Mountain Streams

水晶の流れ 2

明日への希望を与え、心を新たにする、現代人へのメッセージ

 

 

世界を変えよ!

ファーザー・ダビデ

 

  今朝、とても心暖まる話がラジオから流れていた。宗教担当のディレクターによって語られた、そのとても興味深い話を私は決して忘れないだろう。日々、主に奉仕する私達に、非常に相通ずるところがあったからだ。

  それは、1913年、フランス南部のプロバンス地方で「ウォーキング・ツアー」に出かけた20歳くらいの若者の話だった。「ウォーキング・ツアー」とは、バックパックと寝袋を携帯して、人の少ない森などをハイキングすることである。おもに裏道や山道を通り、簡素なキャンプ場、ユースホステル、農家などに泊めてもらう。

  当時のプロバンス地方はひどい田舎で、農作物の育たない荒れ地だった。森林伐採や、集約農業のやりすぎで、ほとんど木のない不毛の地と化したからだ。

  肥えた農地にするには、土地を保護する役目をする樹木もなければならない。樹木は土壌の水分を保ち、直射日光をさえぎって、地面が乾燥してしまうのを防ぐ。また土地の侵食、土砂の流出も防いでいる。木々のない地域では、雨で土壌が流されてしまい、それによって洪水が起こり、1930年代の大恐慌中に「黄塵地帯」と呼ばれたアメリカ南西部のように、不毛の地となってしまう所もある。

  このフランス南部のプロバンス地方は土地がすっかりやせてしまい、ほとんど木のない状態であった。そして土を保っておく木がないために、土壌は雨に流されていた。その地域全体が渇ききった不毛の地と化しており、農業も殆どすたれ、野生動物さえ姿を消してしまっていた。動物にも住むために安全な場所、安心できる繁みなどが必要だが、木がなければ、雑草や低木も育たず、生きていくために必要な食べ物もなかったからだ。水も必要だが、その地域には木がなく、土地は水分を保つことができないので、ほんの僅かな流れしかなかった。

  というわけで、若者が旅していたこの土地は非常にやせていて、農業もほとんど行なわれていない荒れた不毛の地だった。村は活気がなく、すたれ、荒れ果てていた。大部分の村人は村を捨て、他の土地へと引っ越していた。

  ある夜、この若者は羊飼いの小屋に泊めてもらった。その羊飼いは白髪まじりで50代半ばだったが、なかなか壮健だった。小屋は小さいながらも、きれいに片づいていて、簡素な家具が置いてあった。親切な羊飼いは、若者を暖かくもてなし、若者は何日かそこに泊まらせてもらった。夜になると、羊飼いは、ランプの光をたよりに何時間もかけて、木の実をより分けていたので、若者は好奇心をそそられた。カシ、ハシバミ、クリなどの実を、テーブルの上で非常に慎重かつ真剣に選り分け、質の良くないものは捨てていった。ついにその夜の仕事が終わると、羊飼いは選んだ木の実をナップサックに入れたのだった。

  次の日、羊の群れを連れて外に出た羊飼いは、行く先々で昨夜の木の実を植えていくのだった。羊が草を食べている間、羊飼いは杖を取り、羊の様子に気をくばりながら、その辺りをまっすぐ歩いていった。何歩か歩いては、杖で地面をぐっと押して、深さ数センチの穴をあけた。それから木の実をその穴に落として足で土をかぶせるのだ。羊飼いはまた何歩か歩くと、乾いた地に杖で穴をあけ、木の実を落とした。こうして羊飼いは日中ずっと、羊に草を食べさせながら、プロバンス地方を何キロも歩き回った。毎日違う場所に行き、殆ど木がない場所に、カシ、ハシバミ、クリなどの実を植えていったのだった。

  不思議に思った若者は、羊飼に尋ねた。

  「一体何をしているんですか?」

  「木を植えているんだよ。」

  そこで、若者は思わずこう言った。「でも、どうしてですか? この実が育って木になり、あなたがそこから利益を得るのは、まだ遠い先の話ですよ! 木が大きくなるまで、生きていないかもしれないし!」 

