グッド・ソーツ

人間関係 第三部

 

  137.労働争議の解決を頼まれたり、被告の弁護を依頼されたりする人はめったにいないものだが、家賃や部屋代を安くしてもらいたい人は、いくらもいることだろう。そういう人に、穏やかな話し方がどんなに役に立つかを考えてみよう。

  O.L.ストローブという技師が部屋代を安くしてもらいたいと思った。だが、家主は評判の頑固者だった。以下、彼が私の講習会で公開した話を紹介しよう。「私は契約期限が切れ次第、アパートを出ると家主に通告の手紙を出した。だが、本当は、出たくなかったのだ。家賃を安くしてくれさえすれば、そのままそこにいたかった。しかし、情勢は全く悲観的だった。ほかの借家人もみな失敗しており、あの家主ほど扱いにくい男はいないと口を揃えて言った。だが、私は心の中でこう考えた。『わたしは講習会で“人の扱い方”を習っている。家主に応用して、効果を試してみよう』

  私の手紙を受け取ると、早速、家主が秘書を連れてやって来た。私は快活な笑顔で家主を迎え、心からの好意を示した。家賃が高いなどとは決して言い出さない。まず、このアパートが非常に気に入っているのだと話し出した。実際、私は“惜しみなくほめたたえ”たのである。アパートの管理についても大いに敬服し、せめてもう1年ぐらいはここにいたいのだが、残念ながらそれができないのだと家主に言った。

  家主は今まで借家人からこういう歓迎を一度も受けたことがなかったのだろう。すっかり勝手が違った様子だった。

  しばらくすると、家主は自分の苦労を話し始めた。苦情ばかり持ち込む借家人、中には14通も苦情の手紙をよこした者もあり、その内には、明らかに侮辱的な手紙も幾つかあった。家主の責任で階上の男のいびきを止めてくれなければ契約を破棄すると脅してきた者もいたそうだ。『あなたのように話がわかる方がいて下さるとは、本当にありがたいことです』と言って、私から何も言い出さない内に、家主のほうから家賃を下げようと言った。私はもっと下げてもらいたかったので、はっきりと私の払える金額を言うと、家主はただちにそれを承諾してくれた。

  その上彼は、帰りしなに、『部屋の装飾を変えてあげたいのですが、何かご注文はありませんか』とまで言ったのだ。

  もし私が他の借家人と同じ方法で、家賃の引き下げ運動をやったとしたら、やはり彼らと同様に失敗したに違いない。友好的で同情的な、感謝に満ちた態度が、この成功をもたらしたに違いない。」

               −−デール・カーネギー

 

  138.オリバー・ロッジ卿は、40年間に渡って、大学の教壇や公の場で教えてきた人物だが、彼と人前で話すことについて話した際、ロッジ郷が最も重要なこととして強調したのは、第一に、知識と準備、そして、第二に、「明確にするための努力を惜しまぬこと」だった。

  プロイセン・フランス戦争が勃発した際、モルトケ将軍は、部下の将校達にこう言った。「諸君、いかなる命令も、誤解される可能性のある命令は、きっと誤解されるであろう。」

  ナポレオンも同じ危険を認識していた。彼が幾度も幾度も最も強調して秘書官達に指示した事はこうだった。「はっきりと! 明確に!」    

                          −−デール・カーネギー

 

  139.リンカーンは、演説の最中によく間をおいた。聴衆の心にしっかりと刻みつけておきたいことがあるなら、前かがみになり、無言のまま、しばらく聴衆の目をじっと見つめていた。この突然の沈黙は、突然の騒音と同じ効果をもたらし、人々の注意をひいた。誰もが注目し、次に彼が何を言うかを息をとめて、真剣に待っていた。

  キプリングは言う。「沈黙が、語るのである」話の途中に使われる賢明な沈黙こそ、最も金のごとき価値がある。効果絶大な手段であり、その重要さのゆえに無視されることがない。だのに、初心者の語り手はそれに気がつかないのだ。

