宝 P26-35
イエスがメシヤ (救い主) であることの証明!
イエスがベツレヘムで生まれる何百年、あるいは何千年も前に、旧約聖書の預言者達は、イエスの来臨を予言していましたが、彼らの予言は「メシヤ、すなわち救い主が来られるでしょう。」などといった、大ざっぱなものではありませんでした。そうではなく、場所や時なども予言するほど具体的だったのであり、この世に生を受けた人の中で、それらのすべての事柄を成就した方は、ただ一人、ナザレのイエスだけなのです! この簡単なクラスでは、旧約聖書に出てくる、メシヤに関する最も顕著な預言の幾つかを聖書から直接引用して、年代順に並べ、その預言の成就を記した新約聖書の節を載せました。
イエスの生誕!
預言:キリストの生誕の約750年前、旧約聖書の預言者イザヤはこう預言しました。「それゆえ、主は自ら一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。」−−イザヤ7:14
成就:この預言の正確な成就として、マリヤは、ナザレに住むヨセフという名の大工と婚約していた若い処女でしたが、天使ガブリエルが彼女に現れ、彼女が子供を身ごもると告げたのでした。「そこでマリヤは御使 (みつかい) に言った。『どうしてそんな事があり得ましょうか。わたしはまだ男の人を知りませんのに。』御使が答えて言った、『聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう! それゆえに、生まれでる子は聖なるものであり、神の子ととなえられるでしょう。」−−ルカ1:26-35。(インマヌエルというのは、 「神が共にいる」という意味で、イエスを心に受け入れた私達にとっては、彼はまさにその名の通りなのです。つまり、私達には神が共にいて下さるのです!)
預言:「一人のみどり子がわれわれのために生まれた。一人の男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は『霊妙なる議士、 大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる!」−−イザヤ9:6。 (紀元前740年に与えられた預言。)
成就:このことは、昔のユダヤ人が、現代のユダヤ人とは違って、神には御子 (みこ) がおられることを信じていたことを示しています。その御子は人間の体をもって生まれることになっており、その預言によれば、彼は「大能の神」と呼ばれることになっていました。
預言:ミカは、紀元前8世紀に、メシヤが生まれる村を正確に予言しました。「しかしベツレヘムよ、あなたはユダの氏族の内でも小さいものだが、イスラエルを治める者があなたの内からわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。」−−ミカ5:2。(紀元前710年に与えられた預言。)
成就:福音書は、「イエスが、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった。」と言っています−−マタイ2:1。 ユダヤ人は、自分達の救い主がそこで生まれることを知っていたにもかかわらず、(マタイ2:4-6) イエスを自分達の国の統治者として受け入れることはしませんでした。けれどもなお、預言には、彼が、 「統治者となる」とあります。これは、イエスが救い主であることを受け入れた人達には、今すでに成就しています。というのも、イエスは霊においてその人達の統治者であるからです。また、まもなくイエスが再臨される時には、イエスは実際に力によって地上を統治されるようになるのです!
イエスの存在は、その聖句が言っているように、「昔から、 いにしえの日から」のものです。イエスは言われました。「アブラハムの生まれる前(おおよそ紀元前2000年前) から、わたしはいる(または、有る)のである。」−−ヨハネ8:58。 イエスはここで、ご自身を、燃える芝の中でモーセの前に現れて「わたしは有って有る者」であると言われた、永遠なる神自身であると呼んでおられるのです。(出エジプト記3:14) 永遠なる神の御子であられるのです! (ヨハネ1:1-3、14も読んで下さい)
エルサレムへの勝利の入城
預言:預言者ゼカリヤは、主の御霊 (みたま) によって人々に命じました。「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ! 見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって、救いをもたらし、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子に乗る。」−−ゼカリヤ9:9。(紀元前487年に与えられた預言)
成就:イエスの十字架刑の5日前、エルサレムの近くまで来ると、イエスは弟子達にこう告げました。「向こうの村へ行きなさい。 するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。弟子たちは出て行って、イエスがお命じになった通りにし、ろばと子ろばとを引いてきた。‥‥そして、イエスはそれにお乗りになった。‥‥そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫び続けた。『ダビデの子に、 ホサナ。 主の御名によってきたる者に、祝福あれ!』。」−−マタイ21:2-10
想像してみて下さい!−−王の王であり、神である方が、人の体をし、柔和にも、卑しいろばの子に乗って、エルサレムに入城したのです。それは、預言者ゼカリヤがその500年前に預言した通りでした! そして、イエスは、預言のこの部分を成就されただけではなく、イエスがエルサレムに入城される時に、エルサレムの群衆が「大いに喜び」、「叫び声をあげて」イエスを賛美したこともまた、ナザレのイエスが、実に、ゼカリヤの預言した「王」であったということをさらに証明するものでした!
