45.嫉 妬
ねたみは墓のように残酷だからです。そのきらめきは、火のきらめき、最も激しい炎です。(雅歌8:6)
1.嫉妬とは利己心とプライドであり、謙遜の欠如、恐れと、信仰の欠如である!
2.嫉妬とは、本当は不平とつぶやきの霊であり、それはプライドから生まれるものである。あなたは、自分がもっと良く扱われるべきだと感じるから不平を言うのである。
3.嫉妬は他人に向けて発射され、自分自身を傷付ける。
4.嫉妬には、愛よりももっと多くの自己愛がある。
5.疑念は、正しいよりも間違っている傾向の方がはるかにずっと大きく、公正であるよりは不正である時の方が多い。それは徳に相反するものであって、常に幸福の敵である。
6.持っているものを喜んで分け合おうとしない人々に関して、主がしばしばそれを完全に取り去られ、多くの場合それを、彼らが喜んで分け合おうとしなかった相手に与えられるのはよくあることである。
7.あなたは、父の地所の中のあなたの場所において問題を抱えているか? 邪悪な魔法使いが、あなたの庭に嫉妬や争いの邪悪な種を蒔いてしまったのか?−−それらは、不満、不和、反感、敵対の、苦々しく、がみがみ言ったり、苦しめたり、息を詰まらせるような雑草に成長しつつあるのか?
8.嫉妬は、私たちの友人の心において私たちを小さくさせ、私たちの戦いの相手の目に弱くさせ、私たちの敵の手にあって無防備の状態にさせる。
9.嫉妬においては、もし悪魔があなたに何か心配させたり、怪しませ始めることさえできれば、その時には、起こるすべての事が、それ自体の小さな意味を持つ。それはその意味を持つように意図されたり、決してその意味があったわけではないのだが、悪魔がそれを強調し、誇張するのである!
10.他人のろうそくを吹き消しても、それは、あなたのろうそくをもっと輝かせることにはならなない。
11.愛が主要な徳であるならば、憎悪や利己心や嫉妬は、確かに主要な罪であるに違いない!
12.ねたみと恐れとプライドのために、神があなたに与えて下さるすべてのものを捨て去るとは、何と愚かであろうか!
13.「求める者には与え、借りようとする者を断るな。」
14.あなたに必要がある時に、神がそれほどにも憐れみ深くあなたに与えて下さったのに、どうして他の人々に必要がある時に、彼らの必要をも満たすという神の権利に挑戦できるのか?
15.嫉妬は、あなたが嫉妬している相手に対する憎しみに変わる。
16.嫉妬の苦痛は、利己心の苦痛に似ている。それを直視しよう。嫉妬は利己心なのである!
17.まさに、美しさは、珍しい貴重な宝石のようにあなたのものであるが、あなたはその美しさを、自分だけで楽しむためにとっておくのか? 美しさは、その燦然(さんぜん)とした輝きを、あなたが他の者たちと分け合い、それが輝いてすべての者が見るようにあなたが高々とそれを掲げ、覆い隠したり、自分のためだけにとっておいたりしない時にのみ、燦然と輝くのである! しかし、あなたは、その燦然とした輝きがすべての人の前に輝くように、あなたの手を高く上げるのを助けてもらわなければならない。おお、イエスよ! 願わくは、あなたの愛と、あなたが多くの者たちのために捨てたあなたの命を現して下さい! 何故なら、差し控える者は、かえって貧しくなるが、施し散らす者は、なお富を増すからです。
18.わたしがダビデに与えた、確かな恵みを妨げることのないように、そして、彼の許しの愛の泉を押さえようとすることのないように気をつけなさい!
19.それでも、もしあなたが分け合おうとせず、あなたの持ち物を分け合わず、くものように、あなたのために、この巣を張るのを助けるあなたのメイトを食い尽くすなら、彼の張るくもの巣のこれらの同じ糸が、あなた自身の心をわなにかけることだろう。
20.私が、私の知恵によって張るこのくもの巣は、多くの人を捕らえるであろう。それ故、利己的になってはいけない。私が彼ら全員のために張るくもの巣には、多くの者のための場所があるからである。
21.あなたが、あなた自身の愛にからまって、もはや巣を作ることができず、もはや走って行って、私が他の者たちのために定めた場所に於いて、彼らの心に糸を一本一本かけることができないようになり、多くの心を捕らえるために私が作ったあなた自身の巣にかかってしまうことのないように気をつけなさい。
22.利己的で、プライドが高く、嫉妬深くなってしまった者たちがいる。自分たちの独占的な権利を強く要求することによって、喜んで分け合おうとしなかったために、彼らは全てを失ってしまったのだった。 23.あなたは、彼を欲しくないばかりか、他の誰かが彼を得ることもいやなくらい利己的で意地悪な人になり得るのである。−−そしてあなたはすべてのものを失うのである!
