37.いやし
わが魂よ、主をほめよ。そのすべての恵みを心に留めよ。主はあなたのすべての不義を許し、あなたのすべての病いをいやされる。 (詩篇103:2-3)
1.もし神が、あなたをいやしたいのであれぱ、神には何の助けもいらない。しかし、もしあなたをいやすことを望まれないのであれば、何も助けとはならないであろう。
2.神はいやし、医者は診察料を取る。
3.医者とは、人間の病気を治療するために自分ではほとんど知らない薬を処方し、病気に関してはなおさら知らず、人間に関しては、何一つ分かっていない人々のことである。
4.あなたは、自分の問題は矯正できないものであるとあきらめて、ちょうど悪魔のように、それらを我慢し、黙認する必要はない。あなたは勝利を得ることができるのである!
5.万事が悪い方向に向かい、全てが御言葉と通例の状態に相反しているように思われる時、ただヨブのような、大きな信仰を持っている者だけが−−大きな信仰を持っている者だけが、ヨブと共に 「たとえ神が、私に対して、神御自身の御言葉を破っているように思えたとしても−−たとえ神が、私を失望させられたように思ったとしても−−その全ての約束と相反して、たとえ神が私を殺されるとしても、私はなお神を信頼するであろう。」 (ヨブ13:15) と言うことができる。
6.一体何が御言葉以上にいやしの力をもっているというのか? (詩篇107:20)
7.油を注ぐことは、一つの象徴であるに過ぎない。−−すなわち、その油が何かをするとか、何か特殊な力を持っているというのではない。そうではなくて、それはただ単に、聖句に書かれてあることを遂行するためなのである!−−油は聖霊の象徴である。
8.イエスは私たちを造られた。だから、私たちを修理することができる!
9.人々は、信仰を失ってはいない。人々はただ、それを神から医業へと移し変えてしまっただけである。
10.病気やトラブルや問題といったような事柄が起こるのは、時には、ただあなたたちを、主に近く保つためである。時には、あなたたちをお互いに対して、より近づけるために起こることもある。あなたたちを謙遜に保つために起こることもある。あなたたちに祈らせるために起こることもある。トラブルをかかえるのにさえ、あらゆる種類の理由があるのである。トラブルや患難でさえ、私たちにとっては良いものなのである。(ローマ8:28)
11.ひとたび、神があなたを許され、またあなたをいやされたのであれば、あなたは、自分がその制限や規制に、また規則や主のみ心に、あるいは何であれ、主の設けられたその条件に固執していることを確かめた方が良いであろう。
12.神がひとたびあなたに、いやしのための信仰を与えられたのであれば、神はあなたがそれを用いることを期待される。
13.いやしは、特別な祝福であり、かけがえのない特権である。それは、救いとは異なって、もしあなたがそのことに対して、主を信頼し続け、また全ての栄光を主に与え続けていないなら、主は取り去ることもできるのである。
14.もし私たちが、当然そうであるべきように、忠実であって、ただ単純に神を信じ、また信頼し、人々のために祈っていたなら、もっと多くのいやしの奇跡が起こるであろう!
15.「主は、私たちの全ての病をいやされる」−−それには例外はない。主は、どんなものでもいやすことができる!
16.奇跡を期待しなさい!−−そしてイエスのみ名において、あなたは奇跡を得るであろう!
17.もし神が本当に神なら、神は奇跡の神なのである! もし神に、宇宙を創造できるのであれば、神にはそれを修理することもできるのである! もし神が、あなたの体を造ることができるのであれば、それを修理することもできるのである!
18.神は全てのものに対する、自然療法を持っている。そしてそれは常に他ならぬ、その病気が存在する地域に見出されるのである。
19.私は一度として、ベッドに横になって元気になった事はない! (私が休息と祈ったり、主の声を聞いたりするための、静かな時間を必要としていたのであれば、別問題である。) 神は常に、信仰の一歩を踏み出すことを、私に要求された! 横たわっていて死ぬよりは、試みながら死ぬ方が良い! あなたは、信仰を表明するために、意識的な努力をしなければならないのである。
20.主のいやしは、復活した人生の、少しの感触であり、天国のひとかけらであり、体のあがないの小さな一部分である。
21.体制は言う: 「私は、わが助けの来る、薬品棚と薬に向かって目を上げる。わが助けは、全ての物を造った科学者から来る。」
22.全てのクリスチャンが、いやしの賜物を持っているわけではないが、いやしは全てのクリスチャンに利用できるのである!
23.神が、私たちに教えようとしておられるレッスンを、私たちが学んだ時、あるいは、状態が、神がもたらしたいと思っておられる結果に対して準備できた時、神は 「むしろ、いやされるように。」 と言われる。(ヘブル12:13) 神はいやすことを好まれる−−もし私たちが、それを任せられることのできる者となり、神が私たちに示そうと努めておられることを学ぶならば。
24.「肉体のとげ」 は、肉体的な災いであって−−罪深い誘惑ではない!−− 「サタンの使い」 −−おそらくは、人をうるさく悩ます悪鬼であるのかもしれない!(Uコリント12:7)
25.神はしばしば人々に対し、その霊的な障害、あるいは問題に応じて、肉体的に対処される。
26.あなたの心に触れるために、あなたの子供が災いにかかるのを、許されるほど、神が極端に走らなければならないあなたの心は、かなり堅い状態なのである。そして時には、かなり独善的になっていることもあると思う。
27.クリスチャンにとっては、どんな病気も、通常のものであるとは思わない。もしあなたが病気にかかるなら、大抵の場合、それには理由があるのである。すなわち、あなたに何かを教えるためか、あるいは、あなた自身の罪の故である。いやされることが通常であり、救い出されることが通常である。
28.いやしは、あなたが従わない限り、必ずしも永久的なものであるとは限らない!
29.もし私たちが、もっと従い、より清潔に保ち、正しい物を食べ、正しく生きるなら、そんなにも頻繁にいやされる必要はなくなるであろう。
30.あなたがいやしを宣べ伝え、その主題に関して悪魔を攻撃し始める時、悪魔は例外なく、本当にそれを忌み嫌うのであり、主もまた、あなたがテストされるのを許されるのである。
31.もし神に、赤ん坊を創造することができるのであれば、神には確かに、その足を真っすぐにすることができるのである。彼を造られた方は、間違いなく彼を治すこともできるのである!
32.何の例外もない: 神にはどんなものでもいやすことができる。
33.「正しい者には災いが多い。」 (詩篇34:19) −−しかし、その災いの大部分は、非常に小さなものであり、ごくささいなものであって、ちょうど私たちを、主に近く保つのに、十分なものなのである。
34.「正しい者には災いが多い」 −−彼らの多くの災い、それこそが、彼らをそれほども正しい状態に保つものなのである!
35.あなたの感情ではなく、神の御言葉の上に立ちなさい。それが信仰といやしの秘訣である。
36.神は医者と栄光を分け合うことを好まれない!
