63.両   

 

  わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教えを捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなるからである。(箴言1:8,9)

 

 1.世に知られることも、人目につくこともない女王に万歳、彼女は、与えて、与え続ける!

女王に万歳! 幾度もヒロインであった母親に万歳!

女王に万歳、彼女の仕事はこの世で最も重要で、

最も困難な仕事!

女王に万歳! 人目につくことのない母親に万歳。

人の母親に万歳!

 2.女性は、男性のやった2分間の仕事の成果を、最初9カ月費やして、またその後は何年も費やして世話する。

 3.私が14才の少年だった頃、私の父はとても無知だったので、父が自分のまわりにいることに、私はほとんど耐えられないくらいだった。しかし私が21才になった時、父が7年間でどれだけの事を学んだかに、私は驚いた−−マーク・トゥエーン。

 4.どんな親でも、子供が親を愛すると同様に、恐れることをしないなら、親とは呼べない。−−それは、神に対してと同じである。私たちは、神を愛するだけではなくて、神を恐れるのである!

 5.教師や乳母や保護者や家庭教師に権威を与えて、子供たちを教え、訓練し、行儀よくさせてもらうほど彼らを信頼しないなら、自分の子供を彼らに任せて面倒を見てもらうべきではない!

 6.自分の子供たちを、自分の支配下に置いておくことのできない両親というのは、親であることへの、最悪の種類の不面目である!

 7.主よ、子供たちを感謝します! 私たちがひとりひとりの子供を貴い子供として重んじるのを助けて下さい。

 8.子供たちは、大きな仕事である。しかし、大きな仕事には、大きな報いがついてまわり、大きな責任からは、多くの益が得られる。

 9.あなたたち女性は、私たち男性よりも、多くの愛と憐れみを持っている。それは真実である。そしてそのことは、子供たちに対する母親の姿で表されている。母親は、いつもより多くの忍耐と憐れみを持っているようである。

 10.息子が大きくなるにつれ、父親はより賢くなる。

 11.多くの両親が、もはや自分の子供たちを正しい方向に導いていないのは、両親たち自身が、その方向に歩んでいないからである。

 12.かつて戦われたうちで、最も勇敢な戦いが、

何処で、いつ、戦われたか、お教えしましょうか?

世界地図では、それを見つけることはないでしょう。

それは、人の母親たちによって戦われた戦いだから。

 13.私が倒れた時に、私に駆け寄り助けるのは誰だろう。

素敵な話をしてくれる人は誰だろう。

またはそこにキスして、

痛みを和らげてくれる人は誰だろう?

−−わたしの母である!

 14.揺り篭をゆする手が、

世界を支配する手である!

 15.美が鏡に映るのと同じように‥‥母親の愛もまた、自分の子供たちの微笑みの中に映る。

 16.私は、幼児用ベッドのそばにいた母親を見た。だから、愛がどんなものか知っている。

 17.たとえ母親が、一度も証しをしたこがないか、魂を勝ち取ったことがないとしても、また赤ん坊を生む以外の何もしたことがないとしても、彼女は、永遠に存続する新しい生命と新しい魂を創造したのであり、主による赤ん坊の創造の過程において役立ったのだ。

 18.母親は、神の全王国において、最も貴重で、貴く、重要なものを与えるために、役割を果たしたのである。即ち、キリストの王国のために永遠に生きる、不滅の魂である! 子供たちは永遠にながらえる!

 19.あなたは自分自身の子供を持つまでは、決して大人にはならない。

 20.昨日の子供たちは、今日の両親!

 21.母親は、時たま自分の子供から離れて、少しの休暇を取る必要がある。

 22.母親は、彼女の子供たちにとっては、女神のような存在である。

 23.父が、神の類似であり、息子がイエスの類似であるように−−すべての母親は、聖霊の肉体的な美しい概念、表現、絵像、類似である。

 24.赤ん坊や子供たちは、私たちのファミリーにおいては、ただ女たちだけの仕事ではない!

 25.すべての子供は、たとえそれがその子自身の父親でなくても、父親がいなければならない!