                           −−デール・カーネギー

 

  140.何年も前、『アメリカン・マガジン』誌は発行部数が急増した。その突然の急上昇は出版界でセンセーションを引き起こした。その秘密? それは、故ジョン・M・シッドールのアイデアのおかげだ。最初にシッドールと会った時には、その雑誌の「興味深い人々」という欄を担当していた。私はその雑誌に幾度か寄稿したことがあり、ある日、彼と長いこと話をする機会があった。

  「人間は利己的なものです」と氏は言った。「おもに自分のことにしか興味を持ちません。鉄道を国有にすべきかなどということに関しては、ほとんどなんの興味も持ちません。そのかわりに知りたがるのは、どうすれば出世ができるか、どうすれば月給をもっと多く取れるか、どうしたら健康を維持できるかとかいったことばかりです。もし私がこの雑誌の編集長だったら、歯の治療法だとか、夏を涼しく過ごす方法、従業員の扱い方、家の買い方、記憶法、文法の誤りを避ける法とかいったものを記事にしますよ。人間は必ずそういった人間に関する話に興味を持つものです。ですから、金持ちの人に、どうして不動産業で百万長者になったかを話してもらうのも一考でしょう。それから、有名な銀行家やいろいろな会社の社長に、どうやって平社員から身を起こして権力と富を築いたかを話してもらいますよ」

  その後間もなくして、シッドールは編集長に任命された。当時、その雑誌の発行部数はたいしたものではなかった。シッドールは常々口にしていた事を実行に移した。その反応は? 圧倒的だった。発行部数は20万部から30万、40万、50万部とウナギ昇りに上昇した。人々が知りたいと思っていた事が載せられていたからだ。間もなくして百万人の読者が、毎週それを購読するようになり、さらに150万、ついには2百万に達した。そこでもまだとどまらず、その後も増加し続けた。シッドールは読者が関心を持っている事を取上げたのだった。

                           −−デール・カーネギー

 

  141.鋼鉄王アンドルー・カーネギーも、もとはスコットランド生まれの貧乏人にすぎなかった。初めは1時間2セントの給金しかもらえなかったが、ついには各方面への寄付金が3億6500万ドルにまで達するようになった。彼は、若いころ既に、人を動かすには、相手の望む事柄を考えて話すよりほかに方法はないと悟っていた。学校へは4年間しか行けなかったが、人を扱う法は知っていたのである。

  こういう話がある。カーネギーの義妹は、エール大学に行っている息子二人の事で、病気になるほど心配していた。二人とも自分の事だけ考えて、家には手紙を一通もよこさないのである。彼らの母が幾らやっきになって手紙を出しても、なしのつぶてだった。

  そこでカーネギーは、甥たちに手紙を書いて、返事のことは何も言わずに、返事を折り返しよこさせることができるかどうか、百ドルの賭けをしてみようと言い出した。賭けに応じる者がいたので、彼は甥たちに手紙を出した。とりとめもないことを書いた手紙である。ただ追伸に、二人に5ドルずつ送ると、書き添えた。

  しかし、その金は同封しなかった。

  甥たちからは、折り返し感謝の返事がきた。

  「アンドリュー伯父さん、お手紙ありがとう‥‥」 後の文句は、ご想像にまかせる。           −−デール・カーネギー

 

  142.チャールズ・シュワッブがある日の正午に工場を見回っていると、数人の従業員が煙草を吸っているのに出くわした。彼らの頭上には「禁煙」の掲示が出ている。シュワッブはその掲示を指さして、「君たちは、あの字が読めないのか」と言っただろうか? シュワッブはそんなことは絶対に言わない。その男たちのそばに行って、一人一人に葉巻を与え、「さあ、みんなで外へ出て吸ってきたまえ」と言った。もちろん彼らが禁を破って悪いと自覚しているのを、シュワッブは見抜いていたが、それには一言も触れないで、心づくしの葉巻まで与え、顔を立ててやったのだから、彼らに心服されるのは当然の話である。                               

           −−デール・カーネギー

 

  143.人から押しつけられた意見よりも、自分で思いついた意見のほうを、我々は、はるかに大切にするのではないだろうか? そうだとすると、人に自分の意見を押しつけようとするのは、そもそも間違いだと言える。暗示を与えて、結論を相手に出させるほうが、よほど利口ではないだろうか?

