29.許しと憐れみ
もしもあなたがたが、人々の過ちを許すならば、あなたがたの天の父も、あなたがたを許して下さるであろう。(マタイ6:14)
1.私たちは、地獄や罰や、その全てのものを受けて当然なのだが、私たちはそれらを受けることより逃れられるのである。何故なら私たちがキリストを信じていて、キリストの許しと、私たちに代わってキリストが十字架の上で罰を受けて下さったことを受け入れるからである。 2.あなたには、あなたの判例を申し立てて、弁護してくれる弁護士がいる。彼は、裁判官にこう言うのである、 「私は、すでにこの罪のために代価を払いました!」
3.イエスよ、あなたのキスによって彼らの傷や、涙や、罪や、病いを取り去って下さい!
4.後悔することは、すごくもったいないエネルギーの浪費にもなり得る−−あなたは、それを土台にして、何かを築き上げることはできない。だから自分の罪を認め、神の許しを受け入れ、主の名誉と栄光のために生き続けなさい。
5.上にある神のみ座の前に、
私は強い、完璧な申し立てを持っている;
愛という名の、偉大な大祭司がおられ、
彼は生きていて、私のために常に嘆願して下さる。
6.神は、母親のように容赦され、ご自分のキスで、あなたの犯罪を永遠の忘却と変えて下さる。
7.あなたは、イエスにとって悪すぎるということは決してない−−ただ良すぎることがあるだけである。
8.全てのものを見通す目が、あなたを見ている−−けれども彼は愛情深く、優しく、思いやりがあり、許し、両手を広げて待っていてくださる。
9.ダビデと他のある人々は、大きな間違いを幾つか犯したが、彼らはまた大いに悔い改めたので、大いなる許しが与えられた。
10.ダビデ王は、世界で知られた最悪の罪人の一人だった。しかしまた最大の聖徒の一人であった。何故なら彼は、許してもらうために自分が神の愛と憐れみと恵みとに完全に頼っていたことを知っていたからである。
11.私たちが告白するまで、神は許しては下さらない。
12.神は、私たちが犯した罪は許して下さるが、その罪が成した損害をもとどおりにすることは困難であり、時々不可能であることがある。そして私たちは、しばしば一生そのために苦しんだり、また他の人々が苦しむのを見なければならないのである!
13.愛だけが、神の憐れみをもたらす。
14.あなたは、悪魔の裁きを知らない限り、神の憐れみを有りがたく思うことはできない。
15.完全な不信以外は、神は何でも許してくださる。
16. もし、私が今日、一つの魂でも傷つけたなら、
もし、私が一歩でも、誰かの道を踏みはずさせたなら
もし、私が、自分自身のわがままな道を行ったなら、
愛する主よ、どうか私を許して下さい!
17.他の人を許すことのできない人々は、自分自身が通らなければならない橋を壊しているようなものである; 全ての人が許してもらう必要があるからである。
18.ケンカの後、仲直りするにも、また二人を要する。
19.記憶が良いというのは結構なことである−−しかし忘れることのできる能力というのは、偉大さを計る真のテストである。
20.許しを受け入れる資格があるのは、許す者だけである。
21.生きる最大のコツのひとつは、忘れることにある。 (恨みを抱かないこと)
22.誰かの誤りに憤る前に、10まで数える時間を取りなさい−−すなわちあなた自身の誤りを10個数えなさい。
23.許しは、もっとも高潔な復讐である。
24.主の心は世界ほども大きく、悪に対する記憶を保っておく場所は少しもない。
25.憐れみは犠牲である! 誰かを許すことは犠牲である! 悪かったと思うことは犠牲である!
26.私たち自身の弱さは、私たちを他の人の弱点に同情させる。
27.神が、キリストの故に私たちを許して下さったように、お互いに許し合おうではないか!
28.過ちに対する治療は、許すことと忘れることである。
29.許しとは、足で踏みつけられてつぶされた花が、発散する芳香のようである。
30.もし私たちが、他の人を許すだけ自分も許され、他の人に示した憐れみの分だけ自分にも示されるようになるなら、かなりの苦境に陥る人がいる!
31.過ちは人の常、許すは神のわざ。
32.不正な待遇を許して忘れることは、最善の復讐である。
33.あなたは、あなたの悪口を言うか、故意にあなたを不当に扱う人に対して、とてつもない有利な立場にあるのである: あなたは、その人を許すという力をあなたの中に持っている。
34.もし真に悔い改めているなら、あなたを不当に扱った者を許さなければならず、またあなたが、不当に扱った者たちに心から許しを求め、彼らの手を取って、愛と、フェローシップと、幸せで、喜びにあふれた奉仕と楽しさの中につれ戻さなければならない。
35.あなたを傷付けた者は、あなたよりも強いか、弱いかのどちらかである。もしその者が、あなたよりも弱いなら、その者を容赦しなさい!−−もしその者が、あなたより強いなら、あなた自身を容赦しなさい!