24.愚かで、利己的で、嫉妬深い人々!−−あなたは彼らが何をする気があるのか知っているか? 彼らは、自分が愛している振りをしているものを、ただ他の者たちから離しておくためだけに、殺すことさえ厭わないのである! 彼らは、誰か他の人にそれを持たせるよりも、それが死ぬのを見る方を選ぶのである!
25.彼らは、それを分け合うよりはむしろ殺す方をえらぶ!−−それが利己主義の究極である!
26.高慢で、利己的で、嫉妬深い人々は、むしろ分け合うよりは殺す! 彼らは、他の誰かにそれをもたせるよりは、むしろそれを殺すのである−−それは彼らが、本当にはそれを愛していないことを示している! 彼らは実際には自分自身を愛しているに過ぎないのである! それは、高慢で利己的な嫉妬の究極である!
27.長い目で見ると、嫉妬によって、あなたは自分の競争相手を殺すことはなく、あなたが愛していると言う者を殺してしまうのである!あなたは、あなたに対する彼の愛、あなたに対する彼の信仰、さらには彼自身に対する彼の信仰まで殺してしまうかも知れない!
28.利己主義は、狂気の主要な症状の一つである! 事実、利己主義は、本当は狂気である。狂人たちはめったに他人の事を考えないものであり、彼らは大抵の場合自分自身のことだけを考えており、他の人々がどうなっても気にならないのである。狂気さとはほとんど完全な利己主義と自己本位である。
29. 「持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っていると思うものまでも取り上げられるであろう。」
30.「差し控えてはならない。そうでないと、あなたは貧しくなる。むしろ施し散らすようにしなさい。そうすれば、あなたに対する彼の愛は増すであろう。」
31. 「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。押し入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに! そして、わたしがあなたに与えている満ち満ちているものの中から、あなたは多くの者たちに与えるであろう。むさぼることも、恐れることもしてはならない。」
32. 「与えよ。そうすれば自分にも与えられるであろう。施し散らせ。そうすればあなたは集めるようになる。分け合いなさい。そうすれば、あなたに増し加えられるであろう。」
33. 「わたしは与える者であって、差し控えることはしないからである。あなたもわたしのようになりなさい。わたしは限りなく与え、差し控えることはしないからである。」
34. 「それ故、分け合い、与え、施し、多くの者たちに広く蒔き散らしなさい。そうすれば、あなたは栄えるようになる。持っている人は与えられるからである! だから、差し控える人からは、持っていると思うものまでも取り上げられるであろう。あなたが、与えれば与えるほど、ますますあなたにも与えられるであろう。」
35. 「飢え渇く彼女に与えよ。あなたが自分の持っているものを持ち続けることができるようにである! あなたの富から、貧しい彼女に少し与え、あなたの豊かさと裕福から、飢え渇く彼女に分け与えよ。」
36.あなたが嫉妬深い時、あなたは、誰かがあなたよりももう少し多く持つようになり、あなたの分け前を少し取るのではないかとひどく恐れるのである。あなたは、何かの理由で、彼または彼女が誰か他の人にもっと愛着するようになり、あなたが、自分の分を受けたり、しがみついていたり、所有できなくなるだろうと本当に恐れるのである。それは全く、私的な所有権に対する、非常に利己的、自己中心の、高慢な、嫉妬深い願望である。
37.もし神があなたがたを一緒にされたのであれば、神が合わせられたものを人は離してはならない。神が一緒にされたものを、どうして人が離れさせることができるのか、私には分からない。もし神が、あなたがたを一緒にされたのであれば、何ものもあなたがたを別れさせることはないだろう。そして、何かが、あるいは誰かが、 「ああ、これはあなたたちを別れさせてしまうだろう。これはあなたから、彼女を取り去り、あなたは彼女を失うようになるだろう。彼女はあなたよりも他の誰かをもっと愛していて、彼と一緒にもっと多くの時を過ごし、あなたとよりも、彼と愛の営みをする方をもっと楽しんでいるんだ」 とあなたに言う時、これらの全ては全く完全な悪魔の嘘なのである!
