14.死/生命
イエスは彼女に言われた、 「わたしは甦りであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また生きていてわたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか?」 (ヨハネ11:25,26)
1.私が人生の道の終わりに来る時、空には天の宮殿から光が輝く!その道の終わりは、私たちには始まりにすぎない! 私たちはイエスと共に永遠に治めるのである!
2.あなたが主の死について語る時には、復活のことを決して忘れてはならない。
3.イエスは彼らを攻撃し、彼らの体制に致命傷を負わせ、彼らはその結果として、彼を殺したのだった。しかし主は、彼の追随者たちの小さな群れを、決定的勝利に導くために再び甦られたのである!
4.ラプチャーで合いましょう!
5.イエスは死から甦られ、同じ事をする力をあなたに与えることのできる唯一の方である!
6.しばしば勇気のテストとは、死ぬことではなく、生きることである。
7.外に出る道がなければ、上に行く道がある。
8. 我らの栄光の王は、再び生きられる。
おお、死よ。お前のとげは何処にあるのか?
一度死ぬことによって、主は全ての者を救われる。
おお墓よ、お前の勝利は何処にあるのか?
9.この人生からの死は、この学年からの卒業にすぎない。
10.人は死を恐れるのではなく、真に生き始めないことを恐れるべきである。
11.人が死ぬ時、私たちは彼が「この世を去った」と言う。何故彼が 「そこに到着した」 とは言わないのか?
12.私が生きるか死ぬかは、私にはほとんど問題ではない。私が死ぬなら、私はイエスと共にいるようになり、生きるなら、イエスは私と共にいて下さる。
13.5才の子供は、母親がこう言うのを耳にした、 「私、赤ちゃんをなくした (亡くした) の」 と。そして尋ねた、 「お母さん、赤ちゃんが何処にいるのか知っているのに、どうしてなくしたと言うの?−−天国にいるのだから!」
14.死は、永遠の宮殿を開く、黄金の鍵である。
15.勇敢に、栄誉をもって死ぬ死に方には、神に対する生きた信仰を除いては、どんな特別の訓練も要さない−−M・ガンジー
16.種が新しい生命へと死ぬように、人もまたそうである。
17.あなたは、ちりだからちりに帰る。
それは霊の事について言われたのではない。
18.あなたは、他の全ての事をイエスの御名によって行う。ではイエスの御名で死に、主にその方法と、その時と、その場所とを、主の栄光のために決めていただいてはどうか。主がその時だと感じる時に、またあなたがここで行うために来たその目的を果たしてしまった時にである!
19.あなたは決して、罪人のように死ぬことはない。あなたはただイエスのみ腕の中へと去っていくだけである!
20.あなたは本当に死ぬわけではない。あなたはただ生き続け、主のみ前へと真っ直ぐに行くだけである!
21.生きることは、日々死ぬことである!
22.主があなたの世話をしてくださらなければ、主はあなたを連れ去られる!−−そしてそれこそ最善の世話なのだ。神を誉めよ? 死について、心配するな!
23.もしあなたが永遠における自分の人生を考えて気まずい思いになるなら、その時には、あなたの現在に関して何かが間違っているのである!
24.眠りは非常に死に似たものであり、夢は、非常に御霊における人生に似たものである。
25.神は、人が人生に耐えるように、死の幸福を人に隠される。
26.私たちが人生と呼ぶものは、死への旅である。私たちが死と呼ぶものは、生命への入り口である。
27.死は、私たちの卒業である!−−私たちはこの学年での私たちの学業を終え、次の学年へと進むのである!
28.意志は力強く、それは重要である! もしその人が生きたくないならば、彼は大抵死ぬであろう。
29.あなたが死ぬ時、あなたは突然目覚めて全てを知るようにはならない−−もしそうなるとしたら、あなたが神となることであろう!
30.死は、僅か心臓の一鼓動分しか離れていない!
