112.御 言 葉

 

  あなたは、その御名にまさって、御言葉を高くされました。初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった!  (詩篇138:2; ヨハネ1:1)

 

 1.ただ、神の御言葉を読む時間をもう少しとれば、彼らの求める平和と信仰と幸福がもたらされるのに、多くの人々は無駄に人生をもがきながら生きている。

 2.力、勝利、克服、豊かな実り、火、命、暖かさ、光、リーダーシップ、そしてその他いっさいのものの秘訣は、御言葉である!

 3.主と主の御言葉に近くとどまっていることだけが、人を背信から切り離し、 守ってくれるものである。唯一の確実な治療法と唯一の確実な予防法は御言葉なので、それをおろそかにしてはならない。

 4.神の御言葉が何かを語る時、神は本気でそう言っておられる!

 5.御言葉の力を決して過小評価してはならない。

 6.神は、ご自分の御言葉によって束縛されている。

 7.良い基礎を持っていない、良い建物などない。

 8.聖書は、この牢獄のような世界の窓である。私たちはその窓を通して、永遠をのぞき込む!

 9.世界には、二つの偉大なる力がある−−すなわち、剣とペンである!−−前者は、最後には常に後者によって征服される。

 10.  私たちが書き記す言葉には力がある。

剣、または杖以上の力が。

私たちが持っているのは御霊の剣であり、

私たちの武器は、神の御言葉だから!

 11.神の御言葉は、話の一部始終を告げる:  すなわち、すべての真理を、ただ真理ばかりを告げる!

 12.事実を求めるなら−−御言葉を読むことである!

神からの全くの偽りのない知識である!

 13.ほとんどの人々を悩ます聖句とは、彼らが理解していない聖句ではなく、十分に理解している聖句である。

 14.殆どの人々が聖書を読まないのは、それを理解できないからではなく、理解できるからであり、だからそれを聞きたくないのである!

 15.深く考えずに御言葉を読むのは、食物を食べても消化しないのと同じである。

 16.世界の偉人たちは、現れては去って行った。世界の偉大なる征服者たちも現れては去って行った。今もなお生き続けている唯一のものは、紙の力だけである!

 17.私たちのファミリーは、御言葉と、それを宣べ伝えることに対する私たちの忠実さの上に築かれた。

 18.聖書が予告することは、すべて常に、実現する!

 19.悪魔は聖書が嫌いだ−−人々が信じないように、彼は御言葉を抹殺しようとしている!

 20.大事なのは、御言葉を知ることである。信仰は御言葉の上に築かれる。

 21.すべてのものを常に、聖句を用いて吟味するようにしなさい。

 22.主は、世界で最も美しい雄弁家である! たとえ悲しく、悲劇的で、悲嘆な事柄であっても、主はやはりそれに美しく詩的な響きをもたせられる。

 23.主の御言葉は如何に、美しい宝石のようであることか!

 24.私は、毎日レターを読まなければならない。さもないと落胆してしまう!

 25.あなたたちはおそらくほとんどの者たちよりも聖書を知っていることであろう。しかし、決して知りすぎるようにはならない!

 26.愛は、世界最大の力である。神の御言葉は地上最強の真理である!

 27.あなたは、あなたが実践するだけレターを信じている! また御言葉が語っていることに従うだけ、神の御言葉を信じている!

 28.もし神の御言葉で満足できないなら、あなたの霊的欲求には何かおかしなところがある!

 29.聞いたことはあるが、正確には私が慣れ親しんでいたものではない聖句を、私は数多く受けとってきた。しかし、私が御霊において受け取る聖句は、聖書の中に訳されているものよりも、より正確で完全なものだと信じている!

 30.聖書がすぐ手もとにあって、しかもこれほども簡潔かつ直接的で、要領を得ているのに、一体どうして人間の難解で混乱した理論や思考で、時間を無駄にするのか?

 31.ただ神の御言葉だけが生き残ってきた! 実際に何かを成し遂げるのは、イエスの御言葉だけである!

 32.救いの一度限りの洗浄の他に、あなたには、日々の罪からの、御言葉による日々の洗浄が必要である。

 33.キング・ジェームス訳の聖書は、最も正確で、最も霊感され、最も根本的で、最も美しく、最も古典的で、最も良く知られていて、最も権威があり、しかも最も広く認められているので、私は完全に首ったけである−−それを支持するものが全てそろっている!

 34.統治者と規則−−それは主と主の御言葉!

 35.これこれこうだ、と語っている聖句をとても沢山見つけた後で、それとは反対のことを言っているように思われる小さな章句を見つけた場合には、一体何を受け入れるのか?−−数において勝っている方の聖句である!−−そうだろう?

 36.私は、それが神の御言葉であると知っている。それが有効に作用することを知っているからである。

 37.これまでに、主がこれほども多くの御言葉を与えられた時が、果たしてあっただろうか? 私たち以前の世代で、これまでに主によって、これほども多くのことを啓示していただいた世代はひとつもないと思う!

 38.御言葉を第一に置きなさい。そうすれば主は、常に他のことをするための時間を与えて下さるだろう。

 39.御言葉を散らすことは、私たちが貴重な種を満載したアザミの冠毛を解放するようなもの。その冠毛は、御霊の風に吹かれて世界中に飛んでいく。

 40.神の御言葉は、人生を生き抜く道を見つけるのを助けてくれる地図帳のようなものである。

 41.何も知らないことに、信仰を持つことはできない−−あなたは、主の御言葉を読んで、主が言わんとしておられることを聞く必要がある!

 42.御言葉は、如何にひとさしの真珠に似ていることか!−−正しい配列、順序、サイズ、重要性、及び、美しさによって、あなたの思いと心とを飾るための、美しく見事なひとさしの真理である!

 43.聖書は、単なる歴史書ではない。聖書はニュース書である! ただ昨日の出来事を告げてくれるだけではなく、明日の出来事を告げてくれる!

