Mountain Streams

水晶の流れ 18

明日への希望を与え、心を新たにする、現代人へのメッセージ

 

 

夜が明ける時!

ファーザー・ダビデ

 

  この世を去ることは、一つの部屋から出て扉を閉め、次の部屋に行くようなものだ。肉体を離れて霊になり、この世を捨てて別の世界に行くのを望むのである。とても単純だ。死ぬ時には誰でもこれを体験する!

  事実、クリスチャンにとって、死ぬことはこの上もない祝福なのだ! 私自身、臨死体験をしたことがある。全く素晴らしい経験だった! ちょうど、宇宙飛行士が無重力状態を経験するのと似ているのではないかと思う。今、私達はこの体を重りのように感じている。しかし、霊の内ではその重さはなくなる! もう肉体に引きずられることもなく、この世での様々な問題に悩まされることもない。この世での人生という学年から卒業したことになるのだ。

  全く爽快な気分だ! この体の重力から解放される時、まるで体が浮いているかのように感じる。一度、死の経験をした時、「ああ、これは素晴らしい! 羽根のように軽く感じる。こんなに良い気分は初めてだ! 体はもう重くない!」と私は思った。ちょっと体を動かすだけで、宙に浮く感じがしたのだった!

  私はベッドから身を起こしたが、自分の肉体はまだ横たわっていた! 半分は体の外で半分は体の中といった状態だった。しかし、主がこの世界で私に望んでおられる仕事や学ぶべき事柄がまだまだ沢山あると知っていたので、戻ってきたいという願望が強く、こう主に祈った。「主よ、私の体の中へ戻して下さい!」 すると突然、自分の肉の体に戻り、この物質的な領域に戻ってきたのだった!

 

最も長い旅

 

  たいていの人は死を話題にしたがらない。死について考えるのを好まないのだ。遅かれ早かれ死は誰にでも訪れるのだが、ほとんどの人は死を無視し、死に対して備えようとはしない。

  何もかも持っている人が大勢いる。すでにお金も、立派な仕事も、家族も、家も、車も、何でもある! だが、それでも確実に年を取っていき、死ぬ時が近づいてきても、まだ満足を得ていないのだ。人々はそれでもまだ答えを見つけてはいない! そして、死を恐れている。もちろん、特に若い時には死がずっと先のことに思えるので、あまり真剣に考えない。しかし、死を間近にしながら、それを理解していないなら、恐れ、答えを切望するだろう。

  聖書には、「死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たち」のことが記されている。(ヘブル2章14、15節) 恐れの奴隷だ! 人が死を恐れるのは、死ぬ準備ができていないからだ! しかし、主に感謝することに、私達クリスチャンにはその準備ができている!

  私達にとって、死ぬことはこの世で一番簡単なことなのだ。あなたがクリスチャンなら、死ぬのは難しいことではない。自分がどこに行くか知っているからである! この世を去る準備ができているので、恐れる必要がないからだ! 主よ、感謝します!

 

  このことで、王の道化師という話を思い出した。ある有名な王が、お気に入りの道化師を宮殿に住まわせていた。その道化師が長年の間、王を元気づけ、喜ばせるために一生懸命に仕事をしたほうびとして、王は土地と報酬を存分に与えて引退させた。王はまた金の彫り物がしてある美しい杖も与え、こう言った。「特別な贈り物として、私のこの杖をお前に授けよう。なぜなら、お前は私を大いに励まし、長年の間尽くしてくれたからだ。お前は自由の身になったので、旅に出るがよい。そして、この杖を持っていくのだ。私にこれまで仕えてくれた中で、一番の道化師であったことに対する特別な贈り物である!」

  それから何年かが過ぎ、道化師は王が死の床にあることを聞いて駆けつけた。王に同情した道化師は、「行く準備ができていますか?」と尋ねた。

  「それはどういう意味か?」と、王はいぶかしんだ。

  「死ぬ準備はできていますか? 死への旅の準備をしましたか?」

  「死ぬための準備などどうしてできるのか? 何を言っているのだ?」

  そこで王の道化師はこう言った。「イエス・キリストをあなたの救い主として受け入れましたか? 死ぬ準備はできていますか? 天国に行く準備ができていますか?」

  王は、「いいや、できていない!」と答えた。

  道化師はこう言った。「王様、最後にお別れしましてから、私はイエスを知り、自分の救い主としてイエスを心に受け入れました。私は行く準備ができています。私が旅に出る時、今までで一番の道化師だったほうびとして、私にこの杖を下さいましたね。でも私は、人生で一番長い旅に出る準備ができました。戻ってくる事のない長旅の準備を。しかし、王様はその旅への準備をしていません。」 そして、道化師はこう続けた。「ですから、この杖をあなたにお返ししたいと思います。あなたこそ、愚かな人生の道化師です!」

 

私達の帰郷!

