60.音楽とダンス
彼らに踊りをもって主の御名をほめたたえさせ、鼓と琴とをもって主をほめ歌わせよ。(詩篇149:3)
1.音楽は、天使の話し言葉である。
2.音楽は、失意の心にとっては薬である。
3.最も甘美な歌の幾つかは、最も悲しい思いを語る歌である。
4.全く技術的な完璧さをもって歌うが、真の愛もなく、中身のない、うわべだけのうるさく、 「やかましい鐘や、騒がしいにょう鉢と同じ」 (Tコリント13:1) ようにしか歌えないプロの完全主義者の歌よりも、 私はいつでもむしろ聖霊の力をもって、心からのフィーリングをもつ誰かの歌を聞きたいものだ。
5.シンガーとは、歌でメッセージを告げるメツセンジャーである。
6.夜 (試練) も歌もないよりは、夜があって歌がある方がましである。
7.すべての良い音楽、幸せな音楽、愛情深い音楽は、主から来るに違いないと私は思う! (乾杯:) 愛の主と、愛情深い音楽に!
8.神はダンスの主である! 「そのようにわたしがダンスを作り、音楽を作り、またわたしがあなたの父に与えた愛を、わたしは作った!」
9.真に優れたシンガーとなるためには、あなたには砕かれた愛情深い心がなくてはならない!
10.私たちの歌と私たちのメッセージは、人々を反対方向にできる限り速く走らせるか、それとも私たちの腕の中で彼らを溶かしてしまうかのどちらかである。
11.私たちの音楽は、私たちを支持するか、それとも反対するかのどちらかの行動に人々を駆り立てる!
12.シンガーが持ちやすいものがあるとしたら、それは自尊心である! あなたがそれを持つようなことがないようにしなさい!
13.音楽は、私たちのメッセージである! 音楽は私たちのミニストリーである!−−心からでないなら歌うな!−−そうでないとあなたは、他の体制音楽家のようにいんちきになる!−−そうではなくて、それを使いなさい!−−好きになりなさい!−−感じなさい!−−歌いなさい!−−それを行いなさい!−−御霊の内で!−−そうすれば、それは永遠に人々の心に生きるであろう!
14.「布告する天使たちの歌声に耳を傾けよ!」 −−あなたたちは私の天使であり、主の愛の美しい、良き知らせを歌い、布告している。だから人々は、耳を傾けた方が良いだろう!
15.音楽とはとても感情的なものである。それはあなた自身の真の個人的な感情の、 真の表現であるべきだ。
16.チュンチュンとさえずることは、何もないよりはましである! たとえあなたが、野性の鳥やカナリヤのように美しい歌を歌えなくても、少なくとも小さなスズメのようにチュンチュンとさえずる事ができる!
17.カナリヤは獄の中で、つまり篭の格子越しにとても美しく歌う。その歌はとても甘美であり、監禁されている歌であり、獄の歌であり、苦しむ者たちの歌である!
18.たとえあなたが美しい歌を歌えなくても、少なくともイエスのために喜ばしき声をあげることができる!
19.たとえあなたが小鳥のように篭の中にいても、多くの人々を励ますために甘美な歌を歌うことができる。
20.音楽は、この世代に対して、私たちが用いる主要な伝達手段のひとつである!
21.ダンスにおいて、人々の異なった性格が如何によく表れているかは、驚くべきことである−−それは体による言語であり、体で語っているのである!
22.感情があなたの音楽を作る!
23.どうして私たちの音楽が世界でヒットしないのか? 「もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。だからこの世はあなたがたを憎むのである!」 それは神の音楽である。だからこの世はそれを憎むのである!
24.音楽は、技術的に完璧であっても、霊的に死んでいるということがあり得る!
25.今日のハードロックは、かつてのジャズのようである。それは反抗であり、挑戦である!
26.私は、落ち着いた光、ソフトな音楽、まろやかなワイン、柔らかい女性が好きである!
27.あなたにぴったり合った音楽は、あなた自身の心と思いの中に、特定の反応をもたらす。それはあなたに対して心理的、また霊的な効果を持っている。
28.作曲家は、まるで霊の導き手で、霊媒のようになり、彼の音楽は、水晶玉であるかのようだ。
29.音楽における完璧さは、数学的である。しかし音楽における霊感は、神聖なものである!
30.ほとんどの人は、たとえシンガーがどんなに優れた歌い手であろうとも、一人のシンガーの曲を多くても二、三曲以上聞くことには耐えられない!