 44.主の御言葉を、より愛情を込めて愛し、読み、学び始めれば始めるほど、あなたはより成熟するようになり、また直接主の御言葉を読むことから、神があなたにより声高く、はっきりと、また超自然的に、奇跡的に、我を忘れるほどに語りかけることができるのだと知るようになる。

 45.神の御言葉は、どんなもろ刃の剣よりも鋭く、水素爆弾よりも大きな力を持った、世界最強の武器である! それは原子の分裂以上のことを行うことができる! 魂と霊とをばらばらに切り離すことができる!

 46.神の御言葉は、心と思いを変えることができる。それは、原子爆弾でも、火炎びんでも、どんな数の銃弾でも成せなかったことである!

 47.聖書は、悪魔の鋭くとがった鼻の前で、私たちが振ることのできる旗のような、神の軍旗である!

 48.悪魔が何と言おうと、それは問題ではない。もし神の御言葉がそう言っているなら、それは真実なのである!

 49.人は、神の御言葉を間断なく食することによって成長する。それは人生のすべての問題に対する矯正法である。

 50.聖書の中には、何ひとつ矛盾はない! 聖書が矛盾していると考えるのは、人々が、まずそもそもその意味を理解できなかったからである!

 51.神の御言葉の美と富と宝と力とを怠ってはならない。

 52.神は、一体何があっても、その御言葉を破られることはない!神は、御名にまさってその御言葉を高くされた。だから、ある場合には、神にとっては、ご自分が偽り者で、神の御言葉や警告や約束は頼みにならないと、思われるよりも、むしろ、多少 「不公平」 であると考えられる方が良いのである!

 53.神の御言葉は、常に影響力を持っている! 神の御言葉を聞いて影響を受けないでいることのできる者はいない。

 54.すべてのものを、聖句の物差しで計りなさい。

 55.ミルクは赤ん坊のため、堅い食物は成人のため!(ヘブル5:14) 56.聖書は、危険な書物である。前者に取って代わって支配する独裁政体が、すべて聖書を破棄したがるのは、それが理由である!

 57.ダニエル・ウェブスターはかつて、 「聖書は、その章句の持つ明瞭かつ明白な意味合いにおいて信じられ、また理解されるべきである。全世界の手引き、及び改心のために意図された書物が、神秘や疑いの中にその真意を包み隠していて、評論家や哲学者以外には誰にも理解することができないなどと言うことを納得できないからである」 と信じていると語ったことがある。

 58.御言葉、すなわち命の水を神に感謝しなさい! 主が、御言葉を水になぞえられたのは、それがあなたの霊的な命に必要欠くべからざるものであって、それなしには、あまり長くは持たないからである。

 59.SF (空想科学小説) だって?−−聖書、あるいは主によって預言された未来には、太刀打 (たちう) ちできない!

 60.もしそれが理解できないなら、そのまま読み続けなさい! ちょうど聖書と同様に、一つの小さなものが理解できないからと言って、読むのを止めはしないのである。そのまま読み続けていくなら、あなたにも理解することのできるものが他に出てくるであろう。

 61.あなたのいわゆる改善によって、他ならぬあなたが建てようと試みているものを破壊することのないように、「建築者よ、 注意せよ」!とりわけ、バラスト、神の御言葉を取り除く事のないようにしなさい。すなわちそれは、その建物の救いのための、あなたの唯一の望み、あなたの仕事を主の基礎の上に安定させ続けてくれる唯一のものである。

 62.レターは、聖書を補足してくれるもの。それは決して、聖書に取って代わることを意図されたものではなかった。

  63.御言葉を崇拝するのは、何も悪いことではない! 御言葉はイエスなのだから!

 64.彼 (His) のストーリー (story, 御言葉) がヒストリー (his-tory, 歴史) を作る!−−主の御言葉と人間のそれに対する反応が、世界の出来事の進路を決定する!

 65.私たちの心と手の中にある主の御言葉と小羊(子供たち)をもって、私たちはイエスのために世界を勝ち取ることができる!

 66.御言葉による実でさえ、御言葉そのものの上に置くことはできない。種がなければ実も、 生命もない。

 67.  聖書、聖なる書物、

貴重な財宝、これは私のもの!

これは私を導いて、滅びから免れさせ、

墓の向こうに、光と命を与えてくれる!

 68.神の御言葉は、千回読んでも、新鮮である。最も頻繁にそれを読んできた者が、最も確実にそこに新しい不思議を発見する。

 69.あなたにとって、神の御言葉とは何か? それは剣か、それともペニスか? あなたは、どのようにして神の御言葉を受け入れるか−−剣のようにか、それともペニスを受け入れる女性のようにか? 剣は殺すが、ペニスは生かす!

 70.聖書を最も批判する者は、聖書を最も読まない者である。

 71.人が聖書を拒むのは、大抵の場合、聖書そのものが矛盾しているからではなく、聖書が彼らの言動と矛盾しているからである。

 72.美しい詩や、華麗な美辞麗句が大好きなら、預言者の書を読みなさい! 哲学的討論を好むなら、ヨブ書を楽しめるはずである! 雅歌はセクシーであり、ロマンチックである。聖書にはあなたが望むどんなものでも見つけることができる!

 73.イエスが告げられたたとえ話は、どれも、いつかどこかで実際に起きた本当の出来事だったのであり、それを例証として用いられたのだと、私は信じている。

 74. おお、決して涸れることのない流れのような、

主の御言葉を聞くなら、

あなたの耳は、その流れによって満たされ、

あなたの心はいつまでもその近くにいられるであろう!

 75.神の良い金貨には際限がない!−−金鉱はそれで満ちている!

 76.私たちが関心を持っている唯一のもの、それは御言葉である!−−神の御言葉を学び、神の御言葉を宣べ伝え、神の御言葉を他の人に与えることである!

