How To Loveからの抜粋 P.29-33

 

人を評価する!

 

人のことをよく知り、その人の力を伸ばしなさい

  私達はいつも他の人達を評価しています。ですから、より正しい評価をしたいものです。そうすれば、私達が毎日している、人に対する評価は、私達自身にとっても、他の人々にとっても役立つものとなるでしょう。

  受付係は、初めてやってきた人がどんな人なのか素早く判断しなければなりません。新入社員は、上司がどんな人物かといろいろ思いめぐらすし、上司の方も、新しく入った社員を評定しようとします。セールスマンは、売り込みをする時に特にどんな事に話を絞ったらいいかを決める前に、相手の客がどんな人なのか判断します。私達は電話の向こうの声の響きによって、相手のムードを察しなければならない場合さえあります。

  あるエグゼクティブはこう言っています。「会社や企業の基盤をなす資産とは、人である。成功するエグゼクティブとは、経験を積んでおり、同情や理解があるために、人々を正しく評価し、人の動機を理解し、人の能力を最大限に引き出す人である。」エグゼクティブは重い責任を負っています。社員の成績が思わしくない場合には、それは、人の評価を誤り、その人の力をうまく伸ばさなかったエグゼクティブの責任かもしれないのですから。

  毎日の生活の中で、私達の多くは人々を何気なく評価しますが、相手に対する直感が正しいかどうかを証明しようなどとはしません。その結果、人に対する評価の大半は、実験によって証明されている通り、単なる憶測にすぎないのです。更に、人の重要な資質も、ほんのささいな資質と同じぐらいに見過ごしやすいものです。ですから人を評価し、人の力を伸ばしていく上で間違いを犯さないよう、私達はまず、5つの一般的なルールによく通じておく必要があります。

 

1.自分の持っている偏見を自覚し、それを考慮に入れる

  メイン州出身のフランク・マンセーは電信技師でしたが、大都市に移り、大きな出版会社の経営者となりました。貧弱な体つきで、頬のくぼんだ彼は、太った人を信頼せず、太った人は雇おうとしませんでした。これは偏見に過ぎません。マンセーが買い取った新聞社の主任論説委員は、150キロを越すブルガリア人でした。この大男を見るなり、マンセーは、「この男を首にしろ。太り過ぎている。」と言いました。

  けれども優れた才能を持ったスベトザー・タンジョロフはクビにはされませんでした。彼の才能を知っていた者達は、彼を別の名で社員名簿に載せ、マンセーが社内にいる時には、彼を隠していたのです。このタンジョロフこそ、小説家のジョセフ・コンラドの才能を見いだした人物であり、また彼は後に、AP通信のバルカン特派員になりました。しかし、出版者マンセーは、単にやせた人の太った人に対する偏見の故に、彼をクビにしたがったのです。

  偏見をすべて捨てることはできないかもしれませんが、他の人達に対してより正確な評価を下すためにまずすべきことは、常に自分が嫌悪する傾向のあるものは何かを認識し、人を評価する際には、それを考慮に入れることです。

 

2.細かな所に目をやり、全体から受ける印象は無視しなさい

  私達は普通、初対面で、相手のことを好きか嫌いか決めてしまいがちですが、そうすると、その人の可能性を見誤ってしまうことになります。最初に嫌いだと決めてしまうなら、その人の劣っている点ばかり探してしまうでしょうし、好きなら、良い所ばかり探してしまうことでしょう。こうした過ちに対する最善の予防策は、第一印象が良くなかった人については良い所を探し、非常に魅力を感じた人については弱点を探すという習慣をつけることです。そうしないなら、個人的な好き嫌いのせいで、あなたの人に対する評価は単なる推測の域を越えなくなってしまいます。

  できるなら全体的に受ける感じに捕らわれず、しっかり細かな事柄を見るようにする事。例えば、初めて会った時には、相手の目を観察するのです。視線が定まらず、うさんくさい目つきをしていますか、それともまっすぐにあなたの目を見つめていますか? 視線が定まらないからと言って、必ずしも世間でよく言うように、何か隠そうとしているとか、不正直だという訳ではないとしても、少なくとも、その人はどちらかというと人に追随するタイプだと言えるでしょう。一方、まっすぐ鋭く見つめる人は、かなり積極的だと言えるでしょう。どんな点に注意して観察しなくてはいけないかがよくわかってくると、あなたの判断は正確なものとなります。

