105.団結/不和
見よ、兄弟が和合して共におるのは、如何に麗しく楽しいことであろう。(詩篇133:1)
1.私たちは一つの家族、一人の妻、一つの体、一人の花嫁であり、花婿のために共に働いているのである。
2.たとえ弱い人々でも、団結すれば力強い。
3.私たち全員は、魂の兄弟である−−ひとつの血、すなわちイエスの血からなる一つの民である。
4.真の友人とは、二つの身体を持つ一つの魂である。
5.父親である神無くして、人類、皆兄弟となることはできない。
6.私たちは、霊の内にひとつであるだけではなく、身体においても、セックスと犠牲的な他の人々への奉仕においても一つなのである。
7.鎖の強さは、その最も弱い輪の強さで決まる。
8.共に祈る家族は、共にとどまる。
9.他の誰とも働くことのできない人は、普通神とも働くことができない。
10.肉体の結合は、霊の結合の象徴である。
11.理念、行動、霊、ゴールの内に、私たちを一つに団結させ続けることのできるものは、ただレターと主だけである!
12.主は、主の愛による和合に報われる!−−それを愛情深いものに保ちなさい!
13.喧嘩は二人の人がいて初めてできる!
14.和合には力がある!
15.この世の最も強力で、最も広範囲に及び、最も効果的で、最も長期間永続した帝国とは、統一された目標に向かって、驚異的な協調の内に共に働く団結したリーダーシップと、団結した民とをもった帝国であった。
16.霊の和合は、すべての中で最高の和合である。
17.偉大なる英国の歴史家トィンビーはこう言った。 「世界を統一するためには、まずその宗教を統一しなければならない」!
18.初代教会の成功の秘訣は、従順と和合であった!
19.私たちが貧しく、弱く、軽んじられ、散らされた状態にとどまり、ただ主の愛と主の御霊と主の御言葉によってのみ一つにされているよう、神が助けたまわんことを!
20.私たちの行うことが何であれ、主が来られる時まで、一緒にいよう。そうすればその時、私たちは物事を正しく、すなわち、当然そうであるべき方法で管理運営するようになるであろう。そしてそこにはもはや、悲しみも叫びも、痛みも、死も、そして涙もないであろう!
21.ベンジャミン・フランクリンはこう言った、 「本当にみんな団結しなくてはならぬ。さもなければ、みんな別々に絞首刑になるのは確実だ!」
22.初代教会は、独裁的で聖職者議会制の中央集権政府によって結ばれ、また形式主義によって、固められていたのではなく、使徒たちによる全くごく最低限の監督の下で、ただ主の御霊によってのみ統一され、ただ主の御言葉によってのみ治められ、主の愛の内にのみ、共に溶け合わされていたのである。
23.教会の力は、常に主における和合にあった。
24.霊と思いと心との和合は、肉の和合よりもはるかにずっと重要なものであるべきであり、また第一に来るべきである。そうすれば、肉の和合がその後に続くであろう。
25.和合の究極、それは一つの心、一つの魂、一つの思い、一つの体である!
26.あなたの勝利は私の勝利。また私たちのすべての勝利は主の勝利である!
27.イエスの最後の祈りはこれであった、 「それは私たちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。」(ヨハネ17:21-23)
28.強力な軍隊のように、神の教会は進む。
兄弟たちよ、われらは聖徒たちが歩んだ場所を歩んでいる。われわれは分割されてはおらず、皆一つの体。
即ち、希望と教義において、又愛において一つである。
29.クリスチャンは必ずしも常に、目と目を合わせて見る (意見が一致する) ことはないかもしれないが、腕と腕を組み合わせて歩くことはできる。
30.私たちは団結しているならば、堅く立ち、分裂しているならば倒れる。
31.霊の内に共にいることができなくなる程、決して遠くに離れてはならない。
32.私たちが同意している事柄は、私たちの意見が食い違っている、すべてのささいな事柄よりも、はるかに重要である。
33.さあ、団結しよう。そして、私たちが皆いつも団結していることによってすべての面で団結を保とう。
34.常に二人ずつで行きなさい−−一緒にいなさい。
35.この戦争に勝利する唯一の方法とは、お互いに対抗してではなく、敵に対抗して共に戦いを戦うことである。
36.神は常に調和を、すなわち、人々が互いに仲良く暮らして、 互いに助け合い、また互いに対して大きな愛を示し合うのを祝福されるようである。
37.コーアップとは、自分たちの好き勝手なことを行い、自分たちの好き勝手な道を進んでいる、独立自尊の人々の集まりではなく、和合には力がある故に、協調し、分け合い、犠牲を払い、一致して働くために、互いにそれぞれの個人的な独立自尊心を犠牲にしている人々の集まりである!