 77.聖書は、知恵と知識の無尽蔵の源である。あなたはその中に絶えず新しい宝と古い宝とを見つける!

 78.御言葉は、外に出すと同様に内に入れる必要がある!

 79.聖書は、私たちがそれによって、すべての真理と、すべての誤りとを測る基準である!

 80.あなたは、あなたが読むだけ聖書とレターを信じている。

 81.神にその御言葉を思い起こさせる時、(出エジプト32:13; 民数記14:17) それはあなたが、それに信仰を持っていることを示す。

 82.もし聖句を知っているなら、あなたはすべてのことに対する答えを持っている!

 83.御言葉は、敵と、人々の思いと心にある敵の要塞に敵対して戦うための私たちの武器である。

 84.世俗的な人間による著書の内で、聖書よりも優れていたものを、わたしはこれまでに何一つ読んだ事がない! ただ神の御言葉だけが生き続ける! ただイエスの御言葉だけが、何かを成し遂げてきた!

 85.いつの日か、あなたが持っている神の御言葉は、あなたの心の中に植えつけられたものだけとなる時が来るかもしれない!

 86.山からは、美しいロイヤル・パープルの命の水、すなわち主の命の言葉である明るく輝く、水晶の小川が流れてくる。

 87.神が助けを与えることのできる最善の方法とは、神が私たち全員に与えられ、また全世界が切望している、御言葉を通してである。

 88.聖書の中に、説明のつかない何かを見つけたり、理解できない何かが起こったような場合には、私はただそれを信仰の小さな包み紙の中に包み込んで、それを棚の上に置くのであり、後になって主が、私に代わってその包みを解き、それを私に啓示して下さるのを待つのである。

 89.神は、 御自身の書をだれよりも良く知っている。だからもしあなたが、忠実にそれを読み、学習し、暗記しているなら、それが必要な際には、神は確かにそれを御霊によってすらすらと話すことができるのである。あなたが、自分のプログラミングに正しい接続をなす時はいつでも、主はそれをあなたのコンピューターに思い起こさせて下さるであろう。主は、私の知っている最高のコンピューター・プログラマーである。そして主は、これまで設計された内で最高のコンピューターをあなたに与えて下さっている。それは、主の御霊によって霊感されると、どんなコンコルダンスをもしのいでしまう!

 90.御言葉に富むことは、知恵を持つことである!

 91.御言葉を差し控えているなら、あなたは真理と正義とを妨害し、神の仕事を遅らせているのである!

 92.もしこの書−−聖書−−を知っているなら、あなたは大学または、神学校のどんな卒業生も楽々としのぐことができる−−あなたには真理があるからである!

 93.聖書は、神の御霊の剣、すなわち神の御言葉であって (エペソ6:17) どんなもろ刃の剣よりも鋭く、人間の教育と知恵の如何なる剣よりも鋭い。(ヘブル4:12) この書と、モーレターは、世界中のすべての教育よりもあなたを賢くしてくれる!

 94.人を幸せにするためには何が必要であるかを私は知った:  それはイエスと、この主の御言葉の中で語られていることである!

 95.神の御言葉は、地上最強の真理である!

 96.終わりの時の夜が近寄り、昼の光が薄れていく。

最も暗い夜の闇が、今私たちを襲おうとしている。

しかし神は尊い乳を、

主の言葉の混じり気のない乳を与えられた!

私たちが聞いた天的な事柄は、

神の目に如何に尊いことだろう!

 97.御言葉を出すために、御言葉の中に入りなさい!

 98.神に答えていただきたいのか?

神の戸の外に立って、待っているのか?

主の御言葉の中で、

主が先に語られたすべてのことを調べてみなさい!

 99.御言葉を宝のように大切にしなければならない−−あなたは出版しないなら、滅びてしまう!

 100.もし一つの聖句が、他の幾つかの聖句と矛盾しているなら、それはあなたの解釈か、その翻訳のいずれかが間違っているに違いない。聖句は、聖句を使って測らなければならない。

 101.何かワクワクするようなものを読みたいなら、御言葉を読んでみたらどうか! 聖書はこれまでに書かれたすべての本よりも多く売れているのであり、未だに世界のベスセラーなのである!−−MLもそうである。

 102.神の約束は、天国の通貨である。もしあなたの心の中に多くの節を持っているなら、あなたは本当に富んでいる! あなたはそれを天国の銀行で現金に換えて、答えを返済してもらうことができる!

 103.神の御言葉と神の保証には、あなたの信仰以外には何の規制も限界も限定もない。

 104.イエスは、神の愛の御言葉である。聖書とモーレターとは、神のラヴ・レターである!

 105.古いレターの大部分は、今日でもかつてと同じくらい良いものである。それらのレターが、私たちの信仰とファミリーとの基礎原理に関するものだからである。私たちがどのような基礎の上に築かれ、またどのように成長し、発展し、円熟したかを見て取ることができる。

 106.一番大切なのは、約束ではなく、それを用いることである。

 107.神は約束を設け、信仰はそれを信じ、希望はそれを期待し、忍耐は静かにそれを待つ。

 108.私に関する限り、聖書に取って代わるようなものは何ひとつない。事務レターや教訓のレターが、当然聖書と同等ではないと言えることは確かである。しかし、それらの超自然的な、神によって霊感されたレターなら、その他の神の御言葉と同等のものと見なすであろう−−それこそまさに聖書の著者たちがしたことに他ならないからである!

 109.主は、そのすべての良い約束のひとつとして、破られたことはない。そして主はその悪い約束をも、破られたことはない!−−祝福と同様、呪いも下ったのである!

 110.約束には、すべて幾つかの条件がなければならない。神は約束を設けられるが、その約束は条件つきの契約である!