 

  クリスチャンにとって、死は大きな損失ではない。「死ぬことは益である。」(ピリピ1章21節) それは益なのだ! 私達が死ぬなら、突然の死は突然の栄光となる! 悩みはもうなくなる! この肉体があるので、死ぬ際に幾らか痛みがあるかもしれないが、死んだ後は自由になるのだ! 突然解放され、素晴らしい経験となるだろう!

  死は喜ばしい解放であって、それを通して私達は新しい世界、新しい人生に入る! なぜなら死んだ瞬間に、この肉体という殻から解放され、束縛のない霊の世界へと入るからだ! 使徒パウロが死と直面した時、勇敢にこう言いきったのは、これが理由だった。「死よ、お前の勝利はどこにあるのか、墓よ、お前のとげはどこにあるのか。」(1コリント15章55節)

  イエスがそのとげを取り除いて下さった。私達は確かに死を経験するが、それはとげ(苦悩)のない死なのだ! 勝利に満ちて墓を通るのであって、墓は勝利しない! 主よ、感謝します! それは帰郷、この世からの解放であり、私達の載冠式の日なのだ!

 

  私にこの人生の終わりが訪れる時

  いと高き宮殿から

  空に光が輝く!

  私にこの人生の終わりが訪れる時

  そこにはあるのは、中央揃えすべての煩いからの心地良い解放!

  私にこの人生の終わりが訪れる時

  長旅は終わり、主の天国の住まいで憩う!

  私にこの人生の終わりが訪れる時

  愛する人々がそこで待つ!

 

  死は素晴らしい! クリスチャンにとって死は解放である! 素晴らしい解放だ! キリストを信じる者にとって死とは、問題ばかり抱えるこの体から解放される事なのだ。この体そのものを捨ててしまう事ほど、素晴らしい解放はあるだろうか? この体は重く、疲れきっている。傷ついたり、病気にさえなる。だが私達はこの肉体という殻から抜け出して、新しい自由の世界へと入る事ができる! 束縛のない霊の宇宙空間へと! 私達にとって、この人生の旅路の果てこそ、始まりである!

 

  私達がみな天国に入る時、

  この上もない喜びの日となる!

  私達がイエスに会う時、

  歌と勝利の叫びがこだまする!

 

  私達は、すでにこの世を去った身内や愛する人達に再会し、彼らと共に、永遠の幸せや、永遠の愛と喜びにあふれた人生を送り、愛の神や愛する人達と共に、永遠に至上の幸せにひたり、喜ぶだろう!

  (預言:)「あなたがわたし[イエス]の王国で共に暮らし、わたしと共に永遠に支配する日が来る時、それはいかに素晴らしい日となるだろう。今まで経験した事もないような喜びにひたり、見た事もないような栄光を目にするだろう。そしてすべてが報われた事を知る。あなたが経験したあらゆる困難や、これからまだ経験するだろう事が、すべて報われたことを。

  わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。またわたしを信じる者は、いつまでも死ぬことがなく、よみがえり、愛と音楽と希望に満ちた国で永遠に生きるであろう。わたしの住まいで、永遠にながらえる子供達とともに。そこは、死ぬことのない、永遠に生きる者たちのために、わたしが用意しに行った住まいだ!(ヨハネ11章25、26節、14章1-4節を参照)

  だからあなたの目を上げ、心を奮い立たせ、信仰を貫きなさい。あなたはわたしと共に永遠にわたしの父の家に住む。そこには住まいがたくさんある!」 美しい! 実に美しい! イエスよ、感謝します!

  「見よ! 永遠の陽光が輝き、永遠の春の息吹が漂い、永遠に咲き続ける命の花の栄光に満ちた日々に、主の美しさを見よ!」 ハレルヤ! イエスよ、感謝します!

 

  夜が明ける時、この世の悲しみに別れを告げる!

  今のすべての悩みにも!

  神の明日には、痛みも死もない。

  夜が明ける時、影は消え去る!

 

  その時、この人生の苦悩は小さく見え

  私達の重荷も軽くなる!

  あの祝福された朝には、忘れ去られる

  深い悲しみさえも、過ぎ去った夢のごとく!

 

  夜が明ける時、この世の悲しみに別れを告げる!

  今のすべての悩みにも!

  神の明日には、痛みも死もない!

  夜が明ける時、影は消え去る!

 

死後の世界−−どのようなものか!

