43.謙遜/自尊心

 

神は高ぶる者を退け、へり下る者に恵みを賜う。(ヤコブ4:6)

 

 1.自尊心と謙遜、呪われた宗教家と救われた罪人との間の大論戦は、カインとアベルとで始まり、それ以来ずっと、偽りの教会と真の教会、淫婦と花嫁、肉欲的なバビロンと霊的なエルサレム、肉と霊、行いと信仰、律法と恵み、自分自身と神、との間の不断の戦いが行われてきた。

 2.真に偉大な人とは、大抵非常に謙遜な人である。そして彼らは、自分たちが如何に偉大であるかを自慢する必要はない!

 3.自分の過失について語る時、あなたは自分自身に栄光を帰している!

 4.偉大な人は、自分自身の事を忘れる。彼らが、他の人々によって覚えられるのは、そのためである。

 5.ただ砕きだけが謙遜を与えることができる。

 6.自分が間違っているということを悟ることができるなら、それは素晴しいことである!

 7.独善的な偽善者は、過ちの責任を決して、自分に帰することをしない。

 8.あなたは、謙遜になることを望むが、屈辱を受けて謙遜にされることは望まない。

 9.自尊心とは、自分自身に対する愛である。

 10.自尊心の中でも、最悪の類のものの一つとは、信仰を持っていないのに、持っているふりをすることである。

 11.高慢で利己的な人々は、悪魔に対して全く無防備である!

 12.全ての大きな間違いの根源には自尊心がある。

 13.人間の最大の誇りは、その建物−− 「その手の業」 にある。そしてそれは常に、人間の没落となってきた。

 14.名声は変わりやすく、勝利はただつかの間である。

 15.もし自分に、処理することのできる以上のものを与えられるなら、誰でも信者となって間もない者のようになってしまうことがある。もし何かの仕事が、あなたを高慢にするなら、あなたは信者となって間もない者と同じである。

 16.繊細さは、自尊心から生まれたものであり、自尊心とは、悪魔からのものである!

 17.主が一度、人を謙遜にさせられたなら、主は絶えずその人を謙遜にし続けなければならない−−どうしても謙遜に保たなければならないのである。

 18.もし愛が必要であるなら、そう言いなさい!

 19.あなたがあまりにも高慢になり、誰かから提案、あるいは矯正を与えてもらうことに耐えられないほど賢くなるなら、それはかなり悪い状態である!

 20.自尊心とは、実際私たちの誰一人として、耐えることのできないものである。自尊心は人を殺す!

 21.高ぶりは転落に先立つ。そして崖っぷちに立っている時ほど、底知れぬ深いところに近付いていることはない!

 22.謙遜な人は、自分が謙遜であることを知らない!

 23.もし自分が謙遜であると思うなら、おそらく謙遜ではないのだろう!

 24.愛、謙遜、そして祈りは、すべての問題を解決する!

 25.神は、人を謙遜にするために幾つかのことをなされ、人を謙遜にたもつために他のことをなされ、なお謙遜であることを確かめるために、さらにその他のことをされる。

 26.セックス、愛、そして情緒は人を謙遜にさせる。一方、知性と知識とは、高ぶりをもたらす。

 27.自分の罪を告白する必要があるのは、一つには、それが自分を謙遜に保つ上で、本当に助けとなるからである。

 28.最大の聖徒とは、自分が罪人であることを知っており、それ故に、全面的に神に依存した最大の罪人であった。

 29.誰がその功績を受けるかを気にしないなら、非常に多くのことが成し遂げられる。

 30.自分が知らないと言うことを、学ぶのが早ければ早いほど、あなたの状態はより良いものとなる。ただ神だけが答えを知っているからである。

 31.あなたに関して何か良い事があるなら、その全ての栄光を神に帰し、何か悪いことがあるなら、その全ての責任を自分で受けなさい!それは普通、かなり良いルールである。大抵はその通りだからである!

 32.これは戦争である! 私たちには感じやすさ、つまり自分たちの傷や傷ついた感情の治療に勤めるための時間はほとんどない! 私たちは戦い続けなければならない!