38.神とあなた自身と主の御仕事のため、さらには世界のために、どうか共に働いて欲しい。そうすれば、あなたは主の来たるべき地上の御国において、それらのはるかに大きな責任を受けるにふさわしい者となるからであり、また全世界を治めるのに、あなたが必要とされるようになるその来たるべき日々において、あなたが知っておく必要のある教訓を、今学ぶためである。
39.私たちはみな、共に働く必要がある。互いに耳を傾け、共に協議し、共に賛成し、共に決断する必要がある。その後で、それを共に実行に移す必要がある。
40.共に話し合い、論じ合い、助言し合い、賛成し合い、決断し合い、愛し合い、共に行き、共に行ない、共に負い、共に世話をし、共に成長し、共に働き、そして私たちの働きの実を共に楽しもう!
41.お願いだから、もし騒々しい口論や言い争いをしなければならないなら、公然とそれをやったり、他の人の前でやったりするのではなく、内密にそれをやりなさい!
42.互いに頭をぶつけ合わないのは、あなたたち二人が、同じ方向に向かっている時くらいのものである。
43.宣教師たちがよく私たちに話してくれていたように、畑での最大の問題とは、外部の敵ではなく、内部の敵だったのである。宣教師たちの間に起こる性格の不一致であり、宣教師たちの家族間に起こる騒々しい口論、金銭問題、そしてあらゆる種類の事柄であった。
44.私の父はよく、同じ屋根の下に二つの家族を住まわせることはできないと言っていた。そして実際、それは真実である。つまりそれが真に一つの家族であり、互いに本当に愛し合っていない限り、うまくいかないのである。
45.他の誰とも働くことのできない人は、普通神とも働くことができない。
46.あなたが蒔いた、疑いと分裂と嫉妬と苦みの「小さな」種は、たちまちとても大きな邪悪な巨人に成長してしまう傾向がある。そしてそれは、あなたが意図したこともなかったような危険なものとなり、あなたが企ててもいなかったような損害を他の人々にもたらす可能性があり、さらにはあなたを滅ぼしてしまうおそれさえある!
47.神の子供たちは、一致団結しているので、未だに前進を続けている。すなわち、教義とフェローシップと交信との内に、一致団結しているのであり、それは極めて重要なことなのである。
48.悪魔は、リーダーシップに対する信頼感を破壊するために、まずユダを用いて、分裂と不和とをもたらそうと努めた。
49.二人の人が持つ霊の力には、何かがある。神の霊の力学は、実に驚くばかりに作用する! 主は言われる、 「一人では、千人を追いかけることができるだけだが、二人なら万人を敗走させることができる。」
50.つぶやきは敵の声であり、敵の疑いである。そして批判的な霊は、兄弟たちの中に意見の衝突、不和、そして仲たがいを蒔く。それは、7つの神に忌み嫌われるものの内の一つである!(箴言6:16-19)
51.私たちの霊的な敵は、常に弱点を、すなわち私たちの防御の内に入り込む道を捜し回っており、私たち自身のフェローシップの町の中に燃える火の矢を放って、意見の衝突、ねたみ、貪欲さ、口論、利己心、及び内輪もめを蒔こうとしている。それによって、私たちが、私たち自身の間で戦うのに、とても忙しくなって、私たちの主よりの霊的な力の壁が、怠慢によって崩れかけていたり、あるいは罪によってくすぶっていることさえ気づかず、敵が中に入り込んで、私たちと神の御仕事とを滅ぼしてしまう機会を、敵に与えるのである。ただ、神の浄化を与えてくれる懲らしめの、冷たい風と雨、それに主の御言葉の水のみが、主の愛の内にあって、不和の炎を消し、私たちの愛と忠誠心の欠如の黒い汚れを洗い流すことができる。そうすればその時、私たちは敵に対して団結し、主御自身の者たちを救い、神の光によって地を満たすことができるのである。
52. 「分裂させて征服せよ」 これは悪魔自身のスローガンである! (マタイ12:25)
53.ホーム内に分裂の種を蒔くことは、しばしば用いられるユダのやり方である。
54.疑い、恐れ、落胆、及びつぶやきは人を殺す!
