32.実り豊かさ
このようにあなたがたは、その実によって彼らを見分けるのである。(マタイ7:20)
1.私たちは、ナッツ (木の実、または気違い) であるかもしれないが、木に成長し、飢えた者たちを養うのである。
2.もし私たちの実が魂であり、より多くのクリスチャンを得ることであるなら、私たちの葉は何であろうか?−−それは、私たちの働きである!
3. 「その葉もしぼまないように」 というのは、あなたの働きがしぼむことなく、枯れてしまうことなく、吹き飛ばされることもないという意味である!
4.もし神が、良き実によってその方法を祝福されているなら、その方法は、良い方法である。
5.良い働きは、良い実を実らせる。
6.私たちの全ての良い実を見てみなさい−−救われた魂や、改心した人々や、宣教師となった人々や、奇跡的ないやしや、あらゆる様式、あらゆる形、あらゆる種類によって、全世界中で行なわれている素晴しい証しなどである!‥‥言葉や歌や音楽によって、またあらゆる言語によって!
7.私には良い実がある。だから私は、良い木であるに違いない!
8.あなたがどのように行おうと、誰と行おうと、何処で行おうと、あるいはどんな様式で行おうとも、私は構わない。ただ良い実を結びなさい−−神の王国に魂を導き入れることである!
9.金の卵を産むがちょうを殺してはいけない。
10.彼らは、私たちの方法や、手段や非因習的な方策が好きではないが、それが成果や良い実を得ているという事実は否定できないのである!
11. メイトになることを望む各々の男女を、その真価によって判断しなければならない。それは彼らにとって益なのか? 単に肉体的魅力に引き付けられているのではなく、彼らはお互いに対して真の誠実な愛を持っているだろうか? それは役に立つだろうか? それとも害を与えるだろうか? それは他の人に対して良い影響を与えるだろうか? それは神の仕事にとって良いことだろうか?
12.私が死んだ後で残したい記念碑は、世界中に行き巡る二本足を持った記念碑である−−つまりイエス・キリストの救いを伝える救われた罪人のことである!
13.収穫され、保存される前に、木の上で枯れて腐る豊作の実よりも、後まで残る強い、小型の小さい実のほうがましである。
14.主は、太陽のようであり、私たちは主のぶどう園である。だから私たちが実を結ぶように、主の光は、私たちの上を照らし、影や疑いや、恐れや冷気の全てを追い払って、私たちの地のふところを暖められる。
15.神の霊感の炎の舌が、あなたの霊的な興奮のオルガズムを起こし、そのオルガズムが神の御言葉の種を噴出させ、あなたを神の御霊で満たす。神の御言葉がそれに応じる心に宿る時、実を結び、神の王国に新しい赤ん坊が生まれる!
16.主が、特別な啓示を与えてくださらない限り、どうしてあなたは、自分がすでに収穫を刈り取った畑、すなわち使いふるされ、過度に働きかけられ、メッセージが浸透されている畑に、故意に、頑固にしがみつきたいと言い張るのか? すでに収穫が刈り取られ、使い尽くされ、危険であり、困難であり、もしかしたら、不可能かもしれない畑にとどまって、何とかしてあちこち、ほんのすこしずつ落ち穂を拾い集めていこうとする代わりに、主が言われたこと、すなわちより大きな成果を得ることのできるような、もっと実りのある畑、色づいて収穫を待っている畑に行ってはどうか?
17.どんなミニストリーでも、善をなすよりも多くのトラブルをもたらし、多くの敵意、多くの批判を生じさせ、多くの敵を立腹させるミニストリーは、良いミニストリーではない。それは単に、状況を悪化させるだけであり、まだ長い間続けて、良い実を結ぶことのできた他の人々のミニストリーをはるかに困難にするだけである。
18.ただミニストリーが、大いに公けにさらされていて、宣伝されていて、ものすごい大きな伝道のスタッツを持っているというだけで、必ずしもそれが実りがあり、有益であり、正しい種類の実を結んでいるとは限らない。良い実というのは、勝ち取られたより多くの魂、勝ち取られたより多くの弟子、ジョインしたより多くのファミリー・メンバーのことを指している。 「これがわたしの父の御心である」 とイエスは言われた。すなわち、 「あなたがたが実を結び、その実がいつまでも残るためである。」 (ヨハネ15:16)
19.ミニストリーが、実際に実のあるものであるか、ないかについて、その真価を問うものとは、ものすごく大きな伝道のスタッツだけではない。それは結構だが、もし永続的な成果を得ず、いつまでも残る実を得ないなら、それは無益である。農夫がどれだけ多くの種を蒔こうとも、もし収穫物を得ないなら、それらの種が芽をだして成長し、より多くの実を結ぶことをしないなら、彼は破産し飢え、生き延びないであろう。彼の畑も、また彼の仕事も存在し続けないであろう。それはどうしても実を結ばなくてはならないのである。それはどうしても、成果を刈り取らなくてはならないのである。それはどうしても有益であり、実りがあるものでなくてはならないのである。そうでないと彼は、失業してしまうであろう。
20.もしあなたが、実を結ぶような種類の種を蒔いておらず、また実を結ぶ良い地ではなくて、固い石地や、土の薄い石地や、あるいは種が成長するのをふさいでしまう、とげのある低木やアザミやいばらの生える地に種を蒔いているなら、あなたは無益なミニストリーについているのである。
21.単なる種のスタッツや、あなたの畑の大きさや、あなたの蒔いた種の量の他に何か私に示してほしい。私に成果を、実を、完成した製品を見させてほしい: すなわち勝ち取られた魂、加わった弟子、新しいファミリーメンバー、新しい働き人、主のための新しい宣教師である。
22.もしあなたが、静かな、賢い、宣伝されていない個人伝道を通して、もうしばらく続けて、いつまでも残る少しの実をなお結ぶことを望んでいるなら、すなわちいつまでも残る成果、弟子、メンバー、援助を得ることを望んでいるなら、本当に割に合い、実を結び、それがいつまでも残るような場所以外では、口を閉じておいたほうがいいだろう。そして賢くなく、安全ではない伝道、すなわち公けに対して過度にさらされることと、あなたの敵に対する危険な宣伝によって、あまりにも早く追い出され、早まって止めないようにしなさい。それは、あなたの敵を怒らせ、あなたのことを公開し、あなたに反対させて、その地域におけるどんなミニストリーに対しても、苦い終止符を打つからである。
23.あなたがすべき一つの事は、あなたの結果を分析し、それが当然あるべきような類いのミニストリーであるかどうかを見るために、当然得ているはずの種類の成果を得ているかどうかを見ることである。あなたは、その種類のミニストリーから、実際の弟子やメンバーを何人得たか、数える必要がある。
