エンドタイム・バイブル DFO

 

ダニエル9章

 

  ダニエル9章は、聖書全体で、最も注目に値する章の一つである。そこには、神が今までに与えられた預言の中でも、最も驚異的に成就している預言の幾つかが記されている! 第1節は、その時代背景である:

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   1 メデアびとアハシュエロスの子ダリヨスが、カルデヤびと(バビロニア人)の王となったその元年、

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   B.C.539年の10月、バビロニア最後の王ベルシャザルは盛んな酒宴を設けていたが(ダニエル5:1)、その頃メデアびとは水路を通って町に忍び込み、不落の都と言われていたバビロンを征服したのだった。(『歴史:メド・ペルシャ』を参照) 「カルデヤびとの王ベルシャザルは、その夜のうちに殺され、メデアびとダリヨスが、その国を受けた。この時ダリヨスは、おおよそ六十二歳であった。」(ダニエル5:30,31)

  ダニエルは今や、80歳を越えた老人となり、ダリヨスは、彼の優れた知恵と行政管理能力を認め−−おそらく、ダニエルがメデアの勝利を預言した(ダニエル5:28)ことも理由なのだろうが−−彼を、王国全体の総監とした(ダニエル6:1-3)。同年、妬みに満ちた他の総監達が、彼がライオンの穴に投げ入れられるようにと企てたが、神の奇跡により、彼はそれを切り抜けた! ダニエル9章は、この苦しい経験のすぐ後で老いた預言者ダニエルが、彼の民であるユダヤ人の捕囚がいつ終わるかについての、主からの啓示を受けるところから始まる。

  バビロンの捕囚はB.C.605年頃、つまりネブカデネザルが初めてエルサレムを攻め、バビロンに捕虜を連れ去った年から始まった。それから68年近く経過した B.C.538年、主はダニエルに、彼の民の捕囚がいつ終わるかを示されるのである。(そもそも、ユダヤ人が捕囚となった理由や、 B.C.535年にメド・ペルシャ人によって解放されるまでの経過を知るには、『歴史:メド・ペルシャ』を参照のこと。)

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   2 すなわちその治世の第一年に、われダニエルは主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉により、エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年であることを文書によって悟った。

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  ダリヨスの治世の第1年はB.C.538年であって、この頃ダニエルは預言者エレミヤの書を読み、ユダヤ人の捕囚は70年間続くことを知ったのだった。

  エレミヤは主の御言葉により、こう預言した:「この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕える。七十年の終った後に、わたしはバビロンの王と、‥‥カルデヤびとの地を罰す、」(エレミヤ25:11,12) 「主はメデアびとの王たちの心を引き立てられる。主のバビロンに思い図ることは、これを滅ぼすことである!」(エレミヤ51:11)(エレミヤ51:28-31,イザヤ13:17-19も参照)

  上に述べた預言の成就として、バビロン最後の王ベルシャザルは B.C.539年の10月に殺され、王国はメデアのダリヨスの手に落ちた。だが、約束されていたユダヤ人の捕虜の、エルサレムへの帰還はどうなったのか?  エレミヤ29:10にはこう約束されている。「主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所(エルサレム)に導き帰る。」

  「エルサレムの荒廃」はB.C.605年に始まり、主がダニエルに示されたことによれば、そのちょうど70年後はB.C.535年になる。ここで、ダニエルは預言を解釈しており、エレミヤの預言した70年間の捕囚はあと2年ほどで終わると考えたのだった。主がこれらの驚くべき事柄をダニエルに示されたのは、本当に素晴らしい。そしてそれはダニエルが自分の民に、すぐに解放されることを告げて、彼らを励まし、安心させるためであったのは、疑いもない。

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   3 それでわたしは、わが顔を主なる神に向け、断食をなし、荒布を着、灰をかぶって祈り、かつ願い求めた。

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  この啓示を受けた後、ダニエルは、悔い改める気持ちのない自分の民ユダヤ人のために、必死に祈り始めた。少なくとも、ダニエルは悔い改めていた! 断食をし、荒布を着、悲嘆を表すために灰を顔に塗りつけ、自分の民とエルサレムと、荒廃した宮のために、神に呼ばわった。(エレミヤ6:26とダニエル9:17-19を参照) 彼の力強い祈りは、3-19節に記されている。

  さて次は、70年間の捕囚の終わりに関する、エレミヤの預言(エレミヤ29:10にある)のエキサイティングな成就である:ペルシャのクロスの方が、より地位の高い王であったが、実際にバビロンの町を攻め取ったのはメデアのダリヨスだったので、クロスのいない間、約2年間、ダリヨスが統治した。その後B.C.536年頃、クロスが王座を引き継ぎ、ダリヨスは退いた。(ダニエル7:5と8:3,20の解釈を参照)

  「ペルシャ王クロスの元年に当り、主はエレミヤの口によって伝えた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの霊を感動されたので、王はあまねく国中にふれ示し、またそれを書き示して言った。『ペルシャの王クロスはこう言う、「天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに賜わって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。」』」(歴代志下36:22,23)(エズラ1:3,4も参照)

  「エレミヤの口によって伝えた主の言葉を成就するため」:エレミヤはこう預言した。「バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所(エルサレム)に導き帰る」(エレミヤ29:10) −−そしてユダヤ人が初めて捕囚になった B.C.605年から、クロスが彼らを自由にし故郷に帰らせた B.C.535年までの年数は、正確に70年だった! メド・ペルシャ帝国時代の年号は、一般の歴史書にも見つけることができる。それは、聖書がただの良い歴史書であるだけではなく、霊感された神の御言葉でもあることの証明である!

  その頃ユダヤ人のリーダーだったゼルバベルのもとで、42,360人のユダヤ人がユダに帰り、自分達の宮を再建するために全力を注いだ。宮の再建には約20年もかかり、B.C.516年までは完成しなかった。(エズラ2:64,65と、3:8から6:15を参照) クロスはユダヤ人に、故郷に戻って行って自分達の宮を再建する権限は与えたが、エルサレムの町を再建したりその城壁を修繕せよとは言わなかった。それはもっと後で起こる!

 

  さて、ダニエルに戻るとしよう。ダニエルは、クロスがユダヤ人を解放してこの預言が成就される約2年前、自分の民のために必死に神に祈っていた。神は時についての新しい預言を彼に与えようとしていた。その預言は、エレミヤの預言よりももっと顕著で、もっと驚くべき成就をすることになっていた!

