73.預言と直接の啓示

 

  神がこう仰せになる。終わりの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そしてあなたがたの息子、娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう!(使徒行伝2:17)

 

 1.体に食物を与えて、魂を飢えさせてはいけない!−−あなたの魂を永遠に養い、また救ってくれる、天国の神のムービー・カフェに来なさい! 主のメッセージにスリルを覚え、主の映像を愛し、それらの夢を大いに楽しみ、主の啓示によって、胸をときめかせなさい!

 2.あなたが、どんな類いの啓示を受けようと、それは問題ではない。もしそれが、聖書と矛盾しているなら、信じてはいけない!

 3.神は聖句を、神が望まれるどんな風にも用いることができる!

 4.ある夢が、真に主からのメッセージであるのかどうかを、認知するための方法とは、それが際立って鮮明であるかどうか、その直後に目を覚ますかどうか、すべての詳細を覚えているかどうか、また、それが何か特別で重要だという感じを受けるかどうかである。

 5.神の預言には、中間的な成就をもっているが、また同時に究極的な成就を持っているものが、数多くある!

 6.幾つかの預言は、条件つきであり、人々の反応の仕方、また従い方に依存する。

 7.神の預言の多くは、多くの異なる人々において、多くの成就を重ねてきた。

 8.神がメッセージのない絵像を与えることは、めったにない。

 9.愛する者よ、時は大切である。いつ祈ったか、あるいはいつ何か超自然的なことが起こったかを、いつも記録に取っておきなさい。いつそれが起きたのかは、重大な意味を持つことがある。

 10.主の道は、如何に驚嘆すべきものであろうか、しかし、主の写実的な小さな絵像は、如何に単純で、子供じみていることであろうか!

 11.啓示が全く何の意味をもなさないように思える時には−−気をつけなさい! 主がこれまでに、私に与えてこられたもので、何らかの意味を持っていなかったものはひとつもない。

 12.ケ・セラ・セラ−−なるようになる! 何故なら、神がそうなると言われたのだから、不信者や冷笑者や嘲弄者たちにもかかわらず、それはなるからである。

 13.預言それ自体は、ただあなたを通して、主に流れていただくことに他ならない!

 14.すべてのしるしは、その方向を示唆しているかもしれないが、神が明確にそれを言明されるまでは間接証拠のようなものである。

 15.神の絵像は、本当に力強い−−絵像の力である!

 16.神のすべての真理やもろもろの啓示を、厳密に聖書だけに制限するというのは、教会の悪霊共による、忌まわしい教義である! 真の預言は、何か矛盾したことを教えることはないが、確かに多くのギャップを埋めてくれる!

 17.預言はしばしば、すぐまじかな成就と、また同時に長時間に渡る成就とを持っている。

 18.普通、人前での預言は、大いなる力とインスピレーションとを伴うものであり、聖書にかない、徳を高め、有益であり、励ましを与え、意気を高揚してくれる!−−それは、父がその子たちを励ましておられるのである−−それが叱責であるということは、極めてまれである!

 19.神は、あなたがその問題に対する、他に取るべき、考えられる手段や解決策を考慮することによって、何かを学ぶことを望んでおられるので、即刻の直接的な啓示を与えられることはないかもしれない。

 20.主は、私たちがそれを受け取り、受け入れ、また把握できるように、少し、また少しと私たちに与え続けられる! そのすべてを、いっぺんに私たちに与えることはできないであろう。そんなことをされたら、多すぎて飲み込めないからである! 主がとても親切に、ステップごとに導いて下さるというのは、素晴しいことではないか!