37.医薬品は、病気を治すか、あるいは治すことが出来ない、ということを−−そしてまた、主に信頼しなければならなくなるということを、十中八九証明するようになるか、そのいずれかである!
38.大抵の人々は、信仰の巡礼に出るよりは、むしろ薬を取る方を好む!
39.もしあなたが、いやしのために、神が要求しておられる代価を喜んで支払うことをいとうなら、主は、あなたをいやされはしないであろう! ただ従順な者だけがいやしを受ける。それは従順に対する報酬である。健康は、神の特別の祝福である。あなたは、従順である時にのみ、それを要求することができる。しかし、もしあなたが不従順であるなら、何一つ要求することはできない!
40.あなたは、自分の体に対して、あなたが生きたいと思っていることを知らせなければならない! 「人の霊は、その人を支える。しかし、傷ついた霊は、だれがそれに耐え得ようか!」(箴言18:14)
41.精神的にあるいは霊的に、損なわれ、悩まされているほとんどの人々が、必要としているものはただ、愛だけである!
42.もしあなたが、災いを持つたびに、神に仕えることを止めるならば、あなたは、絶えず物事を投げ出す人となってしまうであろう!
43.たとえ、主が決してあなたをいやされなくても、あなたは主を信じ、また従わなければならない!
44.もしあなたが戻っていくなら、あなたは、神をうんざりさせるであろう! しかし、たとえあなたが病気にかかっていても、進み続けるなら、あなたは神を幸せにするだろう。
45.神が存在しておられることの最大の証明の一つとは、祈りに対する回答と奇跡と特にいやしとである。
46.祈りは、薬よりも安いばかりではなく、より確実でもある!
47.苦痛は少しの地獄である。いやしは、少しの天国である。
48.もし私が修理されることを、神が望まれないのであれば、地上の誰にもそれをすることはできない! もし私が修理されることを神が望まれるのであれば、神は、それを一人でなされるであろう。
49.幾つかの場合において、人々が病気であるのは、彼らが、深刻な霊的問題を抱えているから、さらには、悪鬼的な問題を抱えているからである。そして彼らは、悪魔によって、これ以上引き降ろされてしまう前に、緊急の祈りによって、直ちに救い出される必要がある。
50.もしあなたが病気であるなら、それを教会に告げて、祈りを求めることは、あなたの務めである: 1.それはあなたが主に依存していることのしるしである。2.それはあなたが、祈りに対して信仰を持っていることのしるしである。3.それはあなたを謙遜に保ってくれる。4.他の人々に知らせることは、彼らがあなたの重荷を分け合い、そのようにしてキリストの律法を全うすることができるようになる上で、必要なことである。5.主が答えられる時、それは一つのテスティモニーである。(ヤコブ5:14)
51.救われているにせよ、救われていないにせよ、彼らが、主を信じるだけの十分な信仰を持っている限り、イエスは全ての人をいやされた。もし自分のいやしに対して、人々がその程度イエスを信じることができたのであれば、彼らの信仰は、そのしるしによって、まし加えられたのであり、自分たちの救いに関して、もう少し深くイエスを信じることができたのである。
52.多くの者たちが、薬に向かって走って行くのは、彼らが神の懲らしめから逃げ出しているからである。
53.いやしの要因の内で、最大のものの一つとは、信仰である。すなわち、神があなたを愛しておられ、あなたを顧みられ、一体どんなことが起ころうとも、あなたの世話をして下さるということを知ることである。信仰は、病や不健康の最大の原因を取り除いてくれる。そしてそれは、恐れと緊張である。
54.あなたの肉体的な健康状態は、疑い無く、あなたの精神的な健康状態に大きく依存している。そして、あなたの精神的な健康は、あなたの霊的な状態に、非常に大きく依存しているのである。何故なら、愛と信仰はどちらも、全ての恐れを取り除くからである。
55.神はあなたをいやされる前に、あなたの信仰と従うための自発性をテストすることを好まれる。そして神は、決していやされることがないかもしれないと、あなたが考えても、それでもなお、神を信じ、また従うかどうかを見られたいのである! あなたのいやしは、信仰と従順とに、 何の関りを持っているのか? 何もない! しかし、あなたの信仰と従順は、あなたのいやしに、大いに関りを持っているのである!
56.もしあなたが従わず、神のみ心の内にとどまっておらず、いやされたことで引き続き、栄光を神に与えず、そのことに対して、神を信頼し続けないなら、神はあなたの感謝の心の欠如と不従順との故に、あなたの災いが戻ってくるのを、許されるかも知れない。
57.成果が見られる類いの信仰とは、「たとえ主が私を殺されても、私はなお主を信頼する!」 である。(ヨブ13:15)
58.もしあなたがいやしを受けるのであれば、あなたは、それを証言しなければならない。あなたはただ、それを信じるだけではなく、それを告白する必要もあるのである! それは、少し救いと似ている−−つまり、キリストを告白することなしには、救われることはできないのである。
59.主の体は、私たちの体のいやしのために、私たちのために砕かれた。主の血は、私たちの霊の救いのために流された。体と霊の両方のための救いがあるのである。
60. 「あなたがたの中に、病んでいる者があるか? その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうが良い。信仰による祈りは、病んでいる人を救い、そして主は、その人を立ち上がらせて下さる。かつその人が罪を犯していたなら、それも許される。」(ヤコブ5:14-15)
61.天で生まれた、平和の君万歳!
義の御子万歳!
彼は万物に、光と生命とをもたらし、
その翼にいやしを備えて、よみがえられた!
62.いやしに対する、もう幾つかの条件がある: 謙遜になること、そして真に主を尋ね求め、私たちの悪しき道から翻ること: すなわち、私たちの悪しき道とは、どんなことであれ、私たちが行っている誤ったこと、あるいは主の御心からはずれていること、あるいは愚かなこと、又はやりすぎ、または何らかの面における、私たちの体の乱用である。
63.私が病気にかかる時に、今でも私にくる最初のこととは、 「私は、何か間違ったことをしただろうか?−−どうしてこれが起こっているのだろうか?」 ということである。そして、私はそれに応じて祈る。
64.私たちに、もっと多くの奇跡が起こっていないただ一つの理由は、私たちが当然そうすべきであるようには、神を信じておらず、また敵に挑戦し、悪魔を叱責し、神が答えて下さることを期待しないからである!
65.処理しにくい病気の場合には、絶望的な祈りが必要とされるのであり、時には、 「この類いは、断食と祈りとによらなければ、追い出すことはできない」 こともある。食物やセックスや清潔さやその他の生活状況と同様に、霊的な諸問題をまず最初に矯正しなさい。その後で、祈りと従順との内に、徹底的に神を信頼しなさい。そうすれば、あなたは必ずその結果を得るのである。
66.あなたは文字通り、神を何とかしなければならない立場に置かなければならない。神はそれを好まれる。神は、あなたが神に対して、神の御言葉を守るようにと、挑戦することを好まれるのである。 「さて神よ、私はあなたに従ってきました。私は、自分自身を木の上に置き、それをのこぎりで切り離しました。だから、私の世話をして下さることは、あなた次第です。もし私をいやすことを望まれるのであれば、あなたには何の助けもいりません。」
67.主は、あなたの体の中に、悪の軍勢と戦う良い軍勢を、確かに持っておられるのである!
