58.結 婚
ふたりはひとりにまさる。彼らのその労苦によって、良い報いを受けるからである。(伝道の書4:9)
1.結婚で最も重要なことは、両者が神とイエス・キリストを信じる信仰を持つことである! 信仰を持っている時、何もかも可能である!
2.すべての偉大な男性の背後には、彼がそのようになるのを助ける、偉大な小さな女性、すなわち彼の配偶者がいるのである。
3.男は頭であるかもしれないが、女はしばしばそれを回す首である。
4.自分の妻にこう尋ねた男のことを覚えているか? 彼はこう言った、 「どうして神は、女をこんなにも美しく、 だがこんなにも馬鹿に造られたのかな?」 彼の妻の賢い答えを覚えているかね? 「女が美しいのは、男が結婚したいと思うためであり、また女が馬鹿なのは、男と結婚できるためなのよ!」
5.妻とは、非常に特別な面で大事にされる人。
妻とは、日々、彼女の優しさによって、
生活の中に喜びを添えてくれる人。
妻とは、本当に理解し、霊感し、
励まし、助けの手を貸してくれるほど近い人。
妻とは、すべての者のために、
家庭を幸せな場所としてくれる人。
妻とは、大きな面と小さな面の両方で、
彼女の特別の思いやりを示す人。
妻とは、いつも微笑みを持つ素晴しい人。
妻とは、夫を幸せに保ち、
夫の人生を価値あるものとしてくれる人。
6.あなたは、申し込まれた結婚を次のルールによって判断しなければならない: その結婚はあなたにとって良いものか、主にとって良いものか、神の体全体にとって良いものか; そして良い実を結ぶか!
7.メイトが持っているすべての良い資質のことを自分自身に思い起こしなさい。そして悪い資質のことを考えないようにしなさい。
8.建築事業では、こう言われている: 二人だと、 一人分の三倍の仕事ができる。神の法則は、二人だと一人分の十倍の事を成すことができる。 「一人で千人を追い、二人で万人を敗走させることができる!」 (申命記32:30)
9.二人が一人の子供を持つこと以上に、一つになれるより良い方法が他にあろうか?
10.主の御霊は、主の花嫁の性交不能と性的不感症の両方をいやすことができる。
11.主との良いコミュニケーションがなければ、あなたたちの間にもあまり良いコミュニケーションはない。
12.良い結婚に役立つ最大のものの一つは、ユーモアのセンスと共に正直さである!
13.もしあなたが、非利己的さと謙遜さと分け合うことについて、何か学びたいなら、ただ結婚しなさい!
14.自然の家族となると、夫が本当にボスである。そして神の言葉は、女性が自分の夫に従うべきだとはっきり語っている。
15.ピリピ4:8 はあなたのメイトにも適用する。絶えず自分自身に、彼のあるいは彼女の良い資質、良いことを思い起こしなさい。そして悪いことについて考えないようにしなさい。
16.どんな女性でも、自分の男性に、別の女性を与えることも含めて、彼の欲しがるすべてのものを与える人は、本当に彼のことを愛している!
17.すべての偉大な男性の陰には、偉大な女性がいる。女性は男性を偉大にすることもできるし、だめにしてしまうこともできる。
18.私たちは、お互いに結婚している。そして永久的なメイトにならなくてはならない人など一人もいない!
19.もしあなたが、単に自分のメイトに好きではないところがあるからと言うだけで、自分のメイトから去りたいと思うなら、あなたは、あなたが得るすべてのメイトから去りたいと思うようになるであろう。何故なら、その一人一人には、あなたの気に入らないところが必ずあるからである。
20.皆それぞれのために誰かが居る!
21.彼女を誉めてやりなさい! 彼女に美しい、と言ってやりなさい。そうすれば彼女は美しくなるだろう! 彼女に素晴しい、と言ってやりなさい。そうすれば彼女は素晴しくなるだろう!
22.どんな男性でも、自分が自分の妻よりも聡明だと考える人は、実際は利口な妻と結婚している。
23.女性が生れつき、どれだけきちんとした人でも、彼女が自分の夫をいつも矯正するのは間違いである。
24.失恋に対する唯一の治療は、新しい恋。
25.男性の人生で、女性のことを理解できないという時期が二度ある−−結婚前と、結婚後である。
26.結婚式とは、洗礼式のように証しである。指輪の輪の部分は、永遠の真実性の象徴である。また金は、変わらぬ値打ちの象徴である。
27.結婚とは、最も親密で、謙遜にさせられる、愛情深い、自己犠牲的な人間関係である。
28.ある事について尊敬しないか、また立派だと思わない人を愛することは難しい。
29.一日に 「愛している」 を100回言いなさい!