 111.もし御言葉がその基礎としてあるべき場所に保たれているなら、他にどんな改造を施しても、御言葉が建物を維持してくれるだろう。

 112.聞いたことはあるが、正確には私が慣れ親しんでいたものではない聖句を、私は再三再四受け取ってきた。しかし、私が御霊において受ける聖句は、聖書の中に訳されているものよりも、より正確で完全なものだと信じている!

 113.聖書が近代主義者たちに嫌われるのは、聖書のスタイル (文体) ではなく、聖書が彼らのスタイル (人生の生き方) を妨げるからである。

 114.私はイエスと、命を与えるイエスの御言葉をとろう。この命の御言葉の著者は、私たちを愛して下さったがゆえに、その命を私たちに与えて下さったイエスを通して、私たちに、命と愛と幸福と天国を永遠に保証することのできる世界でたった一人の方である!

 115.あなたの心の井戸の中にあるものは、あなたが語ることのバケツの中に表れる。

 116.コミュニケーションは、私たちの仕事における途方もなく重要な部分である。事実、私たちの仕事と私たちのミニストリーのほとんどすべてはコミュニケーションである。聖書の巻頭から巻末までのほとんどすべてはコミュニケーションである。私たちの人生も、初めから終わりまですべてコミュニケーションとかかわりを持っている−−人間に対する主のコミュニケーションと、主に対する人間のコミュニケーションである−−すなわち、主がメッセージを、御言葉を与えられ、人間がそれを受け取るのである!

 117.あなたが神の律法に無知である事には、弁解の余地がない。もしあなたが御言葉を読まないなら、それはあなた自身の過ちであって、神の過ちではない。聖書は、あなたの人生のための地図のようなものである。聖書を読む時間がないと言うことは、長旅に出ている運転手が、 「私は大急ぎでそこに到着しなければならないので、地図など見ている暇はない」 と言っているようなものである。

 118.神の御言葉は、これまでの長い歳月の間に、教会によってそれほども無残に歪曲され、歪められきたので、今私たちはそれを解釈し、また説明しなければならなくなっている。そしてあなたたちが必要としている全般的な訓練を与えることと同様に、モーレターの存在理由はそこにあるのである。

 119.もし聖書を知らないなら、あなたは多くのものを逃していることになる。それこそが、本当の基礎だからである。レターは主として、解説であり、あるいは時には聖書の中に見つけることのできるある特定の主題に関する、その延長、なお一層の啓示、さらに深い知識、より多くの詳細である。

 120.レターは解説、あるいは延長、あるいは詳述、あるいはより細かな詳細であるが、それはすべて聖書に基づいている。そしてあなたは、聖書を知っているべきである。もしレターを良く知っているなら、それはあなたが聖書をより良く信じる助けにさえなる。何故なら、レターが聖書に基づいており、また聖書と一致していることが分かるようになるからである。レターは、如何なる面においても聖書と矛盾していないし、否定もしていない。ただ聖書を裏付けているだけである。

 121.もし御言葉を疑うなら、あなたは御言葉を与えられる方と預言者とを疑い、最後には神の御言葉を疑うようになる! もし神の御心を疑うなら、あなたは神の御言葉を疑うようになり、そして御言葉を疑うなら、当然のことながら、あなたには基盤が何もなくなってしまって、迷い出す羽目になる。

 122.もし理由を尋ねたり、その中身を分析したりせずに、この新しいワインに順応できるなら、疑いもせずにそれを飲んだことをうれしく思うような御霊のそんなにものすごいスリルと陶酔とを、神はあなたのために用意されている。そしてあなたは、そんな所が存在しているなどとは夢にも思ったことのなかった世界にさっと連れて行かれるであろう。あなたは、神に身を完全に委ねた花嫁として、そこで御霊の荒々しいセックス・パーティーのお祭り騒ぎの内に、セクシーな裸の神御自身との完全な情交の驚異を楽しむであろう!

 123.聖書には、神の思い、人間の状態、救いの道、信じる者の幸福が含まれている。その教えは聖であり、その戒めは守られるべきであり、その歴史は真実であり、その決定は不変である。それを読んで賢くなり、それを信じて危険を避け、それを実践して聖なる者となりなさい。聖書には、あなたを導く光、あなたを養う食物、あなたを元気づけてくれる慰めがふくまれている。それは旅人の地図であり、巡礼者の杖であり、パイロットの慰めであり、兵士の剣であり、クリスチャンの性格である。ここに天は開かれ、地獄の門が暴かれ、キリストがその主題となり、神の栄光がその終結となる! それは富の鉱山であり、魂の健康であり、快楽の川である。聖書はこの人生において、ここであなたに与えられ、また最後の審判において開かれるようになる。それは、永遠に堅く立てられているのである!−−著者不明。

 124.あなたは契約書 (聖書) の条件を契約書作成者 (神) に示し、それを守ってもらわなければならない!

 125.私たちの励ましのために神の御言葉を持つというのは素晴しいことではないか! あなたが絶えずそれで自分自身を洗脳し、体の隅々にまでそれを吸収しているように望んでいる。あなたを強くしてくれるのは、主の愛における、主の御霊による主の御言葉だからである!

 126.是非、御言葉をないがしろにしないでもらいたい。御言葉は、あなたの魂の食物であり、戦いのための力を与えてくれるから! 御言葉を読み、学び、暗記し、そして楽しみなさい。そうすれば、あなたの魂に力が与えられる!

 127.聖書とレターは、私たち一人一人に対する神の個人的な言葉である!

 128.あなたが人生で抱えるようになるすべての質問、すべての問題に対する答えは神の御言葉の中に見つけることができる。

 129.ただそれを試してみなさい。それは、有効に作用する! それは聖書の霊感の最善の証明である。

 130.私たちが、主の記録され、書き記された御言葉に耳を傾け始めるや否や、私たちは喜んで耳を傾けたいという態度を取る。そこで主は、その時に私たちに語りかけ、生きた御言葉を与え始めて下さるのである!

