Mountain Streams

水晶の流れ 13

明日への希望を与え、心を新たにする、現代人へのメッセージ

 

 

オペレーター

ファーザー・ダビデ

 

  あなたは、自分の祈りにどれだけ力があるか、知っているだろうか? あなたの口から出た祈りは、あなたが祈ってあげたいと思う人を必ず捜し出す。その人が誰であろうと、どこにいようと構わない。神にはその人の住所はいらない。すでに知っておられるからだ。

  それは神の御霊の力であって、何ものも制限できない。天からの霊薬だ! 何のために祈るかに関係なく、その力はとても素晴らしい! 私達全員がその力を持っている!

  私達がもっと他の人達のために祈らないのは悲しいことだ。祈り、助けてあげられる人は大勢いるのだから。その人達のために祈るべきだと思わないか? 誰かのことを考える時、ちょうど追跡者のように、小さな祈りを送ることができる。

  しかし、誰かや何かのことを考えるだけでは祈りと言えない。考えることは、ちょうど、指示を待って立っている召使のようなものだ。立って待っているだけなら、何も達成できないだろう。考えることは、祈りの始まりにすぎない。

  イエスの御名で祈るなら、祈りはメッセンジャーのように送られる。それが違いだ。ただ考えるだけでは何もならない。思っていることを祈りにし、送り出し、「神様、イエスの御名によって、彼らを助けてあげて下さい。私は彼らを愛しています。そしてあなたに助けてほしいのです!」と言わなければならないのだ。

  だから、メッセンジャーを送らなければ、つまり、祈りを祈らなければならない。祈らなかったために実現に至らなかった事が、私達には想像もつかないほど沢山ある。

  誰か愛する人、またはかわいそうに感じる人、助けが必要だと思う人のことを考えている時は、神が聖霊を通して、そのような思いを私達の心に入れておられる。

  ちょうど電話のようなものだ! 私達は電話交換手のようで、神が御霊を通して心に重要な電話をかけてこられる。しかし、その電話をつないで、それを受ける必要のある人に送るかどうかは私達次第だ。ただ相手の事を考えただけで電話を切ってしまうなら、神からの電話を切ってしまったことになる!

  電話をかけようと、神が相手の電話番号をあなたに告げて、つないでもらおうとしておられるのと同じである。あなたはオペレーターである。そして電話をかけておられるのは神だが、神はあなたを通してその電話をつなごうとしておられる。何故なら、愛がどういうものかをあなたに示したいからだ。

  愛とは、神と、あなたの愛が必要な誰かとをつなぐことである! あなたは、愛によって神と相手がつながる接続部分なのだ。私達が伝道する時、そのメッセージを送っておられるのは神である。神はそのメッセージを誰かに伝えたいのだが、あなたを通して行なわれなければならない! オペレーターはあなただからだ。あなたが怠慢で、のろく、無関心で、そんな電話など構うものかという態度で、電話をつながないなら、不通となる。メッセージは相手に決して伝わらず、愛も伝わらないので、答は決して返ってこない。

 

  神が電話し、心につながれると、あなたはその人のことを考える。しかし、あなたもその電話をつなぎ、相手に送らなければならない。もちろん、受信者側でも、電話のベルがなったら、受話器を取り、そのメッセージを聞き、受け入れなければならないが。

  素晴らしいではないか? 私達人間は、ちっぽけで、つまらぬ存在だが、電話をつないであげるなら、神が助けようとしている人には誰にでも助けの手を伸ばすことができる!

  まず自分がパワーに接続しなければならない。そうすれば電話をつなぐ者になれる。しかし、コードにパワーが流れていて、コードが器具につながっていても、接続のスイッチを入れるか入れないかはあなた次第である。さもないとパワーは流れない。

  とても多くの事が、祈りにかかっている! とても多くの事が、私達にかかっている! すでにスイッチを入れ、メッセージを受け取ることを願っている人々は大勢いるからだ。それなのに、私達がつながないのは、とてもひどい事だ!

  私達がつながず、スイッチを入れず、プラグを入れないなら、それは非常に悲しい事である! 私達は心の中にスイッチを持っていて、ただそのスイッチを入れるだけでいいのだから。神からパワーが流れ、それから思いがやって来ると、私達はちょうど電話交換手のように受け入れ準備が整い、メッセージに飢えていて、受容的で、すでに受信者とつながっている接合部につなぐべきである。

  だから、神は私達に祈ってほしいのだ! 私達が祈らず、スイッチを入れないことがあるのは、とても残念である。神は何度も電話をかけておられるが、神からのメッセージを受け取ってさえいない人達がいる。それは、神に答えもしないオペレーターのせいである!