30.「engagement」(普通は婚約)には二つの意味がある: 戦争では戦いの意味であり、求婚においては身を委ねるという意味である。
31.えくぼに恋した男性が、その女性全体と結婚するという間違いをよくやる。
32.人生の持つ神秘の一つは、自分の娘と結婚するほどの資格のなかった少年が、世界で最も頭の良い自分の孫の父となり得るということである。
33.結婚とは、性的な関係である。もしそうでなかったなら、ただ良い友人でいることができたのである。
34.女性は、夫を得るまでは将来のことを心配する。一方男性は、妻を得るまでは、将来のことを心配したことは一度もなかった。
35.結婚における成功とは、自分に合った人を見つけるよりも、自分が合う人になる事にはるかに多くかかっている!
36.もし人々がそのようなささいな理由で結婚しなかったなら、そのようなささいな理由で離婚もしなかっただろう。
37.母親は、自分の男の子を一人前の男に育て上げるのに20年を要するが、 別の女性はしばしば20分でその男を笑いものにする。
38.しばしば結婚のトラブルとは、男性が食い代 (くいしろ) を稼ぐのにとても忙しく、自分の愛する人を忘れてしまうことから始まる。
39.すべての男性には、妻が必要である。政府の責任にできない多くのいやなことがあるからである。
40.自分の妻の弱さの故に、彼女をあまりにもきつく裁いてはいけない。もし彼女にそれらの弱さがなかったなら、彼女があなたと結婚する見込みはなかっただろう。
41.配偶者 (スパウス) の複数形は、スパイスである。
42.主は、非常に分別があられ、憐れみ深く、理解があり、愛情深くて、親切なので、もし二人が単にお互いと住みたくなくとも、人間がするように、二人を強いて住ませるようなルールを作る事はされない。
43.結婚: 信頼がそれのスタート、喜びがその一部、そして愛がその心。
44.子供たちのいる両親のほとんどのケースにおいて、子供たちのために両親が別れないで一緒にしがみつき、頑張り抜くことを、私は強くアドバイスする。
45.私たちの共同生活の、協調的、部族的な型の社会においては、より大きな家族単位が優先されなくてはならない。
46.ある女性たちは、良い夫に仕立て上げようと頑張ることに懸命で、自分が良い妻になることは決してない!
47.結婚前は、自分の目を広く見開いて見つめ、結婚後は目を半分閉じなさい。
48.家庭のすべての救済策の中で、良い妻が最も優れたものである。
49.結婚とは、三冊の本によって保たれている社会制度である−−すなわち聖書と料理の本と小切手である。
50.彼が 「僕たちは、お互いのために造られたんだね」 とささやく頃には、彼女はすでに彼を改造することを計画しているのだ。
51.彼女が 「お断りします」 と言う時でも、両者とも永遠に幸福に暮らすことがしばしばある。
52.結婚に成功する大きな秘訣は、すべての災難を小事件として扱い、また小事件のどれ一つとして、災難のように扱わないことである。
53.妻があなたに向かってわめきちらすのをやめて、電話に出るまで、あなたは人の声がどれだけ変わるものか、決して分からないのである。
54.結婚とは、この地上で最も満足感のある、私たちを最も強める、最も長続きする人間関係である。
55.ほとんどの男性と女性は、結婚する必要がある。とりわけ責任と指導の地位を有する者たちは。
56.夕食の席に着く美人は、しばしば朝食の席では、みっともない格好をしているものだ。
57.聖書に書かれてある結婚のルールは、なお理想であり、もし少しでも試みるなら、神の助けとあなたの忍耐によってとてもうまくいく。
58.もしあなたが、ほとんどどんな状況においても、今の自分のメイトとうまくやっていけないなら、 どうしてほとんど他のどんな状況においても、次のメイトとうまくやっていけると分かるのか?
59.現在のメイトとうまくやっていけない人々は、多くの場合どんなメイトともうまくやっていけないことがある!
60.アダムは、エデンの園にいて全世界と神を持っていた。それなのに彼は、女性がいなければ真に幸福に、あるいは満足することはなかったのである。女性の胸だけが、私たち男性を満足させることができるのである。
61.メイトは、単にあきていて、少しのバラエティーか、変化を望んでいることがかなりよくあるが、それは離婚するだけの良い言い訳とはならないのである。少し休暇をとらせてやりなさい!−−それも誰か他の人と一緒に!
62.女性は、愛情深いセックスよりも、愛情深い世話の内に愛を示される必要がある。
63.フェンス越しに見た隣の家の芝生は、いつももっと緑に見えるが、大抵それは、そこに入れないからそう見えるのである。
64.全くの完全無欠のメイトというのは、単に存在していない。もし存在しているとすれば、その人は人間ではないだろう。
65.もし誰かがあなたに我慢することに耐えられるなら、多分あなたもその人に我慢することを学び、少しでも自分と一緒に住んでくれる気があることを感謝した方がいいだろう。
66.兄弟よ、あの弱い妻はあなたの内にある保護的な本能を呼び起こすはずである。あるいはあなたに、愛と忍耐と憐れみとを教える神の方法かも知れない。姉妹よ、あの弱い夫は、あなたの内にある強い母性本能を呼び起こして、あなたを良いリーダーにし、あなたたちの両方を神により近づけるのに、あなたが全く必要とするものかもしれない!