裏切り
預言:再びゼカリヤが預言して言いました。 「わたしは彼らに向かって、 『あなたがたが、もし、よいと思うならば、わたしに賃銀を払いなさい。もし、いけなければやめなさい』と言ったので、彼らはわたしの賃銀として、銀30シケルを量った。」−−ゼカリヤ11:12。 (紀元前487年に与えられた預言)
成就:時に、12弟子の一人、イスカリオテのユダという者が、祭司長達のところに行って、こう言った。『彼をあなたがたに引き渡せば、いくら下さいますか?』すると、彼らは銀貨30枚を彼に支払った。」−−マタイ26:14,15。
預言:「主はわたしに言われた、『彼らによってわたしが値積もられたその尊い値を、宮の陶器師に投げ入れよ。』わたしは銀30シケルを取って、これを主の家の陶器師に投げ入れた。」−−ゼカリヤ11:13。(紀元前487年に与えられた預言)
成就:「その時、 イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨
30枚を祭司長、長老たちに返した‥‥そこで、彼は、銀貨を聖所に投げ込んで出ていき、首をつって死んだ。祭司長たちは、その銀貨を拾いあげて言った、『これは血の代価だから、宮の金庫に入れるのはよくない。』 そこで彼らは協議の上、外国人の墓地にするために、その金で陶器師の畑を買った。」−−マタイ27:3-6。銀貨30枚は、実際に、主の家において、陶器師に投げ込まれた」のだった!
裁 判
預言:「彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、誰が思ったであろうか。彼はわが民のとがのために打たれて、生ける者の地から断たれたのだと。」−−イザヤ53:8。(紀元前712年に与えられた預言)
成就:イエスは大祭司の兵たちによって捕らえられたのでした。−−マタイ26:57。 宗教裁判にかけて、彼に死刑の判決を下した後、彼らはイエスを縛って、ローマ総督ピラトに引き渡したのでした。−−マタイ27:1-2。「ピラトが裁判の席についていた時‥‥祭司長、長老たちは‥‥イエスを殺してもらうようにと群衆を説き伏せた。」−−マタイ27:19-20。 「そこでピラトは、十字架につけさせるために、イエスを彼らに引き渡した。」−−ヨハネ19:16
ピラト自身、イエスが無実で、死罪に値するようなことは何一つしていないこと、また、ユダヤ人の宗教指導者たちだけが、その宗教的なねたみのゆえに、彼を殺したがっているということを知っていたのですが、それでも、それらの宗教指導者たちは、政治的な手段を用いて、ピラトに、イエスを十字架刑にさせるよう圧力をかけたのでした。−−ヨハネ18:28-40、19:1-16、ルカ23:13-25、マタイ27:18。
十字架の死
預言: おおよそ紀元前1000年に、 ダビデ王はこう預言しました。「まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。彼らは互いにわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引きにする。」−−詩篇22:16-18。(紀元前1000年頃に与えられた預言)(ゼカリヤ12:10、13:6も読んで下さい)
成就:それは、老衰で死んだ (列王紀上第1章に記録されています)ダビデ王によって書かれたものでした。だから、彼は自分のことを語っていたのではありません。そうではなく、預言者として、キリストがどのような死に方をするかを予告していたのです! それは、新約聖書にこう書かれてある通りです。「さて、兵卒たちはイエスを十字架につけて (手と足を刺し貫いて)から、その上着を手にとって4つに分け、おのおのその一つを取った。また下着を手に取ってみたが、それには縫い目がなく、上の方から全部一つに織ったものであった。そこで彼らは互いに言った、『それを裂かないで、 誰のものになるか、 くじを引こう。』」−−ヨハネ19:23、24。
ところで、実際のところ、ダビデの時代のユダヤ人は、十字架刑は行なっていませんでした。 (彼らは犯罪人に石を投げ付けて処刑したのです!)−−けれどもダビデは、メシヤがこの方法で死ぬことを予告したのでした。つまり、10世紀も後の、ローマ帝国の主要な処刑方法の一つを彼は預言したのです!
