74.預言者と警告
まことに主なる神は、その僕である預言者に、その隠れたことを示さないでは、何事もなされない。(アモス3:7)
1.神が語られる時、人々がそれを好むと好まざるとにかかわらず、それが耳ざわりの良いものであろうとなかろうと、人々がそれに従おうと従うまいと、私たちはメッセージを伝えなければならない。
2.たとえ時には、何人かの人々を怒らせたり、またほとんどの預言者の場合においてそうであったように、あなたたち自身の安全を危険に陥れたとしても、あなたたちには、悪人に、神の預言者たちを通じての、神の預言を警告し、また主の忠実なメッセンジャーとして、神の警告の言葉を彼らに届ける義務があり、またそうすることを求められている。そうすれば、その罪の故に、彼らが滅びる時、あなたたちがその責任を負うことがない!
3.悪しき者に、その悪しき道を警告するのは、私たちの仕事、及び私たちの責任の一部であり、また私たちがここにいるための、数少ない口実の一つである!
4.主は、私たちが、吠えることさえできないおしの犬ではなく、人々に警告する、やかましい預言者たちであることを望まれる!
5.前もって告げられるということは、前もって警告を与えられるということである!
6.神は常に、その時に応じた、神の力の人を持っておられる。すなわち、まず人々に悔い改めることを懇願し、彼らの滅亡を警告するために、最初にやって来る善人たちである。また悪しき世代に対する鞭、及び裁きとして、主が用いられる悪しき者たちであり、彼らは、善人の後にやって来る。
7.神の祝福、あるいは呪いは、神の預言者たちに対する人々の反応次第である。
8. 「神の預言者たちの口を封じようとする者は、用心するが良い!」
9. 「あなたの父の言葉と、彼があなたたちに与える警告とに耳を傾けなさい!」
10.神は、預言者たちを通して予告して来られた神の裁きをしばしば遅らせられた。そしてついには、それらの裁きが起こりそうもないように思われ、また預言者が、愚かな者のように見られてしまうようになった。しかし、それは羊を山羊から分けるためであり、信者を嘲弄(ちょうろう) 者たちから分けるためだったのである。
11.神の警告に対して人々の目を覚ますために、神はしばしば、その預言者たちに気違いじみたことをするように求められた!
12.モハメッドとイスラム教とは、悪しきクリスチャン世界に対する、神の鞭であったというのが、私の確固とした信念である!
13.大声を張り上げて警告する事は、 常に預言者の仕事であるが、必ずしも預言者自身で何かを行うということでも、行動、あるいは暴力、何であろうとそれに参加するということでもない。ただ警告することが預言者の仕事である!
14.言葉と警告とによっても、目的を果たせない場合には、懲らしめ、及び裁きが下り始める。
15.神の預言者たちはただ単に人々に警告し、神の裁きを予告するだけではなく、時には、それらの裁きを引き起こすのを助けることさえあった!
16.神の代弁者として私たちの任務は、結果はなるにまかせ、良くなろうと悪くなろうと、絶対にそれを語ることである。主のメッセージがもたらす影響が、どのようなものになるかに関して、神に問いかけるのは私たちの仕事ではない。
17.彼らが今、耳を傾けようと傾けまいと、いつの日か彼らは、私たちが彼らの運命を警告していたことを思い出すであろう。
18.それは神の預言者たちの好ましくない仕事である: すなわち、たとえ人々が、それを好まなくても、また時には預言者たちの命が、その代価となることがあっても、世界に真理を告げることである!
19.預言者たちは、どんなことがあっても、生死にかかわらず、のってもそっても、起きても倒れても、ただ神の御言葉を語る!
20.私たちが、世界に警告するというあの霊を失っていないように望む!
21. 大いなる滅亡を告げた昔の預言者たちは、
あたかも精神異常者か、
狂人でもあるかのように嘲笑された!
しかし、そのメッセージに従って、一つ一つの滅亡が、
その時になって起こった時、そこの人々は、
しばしば悔い改めた!
22.神は私たちに、早期の警告を与えられる。すなわち、神が世界に対して与えられる、2倍の警告を!
23.私たちの言葉は、警告を与える彗星となった!
24.あなたたちは、ただ信じるのを拒むことによって、神の預言者たちを虐待することができる。(歴代志下36:16)
25.もしあなたが、人にへつらう者であり、 「人がみなあなたがたを誉める」 ことを好むなら、あなたは神の預言者ではない!(ルカ6:26)
26.神は常に一つの声を持っておられる! 神は常に一人の証人を持っておられる! 神は常に、誰か人々に真理を告げる者を持っておられる!−−それはあなたであるか?
