11.確信/妥協
疑う人は、風のふくままに揺れ動く海の波に似ている。(ヤコブ1:6)
1.妥協する者は、結局は、誰も全く喜ばすことができない羽目になる!
2.正しい事をするのに、誤った時というのはない。
3.自分の意志に反して納得させられた者は、納得してはいない。
4.人々がどう考えるかではなく、自分のしなければならない事、それだけが私の気にしていることである。
5.神にとっては、大抵全てか、全然ないかのどちらかである! 主に対して、半分というのはない! 主は、身がはいらない者、なまぬるの者、煮え切らない者、妥協者、 「そこまでは行くが、それ以上は行かない者」を忌み嫌われる!
6.私たちは妥協の代価を払ったり、神の仕事と御言葉と神の御霊と私たちの高い基準とリーダーシップとファミリーへの忠誠を犠牲にしたりしてまで、誰かにしがみつくということは、決してしない!
7.もし他の人の権利が侵害される時、抗議をしないでそばに立っているなら、これらの同じ悪の軍勢は、すぐにあなた自身の権利も侵害するであろう!
8.もし悪魔が、あなたを止めることができないなら、悪魔はあなたに妥協させようとする。悪魔はあなたに自分の確信を疑わせるような、あるいは完全に自分の確信に基づいて生きる事をさせないような、半分の真理であなたを誘惑する。悪魔は、悪との戦いであなたが、悪魔と決して和平を持つことがないと知っているので、一時的休戦によって、あなたを誘惑しょうとするのである。
9.悪魔が勝ち得る唯一の方法は、あなたが見ていない間に自分の汚い仕事ができるように、ほんの僅かの間あなたに妥協させたり、あなたの防御を弱めさせようとすることである。
10.もしあなたが燃えているなら、世界はそれを見にやって来るだろう!
11.致命的な一撃を食わせてしまうような卑劣なことをできるくらい、あなたのそばに近づくために、あなたの魂の敵が必要としているのは、ほんの少しの妥協した時間だけである。これこそ油断した一瞬がもたらす、重大な危険である!−−あなたを死に至らせる危険のある、ちょっとの油断した一瞬である!
12.抗議すべき時に沈黙するという罪を犯すことは、人を臆病者にする。
13.あなたは悪魔と取引することはできない! あなたはサタンとの休戦を宣言して、 「私に構わないでくれ、そうすればわたしもお前に構わないから!」 と言うことはできないのである! 主はそのようなことを全く気に入られない!
14.良心というのは、人の中にある神の存在である。
15.説得するためには、
私たちは信用される者でなくてはならない。
信用されるためには、
私たちは当てになる者でなくてはならない。
当てにされるためには、
私たちは正直でなくてはならない。
16.私たちは、暗い所を恐れる子供を容易に許し得る。人生の真の悲劇は、人が光を恐れることである。
17.自分の態度を決めなさい! もしあなたが何かのために態度を決めないなら、どんな事にでも欺かされてしまう。
18.もし声が私に悪い事をするように告げるなら、それが悪魔の声だと分かる! もし声が私に良い事をするように告げるなら、それが神の声だと分かる!
19.最初の印象が正しい。もしあなたが真に主に従っているなら!
20.自分が夢中になっていないものを売り込もうとするな。
21.神に完全に譲渡していない人々と働くことを、私は恐れる。
22.自分の信じていることのために、立ち上がって弁護するだけのガッツのない人々に、私は我慢できない!
23.もしあなたが、それを他の人に言わないなら、あなた自身それを信じていないのである! あなたが何かを信じているなら、それについてあなたは話すであろう!
24.自分がどうしてやり遂げられなかったか−−どうしてやり遂げられることを期待されるべきではなかったかについて、言い訳をすること、筋道のとおった論理的な分別のある、受け入れられる言い訳をすることはとても容易である。そしてほとんどの場合、ほとんどの人々は、あなたの言い訳を受け入れるであろう。何故ならほとんどの人も信仰を持っていなかったからである。そしてあなたを容赦することで、彼らは自分自身をも容赦しているのである。しかし神はあなたを容赦されるだろうか?
