87.奉   仕

 

  あなたがたの体を、神に喜ばれる、生きた聖なる供え物として捧げなさい。それがあなたがたのなすべき奉仕である。(ローマ12:1)

 

 1.ただ一つの人生−−それはやがては過ぎ去る! 

   ただキリストのためにしたことだけが永続する!

 2.外であなたの仕事を整え、畑で、すべての物を己のために備え、その後、あなたの家を建てるが良い。箴言24:27

  3.この戦いに免除はない!(伝道の書8:8)

 4.愛と技能とが共に働く時、傑作を期待しなさい。

 5.どんな農夫でも莫大な作物のために畑を耕し、種を蒔き、水を与え、肥料を与え、種子を蒔くという事に、多くの手間暇をかけ、その後で畑に入り、それを収穫するのを怠るとするなら、彼は気違いである!農夫は、将来のために計画を立てなければならない。そして私たちは、魂の農夫である!

 6.愛が報酬となる所では、仕事もたやすい。

 7.あなたは僕となるように召されているのか? 自由になることを願わないが良い。

 8.神の召しはどれも、熱心に達成しようとされるなら偉大なものである。

 9.あなたの愛がなければ、あなたの奉仕は無に等しい!

 10.主にとって、人はお金以上の価値がある−−働き人は、仕事以上の価値がある!

 11.神は、金銭よりも、人々の方により大きな関心を持っている。神は収入よりも、魂の方により大きな関心を持っている。神は、単なる繁栄よりは、あなたの安全や有益性により大きな関心を持っている。

 12.神への奉仕には痛みが伴うが、悪魔への奉仕には、もっと多くの痛みが伴う。あなたはイエスのためのくびきを負うが、それは悪魔のくびきよりも軽い。

 13.神の子である以上に高い地位はない。また、神のための声である以上に、大きな栄誉はない−− (1500年代に、火刑柱で焼き殺された、十代の殉教者の言葉!)

 14.主の仕事、つまり、信仰による生活において、あなたが学ぶ最初の事柄の一つとは、受ける事を厭わない者となるための謙虚さである。

 15.あなたは世界中で、最も価値のある大義を持っている!

 16.私たちの仕事は、証しをし、魂を勝ち取り、その成果の世話をすることである!

 17.もしあなたが、体制のためにしていたのと全く同じくらい、あるいは、それよりも一生懸命になって、主のために働きたいという気持ちがないなら、あなたは神の仕事を止めて、体制に戻って行き、金のために働くべきだ。

 18.神の僕は、神のお金よりも貴重である。

 19.もし神の仕事に背を向けるなら、あなたは神に対して背を向けているのである!

 20.世界で最も偉大な仕事とは何か?−−それは神の御言葉を証しし、福音を宣べ伝え、人々に神の愛のことを教え、彼らに、イエスの愛を示すことである!

 21.あなたの仕事を行えるようになる者は、他に誰もいない。誰か他の人は、彼らの仕事なら、行うことができるかもしれないが、神はあなたにこの仕事を与えておられるのである。

 22.ただ、この一つの事だけが必要である:  すなわち、主の足もと座し、主から学び、主の御言葉を世界に伝えることである!

 23.神の僕は、神の仕事よりもさらに重要である。

 24.どんな状況においても、第一の質問とは、わたしたちは仕事を成し遂げているだろうか、ということである。

 25.御霊の領域における、神の仕事と教会のミニストリーに関しては、キリスト・イエスにあって、男も女もない。

 26.これは、大事業である−−主の事業であり、世界最大の事業である!

 27.誰一人、完全に必要不可欠な者はいない。

 28.救いと魂と子供たちと、主のための奉仕は永遠である!

 29.もし働き人の世話をしないなら、仕事がうまくできなくなる。

 30.すべての人のための場所がある。そしてすべての人は、自分の場所にいるべきだ!

 31.大きな仕事を成し遂げるために、時には、大きなブロッブが必要なこともある!

 32.私たちの仕事は、私たちの快楽である。だから楽しい事をしたいと思う時には、私たちは仕事をする!

 33.私たちは、これまでにないほど働くことを信じている。しかし今では、ただ単に、私たち自身や私たち自身の生計のためにだけではなく、他の人々のためであり、彼らにより良い人生を与えるためである。 34.神の賜物は永遠の命である。しかし、イエスがそれをあなたに与えるには、イエスの命がその代価となった。だからあなたがそれを生きるためには、恐らくあなたの命が、その代価となるであろう!