 

3.時間をかけて判断すること

  ただ見ただけで人を判断することはできません。人というのは、すぐに自分の性格や特徴をあらわにするわけではないのですから。初対面の時には、人はたいてい良い振る舞いをしようと努め、好ましくない点、例えば、強情さなどは隠そうとします。緊張して神経質になっているために最高のコンディションとはいえない人もいることでしょう。あるベテランのインタビュアーは、神経質になっている人に、そこら辺を速足で1周してくるようにと言います。運動は、緊張をほぐす助けになるのです。

  性急な判断をしないで、時間をかけなさい。最初に不確かな推測をして、即座に判断するという過ちを犯さない事。そして、自分の最初の推測が間違っている事を示すような事柄を探しなさい。第一印象を裏付けようとするのではなく、第一印象が間違っていることを証明しようとするのです。

  人の評価というのは、ずっとし続けていく事であって、一度会っただけでその人はもう評価済みということはありません。その人を見守り、その人の長所や短所などをもっと発見しようという気持ちを持ち続けなさい。トップ・エグゼクティブは、要職にある部下の能力を常に研究していなければなりません。そして、有望な人には、その能力をテストする為に、しばしば普通とは違った仕事を与えます。

 

4.外見よりも、過去の経歴に注意を払いなさい

  仕事によっては、外見も考慮に入れるべきですが、外見は、能力の程度をはかる物差しにはなりません。美しくても頭が弱いこともあれば、美しくかつ聡明であることもあります。外見がどれほど過った印象を与えるかを示す面白い例があります。鉄道会社の社長、大学の学部長、ハンサムな精神薄弱の男性がそれぞれタキシードを着、黒の蝶ネクタイをして写真をとりました。すると、その写真を見た人の多くは、精神薄弱の人はどれかと尋ねられて、実際に精神薄弱の人よりも、鉄道会社の社長の方の写真を選んだということです。

  過去の経歴を見た方が、将来のその人の仕事ぶりをより正確に頭に描くことができます。数学で良い成績をおさめた若者の方が、成績が悪く、学校を中退した若者よりも優れた店員になる可能性が高いと言えます。教師と衝突ばかりしていた人は、ボスや妻とうまくやっていけないと考えていいでしょう。今までずっと短気だった人は、これからもおそらくそうでしょう。約束に遅れてばかりいた人は、これからも遅れる可能性が高いと言えます。

  人を評価する時に基本となる事は、人は年少の頃からさして変わっていないという事実です。体は大きくなりますが、何らかの動機があって過去の習慣から抜け出ようとしたのでない限り、過去の習慣をそのまま持っているものです。ですから、将来どうなるかを示してくれる一つのものとして、過去の習慣を知るようにして下さい。又、救われ、新しく造られた者となって、ファミリーにいる人達の場合は、その人がファミリーに加わってからの、過去の仕事やホームでの行動や振る舞いを調べるのです。

 

5.持論に頼るのではなく、本当にその人の性格を表すような特徴を探しなさい

  人の性格をあてるのが得意な、あるエグゼクティブは、いつも、「鉛筆を1本貸してくれるかね?」と聞くことにしています。相手が、あちこち探し回ることなく、すぐに鉛筆を差し出すことができないなら、そのエグゼクティブは、この人は几帳面ではないという結論を出します。けれども、こうした結論は全く正しいとは言えません。また、鉛筆を落とし、相手がすぐ拾うなら、その人は役に立つ人だという結論を下すエグゼクティブもいます。けれども、必ずしもそうではないのです。

  私達はよく、こうした持論に基づいて人を判断しがちです。しかしそれは、たいていの場合、意味がないのです。他の人を評価する時には、人間の性格の一部始終をよく知っていなければなりません。

 