68.あなたが、自分の健康をできる限り良く世話しているが、なお良い食物を手に入れることができないとか、十分な睡眠がとれないような場合には、神は勿論、そのような事柄には制限されないのである。神は、それをものともしないで、あなたをいやすことも、あるいはあなたを健康に保つこともできるのである。
69.主のいやしを知らない者たちや、それを完全に、奇跡的、かつ超自然な方法でしてもらうことを、主に信頼するには、あまりにも信仰が弱すぎる者たちのために、様々な病気のための治療法として、神が創造しておられる、一般的で、自然な薬草類や食物は数多くある。 「弱い人は薬草を食べる」 (ローマ14:2) その一方で、もしあなたがいやしのために祈り、神が一つの治療法として、ある食物やある薬草を取ることをあなたに示されるか、あるいはあなたの心におかれるならば、それは主の超自然的な答の一部と見なすことができるであろう。もしあなたが、そのことに対して、神に栄光を与えるならば。
70.時々、あなたの災いは、あなたの過失ではなくて、あなたがそのさ中にあっても、なお主を信頼するかどうか、またあなたがいやされることを主に信頼するかどうかを見るための信仰のテストであり、又しばしば他の者たちが見て、神に栄光を帰するために、起こるのである。しかし、災いはしばしば実際に、あなたの過失なのであって、あなたにその問題を矯正させるための懲らしめとして起こるのである。もしそうなら、主があなたを許し、救い出し、清め、浄化して下さるように、またあなたが物事を正すのを助けて下さるように、祈り求めなさい。そうすれば、大抵の場合、主はその時にいやして下さるであろう。
71.それは全て、あなたが何に対して信仰を置いているかに依存している。もしあなたが、御言葉の従順の内に、自分の体の世話の一部として、ある一定の物を食べるのであれば、その時には、あなたの信仰は御言葉の中に置かれているのであって、食べ物の中に置かれているのではない。しかし、もしあなたが、健康を保ったり、あるいは健康になったりするために、神に対するよりも、食物の方により多くの信頼を置きながら、食物を食べるのであれば、その時には、あなたは神を信頼してはいないのである。
72.「正しい者には災いが多い。しかし主は、全てその中から、彼を助け出される。」 (詩篇34:19) −−す・べ・て、全てである−−ただ幾つかとか、二、三とか、ほとんどとか、多くではなくて全てである。その全てという意味である!
73.あなたが信仰をもって主を尊んでいないのに、一体どうして主が、いやしをもって、あなたを祝福すべきなのか? もしあなたが、死ぬまで主を信頼しないなら、あなたは主を信頼していないのである!
74.もしあなたが、医者を信頼するつもりであるならば、最後まで信頼しなさい! あなたに得る事のできる最善の医者を、病院を、薬品を、その他の全てのものを得なさい! しかし、もしあなたが、自分自身を主の御手の内におくつもりならば、主は誰も必要とはされないのである!
75.もし主が、私を連れ去られることを望まれるのであれば、医者や薬品に主を止めることはできない! もし主が、私をいやすことを望まれるのであれば、主は一人で、私を治すことができるのである。
76.もしあなたが、薬を飲んでいる間に、いやしを受けるなら、あなたはその薬に栄光を与えるようになるであろう。そして、たとえ、あなたがそうしなくても、他の全ての人がそうするであろう。何故なら、あなたが薬を飲んでいたことを、彼らは知るからである。神は、それに対する栄光を得られないであろう。
77.もし神が、あなたをいやすことを望まれるのであれば、神はあなたをいやされるであろう。すなわち、もしあなたが、徹底的に主に依存し、主に全ての栄光を与える時にのみ、神はあなたをいやされるであろう!−−あなたが医者の支えや、あるいは、何かの松葉杖によりかかっていて、半分は神に、残りの半分は医者に信頼している限り、主はあなたをいやして下さらないであろう!
78.神にとって、半分までの道程というものはない。主は御自身の前に、他の如何なる神々をも持たれないであろう! (出エジプト20:3)もし神が、あなたをいやすことを望まれないのであれば、その時には、あなたはただ、それを受け入れ、主があなたを故郷に召されることを望んでおられるのだと考えなければならなくなるだけである。そしてそれが早ければ早いほど良い!−−もっとも、あなたを謙そんに保ったり、あるいは主の近くに保つために、あなたが引き続き苦しむことを、主が望まれるのであれば、話は別である。
79.徹底的に神を信頼し、危うい立場に一歩踏み出し、のっぴきならない立場に神をおきなさい! 「さて主よ、私はあなたを信頼しています。私は自国を離れて宣教の畑に行きました。そしてあなたのために、私の最善を尽くしているのです。だから、あなたがそれをして下さらなければなりません! そして、あなたがそれをして下さらないなら、それはなされないでしょう。何故なら私には、他の誰かを、ましてや悪魔や彼の方法を信頼するつもりはないからです!」
80.「あなた自身を主に委ねよ、主はあなたを支えられる!」 (詩篇55:22) しかし、片方では主に頼り、もう一方では医者に頼っていては、主がそうされることはない!−−ただ半分だけ医者に信頼し、残りの半分を主に信頼するだけでは、私にとっても、あるいは私が知っている人で、いやしに関して真に神を信頼したどんな人にとっても、主はそうされなかった。
81.あなたが医者に行き、注射や薬品や丸薬やその他どんな類いの治療でも受けている限り、あなたをいやされたのが、ただ主だけであったということを、あなたは誰にも証明することはできないであろう! あなた自身の心の中にさえ、あなたをいやしたのが主であったのか、それともその治療法であったのか、というような疑いが、常に起こるであろう。主は、どうしても、主の栄光を他の者とは分け合われないのである!(イザヤ42:8) 「あなたは、わたしのほかに、なにものをも神としてはならない! あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神である!」 (出エジプト20:3,5)−−だから主は、主の栄光を誰か他の者と、あるいは何か他のものと分け合うことなど絶対にされないのである。まして丸薬とか、注射とか、薬物治療とか、何処かの医者などはもっての他である!
82.いやしに関して、私たちほど多くのことを知っている者たちに対しては、神は徹底的に神に信頼し、神に−−神一人に!−−それをさせることを私たちに期待され、また私たちに要求されるのである!
83.彼らに、私を何処かの医者やあるいは、何処かの病院に運ばせるようなことは、絶対にさせないでくれ! 私は、医者の手にかかって死ぬよりは、むしろ主の手にかかって死にたい!