 

  目に見える神の創造物は、霊の世界がどのようなものかを教えてくれる。霊の世界は、目には見えないからだ。神の創造物、神が造られたものはすべて、何らかの形で霊的なものを象徴している。「神の見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。」(ローマ1章20節)

  というわけで、霊の世界は私達に理解できないほど、この世界とかけ離れてはいない。あまりにも違っていると、私達がそこに行った時、途方に暮れてしまうだろうし、順応することもできないだろう。

  というわけで、霊の世界でも私達は今とほとんど変わらないようだ。ただし、神に感謝することに、超自然的な体を持つことになる。私達の永遠の体、霊的な体は、ちょうど主がよみがえらた時のような体だ。私達が主のような体を持つようになると、主は言われた! よみがえったイエスの新しい霊の体は、現れたり、消えたりできた! 想像できるだろうか! 主は一つの次元から別の次元へと移ったり、鍵の閉まった扉や厚い壁を通り抜けることができたのだ!(ヨハネ20章19、26節参照)

  私たちの、この滅びつつある地上の肉体は土に帰る。私たちは、この古い地上の体を、完全に新しい天国の体と交換するのだ。その新しい体は、空を飛ぶことができ、私たちが夢にも思わなかったような、強力なパワーを持っている! そして、あっという間に地球を一周したり、他の星や惑星を訪れたり、宇宙全体を回ることもできるのだ! 新しい霊の体で、光速どころか、それよりもはるかに速い、思考速度で移動することができる! ある所にいることを考えるだけで、もうその場所にいるといった風に!

  しかし、このような霊の体をもっているからといって、何もかも変わってしまうわけではない。イエスがよみがえられた後もそうだったように、あなたは、現在と同じようなことができるだろう。主は食べたり飲んだりできた。そして人々は主に触ったり、主を実際に見たりすることができたのだ! それでもイエスの体は、奇跡的で超自然的な体、新しい復活の体だったのである!(ルカ24章36-43節参照)

  あなたがあなたであることには変わりない! 外見もさほど変わらないだろう。ただもっと良くなるのだ−−はるかに良く! 私が知っていた他界した子供達は、霊の世界で私が見た時には、もっと成長し、大人になり、とても美しくなっていた! そして年を取って死んだ人は、私が霊の世界で見た時にはもっと若く見えた!

  というわけで、今とあまり変わりはなく、さらに良くなるのだ。もっと主と直接コミュニケーションが取れるようになり、神と来たるべき世界の現実を十分に体験できるようになる! ハレルヤ!

  天国は美しい世界だ。美しい人々がいっぱいいて、素晴らしい時を過ごしている。この上もなく素晴らしい! 霊の世界は素晴らしい所だ! 主よ、感謝します!

 

死からのゆるし

 

  神は残酷な暴君だと教えているも同然の教会が少なくないが、実際はそうではない。神はすべての人を地獄に追いやるような恐ろしい方ではない。神は憐れみ深い方で、すべての人を愛し、天国に招き入れようとされているのだ! 「なぜなら、神は愛だからである!」(1ヨハネ4章8節)神はあなたを助け、救い、ご自分の愛であなたを幸せにすることを望んでおられる。事実神は、あなたが神を愛し、神を永遠に楽しむようにとあなたを創造された。あなたが現在の人生、そして死後の人生をも楽しむためなのだ! 

  だが悲しいことに私達の誰もが、人に対して利己的だったり、意地悪だったり、愛に欠けていたり、親切でなかったりしたことがあった。愛に満ちた天の父である神に対してさえもそうした! 神の聖霊は、母親のように私達を思いやり、優しく見守ってくれようとしているのに、私達は、神と神の聖霊に対して不従順と強情と反抗を働いた。だから、神の御前から追放されて当然の身である!

  「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっている。」(ローマ3章23節) この聖句の意味は、私達はすべて罪を犯した者であり、過ちを犯した者であるから、みな救われる必要があるということだ! 「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は私達の主、イエス・キリストにおける永遠の命である!」(ローマ6章23節)

  神の贈り物である永遠の命を受けるのは、ちょうど免罪を受けるようなものだ。神は御自身のひとり子を私達の為に犠牲にされた。「神はそのひとり子[イエス]を賜ったほどにこの世を愛して下さった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3章16節)神は私達を深く愛しておられるがゆえにイエスを送られ、私達が自分達の罪のゆえに受けるはずだった罰をイエスが代わりに受けて下さったのだ。イエスは、私達に対する神の愛の贈り物なのだ。

  イエスが、ご自分を信じる者に、「死を味わうことはない!」と約束されたのはこれが理由だった。(マタイ16章28節)私達が、イエスとその赦しと、永遠の命の贈り物を受けるなら、霊的な死という意味ではもう死ぬことはない。言いかえれば、死んだ時に自分が神から離れてしまうと感じて苦しむこともないだろう。

  この霊的な死というのは、イエスを知らずに死ぬことである。死後の世界でも苦しむ霊的な苦しみなのだ。しかしイエスは、死なれた時、肉体だけではなく、このように救われていない者が苦しむ霊的な苦しみも経験された。神はイエスが、私達の代わりにこのような霊的な死を苦しむのを許された。こうしなかったら、イエスは私達の罪のために苦しんだ事にはならなかっただろう。しかし、実際に主は、私達の罪のために苦しまれたのだ。