  また、イエスを愛し、耳を傾け、メッセージを受けるものの、怠慢で、思いやりがなく、プラグに差し込んでスイッチを入れようともせず、相手にメッセージを送らない人もいる!

  もちろん、神からの電話をつないでも、電話を受ける人が受話器を取って答えようとしないので、メッセージを決して受け取らない場合もある。しかし、喜んで受け入れる人なら、電話を取り、メッセージに耳を傾けるだろう。

  それほども単純なことだ! 神が誰かに対する思いをあなたの心に入れる時、それは神からのメッセージなのだ。神はあなたに電話をかけている。そして、オペレーターになって、祈りによってその電話をつないでほしいのである。あなたにできることはそれだけだ。相手にメッセージを受け入れさせようとしたり、受話器を取らせようとすることもできない。あなたにはできない。受話器を取るかどうかは彼ら次第だからだ。しかし、オペレーターがスイッチを入れ忘れたり、電話をつながなかったなら、相手がそのメッセージを受け取るチャンスは決してないだろう。だから、オペレーターになりたいという気があるなら、プラグを入れて、電話をつながなくてはならない。

  良いオペレーターが仕事を正しく行い、電話をつなぎ、接続させるなら、受信者がそれに応じ、答え、受け入れる時にメッセージは伝わる。通話状態になる。パワーが流れるのだ!

  彼らの為に祈り、電話をかけ、メッセージを送ろうとする時には、私達はつないでいる途中で、電話のベルを鳴らしている事になる。メッセージを与えており、電話線を通して、電話交換を通して、神からのメッセージをすでに送ったのである。

  電話のベルを相手が聞く時、それは神からの警報シグナルだ。「わたしは、あなたを呼んでいるよ! 受話器を取り、耳を傾けなさい。メッセージを与えたいから。」 しかし、相手が受話器を取らないなら、決してメッセージは受け取れない。

  彼らが神のメッセージや真理を聞きたがらず、救われる事や答を望まないなら、電話に応じようとしないだろう。

  ただ受話器を取り、そのメッセージに耳を傾け、受け入れるだけで、彼らはすべての答を得、すべての問題は解決され、神のメッセージを受けることができる。しかし、答を聞きたがらない人々もいる。

  もちろん、中には受話器を取り、少し耳を傾けるものの、そのメッセージに興味がないので、神と話すことを望まず、私達と話すことを望まない人達もいる。彼らは、「これは大切な事ではない。私には関係ない。」と言って、電話を切ってしまう。聞きたくもないからだ!

 

  一番大切な事は、あなたがオペレーターであり、神と相手を結ぶリンクであるということだ。もしその電話をつながず、プラグを入れず、スイッチを入れないなら、相手はそのメッセージを決して受け取ることがない。

  だが、メッセージを送った後は、相手の責任である。相手が受話器を取らず、聞かなくても、それはあなたの責任ではない。ただのオペレーターだからだ。オペレーターがその電話番号を呼び出してもつながらないなら、それはオペレーターの責任ではない。または、誰かが出たものの、電話を切ってしまった場合も、オペレーターの責任ではない。

  あなたは神と受信者を結ぶものであって、その二つを接続するのはあなたの祈りだから、彼らのために具体的に祈らなければならない。「かわいそうに。お気の毒に。」と言うだけではいけない。

  あなたはオペレーターで、神があなたの心に入れる思いは、神からのメッセージである。「あの人達はなんて優しく、素晴らしいのだろう。彼らには愛がとても必要だ。この電話を聞くのを待ち望んでいる。本当に必要なんだ。」 しかし、その電話をただ切ってしまい、祈りによって相手に伝えないなら、何の意味もない!

  神からの電話を相手の電話番号につなぐかわりに、ただかわいそうにと思うだけなら、神にこう告げているようなものだ。「残念ですが、私にできることは何もありません。」

  それは、祈りを信じていないからだ。神の力を信じていないのだ。もっと信じていたら、その祈りを送り、電話をつないでいただろう。オペレーターは、そのメッセージが本当に神からのものだと信じ、メッセージ自体を信じていなければならない。そして、自分には電話をつなぎ、メッセージを相手に伝えることができると信じなければならない。相手につながると思っていなかったら、電話をつなぐだろうか?