 35.私は人々が、徹底的に主に仕えることをためらうのを理解できない! もし主が、少しでも仕えるに値するおかたであるなら、全時間で、徹底的に仕えるに値するかたなのである!

 36.あなたが、する必要のあることはただ、クリスチャンとなり、キリストのために証しをして、魂を勝ち取るのを助けることだけである。それがあなたの宗教的な義務である。

 37.主のための仕事は、退屈させるものではなく、快楽であって、 「主の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって」 満たしているはずである。

 38.私たちは、失敗することのないビジネスに従事している!

 39.私たちの仕事とは、主のためのショー・ビジネスであり−−人々に神の愛を示す (ショー) ことである!

 40.私たちの内のあまりにも多くの者たちが、十分に耳を傾けることをせずに、あまりにも多くの奉仕によって煩わされてきた。私たちには、マルタがあまりにも大勢いて、マリヤが十分にいない。耳を傾けるために生きるべきであるのに、私たちは、存在するために仕えなければならないように感じる。

 41.すべての人は自分のミニストリーを持っている。そしてあなたが、あなたのミニストリーに失敗しない限り、また主が、あなたに異なるミニストリーを与えたいと思われるのでない限り、主は、あなたからそれを取り去るようなことはなさらない。

  42.いわゆるロマンチックな愛のために、誰かが神と人とに対する、その任務をやめてしまうということに私は反対である。たとえ彼らが、本当に愛し合っているとしても、それは、主と主の仕事に対する任務をやめるための、十分な口実であるとは思わない。

 43.それは主の仕事であり、主のビジネスであるので、主がその世話をされなければならない。そして私たちは、主の雇用者であるので、主が私たちの世話をされなければならない。

 44.神の御国には、重要でない仕事はない。

 45.私たちは、他の人が死ぬ準備をすることができるように生きなければならない。

 46.私たちはみな働く−−しかし、金のためではない!

 47.私たちは、危険ではあるが素晴しいビジネスに従事している!

 48.賢い者も愚か者も、道具がなくては働くことができない。

 49.大勢の人数を必要とするのは、新聞少年の方で−−あまりにも増えてしまったスタッフと、人が増えて住めなくなってしまった家屋をかかえた管理者ではない!

 50.管理者と機構とは、働き人がいなければ無きに等しい。

 51.すべてのミニストリーの中でも、私たちの最大のミニストリーとは:  この世の子供たちを救い、彼らをお互いと神の御国に対して、有益、かつ有用な者とすることである!

 52.あなたの場所が何であれ、あなたは神の御国において、非常に必要とされている一部である!

 53.私たちは、人々を−−霊的に−−裕福にしようと努めるビジネスに従事している!

 54.私たちの仕事は、世界をきれいにしようと努めることである。そしてそれをするための最善の方法とは、神の愛、キリストの力、そして主の御言葉の純粋な知識とによって、人々の心と思いとを清めることによってである。

 55.主の御言葉を主の子供たちに伝えることは、楽しいことだが、それは決して成し終えることのない仕事である!

 56.主と他の人々のための、主のスリルに満ちた、胸踊らせる、報いのある、愛情深いファミリーの奉仕において、とても幸福な新年を迎えられんことを!

 57. 今、彼らは手をつなぎ、ダビデと共に踊ることができる!今、彼らは、王のキッスを分け合うことができる!

今、彼らは手をつなぎ、イエスと共に踊ることができる!今、彼らは手をつなぎ、王のために働くことができる!

 58.神と、今日の若者たちを救うという、神の愛の仕事以上に重要なものは何もない!

 59.働こうとしない者は食べることもしてはならない!

 60.あなたは確かに、あなたの行いによって救われたのではないが、もし救われているなら、あなたは確かに、他の人々に救いを与えるために、猛烈に働くであろう。そしてそれの代価は、あなたのすべてである!

 61.御言葉は原因であり、勝ち取られた者たちは結果である!

 62.人生における私たちの主要な目的とは、 「神を愛し、神を永遠に楽しむこと」 であり、また、神の愛と、私たちが共に暮らす幸福な人生とを、他の人々に告げることによって、彼らが人生を楽しむのを、助けてあげることである!

 63.私たちが、仕事をすませるのが早ければ早いほど−−主はそれだけ早く戻って来られる!