55.あなたは、父の屋敷のあなたのいる場所で問題を抱えているのだろうか? 邪悪な魔法使いは、あなたの園に嫉妬心、あるいは争いの邪悪な種を蒔いてしまったのだろうか?−−そしてそれらの種は、不満、不和、苦み、及び争いという、苦く、小うるさい、また心を悩ます、息を詰まらせるような雑草に成長しているのだろうか? またそれは、落胆、疑い、恐れ、失望、さらには自滅の思いという邪悪な巨人たちが入り込む道を作ってしまっているだろうか?
56.父に助けを求めて呼ばわりなさい。そうすれば、 「彼はあなたの知らない大きな力強い事を示して下さるであろう!」 −−たとえば、主の御言葉の力強い防御の斧が、それらすべての邪悪な雑草を切り倒して滅ぼし、陰うつさと苦みの巨人たちを追い払い、あなたの灰をゆりの花に変えて、あなたを全く再び幸せにしてくれるように!
57.あなたは、あなたに悪いことをした者たちを許し、またあなたが悪いことをしてしまった者たちからの許しを求めて、彼らの手を取り、彼らを幸せで喜びに満ちた働きと快楽とにおける、あなたの愛とフェローシップの輪の中に共に、連れ戻さなければならない。そして特に、あなた自身の兄弟、姉妹、父や母や子供たち、そして愛情深い仲間たちに対して!
58.従う者たちの面前でそのリーダーの指導力に対する彼らの信頼感を揺るがすような行為は、それがマタイ18:15-17に従って、 絶対的に必要でない限り、この部隊の中では絶対に禁じられていることであり、ほとんど許すこともできないほどの罪である。
59.もし私が、不和や、人前での口論、ファミリーの面前での批判、他の人々の面前での意見の不一致、また他の人々の面前でなされるものであれ、その背後でなされるものであれ、互いに対する争いや批判をこれ以上聞くことがあるなら、 私はそれに対して手厳しい処置に出るつもりである。
60.分裂を望むあなたたちに対して、私たちは喜んでそれを与えてやろう−−つまり、私たちからの分裂である! あなたたちは教会に戻って行く事ができる。彼らは豪勢な託児所にいて、分裂を専門として、内輪もめをしている、大きくなりすぎた知恵遅れの子供たちである!
61.「わたしの味方でない者は、わたしに反対する者である。」 (マタイ12:30)
62. 「さて、兄弟たちよ、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧める。皆語ることをひとつにし、お互いの間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい。」(Tコリント1:10)
63.この世の愚かさの内にのみ、人は変わり易い名声や富のために、互いに争い合う。
64.われわれは、分裂されてはおらず、みな一つの体。希望と、教義においてまた愛において一つである。
65.すべての相違、別け隔て、及び偏見などくそっくらえ!−−地球を紛争や戦争によって滅ぼしてしまわんばかりの、その世俗的で肉的でサタンの如き国家主義的で分裂を生じさせる霊などくそっくらえ!
66.すべての声が神からのものではない。もしそれが主の御言葉に即したものでないなら、あるいは、あなたに不平や苦みを抱かせたり、不満足にしたり、不幸せにしたり、他の人たちに対して批判的にしたりするなら−−これらのものは主からのものではないので、敵がこういった否定的な思いによって、あなたを試みようとする時は、イエスの御名によって、敵を叱責しなければならない。
67.イエスの弟子たちは時々、彼らが理解できなかった何かについて、主と議論したり、あるいは主に問いかけたことがあった−−しかし、分争をもたらし得るような方法で、主と主の方法をあからさまに批判したのは、彼らの内で誰であったのかを覚えているだろうか? 例えば、ヨハネ12章の中には、マリアが主の御足に、高価な香油1升を注ぐのを、イエスが許しておられたことに、ユダが疑念を抱いているのが見出される。それはどちらかと言えば、イエスに対する辛辣な批判ではなかっただろうか? それは何か、分争をもたらし得るような事柄ではなかっただろうか? 分争をもたらそうとしていたのでない限り、彼は一体どうして、それを語ったのだろうか?
68.誰でも真剣に疑問をかける者は疑う者である。疑いは不信心の声である。疑問は疑いの結果である。疑いは疑問を声に出し、 その疑問は批判となる。批判は背信行為であり、それは分争をもたらす。
69.あなたの町の中で発生する分争の火は、あなたを外部の敵からの攻撃を受け易い状態にしてしまうことがある。内部の熱い破壊的な炎は、あなたの防御の壁を崩れさせ、敵に入り込む機会を与えてしまうことがある。
70.最初にすべきこと、それは防壁、つまり割れ目を修復することだった−−そして自分たちには、敵と戦い、彼らを中に入らせないようにする備えができているのだということを、敵に示すことであった! そして偉大なる騎士が、真の敵と直面するように、人々を呼び集めるや否や、火は全くその瞬間に消えてしまった−−人々はそれを消す必要はなかった!−−神がそれを消して下さったのである! そして彼らが、自分たち自身で火を消そうと努めるという、彼らの肉的な努力をすべて断念して、彼の呼びかけに従い、向きを変えて裂け目を修復し、敵と戦った瞬間、神がその火を消して下さったのである!