  「その通り。だが、いつか木は大きくなって誰かの役に立ち、この地域が前のような美しい所になる助けになるだろう。わしはそれを見ることができんかもしれんが、わしの子供達が見ることだろう。」

  若者は、実際にその成果を見たり、利益を得たりすることはないかもしれないのに、これからの世代のために住み良い土地を作ろうとする、その長期的な展望と無私の姿に感動したのだった! 羊飼いは、木が育って土地を守ることを願いながら、将来のために木の実を植えていたのだ。

 

  20年経ち、その若者は40代になった。再びプロバンス地方に行った彼は、そこでの光景に思わず目を見張った! 谷間全体が、様々な種類の木が繁る美しい森で覆われていたのだった! もちろんまだ若木で、6、7メートルしかなかったが、木には違いなかった。

  その谷全体に生命がみなぎっていた! 青々とした草、潅木、そして動物達もいた。土地は潤い、農夫達も畑で働いていた。20年前の不毛で荒れ果てた状態と比べれば、地域全体が生き返ったかのようだった。

  「あの羊飼いはどうなったんだろう。」と、彼は思った。驚いたことに、羊飼いはまだ生きていた! 20歳の若者にとって、50代の人はとても年老いて見え、もう先は長くないように思えるものだが、その羊飼いは75歳くらいで、かくしゃくとしていた。相変わらず、あの小さな小屋で、毎晩、木の実をより分けていたのだった。そしてこの40代の訪問者は、最近フランス政府の視察団がパリからこの新しい森を見に来たことを耳にした。彼らにとって、ここはまるで奇跡の森であった。そして視察団は、この谷間と地方全体が美しい若木や草に覆われたのは、この一人の羊飼いが、何年にも渡って、来る日も来る日も羊を見ながら、休むことなく、カシ、ハシバミ、クリなどの実を植えていた結果だということを知ったのだ! 彼らは非常に感銘を受け、その羊飼いに深く感謝したので、たった一人でこの地域全体に緑をもたらした功績を称えて、羊飼いに特別年金を与える事をフランス下院議会で決定したのだった!

  プロバンス地方を再び訪問したあの男性は、その変わりようにたいそう驚いたそうだ。美しい木が生えていただけではなく、農業も復興し、野生動物が住み、地面も美しい緑におおわれていた。小さな農場では作物が豊かに育ち、村はまた活気を取り戻したようだった! 村人達が将来への希望を取り戻したかのように、小さな家々もきれいに修理され、塗装しなおされていた。すっかり荒れ果て、見捨てられていた20年前とは大違いだった。

  こうして活気を取り戻したのも、一人の人の先見の明と、来る日も来る日も、何年にも渡って自分にできる事を行なうというたゆまぬ努力、忍耐、犠牲、忠実さのおかげだった。後でわかったことだが、この旅人が20歳で初めて出会った時、羊飼いは、木の実を植えるという忍耐のいる仕事をすでに何年も続けていたそうだ。そして20年後、木は大きくなり、7メートルにもなっていたのだった! 一人の人のひたむきさによって、この地域全体がよみがえった。再び美しい場所となり、経済が復興し、野生動物や、農業、水、土壌も復活したのだ! 人口まで増えた。何もかも、木が育ったおかげだった。

 

  だから、世界の現状にがっかりすることがあっても、決してあきらめてはいけない! 大きな国々の政府や軍隊や戦争によって、歴史の流れや世界の状況が変わっているのを見て、がっかりすることもあるだろう。「ああ、私などつまらぬ存在ではないか? 何ができるというのか? お先真っ暗で、できる事など何もないみたいだ! たった一人で世界を良くするためにできることなんて何もない。だから努力しても、何になるだろう? 何をやっても無駄だ。」 そして、世界がどうなろうと構うものかと、あきらめてしまいたくなる! 時に、こんな世界は破滅して当然のように思われるからだ。

  しかし、この素朴な羊飼いが何十年にも渡る努力によって証明したように、たった一人でも世界を変えることができる!世界全体を変えることはできないかもしれないが、自分がいる部分は変えることができる。この一人の羊飼いは来る日も来る日も、何年も何年も、忠実で犠牲的な働きをしたことで、南フランスの全地域を完全に変え、よみがえらせたのだった!