 33.他ならぬ、あなたが戦っているそのものは、あなたの身を低くさせ、あなたを砕く為に、神が用いたいと望んでおられるものである。

 34.謙遜は主からのものである。自尊心は悪魔からのものである。

 35.前部座席に座っているべきなのに、後部座席にすわるのは謙遜なことではない。

 36.愛は謙虚さであり、謙虚さは愛である。両者は、全く切り離せないものである。

 37.喧嘩を締めくくる言葉を言うための最善の方法は、謝罪することである。

 38.偉人とは、謙遜な人のことである。

 39.私をこのような者にして下さい。

疲れている時に、もう少し快活になり、

自分のことを思う代わりに、

もう少し他の人の事を思いやれる者に。

 40.謙虚さとは奇妙なものである。それを手に入れたと思う時には、もう、失ってしまっている。

 41.自信が少なくなればなるほど、キリスト信が益々増えるようになり、あなたの状態ももっと良いものとなる。

 42.体で愛を示し、また受けるには、謙遜が必要である。

 43.過誤を認めることは、弱点を告白することではなく、むしろ、強さの現れである。

 44.他の人々の中に、何であれ、笑いたいと思うものがある場合には、自分自身の内にあるものを笑いなさい。

 45.善良な人は、自分が間違っていたということを、躊躇しないで認める。彼は、自分が昨日よりも、今日の方が賢いということを知って慰めを受ける。

 46.自尊心からくる、失敗や拒絶への恐れは、しばしば、私たちが最初の行動をとることを妨げる。

 47.何かをするように頼まれ、かくして、その功績を、誰か他の人の信仰と共に分け合わなければならないよりは、ほとんどの人々は、良い行いに対する、全ての功績を自分で受け取ることができるように、むしろその行いが全て自分自身のアイディアであることを望んでいるようである。

 48.道を尋ねることは、道に迷うことに勝る。

 49.「高ぶりだけが争いを生じさせる。勧告を聞く者は知恵がある」 (箴言13:10)

 50.人が二人いなければ、喧嘩にはならない。

 51.神の前での謙虚さも、人の前での謙虚さにおいて証明されないなら、それは何にもならない。

 52.批評されることを拒んではならない!−−受けることのできるあらゆる助けを受けなさい!

 53.愚かな質問を尋ねることを心配してはならない。愚かな質問の方が、愚かな過ちよりも対処しやすいからである。

 54.謙遜であれ、そうでないとつまづくであろう。

 55.助けや祈りが必要な場合には、決してそれを求めることを恥じてはならない。

 56.自分自身のエゴを、あまりにもたくさん持っている大物は、聖霊をたっぷり持っている、何処かの取るに足らない者たちほど、物事をうまくやることはできない!

 57.魅力や栄光に対する欲求は、麻薬と同じくらい悪い中毒である。

 58.自己に対する死、罪への死、自分自身のアイディアに対する死、自分自身の力に対する死、自分の名声に対する死、自分の自尊心に対する死−−それらを味わうことは困難ではあるが、それだけの価値はある。何故ならそれによって、キリストの命が生じるからである。

 59.私は自分の罪を告白する必要がある。そうすることは、私が謙遜でいるのを本当に助けてくれるからである!

 60.ただ自尊心だけが痛みを感じる!−−謙虚さは、実際それを感じることはない!

 61.人は、自分に栄光を帰し始める途端にだめになる。

 62.事実上全ての罪の基盤には自尊心がある!

 63.この世で最も偉大なる人とは、最も謙遜な人である。

 64.自分の過ちを告白せよ。決して弁護してはならない。

 65.自分自身でいっぱいの人は、とても中身に欠けている。

 66.真に謙遜な者は、真に愛情深く、真に愛情深い者は、真に謙遜である。

 67.自分が、十分な経験や知識を持っていないかもしれず、もっと良い準備や、もっと徹底した調査が必要とされるプロジェクトの幾つかを、あまりにも過信してはいけない。

 68.権威、繁栄、あるいは人気を受けて、しかも堕落しないでいることのできる人は、ごく僅かしかいないようである。

 69.謙虚さには全き休息がある。何故なら謙虚さには、愛と信仰があり、それには恐れがないからである。

 70.神が用いることのできる者は、ただ真に心の砕けた男女だけである!