67.父よ、あなたが建てられるのでなければ、
建てられる家は、むなしいです。
救い主よ、あなたが祝福されるのでなければ、
喜びは痛みに変わります。
しかし、あなたにあって一つにされた心の結婚は、
誰も壊すことはできません。
そしてあなたの御霊が神聖にする愛は、
終わりなき愛の始まりです。
68.もしあなたのメイトがあなたを愛し、主を愛しているなら、あなたのメイトはまた、他の人も愛していて、他の人を助けたいと思うのである。
69.お互いに対して神の愛が与えられるように、神に求めなさい。そうでないとあなたは、決して成功できないであろう−−結婚についても、宣教師としてもである。
70. 彼女の美点にはとても感謝し、
彼女の欠点には、少し盲目でありなさい。
71.女性の美しさだけで、女性と結婚するのは、まるで家に塗られたペンキの良さだけで家を買うようなものである。
72.人生の中で最も良いもののすべてが分け合われる。だからこそ多くの人は結婚しないのである。つまり分け合いたくないからである。自尊心と利己主義が他のどんなものよりも結婚を破壊する。
73.自分と暮らせるような女の子と結婚するのではなくて、彼女なしには生きられない、と思う女の子と結婚しなさい!
74.もし結婚生活が破綻をきたしているなら、その原因はしばしばベッドの中にある!
75.結婚生活のほとんどがセックスではなくて、そのすべての活動において、単に日々一緒に生活することである。
76.結婚の愛は、あなたと神御自身の関係の一例である!
77.人々がお互いに語り合うことをやめる時、危険である!
78.誰も誰かに独占的に属してはおらず、私たちが全員お互いに属しているという考えに慣れなさい。天国ではそのようになるのである。だからこそ天国ではどんな結婚生活も、あるいは結婚する事も、私的な小さな関係もないのであり、すべての人が、すべての人のものになるのである。私たちは、神が天国で行なわれる通りに、たった今地上でも物事を行うべきである。私たちは愛のメイトであり、愛人である。私たちは一緒に住み、一緒に食べ、一緒に眠るが、世界が語るような結婚の方法では結婚してはいないのである−−私たちの共同社会の愛の方がもっと強いのである!
79.もしあなたが、今、自分と一緒にいる女性とうまくやっていけず、彼女のために適度に供給してやれず、彼女の子供たちの父親としての責任を果たすことができず、家の者たちをしつけることができないなら、二人の女性ともっとうまくやっていけるとは、ほとんど期待できないだろう。だからもっと多くの家族を加えることを考慮し始める前に、あなたはまず一つの家族によって、自分自身を証明した方がいいだろう。
80.誰も、耐えず過小評価され、恥をかかされ、威され、妻の尻に敷かれることに耐えられる男性はいない。
81.時折起こる、性格の違いによる衝突は、理解できるものであるが、愛は決して敗れず。だからこれらのものは謙遜と、愛と、主の御霊の油によっていやされるはずである。
82.結婚生活は、できる限り平等で、できる限り分け合うものであるべきである。あなたたちは一緒に話し、一緒に祈り、一緒に愛し、一緒に論じ合い、それから一緒に同意して決断すべきである。
83.あなたの夫は、あなたがかつて持ったことのある内で、最も大きな赤ん坊である!−−ただ彼の場合、成長することがないのである!
84.男性が女性の腕の内にある時、彼は再び母親の腕に抱かれた子供のようになる−−男性は、大きな赤ん坊である!
85.もしあなたが主を選び、主の奉仕を選ぶなら、神は、あなたを助けるために誰かを選んで下さるだろう。
86.結婚の関係とは、セックスまたは友人関係、あるいは主のための仕事のパートナー以上のものである! それは、すべての人生の中で、最も親密で、謙遜で、愛情深く、自己犠牲的な、人と人との関係である。「人が自分の友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない!」 (ヨハネ15:13) これが愛である、 真の愛、まことの愛である−−すなわち自分の妻のために、喜んで自分自身を犠牲にしようという自発的な夫の気持ちであり、また自分の夫のために、自分の命を捨てたいという妻の熱望である! これこそ、超自然的な愛、神聖な愛、神の愛、人間の愛を超えた愛である!