 26.母親と子供の世話を助けるために、自分自身と自分の力と自分の時間を喜んで犠牲にしようという自発性、それこそが父親を素晴しくさせるものである。

 27.私は今まで、父親、または父親のイメージ、あるいは誰か父親代わりになってくれる人を必要としない子供をまだ一人も見たことがない。神は、母親と父親の両方が必要であるように、子供を造っておられる。

 28.父親とは、子供たちがどんなことでも罰を受けないでやってのけることを許さず、子供たちに本当にぶっつける人で、大抵家族の中ではしつけの厳格な人である!

 29.聖霊は、母親のようで、スゥートで、愛情深く、優しい。しかし私たちが成長するにつれて私たちは、父親のイメージ、神ご自身を必要とし、神と、矯正の神の言葉と、裁きと、厳しいルールを施行する神の非常に強い御手を必要とする傾向がある。

 30.私は、毎日、少なくとも1時間か、2時間を費やして、子供たちに聖書を読んだり、教えたりしていた。そして今、彼らは、良い成果を示していると思う!

 31.もし神が、子供を与えられるなら、神がどの道具を使われようと、何の違いが生じるというのか! たとえあなたが、血のつながった父親でなくても、もし夫であるなら、あなたには責任がある!

 32.その子は、あなたたち両方の一部なのである。そしてその子の面倒を見、その子を愛し、必要なものを満たしてやり、また母親と父親だけが与えることのできる愛をその子に与えてやるのは、あなたたちの仕事である。

 33.もし最初の父親が値せず、ふさわしくないなら、神はしばしば他の父親を選ばれる。

 34.子供へのあなたの愛は、あなたが結婚していることにふさわしいかどうか、父親と母親であることにふさわしいかどうかを、証明するものである!

 35.神が選択されて、あなたたちに子供を与えられる時、神は、あなたたちを父親と母親にすることを選ばれたのである。そしてそのことがあなたたちを夫と妻にするのである!

 36.一人の子供による以上に、二人の人が一つになれる方法が他にあるだろうか?

 37.あなたはその仕事に匹敵するか?−−いや匹敵しない。しかし神はそれに匹敵される! そして子供たちを、神の良い子供たち、神の忠実な証人、神の未来の支配者にあなたが育て上げるのを、神は助けて下さるだろう。もしあなたが、神の女王である母親や王である父親として、子供たちが私たちと共に神の未来の王国を支配するために、彼らが当然そうであるべきように、またそうでなくてはならないような立派な、ふさわしい王女や王子として神の家で育てるのに、あなたの最善を尽くすなら!

 38.母親であることは、サムソンの力とソロモンの知恵とヨブの忍耐とアブラハムの信仰とダニエルの洞察力と、ダビデの勇気を要する!

 39.あなたの子供たちは、主への奉仕の一部である。

 40.あなたたち両親は、あなたたちの子供を通して、私たちの最大の証し人の中に入る!

 41.あなたの子供、私の子供と言って、子供たちの中に何かの違いをつけないで欲しい! 彼らは、私たちの子供たちであって、私たちは一つのファミリーであり、私たちのすべての子供たちは、あなたのものであるのと全く同じくらい私のものでもある!

 42.未来の形成に影響を及ぼし、世界を作り上げている者たちは、あなたたち母親である!

 43.明日の世界とは、今日の母親たちが子供たちの育て方に従って作り上げる世界である。

 44.神は、あなた自身の子供たちを通して、本当にあなたに対処することができる。

 45.私たちは子供たちに対して、もっとずっと多くの愛と忍耐と祈りと説得を使うことが本当に必要である。

 46.子供を訓練するには、時間と、忍耐と、理解と、多くの真の愛が必要とされる。

 47.もしあなたが、あなたの子供たちを正しく育て上げてきたのなら、彼らは迷い出すことはないであろう。あるいは少なくとも、それほど長い間、迷い出していることはないであろう。

 48.時にはしばらくの間離れ去ることもあるであろうが、もしあなたが彼らを正しく訓練してきたのであれば、遅かれ早かれ、彼らは常に主のもとに戻って来るであろう。

 49.私たちは、私たちの子供たちをその一生の間保護してやり、決して何のトラブルも、あるいは病気も、あるいは事故にも遭わせないようにしてあげることを好むが、一体それは、彼らに何かを教えるだろうか?

