18.疑い
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、 「信仰の薄い者よ、何故疑ったのか?」 (マタイ14:31)
1.疑いに対する最善の治療法は、御言葉である!
2.トラブルが来ることは避けられないが、それに腰掛けるための椅子を与える必要はない。
3.鳥が頭上を飛び交わないようにすることはできないが、自分の髪の毛の中に巣を作らせないようにすることは確かにできる。
4.疑いは、障害物を見るが、
信仰は道を見る。
疑いは真っ暗な夜を見るが、
信仰は、昼間を見る。
疑いは一歩踏み出すことを恐れるが
信仰は、高きに舞い上がる。
疑いは、「誰が信じるだろうか?」 といぶかしむが、
一方、信仰は 「私が信じる」 と答える。
5.ほんの少しの疑いは、ほんの少しの恐れ、ほんの少しの不平、ほんの少しの落胆は、どんどん大きくなっていって、ついにはあなたが完全に打ち負かされて、他の人々に対する悪影響となってしまうことがある!
6.全ての疑いの根源には、罪がある。神の御心に対する反抗という、忌まわしい極悪非道の罪である。
7.疑いは、あなたとあなたの周囲にあるものを食い尽くし、滅ぼしてしまう怪物である! 疑いは、悪魔の思考及びサタンの言葉である!−−そして自分自身の思いの中に疑いを持っている時、あなたは敵の思考を考えているのである! 自分の疑いを声にして、他の人々に伝えている時、あなたはサタンのプロパガンダを広めているのである−−そしてその全ては、分裂をもたらすためのものなのであり、またその分裂を通して、神の御仕事を破滅させるためのものなのである!
8.自分の問題を宣伝する価値はない。それに対する需要がないからである。
9.あなたは、潜在的なユダであるか?−−もしあなたが疑い深く、不幸せで、満足しておらず、不従順で、信じようとしないならそうである!
10.あなたは敵の思考を心に抱き、しかも神の思考を受け取ることはできない。
11.つぶやきは疑いの声−−疑いの声はつぶやきである!
12.もしあなたが疑いと、落胆と、彼の嘘とを語らせるために、悪魔にあなたの口を使わせるなら、あなたは悪魔自身の教義を宣教しているのである!
13.あなたの信仰を養いなさい。そうすれば疑いは、飢え死にするであろう。
14.時として、疑いと落胆の代価は、敗北と死とになり得ることもある!
15.もし落胆して信仰を失うなら、その時あなたは、あなたの力を働かせるための能力を失うことがある。
16.悪魔に耳を傾けてはならない。さもないとやがて彼を信じるようになってしまう!
17.疑いは伝染する!
18.主はあなたの行いに対してさえ、あなたの不信仰に対するほどには、その責任をあなたに追求されない!
19.戸口を通過する思いに対して、あなたは責任を追求されることはない。中に入れて、もてなしをする思いに対しては、責任を追求される。
20.疑いと、恐れと、落胆と、つぶやきは人を殺す! しかし信仰、信頼、勇気、そして主を賛美することは生かす!
21.人々が疑うのは、真理を受け入れることを厭うからである。
22.神は、忌まわしい疑いと、恐れと、信仰の欠如以外には、どんなものにも耐える事ができる!
23.神が光の中で語られたことを、決して暗闇の中で疑ってはならない。
24.あなたは、そのどちらになるだろうか?−−疑う者、背く者、そして否む者か?−−それとも、たとえそれがあなたを殺しても信じる者、従う者、そして真理を広める者か!
25.あらゆる罪の中で最悪の罪とは、邪悪で、恐ろしくて、忌ま忌ましい不信仰の罪である。そしてそれは、悪魔と彼の嘘に対する信仰とに導く。
26.一番大きな罪は、不信仰である−−神の御言葉を拒み (疑い)、悪魔の偽りのプロパガンダを信じることである。
27.背信と裏切りとは、常に疑いから始まり、それから不従順、その次に否定がくる。
28.あなたの人生を愛で、あなたの思いと心とを神の真理で満たしなさい。そうすれば悪魔の嘘のための場所はなくなるであろう。あなたの心の中には、十分な平安があるようになるので、悪魔の争いのための場所はなくなるであろう。
29.私の船が全て破れた帆をもって帰港しても、私は疑わない!
30.神は、真理に対する完全な拒絶以外は、どんなことでも許して下さる。主は疑いを持つ人、すなわち証明してもらうことを望む、疑い屋のトマスでさえも許すことができるのである。ある男がイエスの所に来た時、彼はこう言った、「主よ、私は信じます。不信仰な私をお助け下さい。」
31.主は、すべての影や、疑いや、恐れや、敵の嘘を追い払うことができる。
32.もし疑いをもっているなら、御言葉を聞くことによって来る信仰によってそれを取り除くことができる。もしあなたが真理を喜んで受け入れ、本当に知りたいと望むなら、御言葉はあなたの持っているどのような疑いでも治すことができる。
33.疑いは結局最後には、不従順につながり、不従順の後に拒否が続き、拒否の後に裏切りが続くのである。
34.敵によってそこに置かれたそれらの忌ま忌ましい疑いや、恐れや、失望や、悪魔的な重荷を手放し、主にしがみつきなさい!
35.FF伝道への疑いを持つことに対しては弁解の余地はない。何故なら私たちはあなたにその全てのことに関して、御言葉と理由と動機を与えたからである。問題はそこである−−つまりあなたが御言葉を信じるか、否かである。
36.主と主の御言葉とに近くとどまっていることによって、悪魔の疑いから離れていなさい。
37.御言葉の清い水を、敵の汚い嘘やプロパガンダや悪霊共の教義によって不純にさせてはいけない! それらを信じないこと! それらに立ち向かいなさい!−−敵の疑いや恐れや嘘は、あなたの生命そのものに、より致命的な攻撃を隠す事さえできるからである。
(No.33,35,71,313,604,759,1268,1376も参照。)
(信仰に関する節を参照)