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   20 わたしがこう言って祈り、かつわが罪とわが民イスラエルの罪をざんげし、わが神の聖なる山のために、わが神、主の前に願いをしていたとき、

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  ここでダニエルは、イスラエルの罪を告白している(4-19節を参照)。普通は他の人々の罪を告白してまわるべきではないが、この場合は、ダニエルは本当にそうする必要があり、また彼は心からそうしたのだった! 彼は、強情で悔い改めのない自分の民ユダヤ人のために、必死に祈っていた。70年間の捕囚の後でさえ、彼らの多くはいまだに悔い改めていなかったが、少なくともダニエルは悔い改めていた。

  「神の聖なる山」:モリア山とシオンの丘の上に築かれていたエルサレムは、旧約聖書の様々な箇所で、「聖なる山」または「聖なる丘」と呼ばれている。(詩篇43:3,4; 68:15,16; 99:9を参照) モリア山に神殿のあるエルサレムは、かなり長い間、神の真の霊的な都である新しいエルサレム、つまり「主の家の山」のひな型、または象徴だった。(ダニエル2:35、黙示録21:10,16、イザヤ2:2、エゼキエル28:14を参照) ダニエルはユダヤ人だったので、ユダヤ人としての立場で物事を見ていた。だからまだエルサレムを聖なる都、「神の聖なる山」と考えていた。けれども聖書には、ユダヤ人が何百年間にも渡ってひどい罪を犯してきたので、エルサレムはもはや、神の目には聖なる都ではなくなったことが、はっきりと書かれている。(イザヤ1:21、マタイ23:37,38、ルカ13:33,34、ヨハネ4:20,21、ガラテヤ4:25、黙示録11:8を参照)(『ユダヤ人:選ばれた民?』を参照)

  それならどうして、神はユダヤ人を自分達の国に帰らせられ、宮を再建させられたのか? 彼らが悔い改め、主に許されたこともその理由の一部である。(エレミヤ29:10-14) しかし、主な理由は主の憐れみであった。ダニエルが18節で祈ったように、「われわれが(エルサレムに戻って宮を再建するための)祈りをささげるのは、われわれの義によるのではなく、ただあなたの大いなる憐れみによるのです。」

  それに彼らは、すぐに来られようとしていたメシヤに備えるために、イスラエルに戻って国を復興させる必要があり、イスラエル国家の存在理由は、メシヤ、つまり世界の救世主の来臨のためだった!彼らは神の御言葉、聖書を何世紀にも渡って保存してきた。その御言葉には従わなかったが(使徒行伝7:51-53)、ついに、彼らのところからイエス・キリストが出現したのだった!(マタイ1:1-17を参照)

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   21 すなわちわたしが祈りの言葉を述べていたとき、わたしが初めに幻のうちに見た、かの人ガブリエルは、すみやかに飛んできて、夕の供え物をささげるころ、わたしに近づき、

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  「かの人ガブリエル」:ガブリエルは天使長だが、ここでダニエルは彼のことを人と呼んでいる。さてダニエルにとっては、人に見えたのだ。ガブリエルは人の格好をしていた(ダニエル8:15)が、ダニエルは明らかに、彼が超自然的な存在であることを知っていた。「わたしが初めに幻のうちに見た、かの人」:ダニエル8章のクラスを思い出すなら、14年前に、ガブリエルがダニエルの幻のうちに現れていることがわかる。(ダニエル8:15-19) 「すみやかに飛んできて、」:天使は飛ぶことができる。だからガブリエルは「すみやかに飛んできた。」なぜなら、彼は主の緊急な仕事に携わっていたからである! 彼はダニエルに与えるための、驚くべき預言を携えていた!

  「夕の供え物をささげるころ、」:「供え物」とは、ささげもの、または犠牲のことだ。そして夕方の何時頃かに、宮で夕の供え物をささげるころ、ガブリエルがダニエルの所に来たのであった。さて、ダニエルはエルサレムから遠く離れた所におり、宮はほとんど50年も前に破壊されていた。だから動物の犠牲はもはやささげられてはいなかったが、とにかくその時間は、彼らが以前犠牲をささげていた時間だった。

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   22 わたしに告げて言った、「ダニエルよ、わたしは今あなたに、知恵と悟りを与えるためにきました。

   23 あなたが祈りを始めたとき、み言葉が出たので、それをあなたに告げるためにきたのです。あなたは、大いに愛せられている者です。ゆえに、このみ言葉を考えて、この幻を悟りなさい。

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  ダニエルは、神が自分の民(ユダヤ人)を許し、彼らを捕囚から解放して下さるようにと祈っていた。そうすれば、宮とエルサレムの町を再建することができるからである。そして今、天使長のガブリエルが、いつ、どのようにして、神が彼らを救って下さるかを告げようとして、やって来たのである。

  神は、ご自身がダニエルに与えられたこれらの預言を、彼が悟れるように助けようとされた。もっとも、理解できない場合がほとんどだったが。(ダニエル7:28、8:27、12:8) この後に続く預言を、主はそれらが起こる実に何百年か何千年も前に預言されていた。だからダニエルは、実際には理解する必要はなかったのである。しかし彼はそれを書き記し、記録する必要があった。終わりに生きている私達が、その時が来た時に悟るようにである。(ダニエル8:26(C)と、12:4の解釈を参照)

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   24 あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。

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  「あなたの民については、七十週が定められています。」:まず何よりも初めに、この言葉「週」の意味を知ることが大切である。ここで使われている言葉は、元のヘブル語では「シャブア」であり、それは数の7、または週のどちらかに使われていた。この場合は、聖書を翻訳する時に「7」と翻訳した方が、もっと正確だった。だから、この言葉は「7の70倍」となる。 けれども、「シャブア」は「週」の一般的な名前として使われていたので−−それに、おそらく彼らはその預言の意味を理解していなかったので−−彼らはそれを「週」と訳したわけである。

  しかし、主が週について話しておられなかったことは、明らかである。なぜなら、これらが文字通り単なる週だと言うなら、それは1年ちょっとで成就されたことになるからだ。しかしもちろん、その預言はその時には成就されなかった。だから、それを週として解釈することは不可能である。何週間という短い期間の内には起こらず、何百年もかかったのである!