人を評価する

  人をより正確に評価するのに役立つだけの情報を集めるのは、誰にでもできます。けれども、評価というのは、平均的な男女と比べてすべきであって、評価を下す人自身の能力と比べてすべきではありません。一級の機械工は、機械工の腕を評価する時に、基準を高く置きすぎる傾向があります。また、頭脳明晰な人は、人の頭の良さを見るのに、あまりにも厳しい判断を下しがちです。  評価する時に、私達は、好ましい基準として、自分自身を基準にする傾向があるのです。自分を基準にして評価するとすれば、私の場合、調子っぱずれにならずにきちんと歌える人なら誰でも素晴らしい音楽的才能があるとし、並のボーリングの腕を持った人なら誰でもものすごく運動神経が発達しているとみなすことになります。私達はよく、人がその人自身どうであるかによってではなく、自分と比べてどうかによって評価してしまうのです。

 

相手に話させる

  自分ばかり話をしていては、相手のことをあまり知ることはできません。最初に相手の緊張をほぐすために、少し話をした後は、相手の経験や考えかたを聞き出すことに集中しなければなりません。そうすれば、相手の人と、なりが十分わかってくるでしょう。相手に話すチャンスを与えるのです。他の人達と比べてみて、相手がよくすること、あまりしないことを、心にとめなさい。そうすれば、相手について、自分なりに評価することができます。

 

十人十色

  誰にも得意不得意があります。みんながみんな「何をやらせても平均的」だというわけではありません。比較的、得意なこともあれば、どちらかといえば不得意なこともあるのです。人の能力というものは、大体平均前後をいくか、それとも平均より劣るか、勝るかですが、それでもやはり、事によって得手不得手があります。ある文筆家はこう書きました。「自分が愚かであることに気づいたことのない賢い偉大な人物など存在しないし、自分がつまらぬ人間だと感じたことのない偉大な人物もいない。」ダニエル・ウエブスターの高校の時の教師はこう言いました。「君は、ラテン語は、あまりよろしくない。ギリシャ語はもっと悪い。そして、地理ときたら、目もあてられん! しかし、君は口達者だ。弱いおつむで、ぺらぺらとよくしゃべる。」

 

男女の違い

  男性と女性の違いは、外見や声の違いに限らず様々です。背の高さや体重が変わらない場合でも、男性のほうが女性より強いものです。というのも、女性の筋肉は、幾分「水分が多め」だからです。これは生れつきの違いであり、別に男性のほうが筋肉をよく使うからではありません。

  女性は骨格も男性と違っています。特に関節の部分は、男性よりも自由に動かすことができます。それで、女性は容易に背中のボタンをとめることができるのに、男性は、カラーの後ろのボタンをとめるのに腕の骨を折らんばかりになるのです。この骨格の違いのせいで、普通、女性のほうが、ダンスやスケートその他において、動きがより優雅なのです。また、ボールを投げる時も走る時も、男性とは体の動かし方が違います。

  女性は指先が器用なので、服を縫ったりなど、そういう器用さを要する仕事で男性にまさっています。又、記憶力や想像力や言葉の使い方に優れているので、オフィス・ワークや先生に向いています。

  男性は数字に強いし、物体の位置関係を頭の中に思い描くことにも優れています。たとえば、タイプライターの内部構造がどうなっているかといったことを頭に思い描く能力があるので、機械の部品のつながりを理解していることが必要不可欠な機械的な作業において女性にまさっています。

  これらの男女の違いは、生まれつきのようです。その違いは、子供の頃から現れ、大きくなるにつれていっそう著しくなります。たとえば、女の子の赤ん坊は、男の子よりも早く話し始めます。それに、男性と女性では、性格や、興味を抱く対象において、明らかな違いがあります。

  平均的な女性の胃は男性の胃よりも幾らか大きめで、より速く食べ物を消化するので、食間に空腹になりやすく、午前中や午後に間食を必要とします。空腹感のせいで、食事時間の1時間くらい前になると、女性はイライラしたり、落ち着きがなくなったりすることもあります。

