46.イエス

 

イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない。(ヘブル13:8)

 

 1.イエスは、神の霊的な愛の究極である!

 2.イエスは、決して涸れることがない! イエスは、永遠に流れ続ける泉である!

 3.イエスは、神がどのような方であるかを私たちに示すための、神の絵像のようなものである!

 4.神は、ご自身がどんな方であるかを私たちに示すために、ひとりの方をお造りにならねばならなかった−−すなわち、貧しい人々やさいなまれた人々に対して、愛と憐れみと、思いやりをもっておられる方を−−謙遜で、しかも革命家であり、変えるべき物事を変えられたのだった!

 5.イエスは、革命家であって、改革者ではなかった!

 6.ある意味ではイエスは神である。神の一部であり、三位一体の一部、あるいは神の同一性であることの一部であり、私たちが一つのファミリーであるのと同じであり、夫と妻が一つであるけれども異なった個人であるのと同じである。

 7.ある意味ではイエスは、神の顔であり、神の現れである。私たちが神を見る唯一の方法は、イエスを見ることによってである。

 8.「わたしが上げられるならば、わたしはすべての者をわたしに引き寄せるであろう!」 と言われたイエスを上げよ。

 9.イエスは私たちのメッセージである。もし彼らがイエスを欲しくないなら、彼らは私たちを欲しくないのである。彼らは、イエスを持たずに、私たちを持つことはできない。

 10.道がなければ、行くことはない。

真理がなければ、知ることはない。

命がなければ、生きることはない。

キリストがなければ、与えることはない。

 11.神は、すべての人々やご自身の敵さえも愛された、神の御子キリスト・イエスの中に描かれている。イエスは、一生の間、良い事を成し、他の人々を助けようとして精を出されたのであり、結局最後にはイエスの愛の危険な教義のために、彼を十字架にかけた律法学者やパリサイ人たちでさえも、時には助けたのだった!

 12.イエスは、全ての恋人の中の恋人であり、愛のために来て、愛の内に生き、愛のために死んだのである。それは私たちが永遠に生き、愛するためなのである!

 13.神は、海の水面下の深い所にある、

大きな氷山のようである。

そして、イエスはその頂上であり、

私たちに見えるその表面なのである。

 14.神に語りかけるのは、ほとんど図々しいくらいであり、イエスが私の仲保者なのである。

 15.疲れた者たちの休息、悲しい者たちの喜び、

わびしい者たちの望み、嬉しい者たちの光、

寄留者たちの家、最後までやり抜くための力、

危険からの避け場、救い主、そして友人!

 16.イエスは、何よりも、神の御言葉であられた!

 17.イエスは、あなたの一切の必要を満たし、あなたのすべての問題を解決して下さる! 彼は全くそんなにも素晴しく、答えは全くそんなにも簡単である!

 18.あなたは、神について話したいと思うだけ話す事ができるが、あなたがイエスと言うまで、それは全く効果がないのである!

 19.私たちが、孤独な人々に、彼らの孤独さを和らげる、かの愛をもたらすのを助けて下さい!

 20.イエスは、巨大な宇宙を支配する程大きく、しかも私の心の中に住まわれる程小さいのである。

 21.イエスは、悪しき者、かの検察官、聖徒たちを非難する者、すなわちサタン自身の放つ火の矢から、裁判官であられる神の御前で、私たちを擁護して下さる私たちの弁護士である。

 22.私たちは、勝利者を選んだのであり、負ける事はあり得ない!−−すなわち、キリスト・イエスである!

 23.イエスは人間であられた。彼は疲れたり、おなかが空いたり、眠くなったり、へとへとになったり、あなたと私に起きるすべての事を経験されたのだった。彼は、私たちがそうであるのと同じくらいに、これらすべての事柄を免れない方であったが、しかも罪は犯されなかった。彼は、私たちと同じようなすべての事について誘惑を受けたが、しかも罪は犯されなかったのである。−−それは、彼が良い大祭司となられ、あなたに憐れみを持ち、あなたがどのように感じるかを知り、あなたが足を傷めたり、へとへとになったりする時の事を知り、あなたがもうこれ以上耐えられなくなった時のことを理解するためである。

 24.イエスは、生きた言葉、すなわち説教であられただけでなく、彼はまた、生きた業、すなわち手本でもあられた。

 25.“The Parable"( 「たとえばなし」 という無声映画) の中の道化師のように、まさに神の御子であり、天国の王であるイエスは、おかしな人間の肉を着て、人間の社会や習慣という化粧をしていた。道化師の衣装を着たあの男の人よりももっとおかしな、人間の肉を身につけた神の御子は、歩き回って人々を勇気づけ、彼らに永遠の平和と幸福をもたらすことができるように、天国の館から降りてきて、この世のサーカスに加わって下さったのである。

 26.イエスご自身、一時的に、彼の天国における市民権を断念されて、この世の市民になられたのだった。そして、富んでいられたにもかかわらず、彼の乏しさを通して、私たちが富むように、私たちのために貧しくなられたのだった。彼は、ご自身を私たちのからだの形に順応させられただけではなく、人間の生活様式や習慣や言語や衣服や暮らしにも順応されたのであり、それは、私たちをもっとよく理解し、愛するためであり、また彼の愛で私たちに手を伸ばし、彼の憐れみと思いやりを私たちに証明し、彼のメッセージを私たちが簡単な子供のような表現法で理解するのを助けるために、私たち自身の人間の理解の低いレベルで私たちと交信できるようにである。

 27.イエスは、己を空しうして、酔っ払いや売春婦や取税人や罪人たちの仲間で、嘘つき、冒涜者、大食家、大酒飲み、 悪霊に取りつかれた者と呼ばれたのだった!