27.神の預言者たちは、神のスパイである−−彼らは、両方向を見る: 情報と指示を求めて神の方を向き、それから何が間違っているのかを見破り、それを人々に告げるために世界を見る。
28.神の預言者の役割は、実際に全世界を非難することである!−−すなわち、これは粉々に砕き、あれはめった切りにし、そしてついには、彼に残されているものが、ただ神だけとなる!
29.世界の救世主たちは、ちょうど船長がその船と共に沈まなければならないように、やはり、人々を救出し、他の者たちを救おうと努めながら沈まなければならないことがある!
30. 「預言者は、自分の郷里以外では、何処ででも敬われないことはない。」 (マタイ13:57)
31.預言者を保護することは、メッセージのスピードを上げることよりも重要である。メッセンジャーが危険にさらされるよりは、メッセージが遅れる方が良い。
32.私たちは、危険な教義を宣べ伝えているが、すべての時代を通じて、すべての預言者たちがそうであったように、たとえそれによって困ったはめになっても、真理を告げなければならない!
33.預言者であることは、楽しいことである。何故なら、家から一歩も出ないで、沢山の霊の旅行をするからである! 神は、神の預言者たちを、未来や過去に、上や下や横に、あるいは、主が望まれる何処にでも、迅速に動かすことができる!
34.ほとんどすべての預言者は、人々が腐敗し、邪悪で罪深いものとなり、御言葉による清め、浄化を必要とする時に、つまり、何処かの羊飼いによって、神の下に連れ戻される事を必要とする時に召される。
35.預言者や霊媒や予見者のように、あなたが霊的になればなるほど、あなたはますます御霊の領域の中に入り、ますますその支配下に置かれるようになる。そこでは、あなたもまた、より直接的な命令の下で活動するのであり、より直接に導かれ、また支配される。
36.真に善良な者、真の神の預言者はすべて、何人かの敵を持つようになる。もし持っていないなら、何かが間違っている!
37.預言者が、霊的な権威を保つことのできるただ一つの方法とは、御霊において、忠実であることである。
38.灼熱の御言葉と神の力との器になることは、容易なことではない!
39.世界の歴史において、私たちは、預言者たちが、イスラエルの滅亡の直前にいたのと同じ立場にいる。私たちは、世界の最も有罪な国々に対し、彼らの神への不従順に対する、来たるべき滅亡を警告している!
40.神の預言者たちは、幾時代を通じて、一人、また一人と爆発を起こしてきた。ある者たちは、心に留められ、他の者たちは無視されたが、神の祝福、あるいは呪いは、彼らに対する人々の反応次第であった。
41.預言者とは、ただ単に、信仰と愛と宗教とを説かなければならないだけではなく、王たちの過ちをも指摘しなければならない。
42.神の預言者たちは、双方の側を、その罪の故に非難しなければならなかった。預言者はひとり残らず、イスラエルを激しく非難したが、しかしその後で預言者は、向きを変えて、イスラエルの敵にも激しい非難を浴びせ、イスラエルに敵対して戦っていることに対して、神が彼らに、一体何をしようとしておられるのかを彼らに告げたのである。預言者たちが、支持することのできた者は、神御自身以外にはほとんど誰もいなかった。すべての者が、全くまともではなかったからである!
43.預言者とは、真理を告げる者である。あなたたち一人一人が、真理の預言者、神の預言者である。あなたが、神の真理を告げ示すなら、あなたは神の預言者、真理の預言者である。
44.神の預言者たちは、ただの神の側にだけついているものの、時折、何処かの国のリーダーもまた、神の側についていたり、あるいは、神に敵対していたりということが起こる。だから神の預言者たちは、どの人が、その仕事に対して最善の者であるのかを人々に告げなければならない。
45.如何なる時代における預言者も、メッセージの効果を判断すべきではないことになっている。それが良い効果をもたらすかどうか、あるいは人々が、それを受け入れることができるかどうかに応じて、メッセージを与えるべきか否かを決定するのはあなたの仕事ではない。人々は、いつだってそのメッセージを受け入れることできなかった。彼らは常に、彼らの預言者たちを殺し、常に背いてきたのであり、耳を傾け、また従った者は、極わずかだったのである。
46.世界の出来事と歴史の進路とは、神の預言者たちによって影響される。また世界の出来事と歴史の進路とは、預言者たちのメッセージに対して、王たちが何をなすかにかかっている。
47.主よ、私たちにできることはただ、あなたの真理を声に出し、何がどういうわけで起きたのかを人々に示し、御言葉を与えるように努めることだけ、つまり、事実と真理とを暴露することが、私たちの仕事なのです。そしてその後は、そのことについて心配したり、それと戦おうと努めたり、すべての嘘に反駁したり、あるいはすべての非難を否定したり、あるいは彼らと戦うことによって、主よ、あなたの時間と私たちの時間とを無駄にするようなことはせずに、 そのまま私たちの道を、主よ、あなたの道を進み続けることなのです。そしてただ、 先へ進んで、あなたのために、私たちが勝ち取ることを望んでおられる領土を勝ち取ることなのです。