  こういう例がある。私の講習会に来ていたフィラデルフィアのアドルフ・ゼルツの話だが、自動車販売の不振から、部下のセールスマン達がすっかり元気を失っていたので、彼らを激励する必要に迫られ、販売会議を開いて、彼らの要求を遠慮なく発表するように勧めた。彼らの要求事項を黒板に書きつけた後、部下たちに向かってこう言った。「諸君の要求は全部入れることにしよう。その代わり、私にも諸君に対して要求がある。私の要求を諸君がどうやって満たしてくれるのか、その決心を聞かせてもらいたい」 部下たちは、即座に答えた。忠誠を誓う者があるかと思えば、正直、積極性、楽天主義、チームワークを約束する者、1日8時間の実働を申し出る者、中には14時間労働もあえていとわぬという者もいた。会議は、勇気と感激を新たにして終わり、その後、販売成績は驚異的に躍進したという。

  ゼルツはこう言っている。「セールスマンたちは、一種の道義的契約を私と結んだのだ。私がその契約に従って行動する限り、彼らもまた、その通りに行動しようと決心したのだ。彼らの希望や意見を聞いてやったことが、起死回生の妙薬となった。」

              −−デール・カーネギー

 

  144.ニューヨークのある大銀行に勤めているチャールズ・ウォルターズは、某社に関する機密調査を命じられた。ウォルターズは、その会社の情報に通じている人物を一人だけ知っていた。ある大きな工業会社の社長だった。ウォルターズがその会社を訪ねて社長室に通された時、若い女性秘書が部屋をのぞいて、社長に言葉をかけた。「あいにく、今日は差し上げる切手がございません。」

  「12歳になる息子が切手を収集していますので‥‥」社長はウォルターズにそう説明した。ウォルターズは用件を述べて質問を始めたが、社長は言葉を濁すばかりで、一向に要領を得ない。この話題にはふれたくないらしく、彼から情報を引き出すことはまず不可能と思われた。会見は短時間で終わり、何も収穫はなかった。

  「正直なところ、私もあの時はどうしていいかわからなかった」 ウォルターズは当時のことをそう述懐している。「そのうち、私は、ふとあの女秘書が社長に言ったことを思い出した。郵便切手、12歳の息子‥‥同時に、私の銀行の外国課のことが頭に浮かんだ。外国課では、世界各国から来る手紙の切手を集めているのだ。

  翌日の午後、わたしは、その社長を訪ねて、彼の息子のために切手を持ってきたと告げた。もちろん、大変な歓迎を受けた。彼が議員に立候補中だったとしても、あれほど愛想よく迎えてはくれなかったろう。愛好をくずした社長は、大事そうに切手を手に取り、『これは、きっとジョージの気にいる』とか、『これはどうだ! たいした値打ちものだ』とか口走って、夢中になっていた。

  社長と私は、それから30分ほど、切手の話をしたり、彼の息子の写真を眺めたりしていたが、やがて社長は、私が何も言い出さないうちに、わたしの知りたがっていた情報を話し始めた。1時間以上に渡って、知っている限りのことを教えてくれ、更に部下を呼んで尋ねたり、電話で知人に問い合わせたりしてくれた。私は、十二分に目的を達したわけだ。いわゆる『特ダネ』を手に入れたのである。」

              −−デール・カーネギー

 