預言:「正しい者」すなわちメシヤに関する、ダビデによる預言がもう一つあります。「その正しい者には災いが多い、 しかし‥‥主 (神)は彼の骨をことごとく守られる。その一つだに折られることはない。」−−詩篇34:19-20。 (おおよそ紀元前1000年に与えられた預言)
成就:神の正しいしもべたちの多くが、特に殉教する際に、骨を折られましたが、神が呼ばれたような、「その正しい者」、「義なるわがしもべ」、また、自分の死を通して「多くの人を義とし」、多くの者たちを正した方とは、イエスだったのです。−−イザヤ53:11-12。そして、 イエスこそ、「その正しい者」であって、「多くの人を義とする」方であることを証明するために、神は、その骨が一つでも折られることを許されなかったのです!
イエスは、過越 (すぎこし) の祭りの前夜に十字架にかけられました。ユダヤ人達は、二人の強盗とイエスの死体を自分達の祭日に十字架にかけたままにしておくのはよくないので (十字架刑にされた者が死ぬまで何日もかかることがあったのです) 、彼らは、強盗たちの足の骨を折って、体がだらりと下がった状態にし、呼吸ができないようにして、死を早めたのでした。「しかし、彼らがイエスのところに来た時、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。」−−ヨハネ19:31-33。
イエスは「世の罪を取り除く神の小羊」でした。(ヨハネ1:29) そして、ユダヤの過越の時に十字架にかけられたのです。過越というのは、宗教的な祭りで、その時には、全てのユダヤ人の家庭で、罪のあがないに対する犠牲として、小羊を殺したのでした。まさにそれと同じ時に、イエス、すなわち「神の小羊」は、人類の罪のために死んだのです。主は、過越の小羊の骨の一つだに折らないようにと命じられました。 (出エジプト記12:46) ですから、こうした細かい点に至るまで、イエスの死は預言の通りに起こったのです!
イエスの埋葬
預言:「その墓は悪しき者と共に設けられ、 その塚は、金持ちと共にあった。」−−イザヤ53:9。
成就:イエスの恨み重なる宗教的な敵から見れば、イエスは犯罪者であり、悪人でした。イエスが殺された時には、「同時に二人の強盗が、イエスと一緒に十字架につけられた」のでした−−マタイ27:38.イエスが死んだ後、「金持ちで、ヨセフという名の人が‥‥ピラトの所へ行って、イエスの体の引き取りかたを願った。ヨセフは死体を受け取って‥‥彼の新しい墓に納めた。」−−その墓地は金持ちの墓地だったのです!!!−−マタイ27:57-60。
イエスの復活
預言:「あなたはわたしを『よみ』(墓、死)に捨ておかれず、あなたの聖者に腐敗を見させられないからである。」−−詩篇16:10。 (おおよそ紀元前1000年頃に与えられた預言)
成就:この預言をしたダビデ王は、死んで墓に埋められ、彼の死体は腐敗し、朽ちてしまいました。けれども、イエスは、死んで3日後に、墓と『よみ』からよみがえったのであり、「彼の魂は、『よみ』(あるいは墓)に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない。」のです。−−使徒行伝2:27,31。そして、御使は、イエスの墓の所に来て嘆き悲しんでいる者達に向かって、「そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中に尋ねているのか?」と言ったのでした。−−ルカ24:6、5。
イエスは生きておられます! 復活の後、イエスは40日間、地上を歩かれ、何百人もの信者達がその姿を見たと、聖句にあります!−−使徒行伝1:3、第一コリント15:4-6。それから、イエスは天に上げられ、神の右の御座に座られたのでした。−−マルコ16:19。