 21.旧約聖書の計画の下では、神が聖霊によって塗油を与えられたのは、ある特定のリーダーたちだけであり、それは主として、ある特定の王たちや預言者たちに限られていた。彼らが聖霊を受け取ったのであり、リーダーシップのすべての重荷が、彼らの上にかかっていたのである。しかし、ペンテコストの日に、新約時代が始まった時には、神はすべての人をその導きのために、リーダーシップに対して、あまりにも全面的に依存させるという、古いシステムを完全に捨て去られたのであり、個々のクリスチャン一人一人が、聖霊自身に対して直接責任があるようにされたのである。神は言われる。 「わたしの霊を、すべての人に注ぐ日が今来たのである。あなたがたの息子、娘は預言をするであろう。」  (使徒行伝2:17,18)

 22.もし異言で語るつもりならば、教会が徳を高められるように、解き明かしの賜物を求め、自分が何を言っているのか分からずに、ただ一日中異言でしゃべりまくることがないようにしなさい。

 23.私は、色々な人々に関する長たらしくだらだらとして、方向を告げている預言を受けて、彼らにすべきこと、また行くべき場所を告げたことは決してない。それは危険なことである。私の母は、驚くべき預言の賜物を持っていたが、よくそういった類いの事柄を警告していたものだった。それが実に多くの損害を及ぼしたのを見てきたからである。

 24.もしあなたが信じるなら、イエスはいつでも、何処ででも語られる!

 25. 「あなたは、主なるあなたの神について、何を知りたいのか?語れ、あなたの願い求めることを何でも、神に尋ねるが良い。ことによれば、御霊はあなたに語りかけて、暗きところにある秘密を啓示してくれるであろう!」

 26.神が語られたことを理解するには、時間がかかることもある!主の御言葉を理解するには、時々少々の時間がかかることもある! 主の啓示の完全なる意味が、私たちにはっきりと解り始め、とうとう私たちが、 「読み取り」  「理解する」 ようになるには、数カ月、あるいは数年間かかることさえある。そして時には、まだあなたがそれを完全に理解するための主の時ではないこともある。預言者たちの多くは、彼らが預言していたことを理解していなかったのである。また彼らの巻き物は、これらの最後の日々に至るまで、私たちに対して開かれず、その意味の説き明かしも理解されていなかった。

 27.神の子供たちが、未来に関する明確なことをひとつも知ることを、神が望まれなかったのだとするなら、一体どうして神は、そのことについて語るのに、聖書の半分を浪費したのだろうか!

 28.預言を軽視してはいけない。異言で語ることを禁じてはいけない! すべての火を消してしまって、全然火が無くなってしまうよりは、むしろ本当の火と共に、少しの野火があった方が良い。

 29.御霊を制限してしまうことに注意しなさい! しかし言うまでもなく、御霊の自由を許している場合には、時として偽りの霊に対しても扉を開いてしまうことがある。そして、神からのものでない霊によって霊感されて、霊からはずれた預言を与える者が現れることが、かなりよくある。

 30.たとえ預言しているその人のことを、たいして評価していなくても、彼らにチャンスを与えなければならない。主の御霊のあるところには自由があるからであり、また自由があるところには、悪魔は常にそれを利用することを好むからである。(Uコリント3:17)

 31.あなたは、まず彼らに語らせて、その後でそれを判断しなければならない。何故なら、もし語らせないなら、それを聞く前に判断していることになり、それはあなたにとって、恥となり恥辱となるからである!(箴言18:13)

 32.神の預言と悪魔の預言、あるいはあなた自身の霊による預言との間の相違を、どのように見分けるのか:  1) それは聖書に沿ったものであるか? 2) それは神の選ばれたリーダーシップによって認められているか? 3) それは何人かの証人たちの口によって確立されているか? 4) それは成就されてあるか? 5) それは有益で、励ましであるか?

 33.預言をするということは、あなたたちにできる最も重大な事柄の一つである:  あなたたちは、それが神からのものであることを確かめた方が良いであろう。さもなければ、口を閉ざしなさい!

 34.預言が与えられている場合には、その預言を判断するために、止まらないで、続けて二つ以上与えさせるようなことを、決してすべきではない。そうでないと忘れてしまうであろう!