84.医者たちは、少しのことしか知らないし、大部分の薬品や丸薬や治療法や注射も実験のためのものであるので、私はむしろ、主に信頼したい! 主は、どこが悪いのかをご存知である! 主には、それをいやすことができる! 彼らは、どこが悪いのかを知らず、そのいやし方も知らない! 彼らはただ、おもちゃをもて遊ぶ、小さな男の子たちのように、それをいじくり回し、実験しているだけなのであり、絶えず誤診しているのである。
85.コーガー博士はこう言った、 「もしあなたが、私ほど医者のことを知っていたなら、あなたは、彼らのそばに近寄ることも、あるいは彼らから一つの処方箋を受けることさえも、絶対にしないであろう! それは、全くの実験に他ならない! ほとんどの場合、彼には、あなたの何処が悪いのかも分からない。彼らはただ、これやあれを試してみて、お金を稼ぐために、それに対する費用をあなたに請求するのである!」
86.医者たちが、帝王切開を進める主な理由とは、それが外科手術であって、それをすれば、幾千ドルも、つまり、自然出産にかかるよりも、はるかに多額のお金を稼ぐからである! 私たちには、帝王切開を拒み、主に信頼することを強要し、それを見事に成し遂げたガールズたちが大勢いる! 私たちには、帝王切開をした一人のガールがいたが、彼女はそれによって、ほとんど死にそうになったのである! 彼女は、かなりの間、昏睡状態に陥っていた。
87.あなたに言っておくが、もしあなたが主と主のいやしを知っており、自分の体のことについて、信仰によって、神に信頼しようとしているのであれば、神はどんな種類の治療、医者、薬、注射、あるいは病院にも、あなたを助けるようにはして下さらないであろう! その類いのものは頼みとするものを他に持たず、主や、あるいは主のいやしさえ知らない、哀れな、罪を抱えた信仰のない世界のためである。しかし、あなたが主と主のいやしを知っている限り、主はあなたがそのことで主を信頼し、あなた自身を全面的に主に委ねることに対して、あなたに責任を追及されるのである! だから、あなたが死ぬことを、主が望んでおられるのであれば、それは主の御心であって、何処かの医者や何らかの治療法ではなかったことを、あなたは知るであろう。そしてあなたが生きることを、主が望まれるのであれば、主はあなたをいやして下さるであろうし、あなたも、それが主であって、治療法によるものではなかったことを知るであろう!
88.医者に行き、薬や治療法や注射や、またそれが自然な方法であれ、不自然な方法であれ、平常な方法であれ、異常な方法であれ、彼らがそれを、どのように呼びたいと思おうと、主以外の何かに頼る人々がいやされるということに、私は少しの信仰も持っていない!
89.神は、あなたが、あなた自身を徹底的に主に委ね、主を完全に信頼することを好まれる! もしあなたが死ぬなら、あなたが死んだのは、神の御心だったのであって、その治療によってそれが引き起こされたのではないということを、あなたは知るであろう。もし、あなたが生きることを主が望まれるのであれば、あなたはそれが、主であったことを知るであろうし、治療ではなく、主に全ての栄光を与えるであろうし、他の者たちもみなそうするであろう!
90.これまでに、医者が私に与えてくれたもの、あるいは、私のためにしてくれたもので、私に何らかの益となったもの、あるいは、私をいやしてくれたものを、私は一つも思い出す事ができない。それは、ひどい風邪についての、昔の冗談を私に思い起こさせる: 薬物治療によれば、約2週間でそれを始末することができる。あるいは、ただ単純に、休息や適当な食事などを取るなら、約14日間でそれを始末する事ができる! だから、一体何があなたをいやしたのか、誰に分かるだろうか?
91.もしあなたが、あなた自身を、完全に主に委ねるなら、そして、主があなたをいやすことを望まれるのであれば、その時、神はあなたをいやされなければならない。そして、もし神があなたをいやすことを望まれないのであれば、一体あなたはどうして、いやされることを望むのか? あなたが天の都に行くのが早ければ早いほど、もっと良いのであり、あなたがここで味わっている、全ての痛みやトラブルが片づけられるのである!
92.私は、自分たちが一体何をしているのかさえ分かっていない医者たちでいっぱいのいまいましい病院に行くよりは、むしろ神を信頼しながら、自宅のベッドの中で死にたい!
93.医者や病院が必要とされる機械的な手当がある。それはちょうど自動車の修理のように、彼らがその方法を知っている純粋に機械的なことである!−−すなわちそれは、折れた骨をついだり、切り傷を縫い合わせたり、破片や銃弾を取り除いたり、赤ん坊を産むのを助けたり、といったようなことである。
94.しかし、深刻な内科的疾患といったような、他のほとんどの病いに関しては、彼らは、極めて頻繁に、あなたの何処が悪いのかさえ分からないのに、その全ての化学薬品の毒をもて遊んで実験し、あなたたちを山ほどある薬品や丸薬やその他のがらくたのためのモルモットとして利用しているだけなのである!−−そして仮に、あなたの何処が悪いのかが彼らに分かっていたとしても、彼らはそのいやし方を知らない!彼らは自分のしていることが分かっていないし、あなたたちとて、また同様なのである! そして、彼らはしばしば、益を与えるよりは、損害を与えてしまうのであり、非常な益となることは、ごく稀なことである。
95.あなたの何処が悪いのかは神が御存知である!−−すなわち、まず第一に、霊的にあなたのどこがいけないのか、また主が、あなたに対処しておられるのは一体何に関してなのか、そして、主が一体何をあなたに教えようとしておられるのか、すなわち、あなたの病気を通して、主が何をあなたに告げようとしておられるのかを!
96.神があなたをいやしたがっておられるのかどうかが定かでないなら、一体どうしてあなたは、その全ての薬を飲んでいるのか? もしかしたらあなたは、神の御心に逆らって進んでいるのかもしれない! 知るための一つの方法とは、ただ医者と薬を止めてしまうことである。
97.あなたは神の御心に反して、薬物治療を受けているのかも知れない! もしかしたら主は、あなたをいやすことは望んでおられないのかもしれない。もしかしたら主は、あなたを故郷の天国へ連れて行こうとしてとおられるのかもしれない。それなのにあなたは、この医者とこれら全ての薬と共に狂ったようになってそれと戦っているのである!
98.もし私が死ぬとするなら、私を殺したのは医者だったのだろうかといぶかしむよりは、むしろ、それをされたのは主であったということを知っていたい! さてもしあなたが死ぬなら、あなたはわかるであろう!
99.もしあなたが、すべての面で主に信頼するなら、主はあなたの世話をして下さるであろう。そしてもし主があなたの世話をして下さらないのであれば、主は不信者以上に悪いのである! (Tテモテ5:8)
100.あなたが部分的には神に頼り、部分的には薬に頼っている限り、主はあなたのいやしと何の関りも持たれないであろう! 主は何処かの医者や何かの薬物治療や何かの薬とその栄光を分け合うことを望まれないのである! もし、主があなたをいやされるのであれば、主はそれに対する全ての功績とそれに対する全ての栄光を望まれるのであり、あなたをいやしたのが、主であって、他の何ものでもなかったということを、全世界とファミリーとが知ることを望まれるのである!−−神+信仰+0!