 50.あなたが、それらの子供たちの世話をしている時、神の御国が地上に訪れるのを助けている。

 51.数人の幼い子供たちをかかえた、一家の母が、一体どうやって子供たちを訓練し、彼らと夫と家庭の世話をすること以外の何かをすることができるのか、私には分からない。

 52.神があなたに子供たちを与えられる時、その時あなたの神に対する最初の義務は、それらの子供たちに対するものである! それこそ神のみ仕事である。

 53.たとえあなたが世界を変えることができなくても、もしかしたらあなたの子供たちが変えるようになるかもしれない!−−彼らがそうなるように訓練しなさい。

 54.子供たちが病気にかかったり、風邪をひいたりするなら、それは大抵親の過失である。

 55.たとえあなたに8人か9人の子供がいても、あなたはそれでも一人一人の子供に何か特別なものを、つまり、彼らにとっては大きな意味をもつ、何か特別のものを与えることができる。

 56.子供たち一人一人に、彼らが特別であることを示さなければならず、一人一人の子供たちをいつも全く同じように扱ってはいけない時がある。

 57.ティーンエイジャーたちは、早めに結婚すればするほど良い。そのことが、彼らに直ちに責任感を教えるからであり、その後で親とは一体何であるのかを悟り始め、彼ら自身の親たちに対して、もう少し多くの忍耐を持つようになるからである。

 58.もしファミリー内に、行儀良く振舞うティーンエイジャーがいないのであれば、私たちはティーンエイジャーなど持たないことにする。

 59.どんな女性でも、本当に強くしっかりとしていない限り、十代の少年を統制することはできない! それには、彼らを本当に手厳しく懲らしめ、鞭を振るい、真っ向からそれを彼らに見舞ってやることのできる男が必要とされる!

 60.自分たち自身の子供たちをコントロールすることさえできないのであれば、親は、一体何の役に立つのか?

 61.行儀良く振舞うことができない子供たちと、自分の子供たちを統制することのできない親たちとは、神のファミリーに属するべきではない。

 62.鞭を振るうことをしない父親は、全く父親ではない。しつけることをしない父親は、全く父親ではない。

 63.子供たちの回りで、悪魔や彼の仕業のことを、余りにも多く話すべきではないと思う。それは良いことではない。それによって彼らは、そういった消極的なことを思い巡らしてしまうからであり、それによって彼らが恐れを抱き始め、そのことについて考えるのに、余りにも多くの時間を費やすようになってしまうからである。

 64.神の愛は、あなたがどんな人でも愛するのを助けることができる−−特にあなたの子供たちのために!

 65.親たちは、子供たちが理解できないような財政的な問題や、何らかの大きな問題を彼らの前で話し合うべきではない。

 66.私が、学校とそのすべての不信心と迫害とを乗り越えられたのは、私の両親の宗教を確信していたからである。彼らが本物を持っていたことを私は知っていたし、また私自身それを信じていたので、学校の無神論者や反キリスト者たち、それに教育や進化論が何をしようともその信仰を揺るがすことはできなかった。

 67.主が、女性の受胎の数を増し加えられなければならなかったのも不思議ではない。それはただ単に呪いの一部としてだけではなく、何人かの子供たちが生き延びることを、確かめるためであった。何故なら悪魔は、もしできることなら、子供たちを殺し、子供たちを阻止しようとしていたからである。もし悪魔がセックスや、またセックスを促す裸を止めることができないのであれば、彼は間違いなく子供たちを殺そうとするであろう。そして子供たちは、悪魔の主要な攻撃目標なのであり、悪魔がもっとも忌み嫌っているものである。ほんの2、3才で死んでしまう子供たちがとても大勢いる理由は、それで説明がつくかもしれない。

 68.悪魔は、本当に子供たちを捕らえ、子供たちを殺し、子供たちを無力にし、子供たちを阻止しようと構えている! 何故ならもし悪魔が、十分な数の子供たちを阻止することができるなら、彼はその世代全体を殺すようになり、全世界が大量殺戮のゆえに死んでしまうからである。彼が原子爆弾や核戦争を考えついたのは疑いもなくそれが理由である。何故なら、他のすべての計略も、人口増加の歯止めとはならなかったからである。