  女性の体には、男性にはないホルモンが何種類もあります。その幾つかが月経周期をコントロールしており、女性が生理の時にイライラしやすくなるのもそうしたホルモンが一因かもしれません。又、ホルモンのせいで、急に部屋の片付けを始めて、きれい好きになったり、あるいは不安を抱いたりすることもあります。平均的な女性は男性よりも感覚が鋭く、検査の仕事などに向いています。神経組織は男性よりも幾分敏感で、コーヒーや薬や毒の影響をもっと受けやすい傾向があります。

 

感情面での特徴

  たまに逆の場合もあるものの、私達は、女性は泣くもの、男性は怒るものと考えます。けれども、通常は、女性は自制心を働かせて感情を表に出しません。女性は何を考えているのかわからないと言われるのも、そうした特徴が一因となっています! 時折女性は、自分のほしいものを手に入れるのに役立つと思う時には、涙を使うこともあります。「泣いている女を信用するな」とは、女性の評価を完全に誤って、アテネで一番口やかましい女と結婚してしまったソクラテスの言葉です。

  「外見」は、男性にとってよりも、女性にとって、より重要です。女性は、誰もが自分を見ていると考えるようです。(実際、そうなのかもしれませんが。) だから、通常は男性よりも女性のほうが服に気をくばります。女性は、自分が魅力的に見える仕事のほうを好み、だらしない制服を着なくてはいけない仕事なら、他の仕事を探します。時には、仕事場で着飾り過ぎることもあります。

  平均的な女性は、回りの環境にもっと敏感です。天気や物音やにおいに動揺したりもします。また、男性よりも他の人の気持ちを察しますが、これは、女性自身、傷つきやすいからでしょう。ですから、部下の女性に対しては、男性に対してよりも、より配慮が必要です

  女性は男性よりももっと励ましを必要としています。女性の部下には、出来の良い仕事だけでなく、立派な心構えもほめるなら、良い結果を期待できます。女性の新入社員は、他の新入社員の女性達と一緒に配置すると、あまり落胆することもないでしょう。

  女性のユーモア感覚も男性と違っているようです。イタズラに我慢はしても、好きではありません。また、女性はからかわれたり、あだ名で呼ばれることも好みません。

  そして女性は、家族や雇用者に対して、より忠誠を尽くすようです。高給をもらうよりも、良い上司の下で働きたいと思うほどです。

  男性以上に気が変わりやすいということはありませんが、たいてい、女性は決心するのに時間がかかります。普通の男性に比べ、多くの決断を要する仕事にはさほど向いていないかもしれません。

 

人種または国籍の違い

  異なる人種または国籍に対して特定のイメージを抱いていることによって、誤った見方をしがちな人達もいます。変わった服装や、珍しい習慣や、異なる肌の色のせいで、外国人はかなり異なって見えます。しかし、自分も相手にとっては同じように奇妙に見えることを忘れてはいけません。たとえば、日本人は、アメリカの兵士は目がつり上がっていないから変だと言いました。また、アメリカのビジネスマンが韓国人に、いつ死者が戻ってきて、墓に供えてあるご飯を食べるのかと尋ねると、「死んだアメリカ人が墓から出てきて、供えてある花のにおいをかぎに来るのと同じ時にですよ」という答えが返ってきたのです。

 

私達の内には色々な能力が混ぜ合わさっている

  私達の能力はごった煮のようなもので、わけのわからない物がいっしょくたに混ぜ合わさっています。ライフルの狙いを定める時には岩のように不動でいられても、まっすぐ線を引こうとすると震えてしまうという人もいるでしょう。何をやっても、常に安定しているという人はいないのです。机の上は、きれいさっぱり片付いているかもしれませんが、一番上の引き出しはごちゃごちゃかもしれません。どこもかしこも、きれいに片付けているわけではないわけです。私達は皆、様々な技能や能力や性格を備えているので、私達が、助けが必要な面で助け合って、互いに補い合うなら、沢山のメンバーがいながらにして一体となることができます!