71.内部からの火による危険性とは、それによって、外側にあるさらに大きな危険性に対するあなたの注意を閉ざしてしまうことである。すなわち、内側からの危険性は、外部の危険に対する防御を弱め、主要な仕事から注意をそらしてしまうので深刻なのである!
72.ただ敵だけが、分割し、征服しようと努める‥‥あなたは、神が何を望んでおられるのかを知っている! あなたは、これを可能にするのを助けるために、喜んで幾つかの調整をなし、また犠牲を払う気持ちがあるだろうか?
73.どんな宣教師でも、告げることができるように、宣教の畑におけるトラブルの大部分は、外部からではなく、内から来る!
74.あなた自身の心の中で疑っているなら、あなたは敵の思考を考えているのである! あなたの思考を声に出して他の人々に伝えているなら、あなたはサタンのプロパガンダを伝え広めているのである−−そしてそのすべては、分裂をもたらすため、またその分裂を通して、神の御仕事に破滅をもたらすために企てられたものである。
75.人々は他の人の良さを見るよりも、その人の過ちの方を早く見つける。
76.私たちは、最も美しい鳥ではないかもしれず、あるいは最も美しい歌を歌わないかもしれないが、少なくとも私たちは、共に歌う。そしてもし、十分に大きな声を出して歌うなら、私たちは他のすべての者の声をかき消し、すべてのものに打ち勝つことができる!
77.主は答えを与えることを非常に好まれる。そして主は、私たちが、愛と祈りと決意と思いと心と霊とにおいて、一つの思い、一つの心、一つの場所で和合しているのを見られる時、その答えを与えずにはおられないのである。これがペンテコステの日の驚異であり、また秘訣である。
78.和合は、従順によって信仰を示す。
(No.C,61,70,75A,189,191,249,263,290,
325,325B,331,335C,337B,706,752,781,848-2,
849,950,1001,1115,1383,1586も参照。)
79.詩篇55:12-14 わたしをののしる者は、敵ではありません。もしそうであるならば、忍ぶことができます。わたしに向かって高ぶる者は、あだではありません。もしそうであるならば、身を隠して彼を避けることができます。しかしそれはあなたです。わたしと同じ者、わたしの同僚、わたしの親しい友です。われらは互いに楽しく語らい、連れだって神の宮に上りました。
80.詩篇133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのは、如何に麗しく楽しいことであろう!
81.箴言25:8,9 性急に争いに出て行ってはならない。後になり、あなたが恥ずかしめられる時、あなたはどうしようとするのか。ただ隣り人にあなたの言い分を伝え、話し合いなさい。他人の秘密を漏らしてはならない。
82.伝道の書4:9,10,12 二人は一人にまさる。彼らはその苦労によって、良い報いを得るからである。すなわち、彼らが倒れる時には、一人がその友の助け起こす。しかし一人であって、その倒れる時、これを助け起こす者のない者は災いである。人がもしその一人を責め打ったなら、二人でそれに当たるであろう。三つよりの綱はたやすくは切れない。
83.エゼキエル22:30 わたしは、国のために石垣を築き、わたしの前にあった破れ口に立ち、わたしにこれを滅ぼさせないようにするものを彼らの内に尋ねた。
84.アモス3:3 二人の者が、もし同意しなかったなら、一緒に歩くだろうか。
85.マタイ12:25 イエスは、彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で別れ争う国は、自滅し、内輪で別れ争う町や家は、立ち行かない。」
86.マルコ3:24,25 もし国が、内部で別れ争うなら、その国は立ち行かない。またもし家が内輪で別れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。
87.ヨハネ17:11b 聖なる父よ、 わたしに賜った御名によって、彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。
88.ヨハネ17:21-24 父よ、それはあなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちの内におらせるためであり、それによってあなたがわたしをお遣わしになったことを、世が信じるようになるためであります。わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、またあなたがわたしを遣わし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。父よ、あなたがわたしに賜った人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前から、わたしを愛して下さって、わたしに賜った栄光を、彼らに見させて下さい。
89.使徒行伝1:14a 彼らはみな、心を合わせて、ひたすら祈りと嘆願をしていた。
90.使徒行伝2:46 そして、日々心を一つにして、絶えず神殿を訪れ、家から家を尋ねてパンを割き、喜びと真心とをもって、食事を共にしていた。
91.使徒行伝4:32 信じた者の群れは、心を一つにし、思いを一つにして、誰一人その持ち物を自分の物だと主張するものがなく、一切のものを共有していた。
92.ローマ15:5,6 どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたにキリスト・イエスにならって、互いに同じ思いを抱かせ、こうして心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。
93.ローマ16:17 さて兄弟たちよ、あなたがたに勧告する。あなたがたが学んだ教えに背いて、分裂を引き起こし、つまづきを与える人々を警戒し、かつ彼らから遠ざかるが良い。