36.許しは、あなたが相手の人に自分を許してくれるように求めることから始まる。
37.見る時もあれば、ウインクして見逃してあげる時もある。
38.同情は、あなたの心で考えたものの結果である。
39.もし許すだけの愛がないなら、あなたには愛がない−−何故なら、許しは愛だからである!
40.神の憐れみには制限がない。神の愛には限りがない。神の愛は、神の律法よりも大いなるものである。愛は神であり、神は永遠である。それは天の露のゆえに、すなわちイエスの故にまるで小川のように、川のように、たとえ何があろうと、ただ流れ続ける!
41.神の御子イエス・キリストの血が、私たちを全ての罪から清めてくれる!−−過去の罪、現在の罪、両親の罪、全ての罪からである!
42.あなた自身が慰められたその慰さめをもって、どうして他の人々を慰さめられないことがあろうか? 主があなたに与えてくださった同じ憐れみを、どうして与えられないことがあろうか? 少なくともどうして彼らにチャンスを与えられないのか?
43.神は、あなたの罪を覚えることさえされないのに、どうしてあなたがそうすべきなのか?
44.自分の過去のことをひどく後悔することは、キリストの十字架を何の効果もないものにする。
45.過去の一日一日は、私たちの手の届かないところにあり、そのままにしておくべきである。
46.イエスが私たちを見付けて下さる前は、私たちは皆黒い羊 (厄介者) であった−−しかし、主は、ご自分の血で私たちを洗われ、私たちの毛を雪のように白くして下さったのである!
47.正義には憐れみがない。正義は、ただ物事が正しいか、誤っているかを決めるだけである。しかし、愛と憐れみは、罪人が誤っていることを知っていても許すのである。
48.人々が、本当は許されるべき時ではないのに、あなたが許すなら、神はその時彼らを許さなくてはならない。何故なら主はこう言われた、「あなたがたが許す罪は、誰の罪でも許されるであろう。」 (ヨハネ20:23)
49.トラブルを故意に引き起こしており、悔い改めず、やって来て許しを求めないような人々をどうして許すべきなのか?
50.神はなお、あなたの過去の過失や間違いを許し、なおあなたを大きな戦いや勝利や、来たるべき大いなる事において、大いに使うことができる−−もしあなたが、ただ柔和で、静かで、謙遜で、従順であるなら。
(No.18,25,75,531,583,594,606,635,641,647,648,
681,718,719,753,763,1247,1371,1396,1547も参照)
51.創世記18:26 主は言われた、「もしソドムで町の中に50人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべて許そう」
52.出エジプト20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者は、恵みを施して千代に至るであろう。
53.出エジプト32:14 それで主は、その民に下すと言われた災いについて思い直された。
54.民数記14:18a,19 主は、怒ることおそく、いつくしみに富み、罪ととがを許す者、どうぞあなたの大いなるいつくしみによって、エジプトからこのかた今に至るまで、この民を許されたように、この民の罪をお許し下さい。
55.サムエル記下24:14,16 主の憐れみは大きいゆえ、われわれを主の手に陥らせて下さい。天の使いが手をエルサレムに伸べてこれを滅ぼそうとしたが、主はこの害悪を悔い、民を滅ぼしている天の使いに言われた、「もはや十分である。今、あなたの手をとどめるがよい。」
56.歴代志上21:13 ダビデはガデに言った、「わたしは非常に悩んでいるが主の憐れみは大きいゆえ、わたしを主の手に陥いらせてください。しかし、わたしを人の手に陥らせないでください。」
57.詩篇18:25 あなたは、いつくしみある者にはいつくしみある者となり、欠けたところのない者には欠けたところのない者となり。
58.詩篇32:1,2,5, そのとがが許され、その罪がおおい消される者は幸いである。主によって不義をおわされず、その霊にいつわりのない人は幸いである。わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「 わたしのとがを主に告白しよう、と。その時あなたは、わたしの犯した罪を許された。」セラ
59.詩篇51:1 神よあなたのいつくしみによってわたしを憐れみ、あなたの豊かな憐れみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。
60.詩篇51:10 神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしの内に新しい、正しい霊を与えてください。
61.詩篇86:5 主よ、あなたは恵み深く、寛容であって、あなたに呼ばわる全ての者にいつくしみを豊かに施されます。
62.詩篇103:8-13 主はあわれみに富み、恵み深く、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。主は常に責めることをせず、またとこしえに怒りをいだかれない。主は、われらの罪に従ってわれらをあしらわず、われらの不義に従って報いられない。天が地よりも高いように、主が、己れを恐れる者に賜るいつくしみは大きい。 東が西から遠いように、主は、われらのとがをわれらから遠ざけられる。父がその子供をあわれむように、主は己れを恐れる者をあわれまれる。
63.詩篇103:17 しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にある。
64.詩篇130:3,4 主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目を留められるならば、主よ、誰が立つ事ができましょうか。しかしあなたには、許しがあるので人に恐れかしこまれるでしょう。
65.箴言3:3,4 いつくしみとまこととを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、心の碑に記せ。そうすればあなたは、神と人との前に恵みと誉れとを得る。
66.箴言16:6 いつくしみとまこととによって、とがはあがなわれる。主を恐れることによって、人は悪を免れる。
67.箴言24:16 正しい者は七たび倒れても、また起き上がる。しかし悪しき者は災いによって滅びる。
68.イザヤ1:18 主は言われる。さあ、われわれは互いに論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても羊の毛のようになるのだ。