25.真理のために立ち上がらないことは、ほとんど主を否定するのと同じくらい悪い!
26.時々強情であることが良いこともある、もしあなたが正しい方向にあって主のために強情であるなら。
27.私たちは、私たちの確信を固守して、その確信のために代価を支払わなければならない。つまり革命的であることを固守するための代価を払わなければならないのである!
28.私たちが正しいと私は信じている−−全ての正しい者たちの中で一番正しい者である! 私たちは全てのことについて、最高のものをもっている!
29.私がとうとう主に信頼するようになってから、私は人々が何と考えるか気にしなくなった。私はただ、自分が最善だと思った事をしたのである!
30.この種の世界で、もしあなたが人々から邪険に扱われることを許すなら、あなたは何も達成できない! あなたは、自分の持っている権利のために戦わなければならない!
31.ある人がこう言った: 「庭師は、花を愛するだけでは十分ではない。庭師はまた雑草を憎むこともしなければならない」
32.信念を持つ一人の人は、ただ興味だけしか持っていない99人の気力に相当する。
33.もしあなたの意志力がうまくいかないなら、あなたの自制力を試してみなさい。
34.もしあなたが良心的であるなら、事態に直面しても、必ずそれに対して何かする。
35.話して、説教して、確信をもって売り込むためには、自分の製品を本当に信じていなければならない!
36.イエスは、宗教体制と妥協することを拒まれ、むしろ存在する体制に対して完全に外側から働かれ、真っ向からそれを攻撃され、容赦なくそれを暴露し、宮から両替商人を追い出された。そして神の小さな子供達を導いて、真の父を礼拝することに連れ戻そうと努力されたのである。
37.もしあなたの心があなたを非難しないなら、その時あなたは、神に対する信頼、または信仰を持っている。言い替えると、もしあなたにみ霊の内と、御言葉の内にとても強い信仰があり、御言葉と聖霊の故に自分のしていることが正しいと知っているなら、あなたは他のクリスチャンができないようなことさえも、つまり他のクリスチャンがそれをすることでとがめを感じるようなことでさとえも、あなたはすることができるということである。
38.もしあなたが、まだ体制が素晴しいと考えているなら、ここから出ていって、豚の穴と自分のヘドに戻っていきなさい!−−しかしもしあなたが神に仕えるなら、神の故に、自分の信じていることを知りなさい。そして彼らが何と言おうとも、神に仕えなさい!
39.自分の確信を恥じている者は誰でも、自分の信仰に対して十分な土台を持ってはいない。
40.妥協に気をつけよ。利点のために、たとえばお金のために、保護のために、安全のために、何のためであっても、妥協したり、手加減したりすることに気をつけよ。メッセージに対して忠実であれ; 方法に対して忠実であれ; 御言葉に対して忠実であれ; 神の御声に対して忠実であれ; 神の革命に対して忠実であれ; 主があなたを召された、その特定のミニストリーに対して忠誠であれ!
41.あなたは確信を持たなければならない。そうでないと生きることはできない。それからあなたは、自分の確信について何かしなくてはならない。そうでないとあなたは、自分自身とやっていくことに耐えられないだろう!
42.善と悪とが、仲良く共存するなどということはあり得ない! 「わたしは平和ではなく、つるぎを投げ込むために来たのである」 どちらかが他方に打ち勝たなければならない!
43.あなたは信仰の人を止めることはできない! 彼を思いとどまらせることはできない! 彼をわきにそらすことはできない! あなたが一緒であろうがなかろうが、あるいはまた必要とあらばあなたを踏み付けても、彼は進んで行く!
44.一つの妥協は、もう一つの妥協へと導き、 結局は完全な否定、拒否、終局へとつながる!
