天の楽園

第三部

 

主と子供たち

 

 その頃、散歩をしていて、ある光景に出くわした。主が湖畔の花咲く木の下に座り、そのまわりに10人あまりの年さまざまな子供たちが群がっていたのだ。それを見て、マエが以前、小さな子供に対する救い主の愛について語ったことを思い出さずにはいられなかった。1歳になるかならないかの小さな赤ん坊が、主の胸元に金髪の頭をもたれさせ、その腕に抱かれていた。両手には、水面の至るところに浮いているスイレンの花をいっぱい握りしめ、安心しきっている様子だった。その赤ん坊はまだ幼くて、それがどれほど大きな特権かには気づいていないだろうが、それでも主の愛を十分に感じ取っているようだ。あとの子供たちは主の足下に座したり、膝にもたれかかったりなどしていた。その内の一人は主の肩に寄りかかりながら真剣なまなざしで立っていて、主は右手でその子を抱いていた。すべての小さな視線が主に注がれ、子供たちは一言も聞きもらすまいと熱心に聞き入っている。主は、子供の好みと理解力に合わせて、何かとても心を奪われるような話をしておられるようだった。

 私は子供たちから少し離れた所で、何人かの人に混じって芝生に座り、主のおっしゃっていることを聞き取ろうとした。だが、遠すぎてあまり聞こえなかった。それに天国では、他の人が何かの特権や楽しみにあずかっている時には、それに立ち入らないのだ。それで私たちはただ、子供たちのほほえみや、熱心に質問したり感嘆したりする姿を見て楽しみ、耳に入ってきた言葉のはしばしをつなぎ合わせつつ、話のあらすじをつかんでいた。

 「ある子供が、地上の暗い森で迷子になった…」 子供たちの好奇心に満ちたまなざしに応えて、主が話しているのが聞こえた。

 次に聞こえたのは「ライオンと熊が…」という言葉だ。

 すると、一人の子供が心配そうに「お父さんはどこなの?」と尋ねた。

 その答は聞こえなかったが、すぐに救い主のひざに寄りかかっていた子供が安心したように、「こわいライオンや熊は、ここにいないよね!」と言ったのがわかった。

 「そう、ここでは、わたしの子供たちをこわがらせるものは、何もいないよ。」

 その後、話が進展してだんだん面白くなっていくと、子供たちはさらに主のそばににじり寄っていった。主は、肩に寄りかかる子供に優しくほほえまれ、その子を抱く主の腕に、他の子供たちももっと寄り添ってくるのが見てとれた。「レズリー、君ならどうするかい?」と主は質問された。

 すると、その子は瞳を輝かせ、色白の頬を紅潮させつつ、きっぱりと言った。「イエス様に、『ライオンの口を閉じて下さい』って祈ります! ダニエルの時のように、きっとそうしてくださいますよね!」

 それを見て私は思った。「ああ、CさんとHさんが、勇敢に答えるあの男の子に注がれた主のまなざしを見ることができたなら…。二人とも、子供を失った悲しみが癒(い)えるでしょうに。」

 しばらく感慨にふけっていて何も耳に入らなかったが、子供たちが物語の結末にすっかり満足した様子ではしゃぎ声をあげた時、我に返った。顔を上げると、救い主は赤ん坊を抱いて歩いておられ、子供たちが群をなしているのが見えた。

 「これが、神の御国だわ。」 主は、子供心を何とよくご存じなのだろう! 何と深く子供を愛しておられるのだろう!

 

湖畔の都市へ

 

 それで私も立ち上がり、帰途に着いた。さして行かない内に、義兄(あに)のフランクに会った。「湖畔の街へ行くのだが、一緒に来ないかね?」

 「まあ、かねがね行きたいと思っていましたの。でも、お義兄さまが良しと思われるまで、待った方がいいかと思って…。」

 するとフランクがこう言った。「天の知識をずいぶんと速く習得しているようだから、もうどこでも一緒に連れて行ってもいいぐらいだよ。あなたは、教えられることを学ばなくてはという義務感からではなく、ここでの知識を身につけたくてたまらないからそうしているようだね。真理をすべて学び取りたいという熱心さに加えて、試練が大きいと見て取れるような時でも従順に辛抱強く待つ態度が、愛する主からの賞賛と愛をかったのだ。主は、この天国の人生で私たちみんなの成長ぶりを熱心にごらんになっているから。これは知っておいてもいいと思うのだが、私たちは、その方法は違いこそすれ、地上と同じように、ここでも励ましを必要としている。このことを話したのは、主からのおゆるしを受けてのことだ。そして、主の命令ではなく、私の判断するところから言うのだが、あなたも間もなく使命を授かるだろう。」