87.結婚生活で、あなたは自己に死ぬが、新しい人生を見つける。
88.結婚が神によって初め結び合わされたものでなく、一度もうまくいったことがなく、現在もうまくいかず、うまくいくことが不可能であるというのでない限り、避けられることなら、どんな形、またはどんな種類の離婚をすることも、私たちは信じてはいない。そして二人が愛し合っている限り、あるいは三人が愛し合っている限り、あるいはそれが何人であろうと、彼らが愛し合っている限り、彼らは引き続き愛し合うべきである。
89.結婚とは、信じる花嫁とキリストの霊的結合の類型である。
90.もし、 女性がベッドで、夫に対して妻となることを拒むなら、彼女は妻ではない。彼女は霊と肉において、彼を去ったのであり、自分から離れて行ったのである。そして神の言葉は、 「離れるままにしておくがよい! 兄弟も姉妹も、こうした場合には束縛されてはいない。」 と語っている。(Tコリント7:15)
91.私はある時、こう言った。もしあなたに子供がいるなら、その時神はあなたを両親になるように選ばれたのだと。さて、それは理想だが、厳しく変わらぬルールではない。例外である状況もある。ある一定の状態や状況下では、例外は有り得る。
92.もしあなたが本当に誰かを愛しているなら、あなたはその人が幸せになることを望んでいる。そしてもしその人があなたと共にいることであまり幸せに感じず、あなたもその人を完全に幸せにすることが出来ないなら、一緒にいて幸せになれるような誰かをその人が見つけることを望むであろう。そうだろう? それは多くの愛を、真の愛を、純粋な愛を、非利己的な愛を、犠牲的な愛を要する: そのような愛をあなたが与えていることを確かめるべきである。
93.あなたが、霊的さや、信心深さや、訓練や、御言葉や、ゴールや、神の奉仕などにおける自分たちの違いに完全に耐えられず、折り合いのつかぬものであることを見、またそれが自分たち両方と、子供たちを傷つけ、同様にして、他の家族に対する自分たちの手本を傷つけていることをあなたが見、また同様に当然果たしているべきだと分かっている主の奉仕や、あなた自身のゴールや、主と他の人のためのミニストリーを傷つけていると分かる時、彼または彼女が助けとなるよりは妨害となっているなら、彼または彼女から去るか、彼または彼女を行かせるべき時だと、私は思う。
94.あなたは、こう言うかもしれない。 「でも、お父さん、待って下さいよ! それはルールを破っていることではありませんか? もし神を敬わないか、救われていないか、不信者である兄弟または姉妹が自分といることを喜んでいるなら、そのような人を見捨てたり、捨てたりするのではなくて、自分と共にいさせるべきではないのですか? その人を勝ち取れるかもしれないのではないですか?」(Tコリント7:12) だが、あなたが、その人ととても長く住み、その人を勝ち取ろうと試み、なお勝ち取れずにいる状態であり、その人がもっと悪くなってより反抗的になり、子供たちやあなたに対して暴力を振るうことさえし、より邪悪になり、より世俗的になり、より罪深くなり、世俗的な習慣や、娯楽や、時間を無駄にすることや、この世のことにもっと係わり合うようになり、主からどんどん遠く離れるようになっているなら、その人は、すでに霊においてあなたから離れ、また主から離れてしまっていると、私は言おう!
95.ただ同じ屋根の下に住んでいるというだけでは、何一つ意味をなさないのである! もしあなたのメイトが霊的に、また心と思いにおいてあなたを捨てていて、またある場合には肉体においてさえ捨てていて、もはや性的に一つになることに興味さえないなら、そうである。何故なら真の愛、または結び合った心がないなら、肉的に、霊的に、知的に、感情的に、またどんな面においても正しい霊の内で分け合うことは難しいからである。
96.目標と、ゴールと、心と、霊において別れている夫婦は、つり合わないくびきを共にしているのである。そして神の言葉は、 「不信者とつり合わないくびきを共にするな。光と闇と何の交わりがあるか。キリストとベリアルと何の調和があるか」 などと語っている。そして主は、「彼らの間から出て行き、そして汚れたものに触れてはならない!」と言われた!−−そして特にそれが、 あなたの子供たちに影響を与えるのをあなたが見る時はそうである!(Uコリント6:14-17)
97.自分の夫または妻を、どうしても悔い改めさせることができず、夫また妻が変わることを全く拒み、悔い改めることを拒み、向きを変えるか、Uターンするか、すなわちメタノイアという、思いと心の変化を持つことを拒み、告白して悔い改め、主の前に心を正して謙遜になり、主の御心と主の奉仕と主の言葉に譲渡することを拒むなら、あなたたちメイトにとってするべき最善のことは、その関係を終わりにしてしまうことである!