 131.すべての真理と神の啓示とを厳密に聖書に制限してしまうのは、教会の悪霊共による忌まわしい教義である! 真の預言は、何一つ矛盾したことを教えはしない。しかし、それは確かに多くの不足を補ってくれる!  聖書は彼らへの神のメッセージであったので、今もなお測定の基準となるであろう。しかし私たちは今日、この世代に対して、こういった現在の状況下でそれを如何に行うかを教えてやらなければならない。

 132. 「迷い出ることのないように、あなたの父のこれらの警告の言葉に耳を傾け、心に留めなさい!」

 133. 「ダビデの子らにあって大いなる者となりたいか?−−それならば、わたしに、またわがしもべダビデを通してわたしが語ってきたすべての言葉に、耳を傾けなさい。」

 134. 「ダビデの小便を飲み、ダビデの大便を食べたいと思うほどひどくダビデから出るものに渇望している者たちがいる。彼らはそんなにも腹を空かせているのである!」

 135. 「それ故に彼らは、あなたによって捨てられ、忌まわしいものとして道端に落ちるダビデの小便をさえ渇望し、彼の大便をさえ切望するのであり、ダビデの敵共によって無駄にされるものさえ熱望する。敵共は、ダビデの小便や大便を彼らに食わせるので、あなたよりも多く彼らを養っている。しかしなお、彼らはそこにも種を見つけ、敵共の広報出版物の中にさえ命を見つけ、ダビデの言葉の排泄物さえ見つけるのである!」

 136. 「彼らは、滅ぼす者によって与えられるダビデの言葉をさえ切望し、あなたによって捨てられるものさえダビデの敵共からもらって飲む。何故なら、あなたが彼らを養わないからであり、純粋なもの、清潔なもの、新鮮なもの、健康に良いもの、また力を与えてくれるものによって、彼らの渇きをいやさないからである!」

 137. 「あなたの父の言葉を聞きなさい。わたしが、ダビデに与えた賢い助言を聞きなさい!」

 138. 「今、あなたの父の言葉の中に休みなさい! 今、主の僕の言葉にキッスしなさい。その言葉は、わたしが語ったように実現し、また成就するようになるからである!」

 139. 「あなたは単純なので賢いのである。それはわたしがあなたの父に与えた言葉を心に留めることに、あなたが従順であるからであり、災いの時にあなたが救われるためである。」

 140. 「彼らは乳房に抱かれる乳飲み子に過ぎず、彼らの父の腕に抱かれる幼な子にすぎない! イエスよ、あなたが与えて下さる御言葉の乳を、彼らが理解し、受け入れるのを助けて下さい! あなたは、あなたの父から十分に受け取った:   あなたは、彼の胸から来るこれらの言葉に満足しているか?−−イエスは、その心の御言葉をあなたに与えるために、永遠の愛であなたを愛している! これらは、あなたが考えているよりも大きな価値のあるものである。何オンスもの金や、一山の銀よりもはるかに重いものだからである! わが僕ダビデの言葉の重みと比較すれば、これらは無きに等しいものである!」

 141. 「あなたはダビデの言葉にキッスし、彼の口からしたたる蜜を愛するか? あなたは、わたしのダビデの口からしたたるしずくを一滴残らずなめ、その甘さの中にあなたの舌を浸し、あなたの腹にはぐくむか? もしそうするなら、あなたは賢いのであり、それ故にわたしの胸の中で養われ、優しい世話を受け、栄養を与えられるであろう!」

 142.「あなたには知恵がないのか? あなたは気が狂ってしまったのか? ダビデの腕の中に住み、暖まりを受け、優しい世話を受け、栄養を受け、また愛してもらうことができるのに、一体どうして寒さの中にとどまっているのか?」

 143. 「わたしが、ダビデからあなたに与えたこれらの言葉をすべて書き留め、わがしもべについて語られた事柄に心を留めて従いなさい。わたしが彼の口の言葉そのものを実現に至らせるからである! 誰もそれに抗することはできないであろう。何故ならば、見よ、あなたの神である主なるわたしこそが、ダビデに対して与えたそれらの言葉の内にある力だからである!」

 144.「今、その口に−−イエスとダビデとの口に−−キッスせよ。彼らは、わたしの言葉の真理をあなたに対して語ったからである!」

 145. 「あなたの父の思いを反映するこれらの言葉を聞きなさい。これらの言葉の知恵は神の知恵のようなものである!」

 146. 「聖句を尋ね調べなさい。それはあなたの父の胸の言葉をあなたに啓示してくれる!」

 147. 「彼の言葉は、私の耳には音楽である! 見よ、彼は私の飢えた心を養い、私を緑の牧場へ導き、私の魂に満足を与える。そして、私が彼に耳を傾け、彼の愛を受ける時、私の命は鷲(わし)のように新たにされる!」

 148. 「ああ、あなたの父の言葉は、如何に不思議に満ち、素晴しいことか!」

 149. 「主がダビデに与えられる御言葉の腕の力をもって前進しなさい!」

 150. 「書き留められた御言葉は、ダビデの書の中で語られている。あなたは、信じなければならない。それは、わが預言者ダビデの言葉だからである! あなたに必要なのは、ただこれだけである!」

 151. 「彼らの父の言葉なしに、あと何人が死ぬのか? 彼らの父の言葉なしに、あなたは、あと何人死なせるのか? 彼らはわたしの霊によってキッスされるのを待っている。そして彼らは、それを彼らのために解釈してくれる、わたしのダビデの言葉を待っている。」

 152. 「必要なことはただ一つしかない。それは主の足元に座し、彼が与える言葉を彼から学び、それを世界に伝えることである! この良い方を選んだ者たちからは、決してそれが取り去られることはない!」