  145.ある時、ゼネラル・エレクトリック社は、チャールズ・スタインメッツ部長の異動という微妙な問題にぶつかった。スタインメッツは電気にかけては一流の人物だが、企画部長としては不適任だった。会社としては彼の感情を害したくなかった。事実、彼は必要欠くべからざる人物だが、非常に神経質な男だった。そこで、会社は新しい職名を設けて彼をその職に任命した。『ゼネラル・エレクトリック会社顧問技師』というのがその職名である。といっても、仕事は別に変わらない。そして、部長には別な人物をすえた。

  スタインメッツも喜んだ。

  重役達も喜んだ。あれほどの気難し屋を、顔を立てることによって、無事に動かしえたのだ。

              −−デール・カーネギー

 

  146.人々の態度や振る舞いを変える事も、しばしば、人の上に立つ者の仕事である。それを行うための原則を幾つかあげてみよう。

 

原則 1

まずその人をほめ、

誠意のこもった感謝の言葉を言う。

 

原則 2

遠回しに注意を与える。

 

原則 3

まず自分の誤りを話した後で、

注意を与える。

 

原則 4

命令をせず、意見を求める。

 

原則 5

顔を立てる。

 

原則 6

僅かな進歩でも、全て言葉を惜しまず、

心からほめる。

 

原則 7

期待をかける。

        −−デール・カーネギー

 

  147.ある日、シカゴ・デイリー・ニュースのシドニー・ハリスは、友人と、街の売店に新聞を買いに行った。友人は新聞売りに有り難うと言ったが、新聞売りは冷たく沈黙したままだった。また道を歩きながら、ハリスが「無愛想な男だね」と言うと、友人はこう答えた。「ああ、あの男は毎晩あんな風なんだ。」 ハリスが「だのに、どうして君はそんなに礼儀正しくするんだい?」と尋ねると、友人はこう言った。「彼の態度で、僕の振る舞い方まで影響を受ける必要はないだろう?」

 

  148.すぐに結論を下す者は、常に幸せな結果を得られるとは限らない。

 

  150.「グラント将軍は大酒飲みです」と、影響力のある大物の政治家達がリンカーン大統領に進言した。「一日の半分は前後不覚の状態で、信頼におけません。そのような男を軍の司令官にするのは大変不名誉なことです。」「では、グラントは酔っ払うのだね?」とリンカーンが問うと、「誠にそのとおりであります。証明できます。」という答えが返ってきた。「そうか」と言うリンカーンの目が、かすかにきらめいた。「君たちはそれを証明するためにわざわざ時間を無駄にする必要はない。ただ、グラントがどの銘柄のウイスキーを飲んでいるか調べてくれ。ぜひ、私の下におる将軍全員にも一樽ずつ送りたいものだ。グラントのように立派な将軍になるかもしれん。」

 

  151.わたしは、ある講習会を開くために、ニューヨークの某ホテルの大広間を、毎シーズン20日間、夜だけ借りている。

  あるシーズンの初め、使用料を従来の3倍近くに引き上げるという通知を突然受け取った。その時には、既に聴講券は印刷ずみで、前売りし、公表してしまっていた。

  わたしにしてみれば当然そういう値上げを承知する気になれない。しかし、わたしの気持ちをホテルに伝えてみたところで、なんにもならない。ホテル側は、ただホテルのことしか考えていないのだ。そこで、二日ほどしてから、支配人に会いに出かけた。

  「あの通知をいただいた時には、ちょっと驚きました。しかし、あなたを責めるつもりはありません。わたしもあなたの立場にいたら、多分あれと同じ手紙を書いたことでしょう。ホテルの支配人としては、できる限りホテルの利益を上げるのが務めです。それができないような支配人なら当然クビでしょう。ところで、今度の使用料の値上げですが、値上げがホテルにどのような利益と不利益をもたらすか、それぞれ書き分けて表を作ってみようではありませんか」

  そう言って、わたしは、便せんを手に取り、その中央に線を引いて、『利益』と『不利益』の欄を作った。

  わたしは『利益』の欄に、『大広間が空く』と書き込んで言葉を続けた。

  「空いた大広間を、ダンスパーティーや集会用に自由に貸すことができるという利益が生じます。これは、確かに大きな利益です。講習会用に貸すよりも、よほど高い使用料が取れるでしょう。20日間も大広間を夜ふさがれてしまうことは、ホテルにとっては大きな損失になるに違いありません。