  人の能力や性格のほとんどは、一つ一つ非常に明確です。私達は、広範囲に渡る一つの能力を持っているのではなく、何百もの明確な特定の能力を持っています。だから、一人の人を、たった一つか二つか三つか四つの能力だけで判断するのは、良いこととは言えないし、何か一つのことで良くやったからといって、他のことでも良くやると期待することもできません。能力は、一つ一つ細かく、そして、それぞれの状況に応じて判断されるべきです。

 

自分の限界を引き上げる

  一人一人の限界というのは、その人の能力によって決定されてしまうのでしょうか? 個人の能力そのものによっても決まってきますが、それだけでなく、上司や教師が、これがこの人の能力の限界と決めてしまう場合もあります。殆ど誰でも、自分の才能を更にもっと発揮する事が出来るものです。

  才能、つまり、何かの技能を習得するための能力には、たいていの場合、限界があります。私達の目が識別できる色の種類には限界がありますし、音のトーンを聞き取る能力や、筋肉の力やその動きを調整する能力にも限界があります。けれども、自分の能力を限界までフルに活用しているという人は、1万人に一人いればいいほうです。

  毎日の生活の中で生じてくる個人差というのは、一つには、それぞれの持っている能力の使い方によるものです。成功を目指すのに意欲的な人は、自分の力をフルに活用し、従って、自分の知性まで伸ばします。そうでない人達は、もっとやれるだけの能力を備えていても、ただ成り行き任せにしてしまうのです。ですから、知能の欠如ではなく、意欲や動機が欠けているのかもしれません。

  ウィリアム・E・グラッドストーンは、子供の頃、何不自由ない生活をしていました。しかし、金持ちの商人の息子であるにもかかわらず、数学の成績はクラスでも下のほうで、大学の入学試験でも数学の成績が悪かったために不合格になってしまいました。しかし、数字に強くなろうと、徹底的な努力をした後で、再び入学試験に挑戦しました。そして、後にこの未来の首相はクライスト・チャーチ大学を最優秀生徒として卒業したのです。何十年かたって、この大学の学生が数学で落第したことの言い逃れとしてグラッドストーンの例をあげたところ、学部長ヘンリー・リデルはその学生をこうたしなめました。「グラッドストーン氏の落第をまねるのは容易だ。だが、彼の成功もまねることを忘れてはいかん。」

  「有能な人材を選ぶコツを心得ている」ことで有名なエグゼクティブ達がいます。しかし、有能な人材を選ぶ事に劣らぬほど大切な事があります。それは、現在自分の下で働いている部下の意欲をかきたて、訓練することです。優れた教師や優れた経営者というのは、他の人達の、能力を伸ばそうという意欲をかきたてるコツをよく心得ており、そのために、人々は自分の能力をほぼ最大限にまで発揮するようになります。このようにやる気をかきたてるには、一人一人を正しく評価して、以下のことを知らなくてはいけません。(1)その人はどんな力を伸ばす必要があるか。(2)どんな動機があったら、その人は最大限の努力をしようという気になるか。

  人の限界を引き上げることは、良い結果をもたらします。また、その限界を知ることもです。そうすれば、もう限界なのに、無理にそれに到達しようとすることがないからです。ある著述家は言いました。「夕食が自分の口に合わない時には、自分の口が夕食に合うように努力する。」と。

 

指示や方向づけを与える

  自分の言いたいことはわかっていても、それを聞いている相手はわかっているでしょうか? ある小さな町の配管工が大学にいる化学者に手紙を書いて、自分の発見について報告しました。「排水管が詰まったら、塩酸が素早く効く。」 それに対する教授の返事は以下の通りでした。「塩酸にそのような効果があることは間違いない。しかし、塩素残留物と、金属の耐久性とは相入れない。」 

  するとその配管工から、「あなたが私に賛成して下さって嬉しいです。」と書かれた葉書がきました。そこで化学者が、「塩酸による有毒有害な残留物の発生に対する責任を負うことはできないので、代替物を使われるようお勧めする。」という返事を出しました。

  ところが、またも、「教養のある方が私に賛成してくれることに、引き続き感謝しています。」と書かれた葉書が届いたのです。

  そこで今度は、この教授の秘書が返事を書きました。「塩酸を使ってはいけません。パイプが溶けてしまいます。」

  米国空軍の父と呼ばれるビリー・ミッチェル将軍は、自分の下した命令が遂行されていない時は、大抵、部下がそれを理解できなかったからであるということを知りました。将軍はこう言っています。「私は、ある将校を常に本部においておき、全ての命令文をこの将校に向かって読むことにしている。彼が理解できるなら、誰でも理解できるからだ。彼はとりたてて賢いというわけではないが、その理由から、私の最も有能な将校の一人である。」