 153. 「あなたの父、ダビデの声の中にある言葉にキッスせよ。まだ近くにある内にその言葉と声とにキッスせよ。」

 154. 「あなたは、すべての事柄を見ることも、理解することも、あるいはあなたの父の思いを知ることも、ダビデのすべての言葉を理解することも必要ではない。わたしが定めたこれらすべての事柄は、もうすでに、わたしの手の内にあり、完了しているからである。」

 155. 「あなたの父ダビデの言葉に耳を傾けなさい! 彼があなたに告げる事柄に耳を傾けなさい。これらの事柄は、わたしから出たものだからである! これらの言葉は何と素晴しいことか!」

 156. 「あなたの父の言葉に、何回も繰り返してキッス、キッス、キッスを重ねなさい!」

 157. 「あなたの父の声を知らないのか? あなたに語りかける彼の声を知らないのか? もしあなたに語りかけていた者が、誰であるか知っていたならば、決して渇くことがないように、あなたの方から願い出て、彼から生ける水をもらったことであろう! あなたの父の言葉に耳を傾けた方が良いであろう!」

 158. 「おお、わたしがあなたの父ダビデに与えた言葉にキッスしなさい! わたしがあなたの父ダビデに与えた言葉の知恵にキッスしなさい!」 

 159. 「わたしが、あなたの父を通してあなたに語った言葉は多い。ダビデのキッスを通して、わたしがあなたに与えた言葉は多い。」

 160. 「ああ、御言葉よ、ああ、御言葉よ! 魂に命を与える、ああ、御言葉よ! 彼を生む者は誰か? あなたの声を思い出させる者は誰か? 彼らの父が彼らに歌いかけるメロディーを思い出させる者は誰か?−−おお、神よ、それはあなたです!」

 161. 「もしあなたが、あなたの父の言葉に対してわたしが与えた力を、ただ知ることさえできたなら。それは、すべてのエネルギーのどんな源よりも大いなるものであり、彼らが追い求めるそのすべてのものよりも強力なものである!」

 162. 「あなたの父を通してあなたに語られる愛の御言葉は、金にも、また銀にもまさる! 彼の胸からわたしが語るこれらの事柄は、上等の宝石よりも尊い!」

 163. 「あなたは、多くの尊い事柄をあなたの書に書き込む。上から、あなたの父の心と胸から与えられるものは、地から、下から、深い所からとれるものよりも尊い! あなたの内に、わたしからの実が生じるために、あなたの秘められたところで種を大切に保ちさない。」

 164. 「もしあなたが、あなたの口を大きく開いて、それを受け取るなら、わたしはわたしの口から蜜と甘さとを与えるだけではなく、わたしの霊のぶどう酒をもあなたに与えよう。もしそれを受け取るなら、あなたは、わたしのエクスタシーのスリルにぞくぞくとしたうずきを感じるであろう。」

 165. 「それ故に、あなたの口を大きく開きなさい。彼の口にある蜜や甘さや栄養物だけではなく、わたしの霊のぶどう酒とわたしの愛のエクスタシーのスリルをも受け取れるように、あなたの舌をいっぱいに伸ばしなさい! あなたは、わたしと共に酒を飲みかわす者、そしてまた、わたしの愛を満喫する者のようになるからである!」

 166. 「ダビデのすべての言葉にキッスし、それをあなたの胸の内に大切にし、あなたの心の中に育みなさい。そうすれば満足するであろう。」

 167.愛は律法を廃したのではなかった。愛は、ただ律法を成就したのであり、律法の終わりとなったのである。何故なら、律法はその時代のためのものだったからである。そして古いモーセの律法に従って行動することが初代クリスチャンたちにとって困難であったように、パウロがキリスト教の初期時代のために教えた事柄の中にも、恐らく今日では、不適切な、またそれに従って行動することが困難なものが、数多くあると思う。今は、新しい時代なのである!

 168.聖書は今もなお、ものを測るものさしであり、基準であり、私たちはそれを使って、神が私たちに与えてこられた他のすべてのものを測るのである。もしそれが聖書によって、裏付けできず、確証することができないなら、つまりもしそれが、聖書によっても証明できず、聖書と一致していないなら、それを信じなくてもよい! と言ってもすべての事が聖書の中に書かれているという意味ではない。私たちは、聖書の中では何一つ見つける事のできない多くの啓示を受けてきたからである。だがそれは、 それらの啓示が聖書の中のどんなものにも矛盾するということではない−−すなわち聖書の中にある今日のためのどんなものにも。

 169.私が今まで教えてきたもので、神に対する信仰と主の愛と主の救いと聖書などの基本原理に相反しているものは、何一つ見つける事はできない。聖書に矛盾するものは何一つなく、ただ主は絵のより多くの部分を描き込み、パズルの欠けたところより多くのピースを入れるために、私を用いてこられただけである。主は、あなたが以前に受け取ったこともない、多くの詳細とより明確な物事を与えられる−−それは聖書に矛盾しているものではなく、どちらかと言えば以前に満たされていなかった隙間や、空間を満たすもの、あるいは埋めるものなのである。

 170.あなたの聖書を投げ捨てて、 「そうだ、私たちは過去のことは忘れることになっているんだ!」 と言ってはならない。聖書の多くは、未だに現在の事柄であり、その多くは、未だに未来の事柄なのである。だからもし聖書を投げ捨ててしまうなら、あなたはただ単に過去だけではなく、現在と未来も投げ捨てていることになる!