31.死ぬことは、おそらくあなたが今までにした中で、最も容易なこととなるであろう!−−それはあなたの卒業、あなたの清算、あなたの昇格、あなたの解放である! ついに自由になるのである!
32.あなたがイエスのために死ぬ時になると、それが今までにあなたがした中で、最も容易なことであるとわかるだろう! 難しかったのは、日々死ぬことだったのだ!
33.死は素晴しい!−−それはイエスの元に行くことなのである!
34.あらゆる生命を通じての神の法則: 他の者が生きるために、誰かが死なねばならない!
35.あなたが最大の、そして最後の勝利−−死!−−を勝ち取るまで、あなたが戦闘や、より大きな勝利を勝ち取るのを、神が助けられるように! そして死は、永遠に主とファミリーと共にいるようになる栄光に満ちた永遠の命の冠を得る、来世の天国的世界への卒業なのだ!
36.私は死に対する恵みを持っていない。私がまだ死にかかってはいないからだ!
37.クリスチャンにとっては、死に関して悪いことは何一つない! それはこの地上の地獄からの、あなたの解放である。
38.死とは、非常に小さな事である! 主は、死からとげを抜かれる。それがあまり痛くはないようにである! 「ああ、死よ、お前のとげは何処にあるのか?」 (Tコリント15:55)
39.イエスを愛するあなたがたが死ぬ時、主は、あなたがたがご自分と共にいるように、宇宙都市に移して下さるのである!
40.あなたが殉教者で、生き延びないというだけでは、あなたが打ち負かされたことにはならない−−ある意味では、あなたは征服者以上の者である。あなたが喜んで負ける者だからである!
41.滅びに対する恐れは、邪悪な者、それに値する者たちに対する神の裁きである。「死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たち」(ヘブル2:15)
42.夜、睡眠、この世の中での別れは、全ての死の象徴、又は死を予示するものである。
43.突然の死は、突然の栄光である!
44.死は大きな出来事であり、旅行に出かける準備をして 「行ってきます」 を言う時のような、わくわくさせられる幸福な時である。
45.イエスと一緒であれば、死でさえも甘美なものだ!
46.主を愛する私たちにとっては、死は安堵であり、解放であり、自由であり、昇格であり、卒業であって、より優れた分野に進むことである。
47.私は、如何なる臨終の床での最後の瞬間の悔い改めも見たことがなく、最後の瞬間に人々が変わることは減多にない。人々は、ほとんどいつも彼らが生きたように死ぬものである。
48.私は、神が私に与えて下さった生命を、自分で破壊することによって、自らの手で、自分を神のみ前、あるいは死の天使の所へ投げ出すようなことは嫌いである。
49.大部分の自殺は、恐れによるものである−−人々は死よりも、また神よりも何か別のものを恐れているのである!
50.神は、あなたの時が来る前に、あなたが絶たれるのを許すことはない、と約束された。
51.自殺することによって人々は、神が生きるようにと与えられた命から、また何であれ神が意図されたその人の死に方から、他でもない自分自身を確かに欺いているのである!
52.神はあなたがいつ、どのように死ぬことになっているか御存知であり、あなたは、あなた自身の片意地な強情さや、何かに直面するのが嫌だという抵抗によって、自らの手で死ぬのではなく、神が決断を下して下さり、神の思いのままに行ってくださるのを待ったほうがよいであろう。
53.殉教は証である!−−あなたの死によって多くの者が信じ、救われるためである。
54.わたしが自殺について思う時、わたしは打ち負かされた人々、あきらめた人々、勇敢に人生に立ち向かうよりは、むしろ死に降伏してしまった人々のことを考える。
55.あなたがクリスチャンで主を愛しているなら、仕事を終えた時に、あなたが死ぬ時刻と場所とを神は指定されている。 「神は死に至るまでわれらを導かれる。」 (詩篇48:14)
56.あなたは、あなたの人生に関して神を信頼するのと同様に、あなたの死に関しても彼を信頼すべきである。
57.自殺は、悪魔に降伏して、彼にあなたを滅ぼさせるだけではなく、彼にあなたを、あなた自らの手で滅ぼさせるという最悪の種類の降伏である!