98.ある場合においては、それは結合ではなく、結婚ではなく、明白に神が一緒にさせられたものではない! 夫と妻は一つの肉になるということになっている。その通り、それは真実である。そして神が一緒にさせられたものを誰も引き離してはならない。だが神が、あなたたちを一緒にさせられたのではないことが、かなり明白になり、誰か他の人が、あなたたちを一緒にさせたか、あなたたちが自分たちで自分たち自身を一緒にさせたかして、お互いに完全に合わないなら、その時はその関係を断って、それぞれ自分の道を行く時だ、と私は思う。そしてもしできれば、お互いの間で友好的な話し合いによる妥結をし、もしそうしなくてはならないなら、子供たちさえ分け合うのである。
99.それをすることは、胸の張り裂けるようなことであり、それをすることは、家庭を破壊してしまうことである。それをしなければならないとは、ひどい事である。しかしそのようなひどいケンカや、不和や、口論や、意見の相違、霊の相違、ゴールや願望の相違、子供たちを訓練する方法における相違、主に仕えることや、文書伝道することや、証しすることや、すべてを捨てて畑に行くことなどの願望における相違を、絶え間なく持っていることの方がもっと悪いのである。
100.愛の掟は、裁判の法律に取って代わる。裁判の法律は、もしあなたの妻があなたに対して不忠誠であり、不忠実であるなら、そしてまた多くの理由でも、離婚してよいと語る。しかし愛の掟は、もし彼女が後悔しているなら、彼女を許して再び受け入れ、彼女を愛してやりなさい、と語る。あなたは、彼女を勝ち取るかも知れない。あなたは、自分の愛を通して彼女を勝ち取るかもしれない。
101.もし私たちが、そんなにも正しい人間であって、何の弱さもなかったなら、他の人をあまり多く助けることはできなかったであろう。もし私たちが、そんなにも独善的で、完璧な人間であったなら、私たちは人に同情したり、人を憐れに思ったりすることはなかったであろう。他の人のことを解ってあげることもしなかったであろう。
102.ホモの人や、てんかん持ちの人や、他のハンディーキャップを持った人々に対して批判的な、見下すような態度を取る事に気をつけなさい! あなたたち自身、嫉妬や霊の罪などのようなもっとひどいことで有罪であるかも知れない。我、汝よりも清し、という自己正義の態度自体、哀れな肉体の人間の苦悩や、肉体的な災いや、 苦痛よりもひどい罪である。
103.あなたは、自分に対して誤った行為をした者たちを許さなければならず、また自分が誤った行為をした相手からも許してもらうように願わなければならない。そして彼らの手を取って、愛とフェローシップと幸せで、喜びのあふれた労働と快楽の一つの輪に連れ戻さなくてはならない。
104.あなたは、どうしてあなた自身が慰められたその慰めをもって、他の人を慰めることができないのだろうか? 主があなたに差し延べて下さったその同じ憐れみを、どうして他の人に差し延べることができないのだろうか? どうして少なくとも彼らにチャンスを与えることができないのだろうか?−−自分自身のメイトに、少しの憐れみをかけてやりなさい。
105.時々あなたには、頭を回してくれる首が、また手を助けてくれる心が必要なことがある。
106.あなたが誰であろうとも、もしあなたに愛があるなら、メイトを見つけられるように神は造られたのである!
107.彼にお礼を言うことを、または彼女にお礼を言うことを忘れてはいけない−−感謝の気持ちは、結婚生活においてとても大切なことである! 感謝していることを示しなさい!
108.「愛してるよ!」と言うのを忘れてはいけない。愛の言葉を語り続けなさい。言葉というのは、女性に対して、時には他のどんなものよりも効き目があることがある!−−特にもしあなたが愛と、優しさと、意味と、誠実さとを持って語っているならそうである。
109.基本的な規則は、非常に単純である。それは優先順位に関する、この小さなスローガンに要約されている、 「イエス、他の人、そして最後に自分」 。
110.あなたの妻は、まず第一に神と神の仕事に属していて、一番最後にあなたに属している−−そしてこの仕事において、もしあなたが彼女と少しでも時間を過ごせるなら、あなたは感謝できるのである!
111.この時代、この世代において、霊的な面で妻が夫にまさって優れているというのは、まれなことではない!
112.神の前に立ちはだかってはならない。たとえそれが、あなたの妻の内に働かれている神であっても。そうではないとあなたは、後悔するだろう!