69.イザヤ43:25 わたしこそ、わたし自身のために、あなたのとがを消す者である。わたしは、あなたの罪を心に留めない。
70.イザヤ44:22 わたしは、あなたのとがを大きい雲のように吹き払い、あなたの罪を雲のように消した。わたしに立ち返れ、わたしは、あなたをあがなったから。
71.イザヤ54:7,8 わたしは、しばしあなたを捨てたけれども、大いなる憐れみをもってあなたを集める。少しの憤りをもって、しばしわが顔を隠したけれども、とこしえのいつくしみをもってあなたを憐れむ。
72.イザヤ55:7 悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて主に帰れ。そうすれば主は、彼に憐れみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かに許しを与えられる。
73.哀歌3:22,23 主の憐れみゆえわたしたちは滅びることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの忠実さは大きい。
74.ミカ7:18,19 だれか、あなたのように不義を許し、その嗣業の残れる者のために、とがを見過ごされる神があろうか。神は、いつくしみを喜ばれるので、その怒りを長く保たず、再びわれわれを憐れみ、われわれの不義を足で踏み付けられる。あなたは、われわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れ。
75.マタイ5:7 あわれみ深い人たちはさいわいである。彼らはあわれみを受けるであろう。
76.マタイ5:23,24 だから祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が、自分に対して何か恨みを抱いていることをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行って、その兄弟と和解し、それから帰って来て、供え物を捧げることにしなさい。
77.マタイ6:14,15 もしもあなたがたが、人々の過ちを許すならば、あなたがたの天の父もあなたがたを許して下さるであろう。もし人を許さないならば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを許して下さらないであろう。
78.マタイ9:13 「わたしが好むのはあわれみであって、いけにえではない。」 とはどういう意味か学んできなさい。
79.マタイ18:21,22 その時、ペテロが、イエスのもとに来て言った、 「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たび許さねばなりませんか。七たびまでですか。」 イエスは彼に言われた、 「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。」
80.マルコ11:25,26 また立って祈る時、誰かに対して何か恨みごとがあるならば許してやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたの過ちを許してくださるであろう。もし許さないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたの過ちを許して下さらないであろう。
81.ルカ6:36,37 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。人を裁くな。そうすれば自分も裁かれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば自分も罪に定められることがないであろう。許してやれ。そうすれば自分も許されるであろう。もし許さないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたの過ちを許してくださらないであろう。
82.ルカ7:47,48 「それであなたがたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪は許されているのである。少しだけ許された者は、少しだけしか愛さない」 そして女に、「あなたの罪は許された。」 と言われた。
83.ルカ23:34a そのとき、イエスは言われた、 「父よ、彼らをお許し下さい。彼らは何をしているのかわからずにいるのです。」
84.ヨハネ20:23 あなたがたが許す罪は、誰の罪でも許され、あなたがたが許さずにおく罪はそのまま残るであろう。
85.使徒行伝26:18 それは彼らの目を開き、彼らを闇から光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また彼らが罪の許しを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである。
86.ローマ5:20b しかし罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
87.Uコリント2:6-11 その人にとっては、多数の者から受けたあの処罰でもう十分なのだから、あなたがたはむしろ彼を許し、また慰めてやるべきである。そうしないとその人は、ますます深い悲しみに沈むかもしれない。そこでわたしは、彼に対して愛を示すように、あなたがたに勧める。わたしが書き送ったのも、あなたがたが全てのことについて従順であるかどうかを試すに他ならなかった。もしあなたがたが、何かのことについて人を許すなら、わたしもまた許そう。そしてもしわたしが、何かのことで許したとすれば、それはあなたがたのために、キリストのみ前で許したのである。そうするのは、サタンに欺かれることのないためである。わたしたちは、彼の策略を知らないわけではない。 88.エペソ1:7 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みの故に、その血によるあがない、すなわち罪過の許しを受けたのである。
89.コロサイ3:13 互いに忍び合い、もし互いに責むべきことがあれば許し合いなさい。主もあなたがたを許してくださったのだから、そのようにあなたがたも許し合いなさい。
90.ヤコブ2:13 憐れみを行わなかった者に対しては、仮借のない裁きが下される。憐れみは裁きに打ち勝つ。
91.Tヨハネ1:9 もしわたしたちが、自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪を許し、全ての不義からわたしたちを清めて下さる。
92.Tヨハネ2:12 子たちよ、あなたがたに書き送るのは、御名のゆえにあなたがたの多くの罪が許されたからである。
(ヨハネ4:2,10,11、マタイ18:23-35も参照。)