水晶の流れ 3

明日への希望を与え、心を新たにする、現代人へのメッセージ

 

 

ほこりのダイヤモンド

デービッド・ブラント・バーグ著

 

 

  先日、神は「光のショー」をして下さり、私達はそれを目の前で見ることができた! 神はまた、沢山の事を語られたので、私達は耳を傾けようと努めた。主は前にもこれを見せて下さったのだろうが、忙しすぎて、気づきもしなかったのだ。

 

  主は、その日、部屋に3本の細い光線をさしこませて下さった。光を遮断するブラインドを通してではなく、とても小さな穴を通してである! 穴が小さければ小さいほど、光の筋は明るく、くっきりと見える! つまり、私達自身が小さければ小さいほど、他の人達には主がもっとはっきり見えるようになるのだ! 自分がなくなればなくなるほど、主の光がもっと輝く!

 

  光線は様々な色をしていた。みんな主の光の様々な色で輝いていたが、光源は同じである。聖書にあるように、賜物は様々だが、すべて聖霊から来るものなのだ。賜物は様々だが、同じ聖霊によるのであり、それぞれが独自の方法で神の光を反射している。それぞれが独自の働きを見せて自分の光を輝かせ、人が神の美をあがめるようにしているのだ!(1コリント12章4節を参照)

 

  こんなにも暗いこの街で、私達は小さな光線のようになれる! ほんの数本の光線でさえ、何らかの印象を与えられる! 周りがあまりにも暗いので、僅かな光が何の役に立つものか、などと考えてはいけない。たとえ1本のろうそくでも、あたりが暗ければ、1キロ先からでも見えるのだから!

 

  あんなに小さな一粒のほこりでさえ、十分暗い部屋で太陽の光線にあたるなら、ダイヤモンドのように輝くことが出来る。暗ければ暗いほど、光はもっとまぶしくなる! 小さなほこりのダイヤモンド、あるいは僅かな太陽の光線は、部屋がとても暗い時こそ一番よく見える。なぜなら、「罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた」からである!(ローマ5章20節)

 

  ろうそくの炎を見る時、実際には火ではなく、炎で非常に熱くなった、光輝く細かい粒子を見ているのだ。光を見ているのではない。光そのものは見えないからだ! 光はこういったほこりのダイヤモンドに反射されてしか見えない! 太陽をじかに見る事など出来ない。目がつぶれてしまう。しかし太陽の光が当たったものからの反射によって、一番よく見えるのだ。

 

  それと全く同様に、神も、その子供達が神を反射する時しか人には見えない。小さなほこりのダイヤモンドと同じだ! 人々は神を見る事など出来ない。あまりにまぶしすぎて、目がつぶれてしまうからだ! 人々が神を見るには、私達が神を反射させるのを見るしかない。神の光は、あなたがそれを反射した時しか見えない! あなたが神を反射した時にだけ、人々はあなたの中の神を見ることが出来る。だから、「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5章16節) ほこりがそこになかったら、光は見えず、光がそこになければ、ほこりも見えなかっただろう! 両方が必要なのだ!

 

  そのほこりのダイヤモンドを二度と見る事がないかも知れない。中にはただ光の中に漂ってきて、少しの間輝き、それから闇に戻ってしまうものもあるからだ。彼らは、自分に与えられた真理の瞬間しか持ち合わせていない! だが、生涯の内、たった一度でも主の光できらめくなら、それは価値がある! 生涯の内でたったの一度であっても、誰かにとって命となり、喜びとなるなら、価値があるのだ! しかし、主の光の中に留まる事が出来るなら、死ぬまで輝き続けることが出来る! ろうそくが、燃え尽きるまでずっと家中を明るく照らすように! ほこりの粒が光の中に長く留まれば留まるほど、輝く時間も長い。そしてダイヤモンドであり続ける時間も長いのだ!

 

  ほこりのダイヤモンドは、人の人生と同様、短時間輝いては消える。野の草と同じで、今日あっても、明日にはなくなる! あなたの人生はいったい何なのか? 霧のようでしかない。霧は主の光を少しの間反射させては、消えてしまう!(ヤコブ4章14節を参照) あなたには明日の保証などない。自分が光を持っている内に輝くべきだ。さもないと忘却の彼方に消えてしまい、あなたが存在した事すら、誰も知らなくなる。誰も、あなたの内に反射された光、あなたを通して輝く光を見なかったからだ! あなたはいつも闇の中に留まっていたからだ。自分の行いが明るみに出されたり、彼らが神から出た者であることが明らかになるのを恐れて、決して光に来ようとはしなかった!(ヨハネ3章20、21節を参照)

 

  私達が見る光の筋は、とてもまっすぐで細かった! 光は一つの源から出て、一つの方向にだけ進んでいた! つまり、源に続く道は一つしかなく、その道から外れると、光を失ってしまう! イエスこそ世の光なのだ!(ヨハネ8章12節を参照) イエスこそ唯一の道である。神の愛と、その太陽に向かう、まっすぐで狭い光線は、イエスの内にしかない! そしてその愛の光線に入らない限り、あなたが輝くことは決してないだろう。「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」からだ!(ヨハネ14章6節)

 

  ほんの小さな光線からでさえ、神はどんなに沢山のことを私達に示して下さることか! ただ子供のように単純にそれを喜び、見て、耳を傾けさえすればいいのだ。「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできない!」(マタイ18章3節)

 

  主から学ぶには、立ち止まって、見て、耳を傾けなければならない。さもないと、主の真理や愛や喜びで溢れるかわりに、この世の思い煩いに圧倒されてしまう! 主を通じてこの世を征服するどころか、自分がこの世に征服されてしまうだろう!

 

  立ち止まって、光を見て、耳を傾けなさい。そして、あなたのほこりをダイヤモンドにして、神の美しさを見せるのだ!

 

  忙しすぎるなら、また急いでいたり、自分のしたい事や自分の事で頭が一杯なら、決して何も学ぶことはないだろう!

 

  ほこりのダイヤモンドを見なさい! それは自分できらめいたり輝こうとはしない。ただ自分を通して光を輝かせるだけだ! 自分で輝いたり、動こうと努力もしない。どこかへ行こうとも、急ごうともしない! ただ神の空気中に静かに浮かんでいるだけだ。かき回されるのは、神が嵐を起こされた時だけである。その時ですら、嵐が過ぎると、元の場所に落ち着く!

 

  立ち止まって、見て、耳を傾けなさい。そしてほこりのダイヤモンドになりなさい!

 

  「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい!」(マタイ5章16節)

 

 

 

  あなたも、神の「ダイヤモンド」となり、自分を通して、神の美しさや光を輝かせたいですか? あなたにも出来ます。たった今、下に書かれた祈りをし、イエスに心の中に入っていただくよう求め、主の愛と救いを受け入れるだけでいいのです!

 

  「イエス様、あなたが神の御子(みこ)で、私のために死んで下さったと信じます。今、私のすべての間違いや罪をゆるして下さい。心の扉を開けて、あなたをお招きします。永遠の命を与えて下さい。イエス様、心に入って、私があなたの言葉である聖書を読み、あなたのために生きるのを助けて下さい。また他の人もあなたを知ることができるように、私があなたのことを話すのを助けて下さい。イエスの御名(みな)によって祈ります。アァメン。」