94.Tコリント1:10 さて兄弟たちよ、わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを一つにし、お互いの間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって堅く結び合っていてほしい。
95.Tコリント11:18b,19 あなたがたの間に分争があることを、わたしは耳にしており、そして幾分かそれを信じている。確かに、あなたがたの中で、本当のものが明らかにされるためには、分派もなければなるまい。
96.Tコリント12:12,13 体が一つであっても、肢体は多くあり、また体のすべての肢体が多くあっても体は一つであるように、キリストの場合も同様である。何故なら、わたしたちはみな、ユダヤ人も異邦人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって一つの体となるようにバプテスマを受け、そして一つの御霊を飲んだからである。
97.Tコリント12:25-27 それは体の中に分裂がなく、それぞれの肢体が互いにいたわり合うためなのである。もし一つの肢体が悩めば、他の肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、他の肢体も共に喜ぶ。あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその肢体である。
98.Tコリント14:33 神は無秩序の神ではなく、平和の神である。聖徒たちのすべての教会で行なわれているように。
99.Uコリント12:20 わたしはこんな心配をしている。わたしが行ってみると、もしかしたらあなたがたが、わたしの願っているような者ではなく、わたしもあなたがたの願っているような者でないことになりはすまいか。もしかしたら、争い、ねたみ、怒り、闘派心、そしり、さんげん、高慢、騒乱などがありはすまいか。
100.ガラテヤ3:26-28 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって神の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、みなキリストを着たのである。もはやユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからである。
101.エペソ1:10b すべての者をことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされた。
102.エペソ2:14 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という、隔ての中垣を取り除かれた。
103.エペソ2:19-22 そこであなたがたは、もはや異国人でも、宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍のものであり、神の家族なのである。またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエス御自身が、隅の頭石である。このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも主にあって共に建てられて、霊なる神の住まいとなるのである。
104.エペソ4:31 すべてのうらみ、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、またいっさいの悪意を捨て去りなさい。
105.ピリピ1:27b あなたがたが、一つの霊によって堅く立ち、ひとつどころになって、福音の信仰のために力を合わせて戦い、
106.ピリピ2:1,2 そこであなたがたに、キリストによる勧め、愛の慰め、御霊の交わり、熱愛と憐れみとが幾らかでもあるなら、どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになってわたしの喜びを満たしてほしい。
107.コロサイ3:15 神の平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、そのためである。いつも感謝していなさい。
108.Tテサロニケ5:13b 互いに平和に過ごしなさい。
109.Uテサロニケ3:6,14,15 兄弟たちよ、主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たちから遠ざかりなさい。もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意して、交際しないが良い。彼が自らを恥じるようになるためである。しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。
110.Tテモテ6:3-5 もし違ったことを教えて、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉、ならびに信心にかなう教えに同意しないような者があれば、彼は高慢であって、何も知らず、ただ論議と言葉の争いとに病みついている者である。そこからねたみ、争い、そしり、さいぎの心が生じ、また知性が腐って真理に背き、利得が信心であると心得る者共の間に、果てしのないいがみ合いが起こるのである。そのようなものから遠ざかりなさい。
111.Uテモテ2:23 愚かで無知な論議を止めなさい。それはあなたが知っている通り、ただ争いに終わるだけである。
112.ヘブル12:15 気をつけて、神の恵みから漏れることがないように、また苦い根が生え出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。
113.Uヨハネ10,11 この教えを持たずに、あなたがたの所に来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。そのような人にあいさつする者は、その行いにあずかることになるからである。
(Tコリント12:12-23; エペソ2:14-19; エペソ4:4-6,12,13,16,25も参照。)