Mountain Streams

水晶の流れ 11

明日への希望を与え、心を新たにする、現代人へのメッセージ

 

 

すべては移り変わる。しかし、イエスは変わらない!

ファーザー・ダビデ

 

  昨日も、今日も、いつまでも、イエスは変わることがない! すべてのものは移り変わる。しかし、イエスは変わらない! 主の御名に栄光あれ!(ヘブル13章8節参照)

  人間社会の変化は常に底辺から起こる。経済、政治、宗教、また地球の変化が、上から起こることはない。なぜなら上にいる人々は変化を望まず、常に上にいたいと望むからだ。だが、現状維持のために、火にかけた鍋を完全に密閉しようとするなら、鍋は爆発し、壊れる。

  絶え間なく変化していなくてはならない。そうでないと、完全に沈滞し、腐敗するからだ。最初に上から発酵し、酸っぱくなり、腐る。そして底の方にはかすがたまる。それが蓄積すると固まり、循環過程を妨げ、上も、浮きかすや泡になる。だから、一般の醸造と同様、かすやあくが溜るのを防ぐには、絶えずかき混ぜなくてはならない。全てがまんべんなく混ざるようにし、沈滞を防ぐには、絶え間ない変化、かきまぜ、循環がなければならない。火か、剣によって。

  それが社会の根本原則だ。物理学の法則のように確かな、人間社会の根本原則である。神がそのように定められた! 引力の法則のように確かだ。上に昇ったものは、下りてこなくてはならない! そして、液体や気体の循環法則のように、下にあるものは上がる! 全て高いものは、低められ、低いものは立てられる。権力あるものは落とされ、弱い者は偉大になる。剣で生きるものは剣で滅びるが、柔和なものは地を受け継ぐであろう。(マタイ26章52節と5章5節参照)

  昼の後に夜が必ず訪れるように、暗闇の後には光がある。日は昇り、日は沈む。雨が降り、再び大気に上がる。「ちりは、もとのように土に戻る」。(伝道の書12章7節) 絶え間ない誕生、生命、死、復活がなくてならない。循環は帰結し、めぐりめぐっていかなくてはならない。神の創造物を完結させる、永遠の完璧な循環。神こそその設計者であり、初めであり、終わりであり、アルファであり、オメガである。(黙示録1章8節参照)

  だから、「あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さる。」(ピリピ1章6節) 聖書が語っているように、「初め」と「終わりの日々」がなくてはならない。「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。」(詩篇37篇1節) 彼らの豪邸は廃虚と化し、宮殿は荒れ果てるからだ。かつての壮麗なるギリシャ帝国は崩壊し、廃虚と化し、栄華を誇ったローマ帝国は、忘却の彼方に消え去った。そして、永遠なる神がいっそう現れいで、その創造物の美と、力の栄光と、神の愛の永遠たることが明らかになる。神は全てであり、全ての内に存在し、神が栄光を受けられる。

 

  社会、経済、政治は、教会と同様、迫害、苦難、苦しみといった、神の裁きの白熱した炎によって溶かされ、流れ出さないなら、また、炎の上で神の懲らしめの剣によってかき混ぜられないならば、固まってしまう傾向にある。

  神は動いておられる。神は動く神であって、決して静止されない。常に行動され、進まれ、語られ、創造物のあらゆる領域において変化を起こしておられる。神は、決して静止されない。変わらないのは、ご自身だけだ。「わたしは主であって、変わることはない」(マラキ3章6節) 神の御言葉もそうである。「主よ、あなたの御言葉は、天においてとこしえに堅く定まっています。」(詩篇119篇89節)そして未来、つまり神の子供達に対するもろもろの神の約束もだ。「こういうわけで、休みが、神の民のために残されている。」(ヘブル4章9節)

  しかし他のものは、「もろもろの山は低くせられ、主が高められたものは低くされ、低い所は高くされるであろう。」(イザヤ40章4節参照) 謙虚で、へりくだった心の持ち主は、時がくると高められる。その時、時間というものはなくなり、神が義をもって地上を治め、永遠の平和を確立する主の王国が地上に訪れる。その主の王国はいつまでも衰える事なく、また誰の手にも渡される事はない。永遠に続く王国である! そして、私達も地上で主と共に支配し、統治する。主は、諸々の国を鉄のつえをもって治められる。不変の永遠の神の王国の社会である。「見えるものは一時的だが」−−つかの間だが−−「見えないものは永遠に続く。」(2コリント4章18節)

  「すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである!」(伝道の書3章14節)見よ、いかに権力ある者は倒れ伏し、神が卑しいものを高められるか!(ルカ1章52節参照)

 

  あなたは、ひたすら現状を維持しようと、世界を氷の塊のように凍えさせている者達と共に静止してしまっているのだろうか? それとも神の御霊の白熱した炎の動きにそって動いているか? この水瓶座の時代、命の水の時代、水を与える者の時代、命を分け合う者の時代にあって、焼き、溶かし、動き、形作り、流れ、注ぎ、分け合っているだろうか?

  あなたは、凍り、保蔵し、死を意味する動かぬ氷のように固くなろうとしているのか? それとも、暖かく、愛情深く、分け合い、求愛し、命をもたらす種−−新しい誕生、新しい創造物、新しい世界−−をもたらす種を蒔き、実を結んでいるのか? 新しい世界では、「古いものは過ぎ去り、すべてが新しくなる!」(2コリント5章17節)

  今、動きだした方がよい。神の生命の内に。さもないと、この世と共に滅びてしまう! カール・マルクスは正しかった。彼は、何一つ永久的なものがない物質主義のこの世界は、弁証法的唯物論に従って変わらなくてはならないと言った。もちろん、カール・マルクスは近視的な視野しか持っておらず、不変で永遠の霊の世界は予見できなかったが。「肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる者は霊である。」(ヨハネ3章6節)、「肉と血とは神の国を継ぐことができない。」(1コリント15章50節)、「神は霊であり」、もろもろの天において永遠で不変なので、「礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。」 礼拝するのは、この場所でも、あの山でもない。ただ永遠の神の霊のうちに礼拝するのだ。(ヨハネ4章21-24参照節)

  すべてのものは移り変わる。しかし、イエスは変わることがない!−−主の御名に栄光あれ!

 

  「私と共にいて下さい。夕暮れが足早に訪れ、

  闇が深まる時、主よ、私と共にいて下さい…

  私の周りのすべてが変わり、朽ちるとも、

  ああ、変わることのない主よ、私と共にいて下さい!」

 

  * * *

 

  イエス様、私はあなたの霊の国の市民となりたいです。私のすべての罪や過ちをゆるし、心の中に入って、永遠の命を与えて下さい。また、私があなたの証人となり、あなたの愛を他の人達にも伝えられるよう、私をあなたの御霊で満たし、力を与えて下さい。アァメン。

 

 

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「すべては移り変わる。しかし、イエスは変わらない!」初版は、1970年10月に発行されました。

第一巻11号 C1993, Mountain Streams, Postfach 241, 8021 Zurich, Switzerland.