないのと同様に、ダビデの口を止めることはできない。」

 106.人気は危険である! 人気は報道に先立ち、報道の後には迫害が続く!

 107.人々が一体どれだけ教会に通おうと、あるいはクリスチャンを自称しようと、もし私たちと戦っているのであれば、彼らは主と戦っているのであり、また悪魔に仕えているのである!

 108.私たちにとても多くのトラブルを引き起こし、その子供たちにとても多くのトラブルを引き起こしてきたこれら10:36の親たちは、神にではなく悪魔に仕えている妨げる者たち、及び妨げの霊たちである。そして私たちに反対する彼らの仕業と霊たちとは、彼らがそれをもって私たちを呪おうと努めているサタンの呪いである!

 109.あの無情なローマ人たちを、とうとう勝ち取ったのは、実際その類いの愛であった。すなわちそれらのクリスチャンたちが、自ら進んで火刑柱に歩んで行ったり、歌いながら、微笑みながら、幸せに神をほめたたえ、神を愛しながら、堂々とライオンに向かい合い、なおも群衆に対して証しをし、なおも他ならぬ、自分たちを殺そうとしている相手に対する証しとなり、なおも彼らを勝ち取ろうと努め、自分たちの最後の証しとなろうとする気持ちがあるほどの深い愛を神に対して持っているのを、彼らが見た時である。

 110.もし御言葉を伝え広める事ができたのであれば、それは勝利である。迫害によってあなたたちが暴露され、追い払われ、また追い出される時が来るならば、その時にはあなたたちの仕事は、成し終えられたのであり、また私たちにとってそれは勝利なのである。私たちの敵共にとっては、それが勝利であり、私たちにとっては敗北であるように思えるが、私たちにとってはそれは私たちが勝利を勝ち取り、私たちがそれをするためにやってきた仕事を成し終え、神は私たちを移動させられる準備ができた事の証拠なのである。だから主は、 「ひとつの町で迫害されたなら他の町へ逃げなさい。」 と言われるのである。(マタイ10:23)

 111.あなたたちが、テレビや新聞やラジオに出て、それを無理矢理彼らの喉に押し込んで、彼らがどうしてもそれから逃れることができず、またどこに行ってもあなたたちから逃れることができないのであれば、これは私たちの敵共が普通耐えることのできる以上のものである。そこで彼らは立ち上がって、あなたたちに敵対し、 あなたたちの正体を暴き、あなたたちを追い払うか、あるいは地下にもぐるように追い込むのである。そして規制のない自由や、容易なミニストリーに関する限りでは、あなたたちはおしまいなのである。

 112.私たちがすべての面で規制のない、驚異的な大衆ミニストリーを持ち、大いに世間に伝え広められ、また露出度の高いメディアミニストリーを行ってきたすべての国においては、それは常に反対者を怒らせ、彼らの反目を引き起こし、やがては私たちがもはやそこにおいては、 どんな類いのミニストリーでも活動することができなくなるような、激しい迫害に帰結してきたのである。

 113.人々の信仰は、自由と繁栄のもとにおいてよりも、迫害と抑圧下においての方がもっと良く生き延びるように思われる!

 114.クリスチャンは迫害を受け、抑圧されている時の方がもっと良くやるように思われる。何故ならその時には、彼らは真に主を尋ね求めるからであり、真に主の近くに生きるからである。

 115.悪魔は眠ってはいない。彼はやめてはおらず、あきらめてもいないし、彼と彼の民は、未だに私たちを狙っており、未だに私たちを憎み、今もなお私たちを阻止したいと望んでいる。何故なら私たちは、彼らを全世界に対して暴露しているからである。だから彼らは、ちょうどダニエルやモーセやイエスや初代の使徒たちに対してそうだったように、また改革者たちに対してそうであったように、激しく憤っているのである。そういった人々の中に、生き延びることのできた者たちがいたというのは神の奇跡である。ともかく彼らの何人かは生き延びたのであり、仕事を続け、神の目的を成し遂げたのである。