 64.あなたの業は、決してあなたを救うことはできない−−しかしあなたは、救われた魂のようなあなたの業を保持することはできる!

 65.預言者としての私の仕事は、御言葉を受け取ることである−−あなたたちの仕事は、それを与えることである!

 66.私たちのような類いのクリスチャンであることは、初代教会に関してもそうであったのと全く同じくらい、今日においても危険である。

 67.主よ、あなたに対する私たちの奉仕において、最も重要なことは、私たちの忠実さです。

 68.才能はテストである−−それを神の最善のために用いなさい!

 69.神はアントニオなしに、アントニオ・ストラディヴァールスのバイオリンを作ることはできなかった。

 70.私たちの真の存在目的は、生計を立てること(make a living)ではなく、人生を作り出すこと(make a life)である。

 71.パウロの肉体のとげは、彼が神に仕えるのを妨げはしなかった。それは、彼が神の仕事を行うのを妨げはしなかった。ただ、彼が高慢にならないようにしただけ、ただそれだけだった。

 72.クリスチャンが、自分の時間のほとんどを費やして、お金のために働いているのであれば、神に仕えるという仕事を、 あまり良くすることはできない。−−もっともそれが、多額のお金であり、そのほとんどすべてを主に捧げるならば、話は別であるが!

 73.あなたはどれくらい、真に神を礼拝しまた神に仕えているか?−−ただあなたが神のために実際に働く分だけである。

 74.もし神のためのあなたの奉仕に、御霊がないなら、それは悪臭を放つ。そして人々は、鼻をつまんで別の方向に逃げ去るであろう!

 75.すべての者の僕となること、それは偉大さに続く道である。

 76.ろうそくを両端から燃やすことは、気違い地味ているように見えるかもしれないが、寿命は短くなるものの、それは確かにより明るい光を与えてくれる!

 77.人生を大いに有効に用いるためには、それを何か、それよりも長く続くもののために費やすことである。

 78.他の人々のために、自己を犠牲にすることは、決して間違いではない。

 79.人生はテニスの試合に似ている:  サーブ(奉仕)することなしに勝つことはできない。

 80.死ぬ事よりも苦しむ事の方が、より大きな勇気が要求される。

 81.ただ自分たち自身を、愛の内に捧げることによってのみ、私たちは十分に自分を発揮する者になる、ということがどういうことであるのかを、初めて悟り始める。

 82.祈りと賛美!−−すなわち、あなたの唇のいけにえと心のいけにえとは、あらゆるものの内で最も重要ないけにえである!

 83.亡くなった愛する者の写真を掲げて、絶えずそのことのために涙を流すといったような、自分の失ったものを自分自身に思い起こさせることが良いとは私は信じない。

 84.主よ、わたしに教えたまえ。

    代価を考えず与えることを、

    傷にかまわず戦うことを、

    休息を求めず懸命に働くことを、

    私があなたの御心を行っている

    ということを知る以外には

    何の報酬をも求めないで働くことを。

 85.何の費用もかからないものは、何の価値のないものである。

 86.私たちは、いけにえの祭壇の上で焼き尽くされるために創造され、主が設計された道具として使い古され、他の人々が生きるために、死ぬように造られた、神の消耗品である!

 87.あなたは、自分の命を今日のために生きることによって、今はそれを救うことができても、そうすることによって結局最後には、永遠にそれを失ってしまうことがある−−あるいは、あなたの命を、キリストのために与えることによって、今それを失ったとしても、そうすることによって、それを永遠に保つこともある。

 88.さび切ってしまうよりは、すり減った方が良い。

 89.主は私たちを救うために、死んで下さった。だから私たちが、他の人々を救うために、死んでいけない理由があるだろうか?

 90.イエスのために愛しつづけなさい。アァメン?−−たとえそれが、幾らかの苦しみを意味しているとしても、人を救うためなら、それだけの価値はある。神をほめたたえよ?

 91.それには少々の痛みが伴っていなければならない。そうでなかったら、それは犠牲ではない!

 92.他の人々のために、自分の命を失うことに、自分の人生を費やすこと−−それが、自分の命を救うための秘訣である!

 93.イエスはあなたのために、十字架までの半分の道のりを行かれたのではなかった、あるいは、ほとんど最後まで行かれたのでもなかった。そうではなくて、最後まで行かれたのであり、あなたのために、その命をすべて捧げられたのである! あなたは、他の人々のために、どれだけ心から喜んで与える気持ちを持っているか?