45.神の挑戦に対する悪魔の答えは、いつも体制を保護しようとする妥協である。
46.もし靴が足に合うなら履きなさい! (言っていることが自分に当てはまるなら、自分に語られていると受け取りなさい。) 大抵、吠えるのは叩かれた犬である。
47.人々は、これを悟らない。すなわち、自分が一つの小さなものを主から差し控え、一つの小さな妥協、一つの小さなちょっとしたものを主から差し控えるなら、自分は背教に向かって進んでいるということを! 何故なら一つの小さな不従順は、もう一つの小さな不従順へとつながり、一つの小さな拒否と拒絶は、もう一つの小さな拒否と拒絶へとつながり、ちょっとの利己主義はもっと多くの利己主義へとつながっていくからである。
48.もし私があることに関して、記されている御言葉か、直接の啓示のどちらかによって主から直接明確に何かを受け取ったなら、それに従うことはあなたの義務であり、他の人の疑いや疑問によって思いとどまらせられたり、止められたりすべきではない。
49.あなたは神の大使であり、王たちの王、すなわち宇宙を動かしている方を代表しているのだから、人々に邪険に扱われることを許してはならない。
50.人々を喜ばせる為には、特に教会や政府を喜ばせて援助を得る為に、そしてどんな種類の不承認や迫害からでも逃れる為に妥協し、控えめになり、メッセージや教義や方法を和らげる事はいつも誘惑である。
51.悪魔はあなたを妥協させようとして、あらゆる種類の企みを使う。そして一旦あなたが妥協してしまうと、あなたはどんどん彼らのようになり、彼らにもっと近くなり、暫くすると2つの側を見分けることができなくなってしまうのである。
52.すべての教会、宗派、分派グループ、新しいカルト、主義、教派は、最後には自分たちのメッセージや教義や、それを宣べ伝え、実行することに対して忠実を守り、徹底することを選ぶか、安全や快適さや、便宜や、妥協や、平和や、援助のどちらかを選ばなければならなかったのである。そして事実上、彼らの全てがどうしたか分かるだろう!
(No.D,F,66,143A,148,299,309B,399,585,
585R,586,589,590,591,597, 678, 679,703,772,
804,936,1005,1054,1330,1377,1511,1548 も参照。)
53.列王紀上18:21 その時エリヤは、すべての民に近付いて言った、 「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならば、それに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい。」
54.詩篇57:7 神よ、わたしの心は定まりました。わたしの心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます。
55.箴言8:13 主を恐れることは、悪を憎むことである。
56.箴言16:3 あなたの成すべきことを、主に委ねよ。そうすればあなたの計るところは必ず成る。
57.イザヤ50:7 しかし主なる神は、わたしを助けられる。それ故、わたしは恥じることがなかった。それゆえわたしは顔を火打石のようにした。わたしは決してはずかしめられないことを知る。
58.ダニエル3:18 たといそうでないとて、王よ、ご承知下さい。わたしたちは、あなたがたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません。
59.ホゼア10:2 彼らの心は偽りである。今、彼らはその罪を負わなければならない。
60.ハバクク2:4b 義人は、その信仰によって生きる。
61.使徒行伝4:20 わたしたちとしては、自分の見たこと、聞いたことを語らないわけにはいかない。
62.使徒行伝28:30,31 パウロは、自分の借りた家に満2年の間住んで、尋ねて来る人々をみな迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教え続けた。 63.Tコリント9:26 そこでわたしは、目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。
64.Tコリント10:21 主の杯と、悪霊共の杯とを同時に飲むことはできない。主の食卓と、悪霊共の食卓とに同時にあずかることはできない。
65.Tコリント16:13 目を覚ましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく強くあってほしい。
66.エペソ4:14 こうしてわたしたちは、もはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起こる様々な教えの風に吹き回されたり、もて遊ばれたりすることがなく。
67.テトス2:15 あなたは、権威をもってこれらのことを語り、勧め、また責めなさい。誰にも軽んじられてはならない。
68.ヘブル13:9 様々な違った教えによって、迷わされてはならない。恵みによって心を強くするがよい。
69.ヤコブ1:6 ただ疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。
70.ヤコブ1:8 そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。
71.Tペテロ3:15 ただ心の中で、キリストを主と崇めなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。
72.Tヨハネ3:21 愛する者たちよ、もし心に責められるようなことがなければ、わたしたちは神に対して確信を持つことができる。
73.黙示録3:15,16 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ冷たいか熱いかであってほしい。このように熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。