 171.あなたは、自分の聖書を手放さずにいた方が良いであろう。何故なら聖書は、長年に渡って私たちの信仰の基盤だったからであり、私たちのファミリーは、その上に築かれ、私たちの信仰は、少なくとも私と私たちの何人かの信仰は、その上に築かれたからである。そして一方、あなたたちの多くの者は、私によって聖書を証明してもらうことができなかったなら、聖書を信じてはいなかったであろうし、あなたたちの何人かは、私が聖書によってそれを証明することができなかったなら、私を信じてはいなかったであろう! だからそれは二通りに作用するわけである。

 172.ある人には聖書が必要であり、ある人にはモーが必要である。そして率直に言えば、ファミリーにはその両方が必要だと思う! だからただ私が 「過去は忘れなさい」 と言ったからといって、聖書を捨ててしまってはいけない。私が言っているのは、古代の旧約聖書の歴史にまつわる、これらのすべての細々とした取るに足らない詳細やすべての王の一覧表のこういった細目に渡る、非常に小さな、複雑に入り組んだ学習や、すべての王の名を上げよとか、彼らは何年間統治したかとか、良い王だったか悪い王だったかとか、彼らは何をしたかといったようなつまらぬことである。そういった類いは、私たちが知る必要のない事柄であり、私たちの子供たちに教える必要のない事柄である。もっともただ聖書の歴史について少し知っておくために、 二、三人の重要な王たちや顕著な英雄たちや、二、三人の悪名高いろくでなしのことを知るのは、子供たちにとって良いことである。

 173.パウロは、これらのことは、単に私たちの益となるために書かれただけでなく、すべきこと、すべきでないことの例証として、私たちに教訓を教えるために私たちの益として、彼らの身に起こったと言っている。(Tコリント10:11) だから、なお善と悪を図解するものとして適用する箇所は、それは今でも何が正しく、何が誤りであるのかの非常に優れた実例、及び物語となるのである。そして子供たちには、多くの物語が必要であり、あなたは聖書から多くの良い物語を得ることができる。そしてあなたは、ダビデのような良い王や、サウルのような悪い王に関する物語も含めて、聖書の基礎的で主要な物語を、今でも彼らに教えることができると思う。聖書には、素晴しい事柄が、すなわち善と悪、正と誤を例証している、スリルに富んだ物語が沢山ある。

 174.あなたが、世に出て行き証しをする時、もし罪人の方があなたよりも多く聖書を引用できるとしたら、あなたはかなり間抜けで無知に見えるであろう! そして信じようと信じまいと、彼らの多くは今もなお聖書に、さらには神やイエスにさえ信仰を持っている。だからもしあなたが、聖書でそれを立証できないなら、彼らはそれを信じないであろう。多くの者たちは教会と聖書に対する良き昔風の信仰の内に育てられたのであり、今でもそれを信じている。もし聖書で示すことができるなら、彼らはそれを信じるであろう。

 175.私たちは、可能なすべての形態で御言葉を持っていなければならない。初めに現れた御言葉は、聖書であった。すなわち、もうすでに記録され、幾世紀を経て確立されてきた御言葉である。それが人に作用するということは、その効果の最大の証明である。そして主がたった今、正確に何をすることを私たちに望んでおられるのかを知るために、私たちには主の現在の御言葉が、すなわち祈りに対する直接の答え、直接の啓示、メッセージ、預言、異言、説き明かし、天からの直接の情報が必要である!

 

  (No.S,28,29,54,66,96,126,207,215,233,

254,275A,282A,285,309B,311B,320,324,329,

333A,335A,352,360,362,527,546,627,649,687,

697,712,775,776,780,837,1089,1142,1286,

1316,1376,1388,1470,1501,1536,1539,1592,

1598,1642も参照。)

 

 176.申命記4:5,6  見よ、わたしはわたしの神、主が命じられたとおりに、定めとおきてとを、あなたがたに教えた。あなたがたが入って、自分のものとする地において、そのように行うためである。あなたがたは、これを守って行わなければならない。これはもろもろの民の目の前にあって、あなたがたの知恵となり、知識となるからである。彼らは、このもろもろの定めを聞いて、 「この大いなる国民は、まことに賢く、知識ある民である。」 と言うであろう。

 177.申命記32:46,47a  モーセは彼らに言った、「あなたがたはわたしが、今日、あなたがたに命じるこのすべての言葉を心におさめ、子供たちにもこの律法のすべての言葉を守り行うことを命じなければならない。この言葉はあなたがたにとって、空しい言葉ではない。これはあなたがたの命である。この言葉により、あなたがたはその地で、長く命を保つことができるであろう。」

 178.ヨシュア1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは成功を収めるであろう。

 179.ヨシュア23:14b  あなたがたがみな、心のうちに、また肝に銘じて知っているように、あなたがたの神、主があなたがたについて約束されたもろもろの良いことで、一つも欠けたものはなかった。みなあなたがたに臨んで、一つも欠けたものはなかった。

 180.サムエル記上3:19  サムエルは育っていった。主は彼と共におられて、その言葉を一つも地に落ちないようにされた。

 181.ヨブ23:12  わたしは、主のくちびるの命令にそむかず、その口の言葉をわたしの欠くことのできない食物以上のものと見なした。

 182.詩篇1:2  このような人は主のおきてを喜び、昼も夜もそのおきてをおもう。

 183.詩篇12:6 主の言葉は清き言葉である。地に設けた炉で練り、七たび清めた銀のようである。

 184.詩篇68:11  主は御言葉を与えられた。 「それを世に伝える者たちの群れは大きい。」

 185.詩篇102:18  これは来たるべき代のために書き記されるようになる。新しく造られる民は主をほめたたえるであろう。

 186.詩篇105:8  主はとこしえに、その契約をみこころにとめられる。これはよろず代に命じられた言葉である。

 187.詩篇119:9  若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか? 御言葉に従って、それを守るよりほかにありません。