 この賞賛の言葉を聞いた私の胸中は、地上の言葉ではとうてい言い表せない。予想だにしていなかった言葉だ。義兄が言った通り、私は伝えてもらった知識を熱心に習得していたが、それは、この恵みあふるる人生に存在するものをことごとく学ぶのが、ただただ楽しかったからなのだ。だから、それに対してほめ言葉をもらうなど、思ってもみないことだった。ましてや、今、主ご自身から温かく認めていただくなんて! この幸福感に私は圧倒されんばかりだった。

  「お義兄さま、お義兄さま!」 喜びがあまりに深くて、後の言葉が出なかった。あまりに唐突で、うれし涙で義兄の顔を見るばかりだ。

  義兄は私の手を優しく握ってこう言った。「私も嬉しい! 天国にも報酬があるのだよ。おまえの無欲の努力が実って、こんなにも早く報酬を受け取れるなんて、私も心底よろこんでいる。」

  主のくちびるからこぼれる尊い知恵の言葉を一つ残らず思い出すことができたら良いのに。日に日に繰り広げられるこの素晴らしい人生の出来事を、毎分ごとに物語れたらよいのに。しかし、私に言えるのは、「いえ、それは無理…」の一言だけ。この決して忘れられない時のことを記録し始めた当時、私はその先どんな難儀を抱えることになるか、気づきもしなかった。この真理を克明に明かすべきだろうか、目に映る景色をそのまま描くべきだろうか、と幾度真剣に考えたことだろう。素晴らしい景色を描写しようとしても、結局、「この神聖な秘密はあえてあらわにせずにおこう」と思い、肝心の部分はしばしば省くことになってしまうのだ。これを物語にしようとして、苦労しつつ書いても、書き始めた時に期待していたような出来上がりには全く及ばないということに気づいて、がく然としてしまう。だが、これを読まれる方々に伝えたい。これは私の想像の産物ではなく、私の霊が勝利をもって肉体から昇華した時に見た来世のありさまを、そのまま描いたものなのだ。

 私と義兄は、またゆっくりと湖の岸へと向かい、近くに浮かんでいた小舟に乗った。舟はすぐに、向こう岸にある大理石でできたテラスのような船着き場に到着した。これが湖畔の都市の入り口だ。この舟がどんな動力で進むのかは見当もつかなかった。私たちが湖を渡った舟には、こぎ手もいなければ、エンジンも帆もなかった。しかし、舟は滑るように前進し、目的地まで安全に運んでくれたのだ。

 

天の都、でも教会はない

 

 舟が大理石のテラスに着くと、物思いにふけっていた私もわれに帰った。義兄はもう立ち上がり、舟から降りるのを手伝おうと、私を待っていた。なだらかな坂を上ると、都の中央に続く大通りに出た。私が見た通りは、どれも広々とし、平らで、大理石と、様々な貴石で舗装されていた。通りには大勢の人が様々な用事で歩いていたが、くずやちりのかけらすら、どこにも見あたらなかった。大きな営業用の建物がいろいろとあるように見受けられたが、どれも、私たちが思うような商業的な会社とは似ても似つかなかった。大学や学校も数多くあった。書店、楽器店、出版社も…。大きな工場もあり、そこでは多種多様の色をした上等の絹糸を紡いでいた。これは私が前に述べたようなカーテン地によく使われている。アトリエや画廊、図書館、講堂、それに大きな公会堂もあった。

 しかし、教会だけはどこにも見あたらない。初め、これはどうしたことかと疑問に思ったが、すぐに、天国には宗派はなく、すべての者が愛に満ちた一人の父なる神の子供として、調和と愛の内に礼拝するのだということを思い出した。「ああ、そうだったわ。この天の偉大なる摂理を地上に住む人たちに告げることができないなんて、なんと残念なことかしら! 教会熱心な人たちのつまらない論争や、妬みや、競争もなくなるだろうに! 天には宗派がないのだわ! 教義の違いによる論争もない! 信心ぶったキリスト教徒が誰かを異端だと糾弾することもないのだわ。ある宗派が没落し、衰退した後に、別の教派が立てられることもない! あるのはただ、キリストを頭とし、愛がそのかなめとなる、偉大な兄弟愛だけね。」

 私は、自分が住む町の大公会堂で、愛する主の神々しい話しぶりに耳を傾けた、あの日のことを思った。その時、聴衆は頭をたれ、歓喜の声を上げ、すべての声が溶け合って栄光に満ちた聖歌を歌った。「万物の主に冠を!」 そして私は、いつの日か恥にうなだれる人々のことを思い、涙が出そうになった。彼らは、地上の人生で同胞のクリスチャンに対して幾度も、「我に近寄るべからす。我、汝よりも清し!」と言ったことを思い出して、恥じることになるのだ。