  主はここで「7」、つまり7年について語っておられるので、その違いは大きい! だから、実際の意味を明らかにするために、「週」と書いてある時は、いつもその後にかっこして、 「×7年」を入れることにする。

  だから、「あなたの民については、七十週(70X7年)が定められています。」:それは、どれくらいの期間か? 7年の70倍は、490年である。490年が、「あなたの民に定められています。」 他の言葉で言うと、「490年のうちに、あなたの民、ユダヤ人の全歴史が完結し、この幻とこの預言が完全に成就されるでしょう、または、封じられるでしょう!」 この節の意味を完全に理解するためにはまず、25節にある、時に関する預言の詳細を勉強しよう:

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   25 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、 七週(7×7年)と六十二週(62×7年)あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは街路と城壁とをもって、建て直されるでしょう。

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  「エルサレムを建て直せという命令が出てから、」:3節ですでに説明したように、B.C.535年にクロスは、ユダヤ人に自分達の宮を建てるようにという権限は与えたが、クロスもその後のペルシャの王達も、エルサレムの町そのものを建て直したり、その城壁を建てて強化してよいとは言わなかった。なぜなら彼らは、ユダヤ人が再び反乱を起こすかもしれないと心配していたからである。(エズラ4:11-24、ネヘミヤ6:5,6を参照) 城壁が崩れたままなら、トラブルを起こしたり、反乱を起こしてもユダヤ人は自分達を防御したりできないと知っていたからである。メド・ペルシャの最初の王達はこう考えたのだった。「故郷に帰らせて、自分達の宮を建てるのを許すだけでも、十分おまえ達によくしてやっているのだ。」

  けれどもついに、メド・ペルシャ帝国の第5代王アルタシャスタ・ロンギマヌスが登場して、B.C.465年からB.C.425年まで統治した。アルタシャスタ(注:アルタクセルクセスとも呼びます)はユダヤ人にとても好意的だった。(エズラ7:12-27、ネヘミヤ1:11,2:1-8を参照)

  B.C.457年(エズラ7:6,7)、アルタシャスタは祭司エズラに権限を与え、エルサレムに行かせて神の律法を教えさせ、つかさと裁判人を立てさせた。(エズラ7:25,26)−−そして4年後のB.C.453年にアルタシャスタは、かの有名な勅令を発して、ユダヤ人がエルサレムを再建し、その城壁を強化することを許したのだった。

  「エルサレムを建て直せという命令が出てから、‥‥七週(7×7年)と‥‥その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは街路と城壁とをもって、建て直されるでしょう。」 どうしてこの49年の期間が述べられているのか?−−それは、アルタシャスタがB.C.453年に命令を出した時から、城壁と町を再建するのに実際にかかった年月だからである!主がこの49年について言われたのは、ユダヤ人にとって、町そのものを再建し、自己防御のための城壁を建てるのに、どのくらいの期間を要するかを知ることが、とても大切だからだった。それで主は、前もって未来の事を告げ、それに49年かかると預言されたのである。そして実際に、それだけの期間がかかった!

 

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  アルタシャスタがこの勅令を B.C.453年に発令した事に疑問を抱く人々もいる。というのは、それが聖書の中で具体的に述べられていないからである。一例をあげてみると、ハーレイの聖書ハンドブックには、この「エルサレムを建て直せという命令」が、おそらくはアルタシャスタがエズラをエルサレムに行かせた B.C.457年に発令されたかも知れないと書かれている。けれども、もし聖書のエズラ書を調べてみるなら、その時には、エルサレムを建てよとの命令は発令されていない事が分かる。他の聖書ハンドブックにはほとんど全部、B.C.454年の3月が、ユダヤ人に町を再建するようにとの勅令をアルタシャスタが布告した年として記されているが、その見解は全く根拠がない。歴史家と聖書学者の大部分は、B.C.453年4月が、その勅令が発令された時であると言っており、それはダニエルの預言にぴったり合う。だから、どうして疑うのか?

 

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  しかし、B.C.453年に出されたアルタシャスタの公の勅令にもかかわらず、その後の9年間は、ほとんど進歩がなかった。というのは、ユダヤ人が城壁を建て直し始めようとすると、もっと強力な近隣の敵が止めさせようとするからだった。 B.C.444年になって、王の給仕役であるネヘミヤが、町と城壁がいまだに廃墟であることを耳にしたので(ネヘミヤ1:1-4を参照)、 王に願って、自分をエルサレムにつかわし、自ら、城壁の再建と町の強化を指揮しても良いか尋ねた。アルタシャスタは彼の願いを聞き入れ、総督としての地位さえも彼に与えた。(ネヘミヤ2:1-8,5:14)

  ネヘミヤはエルサレムに戻り、52日以内に城壁は再建されたが(ネヘミヤ6:15)、エルサレムの街路や建物や家々の再建がそれほど速く進まなかったのは間違いない。そのためには、まるまる40年もかかったのだから。

  「しかも不安な時代に」:ネヘミヤはアルタシャスタからの直接の推薦状を携え、護衛兵までつけてもらっていたにもかかわらず(ネヘミヤ2:7-9)ユダヤ人の敵達からかなり苦しめられ(ネヘミヤ4章と6章も参照)、攻撃するぞと絶えず脅かされながら、ネヘミヤとその部下達は、片手に道具、片手に武器をもって働いた。(ネヘミヤ4:17)

  それが最初の49年の期間の成就である。さて、2番目の62×7年を調べてみよう。

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   26 その六十二週(62X7年)の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終わりは洪水のように臨むでしょう。そしてその終わりまで戦争が続き、荒廃は定められています! 

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  「六十二週」とは、434年間のことである。

  そして、25節にも、「それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなる一人の君が来るまで、 7週(49年)と62週(434年)ある」と書かれている。先に学んだように、最初の49年間は城壁や町や通りの再建のためである。そして、主はそれからまた434年後にメシヤが「断たれる」と預言された。「断たれる」ことになるこの「メシヤなる一人の君」は誰だったのだろうか? それは、イエス・キリスト、メシヤ、平和の君にほかならない!(イザヤ8:6) 何百年も前にイザヤは「生ける者の地から断たれた(殺された)」と預言した。(イザヤ53:8)さて、49年に434年を足すと483年になる。だから、B.C.453年の483年後は何年だろうか? A.D.30年! ちょうどイエス・キリストが十字架にかけられた年である!

  私達は一般の歴史から、イエスがB.C.4年の終わり近く(ほとんどB.C.3年の初め)にお生まれになったことを知っている。そして、主がこの世での務めを始められた時については、ルカ3:23に、「イエスが宣教を始められたのは、年およそ30歳の時」と書かれている。だから、もしイエスがB.C.4年の終わり頃にお生まれになったのなら、主はA.D.27年に30歳になられ、3年ちょっと宣教をされた後で、A.D.30年の4月に十字架にかけられたことになる。だから、69週、つまり483年間というのは、メシヤが十字架にかけられた正確な年を教えてくれる!  このことは、B.C.538年、つまりメシヤであるイエスが十字架にかけられる600年近く前に預言されている! 大天使ガブリエルは、メシヤであるキリストがA.D.30年に死ぬということを明確に伝えている。そして、この詳細に渡る預言を成就したのは、イエス・キリストただ一人だけである! また、この預言は、ナザレのイエスによって成就された300以上にものぼるメシヤについての預言の一つにすぎない。しかもそれらの預言は、イエスがお生まれになる400年から1500年前に書かれている!