 35.預言を判断する際には、リーダーは、何かコメントする必要のあるものがあるなら、それに気がつくようにして下さるように、聖霊に求めるべきである。

 36.真の預言は、一般的には非難を加えるようなことはない。ナタンがダビデの前でそうしたように、主が非難されるということは、極まれな場合である。だからそれがなされる時は、非常に悪いもの、また何かすべての人を傷つけてしまったようなものでなければならない。そうでない場合には、つまり誰かが、人前で悔い改めなければならないような場合以外には、主は普通それを公にはされないものである。

 37.旧約と新約聖書とを通じて、神は常に語って来られた:  神の子らを導き、教え、慰め、励まし、そして矯正するために。

 38.霊的な賜物に関しては、私たちは無知であるべきではなく、それらの賜物、特に預言の賜物をせつに求め、心から願い求めるべきである。

 39.主から聞くことは、私たちの霊的な栄養である−−そしてあなたは、主から聞くことができるようでなければならない!

 40.パワーは常に流れている。メッセージは常にそこにある。神の御霊は、四六時中放送している放送局のようなものである。あなたがしなければならないことはただ、スイッチを入れ、周波数を合わせることだけである。あなたは真空を作り、心から口を開かなければならない。そうすれば主はそれを満たして下さるであろう!

 41.主が、あなたの霊であるちっぽけなバッテリーに、すでに充電して下さっている霊のどんな小さな力、または強さでも、流れるようにスイッチを入れなさい。そうすれば、天国から落とされる主のメッセージに、あなたが波長を合わせる際に、あなたの回路が活動的になって、主の力強いシグナルを受け取れるようになるであろう!

 42.信仰の手は、つまみを回し、それによって接触がなされ、スイッチが入れられ、あなたが持っているわずかの動力を作動させる。そして希望の手が、神の放送しておられる周波数を捜し求めながら、期待を込めて回されると、突然に主の大いなる放送局が、驚くべきほどはっきりとした音量と力と確かさをもって、にわかに流れ込んでくる。そしてメッセージが、大きく、しかもはっきりと伝わってくるのである。

 43.すべてのことを、徳を高めるために行うようにしなさい。預言が力を与え、みんなをイエスにより近く引き寄せるものであることを確かめなさい。

 44.主が、二回か三回語られた後は、グループ内にあって、その場にいる、責任を負うべきシェパードが、預言の内容を振り返って、それに基づいて説くために、その流れを止めるべきである。別の預言者を通して、語るべきことを、主がもっと持っておられる場合には、その預言者は待つことができる。何故なら、預言者の霊は、預言者に服従するものだからである。(Tコリント14:32)

 45.預言者たちは、シェパードが語りなさいという合図を出すまでは、それを語らずに制御していることができる。神は混乱の超本人ではなく、平和の神である。だから用心して、徳を高めるということが、神からの預言の結果であるということを、覚えておきなさい。悪魔の狙いは混乱である。

 46.私たちは輪になって、手をつなぎ、少しばかり主をほめたたえ−−つまり、呼び水を差すわけであり−−主をほめたたえることによって、主を喜ばせるのである−−ちょうど王の前にやって来た時に敬礼をするように。そしてその後で私たちは、口を閉ざし、王が言わんとしておられることをうかがうのである。普通それは、そのように起こるのである。まず第一に、主をほめたたえる−−多分誰かが祈りを導く−−その後で、一連の賛美がおさまり始める時に、主が語って下さるのを待つのである。そして、主が語られたなら、多分誰かが、そのことに関する小さな応用、あるいは判断を与えるわけである。

 47.預言を判断することについて:  聖書は、私たちにこう警告している。 「愛する者たちよ、すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか試しなさい。多くの偽預言者が出て来ているからである。」 (Tヨハネ4:1)

 48.列王紀上13章の中で、ある預言者は、神がもうすでに示しておられたものとは、反対の預言に従ったために、獅子によって裂き殺された。

 49.もしあなたが、ものすごい集中力をもって、また気をそらすことなしに−−神の完璧な周波数の死点、あるいはむしろ生点にぴったりと照準を合わせて、完璧に周波数を合わせることに巧みでないなら、そしてもし、他の何らかのシグナルによって、進路をそらされたり、あるいは空中電気によって、ゆがめられたりすることを許してしまうなら、神のメッセージは、敵の空中電気や力によって弱められ、ゆがめられ、妨げられ、不鮮明にされ、さらには完全に妨害されてしまうかもしれない!

