水晶の流れ 27

明日への希望を与え、心を新たにする、現代人へのメッセージ

 

 

クリスマスの天使

デービッド・ブラント・バーグ著

  クリスマスの賛美が鳴り響く。聞こえるだろうか? 至る所で賛美が聞こえる! もろもろの天がイエスを賛美して喜んでいる。クリスマスの賛美が、一年中、毎日鳴り響いている!

  だから、イエスは一年中毎日、私たちに愛を降り注いで下さる。クリスチャンにとっては毎日がクリスマスだ! しかし、残念ながら、クリスマスの本当の意味をまだ知らない、この世の大勢の哀れな人達にとってはそうではない。

 

さまよえる、孤独な人々

  とても多くの人々がさまよい、孤独で、しいたげられ、弱り、疲れ果てている。肉体的に疲れ果てている人もいれば、心が弱り果てている人もいる。さらには、身も心も霊も弱り果てている人もいる。

  踏みつけられている人たちや貧しい人、迫害されている人、飢えている人、戦争や犯罪、搾(さく)取の犠牲者もいる。誰にも望まれず、誰にも気づかってもらえない人、物質的に恵まれず、食事や服、住む場所にさえ、こと欠いている人たちが世界には大勢いる。

  一方、何不自由ない生活をし、何でもそつなくこなしているように見えながら、孤独で、私利私欲の捕らわれ人となっている人たちがいる。そういう人たちは、問題やストレス、不安、様々なことへの強い恐怖によって疲れ果て、重い心を引きずって歩いている。

  ほほえんではいても心は傷ついている人、むなしさの海におぼれんばかりの人、痛みや罪悪感、恨み、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれている人、過去を悔やんでいる人、将来に不安を感じている人…。現代社会には、失意と絶望のどん底にある人たちが大勢いる。

  まるでビートルズのあの歌の一節のようだ。「孤独な人々、いったいみんなどこから来たんだろう?」 どこから来たか教えてあげよう。あの孤独な人々は、利己的な社会によって作り出された!

  孤独な人々、道を失い、見捨てられた人々は、他人の必要など考えず、自分のことしか考えない社会の産物だ。私利私欲追求の冷たい社会、誤った生き方が、孤独な人々を生み出したのだ。彼らは、「自分のためだけに」「自分勝手に生きよ」という悪魔の教えによって生み出された。だから、孤独な人々が大勢いる。孤独な人々は、自分たちの創造主を忘れた世界の所産だ。彼らは犠牲者だ。人間が愛の内に生きないならどうなるかを示す、悲しい結果なのだ。

 

闇は深まる

  世界はますます暗く、冷たくなってきている。そして、大勢の人々がそれを感じ取っている。理解もせず、必ずしも認めたくないかもしれないが、それが現実だ。太陽は沈みかけ、闇が訪れようとしている。そして、世界は希望を、何らかの希望の光を求めている。

  次から次へと大事件が起き、世界中の人々が疑問に思う。「どうしてこんなことが起こったのか? どうしてあんなことが起こったのか? どうして世界には苦悩と争いばかりなのか? なぜ罪のない人々が殺されるのか? なぜ問題や悲しみがあるのか?」 人々はそんな疑問に悩み、砂のようなはかないものを土台にしていた人たちや、もともと土台などなかった人たちは、答えを知らない。世界がこれほど真の愛や本物の答を必要とした時代は、今までなかった!

  有名なクリスマス・キャロルは、こう歌っている。「さやかに星はきらめき、御子イエス生まれたもう。長くも、やみ路(じ)をたどり、メシヤを待てる民に…」

  歴史始まって以来、世界がこれほども罪と悲しみの内にいる時代はなかった。進歩、人類の「向上」、新薬、最先端テクノロジー、新発明、住み良い世界にするためのより良い政府…様々なことが論じられている。進歩、進歩とさかんに言われながら、現実は、悪化の一途をたどっているではないか。まわりを見なさい! 否定などできないはずだ!

  だまされてはいけない。人々は罪にそまり、心の中では悲しみ、嘆いている。これほども混乱に満ち、ありとあらゆる人々が、ばらばらな方向をさして「これが道だ。こう進めばいいのだ。」と言う時代はなかった。歴史始まって以来、世界が今ほど真理を聞く必要性を抱えたことはなかったのだ!

 

御使いたちよ、立て!

  その歌の歌詞を続けよう。「新しき朝は来たり。さかえある日はのぼる!」 これほど世界に希望の光が必要な時代は、今までなかった! 人々は今までになく、すぐに訪れる栄光ある夜明けについて聞く必要がある。

  コーラスの部分もとても意味深い。「ひざまずき、御使いの声を聞け!」 ちょうど御使い、つまり天使たちがキリストの誕生を告げた時のように、主は現代の人々にも御使いの声を聞いてほしいのだ。

  教えてあげよう。意外かもしれないが、あなたもその御使いの一人になれる。あなたもイエスご自身から送られた御使いになって、この世のさまよえる、孤独な人たちに良き知らせを告げ、彼らが待ち望んでいた希望の光を与えることができる。神からすれば、命の言葉を持ち、神の真理を知っていて、信仰にあって神から豊かにしていただいたあなたたち以外に、頼りにできる人がいるだろうか。

  今は、憎悪とかたくなな心がはびこり、混乱と欺まん、陰謀と巧かつな言葉、見せかけと隠ぺいが満ち満ちている。だからこそ、主の光を輝かせることが切実に必要とされている。闇が訪れ、冷たい風が吹く今、あなたがたクリスチャンは光を掲げなければいけない。すべての人に見えるように、しっかり、高々と。

  あなたが人々に主の光を輝かせれば、あとは主がして下さる。それを通して、主が人々の人生や心や思いに、主の望まれることを達成される。

 

愛を行動に!