  自分の考えていることをありふれた言葉で表現できる人の言うことは、誰でも理解することができます。人が普通使わないような言葉で大勢の人達に話すなら、人々がたとえ耳を傾けようとも、彼らは何も聞こえないも同然です。実用的な原則をあげておきましょう。

  1.簡単な言葉、短い文を使う。

  2.話す際に、実演したり、ジェスチャーを交え、印刷物には挿絵や漫画を入れる。

  3.指示は2度繰り返す。

  4.言った相手に、自分の言ったことを繰り返させる。

  5.その後は、彼らが理解していないものと仮定して、指示が遂行されたかどうかを早い内にチェックする。

 

知性をはかる

  私達は、絶えず他の人を評価していますが、推測や偏見によって、その評価が非常に不正確なものになることが多々あります。人の知性を過って判断する要因となるものは以下の通りです。

    1.よく話す。

    2.外見が良い。

    3.何かの専門分野での実績がある。

    4.知性よりも経験のおかげでノウハウを心得ている。

  私達は、話し上手な人物の知性を過大評価する傾向があります。その人が沢山話すとか、話しぶりがなめらかだという理由で判断してはいけません。口数が少なく謎めいたアインシュタインのことを考えてみて下さい。打てば響くように短い言葉が返ってくるからと言って、知性があるとは限りません。しかし、就職を希望している人は、なめらかに、素早く答えられると有利です。面接ではたいてい、そのことが採用する側に好印象を与えるからです。

  頭の大きさや形、表情、服装からは、その人の知能は測れません。表紙から本の良し悪しを判断できないのと同じことです。おせっかいな隣人達が、引っ越してきたばかりの人の家を訪問した時にやってしまったような間違いをしてはいけません。その時に4歳の女の子が最初に玄関に出てきたのですが、母親が出てくるのを待っている間に、隣人の一人が、その子供には理解できないものと思って、こんなふうに、無作法な感想をもらしてしまいました。「この子は、あまりピー・アール・イー・ティー・ティー・ワイ(プリティー、かわいいこと)じゃないわね。」 するとその女の子はすかさずこう言ったのです。「でも、とてもエス・エム・エー・アール・ティー(スマート、賢いこと)なのよ。」

 

最後に

  どんな方面の仕事であれ、人間的な面を無視することはできません。機械ではなく、人間を扱っているのだということを忘れてはいけないのです。だから、自分の部下を評価し、人々が最善の状況の下で働くことができるように、理論的にその仕事をきちんと振り分けた後でも、必ずと言っていいほど、仕事をする人達の性格や気質に応じて様々な変更をしなくてはいけなくなることでしょう。理想を心に描いて、その達成のために努力することは良いことですが、決して、人々に合わないような理論上の案を無理やり実行しようとしてはいけません。

  神があなたを祝福されますように! 以上の事柄が役に立ち、祝福となるよう願っています! ただ、他の人達と接したり、他の人を評価しなくてはいけない場合には、主に識別力を与えてくださるよう祈らなくてはいけないことを常に覚えておいて下さい。ダッドはよくこう言われました。「リーダーに最も必要な賜物とは、ほとんどが目立たない賜物である。それは、識別力、知識、知恵だ。」(モップ145:53) たとえ、私達が人々を的確に評価する知識を備えていても、主と愛に満ちた聖霊だけが、彼らの問題に対する答えを教えてくれることができます!

  「あなたにどんな賜物があろうと、神に知恵を求めなさい! 知恵とは神の知識やあなたの知っている事実の使い方、すでに知っていることの使い方である!」(モップ145:30) 神があなたを祝福され、知恵と識別力という、他の人を評価し、彼らの問題の解決のために助けになる賜物をあなたに与えて下さいますように! あなたに神の祝福を! WLY!