 都の中央には住居は一つも見あたらなかったが、郊外に出ると立派な家が建ち並び、見事な眺めだった。一つ素晴らしいのは、どの家にも広い庭があり、木々が生い茂り、花が咲き乱れ、気持ちの良い散歩道があることだった。ビジネス街の外部には至る所に家々があって、まるで巨大な公園に美しい家が散在しているかのようだった。

 この大きな都には様々な魅力や驚きが多々あった。それを全部話すことはすまいが、とても忘れられるようなものではない。ある所にとても大きな公園があり、そこには歩道、車道、噴水、小さな湖、木陰のベンチなどがあった。しかし、住居や建物は一つもない。ただ一つ巨大な円形の屋外聖堂があり、座席が何百席もあった。義兄が教えてくれたのだが、そこでは セラピム*の聖歌隊が毎日決まった時間に、地上と天国の大作曲家が作曲したオラトリオ*を歌うのだそうだ。聖歌隊は退場したばかりのようで、その神々しい音楽を堪能した聴衆は、余韻に浸っており、まだこの神聖な場所を去りたくないかのようだった。*(オラトリオ:合唱とオーケストラのための曲。特別な衣装や背景、演技はなく、宗教的題材を歌ったもの。)

義兄が言った。「オラトリオの時間を覚えておいて、改めて聴きに来よう。」

 

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 *セラピム:イザヤが神殿で預言者としての召しを受けた時、神の幻に出てきた天使、あるいは天界の生き物。(イザヤ を参照)この不思議な生き物について語っているのは、聖書でこの箇所だけ。セラピムにはそれぞれ6つの翼があり、その2つで飛びかい、2つで足をおおい、後の2つで顔をおおっていた。セラピムは神の御座のまわりを飛び、賛美を歌って神の栄光と威厳を知らしめた。(ネルソン聖書図解辞典より)

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深い森と大草原

 

 私たちは広々とした田園に出て、花が咲き乱れる草地とうねる草原をしばらく歩いた。まだそこも公園の一部だった。そうしている内に、とても大きな森に入り込んだ。巨人が身を揺らしているかのように、木々が頭上にそびえ立っている。一日は終わりに近づこうとしていた。何と驚きと喜びに満ちた一日だったことか!

 隣を歩いていた義兄は何か考え事をしているようだったが、普段よりもさらに優しさが感じられた。私も、こんな時分に家を遠く離れていったいどこに行くのかなどと尋ねはしなかった。もはや恐れや疑いや疑問が、私の魂の静けさを波立たせることはなかったからだ。森には木々がうっそうと茂ってはいたが、黄昏(たそがれ)時の黄金色の輝きが木々の下方を照らし、頭上で揺れる枝からは、あたかも大聖堂のステンドグラスから注ぐ光のように木漏れ日が輝いていた。

 しばらく歩いて森から出ると、そこは広々とした草原だった。目の前に広がるこの果てしない草原のかなたからは、波の砕ける音がかすかに聞こえる。聞いたことはあるが、まだこの目では見たことのない、あの永久(とわ)の海だ。あたりは静寂に包まれ、遠くからかすかにこの残響が聞こえるのみだった。私たちはしばしの間、この美しく忘れがたい光景に見とれていた。

 さて、帰ろうとすると、意外なことに義兄は森の中には入って行かず、そのまま草原を進んで行った。しかし、二本の川が合流している所に近づいて、私は、「ああそうか、森と湖を通らずに、川を通って帰るのだな」と気がついた。

 

川に浮かぶ家

 

 川までたどり着き、岸辺のボートに乗り込むと、すぐにボートは家の方向へと進み始めた。途中に過ぎゆく美しい景色は以前には見たことがないもので、私はいつか仕事の合間にゆっくりと見に来よう、と心に決めた。川の両岸には、水際からつながっている美しい庭に囲まれた屋敷が並び、その光景は走馬燈のように巡り、いつまで見ていても飽きないほどだった。家に近づいた頃、ボートは姉の家を通り過ぎ、姉夫婦が、窓からうっとりしたまなざしで外の光景を眺めている姿がはっきりと見えた。

 私と義兄は、帰途、ほとんど言葉を交わさず、ここかしこで繰り広げられる幸福なだんらんの風景に見入っていた。通り過ぎる家々のベランダや階段は、幸福そうな住民たちでいっぱいだった。喜びの声や歌が絶えず聞こえ、花が咲き乱れる芝生で遊ぶ子供たちが、楽しげな歓声と笑い声をあげている。ついに私は沈黙を破った。

 「地上でよく聞いた歌を天国でも聞いて、驚いたことが何度もあるわ。」

 「それは偶然ではない。素晴らしいことに、地上で楽しんだ数々の純粋な喜びを、ここでも味わうことができるんだよ。私たちがこの人生は以前の人生の続きであると気づくことは、父なる神の喜びだ。ただし、ここには不完全なものや、心配事はないが。」