  この事から、何年か前に私と妻がある国に移った時に言われた事を思い出した。私達の信仰と、神の愛を伝え、この国の人々を助けたいという願望を知った、その国のある中年夫婦が言った言葉だ。実はこの国は非常に保守的で、何百年にも渡って根強く守られた、絶対不変とも思える文化があった。

  その婦人が、ある日、私達に言った。「この国の人達を変えようなんて、馬鹿げていると思わないんですか? 私達は、何百年も昔から、ずっとこのように生きてきたんですよ! この町や国を変えるなんて、絶対できません。不可能です! この国の人達は絶対変わらないから! やっても無駄ですね! とても閉鎖的で保守的だし、文化が昔からしっかりと根付いているので、変わりっこありませんよ! やろうとするだけでも馬鹿げています!」

  私はこう言い返した。「国全体は変えられないかもしれないし、この町を変えることさえもできないかもしれません。市民全員などなおさらです。でも、私達は何人かを変えています。毎日一人ずつです。私達は毎日、真理の種、神の御言葉と神の愛の種を心に植えているのだから、その中には必ず新しい命の芽を出す人がいるはずです!

  もしかしたら、いつの日かこの市全体を変えるようになる、新しい命の『森』ができるかもしれません! その時には私達はもうここにはいないかもしれないし、生きてその成果を見ることも、自ら益に預かることも、楽しむこともできないかもしれませんが、私達の子供達、または彼らの子供達、そしてこの市、この国がそうするでしょう! もしかしたら、益を得るのは、国の中の一つの地方の小さな地域だけで、私達は町全体、国全体、ましてや世界全体を変えることはできないかもしれません。しかし、その一部を変えることはできるのです!」

 

  もし一つの人生を変えたなら、世界の一部を変えたことになる。これは、世界全体も変わる望みがあることを証明している! 一つの人生を変えられるなら、もっと変える事ができ、多くの人生が変わり、地域全体がよみがえり、ついには世界を変えることができるという可能性を示しているのだ。それも、誰か一人の人が始める事で。それはあなたかもしれない!

  数年前に私と妻がここに移ってから、多くの人の人生が変わった! 苦労している割には、あまり成果が見られず、とてもゆっくりで、ひたすら骨の折れる努力が続くこともあったが、それでも沢山の種を蒔くことで、多く人の人生を変えてきた。「でも、それは世界を変えている事にはならない。」と言われるかもしれない。しかし、最初私達は2人だけだったが、世界の中の私達のいる部分を変え始めていたのだった! そして今、私達によってキリストに勝ち取られた何百もの人々が神の言葉を宣べ伝えて、種を蒔いており、これらの種から、さらに多くの新しい「木」が生えることになる! 誰もが、私達のことや活動、仕事、信条、また、何を教え、何を実践しているのかについて話しているのだ!

  さて、一人や二人の人間に何ができるだろうか? このかたくなで、冷たく、不可能に思える宣教の地、何百年もの間、あらゆる変化を拒んできた根強い文化、習慣、宗教によって縛られている国で、一組の夫婦に一体何ができるだろうか? 状況は全く不可能に思えた! しかし、私達は神の御言葉、福音、キリストの愛の真理の種を周りにいる人の心に植え始めた。そしてすでに何百人もの人々を変え、今彼らは他の人を助けている。だから人生を変えるという私達の働きは、実際爆発的な効果をあげているのである! 私達は全員をいっぺんに変えようとはしなかった。そんな事は不可能だ! しかしゆっくりと、忍耐をもって、心を一つずつ、人生を一つずつ、小さな満たされない心の空洞を一つずつ、真理の種を一つずつ、辛抱強く、優しく、愛をもって、毎日一人一人に、何年もかけて働きかけたのだ。