 

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  歴史に関する書物の著者や聖書の学者は、アルタシャスタ・ロンギマヌスがユダヤ人の都の再建についての勅令を出したのは B.C.453年であるということで意見を一致させている。さて、ユダヤ人の過越の祭りは、ユダヤ人の暦では1年の始まり(出エジプト記12:2-3,6)になる4月(レビ記23:3-4)に行われる。イエスは「過越の準備の日」に十字架にかけられた(ヨハネ19:14,31)ので、主が死なれたのは A.D.30年4月だったとかなり確信できる。だから、ダニエルの預言が月まで正確に成就されるためには、アルタシャスタが勅令を出したのは、その483年前のB.C.453年の4月でなくてはならない! そして実際、勅令を下したのがこの月である可能性も強い!

  しかし、何人かの学者は、B.C.453年ではなくB.C.454年に出されたかもしれないと言っている。これも可能性があるが、そうだとしても、ダニエルの預言が驚くべきほど成就しているということには変わりはない。可能性としては薄いが、もし勅令が454年5月に出されたとしても、A.D.30年から数えればやはり483年以内ということになる。 この、時に関する預言は年数で与えられているので、正確な年数まで成就している限りは、その年の正確な月や正確な日にちまで突き止めようと心配する必要はない。

  だから、勅令が出されたのはB.C.454年の終わりのほうだと言おうと、B.C.453年の最初であろうと言おうと、この預言は驚くほど正確である。なぜなら、この通りに、メシヤであるイエスはその勅令が出されてから483年後に「断たれた」からだ!

 

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  ユダヤ人は、この預言を読んでいたに違いないし、アルタシャスタがB.C.453年に勅令を出したことも知っていたに違いないから、彼らはメシヤが来られるのが大体いつ頃か計算できたはずだ。少なくとも、預言には、メシヤが「断たれる」、つまり死ぬ時が書いてあった。だから、多分、賢い者達はそれを計算して、メシヤが来られるのはいつか知っていたことだろう。年老いたアナとシメオンは、メシヤがA.D.30年に十字架にかけられるには、もうすぐ生まれなくてはいけないと知っていたので、メシヤを見るのを心待ちにしていたのだろう。主を待ち望み、今か今かと期待していた彼らは、ついにメシヤに会うことができた。(ルカ2:25-38参照)

  だから、 メシヤがその時代に来られると信じていた良いユダヤ人もいたのだ! しかし、たいていの人にとっては、ダニエルの預言はわけのわからない事でしかなく、賢い者だけがそれを理解できた。(ダニエル12:9,10)主がダニエル9章の時についての正確な預言を与えられた時に「シャブア」(週という意味と7という意味がある)という言葉を選ばれたのも、そうしないなら、知るべきでない人達まで、いつメシヤが来られるかを知ることになったからかもしれない。(その例はマタイ2:7,8,16参照)だからイエスの安全のために、主はそれを少し謎のままにして、人々がそれを7年ではなく週を意味していると思うのを許された。

  「メシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。」 メシヤが殺されたのは自分のためではないと言うなら、メシヤが殺された理由は何だろうか? イエスはどうして十字架の上で死なれたのだろうか? 改めてイザヤが預言していることを記そう。「彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれた」 イエスが死なれたのは、ご自分のためではなく、私達のため、全世界のとがのためだった! イエスは私達の罪のために死なれたのだ!(ローマ5:6-9、第一コリント15:3、黙示録1:5、エペソ1:7、コロサイ1:14参照)

  さて、24節の明確な預言をイエスがどのように成就されたかを見てみよう。「‥‥七十週(70×7年)が定められています。これはとがを終わらせ、罪に終わりを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし‥‥」この節の約束には三つの成就がある。

  イエスが十字架の上で死なれた時:(A)主は、ご自分でその節の約束を達成された! 主は「とがを終わらせ、罪に終わりを告げ、不義をあがなわれた。」 使徒パウロが書いているように、「私達は御子の死によって神との和解を受け」(ローマ5:10)、主は「ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終わりに、一度だけ現れたのである。」(ヘブル9:26)そして、救いを通して「永遠の義をもたらされた。」(ローマ10:4)

  イエスが死なれた時、イエスはあがないをして下さった。そして、主を信じる者に「罪の終わり」をもたらして下さった。しかし、すべての人があがなわれているわけではない。「永遠の義をもたらす」というのは、疑いもなく、十字架上のイエスの死によって始まったが、多くの人は主の義をまだ受け継いではいない。私達クリスチャンは主の義を受け継いでいるが、今日の世界にはまだかなりの不義が存在している。

  (B)イエスは、これらすべての約束をご自分で成就されたが、私達主を信じる者達には、まだ完全にそれらが成就されているわけではない。信仰によって成就されているものの、イエスが再臨され、私達が新しい不滅の復活した体を受け取るまでは、文字通りすべてが成就しているのではない! 預言には「七十週」、つまり490年が(69週または483年間の期間だけではない)は、あなたの民‥‥について定まっています。これは‥‥幻と預言者を封じ、」「幻を封じる」というのは、それを成就し、完全にその490年間を終わらせるという意味である。 13ページのチャートでわかるように、70週目、つまり最後の週はメシヤであるイエス・キリストの再臨と、ラプチャーと、地上のクリスチャンの復活で終わる! この70「週」が終わる時、神の民は全き時代を迎える!

  (C)しかし、キリストが再臨されても、これがすべて、霊的な面と現実的な面との両方で完全に成就するわけではない! その時主はただクリスチャンを救出し、移されるにすぎない。「永遠の義」はまだ全世界にもたらされてはいないのだ! イエスが再臨されて75日後に、悪魔に取りつかれたアンチキリストと、獣の刻印をつけ、アンチキリストに従う者達が凶悪な戦争を起こし、それは歴史上最大で最悪の戦争に発展する! これがハルマゲドンの戦いである!(厳密に言えば、これはきっかり7年目から2か月半たった時のことだが、それでもダニエル9:25の「7番目の年、つまり70“週”目」である)

  だから、ハルマゲドンの戦いの後で、キリストが人間の諸王国に終止符を打ち、地上に主の御国を設立されるまでは、「罪の終わり」や「永遠の義」が世界に完全にもたらされるわけではない! ただキリストがそうされる時、イエスご自身と復活した主の聖徒達による千年間に渡る正義の統治のもとで、「水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちる。」(イザヤ11:9)(『至福千年』参照)

  「いと聖なる者に油を注ぐ」:「油を注がれる」この「いと聖なる者」とは誰だろうか? もちろん、イエス・キリストだ! 事実、ギリシャ語で「キリスト」という言葉の実際の意味は「油注がれた者」とか、「メシヤ」である! ある意味では、イエスは以下のことが起こるまでは油を注がれなかった:(A)十字架にかけられるまで。主は、私達を救うために十字架で死んだ時に初めて完全にメシヤとなられたのだから。その時に初めて、主は油を注がれ、救い主、王の王となられた! そして、私達こそが現在、神の御国となっており(ルカ17:21参照)、主こそ私達の王なので、キリストが油を注がれた王であるというのは今、霊的に成就している!