イエスの十字架上の死の正確な年代
預言:「エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤ (救い主) なる一人の君が来るまで、七つの七と六十二の七 (合計 69の7)あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。その六十二の七の後に、メシヤは断たれるでしょう。ただし、自分のためにではありません。」−−ダニエル 9:25、26。 (紀元前 538年に与えられた預言)
紀元前583年に、エルサレムの町はバビロンの軍隊によって完全に滅ぼされ、ユダヤ人は捕囚として連れ去られました。ところが、133年後の紀元前453年に、 ペルシャ帝国の王アルタクセルクセス・ロンギマヌスが、ユダヤ人に、 (捕囚地からイスラエルの地に) 戻って、「エルサレムを再建せよ。」との勅令を下したのでした。
私達は、王の勅令が紀元前 453年に出され、 イエスが西暦30年に「断たれた」ことを知っています。 ですから、 紀元前 453年から西暦30年までの年数を加えると、 合計 483年になります。 では、ダニエルが預言した、具体的な年の数がこれに一致するか見てみましょう。
勅令が出た年から、メシヤなる君の死までは、何年間であると、この預言は言っていますか? 「七つの七と六十二の七」です。つまり、 69の7ということになります。これは、69×7であり、483になります。だからダニエルは、この勅令が出されてからメシヤが「断たれる」までは、 69×7年、すなわち483年であると預言していました。それは、紀元前453年から西暦30年までの年数と一致します!−−何と驚くべき、預言の正確な成就でしょうか!しかも、この驚異的な預言は、紀元前 538年、 つまり、メシヤであるイエスが十字架にかけられる、ほぼ 600年前に与えられたのでした!
また、この 483年という期間が、 二つに分けられていることは興味深いことです。初めの期間は7の7(49年)で、それから62の7 (434年)がそれに続いています。歴史では、その勅令が出てから、ユダヤ人が「エルサレムの城壁と街路とを建て直す」まで、49年かかったことが明らかにされています。そして、メシヤであるイエスが十字架にかけられたのは、エルサレムが建て直されてから、ぴったり434年 (62の7)後のことだったのでし
た!
ダニエルの預言はさらに続き、それは、このメシヤはイエス以外にはないということの動かぬ証拠となっています。
イエスが来られた後のエルサレムの破壊
預言:「その六十二の七つの後にメシヤは断たるでしょう。 ただし自分のためにではありません。 またきたるべき君の民は、町 (エルサレム)と聖所 (ユダヤの神殿)とを滅ぼすでしょう。 」−−ダニエル9:26。 言いかえると、この預言によれば、メシヤの死の後に、エルサレムの町とユダヤ人の神殿は滅ぼされるということなのです! 実際にそうだったでしょうか? そうです! わずか、その40年後に、 エルサレムは滅ぼされたのでした!
成就:「自分のためではなく」、世界の罪のために、イエスが断たれた (すなわち西暦30年に十字架にかけられた)後、エルサレムとユダヤ人の神殿はどうなったか、知っていますか? 西暦70年に、ヴェスパシアヌス皇帝の息子、テトス将軍に率いられた皇帝の軍隊 (君の民)が、エルサレムに押し寄せ、そこを焼き打ちにしたので、エルサレムは廃墟と化しました。それゆえ、ユダヤの神殿も完全に滅ぼされ、石一つでも、崩されずに他の石の上に残ることはなかったのでした!