 116.私たちは、神の目には何一つ悪いことはしていないし、神の律法、または神の愛の律法を破ってもいない。しかし、体制の目には私たちはすべての間違ったことをしてきたのであり、彼らを憤らせ、事実上彼らのすべての法律を破ってきた。体制は、悪魔と私たちの敵共によって煽動されているので、彼らは私たちを捕らえ、私たちを見つけ出し、私たちと戦い、私たちに反対して彼らにできるすべてのことを成そうと、頑張っている。

 117.大いなるローマの勢力全体を含めて、すべての諸政府がダニエルやイエスや初代の使徒たちを殺し、殺戮し、始末しようと狙っていた彼らの状況よりも、もっと絶望的な状況を見出すことはほとんどできないであろう! しかし悪魔が、彼らを押しつぶそうとすればするほど、彼らの忠実な証しとテスティモニーとの故に、彼らの数は増し加わっていった。そしてそのことは、私たちにも起こるであろう。私たちは、イエスが来られる時まで、前進を続け、勝利と繁栄と、普及と増大を続けていくであろう。何故ならそれが主の目的だからである。

   (No.D,12,122,125,182,219,317B,

318,331,334,367,379,380,381,542, 544, 551, 576,577,578,579,580,585,585R,586,

589,590,591,593,597, 598, 602, 605, 611,

612,633,707,747,748,749,750,759,765,766,

767, 770, 771, 783, 797,800,803,865,890,953,

1054,1072,1141,1183,1184,1186,1425,1537も参照。)

 

 

 118.詩篇2:1-3  何ゆえもろもろの国人は騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことをたくらむのか。地のもろもろの王は立ちかまえ、もろもろのつかさは共に計り、主とその油注がれた者とに逆らって言う、 「われらはわれらから彼らのかせを壊し、彼らのきずなをとき捨てるであろう。」 と。

  119.詩篇27:12  わたしのあだの望むがままに、わたしを引き渡さないで下さい。偽りの証しをする者がわたしにさからって起こり、暴言を吐くからです。

 120.詩篇31:18  高ぶりとあなどりとをもって、正しい者をみだりにそしる、偽りの唇をつぐませてください。

 121.詩篇44:22  ところがわれらは、あなたのためにひねもす殺されて、ほふられる羊のようにみなされました。

 122.詩篇76:10a まことに人の怒りはあなたをほめたたえる。

 123.詩篇109:4a 彼らは、わが愛のためにわたしを非難します。

 124.詩篇119:157  わたしをしえたげる者、わたしにあだする者は多い。しかしわたしは、あなたの証しを拒みません。

 125.箴言22:3 賢い者は、わざわいを見て自ら避け、思慮のない者は進んでいって罰を受ける。

 126.イザヤ26:20  さあ、わが民よ、あなたの部屋に入り、あなたの後の戸を閉じて憤りの過ぎ去るまで、しばらく隠れよう。

 127.イザヤ50:8,9  わたしを義とする者が近くにおられる。 誰がわたしと争うだろうか。われわれは共に立とう。わたしのあだは誰か。わたしの所へ近く来させよ。見よ、主なる神は、わたしを助けられる。誰がわたしを罪に定めるだろうか。見よ、彼らはみな衣のように古び、かびのために食い尽くされる。

 128.イザヤ51:7 義を知る者よ、心の内にわが律法を保つ者よ、わたしに聞け。人のそしりを恐れてはならない。彼らのののしりにおびえてはならない。

 129.イザヤ53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場に引かれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。

 130.ダニエル3:17 わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉からわたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手からわたしたちを救い出されます。

 131.ダニエル11:35  また悟りある者の内のある者は、終りの時まで、自分を練り、清め、白くするために倒れるでしょう。終りはなお定まった時のくるまで来ないからです。

 132.ダニエル12:10  多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし悪い者は悪いことを行い、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。