31.私たちが歌う目的は、人々を楽しませるためではなくて、全く払い落とすことができないほどに、人々の思いの中に、考えまたはメッセージを植え付けることである。
32.説明されなければならないような歌は、あまり大したことはない!
33.音楽そのものが、歌のメッセージの感情的な絵像、またはそのフィーリングを描かなければならない!
34.私にとって音楽とは、この世代の奇跡である!
35.私たちの音楽は、それはあの方についての私たちのメッセージに、多くの人々をひきつける奇跡である。
36.私たちの霊感された歌は、愛の鍵のようなものである。それは、心の鍵を開けて、その歌と同調したいと思いこがれて反応してくるコードを見つける!
37.あなたは、主への賛美と感謝の歌を歌いながら、同時に不平を言い、つぶやき、うめき、不満を言うことはできない!
38.わしのように翼をはって舞い上がり、
歌の翼によって飛びなさい。
語る言葉、歌う音楽は、永遠に生き続ける!
39.陽光の中を歩き、
光の中で踊り、
行進しながら歌い、
良き戦いを戦いなさい!
40.行って、主の賛美を大胆に告げよ。
唇に歌をもって、主によくつかえよ。
この新たな夜明けに、人生は再び始まる;
イエスのために誠実であれ、誠実であれ!
41.すべての音楽は、神の栄光と魂の休養以外の他の目的や、ねらいがあるべきではない; このことが心に留められていなければ、それは音楽とは言えず、地獄のような大きな騒音やわめきでしかない−−ヨハン・セバスチャン・バッハ。
42.クリスチャンの人生は音楽で満ちており、キリストによらない生き方は悲惨で満たされている。
43.ハードロック音楽は、殺したり、破壊したりするためにある音楽である!−−それはあなたの聴覚を破壊し、あなたの感覚を破壊し、ほとんどあなたの霊を破壊し、あなたに殺したいか、破壊したいと思わせるくらいである!
44.世界の偉大な文学や音楽のほとんどは、期待を基礎として作り出されたものであった−−すなわち何か素晴しいもの、美しいもの、希望やあこがれや、願望や愛への切望である!
45.ある特定の種類の音楽は、音のシグナルの組み合わせのようにもなり得るのであって、ほとんど電話の番号を回すことのようである。もしそれが音色のぴったり合った組み合わせに当たるなら、そのあなたにぴったり合った音楽は、あなた自身の心と思いの内で、特定の反応をもたらし得るのである。
46.神の音楽は、あなたに神の御心を行い、神を愛し、神の子供たちを愛したいという気持ちにさせる!
47.音楽とは、コミュニケーションの中で、最も感情的な種類の一つである!
48.善であろうと、悪であろうと、効果的な音楽はあなたに善か、悪かのどちらかの行動をするように霊感する!
49.あなたの愛を表明し、心から歌い、心から演奏し、心から語り、あなたの心から彼らの心に直接にぶっつけなさい!
50.努力することを省くために、霊感を求めなさい!
51.歌とは、女の子と、 女の子の美しい体である。楽器による伴奏は衣服である−−だから彼女を薄い服でまといなさい!
52.孤独であることや、悲しみに打ちひしがれた状態や慰めが必要なことについての歌は、いつも私の心に最も訴えた歌であった。そのような歌は、すべての人のためにメッセージをもっていたと私は感じた。何故ならある面では、誰でも少しばかり孤独であるからであり、特に主をもっていないとそうである。
53.世俗的なショー・ビジネスは、もし私たちがそれが利用できるなら、素晴しいものである。しかしもしそれが、私たちを利用しているだけにすぎないなら、その時はそれを捨ててしまうべきである!
54.私たちは、世俗的なショー・ビジネスが、神の仕事の場所にとってかわることを許すことはできない。そうでないと神は、それを祝福しては下さらない!
55.私たちは、ショー・ビジネスについている−−すなわち神の愛を世界に見せる (ショー) ビジネスである。
56.音楽とは、心のコミュニケーションである。
57.今日の若者の心を引き付けるものは、音楽である。音楽は、若者の宗教であり、その多くが地獄から直接来るものであり、極悪非道で、悪鬼的で、リズム以外の何もなく、大きなビート、大きなアフリカのジャングル・ビートであり、あの同じ悪質な種類の暴力的な霊に、若者たちを誘い込む霊的なものである! それはまさに、地獄の悪鬼たちそのものと戦っているようなものであり、全く身の毛もよだつような霊的な影響である!
