108.神の御心

 

  神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。(Tヨハネ2:17b)

 

 1.神の御心を知る最善の方法とは、神に 「御心を行います」 と言うことである。

 2.神の御心は、たったひとつしかない。それは神の最善である! しかし時々神は、あなたが最善以下しか行わなくとも容赦されることがある。もし神が、それぐらいのことしか、あなたにするように説得できないなら。

 3.私の関心事は、神が、自分の側についておられるかどうかではない:  私の最大の関心事とは、神の側に自分がつくことである。神がいつも正しいからである。

 4.神はご自分を愛しているご自分の子供、すなわちあなたに、あなたの益となること以外は、何ひとつ起こることを許されない。

 5.何でも神の仕事を邪魔するか、遅らせるのなら、それは神の御心ではない。

 6.神の子供たちには何事も偶然に起こらない!

 7.どうしても間違うことのできない程、神の御心を確かめなさい。

 8.ただ座り込んで、何もしないでいるだけでは、神の御心を見つけられはしない!

 9.どんなものでも、神があなたを召された最高の召しでないなら、決してあなたを満足させることもないし、長続きすることもない!

 10.年老いた黒人婦人が言った、 「神様の塗油とは何かよく分からないけど、神様の塗油がない時は、よく分かるんですだ!」

 11.神の御計画は敗北することはない!

 12.神の御心を知る最初の必要条件は:  自分自身の意志を全く持たないことである!

 13.私は、たった一つの事にしか、興味がない。それは神の御心であり、主に従うことであり、主が私たちにするようにと与えて下さった仕事をすることである。

 14.  ああ、何という美しい朝だろう!

ああ、何という素晴しい日だろう!

何もかも、神の道を進んでいるという、

      素晴しい気がする!

 15.私は、神の愛と、憐れみと、正義と、忍耐を全く徹底的に確信しているので、何でも、起こることは、起こるべき事であるか、または良い理由があって、神が起こることを許されている事だと知っている!

 16.神が、あなたにするように望んでおられる最高の事、最善のことをたとえあなたが、逃すとしても、神はなお、あなたを使われるであろう。神は、何であれ、あなたを使えるもののために、あなたをなお使われるであろう。あなたのやるすべてのことが悪いというわけではないが、ただあなたは神の最善をつかみ損なってしまったのかもしれない。 17.何がうまくいかないかを知ることは、何がうまくいくかを知ることと、全く同じくらい重要である。何がうまくいかないかを知らない限り、何がうまくいくかを知ることは、決してないだろう。

 18.主は、私たちをスタートさせるためにしばらくの間、私たちを釘のようにその場に置き、しっかりと固定し、私たちの頭を主の御心のハンマーで打ちつけ、正しい方向に出発させられるのである!

 19.誰も、私の場所を取ることは、決してできないだろう。私の場所はただ私だけのためだから!

 20.あなたが失敗をしなかったのでない限り、誰もあなたの場所を取ることは決してできない−−失敗するなら、誰かがあなたの冠を奪い取ることができるのである。

 21.もしあなたが神の御心の中にいるなら、神は少なくとも、何かの面であなたを祝福しておられる−−霊的にか、物質的にか、あるいは公からの好意によって祝福しておられるであろう。もしそうでないなら、問題はあなたか、あなたのいる場所にあるのである。

 22.主は、御自分があなたにしてもらいたいと思っておられることを、あなたにしたいと思う気持ちにさせることができる。

 23.あなたの心の願いは、必ずしもあなたにとって、良いものとは限らない。またあなたが必要だと思うものは、あなたが本当に必要としているものだとはいつも限らない!

 24.動かし方が分からないか、あまりにも速く走りすぎているか、熱すぎるか、あるいは危険にも神の御心から外れているような沈みゆく船を、私たちが避けるように、神が助けられるように。

 25.主の光と力とを、あなたの人生の部屋の中に入れるために、主の御心を知りなさい。

 26.神の導きがなければ、霊の世界において引力のように私たちを引っ張ってくれる神の力がなければ、私たちは良く計画された神の御心の軌道からはずれてしまうだろう。

 27.私たちが、神の御心を最初に捜すべき所はどこだろうか?−−御言葉である!

 28. 「あなたは、私の御心の流れによって流れ、私が導く所へ流れなくてはならない。そしてあなたを捕え、捕まえ、止めるような石や岩棚や隆起部や根を避けて、私がダビデを導いたように、あなたは流れていかなければならない。」

 29.主は、大抵、御自分の御心をあなたが好きになるようにさせられる。

 30.神の任命 (appointments) は、失望 (disappointments) させるものではない。

 31.神と共に動きなさい! 神の前方を走ってはいけないが、神に遅れてもいけない!

 32.もし、神が指示しておられないのなら、それは全然うまくいかない!

 33.状況や、開かれた門、閉ざされた門というのは、いつも神の御心に対する最終的な尺度、あるいは答えとは限らない。何故なら開かれるとは期待もしていないような他の門を、神は最後の土壇場になって開くことがおできになるからであり、また御自分の御心に合うように状況を変えるか、私たちの状況を変えることがおできになるからである!

