キリストの律法

「完全な自由の律法」対 宗教的な律法主義 

 

1.救いは完全に恵みによるのであり、行ないによるのではない 

ローマ 3:28 人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による

エペソ 2:8,9 あなたがたの救われたのは実に恵み(受けるに価しない憐れみ)により、信仰による…神の賜物…行いによるのではない

テトス 3:5,6a 私達の行った義の業によってではなく、ただ神の憐れみによって…救われ

  A.救いは恵みと善行の両方によるのではない: 

ローマ 11:6 恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうで ないと、恵みはもはや恵みではなくなる

 

  B.救いは常に恵みによってだけで、旧約聖書の時代もそうだった: 

創世記 6:8 ノアは主の前に恵みを得た

創世記 15:6   (アブラハム)は主を信じた。主はこれを彼の義と認められた(ローマ4:3,5-8,21,22も参照)

ハバ 2:4 義人はその信仰によって生きる

ヘブル 11:13  [旧約聖書の聖徒達]はみな、信仰を抱いて死んだ…遥かに(約束のもの)を望み見て喜び

 

  C.モーセの律法を厳密に守ることでは、誰も救われることはなかった: 

ヨハネ 1:17 律法はモーセを通して与えられ、恵みとまこととはキリストを通してきた

ローマ 3:20 律法を行うことによっては、全ての人間は…義とせられない

ローマ 9:31 義の律法を追い求めていたイスラエルは…律法に達しなかった

ガラ 2:16 人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰による(ガラ3:11も参照)

ヘブル 7:19  律法は何事もまっとうし得なかった…さらに優れた望みが(まっとうする)

 

2.モーセの律法とは何か 

  A.神がシナイ山でモーセに与えられた法典: 

出エジ 24:12  主はモーセに言われた「山に登り、わたしの所に来て…彼らを教えるため…律法と戒めとを…授ける

 (出エジ31:18、32:15,16,19、34:1,28も参照)

 

  B.それは厳しい報いと懲罰の法典だった: 

出エジ 21:23-25 命には命…目には目、歯には歯、手には手…焼き傷には焼き傷…償わなければならない

ヘブル 10:28 モーセの律法を無視する者が憐れみを受けることなしに…死刑に処せられる

 

  C.十戒はただの「道徳上の手引き」ではなく、死を罰とした厳しい法律だった: 

出エジ 20:2,3   (1)あなたはわたしの他に何ものをも神としてはならない[死罪:出エジ22:20、申命記13:1-18]

出エジ 20:4,5   (2)あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない[(1)と同じく死罪。レビ26:1,30、申命記4:23-26も参照]

出エジ 20:7   (3)あなたは主の名をみだりに唱えてはならない[死罪:レビ24:10-16]

出エジ 20:8-10  (4)安息日を覚えて、これを聖とせよ[死罪:出エジ31:14,15、35:2]

出エジ 20:12  (5)あなたの父と母を敬え[死罪:出エジ21:15,17、レビ20:9、申命記21:18-21]

出エジ 20:13 (6)あなたは殺してはならない[死罪:出エジ21:12、レビ24:17,21、民数記35:16-31]

出エジ 20:14 (7)あなたは姦淫してはならない[死罪:レビ20:10、申命記22: 22]

出エジ 20:15 (8)あなたは盗んではならない[罰:出エジ22:7、箴言6:30、死罪:出エジ21:16]

出エジ 20:16 (9)あなたは偽証してはならない[罰または死罪:申命記19:16-21]

出エジ 20:17 (10)あなたは隣人の家をむさぼってはならない

ガラ 4:21 律法の下に留まっていたいと思う人達よ。私に答えなさい。あなたがたは律法の言うところを聞かないのか

 

  D.十戒は最初にすぎず、モーセの律法には他に何百ものおきてがあった: 

申命記 27:26  この律法の言葉を(すべて)守り行なわない者は呪われる(ガラ3:10も参照)