 28.空虚な風や悪魔の嘘などくそっくらえ! 悪魔は勝つことができない。悪魔はすでに、十字架上のキリスト、墓からよみがえられたキリストによって、打ち負かされているのである! イエスは、すべてに対する勝利者である!−−死、地獄、墓、邪悪なもののすべての空虚な風の嘘のすべてに対して!

 29.あなたが清くなれるように、イエスは汚れなければならなかった。

 30.唯一の希望はイエスであり、唯一の出口は上である!

 31.あなたの目をイエスに向けよ、

主の素晴しいみ顔を直視せよ、

そうすれば、主の栄光と恵みの光によって、

地上のものは不思議にもかすんで見えるようになる!

 32.私は、この猛烈な嵐を今でも静めることのできる

   名を知っている。

私は、荒れ狂う海を静めることのできる

   名を知っている。

私は、すべての悲しみを追い出すことのできる

   名を知っている。

私は、彼らのすべてにまさって大いなる

   名を知っている。

他の者たちが敗れ、苦悩の涙が流れ落ちる時に、

私が、慰めを借りることのできる、

   名を知っている!

 コーラス:

私は、名を知っている、素晴しい名を!

その素晴しい名前はイエス!

  (No.6,20,29,35,71,113,126,306,307,317B,

345,397,527,560,564,566,583,584,590,

592,594,595,605,631,633,638,641,647,

648,686,699,708,714,735,772,781,882,

1120,1305,1328,1348,1360,1371,1390,1509,1515も参照。)

 

 

 33.イザヤ9:6 ひとりの幼な子がわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は 「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」 と唱えられる。

 34.イザヤ11:1-5 エッサイの株からひとつの芽が出、その芽からひとつの若枝がはえる。そしてその上に、主の御霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、勧めと大能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊とであって、彼は主を恐れることをすみやかに悟る。彼はその目のみるところによって裁きをなさず、その耳の聞くところによって定めをなさず、正義をもって貧しい者を裁き、公平をもって地の柔和な者のために定めをなし、その口の杖をもって地を撃ち、その唇の息をもって悪しき者を殺す。正義はその腰の帯となり、忠実さはその統治の帯となる。

 35.イザヤ53:2-4 彼は主の前に若木のように、乾いた土から出る芽のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼はあなどられて、人に捨てられ、悲しみの人で深い悩みを知っていた。また顔をおおって忌み嫌われる者のように彼はあなどられた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼は、われわれの深い悩みを負い、われわれの悲しみをになった。しかるにわれわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ。災いを受けたのだと。

 36.マタイ28:18 イエスは彼らに近づいて来て言われた、 「わたしは天においても、 地においても、 いっさいの権威を授けられた。」

 37.ルカ19:10 人の子が来たのは、失われた者を尋ね出して救うためである。

 38.ヨハネ1:1-14 はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、はじめに神と共にあった。すべてのものはこの方によってできた。できたものの内、ひとつとしてこの方によらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は、人の光であった。光は、闇の中に輝いている。そして闇はこれを悟らなかった。ここにひとりの人があって神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。この人は証しのために来た。光について証しをし、彼によってすべての人が信じるためである。彼は光ではなく、ただ光について証しをするために来たのである。それは真の光であって、この世に来るすべの人を照らしている。彼は世にいた。そして世は彼によって出来たのであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところに来たのに、自分の民は彼を受け入れなかった。しかし彼を受け入れた者、すなわちその名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は血すじによらず、肉の欲によらず、また人の欲にもよらず、ただ神によって生まれたのである。そして言は肉体となり、わたしたちの内に宿った。 (わたしたちはその栄光を見た。それは、父のひとり子としての栄光であって) 恵みとまこととに満ちていた。

 39.ヨハネ1:29 見よ、世の罪を取り除く、神の小羊。

 40.ヨハネ5:20a 父は‥‥すべてのことを子にお示しになる。

 41.ヨハネ6:35 イエスは彼らに言われた、 「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

 42.ヨハネ8:12 イエスは、また人々に語ってこう言われた、 「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、闇の中を歩くことがなく、命の光を持つであろう。」

 43.ヨハネ10:9 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。

 44.ヨハネ10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。

 45.ヨハネ13:3a 父はすべての者をイエスの手にお与えになった。

 46.ヘブル2:17,18 そこでイエスは、神のみ前に憐れみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである。 47.ヘブル4:14,15 さて、わたしたちには、もろもろの天を通っていかれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰を固く守ろうではないか。この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないような方ではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試練にあわれたのである。

 48.Tヨハネ3:5 あなたがたの知っているとおり、彼はわたしたちの罪を取り除くために現れたのであって、彼には何らの罪がない。

  (イザヤ53章、イザヤ54章も参照。)