113.ある人々は愛、つまり真の愛と呼ばれるものについて、すっかり忘れてしまっているようである。それはほとんどどんな困難、相違、弱点、欠点、過失、過ち、罪、あるいは障害をも生き延びることのできるものである。
114.真の永続的で、耐久力のある、正真正銘の愛を持つためには、単なる肉的な満足感ではなしに、より永続的な基盤の上に築かれたものでなくてはならない。それは誰か他の人を保護し、助け、そして幸せにしてあげたいという、心に本当に備わっている、非利己的な願望でなければならない。
115.彼は、彼女に対する神の場所を取ろうと努め、彼女は彼がそれをすることを許してきた! 彼女は、彼が彼女に彼を崇拝させることを−−すなわち彼のために、罪をおおい隠し、彼のために嘘をつき、彼のために欺くことを許してきた! それは崇拝の一つの形態であり、主の代わりに彼に従い、私たちの代わりに彼に従い、神の代わりに悪魔に従うことである。彼女は、神を恐れる以上に彼のことを恐れている!−−すなわち彼女は、悪魔に譲渡しているのであり、彼の内にいるサタン自身の前にひれ伏し、ひざまづいて崇拝しているのである!−−つまり悪魔を崇拝し、悪魔に従い、悪魔によって怯えさせられ、サタンによっておじけづかされ、彼の気にさわることを恐れて、何かを語ることも、あるいは何かをすることも怖がっている!−−何とひどいことであろうか!
116.私に関する限りでは、私たちは皆、主とお互いとに対して結婚しているのであるが、大抵の場合、私たちのほとんどは毎晩−−結局最後には−−同じ人と、 つまり特に愛し合っている者と共に眠るのである!
117.どんな人間の軍隊においても、忠誠心は主要な必要条件である−−すなわちそれは、まず何よりもイエスと、イエスのみ仕事と、あなたが仕えている他の人々とに対する忠実さであり、一番最後に、しかしこれもまた重要なのであるが自分のメイトと自分自身に対する忠実さである。
118.ある女性たちは、自分たちの夫の前に主のみ仕事を置くが、もし自分の夫のミニストリーのために働くことが自分の仕事である場合には、これはうまくいかないであろう。そしてあなたが実際にしようと努めていることは、神があなたのために意図されたような連れ合いとなる代わりに、自己に栄光を帰するような、自分自身のミニストリーを求めているということである。
119.その他の女性たちは、時々み仕事の前に自分たちの夫を置いてきた。そしてこれは、どんな人間の軍隊においても許されざるものである。あなたは、自分が何のために軍隊に加わったのかを忘れているのであり、彼のために主婦の務めを果たすことを、最初に置いているのである。これは嘆かわしく、許されざることである!
120.鋭い口調で言い返したり、言い争おうと努めたり、あるいは自分の夫の決断を批判したいという衝動にかられるなら、そうする代わりに、ただ主を信頼して様子を見てはどうだろう?
121.妻が夫に信仰をもち、彼を敬い、また尊敬している限り、夫婦は良い関係をもつことができる。しかし妻が絶えず、すべきことを彼に告げようと努め始め、自分の方がよく知っていると考えるなら、それはその関係を全くだめにしてしまうことがある。
122.支配的な態度と夫に対する信仰の欠如は、その夫を、彼を敬い、彼に信仰を持ち、あるがままの彼を受け入れる備えができており、彼の決断に同意し、彼を喜ばせたいと望む、他の女性とのフェローシップを求めたい気持ちにさせる。支配的な態度と物事を自分がコントロールしたいと望むことは、自分の夫が物事を行う能力に対するあなたの信仰の欠如を示しており、また自分の方がもっと良くできると思っているということを示している。
123.たとえ夫に信仰を持っていないとしても、神は自分の夫を制御することができるのだと知るための十分な信仰を神に対して持っているべきである。あなたの夫とその状況の両方を主が支配しておられるのだという、主を信頼するための信仰があなたには必要である。
124.実に多くの女性が、折れ、降伏するのを妨げているのは、自尊心であるに違いない。つまり彼女は、 降参するのが非常にいやなのである。それはあたかも彼女が自分の夫どころか、主に信頼することもいやがっているようなものである。ある一定の期間の後で、夫に対する信仰と、夫に対する信頼感が次第に薄れていき、自分で物事を動かし、決断を下し、また自分が最善であると思うことを行おうとするのは、ただ女性の本質なのであろう。彼女は、夫に対する尊敬を失い、もはや彼を敬うことをしない。彼女が望むことはただ、彼を制御し、自分が彼にしてもらいたいと望むことを彼がしているように念を押すことだけである。彼を主の御手に委ねる代わりに、彼は彼女自身の手の内の道具となってしまうのであり、そして彼女は自分の思い通りのことを行うために、彼を利用しようとするのである。それは、神の機械類に障害物を投げ込もうと努める悪魔の汚い手の一部である。
125.神の法則は、女性が夫を慕うことである。(創世記3:16) しかし悪魔は、初めからそれを転覆しようと努めてきたのであり、ウーマンリブがその典型的な見本である。彼女らの欲するところは、その夫を喜ばせることではなく、夫を治めることなのである。彼らが望んでいるのは平等ではなく、夫を隷属状態にしてボスとなることなのである。それは神の計画と秩序とに反対する反抗である。
126.自分に対する夫の支配に抵抗するのは、女性が生まれつき持っているものの一部なのであろう。悪魔はそれに逆らいたち、それに反抗し、それを忌み嫌い、そしてそれと戦うように女性を奮い起たせる。賢い女は、その家を建てるが、愚かな女は、自分の手でそれを壊す。(箴言14:1) それは非常に賢く、非常に深いことわざである。女性たちがその意味が何であるかを学ばない、というのはまことに残念である。女性は、主への信頼と信仰との欠如を通して、すなわち、たとえ自分の夫に信仰をもっていないとしても、主に対する信仰をもつことの欠如を通して、自分自身の手と、自分自身の恐れと、自分自身の片意地さによって家を壊してしまう。