 「フランク義兄さん、私にはここに四人友達がいますけれど、私に、地上にいる家族やお友達のことを尋ねなかったのは、お義兄さんだけね。どうしてですの?」

 義兄は、さも愉快なことのように微笑んでこう答えた。「きっと、私の方があなたよりもずっと向こうの様子をよく知っているからかもしれないね。」

 「そんな気がしていましたわ。」 そう言ったのは、私がここに来た日、父が義兄のことを『主のおそばに立っている』と言っていたことをはっきり覚えているのと、しばしば任務に遣わされているのを知っていたからだ。

 家に着きソファに横たわる私の胸は、言葉に尽くせぬ喜びと感謝と愛で満ちあふれていた。私は、組んだ両手を上にかかげて祈った。

 「わが救い主よ、私は、この天国での全生涯をかけてでも、また、あなたの光の天使たちからのすべての助けを借りてでも、あなたがわたしの前に置かれた目標を目指します。」

 祈りの言葉がまだ終わらぬ内に、私は天ならではの安らぎに満ちた休息に入った。

 

悔い改めた息子の心のいやし

 

 私の生活は天国の時間と共に流れ行き、いつの間にか年月が経って、私は天の神秘を日々、ますます深く勉学していった。義兄に天の王国のいろいろな場所に連れて行ってもらう時、私は道すがら様々なことを教わったり、見聞きしたりして知識を得ていたが、学ぶのに飽きるということは決してなかった。地上での生活のように仕事が折り重なって好きなことができなくなるとか、願いがかなえられないとか、達せぬ目標めざして無駄にあがくなどということもないので、社交的な楽しみの時間に事欠くことは一度もなかった。父の家でもずいぶんと楽しい時間を過ごしたし、ごくたまには、新しい人生の仕事や責任に対して備えがほとんど、あるいは全くなかった人たちを助け導くという父の仕事に連れて行ってもらったこともある。

 ある時、父が私にこう言った。「今、この仕事についてから遭遇したこともないような難儀を抱えている。立派な人生から突然犯罪の深みにはまってしまった男を、どう教えるかについてだ。一緒に川に来るように何度も言ったんだが、決して来ようとしない。川に来れば、地上のしがらみも頭からきれいに取り去られてしまうというのに。彼のお決まりの言い訳というのはね、神の大きな恵みによって天国の門をくぐれたのだから、生活も楽しみも一番下でいいというんだ。いくら説得しても、諭(さと)しても、彼の心を変えることができなくてね。彼は悪い女にのぼせあがって道を外し、このろくでもない女のために宝石を手に入れようとして、年老いた母をあやめてしまったんだ。それで死刑になったんだが、最期(さいご)には心から悔い改めた。しかし、死んだ後も、自分は何と恐ろしいことをしでかしたのかという思いが、彼の魂からぬぐい去れないのだ。」

 「その人はこちらに来てから、母親に会われたのですか? 母親は息子がここに来たのを知っているのですか?」

 「いや、母親はこちらに来てからずっと一人きりだよ。息子がもっと良い状態になって、母親を受け入れられるようになるまでは知らせない方が賢明だということなんだ。彼は一人息子で何不自由ない暮らしをしていたのだが、女にすっかり操られてこんな不徳を犯してしまった。聞くところによると、女は彼の酒に薬を盛って、その効き目でこんな恐ろしいことをするように駆り立てたのだそうだ。母親はその女と対立していて、女はたいそう母親を憎んでいた。酒の効き目が切れた時、彼は自分のしたことにぞっとして、女への熱も冷めたのだが、もう手遅れだった! 刑務所にいる間中、彼はその女に会おうともしなかった。」

 「刑務所にはどれぐらいいたのですか?」

 「一年近くだよ。」

 「主にはもう会いましたの?」

 「いいや、どうしても会いたくないと言うんだ。心から悔い改めており、自分は神の怒りを受けて当然なのに、それを免れたことを感謝している。しかし、罪がゆるされたと知りながらも、聖なる主の御前に立つことはどうしてもできないと言うのだ。それに、ここでも地上と同じように、誰でも主を受け入れるには備えができていないといけないからね。主は、人から望まれない場所には決して行かれない。実は私は、上の地位の者の助けをまだ要請していない。自分に任された力でこの弱き者を上に引き上げてやりたい、というのが私の願いなのだ。その心に働きかけられるよう、何か知恵を貸してもらえないだろうか?」

 「母親よ。母親に会わせるのはどうでしょう?」

  父は少しの間考え込んで、こう言った。「女の直感か。よろしい、連れてきなさい。」

 

天国での寛大さとゆるし

 

 私はすぐに出かけた。そして、哀れな母親を見つけると、事情を穏やかに説明したうえで彼女自身の決断を待った。母方には何の躊躇も見られなかった。「ああ、私の息子! ええ、もちろん、すぐに参りますわ。」