 133.ゼカリヤ2:8b あなたがたに触る者は、彼の目の玉に触るのであるから。

 134.マタイ10:17-23  人々に注意しなさい。彼らは、あなたがたを衆議所に引き渡し、会堂で鞭打つであろう。またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは彼らと異邦人とに対して証しをするためである。彼らがあなたがたを引き渡した時、何をどう言おうかと心配しないが良い。言うべきことは、その時に授けられるからである。語る者はあなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親にさからって立ち、彼らを殺させるであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。ひとつの町で迫害されたなら他の町へ逃げなさい。よく言っておく、あなたがたがイスラエルの町々を回り終わらない内に人の子は来るであろう。

 135.マタイ10:25b もし家の主人が、ベルゼブルと言われるならば、その家の者共はなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。

 136.マタイ10:28  また体を殺しても、魂を殺すことのできない者共を恐れるな。むしろ体も魂も、地獄で滅ぼす力のある方を恐れなさい。

 137.マタイ24:8-10  しかし、すべてこれらは、産みの苦しみの初めである。その時人々は、あなたがたを苦しみに合わせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。その時多くの人がつまずき、また互いに裏切り、憎み合うであろう。

 138.マルコ4:16,17  同じように、石地に蒔かれた者というのは、こういう人たちのことである。御言葉を聞くと、すぐに喜んで受けるが、自分の中に根がないのでしばらく続くだけである。その後御言葉のために困難や迫害が起こってくるとすぐつまづいてしまう。

 139.マルコ6:4  イエスは言われた、 「預言者は、自分の郷里、親族、家以外ではどこででも敬われないことはない。」

 140.マルコ13:9 あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために衆議所に引き渡され、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前にたたされ、彼らに反対して証しをするであろう。

 141.マルコ13:13  またあなたがたは、わたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるであろう。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

 142.ルカ6:22,23  人々が、あなたがたを憎む時、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名をきせる時は、あなたがたはさいわいだ。その日には、喜び踊れ、見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も預言者たちに対して同じことをしたのである。

 143.ルカ6:26 人がみなあなたがたをほめる時は、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も偽預言者たちに対して同じ事をしたのである。

 144.ルカ21:12-18  しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに、王や総督の前に引っ張って行くであろう。それは、あなたがたが証しをする機会となるであろう。だからどう答弁しようかと前もって、考えておかないことに心を決めなさい。あなたの反対者の誰もが、抗弁も否定もできないような言葉と知恵とをわたしが授けるから。しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。またあなたがたの中で殺される者もあろう。またわたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、あなたがたの髪の毛ひとすじでも失われることはない。

 145.ヨハネ15:20,21  わたしがあなたがたに、 「僕はその主人にまさるものではない。」 と言ったことを覚えていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉をまもっていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。彼らは、わたしの名のゆえにあなたがたに対してすべてそれらのことをするであろう。それはわたしを遣された方を、彼らが知らないからである。

 146.ヨハネ16:2,3  人々は、あなたがたを会堂から追い出すであろう。さらにあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。彼らがそのようなことをするのは、父をも、わたしをも知らないからである。

 147.ヨハネ16:33b  あながたはこの世では患難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは、すでに世に勝っている。

 148.ヨハネ17:14  わたしは彼らに御言葉を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。

 149.使徒行伝5:41 使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。

 150.使徒行伝9:4-6  彼は地に倒れたが、その時 「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか。」 と呼びかける声を聞いた。そこで彼は、 「主よ、あなたはどなたですか。」 と尋ねた。すると答えがあった、 「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。突き棒を蹴れば傷を負うだけである。」 そこで彼が、おののき、また驚きながら、 「主よ、わたしは何をしたら良いでしょうか。」 と尋ねると、 「さあ、立って町に入って行きなさい。そうすればそこで、あなたの成すべきことが告げられるであろう。」 と言われた。

 151.使徒行伝9:15,16  しかし、主は彼に言われた、 「さあ、行きなさい。あの人は異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器としてわたしが選んだ者である。わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを彼に知らせよ。」

 152.ローマ8:31 それではこれらのことについて何と言おうか。もし神が、わたしたちの味方であるなら、誰がわたしたちに敵し得ようか。

 153.ローマ12:14  あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して呪ってはならない。

 154.Tコリント4:11-13  今の今までわたしたちは、飢え、渇き、はだかにされ、打たれ、宿なしであり、苦労して自分の手で働いている。辱められては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。