  さて、今度は不利益について考えてみましょう。まず第一に、わたしから入るはずの収益が増えないで、逆に減ることになります。減るどころか、一文も入りません。わたしはあなたのおっしゃるとおりの使用料を払うことができませんので、講習会はどこか他の場所でやらざるをえなくなりますから。

  それに、いま一つ、ホテルにとって不利益なことがあります。この講習会には、知識人や文化人が大勢集まってきますが、これは、ホテルにとって素晴らしい宣伝になるのではありませんか。事実、新聞広告に5千ドル使ったところで、この講習会に集まってくるだけの人数が、ホテルを見にくるとは思えません。これは、ホテルにとって、たいへん有利ではないでしょうか」

  以上二つの『不利益』を、該当の欄に書き込んで、便せんを支配人に渡した。

  「ここに書いた利益と不利益とをよくお考えになった上で、最終的なお答えを聞かせて下さい」

  翌日、わたしは使用料を3倍ではなく、5割増しにするという通知を受け取った。

  この問題について、わたしは自分の要求を一言も口にしなかったことに、ご注意願いたい。終始相手方の要求について語り、どうすればその要求が満たせるかということを話したのである。

              −−デール・カーネギー

 

  152.「私は知らない」と言えるようになること、それは、あなたが学ぶべき教訓の中で、最も賢明な教訓だ。「私は知らない!」、この短い言葉を言えることこそ、私達のリーダーが学ばなくてはならない新しい事柄である。これは過去のリーダーが言っていた事とは違うだろう。彼らは自分が何もかも知っているべきで、人の質問に答えられないのは恥だと思っていたのだから。

  「私は知らない」こそ、あなたが使う言葉の中で最も賢い言葉だろう。「私は全くわからない」と言うか、もし切迫した問題が持ち上がり、自分には解決できないのなら、「私は知らない、誰かに尋ねてみよう」とか、「祈ってみよう」と言うか、ただ「考えてみる、それについて話し合ってみよう、もしかしたら、何か思いつくかもしれない。」と言えばいいのだ。

                    −−デービッド・B・バーグ

 

  153.自分の仕事が全然好きではないリーダー、その仕事を楽しんでやっていないリーダー、その仕事をしたくもないリーダーはあまり良いリーダーではない。彼が、少なくとも神に与えられた権威に感謝せず、正しくその権威を使おうともしないのなら、彼は良いリーダーとならないだろう。幾人かの王がしたように、自分の義務を完全に捨て、放棄したならば。

  エドワード3世がシンプソン夫人の時にしたことも、同様だ。彼は、自分の義務よりも女性を選んだ。それは間違った選択だったと思う。なぜなら、彼は自分の民を犠牲にしたからだ。英国民の多くはそのために彼をゆるすことができなかった。彼を称賛し、素晴らしい人物だと思った人もたくさんいて、「何てすてきなの? 愛はすべてのものに勝るのね!」等、等と言ったが、しかし心の奥底ではみんなは、彼が自分達よりも彼女の方を愛していると知っていた! 彼らはその時、エドワード3世をとても必要としていたのだった。彼は自分の民のことをよく知っていたし、貧しい者の味方だったので、良い王になれただろう。体制は、これが理由でエドワードが去っても喜んだのだと思う。それにしてもこれで、彼があまり良いリーダーではなかった事が立証された。なぜなら、彼は責任を避けたからだ。

                    −−デービッド・B・バーグ

 