 69.私は良い親として、この部隊全体に端から端まで、鋭く目を光らせている。私は厳しく、部隊を運営し、また誰かが何か悪いことをした場合には、罰を受けることなくそのまま逃げおおすようなことは許さない! 私は毎日のように所有地でさえ見張り、人々を含めたすべてのものを調べる。

 70.私たちが現在に至ったのは、ひどく感傷的な、日和見的態度をとってまわり、人々が罰を受けることなく、いろいろなことをやってのけるのを許し、私たちの人々を甘やかし、過度に大事に扱ったり、大目に見たり、甘やかしたりしたからではなかった。私たちが、現在の私たちに至ったのは、私が私の子供たちに対して、タフな父親となり、彼らが何か悪いことをした場合には、決してそれを見逃さない者となるのを主が助けて下さったからである!

 71.もし親が、自分自身の子供たちをしつけることも、コントロールすることもできないのであれば、神の御仕事における何か重要な任務に、ついているべきではない。

 72.もし赤ん坊の頃から子供をしつけないなら、その子が1才になる頃には、彼は失敗者、へま、また問題児となって、まともな者にはならないであろう。そしてそれは、哀れな赤ん坊の過失ではなく、 神の規則と私たちの指示に従うことをしない、忌ま忌ましい親たちの過失である。

 73.非行少年たちは、非行両親たちの所産である!

 74.しつけることは、ひどく困難な仕事であり、非常に大変な仕事である。そしてそれは、絶え間ない骨の折れる仕事である。たとえ1分であれ、一時であれ、またたとえどんな理由であれ、絶対手を休めてはならない。それを首尾一貫した、休みなく続くものとするために、あなたはこつこつとそれに取り組まなければならない。

 75.もし子供のしつけをしようとしないなら、あなたたちは、魔術と妖術とに係わっているのだと、もし私が告げたとしたら、あなたたち親たちは一体どういう気持ちがするだろうか?−−何故なら、反抗的で強情な子供たちは、反抗的で強情な親たちの結果だからである。

 76.もしあなたが、あまりにも忙しすぎて、自分の子供を訓練したり、しつけたり、コントロールしたり、従順を強いることができないのであれば、あなたは忙しすぎる! あなたは、子供を全然持たない方が、あるいは子供の世話の仕方を知っており、主の薫陶と訓戒の内に彼らを訓練し、従順と自制との内に、あるいは少なくとも親のコントロールの内に、育てる方法を知っている誰かに彼らを与えてしまった方が、状態はもっと良くなるであろう!

 77.神は、ただ一時的にしかコントロールすることのできない親たち、あるいは子供たちに我慢なさらない。最も必要とされる時に、失敗してしまう可能性があるような、危険な人々に対して、神は一か八かのかの賭けをすることはできない。神にとっては、すべてか無かのいずれかである! あなたは、従順であるか、不従順であるかのいずれかである。そして神は、何パーセントかの不従順でも許容されないであろう!

 78. 「主は、受け入れるすべての子を鞭打たれるのである!」  (ヘブル12:6) さて私は、どんな親に対しても、子供におしおきするたびに彼らの背に長く深い切り傷を与えるような、先端に9個のとげと9個の鉛の刃のついたローマ製の鞭を作るようにとは言っていない。しかしそれは、自分たち自身の子供たちを世話し、しつけることも含めて、するようにと告げられたことを行うのを、反抗的に、強情に、また片意地に拒み、不従順を犯す人々に対して、神が振るわれる類いの鞭を表現するために、神が用いておられる言葉である。彼らは鞭を与えることを差し控え、子供をだめにする。愚かなことが子供の心につながれている。そしてただ懲らしめの鞭だけが、これを遠く追い出すことができる。 (箴言22:15)

  79.「主は愛する者を」鞭打たれ、たたき、打ちすえられる。そしてそれによって傷つくのは、私たちよりも主の方なのである。愛の究極の形の一つ、すなわちもっとも犠牲的な愛の形の一つとは、子供を懲らすことである。