  (B)しかし、ハルマゲドンの戦いの終わりに、頭に「多くの冠」をかぶり、「王の王、主の主」と呼ばれるイエスが地上全体を征服し、至福千年が始まるまでは、これは、霊的な面と現実的な面との両方で完全に成就するわけではない!

  ダニエル9:26の残りの解釈を続けていこう。「メシヤは断たれ‥‥来たるべき君の民は、町と聖所を滅ぼすでしょう」 イエスの死から一世代(40年)も経ない内に、その「町」(エルサレム)と「聖所」(宮)に何が起こったか、あなたは知っているだろうか? A.D.67年にユダヤ人はローマ帝国に対して反乱を起こしたので、A.D.70年にローマ軍はエルサレムを破壊し、都全体を焼いてしまった。そして、ユダヤ人の「聖所」(宮)を完全に破壊したので、「その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなかった」!(マタイ24:2の解釈と、『歴史:ローマ帝国』を参照)

  「その終わりは洪水のように臨むでしょう。」詩篇18:4では「不信仰な者達の洪水」と言っている。(注:日本語の聖書は違います) ヴェスパシアヌスに率いられた8万人近くもの兵士からなるローマの大軍がイスラエルに押し寄せ、ユダヤ人を手当たり次第に虐殺した! 彼らは、100万人以上のユダヤ人を殺し、9万5千人を奴隷として連れ帰った!

  その預言は、エルサレムと宮の破壊が、メシヤが断たれた後に起こると記しているが、イエスの死から40年たって、全くその通りのことが起こった!これも、イエス・キリストが、約束されていたメシヤであることの証明である!

  「また来たるべき君の民は‥‥」 この節の「君」は、「メシヤなる一人の君」であるイエスではない。なぜなら、これは主が十字架で死んだ後に起こっているからだ。この「君」は、「来たるべき」もう一人の君、アンチキリストのことだ! アンチキリストは契約の君としても知られている。(ダニエル11:22)

  さて、そこには、君が来て町と聖所を滅ぼすとは書かれていない。「君の民は、町と聖所を滅ぼす」とある。歴史によれば、ユダヤ人が反乱を起こした時、北アフリカの総督ヴェスパシアヌスとその軍隊が反乱を鎮圧するために派遣された。A.D.70年に、エルサレムを包囲している時に、ヴェスパシアヌスは自分がローマ帝国の新しい皇帝だと布告し、自分の軍隊は息子のティトゥスに任せ、ローマに帰った。だから、実際にエルサレムを滅ぼしたのは、彼の民、彼の軍隊だった。では、この「君」とはただヴェスパシアヌスのことを指しているのだろうか? いや、違う。おそらく彼は「来たるべき君」の前ぶれ、象徴的先駆者だったのだろうが、実際には、この「来たるべき君」とはヴェスパシアヌスのことではなく、もっと重要な最終的な成就がある!

  「来たるべき君」について、27節には、「彼は1週間(7年間)の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。」とある。だから、この「来たるべき君」がただヴェスパシアヌス皇帝であるはずはないし、実のところ、その後の皇帝達も違う。この「来たるべき君」は、地上で人間が極悪な統治を行う一番最後の日々の、最終世界統一政府の統治者にほかならない。その統治者とは、サタンに取りつかれたアンチキリストである! そして、エルサレムを破壊したローマ軍は、「来たるべき君の民」だった。なぜなら、他の節ではっきりと示されている通り、アンチキリストの帝国は、古代ローマ帝国が復興したもの、継続してきたものだからだ。(ダニエル7:7の解釈の段落4-5を参照)

  神にとって、また聖書の中では、アンチキリストがローマ帝国の最後の皇帝である! 神にとっては、ローマ帝国は、それが正式に「没落した」と歴史家が言っている476年に完全に終わりを迎えたわけではなく、古代ローマから現在、そして、間もなく出現するアンチキリストの時代まで続く!(『歴史:ローマ帝国』参照)

  ダニエル 7:7には、アンチキリストが、他の10本の角(国または大国)が出たのと同じローマの獣から出て来ることが記されている。ローマ帝国はほとんどの時、ヨーロッパ全体を征服していた。それで私達は、この10本の角が現代のヨーロッパ諸国だと信じている。しかし、ローマはその頃、北アフリカの一部や、シリア、パレスチナ、エジプトを含む中東地域も統治していたことを忘れてはいけない。そして、ダニエル8:9の解釈でわかるように、アンチキリストはおそらくエジプトから出ることだろう! だから、アンチキリスト(かつて古代ローマ帝国の領土だった国から出る)も、ローマの王となるだろう! アンチキリストの帝国は古代ローマ帝国の復興となり、アンチキリストはその最後の王、最後のシーザーとなるだろう!

  「そしてその終わりまで戦争が続き、荒廃は定められています。」:(A)エルサレムは、A.D.70年にローマに破壊されて以来、何世紀にも渡って、苦難が洪水のように押し寄せ、次々に征服者が変わり、戦争と荒廃は絶えることがない。主がここで予告された通りのことが起こっている! エルサレムとは「平和の都」という意味だが、平和だった時はほとんどなかった!

  事実、A.D.70年には、ローマ軍がほとんどすべてのユダヤ人をイスラエルから追い出し、世界中に散らした! これは、歴史においては「ユダヤ人の離散」として知られており、ユダヤ人は「ディアスポラ」と呼んでいる。ユダヤ人はそれ以来世界のあらゆる所に分散しており、エルサレムにはいつもトラブルが絶えない! そして、ユダヤ人の多くがイスラエルの国にまた集まったが、やはりエルサレムの情勢は不安定で、まだ戦闘をしており、荒廃のままである!−−神が言われたのと全く同じ通りに!

  (B)エルサレムは、私達がアンチキリストの軍勢を打ち負かすために下ってきて、ハルマゲドンが終結する日までは戦争が絶えないので(イザヤ29:1-8参照)、この節に出てくる「戦争」は、最終の戦争、つまりハルマゲドンの戦いのことを言っているのかもしれない。ダニエル8:14からわかるように、ハルマゲドンの戦いが終わるまでは「荒廃」の期間は終わらない! 「その終わりまで戦争が続き、荒廃は定められています。」

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   27.彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また憎むべきものは広がり、荒廃をもたらすでしょう。そして終わりとなり、ついに定まった破滅が、その荒らされたものの上に注がれるのです!