48.メッセンジャーとしての、私たちの仕事においては、メッセージを携えることが私たちの努めである。神はすべての時代、すべての人々のためのメッセージを持っておられる。そのメッセージは常に救いであるが、人々の歴史、個人の歴史、教会の歴史、一国の歴史における、特定の段階において、そのメッセージには特定の強調すべきものがある。
49.神はすべての人、すべての教会、すべての国、すべての人々に、その機会とチャンスとを与えられる。そして、その個人、教会、あるいは国の発展、成長、進路、あるいは後退におけるそれぞれの特有な段階のために適している、特別のメッセージがある。
50.神に関する限り、真に支配しているのは一体誰なのか?−−神の歴史全体を本当に支配しているのは、あなたたち、神の小さな預言者たちである! 歴史の大きな歯車は、あなたたち、つまり非常に小さく、一見して取るに足らないように思われる、枢軸で回転している−−すなわち、あなたたちが何をするか、どのようにするか、また如何にして主に従うか、何を人々に告げるか、に基づいてである。
51.神の預言者たちは、神の御言葉を宣言するために、神の信仰を持っていなければならない。そして彼らは、キリストにおいて神が受けられたのと同じ迫害を受ける。しかし、神をほめたたえよ。彼らは、神の報酬を受ける!
52.神は、民を通して治めることはなさらない。神は普通、一人の人、任命された長老、一人の任命された監督、あるいは任命された使徒、あるいは任命された預言者、あるいは任命された司、あるいは任命された王を通して治められるが、民を通して治められるということは決してない。神がリーダーたちを選ばれ、神が民の上に彼らを置かれるのであり、民には、神の任命された統治者に従うという以外には、市政、または国を治めることについて何らの関係もない。
53.私たちはこの時代の預言者たちである。私たちは、神のお告げ、すなわち、神の御言葉を保護保存し、今もなお、主より受け取り、その言葉を聞いている真の預言者たちである。それに反して、その他の教会は、つんぼであり、おしであり、盲目である!
54.私は神の預言者であり、ただ私の心にあるものを人々に告げるだけである。だからそれは喜ばしいものであるかどうか、人気が出るようになるかどうか、あるいは舌ざわりが良いかどうか、または正しい作文法に従ったものであるかどうか、といったようなその他すべてのことは、実際、私にとっては何らの関心もない。
55.ちょうど、イエスや使徒たちがしたように、悪人、偽善者、律法学者、及びパリサイ人らを暴露し、 また人々が用心し、その目を開き、私たちがあらかじめ告げておく、これらの事柄やこれらのしるしに注意することができるように、人々に真理を告げること、それが神の預言者としての、私たちの任務である。
(No. 9, 69,79,161,295,319,358,544,545,
610,655,707,837,911,955,989,1337,1539,
チャイルドケア・ハンドブックVも参照。)
56.歴代志下20:20b あなたがたの神、主を信じなさい。そうすればあなたがたは堅く立つことができる。主の預言者を信じなさい。そうすれば、あなたがたは成功する。
57.詩篇105:15 わが油を注がれた者たちにさわってはならない。わが預言者たちに害を加えてはならない。
58.イザヤ58:1 大いに呼ばわって声を惜しむな。あなたの声をラッパのようにあげ、わが民にそのとがを告げ、ヤコブの家にその罪を告げ示せ。
59.エレミヤ1:10 見よ、わたしは今日、あなたを万民の上と、万国の上に建て、あなたに、あるいは抜き、あるいは壊し、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる。
60.アモス3:7 まことに、主なる神は、その僕である預言者に、その隠れたことを示さないでは、何事もなさらない。
61.アモス7:14,15 アモスはアマジヤに答えた、 「わたしは預言者でもなく、また預言者の子でもない。わたしは牧者である。わたしはいちじくぐわの実を集める者である。ところが主は、群れに従っているところからわたしを取り、 『行って、わが民イスラエルに預言せよ』 とわたしに言われた。」
62.マタイ13:57b しかしイエスは言われた、 「預言者は自分の郷里や自分の家以外では、何処でも敬われないことはない。」
63.ヨハネ16:4a わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、これらの時が来た時に、わたしがそれらについて言ったことを思い起こさせるためである。
(エレミヤ1:1-10も参照。)