58.自殺は、全くの責任回避であり、他の人々に対して実に不公平な行為である。
59.死んでいく幼な子を気の毒に思う必要はない!−−神に感謝せよ、その子の苦しみは終わったのである! その幼な子の苦痛、苦しみ、なおざり、愛の欠如は終わったのである。イエスと共にいて、彼には今たくさんの愛がある!たくさんの美しさがある。神の園、天国のエデンにおいて、彼に欠けているものは何もない! 彼のために涙を流すことはない。
60.墓の唯一の勝利は、霊的な死、失われていることである。しかし私たちに関しては、この種の死は、何の力も何のとげもない! イエスは、死からとげを取り去り、墓からその力を取り去った。そして私たちは、復活においてそれに対する最終的な勝利を収めるのである!
61.あなたの死は、墓に対する勝利、罪に対する勝利、悪魔に対する勝利となるであろう!−−栄光ある勝利であり、天国の素晴しさへの栄光ある入場である!
62.地は遠のき、天が開ける! 今日は私の戴冠式の日である!
63.これがまさに理想的な死に方である。すなわち、たとえ犬共があなたのかかとを噛み、石が雨のように降って来ようとも、あなたの目をイエスに向けて、勝利をもって死に、天国の素晴しさへと入り、体は墓に落ちても、あなたの霊は、報酬に向かって舞い上がるのである!
64.永遠に生きるために生きる者は、決して死ぬことを恐れない。
65.死は、終止符ではなくて、人生の物語のコンマにすぎない。
66.悪魔は私たちを処刑して、私たちの命を肉体的に取り上げるために、その法を遂行することができるとしても、私たちがクリスチャンとして死ぬ瞬間、私たちは即座に、霊的に解放されるのである。
67.あなたはいずれにせよ、あなたの命を失うのである。だからつまらないことのために生きるよりは、何か目的あることのために死んだほうがいいだろう!
68.もしあなたが、神の黄金の信仰の門で生きるなら、あなたはいかなることも、生き延びることができる−−たとえ死でさえも!
69.つまらないことのために生きる−−そして死ぬ−−よりは、何か目的あることのために死ぬ方が良い!
70.殉教者の血、そして証人たちの血から、神のために生きる新しい生命と新しい人生とが生まれ出る。
71.殉教者の血は、教会の種である。
72.神が今、あなたを祝福し、守られんことを! しかしもし神がそうされなければ神のために死になさい。そうすれば神は、あなたを永遠に守って下さるであろう!
73.あなたがいつまでも残る何かを成し遂げる前にのみ、死を恐れるべきである。
74.しばしば死ぬことよりも、苦しむことの方が、もっと多くの勇気を要する。
75.あなたがイエスに仕えている時、死はただあなたを解放するものにすぎない。
76.死に瀕して生きるのは、素晴しいことである。それはあなたを、神にとても近く保ってくれる。
77.私たちは、 「人が死んだ」 と言って友人の墓に行く。しかし御使たちは 「人が生まれた」 と言って彼の回りに押し掛ける。
78.あなたが失った小さな赤ちゃん、幼い子供、メイト、愛する者、あなたはほんのしばらくの間失っているだけなのである。ほんのしばらくの間だけ、彼らはイエスの元に行ったのである! 彼らは今ほんのしばらくの間、主と共に天国にいる。そしてそれから、私たちが彼らの元に行き、素晴しい小羊の婚宴において、彼らと再会するのである。すなわち主の愛する者たち全員の、世を去った私たちの愛する者たちや聖徒たちの、あの素晴しい祝宴においてである−−子供たちも、母親たちも、父親たちも、兄弟も、姉妹も、皆が全員イエスと共に再び一つになり、再びこの地上に降りてきて、この地上の美しい、天国のようなエデンの園、すなわち神の園において、ここで永遠に支配し、治めるのである。
79.私が去る時、私はあなたたちに私の死を悲しむのではなく、私の人生を祝ってほしい。
80.あなたは、自分の生き方、死に方、また人生と同様に死に対しても信仰を持ち、神を信頼する必要がある!