 (注:翻訳し直しました。)

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  「彼は堅く契約を結ぶでしょう」:この「彼」というのは、前の節に出てきた人物であり、その人物である可能性があるのは、26節に出てきた「来たるべき君」、アンチキリストしかいない! 「彼は堅く契約を結ぶ」 ダニエル11:22で、アンチキリストは具体的に「契約の君」と呼ばれていることに注意してほしい!

  「契約」:最後の7年の非常に重要な平和協定について初めてダニエルが触れている。契約とは何だろうか? それは条約であり、約束であり、アンチキリストが誰かと結ぶ協定である。彼はこの契約をユダヤ人と結ぶだけでなく、エルサレムに関係する、イスラム教徒やキリスト教徒とも結ぶ。アンチキリストがエルサレムを、すべての宗教が自由に崇拝できる国際管轄都市として宣言する可能性は大いにある。(彼の統治の最中に、エルサレムを世界首都にすることを示唆する節もある。ダニエル11:45参照) 彼は、すべての宗教に自由を与えることを約束するが、これは、自分を王、つまり世界独裁者とするために協力を得ようとしているからにすぎない。

  それは、平和をもたらすため、特に中東で戦闘中の宗教間に和平をもたらすための契約である。特にこれはユダヤ人の(動物のいけにえを捧げるものである可能性が高い)神殿での礼拝を再開すると考えられている。(これに対する様々な解釈については、「マタイ24章」のクラスを読んで下さい。)

  この契約は、ダニエル11:28-30で、「聖なる契約」としても知られているが、必ずしも、神が祝福される契約という意味ではない。にもかかわらず、聖なる契約と呼ばれているのは、宗教と関係があるからだ。どうもアンチキリストは、様々な宗教同士の戦争をやめさせ、エルサレムの都を国際管轄下におくよう諸宗教から同意を得るようだ。世界三大宗教はエルサレムを愛しており、そこを「聖なる」都と考えている。だから、この協定はその全部の宗教に気にいられることだろう! 何と賢い計画だろうか! 彼は諸宗教に何もかも約束するものの、結局何も与えない!(『契約』参照)

  「彼は‥‥堅く契約を結ぶ」:この契約はすでに、現存しているかもしれない。秘密の内にこの契約はすでに作成されているかもしれない! そうであっても私は少しも驚かない! そこに彼がやってきて、その契約を結び、実行に移すのだ。

  「彼は一週(7年)の間、多くの者と堅く契約を結ぶ」:これはよく理解しておくべき重要なポイントだ! 他の「週」についてはすでに説明したと思う。7週(49年)と62週(434年)だ。気づいたかもしれないが、7の7倍に7の62倍を加えると、合計7の69倍になる。24節には、明白に「あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています‥‥幻と預言者を封じ(完了させ)」とある。主はユダヤ人とエルサレムのことを語っておられる。彼らの歴史が70×7(490年)で完了するということを。しかし、この最後の7年間というのは、同時に世界の歴史の終わりの7年間でもある。

  その最後の「週」はどうなったのだろうか。イスラエルの歴史の最後の7年間は? それが、イエスの十字架刑のすぐ後のA.D.30年に成就されていないことは確かだ。この7年間という最後の「週」、つまり、世界の歴史の最後の7年間というのは、終わりの時がくるまで成就されていない。どうしてこの7年間が、他の69年の直後に来なかったのかと思うかもしれない。なぜ、アンチキリストがA.D.30年に台頭し契約を結び、A.D.33年の終わりに契約を破らなかったのか? この最後の7年間が69回めの「週」が終わってから、2000年も神が間隔をあけられたのはどうしてなのだろうか?

  イエスの死後から現在に至るまで、この大きなギャップがあるその理由とは、A.D.30年にユダヤ人が自分達の王を十字架にかけ、自分達のメシヤを「断った」時点で、即座に彼らの国としての歴史も終わったからだ! そして、神の目から見て、もう神の民ではなくなったのだ! イエスはユダヤ人にこう言われた。「神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶ異邦人に与えられるであろう! そしてあなたがたは外に投げ捨てられるであろう!」(マタイ21:43、ルカ13:28)イスラエルが神の御子を殺した時に、神はイスラエルの歴史を一時的に停止されたようなものだ。そして神は、この現在の時代の最後に至るまで、イスラエルの国がその勢力を取り戻すのを許されない! それが70「週」目になる。イスラエルだけではなく、現在の世界史の最後の7年間となるのである!

  なぜ神は、ご自分の御子を殺した彼らに、最後の期間になって7年間の復興を許されるのか? それは、彼らの悪を世界中に暴露し、イスラエルはもう神の選民ではないということを証明するためだ。彼らは、真の救世主であるキリストを拒絶した後で、悪魔の化身であるアンチキリストを選び、アンチキリストを自分達の救世主として崇拝し、彼の刻印を額あるいは右手に受けて、世界の先頭に立つようになる!(黙示録13:15,16参照) そしてイスラエルが力と栄光を取り戻す時、アンチキリストの統治のもとに暴政を行い、クリスチャンを迫害し殺すだろう! このひどい犯罪が、イスラエルの恐ろしい歴史の最後に起こることだろう!

  1948年に、イスラエルは国家として宣言したが、聖なる契約の保証と、彼らの偽救世主の権力によって、以前のように宮で崇拝することを許され、10ページの右側で語ったように、おそらくは血の燔祭も捧げるようになるまでは、国家として完全に再建されはしないだろう。それが起こることで、イスラエルの歴史は再び続く。最後の7年間に!

  又、イスラエルを国家として正式に認めていない国は世界に沢山あるが、この契約によって世界的に承認され、イスラエルは正式に世界全体から国家と認められる! 神によってではなく、偽救世主アンチキリストによって、イスラエルは再建され復興する!

  以前話したように、ユダヤ人がアンチキリストの統治下で、宮を再建する可能性は大きい。(マタイ24:15の解釈(A)と(B)、「ダニエル8章」2300日の表、解釈(A)を参照)イエスを拒絶したユダヤ人達は、まだ「救世主」を待っている。救世主だけが宮を再建することができると信じているのだ。彼らがそういった考えをどこから得たのかは、いまだに明確ではないが、聖句をいろいろと曲解して解釈したのだろう。だから誰がその「救世主」になるのだろうか? アンチキリストである! イエスは彼らに言われた。「私は父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受け入れない。もし、ほかの人(アンチキリスト!)が彼自身の名によって来るならば、その人を受け入れるのであろう!」(ヨハネ5:43)

  聖書を教えている者のほとんどが、この70年目というのがイスラエルの歴史の継続だと教えている。ただ彼らは、イスラエルがついに昔の力を取り戻し、宮が再建され、そして、おそらく燔祭がささげられる時、イスラエルは全盛期を迎えるだろうと言っている! 多くの有名な根本主義者やスコフィールドのような伝道師が「確かにそれはアンチキリストの統治下でだ。それでも少なくともイスラエルは、ついに栄えることになるじゃないか!」と教えている。全く開いた口がふさがらない。彼らがそう教えているのは、ユダヤ人が神の選民だという教義を信じているからだ。だから、良いことが起これば何でも、それは神が彼らを祝福しているからだと思っている!