101.あなた自身を、主の御手の中に委ね、全面的に主に信頼しなさい。そうすれば、主が望まれる場合には、主があなたをいやさなければならないのである! そしてもし、主があなたをいやされるなら、主が全ての功績、全ての栄光、全ての賛美を得られるのであって、あなたがそのことに対して感謝する相手は、ただ主だけであり、その感謝を医者と分け合うようなことはしないであろう! そして、もし主があなたをいやすことを望まれないのであれば、その全ての薬や注射や丸薬や薬物治療を受けることは、神の御心に反するのである! あなたが病気のままでいたり、災いを受けたままでいたり、さらには死んだりすることを、主が望まれるのであれば、それに対して戦うよりは、むしろ主に、主の道を進んでもらった方が良いのである。あなたが生きて主に仕え、さらにはいやされることが、神の御心であると信じているならば、一体どうして主に信頼しないのか? もし、主があなたをいやされたいのであれば、主はあなたをいやして下さるであろう! もし、主がそれを望まれないのであれば、どんな人でも、またどんなものでもあなたをいやすことはできないのである!
102.神を信頼したらいいではないか−−しかし、神を信頼するということは、神を全面的に信頼するのであって、他には何一つなく、また誰一人いないのである!−−ただ神だけである!−−その時、神は全ての功績と、全ての感謝と全ての賛美を得られるであろう! あなたには、それが神であったと分かるのであり、他の全ての者にもそれが分かるのである。そして、彼らは皆主に感謝して、それが何らかの薬物治療や医者や丸薬や療法や何かそれに拘わりを持っていた、何か他のもののお陰ではなかったということを知るであろう! もし神が、あなたをいやされるのであれば、あなたが神に全ての感謝を捧げ、それが神であったということを知るように、神は全ての功績と全ての栄光を得、全てのいやしを行なわれるのを望まれるのである!
103.あなたは神に信頼しているか、信頼していないかのいずれかである! あなたは、神を信頼しているか、薬を信頼しているか、そのいずれかである! もしあなたが、神にいやしていただくことを期待するつもりであるならば、その両方を信頼することはできない。
104.何か他のものに頼り、神が事を始められるための何かを、すなわち、神を助けるための何か少しのものを捜し求めている限り、あなたは全面的に神に信頼していることにはならない!
105.あなたは一体何が原因で、神には事を始めるための何かが無ければならないと考えるのか?−−すなわち、薬とか、医者とかいったような、事を始めるための何らかの手段を神に供給することによって、何かの形で神を助けてあげなければならないなどと!
106.あなたはただ、主に信頼して、その他全てのがらくたは忘れてしまえばいいではないか? 他のものがあなたをいやす事ができるということはあなたには分からない。しかしあなたは、少しでも主に信頼するなら、神には、あなたをいやすことができるということを知っている! そしてあなたは、神がそれなしでもあなたをいやすことができることを知っている。だからどうして、そんなものに拘わるのか?
107.あなたは、自分を造られた方を信頼したらよいではないか?製造者本人ほどその製品のことを良く知っている者はいない! あなた自身を製造者の元に送り返し、彼にあなたを修理してもらいなさい! 彼は、あなたが必要としている全ての部品や全てのものを持っている。そして、真にあなたのことを知り、その方法を知っておられるのは彼だけなのである。その他の機械工は、どんな類いのものでも、ただもて遊び、実験しているだけに過ぎない。
108.だから神を、ただ神だけ試してみてはいいではないか?−−つまり、神に全面的に、かつ完全に依存するのであり、その他の如何なるものにも依存しない、ということである−−そうすれば、あなたがいやされるような場合、あるいはいやされた時に、神がその栄光を受けられるであろう! そしてまた、たとえあなたがいやされなくても、あるいは死んでしまっても、少なくともあなたには、それが神の御心だったのであり、自分がそれと戦ってはいなかったということが分かるのである! しかし、あなたが生きることが、そして、神があなたをいやされることが、神の御心であるならば、その時には、確かに神には、何の助けもいらないのである!−−もっともあなたが、自分の体を世話して、正しい生活と正しい食事と正しい睡眠と正しい運動を行い、体を乱用したりせず、またどんなことであれ、それにかかってしまった最初の原因となった事を行わないということは別であるが。自分の体を乱用している時に、神にいやしていただくことを期待することはできない−−そしておそらく、その全ての薬品、丸薬、及び注射で、あなたは自分の体を悪くしているのであろう! 何故なら医者
たちは、あなたの体について、何を知っているというのか? 神以上に? また医者たちは、そのいやしについて、あるいは、何がそれをいやすようになるのかについて、何を知っているというのか? 神以上に?−−馬鹿げたことである!
109.私なら、むしろいつだって、まじない師(医者の意)や彼らの医薬品よりは、主を信頼する方を選ぶ。 「主に信頼を置く者は、決して恥じることはないが、人を恐れると罠に陥る!」(箴言29:25)
110.神はねたみ深い神であり、その栄光を他のものと分け合うようなことはされない。何かの薬などはもってのほかである! いやしのことを知っている主の子供たちが、主を求めずに医者を求める時、そのことは主を怒らせると思う!−−そしてそれは、彼らを死ぬに任せられるほどの怒りなのである。何故なら、彼らは主の代わりに、医者を信頼したからである!−−ちょうどそれは、足を病み 「主を求めないで医者を求め、そして死んでしまった」 昔のアサ王に対して、主がなされたのと同様である。(歴代志下16:12-13) あなたは、それと同じことをしないように気をつけた方が良いであろう! その両方に頼ることはできないのである。
111.あなたは、全面的に主に向き直り、医者や彼の全ての医療処置、療法、薬、注射、及びその他のがらくたのことは忘れて、全面的に神に信頼した方が良いであろう! 主にはただ、あなたをいやすことができるだけではなく、あなたをいやすことが、主の御心なのである。そうでないなら、主は主の御言葉の中に、いやしに関する、それら全ての聖句を記されるようなことはなさらなかったであろう! 主は、あなたをいやすことを望まれるし、勿論、あなたが主に仕えることを望まれる。しかし、主はその栄光、あるいは功績を、他の何かに、あるいは他の誰かに与えることは望まれないのである。そのことに対して、あなたが主に、そしてただ主だけに感謝するように、主はあなたが、主に、そしてただ主だけに信頼することを望まれる。そして主は、その栄光を他のものと分け合うようなことはされないであろう!