 (申命記4:13,14aも参照)

 

  E.律法を全部守るのは不可能だった: 

ヤコブ 2:10 律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになる

 

3.律法はある一定期間のみ、その目的を果たした 

ガラ 3:19 律法は何であるか。それは違反を促すため後から加えられたのであって、約束されていた子孫(イエス)が来るまで存続する

ガラ 3:23 信仰が現れる前には、私達は律法の下で監視され

ヘブル 9:10 改革の時まで課せられている肉の規定

 

  A.律法は本物の模倣、影に過ぎない: 

コロ 2:16,17  安息日…来るべきものの影であって、その本体[影を投影しているもの]はキリスト

ヘブル 8:5 天にある聖所のひな型と影

ヘブル 9:8b,9 前方の幕屋…今の時代に対する比喩

ヘブル 10:1 律法は来るべき良い事の影を宿すにすぎず、そのものの真の形を備えているものではない

1ヨハ 2:8 新しい戒め…闇は過ぎ去り、まことの光がすでに輝いている

 

  B.律法を守ることは不可能だった: 

ヨハネ 7:19 モーセはあなたがたに律法を与えたではないか…あなたがたの内には、その律法を行う者が一人もない(使徒7:53も参照)

使徒 15:10 我々の先祖も我々自身も、負いきれなかったくびき

ローマ 7:14-19 律法は霊的なもの…私は肉につける者であって、罪の下に売られ…善をしようとする…力がないから

 

  C.それによって、人間は恵みが必要な罪人だということを示している: 

ローマ 3:20b 律法によっては、罪の自覚が生じ

ローマ 7:7 律法によらなければ、私は罪を知らなかった

ローマ 3:19 全世界が神の裁きに服するため

ガラ 3:24 律法は…私達をキリストに連れて行く養育掛

 (ローマ4:15も参照)

 

  D.古い律法は無益であり、最終的には取って代えられる: 

ローマ 8:3 律法が肉により無力になっているためになし得なかった

ヘブル 7:18 前の戒め[モーセの律法]が弱くかつ無益であったために無効になる

 

4.律法を破った償い 

  A.人間は絶えず律法を破るので、赦しが必要とされ、犠牲の血を要した: 

レビ 4:1-4 人が過って罪を犯し、主の戒めに背いて…雄牛を連れてきて…主の前でほふらなければならない

レビ 17:11 血は…あがなうことができるから

ヘブル 9:22 血を流すことなしには、罪の赦しはあり得ない

 (レビ6:2,3,6,7、16:3,5-11,15-22も参照)

 

  B.しかしこれで永久的に罪から解放されることはなかった: 

ヘブル 10:1-4,11 雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができない…決して罪を除き去ることはできない

 

  C.そこでイエスが完全かつ永久的な犠牲を捧げてくれた: 

マタイ 26:28 これは罪の赦しを得させるように…流すわたしの血である

ヘブル 9:7-14 ご自身の血によって…永遠のあがないを全うされた

ヘブル 9:25-28a キリスト…多くの人の罪を負うために、一度だけご自身を捧げられ

ヘブル 10:10-12 ただ一度イエス・キリストの体が捧げられた事によって、私達は清められた

1ペテ 1:18,19 あがない出されたのは…キリストの尊い血によった

1ヨハ 1:7b 御子イエスの血が、全ての罪から私達を清める

 (ヨハネ1:29、ローマ5:9も参照)

 

5.新しい戒め、キリストの律法 

  A.神は古いモーセの律法に代わる、新しい律法を約束された: 

エレ 31:31-33 新しい契約を立てる日が来る…わたしは、わたしの律法を彼らの…心に記す

ヘブル 8:7-10 初めの契約に欠けたところが[あったので]…主は言われる…新しい契約を結ぶ

 

  B.新しい律法の名前: 