58.それらのディスコでは、まるで地獄そのものの中にいるようなものである。そしてそこで悪魔が、そこにいる人たちや、音楽や、彼らの思いや、体や、すべてのものに対して絶対的な支配を握っている。そのような音楽を通して、悪魔との霊的コミュニケーション以外のどんなコミュニケーションも可能ではない。それを作り出している今日の若者は、全く完全に狂気であり、気違いであり、ノイローゼにかかっていて、悪鬼にとりつかれていて、あなたの聞くものは、ただ地獄の恐怖だけであり、悪鬼たちの叫び声だけである。それは恐ろしいものである!彼らは、自分たち自身を地獄そのもののために準備しつつあるのだ!それは恐怖音楽である!−−地獄の穴から直接に来た、完全に地獄の魔神である!
59.悪魔のハードロックは悪鬼的である。それは悪鬼どもを連れて来て、悪鬼どもによって人々を霊感させる! ちょうど私たちの甘美な音楽が神の御霊を保有するのと同じように、悪魔の音楽は悪魔の霊を保有する!
60.現代の若者の音楽は、神経をすっかり損なうものであり、休むチャンスさえも与えない! ドラムの音ばかりであり、猛烈な音であり、本当に神経を冒す音楽であり、休まるものや、リラックスできるものはその中に何もない。それは悪夢を見させるものである! それはこの世代を狂気に追いやっていると思う! 主が早く来られなければ、全世界は気違いになってしまう!
61.音楽は、あなた自身の個人的感情の個人的表現でなくてはならないし、またその主題に関して、あなたが感じている通りでなくてはならない。それは、あなたでなくてはならないのである。それは、あなた自身の個人的なテスティモニー、あなたの個人的なメッセージ、あなたが人々に告げたいと思っていること、本当にそれを売り込み、歌うことができるくらい、あなたが納得していること、確信していること、本当に信じていることでなくてはならない。あなたがそれを歌うのは、あなたがそれを信じていて、知っていて、経験するからである。だからあなたが福音を歌っている時は、福音を宣べ伝えている時と同じくらい、福音のセールスマンとなるのである。
62.機械的に完璧に歌って心が全くないよりも、少しばかりの間違いをしても、心から歌う方がよい。もしあなたが霊と、霊感と、神の力と、失われた者への愛で満ちた心をもって、本当に歌わないなら、それは機械的に、技術的には完璧であっても、霊的に、感情的に、失敗に終わってしまい得るのである。何よりもまずあなたは、感情的な、霊的な完璧さを、すなわち愛を先に置かなくてはならない。愛がなくては、無なので、あなたには真の愛がなくてはならない。
63.神の御言葉ほど力強いものは何もない。たとえ音楽がどれだけ美しくとも、もしその中に真理がなければ、その中に御言葉がなければ、それは無力で、生気がなく、意味がない!
64.御言葉を含むか、 引用しているそれらの霊感された歌に勝るものは何もない! 彼らの心の中にオルガズムを引き起こし、実をもたらす力強い種は御言葉である。
65.完璧さは御霊から来る! 神の目に最も全きものとして映るのは、愛の完璧さである。
66.もしあなたが主により多く頼り、技術的な完璧さに頼ることをより少なくするなら、あなたの歌はより御霊に満ちたものとなり、よりスムーズになり、より良いものにさえなるであろう。ただ声や、楽器や、録音における技術的な完璧さよりも、御霊と、愛と、霊感により多く頼りなさい。
67.歌になっている私たちのメッセージは、私たちの主要なミニストリーの一つであり、他のすべてが失敗しても使うことができる。
68.歌は、あなたを動かすものではなくてはならない。それはあなたに何かしたい、という気持ちにさせるものではなくてはならない!−−踊るか、戦うか、愛するか、泣くか、あるいは何かしたいという気持ちに!
69.あなたのダンスは、あなたの喜びや幸福や自分の内にある美や栄光や主の素晴しい喜びに対する証しであるはずである!
