82.主における休息
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに
きなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタイ11:28)
1.あの平穏と、平安と、休息と、忍耐と、愛の秘訣は、主における休息である。
2.十分休息し、十分考え、十分祈り、満タンになりなさい。
3.あなたには休息が必要であり、栄養が必要であり、気分を爽快にしてくれるものが必要であり、霊感が必要である。
4.あなたは、からっぽの殻、からっぽの棚、からっぽで重荷を負いすぎている心、それ自体のためにさえ十分持っていない、負担がかかりすぎた体から、他の人を養うことはできない。
5.心を満たしなさい。そうすれば何を言うべきか、何をすべきか知ろうとして困ることはない。
6.人々はバッテリーによく似ている。人々には休息が必要であり、再充電が必要である。彼らは、あまりにも消耗されてしまうことには耐えられない。あなたは、彼らの世話をしてやらなくてはならない。
7.主は、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」と言われた−−しかしそれには、一つの条件がある−− 「わたしのもとに来なさい!」
8.あなたの一日が騒がしく、疲れ切ってしまったなら、
また、誰からも構ってもらえないと感じるなら、
私の愛する者よ、夜を待ちなさい。
主が小鳥の声さえ聞いて下さる夜を!
9.仕事ばかりで遊ばせないと、さえない生徒にしてしまう。それどころかよりひどい証し人にしてしまう。
10.自分の最善を尽くすには、休息がなくてはならない!
11.神への信仰と信頼は、肉体的な休息感、精神の平安、心の満足、及び霊的な幸福感を与えてくれる。
12. 「日々死ぬこと」 とは、働き過ぎと悩み事で、自分自身を殺してしまうことではない。
13.もし仕事が、自分にとって辛すぎるように思えるなら、それをイエスにもっていきなさい。
14.もしくびきが、あまりにも負いにくくなり、荷があまりにも重くなるなら、それは主のくびきでも、主の荷でもなく、私たち自身のものか、誰か他の人のものである!
15.時間を取ってひとりになる人々は、大抵、深さ、独創力、そして平穏に満ちた信頼感を持っている。
16.あなたはいつ戦い、いつ静まり、いつ与え、いつ取っておき、いつ働き、いつ遊び、いつ養い、いつ祈るべきかを知る必要がある!
17.改善のために死んでしまうほど、あまりにも無理に働いてはいけない!
18.あなたの魂に休みが与えられるであろう。(マタイ11:29) 魂というのは、霊を持っている肉体のことだというのを、理解している人はあまりいない。もしあなたが御霊の内に休まないなら、あなたの肉体は疲労してしまう。
19.注ぎ込まれるためには、ビンはじっとしていなくてはならない。いっぱいに満たされるためには、じっとして、本当に静かにしていなくてはならない。
20.思いを新たにする秘訣を学んでいない者は、すぐに意気阻喪してしまう。
21.主と二人っきりになる時間を取って再び満たされることをしなければ、誰も他の人に注ぎ続けることはできない。
22.主の力なしに、主の仕事を行うことはできない−−そしてそれを得るには、主と時間を過ごさなくてはならない。
23.私たちは皆、主と二人だけになって、休息し、満たされる静かな時間がもっと必要である。
24.聖くなるために、時間を取りなさい。−−思いも、体も、霊も、完全に主のものとなるために。
25.主よ、あなたが与えて下さる天からのビジョンがなければやっていけないことを、忘れないようにするのを、助けて下さい。
26.もし、主ともっと時間を過ごすなら、あなたはそんなに心配したり、くよくよしたり、取り乱したりはしないであろう。
27.数分間立ち止まって、高き所からの霊感や元気づけ、霊的補充や肉体的な休息、すなわち、主との小さな愛餐の時間を取れないほど重要な仕事など何もない。
28.もしあなたが今日、霊の内で主の御霊の宮へ入りそこねたなら、あなたは本当に大切なものを逃したことになる。
29.一目見るだけで、主はあなたのすべての問題を解決することができる! 一回深呼吸するだけで、主はあなたの霊全体を生き返らせることができる。天の音楽の甘美なメロディーを一つ聞くだけで、主はあなたのすべての思いをはっきりさせることができる!