 71.もし全ての栄光を主に与えるならば、成し遂げることのできるものには際限がない。

 72.高ぶりは滅びに先立ち、誇る心は倒れに先立つ。箴言16:18

 73.自分の口をもって、自らを誉めることなく、他人に誉めさせよ。自分の唇をもってせず、他の人にあなたを誉めさせよ。箴言27:2

 74.人の高ぶりはその人を低くし、心にへり下る者は誉れを得る。箴言29:23

  75.私はこれまでに、数々の過ちを犯してきたが、一度も過ちを犯したことがないと、断言するような過ちは一度も犯したことがない。

 76.成功は多くの者を失敗者としてきた。

 77.偉大な先祖を持つことは、まことに望ましいことであるが、その栄光は私たちの先祖のものである。

 78.時折、自分の自尊心を飲み込んでも (自分の身を低くすることの意) 、それによって消化不良を起こすことは決してない。

 79.水が最も低い場所を求めるように、神の栄光と力とは、最も謙遜で、最も心のへり下った人に流れ込む! 神の御国においては、これこそが真の高潔さである!

 80.ほとんどの場合、口論はそこに二人の人がいるということを証明するだけである。

 81.争いは、ただ辛辣な買い言葉によって始まる。

 82.あなたに何もなければないほど、光はもっとあなたを通り抜ける!

 83.自尊心は無知によって増し加わる:  物事を最も知っていると思い上がっている者は、最も知らない。

 84.最初に自分自身を笑う者は、他の人から笑われない。

 85.自尊心は、全ての悪の始まりであった!

 86.自尊心は悪魔の霊である!−−愛は神の霊である!−−そしてその両者を持つことはできない。

 87.もしあなたが、批判に耐えることができるほど、十分に大きくないのであれば、賛美を受けるにも小さ過ぎる。

 88.あなたに学ぶことのできる、最も賢い答え方の一つとは、 「私は知らない!」 と言うことである。

 89.立ち止まって、主をほめたたえ、また主がいて下さらなければ、何一つできず、あるいは何一つ成し遂げることのできない、自分自身の弱点や滑稽な無能さを大笑いしなさい!

 90.謙遜さと愛とは、同義語である。真の愛を持っているのに、謙遜でないということはあり得ない。

 91.ただ戦争ばかりでなく、ハイウェイ上の殺戮、疫病、及び事故も、自尊心、利己主義、及び愛の欠如によって引き起こされる。

 92.もし兄弟が簡単に気を害してしまうなら、それは彼があまり強くなく、かなり霊的でないことを示している。

 93.主が用いられる人々とは、ただ謙遜にされ、砕かれ、溶かされ、新しく造り直された人々だけである!

 94.悪魔のお気に入りの罪の一つとは、自尊心である。何故なら、自尊心があると人々は、包み隠すことを望み、告白することを望まないからである。人々の方から助けを求めてこない限り、一体どのようにして彼らを助けてあげられるのか?

 95.自分がいなければやっていくことは不可能だと考える者と、一緒にやっていくことは不可能である。

 96.自分が間違っていたことを告白するのは、た易くはないが、間違った立場を擁護しようと努めて、間違ったままでいるよりは、はるかにた易い!

 97.自尊心のためなら、人々は死ぬことを惜しまない!−−金銭、あるいは権力、あるいは領土のために死ぬよりも早く!

 98.自殺の多くは、自尊心の結果である−−人々はどうしても、それを直視することができないのである−−そして戦争は自殺である!

 99.自殺は、自尊心の結果である。人々にはどうしてもそれを直視し、そのスキャンダル、屈辱、及び降格に耐えることができない。

 100.利己主義とは自尊心である。利己的な人は、自分の方が他の人々よりも多くのものを受けるに値していると信じているので、分け合うことを好まない。

 101.自尊心に休息はない。高慢な者は常に恐れている。

 102.私はこれまでに、自尊心が少しでも引き合う、主の御仕事の部門を、一つも見付けたことはない! 自尊心は引き合わない。そしてそれは勘定を支払ってはくれない。私たちには、主の御仕事に対する援助を求めるための、ありとあらゆる理由がある。

 103.力の欠如は、自尊心から生じる恐れ、成功しないことへの恐れ、当惑させられてしまうことへの恐れ、恥をかかされてしまうことへの恐れの結果である。そのような恐れは常に、自尊心の結果として生じる。何故なら、高慢な者は失敗することを恐れるからである。金持ちと有力者とは、この世で最も恐れている人々である。

 104.律法尊重主義と独善主義とは、自尊心の現れである。

 105.もし私たちが、余りにも過敏で、怒鳴り返したり、傷付けられたように感じるならば、それは自尊心の現れである。繊細さは、自尊心から生じ、自尊心は敵からのものである。

 106.兵士がどうしても学ばなければならないものが何かあるとするなら、それはあなたたちも知っているはずであるように、その司令官からの、自分の間違いに対する厳しい叱責を受け止めて、 「イエス・サー、サンキュー・サー、次は何でしょうか?」 と言うことができるということである−−たとえそれによって傷付いたとしても! これは戦争であり、私たちには繊細さとか、私たちの傷、あるいは傷付いた気持ちを治療するための時間はほとんどない! 私たちは戦い続けなければならない!