112.もしあなたが、あなた自身を完全に主に委ね、全面的に主に信頼し、全面的に主に従い、全面的に主を喜ばせるなら、神は祈りに答える義務があり、あなたをいやす義務があり、ご自分の約束を守る義務があり、ご自分の言葉を守る義務がある。
113.いやしに関する限りでは、あなたに言わせてもらう、あなたの最善とは、主に呼ばわって、全面的に主に依存することなのである。何故なら、あなたにできる事は、明らかに一つもないからである! あなたは、自分にできる事が、一つもないことを、また医者たちにできる事が一つも無いことを知った。そして、聖書に出てくる、あの老婦人のように、あなたは、 「多くの医者にかかって、散々苦しめられ、何の甲斐もない」 のであった。(マルコ5:26) だから、今は、ただ神だけがあなたをいやすことができるという事実に目覚め、 その他全てのものは脇に投げ捨てて、 自らを全面的に完全にかつ徹頭徹尾、主に信頼する時である!
114.「キリストは、どんな癌よりも大いなる方である!」 またキリストは、どんな医者、あるいはどんな医薬品、あるいはどんな、いわゆる自然療法よりも大いなる方であるので、あなたは自分の信仰を主におき、急いでそうした方が良いであろう。そうでないと、死んでしまうかもしれない! あなたが、主以外の何かに依存するには、もう遅すぎるのである。だから、急いでそうした方がいいであろう!
115.もしあなたが主を知り、また、当然自分のなすべき事を知っているならば、主はあなたが、他の何かを行って、罰を受けずに逃げおおせるようなことは許されないであろう! 主を知らず、何もわきまえておらず、無知蒙昧 (むちもうまい) の罪人たちに対しては、神はその憐れみの内に、医者たちに助けさせることを許されるかもしれないが、あなたにとってはもう手遅れである。主が怒りを発し、あなたを取り去られる前に、あなたは急いで、神に信頼した方が良いであろう!
116.私が病気の時に、神が私に対処しておられるなら、私は、自分が主に対して物事を正し、主に従い、全面的に主に信頼しなければならないことを知っている。そうでないと、私をいやしてくれるものは、何一つないであろう!
117.医薬品と医者と医療処置と療法とに依存することは、信仰による恵みによって、完全、かつ全面的に主に依存する代わりに、自分のいやしを、自分自身の行いと、自分自身の自己正義とに依存することである。いやしは、救いと同じ方法によって、すなわち、信仰による恵みによって得る! あなたはただ、信仰による恵みによって救われているだけではなく、信仰による恵みによって、いやされてもいるのである。そしてそれは、あなた自身から出たものではない! それは神の賜物である。行いによるのではない。それは誰も誇ることがないためなのである−−どんな医者やどんな医薬品についてさえも。(エペソ2:8,9)
118.いやしは、救いと同じ方法で、すなわち、いやしに対して、他のどんなものにでもなく、全面的に、神に信頼することによって、手に入る!−−恵み+信仰+0!
119.主は、その憐れみの内に、世界に対しては、医者や医薬品や病院を与えて、彼らの世話をさせておられるが、いやしについて知っているクリスチャンたちには、そんなものは必要ないはずである。
120.医者、あるいは彼の医薬品が、自分を治すことができるという信仰を持つのではなく、主がどんなものから自分をいやして下さったのかを、証言することができるように、医者の所に行って、自分が何にかかっているのかを、診察してもらうことに、私の母は全く賛成していた。
121.医者に行って、医薬品や丸薬をもらい、注射や医療処置や療法を受けることは、平常ではないし、神のやり方でもない! それは異常なことであり、神に対する信仰ではない。それは、最も例外的な事であり、大抵の場合は、自分の何処が悪いのかを、他のどんな方法によっても、考えつく事のできない場合に、それを知るための最後の手段としてなされるのである。そして、その内の半分くらいは、彼らにも分からないのだから、出かけて行くことが一体何の役に立つのか?
122.もし主が、この災いから私を救い出して下さらないなら、その時は、何かのための理由のために、私がそれにかかっていることを、主は望んでおられるに違いない−−おそらくは、それによって、私が生き延びるために、余分な注意を払い、真に祈って、主の近くにとどまり、呼吸の一つ一つ、食物の一口一口、行動の一歩一歩に対して、主に依存するようになるためである! 災いは、本当にあなたを主の近くに保ってくれる!
123.現代の文明化された人間は、かつてなかったほどに、まじない師によって、もて遊ばれている。すなわち、野蛮人の呪医の与える、迷信深い一服の薬に対して、人々が持っていたのと同じくらいの信仰を、まじない師と、彼の与える一服の薬とに対して持っているのである!
124.何処が悪いのかを知らなければならないなら、主があなたにそれを示すことができる! それを知るために、医者の所に行く必要はない。
125.時々主は、何であれ、その原因となっているものをあなたが止めるように、何が悪いのかを、あなたに示さなければならないことがある。しかし他の場合、すなわち、それが私たちの手に余る何かであって、それを正すために、どんな手もないような時には、主はそれを、あなたに示される必要はない。何故なら主はただあなたが、主がいやして下さるのだという信仰を持つことを望まれるからである。
126.自分のいやしのために、神を信頼することは、あなたを主の近くに保ってくれるが、いやしのために医者を信頼することは、あなたを医者の近くに保ってくれる!−−そして、無一文になる!
127.もし主が、あなたを、あなたの災いから救い出して下さらないなら、あなたがその災いにかかっていることは、主の御心であるに違いない。つまり、それによって、あなたを主の近くに保ち、あなたを主に依存させ続けるためである。しかし、もしその災いが、あなたを医者の近くに保ち、彼の医薬品に依存させ続けるだけであるならば、それは良くない! あなたは要点を得ていないし、主の療法からの益を受けてもいない。教訓を学んでいないのである。あなたは、あなたを主の近くに保ち、全面的に主に依存させるための、神の医療処置に応じていないのである。
128.もしその両方の間を選ぶことができるなら、私はむしろ、いつだって主に信頼する方を選ぶ! その方が、はるかに安全だし、はるかに安上がりだし、はるかに確実であって、あらゆる面で、はるかに多くの益をあなたに与えて下さるからである!
129.主は、長い歳月の間、私を失望させられたことは、一度だってなかった−−だからどうして、今になって私を失望させるはずがあろうか? あるいはどうして今になって、私の方が主を失望させて良かろうか? 私は、昔、トルコ人に、いまにも首を切り落とされようとしていた時の、アルメニア人のような気持ちである。その時彼は、もしキリストに対する、彼の信仰を否定するなら、生かしてやろうと、彼らから告げられていたのであった。彼は言った 「さて、私はこの全ての歳月の間イエスを知っていたし、イエスは一度だって、私を失望させられたことはなかった。だからどうして今になって、私の方が主を失望させて良かろうか?」 −−そして彼は、自分の信仰を貫いて死んだ!
130.もしあなたが、最初の小さな威しの声によって、主に信頼するのを止めてしまうことを、主が知っておられるのであれば、一体どうして主が、あなたのために、何かをしてあげるべきなのか? 主は、火の中を通り抜けるような、金の信仰を好まれる。それが本当の信仰である! しかし、もしあなたが、悪魔が次にかける威しの声で、主を信頼するのを止めてしまうことを、主が知っておられるのであれば、主は一体どうして、あなたをいやされるべきなのか?