 私たちを待っている父に会い、直接、彼女の息子のような「生徒」たちがいる大きな「ホーム」へと行った。公園の中央に位置するきれいな建物で、木陰になった歩道と、噴水があり、花が一面に咲き乱れていた。地上から解放されて来たばかりの者ならば、まさにパラダイスのような場所だろう。しかし、天国のたぐいまれなる享楽を味わった私たちにとっては、何かが欠けているようだった。ここには美しい邸宅もなければ、芝生で戯れる子供たちもいない。天使の歌声も聞こえては来ない。私たちが味わった楽しみに比べると、ここは全く精彩を欠いていた。

 見渡すと、花咲く木の下に、私の父が渡した本を熱心に読んでいる若者がいた。表情は穏やかだったが、それは輝くような喜びと言うよりは、むしろ、あきらめきった受難者の顔であった。母親は息子に歩み寄り、父と私は後ろで見守っていた。少しして、息子がふと顔を上げた。そして、母が近くに立っているのに気づいて、表情がこわばった。さっと立ち上がる息子に、母は両手を差し出し、こう言った。「ジョン、可愛い私の息子。私のところにおいで。おまえに来てほしいの!」 言葉はそれで十分であった。

 彼は母の足下にひざまずき、そのひざをにぎりしめ、むせび泣いた。「お母さん! お母さん!」

 母は上半身をかがめて息子を優しく抱きしめ、そっと自分の胸元に引き寄せて、下を向いたままの頭にキスを浴びせた。ああ、母の愛は地上でも天国でも何と暖かいことか! それに優る愛は、ただキリストの愛のみだ。自分を守り、支えてくれるはずの息子から残忍な扱いを受けて天国に送られたこの母が、悔い改めた息子の上に身をかがめている。その心は母の愛で満ち溢れ、息子に注がれた優しいまなざしの中にその愛が輝いていた。気がつくと、父は感動を隠そうとうつむき加減にしていた。私の目も涙で濡れている。

 ここに来る前、父は母親に、まず最初に息子を川に連れて行かねば、と言っておいた。それで、彼女が優しくこう言うのが聞こえた。「おいで、ジョン。私のためと思って、一歩踏み出しておくれ。いつか、私の家でおまえの姿を見たいんだよ。ジョン、お母さんと一緒においで。」

 母が手を優しく引くと、嬉しいことに、息子は立ち上がって母の後をついて行った。そして二人は川の方へと歩いて行ったのだ。手をつなぎ、私たちの視界を去るまで、母はずっと息子を慰め、励ましている様子だった。

 「神に感謝!」 父が力をこめて言った。「もう問題は起こるまい。川から戻って来た時には、彼はもっとはっきりと理解できるだろうから。」 そして、まさにその通りになった。

 この後、天の許しによって私は父のパートナーとして働くことが多くなり、父の仕事の関係で接する人々と会ったり、父の指示を受けることが前よりも増えた。

 

夫の到着

 

 天の生活の喜びと仕事に入ってから、地上の暦で言う三年ほど経ったある日のことだった。私は天界の遠くの都市での骨の折れる任務から戻って、階上のベランダに座って休んでいた。ベランダのこの位置からは、垂れ下がる木の枝の間から美しい川が見える。義兄は、私を見つけると、そばの安楽椅子に身を投げ出して、少しの間、何も言わず、身動きもせずに横たわっていた。義兄は任務があってしばらく家を留守にしていた。時にはどこに行ってきたかを教えてくれることもあったが、今回、私には何も言っていないし、私も何も尋ねていない。私が知るべきことであれば、きっと教えてくれるので、何も聞かない方がいいとわかっているからだ。私の最近の仕事はどれも責任がかなり重く、毎日のように天の王国内の遠い場所まで赴(おもむ)かなければならなかった。

 休んだ後、ようやく義兄は上体を起こして座り、無言のまましばらく私を見つめていた。そして、静かに言った。「妹よ、あなたに知らせたいことがある。」

 その瞬間、私は体中に電流が走ったような興奮を覚え、とっさに喜びの声をあげた。「あの人が来るのね!」

 義兄は「そうだよ」と言うように笑みを浮かべてうなずいたが、すぐに返事はなかった。そして少しの沈黙の後、こう言った。「申し分ない健康状態だったのが仕事中に突然倒れてしまって、それ以来意識が戻っていないのだ。地上でも決して意識は戻らないだろう。」

 「会いに行ってもよろしいでしょうか? 私はどうすればいいのですか? たとえ自分の願いに反していても、私がお義兄さまの判断にお任せすることは、ご存じでしょう?」

 義兄が答えた。「行くな、とは言わない。もし来たいならば一緒に来てもいいよ。ただし彼は、この急激な変化で困惑もあろうから、それから抜けきって、命の川の水に浸かってからの方が、これからの喜びの再会にふさわしいことだろう。あなた自身、水に浸かってどうなったか、覚えているね? あの朝、私と一緒に川に行くまでは、あなたも当惑し、心が重かっただろう?」