24.これは、毎日の終わりに、自分自身に尋ねるのに良い質問である: 「今日、私は自分の人生をどう使っただろうか? 私はイエスのために何をしただろうか?」 これらの事柄を熟考し、あなたが主に従っていて、主を喜ばせているが故に、主がその日あなたに向かって、 「よくやった、良い忠実なしもべよ、主人と一緒に喜んでくれ。」 と言われるかどうかに関して、これらのことを評価するのは良いことである−−そうすればあなたは、自分が自分の最善を尽くしたことを感謝し、また満足し、平和で満足した睡眠を得られるであろう。あなたは、平和の内に眠れるであろう。
25.もし木が適当な実を結ばないなら、私たちはその回りを掘って肥料をやり、悪い枝を切り取って、それがより多くの実を結ぶことを望むのである。
26.主にある枝でさえ、実を結ぶ枝でさえ、それらがより多くの実を結ぶように、主はそれに徹底的に取り組まれるのである。
27.私たちが、実を結ばない者にならないように、私たちが実を結ばないことで切り取られ、外に投げ捨てられてしまわないように、主を恐れよう−−救いを失うとか、救われていないというのではないが、私たちが仕事をする事を怠ったが故に、もはや役に立たないものとして、外に投げ捨てられることのないように。
28.これこそ、存在し続けなくてはならないミニストリーである!−−つまり御言葉がである! 他のものは必要とあらば打ち切り、切り落としてもいいであろう。だからこそ、彼らは枝を取り除き、切り落とすと主は言われたのではなかったか?−−そうすることによって、より少ない実を結ぶのではなく、より多くの実を結ぶからである。残っている枝がより多くの実を結ぶことができるようになるためである! (ヨハネ15:2)
29.私たちは、魂を勝ち取るだけではなく、それらの魂から弟子を作らなくてはならないのである。そうでないと私たちは、多くがそうであるように、実のない死につつある教会になってしまう! 彼らは、生産的ではないことで、自己繁殖しないことで、自ら集団虐殺を行っている−−また幾つかの宗教のように、聖職者に独身論を教え、セックスに反対し、またそれゆえに不妊であり、子供がなく、死につつあり、すでに死んでいるような者たちのようになってしまうであろう!
30.マスコミを通しての伝道は、個人伝道と比べてはるかに安全であり、容易であり、また犠牲も、危険も少なく、より多くの援助や教会からの協力や政府の許容を得られるのであるが、しかしそれは真の革命的弟子や、真の革命的宣教師を生み出しはしないのである!
(No. A,P,189,203,214,319,344,545,565,
731,1028,1376,1382,1389,1525,1551も参照。)
31.ヨブ14:4 だれが汚れたもののうちから、清いものを出すことができようか。ひとりもない。
32.詩篇1:3 このような人は、流れのほとりに植えられた木の、時がくると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところはみな栄える。
33.箴言13:19a 願いがかなえば心は楽しい。
34.マタイ3:8 だから悔い改めにふさわしい実を結べ。
35.マタイ3:10 おのが、すでに木の根元に置かれている。だから良い実を結ばない木は、ことごとく切られて火の中に投げ込まれるのだ。
36.マタイ7:16-20 あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう。いばらからぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。良い実を結ばない木は、ことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。このように、あなたがたは、その実によって彼らを見分けるのである。
37.マタイ13:22,23 またいばらの中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが世の心づかいと富の惑わしとが御言葉をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。また良い地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである。
38.ヨハネ10:36-38 父が聖別して世につかわされたものが、 「わたしは、神の子である」 と言ったからとて、どうして 「あなたは神を汚す者だ」 と言うのか。もしわたしが、父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、もし行っているなら、たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば父がわたしにおり、またわたしが父におることを知って悟るであろう。
39.ヨハネ12:24 よくよくあなたがたに言っておく。ひと粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただひと粒のままである。しかしもし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
40.ヨハネ15:4 わたしにつながっていなさい。そうすればわたしは、あなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことがないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ実をむすぷことができない。
41.ヨハネ15:8 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによってわたしの父は、栄光をお受けになるであろう。
42.コロサイ1:10 主の御心にかなった生活をして、真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざをおこなって、実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。
43.ヤコブ2:18 しかし、「ある人には信仰があり、また他の人には行いがある」 と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。
44.Uペテロ1:5-9 それだからあなたがたは、力の限りを尽くして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について、あなたがたは、不毛の、実を結ばない者となることはないであろう。これらの者を備えていない者は、盲人であり、近視の者であり、自分の以前の罪が清められた事を忘れている者である。
45.Vヨハネ11 愛する者よ悪にならわないで善にならいなさい。善を行う者は、神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者である。