 34.あなたの耳が、主に聞くことをやめる時、あなたの家は、あなたの耳の真上につぶれ落ちてくる!

 35.神はいつも、御自分が始められたものに勝利を収められる!

 36.この新しく生まれた日に、

今私は、新たに自分自身をあなたに捧げます。

あなたが望んでおられるように、私が生きるように、

またあなたが望んでおられる者に、私がなるように。

 37.もし神が、これ以上一つも示して下さらなくても、ただすでに受けた御言葉に従って働けば、素晴しくうまくいくだろう。

 38.時々、神の 「イエス」 を知るために、神の 「ノー」 を受け入れなくてはならないことがある。

 39.自分の定めた条件に喜んで固執する気がない限り、それは羊の毛にはならない!

 40.羊の毛とは、あなたと主との間の契約書のような、双方の側から立てられる条件である。あなたは神に申し出を行い、そのお返しにしるしをいただく!

 41.あなたは、自分の取引契約と羊の毛とに固執しなければならない。さもなければ、それは羊の毛ではなく、あなたは偽り者であって、自分の誓いを破っているのであり、神を信頼していないのである!

 42.申し出をする時には、もしそれが羊の毛であるならば、あなたは自分の約束を守り、誓いを果たさなければならない。そうでないなら、それは羊の毛ではない! もしそれに固執しないなら、それは羊の毛ではない!

 43.あなたがあなたの側の契約条件を守り、またあなたの約束を守るというのは、神がその約束を守られるのと全く同じくらい重要なことである。

 44.それを守るつもりがない限り、誓いを立てない方が良いであろう!

 45.羊の毛は、必ずしも、常に神の御言葉に対するあなた自身の信仰や、信心の最善のしるし、あるいは従順のしるしであるとは言えない。羊の毛はただ、あなたにとって信じることが如何に困難であるか、あなたが従うことに如何に手間取っているかを示すだけである。

 46.神の意志は、全体的な計画においては、絶対に確実で、しかも不変のものである。主は、御自分の全体的な御心に関して、このトンネルを持っておられ、その中の領域内に、私たちの行動や可能性を制限し、規制されるのであり、私たちがその一線を踏み越えることは決してできない。しかし個人と個々の状況に関しては、神はその御心のトンネルの中で、多くの決断を私たちに残しておられるのであり、私たちがこの方向に、あるいはその方向に、この側に、あるいはその側に、どれくらい遠くまで行くかは、私たち次第なのである。

 

  (No.238,302,641,679,721,727,731,

829,931,953-3,959,960,1268,1392も参照。)

 

 47.民数記22:18b ことの大小を問わず、わたしの神、 主の言葉をこえては何もすることができません。

 48.士師記6:36-40  ギデオンは神に言った、 「あなたがかつて言われたように、わたしの手によって、イスラエルを救おうとされるならば、わたしは羊の毛一頭分を打ち場に置きますから、露がその羊の毛の上にだけあって地がすべてかわいているようにしてください。これによってわたしは、あなたがかつて言われたように、わたしの手によって、イスラエルをお救いになることを知るでしょう。」 すなわち、そのようになった。彼が翌朝早く起きて、羊の毛をかきよせ、その毛から露をしぼると鉢に満ちるほどの水が出た。ギデオンは神に言った、 「わたしをお怒りにならないように願います。わたしにもう一度だけ言わせて下さい。どうぞもう一度だけ羊の毛をもってためさせてください。 どうぞ羊の毛だけをかわかして、地にはことごとく露があるようにして下さい。」 神は、その夜そうされた。すなわち、羊の毛だけかわいて、地にはすべて露があった。

 49.サムエル記上14:9,10  もし彼らがわれわれに、 「こちらから行く時まで待て」 と言うならば、われわれはその場にとどまり、彼らの所にのぼって行かないであろう。しかしもし彼らが 「われわれの所へのぼって来い」 と言うならば、われわれはのぼって行こう。主が彼らをわれわれの手に渡されるからである。これをもってしるしとしよう。

 50.詩篇40:8 わが神よ、わたしは御心を行うことを喜びます。あなたのおきては、わたしの心のうちにあります。

 51.箴言11:14  助言がなければ民は倒れ、助言者が多ければ安全である。

 52.箴言12:15  愚かな人の道は自分の目に正しく見える。しかし知恵ある者はすすめを入れる。

 53.箴言15:19  なまけ者の道にはいばらが生え繁り、正しい者の道は平らかである。

 54.箴言15:22  助言がなければ、計画は破れる。助言者が多ければそれは必ずなる。

 55.イザヤ30:21  またあなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで 「これが道だ。これに歩め。」 という言葉を耳に聞く。

 56.ヨハネ7:17 神の御心を行おうと思う者であれば、誰でもわたしの語っているこの教えが神からのものか、それともわたし自身から出たものか分かるであろう。

 57.Tコリント7:24 兄弟たちよ、各自はその召されたままの状態で神の御前にいるべきである。

 58.エペソ5:17 だから愚かな者にならないで、主の御旨が何であるかを悟りなさい。

  (マタイ7:21-27も参照。)