  ただ真理を聞くだけでなく、真理を見ることがこれほども切実に必要とされている時代は今までになかった。真の愛について聞くだけでは十分ではない。それを見なくてはいけない。世界は行動に表された愛を見る必要があるのだ!

  人というものは、時に言葉を誤解してしまうが、それが行動に表れれば誤解はない。エドガー・A・ゲストはこのような詩を書いた。「説教を聞かされるよりも説教を見たいものだ。ただ道を教えられるよりは、一緒に歩いてもらうほうがいい。」 ほとんどの人にとって、真理を受け入れるには、説教を聞くだけではなく手本を見る必要があるのだ。

  イエスは言われた。「互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう。」(ヨハネ13:35) どうして、主はそう言われたのだろうか? ただイエスの愛について告げるだけでは十分ではないのか? 主はただ、「わが言葉を宣べ伝えるならば、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」と言ってもよかったのではないか? それで十分だったのではないか?

  そうでないのは明らかだ。主は、「互いに愛し合うならば、わたしの弟子であることをすべての者が認める」と言われたからだ。そして互いへの愛があれば、当然、あなたは一日中、他の人にもわかる、はっきりとした方法で、それを示すようになるはずだ。

  愛について語るだけでは十分ではない。イエスは、愛を持ち、愛を実践しなければならないと言われた。主は、目で見える手本を人は否定できないと知っておられたからだ。

 

主にどんな贈り物を?

  愛するクリスチャンの皆さん、今年のクリスマスと、さらには一年を通して、主に最も喜んでもらえる贈り物をしよう。それは、愛の贈り物! あなたの愛を贈りなさい! 自分自身を捧げなさい! その目の輝き、愛のこもったまなざし、優しい言葉、親切な行いを通して、イエスの愛とその優しさを表しなさい。他の人たちに対して、イエスのような存在になりなさい。あなたが語るメッセージの生きた手本となり、メッセージの効果を自ら証明しなさい!

  いつも周りの人を愛し、主が教えられた通りに生き、一日を通して、ささいなことであっても色々な方法で主の愛を表し、イエスの愛は素晴らしいことを成すということを、行動をもって示しなさい。一年中クリスマスのように生きようと思うなら、何よりもまずそれをすることだ。

  さて、クリスマス・キャロルに戻ろう。「心こめて愛し合いなさい。イエスは教えられた!」 主のおきては愛、そして主の福音は平和だ! 主は、あなたたち主の子供に、主の律法を授けられた。それは、「愛せよ」というおきてだ。主は、あなたがそれに従い、愛の内に生きるものと信頼している。そして、それによって、あなたがわたしの弟子であることを、すべての者が知ることを。

  さてその歌を続けよう。「聖なるその名によって、鎖は断ち切られ」 主をほめよ! 愛には力がある!

  だから、今年のクリスマスに、何もかも持っておられる主に何をプレゼントすればいいかを知りたいなら、主に愛を捧げるだけでなく、他の人達に手を差しのべ、愛をあげなさい。主の福音は愛である。あなたは愛に生きるだろうか? 愛するだろうか?自分にはそんなことできないと思うかもしれないが、神にはできる。そして、ただやってみれば、主が助けて下さる。

  祈って、一年中毎日クリスマスのように生きられるよう、主に助けを求めなさい。「自分を愛するように隣り人を愛せ」という主の最大の戒めに従えるようにと。これこそがクリスマスの真の意味、最大の目的だ。そもそも、イエスがクリスマスに地上に来られたのは、私達に永遠の命を与えるためだった。そしてさらに、私達に愛することを教えて、私達自身も、他の人のために命を捧げるようになるためでもあった。

  あなたの愛、祈り、時間、関心、心づかいを与えなさい。隣り人を愛することによって、主を愛しなさい。このクリスマスにあなたの愛を大きく広げなさい。そして、この歌の最後の部分を一緒に、心を込めて歌おう。それで主の力と栄光をあらわしなさい!

  「喜びの歌、ともに歌おう、聖なる名を讃(たた)えよう。キリストは主その名をほめよ、彼の栄光を永遠にほめよ! 彼の栄光を永遠にほめよ!」

  あなたは主の御名を永遠にほめたたえるだろうか? その力と栄光を永遠に言い表わすだろうか? そのためにはどうしたらいいだろう? お互いに愛を示し合うこと、愛を与え合うことこそ、それをする最善の方法である。

  あなたの生き方が全てを物語る。あなたは生きた手本、生きた証明となるからだ。主の愛に生きるなら、あなたの上に主の力がもたらされる。主があなたに力を注がれ、その力と栄光が世界中に永遠に知れ渡るようになる。愛の力だ! 「キリストは主。その名を永遠にほめよ! 主の力と栄光は永遠に宣べ伝えられる!」

  あなたの内におられるイエスが他の人に見えるようにしなさい! それが本当のクリスマスだ! メリー・クリスマス!

 

     * * *

 

  あなたは、永遠の愛と命という、イエス・キリストからの贈り物を、もう受け取りましたか? もしまだなら、どうぞこう祈って下さい。

  「イエス様、ここに書かれてあるような愛を私に与えて下さい。他の人の人生を明るくし、幸せになるのを助けられるような愛を与えて下さい。私の過ちや罪をゆるし、心の中に入って下さい。そして、あなたの聖霊でわたしを満たして下さい。あなたの愛を他の人にも表し、その人たちもあなたに心を開いて、あなたの愛を受け入れる助けとなれますように。アーメン。」