70.音楽とは、この世代の奇跡である。それは彼らの魂や傷ついた霊をいやす魔法であって、私たちが彼らの救い主、つまりメシヤであることを証明するものである。
71.私たちの音楽を大胆で、無謀で、荒々しく、激しく、革命的なものにしよう−−宣戦布告である!−−甘美な歌、悲しい歌、心を砕く歌、また同様に陽気で、軽く、幸せな歌と共に!−−しかし何であれ、それを生きたものとしなさい! 歌詞が私たちの音楽の中では、最も重要な部分である。何故ならメッセージがなければ、それは無だからである。
72.私たち特有のものは、私たちのメッセージであり、それらの歌詞である。だからもしそれを伝える良い媒介物である演奏があるなら結構だ。だがもしそれがなく、私たちが音楽とメッセージのどちらかを選ばなければならないなら、私はむしろ、人々があなたの言っていることを理解できるように、言葉を大声で叫び続けてもらいたい。たとえあなたが、それをカペラ、すなわち演奏なしでしなくてはならなくても!
73.音楽とは、何というミニストリーであろうか! それはまことに、多くの魂をいやし、多くの人生に生命をもたらし、多くの人々の思いと心に平和をもたらすための奇跡的な賜物である。
74.「私の民の心を備えるために、これらのものやシンガーたちを霊感し、彼らの口の中に言葉をおいて、あなたが夢に見た以上に深い意味をそれらに与えたことを不思議だと思うのか!」
75.「語られる歌は、私によって霊感され、生きる音楽は決して死ぬことはなく、それを歌う子供たちは、永遠の地で永遠に生きるであろう! 私は彼らの神であり、彼らは私の子供たちである。そして私は、彼らのために語り、彼らのために歌い、彼らために生き、彼らに生命と喜びと、永遠で決して死ぬことのない歌と音楽をもたらす。もし彼らがただ、歌われているその音楽と生きているその歌と、語られているその言葉と、永遠であって決して死ぬことのない地の希望を持っている、愛を与える子供たちに耳を傾けるなら!」
76.真のインスピレーションは、真のフィーリングと共に来る。
77.誰かと近く寄り添って、愛情をこめて、その人を自分の腕に抱いて踊ることは、ベッドの中に共にいることに次いで良いことである。何故なら、彼らは自分の心を開いて、自分自身を謙遜にするからである。
78.私たちはダンスにおいて神に栄光を帰しているだけでなくて、セックスにも栄光を帰しているのである!
79.私は、歌手が本当には感じていないような軽薄な歌い方がいやでならない。感情を伴わない音楽は、たとえ歌詞がどのようなものであれ、それは意味のない音楽である。
80.メッセージが効果的なものになるためには、音楽が歌詞としっくり合ったものでなければならない。
81.この世の音楽の多くは、霊感を受けており、また美しいものであると思う。そしてそのすべてがファミリー内にあるとは限らない。
82.ジャズは、悪魔の音楽の始まり、音楽におけるゆがみ、不協和音、不調和それに耳ざわりで、やかましく、不快で、悩ませるような音楽の始まり。すなわちハーモニーと美とロマンチシズムな考えとに対する、音楽的な反抗の始まりであった。
83.アフリカは世界を汚染してしまっている。アフリカがその極悪非道なサウンドとその騒音とを、アメリカを通して送り出し、アメリカが自分と共鳴することを発見した時、アフリカは全世界を汚染するための道を見出したのである。それは悪鬼に取りつかれた音楽である。麻薬中毒者と悪魔の踊り手たちの音楽である。アフリカの戦いの踊りの音楽である。それはただ恐ろしく、悪魔的で、悪鬼の如きリズム以外の何ものでもない、悪鬼的な騒音であり、それには美しさのかけらもない。それは醜く、凶悪で、極悪非道で、悪鬼に取り付かれたものである。
84.それぞれの世代の音楽は、確かにその世代の情緒、すなわちその世代がどのように感じているかの偽りのない表現であり、またその理想、基準及び道徳はその音楽の中で表現されている。
85.この世代の芸術全体は、それが音楽であれ、美術であれ、文学であれ、何であれ、それは全く醜いものであり、悪魔の顔、地獄の声のようなものである! 凶悪で、悪鬼のようで、サタン的であり、極悪非道で、醜く、恐ろしいものである! 悪魔はとうとう世界の支配権を握ってしまっているようである! そこには何一つきれいなもの、美しいもの、甘美なもの、良いもの、あるいは愛らしいものは残されていない−−私たちと、主と、主の創造物以外には良いものは何一つ残されていないのであり、良い人々、また良い物事はごくわずかしかない。すなわち、そのごくわずかなものは、地獄の悪鬼どもの軍勢によって、はるかに数において圧倒されているのである。
86.この世代の、このいわゆる音楽と呼ばれているものは、ただ破壊する騒音にすぎない。それを一日中聴いていて、害を受けずにいることはできない。
87. 人は私に言う、われわれの善は悪であり、
われわれが歌を歌っても空しいと。
しかし、言わせてもらおう、彼らの知恵の方が狂気なのであり、
私は不平を鳴らすよりは歌っているほうがいいと!