  新しい契約(エレ31:31)、信仰の法則(ローマ3:27)、命の御霊の法則(ローマ8:2)、義の律法(ローマ9:31)、キリストの律法(ガラ6:2)、新しい契約(ヘブル9:15)、完全な自由の律法(ヤコブ1:25)、尊い律法(ヤコブ2:8)、聖なる戒め(2ペテ2:21)

 

  C.十字架上のイエスの死は、律法を成就し、終わらせた: 

マタイ 5:17  ( 律法を)廃するためではなく、成就するために来た

ヨハネ 19:30 (イエスは)「全てが終った」と言われ[イエスが私達の罪のために死なれた時、モーセの律法も信者には無効となった]

ローマ 10:4 キリストは全て信じる者に…律法の終りとなられた

コロ 2:14 証書(律法)をその規定もろともぬり消し…十字架につけて

 

 

  D.古いモーセの律法は(イエスを信じる者には)今や破棄された: 

ヘブル 8:13 神は…初めの契約を古いとされた。年を経て古びたものは、やがて消えていく

ヘブル 10:9 彼は後のものを立てるために、初めのものを廃止された

ヘブル 8:6 さらにまさった約束に基いて建てられた、さらにまさった契約

 

  E.真の信者達は、もはや厳格なモーセの律法に縛られてはいない: 

ローマ 6:14a あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にある

ガラ 3:24,25 律法は…養育掛となった…信仰が現れた以上、私達はもはや養育掛のもとにはいない

1テモ 1:9 律法は正しい人のため…ではなく、不法な者…神聖を汚す者と俗悪な者…人を殺す者[のために定められた]

 

  F.イエスはモーセの律法から私達を解放された: 

ローマ 7:4 あなたがたもキリストの体を通して、律法に対して死んだ

ローマ 7:6 今は…私達は律法から解放され

ローマ 8:1,2 キリスト・イエスにある命の御霊の法則は、罪と死との法則から(私を)解放した

ガラ 3:13 キリストは…私達を律法の呪いからあがない出して下さった

 

  G.イエスの霊と真理が、私達を自由にする: 

ヨハネ 8:36  (御子)が…自由を得させるならば、あなた方は本当に自由な者

2コリ 3:17 主の霊のあるところには、自由がある

ガラ 5:1 自由を得させるために、キリストは私達を解放して下さった

ガラ 5:5 御霊の助けにより、信仰によって義とされる望み

ガラ 5:18 あなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない

 

  H.自由を与えるイエスの言葉を読みなさい: 

ヨハネ 8:31,32 真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させる

ローマ 10:17 信仰は[神の御言葉を]聞くことからくる

ヤコブ 1:25 完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は…その行いによって祝福される

 

6.神を愛し、隣り人を愛することが今の戒め 

  A.これが律法を果たすことであり、唯一の義務である: 

マタイ 7:12 何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ。これが律法(ルカ6:31を参照)

マタイ 22:36-40 あなたの神を愛せよ…あなたの隣り人を愛せよ…これらの二つの戒めに律法全体…がかかっている

ローマ 13:8 人を愛する者は、律法を全うする

ローマ 13:10 愛は隣り人に害を加える事はない。だから愛は律法を完成する

ガラ 5:14 律法の全体は「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きる

ヤコブ 2:8 あなたがたが「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という…尊い律法を守るならば、それは良いこと

 (マルコ12:29-31も参照)

 

  B.純粋で非利己的な愛の内に行なわれる事は、律法にかなっている: 

ガラ 5:22,23 御霊の実は愛…これらを否定する律法はない

1コリ 6:12 全ての事は私に許されている(1コリ10:23も参照)

テトス 1:15a 清い人には全てのものが清い

ルカ 11:41b 一切があなたがたにとって、清いもの

 

  C.しかし自分の行動に信仰を持たなければならない: 

ローマ 14:14 それが汚れていると考える人にだけ、汚れている

ローマ 14:22 自ら良いと定めた事について、やましいと思わない人は幸い

ローマ 14:23 疑う者は…罪に定められる。全て信仰によらないことは罪

テトス 1:15b 汚れている不信仰な人には、清いものは一つもなく

 