  イエスが十字架で死なれた時、肉体の面で死なれただけではなく、罪びとが霊的に死ぬ時のように感じながら死なれた。だからイエスは、十字架の上から、「父よ、父よ、なぜわたしを見捨てられるのですか?」(マタイ27章46節)と言われた。この霊的な死が、正確には何であるか私達は知らないが、聖書はそれを地獄だと呼んでいる。火のようなものだと! それが何であっても、苦しいことであり、自分の罪のために苦しむということなのだ。

  しかし、神の息子であるイエスは私達をあわれんで下さり、その罰を身代わりになって受けて下さったのだ! 「すべての人のために死の苦しみを味わわれるためである‥‥死の力を持つ者、すなわち悪魔を、御自分の死によって滅ぼし‥‥死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを解き放つためである!」(ヘブル2章9、14、15節)

 

 

  * * *

 

  イエスからのこの「ゆるし」を受けるためには、ただ自分の犯した罪や過ちをすまなく思い、イエスを信じ、イエスの愛を受け入れるだけでいいのだ。主はあなたの心の扉の前に立ち、入りたいと懇願しておられる。イエスはこう約束された。「見よ、わたしは扉の外に立ってたたいている。誰でもわたしの声を聞いて扉を開けるなら、わたしはその中に入る。」(黙示録3章20節) この簡単な祈りを祈るだけで、たった今、あなたは心にイエスを持つことができる。そして、イエスがあなたに与えて下さるすべてのものも。

 

  「主イエスよ、私のすべての罪や過ちをゆるして下さい。あなたが私のために死んで下さったことと、あなたが神の御子である事を信じます。私の人生に入ってきて下さい。今、心の扉を開きます。イエスよ、心の中に入って下さい。そして私が他の人を愛する事ができるように助けて下さい! そして他の人もあなたを見つけられるように、あなたの事を伝えるのを助けて下さい! あなたの御言葉を読み、あなたの霊によって御言葉を理解できるように助けて下さい! アァメン。」

 

  あなたがイエスを受け入れ、イエスを愛し、イエスのために生きるなら、イエスや天国を永遠に楽しむことができる! イエスを信じ、受け入れるなら、あなたは今ここで永遠の命があると確信できる! 自分が救われているかどうかを知るのに、死ぬまで待つ必要はない。なぜなら、「御子を信じる者は、永遠の命を持っている」からだ。(ヨハネ3章36節) たった今、ここで! ハレルヤ!

 

終わりに

 

  あなたはそこに行く準備ができているだろうか? あなたが心にイエスを持っているなら、死は素晴らしいものだ! しかし、この地上にはしなければならないことが、まだたくさん残されている。クリスチャンにとっては、死ぬことは簡単な抜け道だ。私達は、他の人達が死ぬ準備ができるよう、生きていて助けねばならない! 生き延びて、主の仕事を続けていくことが私達の任務だ。神が望んでおられることをするために、なるべく長く生きることが私達の使命なのだ!

  けれども死ぬ時が訪れたなら、それは、あなたがこの地上での任務を果たしたしるしである。ハレルヤ! 輝く永遠のいのちの冠を受けて、天の世界への卒業になるだろう! そして、イエスと、愛する人達と共に永遠に生きる!

  あなたも、イエスを救い主として受け入れて、備えを確実にしなさい。そうすれば主があなたを迎えに来る時に、準備が整っていることだろう。そして、無事に天国に到着する! まだ準備していないなら、今、しておくことだ! 今日、イエスを受け入れなさい! 神が救いによってあなたを祝福されるように!

  そして救われたなら、この歌を口ずさむことができる。

 

  天のふるさとに帰り、救い主に会う!

  もはやさまようことはない!

  天のふるさとに帰り、イエスと共に暮らす!

  もう離れはしない。そこは私の永遠の住まい!

 

  神があなたを祝福し、素晴らしい死を与えて下さるように! 良い旅を! そこで会おう! 目を覚ますと、そこは天の王国。愛にあふれた平和で豊かな生活を、神と共に永遠に!

 

  まわりがどんなに暗くとも、神に信頼しよう

  人生の道程がいかにつらくとも

  夜が明けるまで主の御手を握っていよう

  目が覚めれば、私達は主に似た者となる!

 

  夜が明ける時、地上の悲しみに別れを告げる

  今のすべての悩みにも!

  神の明日には、痛みも死もない

  夜が明ける時、影は消え去る!

 

 

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「夜が明ける時!」初版は、1979年9月に発行されました。

第一巻18号 C1993, Mountain Streams, Postfach 241,8021 Zurich, Switzerland