81.私たちの敵は、体を殺すことができるだけであり、その後は彼らにできることはもはや何もない。彼らがそうすることにより、私たちの霊を、ついに栄光に満ちた霊的な神の王国へと解放するのである!
82.死は素晴しい! それはイエスの元に行くことなのである! 私たちの一人が主の元に行き、ひきずり回るにはあまりにも重すぎる、この悪臭を放つ肉から解放される時、私たちは幸福に思うべきである!肉は重く、肉は疲れ、肉は苦痛を感じる。もし私が利己的でないなら、私は彼らのために喜んでいるべきであり、彼らが主と共にいて、彼らの苦難が終わったことを神に感謝しているべきである。彼らはもはや泣くことも、痛みも悲しみもなく、永遠の幸福以外には何もない場所にいるのである。だからどうして私も幸福に思うべきではないのか?
83.あなたはこの地上から、あなたの知っているこの場所から、またあなたに良くしてくれ、あなたを思いやってくれ、あなたを愛してくれた人々から、やがて去って行かねばならない事を恐れる必要はない。何故ならあなたが行く所では、彼らは、あなたにもっと良くさえしてくれ、あなたをもっと愛し、もっと思いやってくれるのであり、あなたはもうすでに、そこにたくさんの友人たちやファミリーを持っているからである!
84.あなたはどうして「死の暗い夜」と呼ぶのか、死は光の入り口である。
85.死とは、別世界の日の出以外の何ものでもない。
86.私たちは、死に関してとても利己的である。私たちは死んだ人の安堵を考えるよりも、自分の悲痛をずっとはるかに大切にするからである。
87.死の声は、 「幼な子をそのままにしておきなさい。わたしの所に来るのを止めてはならない。天国はこのような者の国である。」 という主人の声以外の何ものでもない。
(No.628,679,680,714,850,852,912,959,972,
993,1234,1262,1264,1284,1421,1476,1570も参照。)
88.創世記25:8 アブラハムは高齢に達し、老人となり、年が満ちて息絶え、死んでその民に加えられた。
89.列王紀下22:20 それゆえ見よ、わたしはあなたを先祖たちの元に集める。あなたは安らかに墓に集められ、わたしがこの所に下す諸々の災いを目に見ることはないであろう。
90.ヨブ3:17 悪人も暴れる事をやめ、うみ疲れた者も休みを得。
91.詩篇23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたの鞭と、あなたの杖はわたしを慰めます。
92.詩篇31:5 わたしは、わが魂をみ手に委ねます。主よまことの神よ、あなたはわたしをあがなわれました。
93.詩篇37:37 全き人に目を注ぎ、直き人を見よ。その人の終わりには平和がある。
94.詩篇48:14 これこそ神であり、世々限りなく我らの神であって、死に至るまでも我らを導かれるであろう。
95.詩篇49:15 しかし神はわたしを受けられる故、わたしの魂は陰府の力からあがなわれる。 セラ
96.詩篇73:24 あなたはさとしをもって、わたしを導き、その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。
97.詩篇103:15,16 人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花に等しい。風がそのうえを過ぎると、うせて跡なく、その場所に聞いてももはやそれを知らない。
98.詩篇116:15 主の聖徒の死は、そのみ前において尊い。
99.箴言12:28 正義の道には命がある。そしてその小道には死はない。
100.箴言14:32 正しい者は、自分の死に望みを置く。
101.伝道の書3:2a 生きるるに時があり、死ぬるに時があり。
102.伝道の書7:1 良き名は良き油に勝り、死ぬ日は生るる日に勝る。
103.伝道の書8:8a 風をとどめる力を持つ人はない。また死の日をつかさどる者はない。
104.伝道の書12:7 ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。
105.イザヤ25:8 主は勝利をもって死を飲み込み、主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである。
106.イザヤ57:1 正しい者が滅びても、心にとめる人がなく、憐れみ深い人が取り去られても悟る者はない。誰も正しい者が来たるべき災いの前に取り去られていることを考えない。
107.マタイ22:30-32 復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。また死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。 「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。 108.マタイ27:52,53 また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。そしてイエスの復活の後、墓から出てきて聖なる都に入り、多くの人に現れた。
109.ルカ16:22 この乞食がついに死に、御使たちに連れられて、アブラハムのふところに送られた。
110.ルカ23:42 イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」
111.ヨハネ2:19 イエスは彼らに答えて言われた、 「この神殿を壊したら、わたしは三日のうちにそれを起こすであろう」
112.ヨハネ5:25 よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでに来ている。そして聞く人は生きるであろう。
113.ヨハネ6:47 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。