 80.もし自分の子供をこらしめないなら、もし神の律法に対する従順の内に鞭を使って、その子の愚かさを遠く追い出さないなら、鞭を差し控えることによって、その子をだめにするなら、あなたはその子を愛してもいないし、あるいはその子の事を全く顧みてもいないのである!あなたはその子を憎んでいる! 他の如何なる軍隊の如何なる司令官も、安全面での危険を冒したり、不従順になったり、また命令に従わなかったり、司令に背いたりする人々を許すという危険を冒すことができないのと同様に、神も、主の軍隊におけるどんな類いの不忠実さにも我慢することはできないのである。

 81.もし刑罰が痛みを伴わないなら、それは何らの益になっていない。もし神が私たちを懲らしめ、鞭打ち、罰せられる時、私たちに痛みを与えられなかったなら、私たちは悔い改めようとはしないであろうし、それは私たちにとって何の益にもならないであろう。

 82.自分の子供たちをおろそかにし、彼らをしつけ、教え、制御し、彼らに罰を与え、杖や鞭で、彼らを打ったり、あるいは何でも必要とされる事を行うのを怠る両親は、神と私たちとファミリーと彼らの仕事と、そして次の世代に対して失敗している。

 83.子供が迷い出し始めているのを見たら、あなたは、良い親として、急いでそれに気づき、芽のうちに摘み取らなければならない。直ちに彼らと対処しなければならないのであり、どんなものであれ、鎧の割れ目、防壁の裂け目、鎧の小さな隙間、アキレス腱 (弱さ) を許すことで、どんな危険をも冒してはならない。私たちは、どんなものであれ、堤防に子指大の、あるいは親指大の穴があるのを許すことで、一か八かの危険を冒すことはできない。さもないと、船を沈没させてしまうような、完全な洪水がごく近いうちに起きてしまう。

 84.自分の子供をしつけることを怠る親は、絶え間無い危険である。何故ならもし彼らが不従順、怠慢、 そしてまた私たちと私たちの法律、ファミリーの法律、それに神の律法と神の御言葉とに対するあからさまな反抗心とによって、悪魔がそのように入り込むのを許してきたのであれば、彼らは信頼に値しないし、あてにすることができないからである。彼らは防壁の穴、よろいの裂け目であり、 そこを通って悪魔は中へ入り込み、際限なくトラブルを引き起こすことができる。

 85.神がそうされるように、あなたの子供を訓練し、しつけ、懲らし、打ち、また鞭打って彼らを行儀良く振舞わせることに、にべもなく片意地に背き、またそうすることを拒むなら、 あなたは限りなき恥と、恥辱との内に、永遠に渡ってその事実と共に暮らし、自分の怠慢と、不従順と、反抗心とが自分の子供に引き起こしてきた、損害と苦しみを見なければならなくなるであろう。

 86.自分の子供たちを滅ぼし、それによって未来を、そして現在と未来の神のみ仕事を滅ぼしている親たちを、神は、滅ぼされるであろう。

 87.必要不可欠な者など一人もいない。特に従わない人々はそうである。あなたが専門的な仕事において、どれほど優れた仕事をしてきたとしても、私は気にしない。もし自分の子供たちに対して失敗したのであれば、あなたは失敗したのである! もし私たちが、私たちの子供たちに対して失敗してきしたのであれば、すべてのタイプも、すべての写真技術も、すべてのコンピューターの仕事も、すべての専門技術も、すべての文書も、すべての出版物も、また私たちが行っているすべてのことも失敗なのである。

 88.自分たちの子供をしつけ、また従わせる事を怠り、自分たち自身でも従う事をまだ学んでおらず、子供の訓練に関する私たちのルールと、神のしつけのルールを極めて著しく破ってきた親たちは、神を愛すると称しながら、神の賜物である彼らの子供たちをだめにしてしまっている。彼らは、それが法とルールを施行することの純然たる怠慢及び拒否であるのに、自分たちと自分たちの子供の両方が傷ついてしまうからといって、それが愛によるものだったかのような振りをしている。