 107.沈黙が承諾を示しているということを、私はめったに見出だしたことがない:  沈黙はしばしば、うっ積され、隠された憤りを示すものであり、それは口に出すことを恐れているので、それ故に何も言わないのである。

 108.あなたが 「自己憐憫」 を持っているなら、大抵の場合、あなたはただ注目と同情とを得ようと努めているだけである! 自尊心が傷付けられ、エゴが多少しぼまされ、自信が少しばかり揺るがされたので、自分自身のことが気の毒になり、止めてしまうべきではなかろうかと思い始めるのである。その矯正法とは、自分自身のことを忘れ、他の人々のことを愛することである。

 109.感じやすさと傷付いた感情に関して:  少しぐらい気落ちしても、つまり自分のことを少し気の毒に感じても、構わないじゃないかと悪魔は告げようと努めるであろう! 結局のところ、他の人々から少しの同情を受けることができるように、ほんの少しの落胆した気持ちを楽しむに値しているのだから! だからそうしようではないかと。惨めさは、仲間を愛する! これは放縦であり、立ち向かって愛の内に無くしてしまわなければならない!

 110.ある人々は、あまりにも繊細なので、どんなことにも耐えられない。わずかな圧力にも耐えられず−−くじけてしまう。それは彼らが、主にしがみついていないからであり、御言葉の上に立っていないからであり、主の約束を信じていないからである! 彼らは何らかの自分たち自身の忌ま忌ましい自己正義、つまり自分たちでもっていると考えている、何らかのくされた偉大さに頼っている! 良く聞きなさい。その類いの信心家ぶった偽善は、悪魔のショック療法には耐えられない。それはいとも簡単に崩れおちてしまう!

 111.ただ自尊心だけが痛みを感じる!−−謙虚さは、実際それを感じることはない!

 112.もし兄弟が簡単に気を害してしまうなら、それは彼があまり強くなく、かなり霊的でないことをしめしている。

 113.自分の間違いを矯正してくれる懲らしめを受け取ることができないということは、謙虚さの非常にお粗末な模範である。

 114.あなたは、自分の罪について語る時、サタンに栄光を帰している。自分の過失について語る時、自己に栄光を帰している。

 115.あなたは現実と空想−−真理と偽り−−の間の相違を見つけ出さなければならない。

 116.劣等感とそれによって真に悩まされるということでさえ、ある意味では自尊心である。人々があなたのことをどう考えているのかを心配しているからである。

 117.どちらかと言えば、優越感とも言えるような態度を取る傾向のある人々の内側には普通、劣等感がある。そして彼らは、自分よりも上であると感じる人々が回りにいることについて、非常に強い自意識を持つ。

 118.あなたたちの中に、他の人々と相談したり、あるいは特に主や、またその状況や物事や法律に精通している、地元のリーダーたちからの助言や勧告を求める必要はないと考えるほどひどく生意気になってしまう者が、一人としてあってはならない。

 119.馬鹿なことをして、神によって笑い物にされないでいるための、最も安全な方法の一つとは、自分が実際に馬鹿者であること、またそれを行っておられるのは、ただ主だけであることを、常に全ての人に思い起こし続けることである。

 120.あなたは自分の罪について語る時、サタンに栄光を帰している。自分の過失について語る時、自分自身に栄光を帰している。もっとも誠実にそれらのものを告白し、助言、あるいは許しを求めているのであれば、話しは別である。

 121.悪魔は、彼があなたに告げる偽りに関して言うに及ばず、あなた自身に関しても、恐ろしい多くの真実を、あなたに対して本当に告げることができる。だから、もし悪魔に耳を傾け始めるなら、それには際限がない。

 122.あなたが自分自身の義、自分自身の完璧さにおいて、それほども必死に試みるなら、自分の間違いや短所を告白することは、不可能同然になってしまう。何故なら、それらを告白すれば、自分が完璧でないことが証明されるので、あなたの自己に対する確信が滅ぼされ、またあなたの自己依存が、ほとんど崩れ落ちんばかりになってしまうからである。