 50.二つの周波数に、同時に合わせることはできない。悪魔はちょうど、割り込み、かき消してしまおうと努めている別の局のようなものである。悪魔はあなたが神の局を聞くことができなくなるように、そのシグナルを妨害し、周波数を妨害しようと努める。彼は、故意に神の周波数に割り込んできて、シグナルや偽のインパルスによって、神の局を妨害しようと努めるのである。

 51.預言者が、如何に厳しく対処されるかは、主として、偽りの預言が、如何に深刻なものであるかに依存している。

 52.主が語られることは、起こるようになる。主が直接の預言、あるいは啓示を与えられるなら、私はそれが起こるということを心の底から信じる−−それは必ずしも常に、私が考えているような方法で起こることはないかもしれないが、しかし起こるのである。

 53.私は、あなたたちのリーダーであり、あなたたちの預言者であって、神は神のチャンネルとして私を用いられるが、それはあなたたちが、預言することはできないという意味ではない。しかし、もし何かの顕著な新しい啓示が私にではなく、あなたたちのところに初めにくるならば、私はそれを疑うであろう。主は、物事をあなたたちに啓示される前に、私に啓示して下さると、私は信じているからである。

 54.私が、これらのことを予言したと、すべての人に告げて回るようなことはしないでくれ。何故なら、私がしたのではなく、主がされたのだからである。そしてたとえ、それらのことが、ちょうどこのように起こらないとしても、主を責めてはいけない−−そうではなくて、主の預言を正しく説き明かさなかったことに対して、私たちを非難しなさい。もし何かの過誤があるとするなら、それは人間の理解力の足りなさによるのであって、神の失敗ではない。

 55.一人の人にメッセージを与えられ、別の人にその説き明かしを与えられるというのは−−つまり一人の人に預言を、別の人にその意味を与えられるというのは−−主にとっては、極めてありふれたことである。

 56.預言者が、御言葉によって爆発を起こす時、それは光のほとばしりのような、真理のほとばしりである!

 57.私たちの預言者たちの中には、この世を離れ去った預言者たちの霊をもっている者が、何人かいる。そして預言の賜物とは、そのようにして受けているのである。それは、この世を離れ去った預言者の霊なのである。あなたは、彼らがそれを通して働く、ひとつのチャンネルに他ならない。その知恵、その賜物、その才能、その超自然的な異言をもっており、預言、または説き明かしを与えるのは、彼らなのである!

 58.主はあなたたち、すなわち、あなたたちの誰を通しても語ることができる。 「終わりの時に、わたしは、わが霊をすべての肉なるものに注ぐ。あなたがたの息子、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは、夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。」 (ヨエル2:28)

  59.あなたが最後に、あなたを通して主に語っていただいてから、一体どれくらいたっているか? 私はあなたたちのために、年中それをしなければならない。あなたたちは、あなたたちの小さな家族のために、あるいは、あなたたちの小さなホームのために、あなたたちを通して、主に語っていただかないのか?