114.ヨハネ8:51 よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう。
115.ヨハネ11:25,26 イエスは彼女に言われた、 「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者はたとい死んでも生きる。また生きていて、わたしを信じる者はいつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」
116.使徒行伝7:59 こうして彼らがステパノに石を投げ付けている間、ステパノは祈り続けて言った、 「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」
117.ローマ14:8 わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものなのである。
118.Tコリント15:26 最後の敵として滅ぼされるのが死である。
119.Tコリント15:42-44 死人の復活もまた同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものに甦り、卑しいものでまかれ、栄光あるものに甦り、弱いものでまかれ、強いものに甦り、肉の体でまかれ、霊の体に甦るのである。肉の体があるのだから、霊の体もあるわけである。
120.Tコリント15:51,52 ここであなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては眠り続けるのではない。終わりのラッパの響きと共に、またたく間に一瞬にして変えられる。というのはラッパが響いて死人は朽ちない者に甦らされ、わたしたちは変えられるのである。
121.Tコリント15:55 死は勝利に飲まれてしまった。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。墓よ、おまえの勝利はどこにあるのか。
122.Uコリント1:9,10 心の内で死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人を甦らせてくださる神を頼みとするに至った。神はこのような死の危険からわたしたちを救い出して下さった。また救い出してくださるであろう。わたしたちは神が、今後も救い出してくださることを望んでいる。
123.Uコリント4:11,12 わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスの命が、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。こうして死は、わたしたちの内に働き、命はあなたがたの内に働くのである。
124.Uコリント5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋が壊れると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
125.Uコリント5:8 それでわたしたちは心強い。そしてむしろ肉体から離れて主と共に住むことが願わしいと思っている。
126.エペソ5:14 だからこう書いてある、 「眠っている者よ、起きなさい。死人の中から立ち上がりなさい。そうすればキリストがあなたを照らすであろう」
127.ピリピ1:21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。
128.Tテサロニケ4:13,14 兄弟たちよ、眠っている人々については無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神は、イエスにあって眠っている人々をもイエスと一緒に導き出してくださるであろう。
129.Tテサロニケ5:9,10 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救いを得るように定められたのである。キリストがわたしたちのために死なれたのは、覚めていても、眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。
130.Uテモテ1:10 そして今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によって命と不死とを明らかに示されたのである。
131.ヘブル2:14,15 このように、子たちは、 血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様にそれらを備えておられる。それは死の力を持つ者、すなわち悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯奴隷となっていた者たちを解き放つためである。
132.黙示録1:18 わたしは‥‥また生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして死と陰府との鍵をもっている。
133.黙示録11:11 三日半の後、命の息が神から出て、彼らの中に入り、そして彼らが立ち上がったので、それを見た人々は、非常な恐怖に襲われた。
134.黙示録14:13 またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、 「書き記せ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」御霊も言う、 「しかり、彼らは、その労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく。」
135.黙示録20:14 それから、死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
(Uコリント5:1,4,8; ピリピ1:20,21,23,24; Tテサロニケ4:13-18も参照。)