 123.自尊心があると、たとえ神が許して下さるという事はわかっていても、自分自身を許すことがさらに困難になってしまう。

 124.自分自身のことを気の毒に感じ、それを神のせいにしようとして、主に仕えるのを止めてはならない。自己憐憫は自尊心であり、傷付けられた感情は忌まわしい悪臭を放つ自己である。そして、全ての疑いの根源には罪がある−−すなわち、神の御心に逆らう反抗心という、憎むべき、極悪非道の罪である。

 125.あなたがもっている最大の危険の一つとは、神の塗油ではなしに、それが自分であると考え始めることである。あなたが自分自身を賞賛し始めるや否や神はあなたをその状態からつれ出すために、あなたが卑しめられるように取り計らわれるであろう。神は妬む神であり、栄光を望まれ、またそれを受けるにふさわしい方であり、そしてご自身の他に、何者をも神とはされないであろう。

 126.どちらかと言えば、優越感とも言えるような態度をとる傾向のある人々の内側には、普通劣等感がある。そして彼らは、自分よりも上であると感じる人々が回りにいることについて、非常に強い自意識を持つ。

 127.もし私たちが、私たちは何一つ知らない幼な子であり、その全てを御存知なのは、主であって、また主だけが真に賢く、そのしておられることを御存知なのであり、私たちはただ、主に従わなければならないということを、ただ認めるならば、その時主は、真にその力をお示しになることができる。

 128.呼び求めている限り、神が答えて下さることを期待することができる。捜し求めている限り、神は道を示して下さるであろう。自分が空っぽであることを認めている限り、満たされることが可能である。

 129.どの言語でもそうであるが、最も言いにくい言葉は、 「私が間違っていた」 である。もし自分が間違っていることを喜んで認め、自分の問題に対する助けと答えと解決策とが必要であることを喜んで告白しないなら、神は決して、あなたが必要としている奇跡を行うための機会をもたれないであろう。それには、ただ神のみが与えることのできるような謙虚さが必要とされる。

 130.サウルが高慢になり、主に頼る代わりに、自分自身と自分自身の知恵と自分自身の肉の腕に頼った時、主は彼を卑しめられなければならなかった。

 131.もしあなたが繊細で、簡単に気分を害してしまうなら、そのことは、あなたが如何に高慢であるかを示している。ある人々は実際、繊細だということを誇りに思っている。ある人々は、繊細だということが良いことだと考えている。

 132.もし兄弟が、簡単にその気分を害してしまうなら、それは彼があまり強くはなく、あまり霊的ではないことを示している。彼は、何かのことで気分を害されたのであり、それが彼に一種の独善的な観念を与え、それが彼の自尊心を養ったのである。

 133.偽りの預言と聖書の偽りの解釈とはしばしば、霊的な自尊心と霊的なリーダーになりたいという、欲求不満のたまった誘惑の結果である。

 134. 「古い教会のようであってはならない。古い教会は、ただ見せびらかすために、また私からその身を守るために、衣服を身につけるが、あなたは、謙虚さと愛とにおいて、あなた自身を私に対してあらわにせよ……私は、新しい花嫁を迎えるからであり、彼女は私を愛し、私の意志を行い、私に子供を産み、もはや彼女 (古い教会) がそうであったような、産まず女とはならないからである」

 135.それはサウルの主要な問題であった、つまり彼は、人にへつらう者だったのである。人々を満足させ、人々を喜ばせるために、彼は主に背いた。

 136.もしあなたのタレントが一つしかなくても、それを使って何かをすることを神が求められるなら、人々がどう思うだろうとか、はたして成功するだろうかと心配してはいけない。ただ従いなさい! ただ何もしないで、そこにじっと座っていてはいけない:  思い切って立ち上がれ。そして神に、裁いていただきなさい!

 137.あなたの怒りが、あらゆる謙虚さの内にある、優しく、寛容で、愛情深く、悔いくずおれた心の、柔和と寛容さをもった、正しい霊の内にあることを確かめなさい。

 138.人は有罪であればあるほど、より自分自身を弁護する。それは一つの、独善的な自尊心の形態である。

 139.最も有能な人々とは、なされる必要のあるどんなことでも、喜んで行う気のある人々である! 他にそれをする者が一人もいない時に、もしあなたがあまりにも良すぎて、皿を洗うことも、床を掃くことも、雑草を抜くことも、あるいはなされる必要のあることを、何一つすることができないのであれば、あなたはあまりにも良すぎるので、私たちの役には立たない!