7.新しい律法に生きる 

  A.ある意味で、キリストの律法はモーセの律法より厳しい: 

マタイ 5:38-42 [出エジ21:24では]『目には目を、歯には歯を』しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな

マタイ 5:43-45 [律法は]『隣り人を愛し、敵を憎め』しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し

ルカ 10:25-37 『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』「私の隣り人とは誰の事ですか」[普通は嫌っている人でさえも愛する]

ヤコブ 4:17 人がなすべき善を知りながら行わなければ、それは…罪である

 

  B.キリストの律法通りに生きる力を与えてくれるのはイエスだけ: 

ピリピ 2:13 あなたがたの内に働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神

ピリピ 4:13 私を強くして下さる方によって、何事でもすることができる

2コリ 5:14a キリストの愛が私達に強く迫っている

2コリ 12:9 わたし(神)の恵みはあなたに対して十分である

 

8.新しい律法を誤用することへの警告 

  A.利己的で、思いやりのない自由: 

ローマ 14:15 兄弟を苦しめるなら、あなたは…愛によって歩いているのではない。あなたの[自由]によって、兄弟を滅ぼしてはならない

ローマ 14:20 全ての物は清い。ただ、それを食べて人をつまずかせる者には、悪となる

1コリ 6:12 全ての事は…許されている。しかし全ての事が益になるわけではない

1コリ 8:9,12 あなたがたのこの自由が、弱い者達のつまずきにならないように、気をつけなさい(1コリ8章全部を参照)

1コリ 10:23 全ての事は許されている。しかし全ての事が益になるわけではない

 

  B.欲や罪の内ではなく、愛の内に歩め: 

ローマ 6:1,2 恵みが増し加わる為に罪に留まるべきか…断じてそうではない

ガラ 5:13 その自由を肉の働く機会としないで愛をもって互に仕えなさい

1ペテ 2:16 自由を悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動し

 (ローマ3:8、14章全部、15:1,2も参照)

 

9.律法主義に入り込まないように用心する 

  A.割礼主義:まだモーセの律法に縛られている信者達: 

使徒 21:20 ユダヤ人の中で(イエスの)信者になった者が数万にも昇っているが、みんな(モーセの)律法に熱心な人達

ピリピ 3:2,3 悪い働き人達を警戒しなさい。肉に割礼の傷をつけている人達を警戒しなさい

 (使徒15:1,24、ガラ6:12,13、ローマ2:28,29も参照)

 

  B.律法に再び束縛されてはならない: 

ガラ 3:1,3 物わかりの悪いガラテヤ人よ。御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか

ガラ 5:1 (自由の内に)堅く立って、二度と奴隷[律法]のくびきにつながれてはならない

コロ 2:20-22 あなたがたがキリストと共に死んで…なぜ…規定に縛られているのか…これらは…人間の規定や教え

 

  C.律法主義は独善的であり、イエスの犠牲を否定している: 

ローマ 10:3 自分の義を立てようと務め、神の義に従わなかった

ガラ 2:21  義が律法によって得られるとすれば、キリストの死は無駄であった(ガラ5:4も参照)

 

  D.律法は私達を救うことも、義人にすることもできない: 

使徒 13:38,39 律法では義とされることができなかった全ての事についても、信じる者はもれなくイエスによって義とされる

ローマ 9:31,32  義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった

ピリピ 3:3-9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義

 

  E.律法に従おうとする者は、律法に捕らわれている: 

ガラ 3:10 一切の事を守ら…ない者は、皆呪われる

ガラ 4:21-31 [二つの契約を、自由人の子と奴隷の子に例える]

ガラ 5:2-4 [律法を守ろうとする者は]…律法の全部を行う義務がある

ヤコブ 2:10 律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになる

 

10.律法の文字と形式だけ厳守しようとするのは、神の御心ではない 

  A.律法主義者は、全く的を外している: 