 188.詩篇119:11 わたしは、あなたにむかって罪を犯すことのないように、心の内に御言葉をたくわえました。

 189.詩篇119:14 わたしは、もろもろの宝を喜ぶように、あなたのあかしの道を喜びました。

 190.詩篇119:18 わたしの目を開いて、あなたのおきてをのうちのくすしきことを見させてください。

 191.詩篇119:42  そうすれば、わたしをそしる者に答えることができます。わたしはあなたの御言葉に信頼するからです。

 192.詩篇119:72  あなたの口のおきては、わたしのためには幾千の金銀にもまさるのです。

 193.詩篇119:89 主よ、あなたの御言葉は天においてとこしえに堅く定まっています。

 194.詩篇119:103  あなたの御言葉はいかに甘いことでしょう。蜜にまさってわが口に甘いのです。

 195.詩篇119:105  あなたの御言葉は、わが足のともしび、わが道の光です。

 196.詩篇119:127  それゆえ、わたしは金よりも、純金よりもまさってあなたの戒めを愛します。

 197.詩篇119:130  あなたの御言葉が入ると、光を放って、無学な者に知恵を与えます。

 198.詩篇119:148  わが目は夜警に先立ってさめ、あなたの御言葉を深く思います。

 199.詩篇119:160  あなたの御言葉は初めから真理です。あなたの正しいさばきのすべてはとこしえに絶えることはありません。

 200.詩篇138:2b  あなたは御言葉を、あなたのすべての御名にまさって高くされたからです。

 201.箴言4:20,21  わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしのかたることに耳を傾けよ。それを、あなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。

 202.箴言6:20-23  わが子よ、あなたの父の戒めを守り、あなたの母のおきてを捨てるな。つねに、これをあなたの心に結び、あなたの首のまわりにつけよ。これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを守り、あなたが目覚めるとき、あなたと語る。戒めはともしびである。おきては光である。教訓の懲らしめは命の道である。

 203.イザヤ34:16 あなたがたは主の書をつまびらかにたずねて、これを読め。これらのものは一つも欠けることなく、また一つもその連れ合いを欠くものはない。これはわたしの口が、これを命じ、主の霊が彼らを集められたからである。

 204.イザヤ40:8 草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに堅く立つ。

 205.イザヤ46:10b,11b わたしのはかりごとは必ず成り、わが喜びをことごとくなし遂げる。わたしは、このことを語ったゆえ、必ず実現させる。わたしはこのことをはかったゆえ、必ず行う。

 206.イザヤ55:10,11  天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤してものを生えさせ、芽を出させて、種を蒔く者に種を与え、食べる者に糧を与える。このようにわが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送ったことを果たす。

 207.エレミヤ15:16  あなたの御言葉は見出され、わたしはそれを食べました。御言葉はわたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。万軍の神、主よ、わたしはあなたの名をもってとなえられている者だからです。

 208.エレミヤ23:29  主は仰せられる。わたしの言葉は火のようではないか? また岩を砕く鎚のようではないか?

 209.エレミヤ31:33  しかしそれらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。

 210.アモス8:11 主なる神は言われる、 「見よ、わたしが飢饉をこの国に送る日が来る。それはパンの飢饉ではない。水に渇くのでもない。 主の言葉を聞くことの飢饉である。」

 211.ハバクク2:2  主はわたしに答えて言われた、 「この幻を書き、これを板の上に明らかにしるし、走りながらも、これを読みうるようにせよ。」

 212.マタイ4:4  人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである。

 213.マタイ5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

 214.マタイ22:29  イエスは答えて言われた、 「あなたがたは、聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。」

 215.マタイ24:35  天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。

 216.ルカ21:33  天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。

 217.ルカ24:45  そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開かれた。

 218.ヨハネ1:1  初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

 219.ヨハネ6:63 人を生かすものは霊であって、肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。

 220.ヨハネ14:23,24  イエスは彼に答えて言われた、 「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、またわたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。」

 221.ヨハネ15:3 あなたがたは、わたしが語った言葉によってすでにきよくされている。

 222.ヨハネ17:7 真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。

 223.ヨハネ20:31  しかしこれらのことが書かれたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、またそう信じて、イエスの名によって命を得るためである。

 224.Tコリント10:11  これらの事が彼らに起こったのは、他に対する見せしめとしてであって、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。

 225.Uコリント3:3  そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず、生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。

 226.エペソ5:26 それはキリストが水で洗うことにより、御言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためである。

 227.エペソ6:17  また救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神の言を取りなさい。

 228.コロサイ3:16a  キリストの言葉を、知恵をつくして、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。

 229.Tテサロニケ2:13  わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として−−事実そのとおりであるが−−受け入れてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに有効に働いている。

 230.Uテモテ3:16,17  聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、全き者となるためである。

 231.ヘブル1:3a その力ある言葉をもって、万物を保っておられる。

 232.ヘブル4:2  というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その説かれた御言葉は、彼らには無益であった。それが聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。

 233.ヘブル4:12  というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃の剣よりも鋭くて、魂と霊と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺し通して、心の思いと志とを見分けることができる。

 234.ヘブル5:13.14  すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を上手に使うことができない。しかし堅い食物は、善悪を見分ける感覚を、実際に働かせて訓練された成人の取るべきものである。

 235.ヘブル6:1  キリストの教えの初歩をあとにして、完成を目指して進もうではないか。

 236.ヤコブ1:21 だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植え付けられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたの魂を救う力がある。

 237.Tペテロ2:2  今生まれたばかりの乳飲み子のように、混じり気のない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育つためである。

 238.Uペテロ1:4  それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである。

 239.Uペテロ1:19-21  わたしたちにはまた、いっそう確実な預言の言がある。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照らすまで、この預言の言葉を暗闇に輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきではないことを、まず第一に知るべきである。何故なら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、神の聖人たちが、聖霊に感じて語ったものだからである。

 240.Uペテロ3:15,16  また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、 あなたがたに書き送ったとおりである。 彼はどの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖句についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。

  (詩篇19:7-11; ルカ8:11-16も参照。)