 140.誰かの品位にふさわしくないとか、誰かに取ってあまりにも卑しすぎる、といったような仕事は存在しない!

 141.主がもっと多くの人々に対して、特別な力を与えられない一つの理由は、彼らが非常に高慢になってしまうからであり、それを扱うことができなくなってしまうからである。彼らは、霊的に高慢になり、それを誇示しようとするであろう。

 142.自分が正しいと感じることのために立ち上がるのは、あなたの責任である。しかし、重要なのはそのやり方である。つまり自尊心の内に議論がましく行うか、あるいは謙虚さにおいて行うか、それが重要なのである。

 143.偉大な人は、真に謙遜な人である。彼らは微笑んだり、親切な言葉を与えたり、あるいは愛情深い態度や、思いやりを示したりせずに、決して小さな子供のそばを素通りすることはない。

 144.逆境が訪れる際に、高慢であり、硬直していて折られてしまうよりは、嵐の時に、謙遜でしなやかに曲がる方が優れている。

  (No. 75, 203, 287,293,302B,312,319,

328,524,531,548,559,641,698,

720,721,763,784,991,996,1032,1112,1126,

1339,1372,1436,1438,1547も参照。)

 

 

 145.サムエル記上2:3   あながたは、重ねて高慢に語ってはならない。高ぶりの言葉を口にすることを止めよ。主は、すべてを知る神であって、諸々の行いは主によって計られるからである。

 146.サムエル記上15:17 サムエルは言った、 「たとい、自分では小さいと思っても、あなたはイスラエルの諸部族の長であり、主はあなたに油を注いで、イスラエルの王とされたではありませんか。」

 147.サムエル記上15:24 サウルはサムエルに言った、 「わたしは主の命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。」

 148.ヨブ6:24,25 わたしに教えよ。そうすればわたしは黙るであろう。わたしの誤っているところをわたしに悟らせよ。ただしい言葉は如何に力のあることか。しかし、あなたがたの争いは、何を戒めるのか。

 149.詩篇9:12b 主は謙遜な者の叫びをお忘れにならない。

 150.詩篇10:4 悪しき者は、誇り顔をして、神を求めない。その思いにすべて「神はない」と言う。

 151.詩篇25:9 主は柔和な者を公義に導き、柔和な者にその道を教えられる。

 152.詩篇34:18 主は心の砕けた者に近く、悔いくずおれた霊の持ち主を救われる。

 153.詩篇37:11 しかし、柔和な者は地を受け継ぎ、豊かな繁栄を楽しむことができる。

 154.詩篇51:17 神の受けられるいけにえは、砕けた霊です。神よ、あなたは砕けた、悔いた心をかろしめられません。

 155.詩篇73:6 それ故高慢は、彼らの首飾りとなり、暴力は衣のように彼らを覆っている。

 156.詩篇119:78a 高ぶる者に恥を被らせて下さい。

 157.詩篇131:1 主よ、 わが心はおごらず、わが目は高ぶらず、わたしはわが力の及ばない大いなることと、大きすぎることとに関係いたしません。

 158.詩篇147:6 主は柔和な者を高く上げ、悪しき者を地に投げ捨てられる。

 159.詩篇149:4 主はおのが民を喜び、柔和な者を救いをもって飾られる。

 160.箴言11:2 高ぶりがくれば、恥もまたくる。へり下る者には知恵がある。

 161.箴言13:10 高ぶりによってのみ争いは生じる。勧告を聞く者は知恵がある。

 162.箴言14:3 愚かな者の口には、高ぶりの鞭がある。しかし、知恵ある者の唇は、その身を守る。

 163.箴言15:33 主を恐れることは、知恵の教訓である。謙遜は栄誉に先立つ。

 164.箴言18:12 人の心の高ぶりは滅びに先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。

 165.箴言21:4  高ぶる目とおごる心とは、悪しき人の灯であって、罪である。

 166.箴言22:4 謙遜と主を恐れることとの報いは、富と誉れと命とである。

 167.箴言25:6,7 王の前で自ら高ぶってはならない。偉い人の場にたってはならない。尊い人の前で下に下げられるよりは、 「ここに上がれ」 といわれる方がましだ。