127.婚姻関係は普通、愛によって始まるが、その後はしばしば不名誉と不従順とに終わってしまう。その原因は、ただ単に夫に対する信仰と信頼の欠如だけではなく、主に対する信仰と信頼感の欠如であると思う。それは主にあって休むことでも、また神がご自身の道を進んで下さることを信頼していることでもない。あなたの夫が一体何をしようとも、主は彼を止められることなしに、間違った軌道をあまりにも遠くまで進ませられるようなことはないであろう。
128.どんな男性でも、自分の妻が自分に信仰をもってくれることを望んでいる。それは、私たちが主に対して信仰をもつことを望まれる主の願望の一部であるに違いない。何故なら、信仰がなくては神を喜ばせることは不可能だからである。
129.結婚生活に起こり得る最大のダメージを与える事とは、互いに対する信仰を失うことであり、また何よりもひどいのは、神に対する信仰を失うことである。
130.たとえ夫を信頼することができないとしても、少なくとも主を信頼することができる。もしほとんどのクリスチャンの妻たちがそうすることを決心するなら、それは多くの空騒ぎや、不一致や、言い争いを省いてくれるであろう。
131.非常に多くの男性たちが、釣りや、ゴルフや、彼らの妻が参加することのできない、何か他のスポーツに夢中になるのは、妻との絶え間ない口論や騒ぎから逃れることができるからであり、主と二人きりになって、自分だけで思考することができるような、ゴルフコースや海岸や、湖に浮かぶ人気のないボートの平和と静けさが欲しいからだということを私は疑わない。
132.ほとんどの男性はおそらく、女性よりもはるかに多くの自尊心を持っていると思う。それゆえに男性の方が、より過敏であり、批判や、辛辣な言葉によってもっと傷ついてしまうのである。彼らはそれを態度に表したり、口で言ったり、さらには認めたりすることはないかもしれないが、傷はそこにあるのであり、彼らは決してそれから−−すなわち何らかの辛辣な言葉、疑い、あるいは恐れ、あるいは不信や蔑視による心の痛手から−−決して立ち直ることはないかもしれない。一体どれだけ多くの結婚生活が、そういったものによって破壊されてきたであろうか?
133.たとえ、王子であれ、貧困者であれ、公衆の面前で身を低くさせられることに耐えられる者は一人もいない。たとえそれが自分の愛する女性によるものであったとしてもそうである。何故ならそれは、確かに彼女が、彼を愛していないことを示すからである。
134.主は、男の方が妻を信頼し、敬い、また従うようにとは言われなかった。そうではなくて、妻の方が夫を信頼し、敬い、そして従わなければならないと言われたのである。譲渡し、信頼し、愛し、敬い、そして従うのは妻の本分であるが、おそらく女性たちは、それが不公平だと感じているのであろう。特にもし彼女らが、ウーマンリブの支持者であり、片意地で、強情であるならばなおさらである。きっと彼女らは神が自分たちに、男を信頼し、愛し、敬い、従い、そして尊敬することを期待されるのは不公平だと感じているのであろう−−そのような場合、ただ神がそう言われたからというだけで、真に夫を愛し、敬い、従うという気持ちが、実際自分たちの心にはないことを見出すならば、そのような女性は結婚しない方が良いと思う。(テトス2:4-5)
135.より幸福な妻たちは、譲渡し、信仰をもって従う者たちであると私は信じている。たとえ夫を信頼することができないとしても、彼女は少なくとも主を信頼することはできるし、ひっきりなしに、うるさく小言を言わないようにすることはできる。ただがみがみと小言を言いまくる代わりに、ただ信頼し通し、主が何らかの形でそれを解決して下さることを信じたらよいではないか? 結婚生活に関しては信頼し、従う他に何の解決策をも見出せない−−すなわち少なくとも主を信頼し、そして主に従うことである。そして主が夫に従いなさい、と言っておられるのだから、それは自分がそれを好むと好まざるとにかかわらず、主に従っていることなのである。もし主に従うなら、物事は何らかの形でうまくいくようになるということを、あなたはただ主に信頼しなければならない。
136.ただ主に信頼しなさい!−−そうすることによってはるかに多くの平安と休息とがもたらされ、とても多くのむなしい言い争いや、疑い深い論争が避けられる。
137.ホーム内に平和と和合と調和とをもつつもりであるならば、あなたは主に信頼しなければならない。たとえ妻を信頼したり、あるいは夫を信頼したりすることができなくても、少なくとも主を信頼しなさい。そうすれば主は、何らかの方法でそれを解決して下さるであろう。
(No.49,61,123,249,260,314B,332C,338,359,377,
529,531,902,1022,1056,1114,1247,1358,1389,1395も参照。)
138.創世記1:28a 神は彼らを祝福して言われた、 「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。」
139.創世記2:18 また主なる神は言われた、 「人がひとりでいるのはよくない。彼のために助け手を造ってあげよう。」
140.創世記2:24 それで人は、その父と母とを離れて妻と結び合い、一体となるのである。
141.創世記3:17 さらにアダムに言われた、 「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるな、とわたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのために呪われ、あなたは一生、苦しんで地から食べ物を取る。」