 89.自分の子供をしつけ、訓練し、懲らし、また鞭打つことをあなたが拒否することは、おしおき、あるいは鞭打ち、あるいは何らかの刑罰における、ほんのつかの間のわずかな痛みよりも、あなたとその子供と神の仕事とに、はるかに大きな痛手を与えるようになる。もしあなたが心を入れ替え、身を正し、またその子を正さないなら、あなたの嘆きは朝も昼も夕も、来る日も来る日も、また来る年も来る年も続くようになる。そしてついにはそのすべてが破局を迎えるようになる。

 90.しつけの鎖においては、如何なる輪をも切らせてはいけない。何故なら、たった一人でも子供をしつけることを怠る人がいるなら、その人は他のすべての人々がその子の中につぎ込んできたすべての良い訓練を台なしにしてしまうことができるからである。親同士のあるいは親と教師たちとの間の和合と協調の欠如は、訓練としつけの如何なる可能性をも破壊してしまう。

 91.私たちの子供たちは、未来である。だから私たちは、未来を守り、保護しなければならない。そして私たちの子供たちが、行儀良く振舞う方法を知っており、良い模範であって、良い両親の良い産物である、善良で小さなクリスチャンであるように、私たちが彼らの世話をし、彼らを守り、保護し、そして訓練しないなら、私たちは未来を台なしにしてしまったことになる。

 92.単なる復活、あるいはラプチャーがすべての事態を正常に戻し、またあなたが自分の子供たちのことでしでかした過失や間違いやへまを含めたすべてのことを、 神が処理して下さると考えているなら、あなたは悲しみに目覚めるようになる。あなたは、あなたが今日、そして昨日蒔いたものを、明日刈り取るようになる。そしてあなたは未来、つまり至福千年にそれを訂正し、改め、正さなければならなくなるであろう。

 93.ほとんどの子供たちは、強いて善良にさせることができる。もし彼らの世話をしているそれらすべての者たちが、厳しいしつけ、忠実で、首尾一貫した、ゆずることをしないしつけを絶え間なく用いるなら、彼らは悪事が引き合わないという事を非常に速く学ぶようになる。 94.他のすべての分野、他のすべての仕事、他のすべての事柄において、あなたが如何に忠実であっても、もし自分の子供たちを怠ってきたのであれば、あなたは主がするようにと与えて下さった、もっとも重要な仕事において神を失望させている!−−そしてその仕事とは、未来を備え、また救うことであり、未来とは、あなたの子供たちのことである。

 95.あなたは身を正し、あなたの子供たちを正し、彼らの振舞いを良くしないなら、あなたには神の家を治める者としての地位は、持てない。もしあなた自身の家の者たちを治めることができないのであれば、あなたは確かに神の教会を治めることはできないし、神の政府、または神の民に対する何か大きな責任、あるいは行政管理の地位にも就くことはできない。

 96.子供は、他の人々のために犠牲を払い、互いに分け合い、助け合うことを学ぶ時、大人になる。そして主の目には、それが成熟しているということである。

 97.私たちは、子供たちに対し、自信を持つのではなく、キリストに信頼するように教えるべきである。

 98.私たちの子供たちがそれほども素晴しい子供たちであるのは、あなたたち親たち及び、教師たちが、彼らに対するそれほども素晴しい模範となってきたからである。彼らはこのファミリーと主と私たちが信じているものとを信じている。何故なら、彼らは、あなたたちを信じ、またあなたたちがそれに生き、あなたたちがそれであることを知っているからであり、そのことについての疑いはなく、あなたたちを愛し、尊敬し、感服し、あなたたちに信仰を持っているからである。

  (No.E,G,50,50A,91,232,314A,315,317,385,

389,572,588,606,608,617, 632, 688, 728,739,744-746,752,777,830,902,915,918,991,

1040,1064,1109,1112,1180,1527,1549も参照。)

 

 

 99.申命記6:6,7  今日、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時もこれについて語らなければならない。