 94.ろうそくを未使用のまま押し入れにしまっておくよりは、両側から、また真ん中からも燃やす方が良い。

 95.あなたは今、しばらくの間統治して、後で大いに苦しむつもりか?−−それともあなたは、今しばらくの間苦しんで、永遠に統治するつもりか?

 96.哀れに思うことはただ、気の毒にと感じるだけである!−−憐れみは、そのことについて何かをする!

 97.役立たずとなるよりは、何かの役に立て。

 98.真の愛は、あなたに、あなたの命という代価を要求する。そしてそれよりも大きな代価を支払うことはできない!

 99.主に仕えることを描写するなら、客が王であり、何も間違ったことをするはずがないという前提で、客に給仕するウェイターやウェイトレスのようなものである! それが主に仕えること、主に奉仕すること、主と他の人に奉仕することである。

 100.あなたは死ななければ、決して真に生きることはできない。与えなければ、真に受け取ることはできない。

 101.主には、あなたの手以外の手はなく、あなたの唇以外の唇はなく、あなたの目以外の目はなく、あなた自身の体以外の体はない。何故ならあなたは、主の体、主の花嫁であり、主はあなたのために死んで下さったのである。それは、あなたが生きるためであり、あなたの手、あなたの唇、あなたの口、あなたの舌、あなたの目によって、主がされたようにあなたが他の人々を愛し、またあなたのために主の体が砕かれように、彼らのために、あなたの体が砕かれ、あなたのために主の血が流されたように、彼らのためにあなたの血が流され、あなたのために主の命が与えられたように、彼らのためにあなたの命を与え、更には、あなたのために主が死んで下さったように、彼らのために死ぬことさえするためである!

 102.イエスは、あなたの心をいやして下さった。そしていつの日か、あなたの体もいやして下さるであろう。あなたは、イエスのために、あなたの十字架を負い、災いにあっても、あなたの信仰を示さなければならない。イエスが十字架を負われたように、あなたもイエスのために、この十字架を負うのである。何故ならそれは、証しを持たない者たちに対する、証しとなるからである。また、苦しむことを通して、あなたが苦しむ事柄を通して、イエスがされたように、あなたが従順を学ぶからである。

 103.私たちはただ、あなたに、来て私たちと共に死ぬようにと−−あなたが御霊において生きるために、肉に対して死ぬようにと−−招待できるだけである。

 104.招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない。何故なら、選ばれることを選ぶ者が、非常に少ないからである。

 105.神の軍隊に加わる時、それはすべてか、無かそのいずれかでなければならない。主には、中途半端などない。

 106.私たちにとっては、あなたのお金か、あなたの命か、ということではない!−−そうではなくて、その両方であり−−あなたの持っているすべての物である! それが神の期待しておられるものである!そしてそれが、神の与えられたものである。

 107.あなたに対する神のプログラムが、どのようなものになるか知らなくても、あなたは喜んで白紙に署名をし、神にそのプログラムを記入していただく気持ちがあるだろうか?

 108.神は、あなたが神のために作っている、寝室用のスリッパを有り難く思われるかもしれないが、神はむしろ、あなたと共に過ごしたいのである。

 109.神は、ご自分への奉仕に対してでも、第一の場所を譲られない。

 110.恐らく誠実なクリスチャンたちの最大の過ちとは、神の奉仕を神としてしまうことであろう。

 111.もし、自分の命を捨てたいと思うなら、それを与えてみてはどうなのか?

 112.すべての奉仕における真の勝利は、前もって、祈りによって密かに勝ち取られる。奉仕とは、その結果を拾い集めることである。

 113.あなたの 「最善」 は、主を呼び求めることである。 

 114.私たちは、投資事業に従事している−−永遠の配当金を刈り取るようになる、神の御国のための魂である。

 115.神があなたから必要としておられるものは何か?−−まず何よりも、あなたの親密なフェローシップと愛とであるが、あなたの犠牲的な奉仕も、それにつけ加えられる。

 116.主の妻に関して、主を最も誇らせるものとは、一体何か?−−それは、彼女が喜んで主の子供をはらみ、主の赤ん坊を産むこことである! それは、彼女が本当に主を愛していることの証明である。

 117.それが、神の家のために私たちの行うことである:  私たちは主の家、 すなわち、 主の子供たちを世話している主の僕たちである。私たちは、彼らを養い、彼らに衣服を着せ、主の赤ん坊の世話をする。そして主は、そのことを本当に感謝しており、私たちの奉仕の故に、私たちに真に感心しておられる。

 118.もし、あなたの存在の主要目的が、救われることであったなら、あなたが救われたその瞬間に、あなたの存在は終わっているべきであるし、またあなたは死んで、主と相まみえるために、故郷に戻った方が良かったであろう。それでは、主はどうして、あなたが生き続けるのを許して下さったのか?−−それは他の人々を救うためである!