131.病気になる時、あなたには多くの休息と余分の栄養ある食物が必要であり、それはあなたの体を治療する機会を主に与え、また主と主の御言葉をとるための、多くの時間を得る機会をあなたに与えてくれる。
132.病気の時、あなたは何でも自分がしたいと感じることをすべきである! もしベッドに横たわりたいように感じるなら、起き上がりたいと感じるようになるまで、ベッドに横たわっているべきである! 起き上がりたいと感じるようになるまで、ずっと横たわっていなさい!けれどもあなたが起き上がりたがって、試みるべき時が来なくてはならない。
133.もし私たちが、主を信頼し始めるつもりであるならば、たった今、信頼し始める方が良いであろう。
134.時には私たちには、信仰が無いように思えることもあり、私たちの祈りに対する即座の反応、あるいは答を見ることが出来ないということで、言わば打ちひしがれた気持ちになってしまう傾向がある。しかし主は、必ずしも常に、人々を即座に瞬時のうちに、完全なる健康状態に戻されるとは限らない。もしそうだとするなら、彼らは多くの教訓を学びそこなってしまうであろうし、そして多くの場合、神が彼らに示そうとしておられること、あるいは告げようとしておられることを逃してしまうのである。
(No. M, 87,313,330C,353,569,599,717,737,878,
969,1112,1113,1135,1139,1236,1249,1315,
1386,1493,1565,「涸れることのない流れ」 、
「主のみ衣のすそ」 も参照。)
135.出エジプト15:26 あなたが、もしあなたの神、主の声によく聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプト人に下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたをいやす者である。
136.申命記32:39 今見よ、 わたしこそは彼である。 わたしの他に神はない。わたしは殺し、また生かし、傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出しうる者はない。
137.列王記上17:21,22 そして、三度その子供の上に身を伸ばし、主に呼ばわって言った、 「わが神主よ、この子供の魂を元に帰らせて下さい。」 主はエリヤの声を聞き入れられたので、その子供の魂はもとに帰って、彼は生き返った。(列王記上17:17-23)
138.列王記下4:34,35 そしてエリシャが上がって子供の上に伏し、自分の口を子供の口の上に、自分の目を子供の目の上に、自分の両手の上に当て、その身を子供の上に伸ばした時、子供の体は暖かになった。こうしてエリシャは再び起き上がって、家の中をあちらこちらと歩み、また上がってその身を子供の上に伸ばすと、子供は七たびくしゃみをして目を開いた。(列王記下4:18-37)
139.列王記下5:14 そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように、七たびヨルダンに身を浸すと、その肉が元にかえって、幼子の肉のようになり、清くなった。
140.列王記下20:5b わたしは、あなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。
141.詩篇6:2 主よ、わたしを憐れんで下さい。わたしは弱り、衰えています。主よ、わたしをいやして下さい。わたしの骨は悩み苦しんでいます。
142.詩篇22:24 主が苦しむ者の苦しみを軽んず、忌み嫌われずまたこれに御顔を隠すことなく、その叫ぶ時に聞かれたからである。
143.詩篇30:2 わが神、主よ、わたしがあなたに向かって助けを叫び求めるとあなたはわたしをいやして下さいました。
144.詩篇34:19 正しい者には災いが多い、しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。
145.詩篇41:4 主よ、わたしを憐れみ、わたしの魂をいやして下さい。わたしはあなたに向かって罪を犯しました。
146.詩篇103:3 主は、あなたのすべての不義を許し、あなたのすべての病をいやす。
147.詩篇107:20 主は、その御言葉を遣わして彼らをいやし、彼らを滅びから助け出された。
148.箴言18:14 人の心は、病苦をもしのぶ。しかし、心の痛む時には、だれがそれに耐ええようか。
149.イザヤ40:29 主は、弱った者には力を与え、勢いの無い者には強さを増し加えられる。
150.イザヤ53:5 しかし、彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のためにあざをつけられた。彼は自ら懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
151.イザヤ59:1 見よ、主の手が短くて救い得ないことはない。その耳が鈍くて聞こえないこともない。
152.エレミヤ30:17a 主は言われる。わたしはあなたの健康を回復させ、あなたの傷をいやす。
153.エレミヤ32:27 見よ、わたしは主である。すべての肉なる者の神である。わたしにできないことがあろうか。
154.エレミヤ33:6 見よ、わたしは健康といやしとをここにもたらして人々をいやし、豊かな平安とまこととを彼らに示す。
155.エゼキエル34:16 わたしは、失せた者を尋ね、追い出された者を連れ戻し、傷ついた者を包み、病気の者に力を与える。
156.マラキ4:2a わが名を恐れるあなたがたには、義の太陽が昇り、その翼にはいやす力を備えている。
157.マタイ4:23,24 イエスは、ガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆる患いをおいやしになった。そこで、その評判はシリヤ全地に広まり、人々があらゆる患いにかかっている者、すなわち、色々の病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などを、イエスの所に連れて来たので、これらの人々をおいやしになった。
158.マタイ8:2b,3 「主よ、御心でしたら、清めていただけるのですが」 イエスは、手を伸ばして彼に触り、 「そうしてあげよう。清くなれ。」 と言われた。すると、らい病はただちに清められた。
159.マタイ8:13 それからイエスは百卒長に、 「行け、あなたの信じた通りになるように。」 と言われた。するとちょうどその時に僕はいやされた。
160.マタイ8:14,15 それからイエスはペテロの家に入って行かれ、そのしゅうとめが熱病で床についているのを御覧になった。そこでその手に触れられると熱が引いた。そして女は起き上がって、イエスをもてなした。
161.マタイ9:2,6 すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままで、御元に運んで来た。イエスは、彼らの信仰を見て、中風の者に、 「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は許されたのだ。」 と言われた。 「しかし、人の子は地上で罪を許す権威を持っていることが、あなたがたに分かるために」 と言い、(中風の者に向かって) 「起きよ、床を取り上げて家に帰れ。」 と言われた。
162.マタイ9:22,29 イエスは振り向いて、この女を見て言われた、 「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」そこでイエスは、彼らの目に触って言われた、 「あなたがたの信仰の通り、あなたがたの身になるように。」
163.マタイ9:35 イエスは、全ての町々、村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆる患いをおいやしになった。
164.マタイ10:8 病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人を清め、悪霊を追い出せ、ただで受けたのだから、ただで与えるが良い。
165.マタイ12:13 そしてイエスはその人に、 「手を伸ばしなさい」 と言われた。そこで手を伸ばすと、他の手のように良くなった。
166.マタイ12:22 その時人々が、悪霊につかれた盲人のおしを連れて来たので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。
167.マタイ15:28 そこでイエスは答えて言われた、 「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願い通りになるように。」 その時に、娘はいやされた。