 「お義兄さまの言うことはいつもその通りだわ。一刻も早くあの人に会いたいのは山々だけれど、お義兄さまの知恵あるお言葉に従います。」

 義兄は立ち上がり、私の上にかがんで額に軽いキスをしたかと思うと、さっと私の前から去って行った。私はひじをついた手に頭をもたれさせて、悲喜こもごもの思いだった。愛する夫は苦しんだのかしら? ああ、再会の朝が一刻も早く訪れたらいいのに! 愛する人の顔を見るその瞬間が、何と待ち遠しいことか!

 

主の御手に触れられて…主との会話

 

 すると突然、うつむいたままの頭に何か柔らかい感触を感じ、私が天でも地でも何よりも愛する、かの聞き覚えのある声がした。「わたしは、彼は死んでもよみがえると言わなかったかね? もうすぐ会えるのだから、長年待ったかいがあっただろう? さあ、おいで。少し話をしようではないか。」 主は私の顔を見下ろしてほほえんだ。それから差し出した私の手を取って隣に座り、話を続けられた。「さあ、今まで待っていた年月がどう益になったか、考えてみよう。愛する夫と離ればなれになった当初よりも、今の方が幸せを享受できる状態になったと思わないかね?」

 私は喜んでうなずいた。

「それに、今あなたは以前より高められ、人生や仕事についてもっと高い理想を持っているし、父なる神の力にもあずかっているのだから、これからあなたがた夫婦は共に、さらに向上できるとは思わないかな?」

 私は再び、喜んでうなずいた。

 「ここの生活は地上のよりも退屈かね?」

 「まあ、そんな! 絶対にそんなこと、ありませんわ!」

 「それでは、間近にせまる再会にあたっては、ただ喜びがあるのみだね?」

 「ええ、喜ばしい限りです。」 

 それから、救い主はすぐ到着する夫のことを尋ねたので、私は喜びに満ちた心からありのままに、愛する夫の気高い人生や、自分を顧みずに労苦する姿、彼が抱いている高い理想、堅い信頼心などについて話した。また、逆境にあっても夫が抱く不屈の精神、辛い試みや落胆に直面した時の勇気、誰かの悪意によって傷つけられた時にもそれをゆるしたことなども話し、最後にこう結んだ。「夫がキリスト教信者としての人生を生きたことは、多くの方々が公言していますわ。夫はその面では常に私をしのいでおりました。」

 私の話に耳を傾ける主の顔が輝いた。主と話しているそのひとときに、私の魂は早朝のひばりのように高く舞い上がった。主は天での人生についていろいろな神秘を明かして下さり、私の心は歓喜で溢れた。しかし、それについて語るのはここでは控えておこう。ずっと話し込んでいると、驚いたことに空いっぱいにバラ色の光が広がり、天の夜明けが来たとわかった。主は立ち上がってその光を指さした。「あなたに夫を迎える準備ができた頃、二人はここに来るだろう。」 主は笑みを浮かべ、祝福の意味で私の体にそっと手をかけ、その場を去られた。

 私も立ち上がり、これから始まる一日を思って上を向いて立っていた。すると、近くで意気揚々とした天使たちの歌声が聞こえてきた。まるで私の思いを見通しているかのように、こう歌うではないか。「主はよみがえれり! 聞け、もろもろの天よ、地の息子たちよ! 主はよみがえれり、眠りし者の初穂となれり!」

 私も喜びの声をあげ、その歌に歌声を重ねた。天使たちが通り過ぎ、リズムも聞こえなくなってから、私はゆっくりと階段を降りて芝生を横切った。ここの花は、踏まれても、つぶれたりしおれたりしない。長年待ちこがれた夫が来るとわかっているが、急いだ気持ちや、必要以上の興奮、また不安はなかった。主が来て下さったおかげで、私はどんなものにも邪魔されない平穏と安らぎに満たされたのだ。

 すると、話し声と足音が耳に入った。そう、昔の生活でよく聞いたあのなつかしい足音だ。いつも心に喜びを、我が家に陽光をもたらしてくれた、あの足音! それが天国で聞けるなんて! 駆け寄って門を開けると、愛する夫がたくましい腕ですぐさま私をしっかり抱きしめ、高鳴る胸に引き寄せた。天国にもこれ以上の贈り物があろうか!