イエスご自身、これらの壊滅的な出来事が起こる40年前に、 驚くほど詳細に渡る預言を与えられ、 何が起きるかを正確に予告されたのでした! (マタイ24:1-2、 ルカ19:42-44、 21:20-24を読んで下さい)
イエスの来臨の後の東の門の閉鎖
預言:「こうして、彼はわたしを連れて、聖所の東に向いている外の門に帰ると、門は閉じてあった。彼はわたしに言った。『この門は閉じたままにしておけ、開いてはならない。ここから誰も入ってはならない。イスラエルの神、主がここから入ったのだから、これは閉じたままにしておけ。』」−−エゼキエル44:1、2。 (紀元前572年に与えられた預言)
成就:イエス (イスラエルの神、 主)が、ろばの子の背に乗ってエルサレムに勝利の入城をされた時、イエスは、オリブの山から来て、エルサレムの東の門から入られたのであり (マタイ21:9-12)、それは、ここで、「聖所の東に向いている外の門」と言われているように、神殿の中庭に入って行く門だったのです。
西暦70年にエルサレムの町は完全に滅ぼされ、その後何世紀もの間、そこは廃墟のままでした。ところが、 542年に、イスラム君主のスリエマンが町の城壁を再び築いたのでした。イエスを拒んだユダヤ人が、自分達のメシヤがまだこれから来て、エルサレムへの輝かしい入城をすると信じていたので、ユダヤ人が「メシヤ」の回りに結集して反乱を起こすことを避けたいと思ったスリエマンは、壁を築いて「東の門」を完全に閉ざしてしまい、それによって、知らず知らずのうちに、「この門は閉じたままにしておけ‥‥イスラエルの神、主 (イエス)がここから入ったのだから‥‥」というエゼキエルの昔の預言を成就したのでした。そして、東の門は、まさに今日に至るまで閉ざされたままになっているのです!
殆どのユダヤ人は、メシヤはまだ到来していないと信じていますが、預言の成就である二つの歴史的事実、つまり、 1) エルサレムの破壊、2) 東の門が壁でふさがれたことからすれば、メシヤはもうすでに来られたのです!−−そして、それがナザレのイエスでなかったとすれば、一体誰だったというのでしょうか?
ベツレヘムで処女のもとに生まれ、神と呼ばれ、ろばに乗って輝かしくエルサレムに入城し、銀貨30枚で裏切られ、 無実の宣告を受けながら不当にも十字架刑の判決を下され、 その着物が兵士達の間で分けられ、悪人とその死を共にし、金持ちの墓に埋められ、死からよみがえるといった、メシヤに関する預言のすべてを成就した人が、他に誰かいるでしょうか! その答えは、もちろん、イエス・キリストを他にしては誰もいません! しかも、私達がここで引用した預言は、イエスによって成就された、旧約聖書のおよそ300にものぼる明確な預言のほんの一部に過ぎないのです!
なぜでしょうか?
なぜ、イエスは十字架で死なれたのでしょうか?−−それは、イエスがあなたを愛しておられるからです! イエスは、あなたを深く愛しておられたので、あなたに代わって罰を受け、死んで、しばらくの間、父なる神から見捨てられることすら、いとわれませんでした! それは、あなたに神の愛と永遠の命をもたらすためだったのです! また別の預言ではこう言われています。「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。その口には偽りがなかったけれども、しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分の魂 (イエス自身の魂) を、とがの供え物となすとき、義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし (正しくし)、また彼らの不義を負う!」−−イザヤ53:6、9-11 (紀元前750年に与えられた預言)
イエスは、あなたのために死なれたのです! 神が、こういったすべての預言を与えて、それらを書き記させ、その記録が何百年、あるいは何千年にも渡って保存されておくようにされたのは、それらの預言によって、あなたの信仰が十分に強められ、「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。 それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」−−ヨハネ3:16−−ということを、あなたが信じるためなのです! あなたは信じますか?
神はあなたを愛しておられ、イエスは、あなたの心の扉の外に立って、あなたがイエスのために、その扉を開けるのを待っています。「見よ、 わたしは戸の外に立ってたたいている。 誰でもわたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその中に入って彼と食を共にし、彼もわたしと食を共にするであろう。」−−黙示録3:20。
あなたは心の中にイエスを受け入れたいですか? もしそうなら、次にあげる簡単な祈りを、心から祈って下さい。「イエス様、 私のために死んで下さったことを感謝します。私の心に入って、私をすべての問題や悩みから助け出して下さい。そして、私が、あなたの御言葉を読み、あなたの愛のことを他の人に告げることによって、あなたと他の人たちのために生きるのを、どうか助けて下さい! イエスの御名で祈ります。アーメン。」