マタイ 15:2-6 あなたの弟子達は、なぜ昔の人々の言伝えを破るのですか…自分達の言伝えによって神の言を無にしている

マタイ 23:23  わざわい…薬味の十分の一を宮に納めておりながら…(もっと重要な)憐れみと忠実とを見逃している

マタイ 23:24 あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだは呑み込んでいる

マルコ 7:6-8 その心はわたしから遠く離れている…[杯、鉢を洗うなど]人間の言伝えを固執している

ヨハネ 5:8-11   [イエスは病人に『床を取り上げ、歩きなさい』と言ったが、律法主義者はいやしの奇跡を無視して、安息日に床を取り上げるのは律法に背いていると告げた]

 

  B.律法主義はそれを負う者への抑圧である: 

マタイ 23:4 * 重く、耐えがたい荷物をくくって人々の肩に乗せる

2コリ 3:6b 文字は人を殺し、霊は人を生かす

 

  C.解決策:神の愛と霊の内に歩む: 

ミカ 6:8 主のあなたに求められることは…慈しみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか

ヨハネ 6:63a 人を生かすものは霊であって、肉は何の役にも立たない

ローマ 7:6 古い[律法の]文字…ではなく新しい霊によって仕えているべき

2コリ 3:6b 文字[律法の]に仕える者ではなく、霊に仕える者

ガラ 6:2 互に重荷を負い合いなさい。そうすれば…キリストの律法を全うする

 

11.モーセの律法の下でさえも、神の愛と憐れみが勝っていた 

  A.神は常に、律法主義よりも愛や憐れみを望まれた: 

ホセア 6:6 わたしは慈しみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ(マタイ12:7も参照)

ミカ 6:6-8 私は何をもって主の御前に行き…主のあなたに求められることは…慈しみを愛し

マルコ 12:33 力をつくして神を愛し…隣り人を愛するということは、全ての燔祭や犠牲より…大事

 (申命記10:12、サム上15:22、詩篇40:6、51:16,17、69:30,31、イザヤ1:11ー16、エレ7:22,23も参照)

 

  B.神は例外を認められ、モーセの律法が破られるのを許された: 

歴代下 30:1-3   [ヒゼキヤ王は過越の祭を正月ではなく、二月に行なった−出エジ12章](民数記9:1-11も参照)

歴代下 30:16-18a 会衆の内にまだ身を清めていない者が多かったので…書き記された通りにしないで過越の物を食べた

歴代下 30:18b-20  ヒゼキヤは彼らの為に祈って言った。「彼らを赦して下さい…聖所の清めの規定通りにしなかったけれど…」  主はヒゼキヤに聞いて

マタイ 12:5 安息日に宮仕えをしている祭司達は安息日を破っても罪にはならない(ヨハネ7:22,23も参照)

マタイ 12:1-4  ダビデ…食べてはならぬ供え物のパンを食べた(サム上21:6も参照)

 

  C.律法に縛られている非常に信心深い人でさえも、律法を破った: 

出エジ 31:14,15  [モーセの律法:]全て安息日に仕事を[少しでも]する者は必す殺される

マタイ 12:11 [安息日に穴に落ちた羊を引き上げた]

ルカ 13:15  [誰でも牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出した]

ヨハネ 7:22,23 あなたがたは安息日にも人に割礼を施している

 

  D.それなら律法に縛られていない私達が、守る必要のないのは明らか: 

マタイ 12:10-13 安息日に良い事をするのは正しい[律法を破ることになっても]

ルカ 13:11-16 この女を、安息日であってもその束縛から解いてやるべき

ヨハネ 7:22-24 [あなたがたも安息日を守らないなら]安息日に(わたしが)人の全身を丈夫にしてやったからといって、どうしてそんなに怒るのか

 (ヨハネ9:14-16も参照)

 

●鍵となる章: ローマ3章、4章、5章、7章、9章、10章、14章、ガラ2-5章、ヘブル3-11章