168.マタイ15:30 すると大勢の群衆が、足なえ、盲人、おし、不具者、その他多くの人々を連れて来て、イエスの足もとに置いたので、彼らをおいやしになった。
169.マタイ17:18 イエスがお叱りになると、悪霊はその子から出て行った。そして子は、その時にいやされた。
170.マタイ19:2 すると大勢の群衆がついて来たので、彼らをそこでおいやしになった。
171.マタイ20:34 イエスは深く憐れんで、彼らの目に触れられた。すると彼らは、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。
172.マルコ1:25,26 イエスはこれを叱って、 「黙れ。この人から出ていけ」 と言われた。すると汚れた霊は彼を引きつけさせ、大声を上げてその人から出て行った。
173.マルコ1:31 イエスは近寄り、その手を取って起こされると、熱が引き、女は彼らをもてなした。
174.マルコ1:40,41 一人のらい病人が、イエスの所に願いに来て、ひざまづいて言った、 「御心でしたら、清めていただけるのですが」 イエスは深く憐れみ、手を伸ばして彼に触り、 「そうしてあげよう。清くなれ」 と言われた。
175.マルコ5:34 イエスはその女に言われた、 「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心していきなさい、すっかり治って達者でいなさい。」
176.マルコ6:56 そして、村でも町でも部落でも。イエスが入って行かれる所では、病人たちをその広場に置き、せめてその上着のふさにでもさわらせてやっていただきたいとお願いした。そして触った者はみないやされた。
177.マルコ7:32-35 すると人々は、耳が聞こえず、口のきけない人をみ元に連れてきて、手をおいてやっていただきたいとお願いした。そこでイエスは、彼一人を群衆の中から連れ出し、その両耳に指を差し入れ、それからつばきでその舌を潤し、天を仰いで溜め息をつき、その人に 「エパタ」 と言われた。これは 「開けよ」 という意味である。すると彼の耳が開け、その舌のもつれもすぐ解けて、はっきりと話すようになった。
178.マルコ10:52 そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたをいやした」すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って言った。
179.マルコ16:17,18 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手を置けばいやされる。
180.ルカ4:4 日が暮れると、色々な病気に悩む者を抱えている人々が、みなそれをイエスのところに連れて来たので、その一人一人に手をおいておいやしになった。
181.ルカ5:17 ある日のこと、イエスが教えておられると、ガリラヤやユダヤの方々の村から、またエルサレムから来たパリサイ人や律法学者たちが、そこに座っていた。主の力が働いて、イエスは人々をいやされた。
182.ルカ6:19 また群衆は、イエスに触ろうと努めた。それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。
183.ルカ7:14,15 そして近寄って、棺に手をかけられると、かついでいる者たちが立ち止まったので、 「若者よ、さあ、起きなさい」 と言われた。すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼をその母にお渡しになった。
184.ルカ8:48b あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。
185.ルカ8:49,50 イエスがまだ話しておられる内に、会堂司の家から人が来て、 「お嬢さんは亡くなられました。この上、先生を煩わすには及びません」 と言った。しかし、イエスはこれを聞いて会堂司に向かって言われた、 「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ。」
186.ルカ9:42 ところが、その子がイエスのところに来る時にも、悪霊が彼を引き倒して、 引きつけさせた。イエスはこの汚れた霊を叱りつけ、その子供をいやして、父親にお渡しになった。
187.ルカ10:9 そしてその町にいる病人をいやしてやり、 「神の国は、あなたがたに近づいた。」 と言いなさい。
188.ルカ13:11-13 そこに18年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、体を伸ばす事の全くできない女がいた。イエスはこの女を見て呼び寄せ、 「女よ、あなたの病気は治った」 と言って、手をその上に置かれた。するとたちどころに、そのからだが真っすぐになり、そして神を称え始めた。
189.ルカ17:14b そして行く途中で、彼らは清められた。
190.ルカ18:42 そこでイエスは言われた、 「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」
191.ルカ22:50,51 その内の一人が祭司長の僕に切りつけ、その右の耳を切り落とした。イエスは、これに対して言われた、 「それだけで止めなさい。」 そしてその僕の耳に手を触れておいやしになった。
192.ヨハネ4:50 イエスは彼に言われた、 「お帰りなさい。あなたの息子は生きるのだ。」 彼は、自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。
193.ヨハネ9:3 イエスは答えられた、 「本人が罪を犯したのでもなく、またその両親がおかしたのでもない。ただ、神のみ業が彼の上に現れるためである。」
194.使徒行伝3:6 その時ペテロが言った、 「金銀はわたしにはない。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人、イエス・キリストの名によって歩きなさい。」
195.使徒行伝3:16 そして、イエスの名が、それを信じる信仰の故に、あなたがたが見て知っているこの人を強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、この通り完全にいやしたのである。
196.使徒行伝9:34 ペテロが彼に言った、「アイネアよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい。」 すると彼は直ちに起き上がった。
197.使徒行伝9:37,41 ところがその頃、病気になって死んだので、人々はその体を洗って、屋上の間に安置した。ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから聖徒たちややもめたちを呼び入れて、彼女が生きかえっているのを見せた。
198.使徒行伝19:11,12 神はパウロの手によって、特別な奇跡を次々になされた。たとえば、人々が彼の見につけている手拭いや前かけを取って病人に当てると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。
199.使徒行伝20:10 そこでパウロは降りて来て、若者の上に身をかがめ、彼を抱き上げて、「騒ぐことはない、まだ命がある」 と言った。(使徒行伝20:7-12)
200.使徒行伝26:8 神が死人をよみがえらせるということが、あなたがたにはどうして信じられないことと思えるでしょうか、
201.使徒行伝28:8,9 たまたま、ポプリオの父が赤痢を患い、高熱で床に就いていた。そこでパウロは、その人のところに入って行って祈り、手を彼の上に置いていやしてやった。このことがあってから、他に病気をしている島の人たちが、続々とやって来て、みないやされた。 202.ローマ8:11 もし、イエスを死人の中からよみがえられた方のみ霊が、あなたがたのうちに宿っているなら、キリストを死人の中からよみがえらせた方は、あなたがたの内にやどっているみ霊によって、あなたがたの死ぬべき体をも生かして下さるであろう。
203.ヘブル12:13b むしろ、いやされるように。
204.ヤコブ5:14-16 あなたがたの中に病んでいる者があるか、その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうが良い。信仰による祈りは、病んでいる人を救い、そして主は、その人を立ち上がらせて下さる。かつその人が罪を犯していたなら、それも許される。だから、互いに罪を告白し合い、またいやされるように、お互いのために祈りなさい。義人の熱心な祈りは、おおいに力があり、効果のあるものである。
205.黙示録22:2 都の大通りの中央を流れる川の両側には、命の木があって、12種の実を結び、その実は毎月実り、その木の葉は諸国民をいやす。
(マタイ11:4-6も参照。)