  だから、誰もがその成果を見るし、それについて話すし、彼ら自身が変わってきている! 人々の心を変えるという私達の努力をかなり疑っていた著名な医師がいたが、その医師もついに、私達がこの市に素晴らしい影響とインパクトを与えたことを認めたのだった。彼はこう言った。「ここにはあなた達のような人達が必要です。この市は長い間、このような影響を必要としていた。私達は豊かだし、金もある。感謝すべきものは何でもある。しかし、あなた達がもたらしたような精神的な影響はなかった。ここにはそのような影響が本当に必要です。」私達はこの町に影響を及ぼしたのだった! 全員が救われたわけでも、生まれ変わったわけでもなかった。しかし、ほとんど誰もが神の愛のメッセージが宣べ伝えられるのを聞いた。

  多くの人がやって来て、私達が与えていた愛と真理に直接預かった。私達は、少しずつ、毎日毎日、心から心へ、空洞から空洞へと、種を一つまた一つと蒔いていたのだ。今、若木からなる新しい森が育ち始め、成果が現れ、目に見え始めてきた。だから、その事は人々の話題にのぼり、皆が感嘆の声をあげているのだ!

 

  世界を変えることなどできない、もう手遅れで、どうしようもない、手に負えないし、難しすぎる、と言うのだろうか? では、世界の中の自分の部分を変えてみればどうだろうか? 自分の心、思い、精神、生活から始めてみてはどうだろう。自分の人生を変えることができたなら、全宇宙、自分の体という宇宙の一部、自分が住んでいる空間を変えたことになる。あなたが神の愛の力によって自分自身を変えるだけで、自分のいる場所、周囲の雰囲気も次第に変わってくるだろう!

  自分の生活だけ変えるのではなく、自分の家族、家庭も変えよう! そうすれば、自分の家族や家庭も新しくなる。神の真理と愛といのち、そして神の御言葉で満たされた新しい人生、新しい思い、新しい心、新しい精神が生まれるからだ。その時、家庭全体が、変わることになる。それは世界全体、あなたの世界である! 今住んでいる世界を変えよう。つまり、自分の生活、家庭、家族を。その時、世界を、つまりあなたの世界を変えたことになる!

  それから、その小さな家族が、近所の人、友人、同僚、学校の友達、取引先、訪問者、毎日の生活で出会う人々を変えることが出来る。それこそ、私達がすることだ。あなたも、毎日外に出かけ、孤独で、助けを必要としている人々に愛の手を伸ばそうと特別な努力をしてみてはどうか。愛や真理を探し求めている人々、何を求めているか自分でもわからないが、幸せになることを求めている人々、御言葉の水と神の愛の暖かさがないために、空しく、乾ききった、みじめな心を何かで満たそうと必死に切望し、待ちこがれている人々が大勢いる。

  それは、ただ個人として、自分や、自分の家族だけで始めることができる。ただ、一人また一人、心から心へと、日夜種を植えていくのだ。どこであれ、福音の小冊子を配ることもできる。毎日たゆまず、忠実に、忍耐をもって一つまた一つと種を植え、空しい心から空しい心へと神の御言葉の真理の小さな種を落としていき、それから、神の愛の暖かさでおおうのだ。その後は、神の御霊と大いなる神の愛の暖かい光、そして御言葉の水が、奇跡を行なって、新しい命を生み出してくれると信頼しなさい!

  最初の内は小さな芽、うっかり踏みつぶしてしまいそうな新芽にしか見えないかもしれない。「この広大な土地で一体何の役に立つと言うんだ。森が必要だというのに、こんなちっぽけな芽が何になるんだ。」と思うかもしれない。しかし、これはただの始まりにすぎない。これは新しい命の奇跡の始まりであり、この芽はどんどん成長して生い茂り、ついには大きくてたくましい全く新しい木、新しい生命、さらには全く新しい世界となるかもしれない! だから試してみてはどうだろうか?