  「彼は(7年の間)多くの者と契約を結び、」(A)もし契約が公にされるのだったらこの「多くの者」というのは何千万人にものぼるだろう。ということは、アンチキリストは世界の指導者になるわけである! しかし、契約は(B)ユダヤ人とクリスチャンとイスラム教の指導者の間だけで秘密に結ばれるかもしれない。協定が秘密に結ばれたとしても、多くの人達がそれを知るだろうが、世界中の人ではないだろう。その場合、アンチキリストが背後で操り、一般の人々に知られずに世界を治めることも可能である!

  アンチキリストはこの契約を7年間という前提で結ぶ。それは「7年間」協定である。世界の指導者達は、このような方法をよく使う。「これこれの期間の間、契約を結んでおいて、他の問題はその後に考えよう。」というように。そういうわけで、彼は7年の間、この契約によって平和を保ち、戦争をせず、エルサレムの奪い合いをしないことに同意させ、そう約束させる。

  (A)もし、その契約に、ユダヤ人とアラブ人、エルサレムやパレスチナ人をめぐる争いを和解することが含まれていれば、それは世界的な大ニュースとなることだろう! そうすれば、アンチキリストと、彼の契約の承認が公にされることだろう!そうやって、最後の7年間がいつ始まるかが、私達にはっきりするわけだ。しかし、契約が公表されない場合はどうなるか?

  (B)歴史上、多くの協定が秘密に結ばれてきた。たとえば、第二次世界大戦の後、連合国とスターリンとの間で世界を分割するための協定が結ばれたことは、後になるまでは誰も知らなかった。最初に、ヤルタでルーズベルトによって、それからポツダムでトルーマンによって。このような協定は多くの場合、秘密の内に結ばれる。そのずっと後になるまでは、人々に事実が明かされないことがよくある。だから、アンチキリストの契約でさえ、もしかしたら秘密のうちに結ばれ、アンチキリストの統治が始まっているかどうか、わからないかもしれない。だとしたら、私達は現在すでに、最後の7年間にいるということもあり得るわけだ!

  第二テサロニケ2:3-4,8節にはこう書いてある。「それから、不法の者(アンチキリスト)が現れる! 彼は自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。」 ということは、最初の3年半の間、彼は秘密にされていて、彼が契約を破る時に初めてあらわになると言っているようにも思える! もしかしたら、契約が結ばれたことでさえ3年半の間は秘密にされているということかもしれない。アンチキリスト勢力が最初の3年半、契約を秘密にできないわけがあろうか? 彼らがアンチキリスト、つまり「契約の君」を隠して秘密にしていることは明らかだ。確かにアンチキリストは今、どこかに存在している!

  「週(7年間)の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。」 7年の半分は3年半だから、半ば、すなわち、7年間の半分は最後の3年半の始まりになる。それから、聖句には、アンチキリストの最後の3年半には、「大患難」として知られている3年半の統治が始まることが詳しく記されている。

  この期間の長さはダニエル9:27では、「週の半ば」(7年間の半分、つまり3年半)と記されている。黙示録12:14では「一年、二年、また、半年の間」と記されており、黙示録11:2,13:5では42か月、黙示録11:3と12:6では1260日となっている。こうして主はこの世界の歴史の最後の3年半の期間のことを幾度も示され、しかも4つの異なった方法で表現しておられる! それを読む人が間違って理解したり、期間の長さを誤解したりしないように、明確にしておきたかったのだ。

  一つの解釈によると(A)アンチキリストは契約を破り、ユダヤ人が犠牲と供え物をするのをやめさせると同時に、自分の像「荒らす憎むべきもの」を立て(マタイ24:15)、それを崇拝するようにと世界の人々に命じる。そしてその像を崇拝するのを拒む者達をすべて迫害し始めるのだ。(マタイ24:21の 解釈(A)参照) ということは、「大患難」は、アンチキリストとその偶像を崇拝することを拒むあらゆる宗教の人達がひどい迫害を受ける3年半の期間ということになる。(黙示録11:3、12:6,14参照)その患難がどれだけ続くかについて、主がこのように明確にされているのは、この期間があまりにもひどいために、いつ終わるか日にちを数えることができるようにするためだったのかもしれない。「神よ感謝します! もうあと○日しか残っていない。あともう少しで終わりだ!」というように! だから、この最後の3年半の大患難、教会への迫害は、アンチキリストが契約を破る時に始まるのかもしれない。

  それにしても、(B)アンチキリストが、週の半ばにユダヤ教を止める時に実際に自分の像を立てることを完全に証明はできないし、彼がその時点で契約を破るからといって、大患難もその時に始まることを完全に証明できるわけではない!

  この節の中で、すべての出来事が一緒に述べられていることから、私達は今まで、アンチキリストが契約を破る時が、彼が世界に姿を現し、自分が神だと宣言する時だと思ってきた!(第二テサロニケ2:4) しかし、確実にそうかどうかは私達にはわからない。その時とするのは論理的に妥当と思えるが、彼が最後の7年間の半ばで契約を秘密に破り、その他のこと、つまり、自分が神だと宣言すること、自分の像を立てること、獣の刻印を押し始めるといったことを後ですることもあり得る! これらを患難の終わり頃に起こすこともあり得るわけだ!だから、最悪の患難は契約を破った後に起こることもあり得る。

  「犠牲と供え物とを廃するでしょう。」:アンチキリストが最初に契約を結ぶ時、彼はユダヤ人が燔祭を再開することを促し、宮と祭壇を再建させさえするかもしれない。しかし、ここで彼はその契約を破る。(ダニエル8:11、11:31も参照)

  7年間の半ばに、彼は契約を破る。それは確かだ! しかし、私達はその時期を限定してしまわないほうがいいだろう。もし契約が秘密に結ばれたとすると、契約を破るのも秘密にされるかもしれない。アンチキリストの即位や、自分が神だと宣言することでさえ、すべて秘密裏にされている可能性もある! 最初のうちは! (つまり、私達はたった今、最後の7年間にいるという可能性もあるわけだ。今が最後の3年半の期間であるとも考えられる!)

