水晶の流れ 25

明日への希望を与え、心を新たにする、現代人へのメッセージ

 

 

祈りの力!

デービッド・ブラント・バーグ著

 

  実に多くのことが、私達にかかっている。主イエスは、私達がどれほど関心を持ち、どれほど祈るかに任せておられるからだ。心半分で求めれば、心半分の答えしか得られないが、心の底から求めるなら、心のこもった強い答えが得られるだろう。強く打つなら、強くはね返ってくるものだ。鏡にあたる光が強ければ強いほど、反射も強くなるように、祈りも強ければ強いほど、返ってくる答えも強くなる。最初の力に応じて、はね返ってくるのだ。

  多くの事が私達にかかっている。私達が奮起するなら、主も奮起して下さる。主は私達次第にしておられる。非常に多くのことが私達にかかっているのだ。私達の信仰と、祈りと、何を成し遂げたいかに。大勢の人が、この面において怠惰な態度をとり、いずれにせよ、主が全てのことをして下さるのだからと考えているようだ。しかし、実際には、多くの事が私達にかかっているのである。

  主は、私達が深く気づかい、祈ること、しかも明確に祈ることを望まれている。心から信じるなら、主は全ての祈りを聞きとげ、祈りに答えて下さる。けれども、祈らないなら聞いていただく事はできない。非常に多くの事が、あなたにかかっている。自分が祈っている相手の事を心に思い浮かべながら、はっきりと祈らなければならない。そして主に、その人達のために、ああして下さい、こうして下さいと祈り求めるのだ。そうすれば、すぐに聞きとげられる。それどころか、主はあなたが祈り求める前に答えられる事もよくある。あなたが祈るであろう事を、すでに知っておられるからだ。

  どれくらい熱心に祈るか、またどれくらい本気で切望しているかが、その祈りの答えに反映する。全ては、あなたの祈りにかかっているのだ。人工衛星に当たる電波のように、祈りが最初に出された時の強さに応じてはね返ってくる。はね返る強さや受ける強さは、最初に送り出す強さで決まる。こちらが祈った時と同じ強さで、相手はその答えを受け取ることになる。あくまでも祈りを送り出した時と同じ強さでである。

(質問:でも、もし誰かが誰かのために一生に一度しか祈らなかった場合にはどうでしょうか。)

  祈りとは、スイッチを入れるようなものだ。自分でスイッチを入れなくてはいけないものの、一度それをすれば電気が流れる。答えを受け取るまで何年もかかることもあるかもしれないが、電波が遠く離れた惑星に当たり、反射して戻ってくるのと同様、時間はかかるが、いずれは答えとして帰ってくる。

(質問:答えを受け取るまで長い時間がかかる場合があるのはどうしてでしょうか。)

  NASA(アメリカ航空宇宙局)が月に探険隊を送る時、どうして特定の日を選ぶのだろうか。例えば、仮に月に行くのに三日かかるとすると、三日後に月が一番地球に接近しているような日を選ぶ。月から戻ってくる時、地球に帰って来れるだけ接近していることが必要だからだ。

  月に行くのは、その日の地球と月の位置によって決まる。だから天体によってある程度、私達は時間を支配されている。(ダビデが祈る:)主よ、どうぞ簡単に理解できるようにして下さい。(するとすぐダビデの心に、ある光景が浮かんだ。)スポーツの中でも最も科学的なのは、ボールの弾力を応用したビリヤードだ。ビリヤードの名人のボールの突き方は驚くほどである。キューで突く時に、ひねりが加えられたり、カーブしたりする。

  プレーヤーは、突き出されたボールの勢いや方向、ボールが転がる力や転がる方向を定める。最初の突き方によって、ボールが回転したり、さまざまな動きをするのだ。ボールがクッションに当たってはね返り、狙ったボールに当たり、それがはね返って別のボールに当たり、そのボールをポケットに入れるように突くこともできる。

  最初、必要な力を加えて、狙いよく突けば、クッションや他のボールがそのボールをはね返すので、ボールの勢いがかえって強くなる。また、距離も大きく関係している。空間では、距離は時間と関係が深く、ある意味では、時間は空間によって支配されている。星や惑星、太陽や月の位置は神によって支配されている。