  世界を変えることなどできないと言うのか? 試してみてはどうだろう? 世界の中の自分の部分、自分の世界、自分自身の人生の世界、例えば家族や家庭、近所の人、自分の住む町から始めてみては? そして、何が起こるか見てみよう!

  私達はこれから世界を変えようとしているのではない。すでに世界を変えつつある。どこででも神の愛を伝えることによって! 私達は、今住んでいるそれぞれの小さな世界、自分自身の生活、家庭という世界を変えている。そしてこの地球上には、毎日行く先々で、心から心へ、人生から人生へと新しい種を一つまた一つと蒔いているクリスチャンが大勢いる。少しの時間と成長する機会を与えられるなら、世界中で、全く新しく力強いクリスチャンの木が何百万も成長し、その枝を大きく広げ、それが一つになってとても広大な森ができると、私は信じている! この新しいクリスチャンの「森」は土地を生き返らせ、世界を救い、守り、回復させ、土壌や水分が失われないようにする。そして自分達が生きている場所に新しい生命、新しい精神生活をよみがえらせ、何百万もの木からなる何万もの森に変えて経済も繁栄させる。どこででも全く新しい世界を造り上げるのである!

 

  だから「私には何もできないし、自分一人では、やるだけ無駄だ! 何ができると言うんだ?」などと言ってはいけない。今日あなたも世界を変え始めることができる! すでに始めた人もいる! 世界のかなりの部分を変えてしまった人さえいる。自分の人生、家族、家庭、そして周りにいる人の人生、家族、家庭、また住んでいる地域、町、訪問した国、町から町へ、都市から都市へと種を蒔いてきた人達だ。

  アメリカ開拓時代の初期に、ジョニー・アップルシードという人物がいた。彼はいつもりんごの芯を植えていた。どこでもりんごを食べたなら、その芯を植えたのである。そのジョニー・アップルシードのおかげで、ニューイングランド州全体にりんごの木が育ち、何代にも渡って毎年収穫していると人々は言う!

  世界を変えることができないだって? いや、あなたにもできる! 神の御言葉と愛を周りにいる人に伝えているなら、世界を変えているのである。そうだ、世界を変えている! 忠実に努力を重ねるなら、政府から報酬を受けたあの羊飼いのように、あなたにも、天の報酬を受け取る日に神が報いて下さるだろう! その時、神はこのように言われる。「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ!」(マタイ25章21節) いつも沢山の成果があった訳ではないかも知れないが、忠実だったのは確かだ。たとえ大物や重要人物ではなくとも、良い忠実な僕となり、立派に神に仕え、忠実に務めを果してきたのだから。

  毎日、心から心へと、自分がすべき事を行なって種を蒔いたのだから、必ず収穫を刈り取ることになる! イエスがマタイの福音書の中で言われたように(マタイ13章18ー23節)、種全部が大きく成長するわけではないかもしれない。敵に取り去られたり、石地に落ちる種もあるだろう。根が浅いので、迫害や試練が起こった時に枯れてしまったり、この世の心配事や富に惑わされて成長を阻まれる種もある。しかし、幾らかは必ず良い地に落ち、30倍、60倍、100倍もの豊作をもたらして、そのすべての損失を補ってくれる。だから、あなたは世界を本当に変えたことになる! 私は心からそれを信じている! 世界を変えることが可能だと言うだけではなく、私達は世界を変えつつあり、実際に変えてきた! 私は確かに自分の周りの世界を変えた! あなたもそうしているだろうか? あなたに神の祝福があるように!