  「また憎むべきものは広がり、荒廃をもたらすでしょう。」という聖句については、多くの聖書学者は、(A)宮と犠牲を荒らす、この憎むべきものは、その時に立てられるアンチキリストの像、「荒らす憎むべきもの」であると考えている。ダニエル11:31と12:11の両方は、ユダヤ人の常供の燔祭が廃されると同時に、その偶像が立てられることを示しているように取れる。イエスご自身も、マタイ24:15,21 で「預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たならば、その時には、大きな患難が起こる!」と言われた。(ダニエル8:11,13とマタイ24:21の解釈も参照)

  それが起こると、ただ、トラブルばかりが続く! 憎むべきものが広がるだろう! さて、「憎むべきもの」は、「荒らす憎むべきもの(マタイ24:15, ダニエル11:31,12:11)と事実上同じ用語である。「憎むべきものは広がり、荒廃をもたらすでしょう。」 アンチキリストは宮を荒らし、エルサレムを荒らし、世界中で、彼を崇拝してその刻印を受ける者を霊的に荒廃させる。

  アンチキリストがユダヤ人の燔祭を止める時、この「荒らす憎むべきもの」がちょうど最後の7年の半ばに立てられるなら、患難期の長さが正確にわかるだけではなく、イエスキリストの来臨の正確な日付もわかる! それを3年半前に知ることができる!(マタイ24:36の解釈を読んで下さい)

  つまり、この解釈によると、アンチキリストが最後の7年間に契約を破り、ユダヤ人の常供の燔祭を廃する時、彼は同時に荒らす憎むべきものを立てる。これによって大患難期が始まるのだ。患難は3年半(1260日)続き、イエスキリストの来臨で終わる!(マタイ24:29-31)解釈(B):13ページの左側の解釈(B)参照。

    「そして終わりとなり」英語の聖書で使われている consummation という言葉は完成という意味だ。幻が完成される、言いかえれば終わるということである。ダニエル12:11,12の解釈によると、イエス・キリストの再臨する7年目の終わりにさえも、これは完成されてはいない。それは神の怒りや、その後に続くハルマゲドンの戦いまで続く。その時、「悪しき者は、主のくちびるの息をもって殺される」「小羊(イエス)の口から出るつるぎで‥‥切り殺された!」(イザヤ11:4,30:27-28、黙示録19:20)

  「ついに定まった破滅が、荒らされたものの上に注がれるのです。」 イエス・キリストの再臨の直後に、神の怒りがその荒らされたものの上に「注がれる」!(黙示録15,16章参照) 黙示録14:9,10にはこう書いてある。「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯に、混ぜものなしに盛られた神の激しい怒りのぶどう酒を飲む!」

  私達が天国で小羊の婚宴をしている時、地上にいる、キリストを拒んだ邪悪な者達は、神の怒りの杯に苦しむ! 彼らが地上の地獄を味わっている間、私達は天国での天国を楽しむのだ! それから私達はハルマゲドンの戦いで、主の敵を負かすために、王の王宮、新しいエルサレムから、空を駆ける雄々しい白馬に乗って、地上に降りて戦いを挑む!

  「荒らされたもの」について、伝道師の間で以下のような意見がある。(A)desolate(荒らされたもの)という言葉は、本当はdesolator(荒らす者)にするべきではないか。なぜならアンチキリストは荒らす者であるし、神の怒りが彼の上に降りかかる時、彼は荒らされた者(desolate)にされるからだ。

  しかし原語のヘブライ語では、この言葉は単に(B)「荒らされたもの」という意味だ。「荒らされた者」とは誰か? 世界中の人達、アンチキリストと彼の像を崇拝する者達のことである。なぜなら、彼はその人々の宮である心を汚し、最後まで荒らしまくるからだ! 「ついに定まった破滅が(神の怒りの杯が)その荒らされたものの上に注がれるのです!」

  「そして終わりになり」:この言葉(consummation)には、終わりという意味の他に、滅ぼされるようになる荒らされた人々という意味もある! つまり、この言葉は、神の怒りの杯が注がれ、ハルマゲドンの戦いが終わる時を指している。(黙示録16:16、19:19-21)

  以上が驚くべき「ダニエル9章」の物語である。これは、聖書の中でも、一番素晴らしい預言が含まれている章で、キリストの最初の来臨、それにキリストが「断たれ」十字架にかけられるのが何年に起こるかまで記されている!

  イエスはどうして十字架の上で死なれたのだろうか? それは、あなたを愛しているからだ。あなたに神の愛と永遠の命を与えるために、父の御元を離れて、あなたの身代わりになって死ぬほど、あなたを愛しておられた! 他の預言にはこう書かれている。「われわれはみな羊のように迷って、おのおのの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を彼(イエス)の上におかれた‥‥その口には偽りがなかったけれども‥‥しかも彼を砕くことは主の御旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、(私達の)とがの供え物となすとき‥‥義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。」(イザヤ53:6-11−−B.C.750年に預言されたもの。)

  イエスはあなたのために死なれた! そして神は、このような驚くべき預言を与え、書きとめさせ、2400年にも渡って守ってこられた。それは、あなたの信仰が強められ、あなたが「神はそのひとり子(イエス・キリスト)を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者(あなた)が一人も滅びないで永遠の命を得るためである!」とういう言葉を信じるためである。(ヨハネ3:16)あなたは信じるだろうか?

  神はあなたを愛しておられる。そしてイエスはあなたの心の扉のすぐ外に立ち、あなたが扉を開けるのを待っておられる。イエスはこう言われた。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。誰でもわたしの声を聞いて、戸をあけるなら、私はその中に入る」(黙示録3:20)そして、新しい人生が始まるのだ! 神の御子であるイエスキリストを通して、神の素晴らしい愛がほしいなら、次の短い祈りを心から祈りなさい。

  「イエス様、私は今まで間違いや過ちを犯してきました。どうか許して下さい。あなたが神の御子であることを信じます。どうか私の罪を許し、あなたの贈り物である、永遠の命を与えて下さい! どうか今、私の心の中に入って下さい。そして、あなたの聖霊で満たして下さい! そして、あなたの愛を他の人に教えることによって、あなたのために生きることができるように助けて下さい! イエスの御名によって、アァメン。」

  この祈りを心から祈ったのなら、あなたの心には、今イエスがいる。神の御子があなたの心の中に住んでいて、神の聖霊があなたを慰め、じきに訪れようとしている患難の日々にあなたを強くしてくれるだろう! 現在起こっていることを良く知り、この世界史の最後の7年間に他の人達を助け、教えることができるように、主の御言葉を学びなさい!

 

 

 

1988, World Services, PF241, 8021 Zurich, Switzerland.

預言のクラス:ダビデ・フォンテイン。編集:ウォルター・ヨーク