 155.Uコリント4:8,9  わたしたちは四方から患難を受けても窮しない。途方に暮れても行き詰まらない。迫害にあっても見捨てられない。倒されても滅びない。

 156.ガラテヤ4:29 しかしその当時、肉によって生まれたものが霊によって生まれたものを迫害したように、今でも同様である。

 157.ピリピ1:29 あなたがたは、キリストのためにただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをもたまわっている。

 158.Tテサロニケ3:4  そしてあなたがたのいる所にいた時、わたしたちがやがて患難にあうことをあらかじめ言っておいたが、あなたがたも知っているように、今その通りになったのである。

 159.Uテサロニケ1:4,5  そのために、わたしたち自身は、あなたがたが今受けている、あらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対して、あなたがたを誇りとしている。それは、あなたがたを神の国にふさわしい者にしようとする神の裁きが正しいことを証拠立てるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。

 160.Uテモテ2:9  この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。しかし神の言葉はつながれてはいない。

 161.Uテモテ3:12  いったいキリスト・イエスにあって、信心深く生きようとする者は、みな迫害を受ける。

 162.ヘブル11:33-38  彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃を逃れ、弱い者は強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。女たちは、その死者たちを甦らせてもらった。他の者は、さらにまさった命に甦るために拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。なお他の者たちは、あざけられ、鞭打たれ、縛り上げられ、投獄されるほどの目にあった。あるいは石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て歩き回り、無一文になり、悩まされ、苦しめられ、 (この世は彼らの住むところではなかった) 荒野と山の中と岩の穴と土の穴とをさ迷い続けた。

 163.ヘブル13:12,13  だからイエスもまた、ご自分の血で民を清めるために門の外で苦難を受けられたのである。したがってわたしたちも、彼の辱めを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。

 164.ヤコブ5:10 兄弟たちよ、苦しみを耐え忍ぶことについては、主の御名によって語った預言者たちを模範にするがよい。

 165.Tペテロ3:14,16,17  しかし万一、義のために苦しむようなことがあってもあなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはならない。明らかな良心をもちなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活を偽ってをそしり、 あなたがたが悪人であると言っている人々も、そのようにののしったことを恥じいるであろう。善を行って苦しむことは−−それが神の御旨であれば−−悪を行って苦しむよりもまさっている。

 166.Tペテロ4:14 キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には栄光の霊、神の霊があなたがたに宿るからである。キリストは、彼らによって悪く語られ、あなたがたによっては栄光を受けている。

 167.Tペテロ4:16 しかしクリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じ入ることはない。かえってこの名によって神をあがめなさい。

 168.黙示録2:10 あなたの受けようとする苦しみを、ひとつとして恐れてはならない。見よ、悪魔があなたがたの内のある者を試すために獄に入れようとしている。あなたがたは、十日の間患難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ、そうすれば命の冠を与えよう。

 169.黙示録6:9-11  小羊が第五の封印を解いた時、神の言葉のゆえに、また彼らが立てた証しのゆえに殺された人々の霊魂が祭壇の下にいるのをわたしは見た。彼らは大声で叫んで言った、 「聖なる、まことなる主よ、いつまであなたは裁くことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか。」 すると彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、 「彼らと同じく、殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間休んでいるように。」 と言い渡された。

 170.黙示録7:13-17  長老たちのひとりが、わたしに向かって答えて言った。 「この白い衣を身にまとっている人々は誰か。またどこから来たのか。」 わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたが御存知です。」 すると彼はわたしに言った、 「彼らは、大きな患難を通ってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいます方は、彼らの間に住まわれるであろう。彼らは、もはや飢えることがなく、渇くこともない。太陽も炎暑も彼らを冒すことはない。御座の正面にいます小羊は、彼らを養い、命の水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐい取って下さるであろう。

  (申命記4:30-37; 詩篇35:1-7; 使徒行伝7:54-60も参照。)