142.ルツ1:16,17 あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないで下さい。わたしは、あなたの行かれるところへ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。もし死に別れでなく、わたしがあなたと別れるならば、主よ、どうぞわたしをいくえにも罰して下さい。
143.詩篇128:3 あなたの妻は家のかたわらにいて、多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んで、オリブの若木のようである。
144.箴言5:18,19 あなたの泉に祝福を受けさせ、あなたの若い時の妻を楽しめ。彼女は愛らしい雌鹿、美しい鹿のようだ。いつもその乳房をもって満足し、その愛をもって常に喜べ。
145.箴言15:17 野菜を食べて互いに愛するのは、肥えた牛を食べて互いに憎むのにまさる。
146.箴言18:22 妻を見つける者は良きものを見つける。かつ主の好意を与えられる。
147.箴言19:14 家と富とは先祖から受け継ぐもの。賢い妻は主からたまわるものである。
148.雅歌1:2 どうかあなたの口のくちづけをもって、わたしにくちづけして下さい。あなたの愛はぶどう酒にまさるからです。
149.マルコ10:9 だから神が合わせられたものを、人は離してはならない。
150.Tコリント7:3 夫は妻にその分を果たし、妻も同様に夫にその分を果たすべきである。
151.Tコリント7:5 互いに拒んではいけない。ただし合意の上で断食と祈りに専心するために、しばらくあい別れ、それからまた一緒になることは差しつかえない。そうでないと、自制力のないのに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑するかもしれない。
152.Tコリント7:9 しかしもし自制することができないなら結婚するがよい。情の燃えるよりは結婚する方がよいからである。
153.Tコリント7:14,16,33 何故なら、不信者の夫は妻によって清められており、また不信者の妻も夫によって清められているからである。もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていることになるが、実際は清いではないか。何故なら妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうして分かるか。また夫よ、あなたも妻を救いうるかどうかどうして分かるか。結婚している男子は、この世のことに心を配って、どうかして妻を喜ばせようとする。
154.Tコリント11:3 しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。
155.Tコリント11:9 また男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。
156.Tコリント11:11 ただ主にあっては、 男なしには女はないし、女なしには男はない。
157.エペソ5:22-25 妻たる者よ、主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって、自らは体なる教会の救い主であられるように、夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて夫に仕えるべきである。夫たる者よ、キリストが教会を愛して、そのために御自身を捧げられたように、妻を愛しなさい。
158.エペソ5:28,29 それと同じく、夫も自分の妻を自分の体のように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は自分自身を愛するのである。自分自身を憎んだ者は未だかつてひとりもいない。かえってキリストが教会になさったようにして、おのれを育て、養うのが常である。
159.エペソ5:31-33 「それゆえに、 人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである。」 この奥義は大きい。それはキリストと教会とをさしている。いずれにしてもあなたがたは、それぞれ自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。
160.コロサイ3:18,19 妻たる者よ、夫に仕えなさい。それが主にあってふさわしいことである。夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらく当たってはいけない。
161.Tテモテ3:11 妻も‥‥すべてのことに忠実でなければならない。
162.Tテモテ5:8 もしある人がその親族を、ことに自分の家族を顧みない場合には、その信仰を捨てたことになるのであって不信者以上に悪い。
163.Tテモテ5:14 そういうわけだから、若い女は、結婚して子を生み、家を治め、そして反対者にそしられるすきを作らないようにしてほしい。
164.テトス2:4,5 そうすれば彼女たちは、若い女たちに謹言になり、夫を愛し、子供を愛し、慎み深く、純潔で、家事につとめ、 善良で、自分の夫に従順であるように教えることになり、したがって神の言がそしりを受けないようになるであろう。
165.ヘブル13:4a 結婚はすべてのことにおいて重んじられるべきである。また寝床は汚してはならない。
166.Tペテロ3:7a 夫たる者よ、あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、 知識にしたがって妻と共に住み、尊びなさい。