  最後に、あなたに伝えておきたいとても大切な事がある!あの若者は羊飼いに、「でも、生きてその成果を見られないかもしれませんよ。その益に預かることもないでしょう! 自分が何かためになることをしたのかどうかを、生きて目にすることもないではありませんか?」と言ったが、羊飼いは、1947年まで、つまり89才になるまで生きた! だから自分の植えた木の実がすっかり成長して美しい森となり、その地方全体が完全に変わるのを見る事ができたのだった! 羊飼いは長生きし、自分のいる世界が変わるのを見る事ができた。神は羊飼いを祝福され、羊飼いが生きながらえてその努力の報いを見られるようにされたのだ。彼は神が自分を通してなされた偉業を目にしたのである! そこで思い出すのは、新約聖書にあるパウロの言葉だ。「私達は善を行なうことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。」(ガラテヤ6章9節) だから、ひょっとしたら世界が変わり、自分を通して世界が変わったのを目にするまで生きているかもしれない。または、この世では見られないとしても、来世から、世界を変えた日を皆が見るのである! 神に栄光があるように!

 

  あなたは、今日、自分の世界を変えているだろうか? 誰かの人生を変えるのに、そんなに多くを要しないこともある! 私が1967年のモントリオール万博のソ連館に家族で行った時の出来事もその一例である。当時、私の母は80才だった。パビリオンの中に入ると、どういうわけか責任者自身が、母に車椅子を持ってきてくれた! その人は、背の高い、きちんとした身なりのブロンドのハンサムな若いロシア人だった。それから、自ら車椅子を押して母を案内し、色々説明してくれた。そして、私が自分の見たい他の様々な展示物を見て回っている間に、二人はかなり打ちとけ、会話に夢中になっていた。

  この若いロシア人はパビリオンの内部を案内しながら、母に様々な展示物の説明をし、二人は2時間近く真剣な会話をかわしていた。しかし後でわかった事だが、その会話は、ただ「機械装置」についてではなかった。ソ連館を出る時、そのロシア人は名残惜しそうに、「ぜひまた来て下さい!」と言ってくれた。非常に誠実で親切な人で、短い時間一緒に話したことで、母とすっかり親しくなったようだった。

  数週間後、その人から手紙を受け取った。手紙にはこう書かれていた。「あなたは私の人生を変えました! 私はあなたが勧めてくれた通り、キリストを受け入れました。あなたに会って、私の考え方も信条も完全に変わりました。あなたは私を変えたのです! けれども、私には妻と3人の子供がいます。それに私の国は、法律によってキリスト教が禁じられている共産主義国です。これからどうすればよいのでしょう?」

  母が返事に書いたアドバイスは、大体このようなものだった。「世界を変えることですよ! 自分のいる世界を変えてはどうですか! 今始めて下さい! 自分に起こった事を、今いる場所で忠実に証言し、知らせるのです。神があなたになされた事、神の愛と真理があなたに直接何をしたかを話して下さい。そうやって、世界の中のあなたのいる部分を変え始めることができますよ。たとえそれが共産主義の国であっても!」

  だからあなたにも世界を変えることができる! 今日始めなさい。自分の人生、家族、家庭、近所の人を変えよう。自分の町を、国を、そして世界を変えようではないか!

 

 

  ***

 

  あなたはイエスとイエスの愛によって人生を変えてもらいましたか? もしまだなら、今、下の短い祈りを祈って、心の中にイエスを受け入れて下さい。イエスは、あなたの人生を変えることができます。

 

  イエス様、あなたが神の御子で、私のために死んで下さったと信じます。今、私のすべての間違いや罪を赦して下さい。私は人生の扉を開けて、あなたを心の中にお招きします。永遠の命を与えて下さい。イエス様、私の心に入って、私があなたの言葉、聖書を読み、あなたのために生きるのを助けて下さい。また他の人もあなたを知ることができるように、私があなたのことを話すのも助けて下さい。イエスの御名(みな)によって祈ります。アァメン。

 

 

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「世界を変えよ!」初版は、1977年1月に発行されました。

第一巻2号 C1993, Mountain Streams, Postfach 241,8021 Zurich, Switzerland.