  神が最初のブレイクショットをされた方で、すべてが神が運命づけられた位置へと、突き出される。神が惑星などを造られ、ゲームのルールが定められ、最初のショットがされたことで、全てのボールの位置が決まり、舞台が設定される。ゲームは神のルールに従って、神が置かれた全てのボールの位置で行なわなければならない。

  神は、惑星や太陽、星など、ご自身が造られたもので舞台を設定された。それらは神の法則に従って動いている。言うなれば、神が原形を造り、最初のルールを造られたのだ。私達は神が造って下さったものを使って、何かすることができる。それから先起こることについては、これら全てのものの最初の位置が重要になってくる。

  ビリヤードでボールを突くのは、祈りによく似ている。ボールに勢いを加え、角度を決めたり、ひねりを加えたりする方法は、祈りをどういう言葉で言うかや、どのように表現するかや、どんなふうに答えてもらうようお願いするかといった方法に似ている。正しい方向に力強い祈りをしても、神にどのように答えていただきたいのだろうか。また、祈りが反射する様々な惑星や星の位置は、その祈りに関係している様々な人や状況に似ており、また、影響を与える全ての距離や位置のようである。だから、ビリヤードのボールのように、こうしたすべてのものの距離や位置によって、祈りが答えられるのにどのぐらいの時間がかかるかが決まってくるのである。

  では、祈っても、答えられるまで長い時間がかかる場合があるのはどうしてだろうか。再びビリヤードについて考えてみよう。ボールにはそれぞれ番号がついていて、ゲームの時には、突くボールの順番が決まっている。

  だから、次の番号のボールでないと当ててはいけないのだ。もちろん、このゲームをつくられた神が、ボールに番号をつけられた! 人は、次に当てるボールの位置を勝手に変えることはできない。最初にボールを散らした時に、もう決まっているからだ。ボールをちゃんと突いて、思っている所に転がし、当てたいボールに当ててコーナーポケットに入れるには、自分が打つボールと当てたいボールがちょうどよい位置に来るまで待たなければいけない。

  ある意味では、神が先攻で、最初のブレイクショットをしてボールを散らされる方であるとも言えるだろう。そして、あなたと一緒にゲームを進め、先に打ってボールの位置を変えていかれる。ただ違う点は、神があなたを負かそうとしておられるのではなく、あなたが神の側についているなら、ダブルスの試合のようにあなたが勝つのを助けようとしておられる点である。神が味方のプレーヤーで、相手方は悪魔だ。神はあなたが突きやすくなるようにボールを突いて下さる。

  ダブルスの試合のように、パートナーである神は、あなたに都合のよい状況を作ろうとされる。もちろん、神がいくら都合の良い状況を作って下さっても、あなたが真っ直ぐ突かないなら何にもならない。

  そしてどれだけうまく突いたとしても、祈りの対象となっている人が正しく当たる位置にいなければ何にもならない。どんどん突き続け、たとえ当てたい所にうまく当たったとしても、祈りの対象となっている人が、反射角の線上にいないなら、その人の所には届かないのだ。

  祈りの対象になっている人がその益にあずかるかどうかは、その人自身にも大いに関係がある。あなたも、祈られている人も、正しい位置にいなければならない。ちょうど聖霊が電源となり、祈りの原動力となるようなものだ。たとえ電源が入っていても送信機の調子がおかしかったら、正しく送信することはできない。だから、罪を犯していたり、波長がきちんと合っていなかったり、間違った波長に合わせていたりするなら、正しく伝わらない。

  別の例として、無線を考えてみよう。世界のどこかに誰かメッセージを伝えたい人がいたとして、無線でメッセージを送るとする。まず、送信機を電源である聖霊につながないと動かない。聖霊は神の力であり、主電源である。

  送信機も良い状態でなければならず、欠陥があったり、波長がずれていたり、間違った波長に合わせていると、送信したいことを送信できなかったり、明確にメッセージを送ることはできない。