 119.私たちの目標は、神を愛し、また自分を愛するように、その隣り人を愛することを、すべての人に説得しようと努めることである。そしてこれをするなら、全世界のすべての問題が解決されるのである。

 120.あなたたちは、屈辱を忍んで目的を遂げるという、キリストのミニストリーに従事している! あなたは、できる限り遠くまで下って行き、彼らをきれいにするために、彼らの汚れによって汚くなっている!

 121.あなたの子供たちは、主への奉仕の一部である。だからあなたは、子供たちに対する奉仕であるのと同様に、神に対する奉仕として、あなた自身の子供たちの世話をする必要があるという事実を認知する必要がある。

 122.一人が十字架を捨てると、他の者がそれを取り上げる。一人が冠を捨てると、他の者がそれを大事に受け取る。一人が長子の特権を捨てると、他の者がそれを受け継ぐ。

 123.あなたは傷つくまでに与えることを厭わないか?−−イエスはそれをされた。イエスは、ご自分の命を与えられた! 神もそれをされた。神は、御子を与えられた! ダビデもそれをした。ダビデは言った、 「わたしは、費用をかけずにものを主に捧げることはしません!」 と。 (サムエル記下24:24)  −−彼らは傷つくまでに与えた! 神は、他の人々に対する愛情深い奉仕において、神の妻、すなわち教会を、間断なく与えられている。神は、世界に求愛し、世界を勝ち取ろうとする仕事に、絶えず携わっておられるのである!

 124.主の働き人の内で、仕事を失う様になる者は一人もいない!全世界が文無しになり、失業しても、あるいは破産したとしても、あなたは決して仕事を失うことはない! あなたには常に仕事があり、その仕事はあなたのながらえる限り、あるいは、主が来られるまで続くのである! それは常に同じ仕事、すなわち、どんな方法であれ、福音を宣べ伝えることになるであろう。

   (No.S, 31,48,74,182,207,241,266,314A,

510,551,564,565,566,641, 662, 675, 697,703,727,

957,960,974,1180,1316,1330,1373,1374,1551も参照。)

 

 

  125.サムエル記上12:24  あなたがたは、ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えよ。そして主が、どんなに大きいことを、あなたがたのためにされたかを考えよ。

 126.マタイ16:25  自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために、自分の命を失う者は、それを見出すであろう。

 127.マタイ20:28   それは、人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである。

 128.マタイ23:11 そこで、あなたがたの内で一番偉い者は、仕える人でなければならない。

 129.マタイ23:23b これもしなければならない‥‥

 130.ルカ9:23 それから、みんなの者に言われた、 「だれでも、わたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々、自分の十字架を負うて、わたしにしたがってきなさい。」

 131.ルカ17:10 同様に、あなたがたも命じられたことをみなしてしまった時、 「わたしはふつつかなしもべです。すべきことをしたにすぎません。」 と言いなさい。

 132.ヨハネ4:34 イエスは彼らに言われた、 「わたしの食物というのは、わたしを遣わされたかたの御心を行い、その御業を成し遂げることである。」

 133.Tコリント3:9 わたしたちは、神の同労者である。あなたがたは、神の畑であり、神の建物である。

 134.Tコリント6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのだ。それだから、神のものである自分の体と自分の霊をもって、神の栄光を現しなさい。

 135.Uコリント5:15 そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために生きるためである。

 136.Tテサロニケ2:9  兄弟たちよ、あなたがたはわたしたちの労苦と苦悩とを記憶していることであろう。すなわち、あなたがたのだれにも負担をかけまいと思って、日夜働きながら、あなたがたに神の福音を宣べ伝えた。

 137.Uテサロニケ3:13 兄弟たちよ、あなたがたは絶ゆまずに良い働きをしなさい。

 138.ヤコブ2:14 わたしの兄弟たちよ、ある人が、自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、何の役に立つか。その信仰は、彼を救うことができるか。