30.あなたの思いを主に、ただ主だけに留めている時に、与えられるほんの少しの休息に満ちた瞬間に、主はあなたの恐れや涙をすべて拭い去ることができる。あなたが主を信頼しているからである。
31.もし信頼しているなら、くよくよしない。
もしくよくよしているなら、まだ信頼していない。
32.主は、 「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」 と言われる。(ヘブル13:5) 必ずしも常にそこにいないのは、神の方ではなく、私たちの方である。私たちは時々、何処か他の場所に走り去って、主をずっとあとに置き去りにしてしまうことがある。
33.イエスは、必要なことはひとつだけだと言われた。それは主の足元に座って、主に学び、主の御言葉を世界に受け渡すことである。その良い方を選んだ者たちからは、決してそれが取り去られることはない。私たちの中のあまりにも多くの人々は、あまりにも多く仕えることに心がいっぱいで、十分耳を傾けていない。私たちには、マルタが沢山いすぎて、マリヤが十分にいない。
34.私たちは、主を待ち望むべきである。主を待ち望む者は、疲れ果てる代わりにその力を新たにするであろう。
35.あなたは、あなたの最善のものをあなたの王のために取っておき、彼と彼とのフェローシップと彼の愛を第一に置かなくてはならない。あなたは、彼の腕の中で休み、そんなに無理に働かないようにすることを学ぶ必要がある。
36.力は、天と地とあなたの体を造られた主から来る。そして主はあなたに何が最も必要なのか、御存知である!−−すなわち、休息と平和と主とのフェローシップと主の御言葉で養われることである。
37.1番目の場所は、主のものでなければならない。つまり、主における平和と静けさと休息の内に、主によって養われ、主とフェローシップすることである。
38.とても多くの者たちは、自分の重荷を主の所に持って行き、それを祭壇に置くことはするが、またすぐにそれをかつぎあげて、歩き去ってしまう。
39.私たちが、肉体的に健康で元気で強くあるように、またあなたに仕えることができるように、あなたに私たちの世話を良くしていただき、そして私たちが適度な休息と適度な運動と、正しい食事を取ることによって、できる限りあなたに協力するのを助けて下さい。何よりも私たちが霊的に健全であり、強く、あなたの奉仕にあって幸せであるように、あなたの御言葉と御霊が与える休息、運動、食事を取るのを助けて下さい。
40.怒りに乗じた短気とは、主における完全な信仰と休息の欠如のしるしであり、神はそのことに対して、モーセを非常にきびしく裁かれた。それは私たちにとっては、非常に小さな罪であったように思えるかもしれないが、神にはそれは怒りに満ちた短気と休息に満たされた信仰の欠如という、全会衆に対する非常に悪い手本だったのである。
41.あなたたちは、力をお互いに出し合い、ただ信仰によってのみ、またあなたたちの小さなギデオンの一隊によって進軍し、ただ神からの信仰と、あなたたちの信仰の柔和さと、あなたたちの従順の平穏さによって戦いに勝たなければならない。心配したり、すっかり興奮してしまったり、緊張しすぎてはいけない。ただ落ち着いて、柔和で、 謙遜 で、静かにし、信じ、従順でありなさい。そうすれば何もかもうまくいくだろう。
42.生れつき、とても多くの才能と能力を持っているなら、ただ神に委ねて、すべてを神にまかせることは困難である。
43.主よ、私たちはあなたの内に休みます。あなたの内に、つまり、あなたの腕のくぼみ、あなたの手の内に、あなたの翼の下に、あなたの密かな場所に眠ります。私たちは全能者の陰に宿ります。それは主よ、オーラのような、私たちを保護している特別な類いの栄光であり、私たちを取り巻く、あなたの特別な力の場のようなものです。
(No.3,4,11,25,74,98,169,191,1427,1493も参照。)
44.出エジプト33:14 わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう。
45.列王紀上8:56a 主はほむべきかな。主は‥‥その民に安息を賜った。
46.詩篇4:4 あなたがたは恐れをいだいて罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。セラ。
47.詩篇37:7 主にあって休み、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。
48.詩篇55:18 主はわたしが戦う戦いから、わたしの魂を安らかに救い出されました。わたしと共にいる者が多かったからです。
49.詩篇55:22 あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えられる。主は正しい人の動かされるのを決して許されない。
50.伝道の書4:6 ひとつかみの物を持って平穏であるのは、両手に物を満たして労苦し、困惑するのにまさる。
51.イザヤ30:15 主なる神、イスラエルの聖者はこう言われる、 「あなたがたは立ち返って、落ち着いていることによって救われ、穏やかにし、また確信していることによって力を得る。」
52.マタイ11:28-30 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
53.ヘブル4:3 ところが、わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。それは 「わたしが怒って、彼らをわたしの安息に入らせることはしない、と誓ったように。」 と言われるとおりである。しかも、みわざは世の初めに、でき上がっていた。
54.ヘブル4:9 こういうわけで、安息日の休みが、神のためにまだ残されているのである。
55.Tペテロ5:7 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思い煩いを、いっさい神にゆだねるがよい。