 60.どうしてただ、昨日の食物だけを常食としているのか? 毎日、何か新鮮なものを得たらよいではないか。あなたたちは毎日、神から聞くことができるし、また聞いているべきである。

 61.あなた自身が、最後に自ら直接に主の声を聞いてから、一体どれくらいたっているか? 主の子供たちの益のために、あなたが最後に預言、あるいは説き明かしをして、主のメッセージを彼らに伝えてから、一体どれくらいたっているか? 私たちはそのようにして始まったのであり、キリストの教会は、ペンテコストの日に、そのようにして始まったのである。

 62.あなたたちは、「私は毎日モーレターを読んでいるので、毎日、主から聞いています。」 と言う。さてそれは、聖書、あるいは主の記録された御言葉を読むのと同じで、非常に重要なことである。しかしまた、あなた自身で、主から直接に聞くことも素晴しいことなのである。

 63.あなたの小さな天の家族は、毎日時間をとって、祈りのために、より集っているか?−−霊の和合をもって共に祈り、霊において祈り、御霊の賜物において祈り、そして主から聞いているか?

 64.私たちが絶対的に確信し、また断定することのできる、ただひとつのもの、それは神が明確に預言しておられること、私たちがはっきりと書面に書き記るされた御言葉の内に読むことのできるもの、あるいは、来たるべき全般的な出来事のような、私たちが主から受け取ってきた、直接の啓示だけである。

 65.時が遅くなればなるほど、私たち自身の慰めと、励ましとのために、主はその予言、または預言において、より明確になられる。それによって何が起きているのかを、私たちが正確に知るようになるためであり、また起ころうとしていること、そしてその次に起ころうとしていることを、私たちが明確に知るようになるためである。私たちが絵の中に入り込んで行けば行くほど細々とした部分がより明らかになる。

 66.聖書の預言には、絶対に否定することもできず、議論の余地もなく、変えることもできない、ある特定の明確な事柄がある!−−しかし、現時点においては、未だに変動的であり、人間の意志、行動、及び選択に依存している、ある特定の変えることのできる事柄もある。

  (No.244,282A,295,296,325A,326,351,363,

545,620,622,695,764,829, 844, 918, 976, 989,1273,1285,1286,1317,1358,1436,1492,

1519,1546,1553,1554も参照。)

 

 

 67.民数記12:6 あなたがたは、今わたしの言葉を聞きなさい。あなたがたの内に、もし預言者があるならば、主なるわたしは幻をもって、これにわたしを知らせ、また夢をもってこれと語るであろう。

 68.詩篇119:13  わたしは唇をもって、あなたの口から出る、もろもろのおきてを言い表わします。

 69.イザヤ42:9 見よ、先に預言したことは起こった。わたしは新しいことを告げよう。そのことがまだ起こらない前に、わたしはまずあなたがたに知らせよう。

 70.エレミヤ23:28a 夢を見た預言者は、夢を語るが良い。しかし、わたしの言葉を受けた者は、忠実にわたしの言葉を語らなければならない。

 71.エゼキエル3:17-19  人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家のために見守る者とした。あなたはわたしの口から言葉を聞くたびに、わたしに代わって彼らを戒めなさい。わたしが悪人に 「あなたは必ず死ぬ」 と言う時、あなたは彼の命を救うために、彼を戒めず、また悪人を戒めて、その悪い道から離れるように語らないなら、その悪人は、自分の悪のために死ぬ。しかし、その血をわたしはあなたの手から求める。しかし、もしあなたが悪人を戒めても、彼がその悪をも、またその悪い道をも離れないなら、彼はその悪のために死ぬ。しかしあなたは、自分の命を救う。

 72.使徒行伝20:31  だから目を覚ましていなさい。そして、わたしが3年の間、夜も昼も、涙をもってあなたがたひとりびとりを、絶えずさとしてきたことを忘れないでほしい。

 73.Tコリント13:2 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

 74.Tコリント13:9 何故なら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分に過ぎない。

 75.Tコリント14:1 愛を追い求めなさい。また霊の賜物を、ことに預言することを熱心に求めなさい。

 76.Tコリント14:3,4  しかし、預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を戒め、慰めるのである。異言を語る者は、自分だけの徳を高めるが、預言をする者は、教会の徳を高める。

 77.Tテサロニケ5:19,20  御霊を消してはいけない。預言を軽んじてはならない。