 義兄は心くばりから、私たちを通り越して二階の部屋に行った。それで、地上で長年、幸せな人生を共にした私と夫は、しばしの間二人きりになった。

 「ここは本当に天国なのだね。」 夫が言った。

 一緒に花の間を通り過ぎると、夫は部屋の出口に立ち止まってその美しさに見とれていた。だが、義兄から聞いた通りにその部屋がどうしてできたかを説明しようとすると、夫はこう言うのであった。「いや、また今度聞くよ。今日はおまえのことしか目に入らないし、耳にも聞こえない。天国の他のことは全部、後になってからだ。」

 それで私たち二人は腰を下ろして昔のように語り合い、幸福に満ちた時間が経って行った。気づかぬ内に一日の半分が過ぎ、日はいつもの黄昏の輝きにとけ込んでいった。義兄のフランクは昼時に私たちの所に来て一緒にこのきれいな家を案内し、広いベランダに立って、天の果実もとって食べた。それから三人で腰をかけたが、そこはちょうど私が夫を待ちながら主と共に何時間も過ごした場所であった。私は夫と義兄に、主がどんなことを話して下さったか、また、一人寂しく待ちわびる長い時間を、勝利に満ちた喜びの時間に変えて下さったことなどを話した。愛する夫の目が涙で溢れ、彼は私の手をぎゅっと握りしめたまま、私を思う気持ちのゆえに、その手を離そうとはしなかった。

 

天の大海

 時は日となり、週となり、月となって過ぎて行った。ここに来てから、もう何年にもなる。天での任務と喜びは、過ぎゆく時ごとにますます鮮やかになっていった。私たちの家庭生活は、完璧で申し分なかった。ただ、息子夫婦が到着して、家族が一人残らず揃う日が待ち遠しいのみだ。天の海に行ってみようという話は何度も出たが、なかなか良い頃合いに恵まれずにいた。

 そんなある夜、私は義兄にこう言った。「なぜか、無性(むしょう)に海に行きたくて仕方ありませんの。お義兄さまが良いと思われるなら、ですが…。」

 「それはいい考えだ。私もお前に行ってほしいと思っていたのだ。ちょうど、海に行ったらどうかと言う所だったんだよ。今回、私は残ろう。二人きりで行った方がいいからね。」

 それで、輝きに満ちた朝の光の中、このような旅行ができるのだという神聖な喜びに胸をふくらませて、私たちは旅路についた。二人は、黄金色の木洩れ日がさし、見事な羽で覆われた鳥がいて、歌声が至る所で放たれている大きな森を通り抜けた。海に近づくと、寄せては返す波の音が聞こえる。すると、まるではじけるような勝利の歌と、幾多もの楽器のハーモニーが耳に入った。森から出た私たちは、しばらくの間、目の前に広がる光景の輝かしさに圧倒されて、呆然と立ち尽くした。足下からは、なだらかな黄金の砂浜が、水辺まで何百メートルも、遠くまで果てしなく広がっている。

 そして、海ときたら! 私が知っているどんな言語でも言い表せないような輝きをたたえている。うねる波の上に一瞬キラッと輝く光、はてしなく深く、はてしなく広いこの海の青さ…。光る海原のあちこちに浮かぶ舟は、方々の国からのもので、大勢の人を乗せていた。乗客は期待に胸をふくらませて岸辺を見ている。多くの者は今か今かといったまなざしで立ったまま、岸辺で待つ人々を見つめていた。

  そして、岸辺で待つ人々! 救われた者が着る、しみひとつない衣をまとった美しい群衆…。その内の多くは、金色の竪琴や、様々な楽器を手にしていた。舟が岸辺に着くごとに乗客を迎える歓声が上がり、人混みの中で暖かい抱擁が次々に交わされた。竪琴が持ち上げられ、金色の楽器が皆鳴り響く。そして群衆は、死と墓に対する勝利の歌を一斉に歌い出すのだ。

 「この人たちはいつもここに立っているのかしら?」 私は小声でそう尋ねた。

 「いつも違う人なんですよ。」 近くで私の問いかけを耳にした、光輝く人が答えた。「でも、ここにはいつも人がたくさん集まっているんです。向こうの世界からやって来る友を待つ人や、喜びを分かち合いにここに集まってくる人たちでね。天の合唱隊も何人かはいつもここに来るんですが、同じ人とは限りません。見ているとわかるでしょうが、ここに着く人はたいがい、静かに友に連れて行かれるんですよ。とにかく、絶えず大勢の人が新しく天国の群衆に加わっています。」

 その男性は岸の方に向かって行き、残った私たちはただただうっとりするのみだった。間もなく、私たちも、人々の再会の様子を見るのに夢中になり、次第に自分たちも歓喜の合唱に加わった。時折、地上で見覚えのある顔が、舟から熱心に岸辺を見つめる人たちの中に見られたが、以前親しくしていた人は誰もいなかった。それでも、愛する友を迎える人たちにもっと同感できたし、その気持ちがよくわかった。妻が、待ちかねていた夫に抱擁される姿が見える。次は、歓声をあげて幼い子供が母の両腕へと飛んでいく姿。友は友との喜びの再会に抱き合い、こちらでは年老いた母が、愛する子供に抱きかかえられている。