 168.箴言26:12 自分の目に、自らを知恵ある者とする人をあなたは見るか、彼よりもかえって、愚かな人に望みがある。

 169.箴言27:2 自分の口をもって自らを誉めることなく、他人に誉めさせよ。自分の唇をもってせず、他の人にあなたを誉めさせよ。

 170.箴言28:21 人をかたより見ることはよくない。人はひときれのパンのために、とがを犯すことがある。

 171.箴言28:25 高ぶる者は争い起こし、主に信頼する者は豊かになる。

 172.箴言29:23 人の高ぶりはその人を低くし、心にへり下るものは誉を得る。

 173.イザヤ2:11,12 その日には、目を上げて高ぶる者は低くせられ、おごる人はかがめられ、主のみ高く上げられる。これは万軍の主の一日があって、すべて誇る者と高ぶる者、すべて己を高くする者と得意な者とに望むからである。そして彼は低くされるであろう。

 174.イザヤ5:21 災いなるかな、彼らは己を見て賢しとし、自ら顧みて悟しとする!

 175.イザヤ57:15 いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖と唱えられる者がこう言われる、 「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へり下る者と共に住み、へり下る者の霊を生かし、砕けたる者の心を生かす。」

 176.エレミヤ45:5A あなたは、自分のために大いなることを求めるのか、これを求めてはならない。

 177.ダニエル4:30-33,37 王は自ら言った、 「この大いなるバビロンは、わたしの大いなる力をもって建てた王城であって、わが威光を輝かすものではないか」 。その言葉がなお、王の口にあるうちに、天から声がくだって言った、 「ネブカデネザル王よ、あなたに告げる、国はあなたを離れ去った。あなたは追われて、世の人を離れ、野の獣と共におり、牛のように草を食い、こうして7つの時を経て、ついにあなたは、いと高き者が人間の国を治めて、自分の意のままにこれを人に与えられることを知るに至るだろう」 。この言葉は、直ちにネブカデネザルに成就した。彼は追われて世の人を離れ、牛のように草を食い、その身は天から下る露に濡れ、ついにはその毛は鷲の羽のようになり、その爪は鳥の爪のようになった。そこで我ネブカデネザルは今、天の王を誉め称え、かつあがめたてまつる。そのみ業はことごとく真実で、その道は正しく、高ぶり歩む者を低くされる。

 178.ダニエル5:18,20,21 王よ、いと高き神は、あなたの父ネブカデネザルに国と権勢と光栄と尊厳とを賜いました。しかし、彼は心に高ぶり、頑なになり、傲慢に振舞ったので、王位から退けられ、その栄光を奪われ、追われて世の人と離れ‥‥、こうしてついに彼は、いと高き神が、人間の国を治めて、自分の意のままに人を立てられるということを知るようになりました。

 179.オバデヤ3 岩のはざまにおり、高い所に住む者よ、あなたの心の高ぶりは、あなたを欺いた。あなたは心の内に言う、 「だれがわたしを地に引き下らせることができるか。」

 180.ミカ6:8 人よ、彼はさきに良いことの何であるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義を行い、いつくしみを愛し、へり下ってあなたの神と共に歩むことではないか。

 181.マタイ5:5 柔和な人たちは幸いである。彼らは地を受け継ぐであろう。

 182.マタイ18:4 この幼な子のように、自分を低くする者が、天国で一番偉いのである。

 183.マタイ19:30 しかし、多くの先の者は後になり、後の者は先になるであろう。

 184.マタイ21:5 シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる。柔和なお方で、ロバに乗って、ロバの子に乗って。

 185.マルコ12:38-40  イエスはその教えの中で言われた、 「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くことや、広場であいさつされることや、また会堂の上席、宴会の上座を好んでいる。またやもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈りをする。彼らはもっと厳しい裁きを受けるであろう。」

 186.ルカ1:48 主は、この卑しい女をさえ、心にかけて下さいました。今から後、世々の人々は、わたしを幸いな女と言うでしょう。

 187.ルカ10:21b あなたは、これらのことを知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子に表して下さいました。

 188.ルカ14:10a むしろ招かれた場合には、末座に行って座りなさい。そうすれば招いてくれた人が来て、友よ、上座の方へお進み下さい、と言うであろう。

 189.ルカ22:25-27 そこでイエスが言われた、「異邦の王たちは、その民の上に君臨し、また権力を振るっている者たちは恩人と呼ばれる。しかし、あなたがたはそうであってはならない。かえって、あなたがたの中で一番偉い人は、一番若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。食卓に就く人と給仕する者とどちらが偉いのか、食卓に就く人の方ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、給仕する者のようにしている。」