  しかし波長が合っているなら、聖霊によって導かれる。送信機が自動制御されていて、聖霊によって完全に支配されているなら、主ご自身のコンピューターで自動的に正しく調整される。出力も電波も送信方向も何もかもがである。間違いを犯すことはない。しかし、あなたがダイヤルを回したり、設定をいじったりして、自分のやり方でしようとするなら、すべてが台なしになるかもしれない。

  また主は、ご自身の御心(みこころ)という人工衛星をもっておられ、祈りがそれに反射して受信者に届くよう、正しい位置においておられる。そして、受信者も、受信するためには正しい位置にいなければならない。神の全体的な計画はすでに設定されているように、人工衛星も設定された軌道上を回っていて、軌道を変えることはできない。だから、祈る目標は、決められた軌道の範囲内になければならない。そうすれば、あとは祈りと祈りを受け取る人次第である。それらの状況が整い、正しい位置に向かって、つまり神がすでに送っておられる神の御心という人工衛星の方向に向かっていれば、目標にあてることができる。祈りが答えられることを望むなら、神が全体的に導いておられる方向に従って祈らなければならない。

  このように、数多くの要因が祈りの全ての過程に影響している。それもすぐに祈りが答えられない場合がある理由である。おそらく、あなたに何か問題があるのか、神の時ではない、つまり、神の人工衛星がまだ正しい位置に来ていないのかもしれないし、あるいは、祈っている相手に問題があるのかもしれない。

(質問:同じ祈りを何年もし続けている人についてはどうでしょうか。そうする必要があるのでしょうか。)

  おそらく最初の祈りで十分である。だが、今も自分が送信状態であり、祈ったことについて神が覚えていて下さっていることをチェックしていること、あるいは、その祈りを聞き届けて下さったかどうかを知ろうとしていることを神に思い起こさせるために、祈り続けなければならない場合もある。または、受信者が波長を合わせて受信するよう、「CQ」(応答依頼信号)を送り続ける時もある。

  と言うわけで、祈りは3つの大きな要因に依存している。すなわち、あなたの位置と神の位置、そして祈っている相手の位置にである。ビリヤードに例えるなら、祈りは、手球(キューで突くボール)と、的球(手球で狙うボール)、そしてポケット、これら3つの要因に大きく依存している。あなたはこれらの位置を完全にはコントロールできないし、あなたが祈っている相手もそれはできない。神さえご自分に明確な制限を定めて、これらの位置を完全にコントロールするのは控えておられる。あなたの位置とあなたが祈っている相手の位置によってそれが影響されるようにしておられるのだ。

  神の人工衛星の位置は定まっているが、この人工衛星をどう使うかはあなたとあなたが祈ってる相手にかかっている。別の言葉で言えば、神はご自身の全体的な計画の位置を定められているが、あなたがその計画でどのような役割を果たすかは、あなたの位置とあなたの祈っている相手次第なのである。

  だから神は、あなたや祈られている人によって状況が大きく左右されるようにしておられる。そして神は常にご自身の役割を果たされる。神の軌道は決まっていて、神の人工衛星もあるべき位置にいる。だから、何か変化があるとすれば、それはあなたの位置やあなたが祈っている相手の位置である。

  これは、数学の問題のようだ。問題が複雑になり、かかわる要因も多ければ多いほど、問題を解くのも難しくなる。問題が大きければ大きいほど、そして問題に様々な側面があればあるほど、答えを出すのも難しい。しかし、2たす2のように簡単な問題なら、4という単純な答えが簡単に出る。問題にかかわってくる要素がごくわずかなので、答えは簡単に出るのだ。

  だから、神の時まで待たなくてはいけない。神の時を待ち、正しい時にまっすぐ突き出すなら、正しい答えを受け取るだろう!

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  イエス様、あなたが神の子であり、私達のために死んで下さったことを信じます。私の全ての罪や過ちをゆるして下さい。心の扉を開き、あなたをお迎えします。永遠の命というあなたからの贈り物を与えて下さい。あなたの御言葉(みことば)を読み、あなたのために生きるのを助けて下さい。他の人もあなたを見いだせるよう、あなたのことを他の人達にも話せますように。アァメン。