 100.申命記18:10a あなたがたの内に、自分の息子、娘を火に焼いて捧げるものがあってはならない。

 101.申命記12:28  あなたは、わたしが命じるこれらのことをことごとく聞いて守らなければならない。こうしてあなたの神、主が見て良いとし、正しいとされることを行うならば、あなたにも後の子孫にも長く幸いがあるであろう。

 102.列王紀上3:26,27  すると生きている子の母である女は、その子のために心が焼けるようになって王に言った、 「ああ、わが主よ、生きている子を彼女に与えてください。決してそれを殺さないでください。」 しかし他の一人は言った、 「それをわたしのものにも、あなたのものにもしないで、分けてください。」 すると王は答えて言った、 「生きている子を、初めの女に与えよ。決して殺してはならない。彼女はその母なのだ。」

 103.サムエル記上1:27,28  この子を与えてください、とわたしは祈りましたが、主はわたしの求めた願いを聞きとどけられました。それゆえにわたしも、この子を主に捧げます。この子は一生の間主に捧げたものです。

 104.詩篇78:4 われらは、これを子孫に隠さず、主の賛美とその力と、主のなされたくすしきみわざとを、きたるべき世に告げるであろう。

 105.詩篇113:9  主は、子を生まぬ女に家庭を与え、子供たちの喜ばしい母とされる。主をほめたたえよ。

 106.詩篇115:14  どうか主があなたがたを増し加え、あなたがたと、あなたがたの子孫とを増し加えられるように。

 107.詩篇127:3-5   見よ、子供たちは主の嗣業であり、胎の実は主の報いである。若い時の子供は、勇士の手にある矢のようだ。矢の満ちた矢筒をもつ人はさいわいである。彼は門で敵と物言う時、恥じることはない。

 108.箴言13:24  鞭を加えない者は、その子を憎むのである。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。

 109.箴言17:21  愚かな子を生む者は、嘆きを得る。愚かな者の父は、喜びを得ない。

 110.箴言19:13  愚かな子は、その父のわざわいである。妻の争うのは、雨漏りの絶えないのと等しい。

 111.箴言19:18  望みのあるうちに、自分の子を懲らせ。その泣くのを見て、許す心をおこしてはならない。

 112.箴言20:7 正しい人は、欠けたところなく歩む。その後の子孫はさいわいである。

  113.箴言22:6 子をその行くべき道に従って教えよ。そうすれば年老いてもそれを離れることがない。

 114.箴言23:13  子を懲らすことを差し控えてはならない。鞭で彼を打っても死ぬことはない。

 115.箴言23:15,16  わが子よ、もしあなたの心が賢くあれば、わたしの心もまた喜び、もしあなたのくちびるが正しいことを言うならば、わたしの手綱もまた喜ぶ。

 116.箴言23:24,25  正しい人の父は大いに喜び、知恵ある子を生むものはこのために楽しむ。あなたの父母を楽しませ、あなたを生んだ母を喜ばせよ。

 117.箴言29:15  鞭といましめとは、知恵を与える。しかしわがままにさせた子はその母に恥をもたらす。

 118.イザヤ8:18  見よ、わたしと、主のわたしに賜った子たちとは、シオンの山にいます、万軍の主から与えられたイスラエルのしるしであり、不思議である。

 119.イザヤ54:13  あなたの子らは皆、主に教えを受け、あなたの子らの平安は大いなるものとなる。

 120.ヨエル1:3  これをあなたがたの子たちに語り、子たちはまたその子たちに語り、その子たちはまたこれを後の世に語り伝えよ。

 121.ヨハネ21:15b  わたしの羊を養いなさい。

 122.使徒行伝2:39a   この約束は、あなたがたとあなたがたの子らとに与えられているものである。

 123.Uコリント12:14b 子供は、親のために財をたくわえて置く必要はなく、親が子供のためにたくわえておくべきである。

 124.エペソ6:4  父たる者よ、子供を怒らせないで、主の薫陶と訓戒とによって彼らを育てなさい。

 125.コロサイ3:21  父たる者よ、子供をいら立たせてはいけない。心をくじいてしまうかもしれないから。

 126.Tテモテ5:8  もしある人がその親族を、ことに自分の家族を顧みない場合には、その信仰を捨てたことになるのであって、不信者以上に悪い。