 

  さて、オペレーターがいつでも電話を接続できるとは限らない。電話がつながらない理由は、色々ある。接触不良、混線、雑音、相手の電話が故障している場合などである。

  メッセージを伝える上で、様々な問題がかかわってくるが、それでも試さなければならない。電話交換プラグを差し込み、メッセージを送り、祈り、試さなければならないのだ。そして、何か問題があっても、それはあなたの責任ではない。しかし、祈るのはあなたの責任である。

  祈るなら、私達は沢山の事を達成できる! 人々が祈らなかったために、どんなに多くの事が実現しなかったかを、世界は知るよしもないだろう。

  私達はオペレーターであり、メッセージを受ける。しかし、そのメッセージが神からのものだと信じなければならない。まず私達がそのメッセージを、それが真のメッセージだと信じなければならないのだ。それから、祈りを通してつなぐことができると信じなくてはいけない。

  いつもつながるとは限らない。良い忠実なオペレーターでも、いつもうまくいくわけではない。つながるように幾度も試すが、少なくとも彼らは、試みるだけの信仰を持っている。私達もそのような信仰を持っているべきだ。

  信仰とは何か知っているだろうか? 信仰とは、神のメッセージを受信者に送るためにスイッチを入れる手である。あるいは、コードを取り、プラグを差し込み、電話をつなごうとする手である。

  その後は、電話についてどんな問題が生じてもあなたの責任ではない。自分の役割を果たしたのだから。あなたは、ただ神と相手の接続係であって、それこそが伝道者である。

  伝道者とは神と人々をつなぐ人である。伝道者は、神からのメッセージを受け取り、それを信じるオペレーターのことである。それが本物の電話、正真正銘の電話だと信じず、その電話をつなぐべきだと考えなかったなら、オペレーターはプラグを差し込まないのではないだろうか?

  祈るのは、それほども重要なことだ。祈りは、スイッチを入れる信仰の手であって、信仰がなかったら、祈らなかっただろう? 信じなかったら、信仰を持つことはなかっただろう。

 

  とても多くのことが、私達にかかっている。とても多くのことが祈りにかかっている。神は何でもおできになるが、私達を通してしか物事を行なわないように御自分を制限されておられるからだ。そして、あなたの祈りは、素晴らしい事を行い、歴史の進路を変えることさえできる!

  だから、貧しい少女のためであれ、年老いた浮浪者のためであれ、世界的指導者のためであれ、国のためであれ、何のためにでも祈ることができる。あなたの祈りは、神の心を変えることができるのだ!

  神の御言葉には、こう書かれている。「王の心は、主の手のうちにあって、水の流れのようだ。主は御心のままにこれを導かれる。」 そして、主は統治者達の心を主の民に向かわせる。(箴言21章1節とエズラ6章22節を参照)

  祈りは、スイッチを入れる信仰の手である。もちろん、あなた自身、スイッチが入り、波長が合っていなければならない。何故ならあなたには信仰があり、すでに神とつながっているからだ。

  パワーが流れていて、電源がそこにあっても、プラグを差し込まないないなら、相手は決してメッセージを受けることがなく、神が与えたいと望まれている事を受け取ることもないのを忘れてはいけない。パワーは流れているかもしれないが、あなたがそれを操作しなければならない。

  祈ってほしい! あなたはオペレーターなのだから。メッセージを伝えるのは、あなたの責任である。怠ってはいけない! さもないと、誰かが神からの大切な電話を受けそこなうかもしれない。忠実なオペレーターになって、祈りなさい! アァメン?

 

 

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  あなたが、まだ神の御国の市民となっていないなら、下の祈りを祈る事によって、あなたのすべての過ちや罪をイエスがゆるして下さり、救いという贈り物を受け取る事ができます。

 

  イエス様、あなたが神の御子で、私のために死んで下さったと信じます。今、心の扉を開いて、あなたをお招きします。私のすべての過ちや罪をゆるし、あなたからの贈り物である永遠の命を与えて下さい。他の人のために祈り、あなたの素晴らしい愛を告げるオペレーターになれるよう、私を聖霊で満たして下さい。アァメン。

 

 

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「オペレーター」初版は、1978年5月に発行されました。

第一巻13号 C1993, Mountain Streams, Postfach 241, 8021 Zurich, Switzerland.