(No.32,92,166,232,312C,326,326A,399,774,
924,929,930,963,987,1006, 1016, 1026, 1043,
1048,1062,1091,1107,1210,1211,1213,1318,1532,
HH1,チャイルドケアー・ハンドブックUも参照。)
88.サムエル記下6:14 そしてダビデは力をきわめて主の前で踊った。その時ダビデは亜麻布のエポデをつけていた。
89.歴代志上16:9 主に向かって歌え、主をほめ歌え。そのもろもろのくすしきみわざを語れ。
90.歴代志下5:13,14 ラッパ吹くものと、歌う者とは、ひとりのように声を合わせて主をほめ、感謝した。そして彼らが、ラッパとシンバルとその他の楽器をもって声を振り上げ、主をほめて 「主は恵みあり、そのあわれみはとこしえに絶えることがない」 と言った時、雲はその宮、すなわち主の宮に満ちた。祭司たちは、雲のゆえに立って務めをすることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。
91.詩篇30:11 あなたは、 わたしのために嘆きを踊りに変え、荒布をとき、喜びをわたしの帯とされました。
92.詩篇33:2,3 琴をもって主を賛美せよ。プサルテリウム(弦楽器の一種)と十弦の竪琴をもって主にむかって歌え。新しい歌を主にむかって歌い、大声をあげて、たくみに琴をかきならせ。
93.詩篇40:3 主は新しい歌をわたしの口にさずけ、われらの神に捧げる賛美の歌をわたしの口にさずけられた。多くの人はこれを見て恐れ、かつ主に信頼するであろう。
94.詩篇57:9 主よ、わたしはもろもろの民の中で、あなたをほめたたえ、もろもろの国の中であなたにむかって歌います。
95.詩篇69:30 わたしは歌をもって神の名をほめたたえ、感謝をもって神をあがめます。
96.詩篇95:1,2 さあ、われらは主にむかって歌い、われらの救いの岩にむかって、喜ばしい声をあげよ。われらは感謝をもって御前に行き、主にむかい、賛美の歌をもって喜ばしい声をあげよう。
97.詩篇144:9 神よ、わたしは新しい歌をあなたにむかって歌い、プサルテリウムと十弦の竪琴に合わせて、あなたをほめ歌います。
98.詩篇149:3 彼らに踊りをもって、主の御名をほめたたえさせ、つづみと琴とをもって主をほめ歌わせよ。
99.詩篇150:1-6 主をほめたたえよ。 その聖所で神をほめたたえよ。その力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。その大能の働きのゆえに主をほめたたえよ。その優れて、大いなることのゆえに主をほめたたえよ。ラッパの声をもって、主をほめたたえよ。竪琴と琴とをもって主をほめたたえよ。つづみと踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴(おごと)と笛とをもって主をほめたたえよ。音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴り響くシンバルをもって主をほめたたえよ。息のあるすべてのものに、主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。
100.使徒行伝16:25,26 真夜中頃、パウロとシラスとは神に祈り、賛美を歌い続けたが、囚人たちは耳をすまして聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった。
101.Tコリント14:15b 霊で賛美を歌うとともに、知性でも歌おう。
102.エペソ5:19 詩と賛美と霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心から賛美の歌を歌いなさい。
103.コロサイ3:16b 互いに教えよ、また訓戒し、詩と賛美と霊の歌とによって感謝して心から神をほめたたえなさい。
104.ヤコブ5:13 あなたがたの中に苦しんでいる者があるか、その人は祈るがよい。喜んでいる者があるか、その人は賛美の歌を歌うがよい。
105.黙示録14:3 彼らは御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は地からあがなわれた十四万四千人の他は、誰も学ぶことができなかった。
106.黙示録15:3 彼らは神の僕モーセの歌と、小羊の歌とを歌って言った、 「全能者にして主なる神よ、あなたのみわざは大いなる、また驚くべきものであります。もろもろの聖徒らの王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。」