38.一方では、ある点まではいつも、分け合うことを宣べ伝えたり、実行したりしているのに、私たちには完全な所有権や完全に利己的な独占権があり、自分たちは分け合う必要がないといったような考えを捨て去る必要がある。
39.「あなたは利己的にならず、分け合わねばならない。施し散らす人は富を増し、差し控える者は貧しくなる。」
40.あなたが与えるものに対して、あなたには力がある。
41.たとえそれがほんの少しであれ、あなたは自分の持っているものに感謝すべきである。時々、分け合わねばならないことに感謝しなさい。あなたに時々分け合える何かがあることに感謝しなさい。人々が、ビリー・グラハム夫人に、 「あなたはどうして、ほとんど一緒にいない男性と結婚していることに耐えられるのですか?」 と尋ねた時に、彼女が言ったようにである。彼女はこう言ったのだった、 「私は、誰か他の男性とたくさん時を過ごすよりは、むしろ少しでもビリー・グラハムと一緒にいる方がいいわ。」
42.お互いを、主と主のお仕事と、他の人々に分け合うこととなれば、結婚は全く何の違いも生じさせない。私たちの生活全体が、分け合うことである。私たちの全ファミリーの法則全体は、私たちが分け合うことである。
43.あなたがある人を崇拝する時、それはすべての中で最悪の偶像崇拝である。神は、あなたが自分の妻を偶像にすることには、我慢ならない!−−自分の妻を神以上に愛することは、霊的な罪であり、邪悪、偶像崇拝、姦淫、霊的な密通である! 霊的な姦淫は、世界で最悪のことであり、それは肉体的な姦淫を引き起こす。何故なら、あなたは彼女自身の夫である神から、彼女を不法に差し控えているからである。姦淫とは、何でも合法的でない、不法な、愛情のない結婚関係の事である。しかし、如何なる関係でも、純粋に神の愛と他の人々に対する愛によって動機づけられている場合には、これに反する律法は全くなく、それはとうてい姦淫にはなり得ない。愛の律法は、あらゆる律法を超越した究極のもの−−イエス・キリストの律法なのである。イエスは誰なのか?彼は花婿である。あなたの妻は誰なのか? 彼女はイエスの妻である。ではどうして主は、あなたが彼女と共にいることを許して下さっているのか? 何故主は、ご自身の妻をあなたと共におらせて下さっているのか? 何故なら、主はあなたを愛し、あなたに憐れみを持って下さったので、あなたに主の花嫁である、ご自身の妻を貸して下さったのである!
44.もしあなたが、自分の妻があなたに対して罪を犯したが、とんでもない、自分は決して罪を犯したことがないので、彼女よりも自分の方が神聖であると考えるが故に、彼女を許さないほど実に呪われるべき、独善的、ひとりよがりの、偽善的な状態になるなら、その時あなたはすべての中で最大の罪人なのである! 独善主義は、罪の中で最も大きな罪だからである!−−それは唯一の許されない罪である!
(No.227,287,290,507,511,512,514,572,
575,603,727,984,1295,1378,1395も参照。)
45.箴言6:34,35 ねたみは、人を激しく怒らせるゆえ、恨みをはらす時、容赦することはない。彼はどのようなつぐないをも顧みず、多くの贈り物をしても和らがない。
46.箴言14:30 穏やかな心は身の命である。しかしねたみは骨を腐らせる。
47.箴言27:4 憤りはむごく、怒りははなはだしい。しかしねたみの前には誰が立ち得よう。
48.雅歌8:6 わたしをあなたの心に置いて印のようにし、あなたの腕に置いて印のようにしてください。愛は死のように強く、ねたみは墓のように残酷だからです。そのきらめきは、火のきらめき、もっとも激しい炎です。
49.マルコ15:10 それは祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためであることがピラトにわかっていたからである。
50.ガラテヤ5:26 互いにいどみ合い、互いにねたみ合って虚栄に生きてはならない。
51.ヤコブ3:16 ねたみと不和のあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。