 頑丈そうな美しい舟がもう一艘(そう)、波の上を優雅に進んでくると、へさき近くで、背の高い男性が隣にいる上品な女性の肩を抱いて立っているのが見えた。二人とも、まぶしく映る光景に目の上で手をかざしつつ、岸に近づく舟から群衆をつぶさに眺めている。すると急に、私の胸に感動がこみあげた。「息子だわ。息子とそのお嫁さんだわ! 一緒に来たのね!」

 無我夢中で人だかりをかきわけて前に出ようとすると、皆、思いを察して優しく道をあけてくれた。舟が岸に着き、二人はすぐさま私たちの所に来た。息子の嫁は、水際で待ちかねていた彼女の両親と抱き合って喜び、愛する息子のほうは私と夫をその腕で抱きしめた。その後、私たちは一人ずつ抱擁をかわし合ったのだった。何と歓喜に満ちた瞬間だったろう! これで、私たちの家族がみな天国に揃ったのだ。もう永遠に、離ればなれになることはない! 期待もしていなかった無上の喜びに、互いに腕を回しながら立っていると、天の聖歌隊の歌声が聞こえてきた。喜びに輝く顔、うれし涙に溢れる目、感動にふるえる声で、私たちも皆、喜びの聖歌に声を合わせた。

 群衆も次々とそれに加わって、歌声は壮麗に高まり、また静まった。すると、荘厳さを増しゆくメロディーに、押し寄せる波が背景の音楽となって深く響いている。私たちは頭をたれ、感慨で胸いっぱいのまま、互いの手を握ってその場を去った。そんな私たちに注ぐ光は、今までにないほど清く、神聖であり、神々しかった。

 

生還

 

 その日、私は美しい自分の部屋で横たわり、短い休息を取っていた。今ではこの部屋は私にとって聖堂のような存在になっている。ふと、奇妙でぼんやりした思いが脳裏をよぎった。こんな思いは何年かぶりだ。私は当惑し、うろたえ、落ち着かない気持ちでベッドから起き上がった。しかし、疑問と恐れにも似た感情を抱きつつ、また床に着くのみだった。いったいどうしたのだろう? 地上の心配がこの天の安息の住みかにまで忍び入ったのだろうか? すると、聞き慣れた声がした。

 誰かが話している。「ここ数日間より、顔色が良くなってきたようよ。」

 「ああ、確かに今日は調子が良いようだ。希望が出てきた。それにしても、天国の門をくぐる寸前だったなあ。」

 「ええ、本当にその寸前でしたわ!」 まるで私が門をくぐっていなかったかのような話しぶりだ。だが、帰って来る時に、その門は開いたままで来たので、そこから漏れ出す天の光の輝きは、私の人生に永遠に降り注ぐことだろう!

 

 

著者について

 

 リベカ・ルター・スプリンガー。1832年11月8日、インディアナ州インディアナポリスで生まれ、1904年死去。父は、メソジスト監督教会の牧師カルビン・W・ルター。1850年、オハイオ州シンシナチにあるウェズレー教派女子大学を卒業。著書は、「Intra Muros」(天の楽園、1898年)のほか、「Beechwood」(1873年、小説)、「Self」(1881年、小説)、「Songs of the Sea」(1889年、詩集)、「Marcus and Miriam」(1908年)

 夫ウィリアム・マッキンドリー・スプリンガーは、1836年3月30日、インディアナ州サリバン郡ニューレバノンで生まれる。1858−1862年、新聞の編集者と記者をつとめる。1859年にリベカと結婚し、同年、法曹界に入る。1862年、イリノイ州憲法制定議会の書記官に指名され、1872年にはイリノイ州議会議員に選出される。1875年には国会議員になり、1895年まで務める。議員在職中には、歳入委員会、保護区委員会、銀行及び貨幣委員会など、重要な委員会の議長をつとめた。オクラホマ州のインディアン保留区を組織し、そこの司法体制を創り出した、スプリンガー法案の草案者。また、ワシントン、モンタナ、南北ダコタを合衆国の州にする法案の草案者でもある。また、大統領の任期は二期で切れることを先例とする下院決議案を最初に提案した人物でもある。(実際に憲法の修正がなされたのは、それから何年も先のことである) この決議案は大いに支持され、世間から不正をしたと信じられていたグラント大統領が三期目の再指名を受けられないようにするのに、著しく貢献した。

  1895年から1899年(リベカは、この期間にIntra Murosを書いた)、彼はインディアン保留区の北部区域で連邦裁判官を務め、インディアン保留区の連邦上訴裁判所の裁判長にもなった。1900年、ワシントンに戻り、再び弁護士となる。1903年に死去。