 190.ヨハネ1:27  それがわたしの後においでになる方であって、わたしよりすぐれた方であって、わたしはその人の靴のひもを解く値打ちもない。

 191.ヨハネ5:44 互いに誉れを受けながら、ただ一人の神からの誉れを求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。

 192.ヨハネ12:43 彼らは、神の誉れよりも、人の誉れを好んだからである。

 193.ヨハネ13:5 それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手拭で拭き始められた。

 194.使徒行伝12:21-23 定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座に座り、彼らに向かって演説をした。集まった人々は、 「これは神の声だ。人間の声ではない」 と叫び続けた。 するとたちまち主の使いが彼を打った。 神に栄光を帰することをしなかったからである。 彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。

 195.ローマ2:11 何故なら、神にはかたより見ることがないからである。

 196.ローマ12:3 わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思い上がることなく、むしろ神が各自に与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。

 197.ローマ12:10b,16 進んで互いに尊敬し合いなさい。高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるが良い。自分が知者だと思いあがってはならない。

 198.ローマ14:2,3 ある人は何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べるものを裁いてはならない。神は彼を受け入れて下さったのであるから。

 199.Tコリント3:18 もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、その人は知者になるために、愚かになるがよい。

 200.Tコリント4:6,7  兄弟たちよ、これらのことをわたし自身とアポロとに、当てはめて言って聞かせたが、それはあなたがたが、わたしたちを例に取って 「人についてしるされている定めを越えない」 ことを学び、一人の人をあがめ、他の人を見下げて高ぶることのないためである。一体あなたがたを異なる者としているのは誰なのか、あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか、もしもらっているなら、何故もらっていないもののように誇るのか。

 201.Tコリント8:2  もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。

 202.Tコリント10:12 だから、立っていると思う者は倒れないように気をつけるがよい。

 203.Uコリント10:17,18 誇る者は主を誇るべきである。自分で自分を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ確かな人なのである。

 204.Uコリント12:7 数々の啓示を受けているので、わたしが高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは高慢にならないように、わたしを打つサタンの使いなのである。

 205.ガラテヤ1:10 今わたしは人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか、あるいは人の歓心を買おうと努めているのか、もし今もなお歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。

 206.ガラテヤ6:14 しかし、わたし自身には、わたしたちの主、イエス・キリストの十字架以外に、誇りとするものは断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

 207.エペソ5:21 神に対する恐れの心をもって、互いに服従し合うべきである。

 208.エペソ6:6 人にへつらおうとして、目先だけの勤めをするのではなく、キリストの僕として、心から神の御旨を行いなさい。

 209.ピリピ2:3   何事も党派心や虚栄からするのではなく、へり下った心をもって、互いに人を自分より優れたものとしなさい。

 210.ピリピ2:5-8   キリスト・イエスにあって抱いているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。キリストは、神の形であられたが、神と等しくあることを固守すべきこととは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕の形をとり、人間の姿になられた。その有り様は人とは異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。

 211.コロサイ3:12 だから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる愛された者であるから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい。

 212.Tテモテ3:6 彼はまた、信者になってまもないものであってはならない。そうであると高慢になって悪魔と同じ審判を受けるかもしれない。

 213.Uテモテ2:25a  反対する者を、柔和な心で教え導くべきである。

 214.ヤコブ2:1  わたしの兄弟たちよ、わたしたちの栄光の主、イエス・キリストへの信仰を守るのに、分け隔てをしてはならない。

 215.ヤコブ4:6b 神は高ぶる者を退け、へり下る者に恵みを賜う。

 216.ヤコブ4:10 主の御前にへり下れ。そうすれば主は、あなたがたを高くして下さるであろう。

 217.Tペテロ3:4b 柔和でしとやかな霊という飾り、これこそ神の御前に極めて尊いものである。

 218.Tペテロ5:5,6   同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。また、みな互いに謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者を退け、へり下る者に恵みを賜うからである。だからあなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば、神はあなたがたを高くして下さるであろう。

 219.ユダ16 彼らは不平を並べ、不満を鳴らすものであり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらうものである。

   (申命記8:12-14; 列王記下5:10-14; マタイ6:1-4; ルカ18:13,14;ルカ22:14-17;  ヨハネ13:14-16; ローマ11:17-21;  ピリピ2:3-11も参照。)