  154.水は、地下の井戸から来る。神からの雨水! それはポンプのハンドルから出ては来ない! ポンプを押す人は、単に真空を作り井戸から水をくみ出すだけだ。その人の仕事はポンプを押すだけである。彼が水を供給しているのではない! 神が、ご自身の川と小川、つまり私のような預言者を通して雨水を供給される。その水は、後になって人々が使えるように井戸に溜められる。リーダーはその水が出てくるように操作する。その水が溢れ出るように。リーダーか他の人がその水を受け取る容器を供給するだけだ! こうしてあげるのがエグゼキュティブの仕事だ。エグゼキュティブとは、物事を動かし続ける役を受け持つ人なのだ。

                    −−デービッド・B・バーグ

 

  155.ある日、ジョン・ウエスリーが街を歩いていると、一人の男が路上で立ちはだかってこう言った。「今まで、ばか者に道を譲ってやった事はない。」そうするとウエスリーは、「私はいつもそうしていますよ。」と言いながら、道をあけて脇にあった溝をまたいだ。これは『愚か者にその愚かさにしたがって答えをせよ。』という箴言の良い例である。(箴言26:5)

 

  156.オーストラリアのグリネルグにある、クーリー自然保護指定公園は大勢の子供達がピクニックをして帰った後も、その絵のような美しさはそこなわれていませんでした。その秘訣は、ここの管理人が、落ちているごみ二つに印がつけてあって、それを見つけた人は自転車と交換できると放送したからです。これほど速くピクニックの後片付けができた事はありませんでした!

 

  157.若い母親が、9歳になる息子のことで困っていました。いくら叱っても、ズボンの後ろからシャツを出しっぱなしにするからです。隣には4人の男の子が住んでいましたが、みんなきれいにシャツをズボンに入れて着ていました。そこでその若い母親は、思い切って隣の人に、どうやって男の子達にそうさせているのかと聞きました。「簡単なのよ」と、彼女は答えました。「息子達のシャツには全部、裾にひらひらのレース飾りを縫い付けているの。」

 

  158.テネシー州の郊外にある教会の牧師が死んだ時、最も年輩の教会員である私の叔父は、新任の牧師が見つかるまで、その代理を務めてくれないかと教会員たちに頼まれた。叔父は最初の日曜日に気の進まぬ様子で説教台に立ち、自分のつたない試みに対し、みんながいろいろケチをつけるだろうと思っていた。しかしながら、全く準備していないわけではなかった。

  彼は、礼拝を始める前に、まず「何人の人が鉛筆を持ってきたかな?」とみんなに尋ねた。すると至る所で手があがった。次に「それから紙は?」と彼が言うと、封筒や、カード、それに買い物のリストが振られた。

  「よろしい!」彼は大声をあげて言った。「これからコンテストをしましょう。私がこれから言う事をしっかり聞いていて、私が少しでも間違いを言ったらそれを書きとめて下さい。遠慮しないで、どんどん辛い点をつけて下さい。厳しいほど良いのですから。そして礼拝の最後にその紙を集めます。」

  会衆が静粛になったところでしばらく間をおいて、彼は言った。「そのリストの一番長かった人に、最優秀賞として‥‥次の日曜日に説教していただきます!」

 

  159.ウィルトン・ラッケイがシカゴの集会でスピーチする事になっていました。夜も遅くなっており、人々は、その前の人達のスピーチでとても退屈していました。司会者が、「有名な役者のウィルトン・ラッケイが、みなさんにスピーチ(英語で、アドレス)をします」とアナウンスしました。するとラッケイは「司会者の方、そして、皆さん、私のアドレス(住所)はニューヨークのラム・クラブです。」と言って着席したのです。観客席からは、わーという割れるような拍手が起こりました。

 

  160.ダミエンの母親は、精神分析医の秘書をしています。そこのクリニックに金持ちの中年のユダヤ人の婦人が週に何回か来て、彼女はその度にボーイフレンドが自分をお金だけの為に利用しているとこぼしていました。そこで医師は、そのようにボーイフレンドに貢いでお金を浪費する代わりに、そのお金を「動物の里親」企画のために動物園に寄付してはどうかと提案しました。そこで彼女はサルの里親となって金を出す予定でしたが、ダミエンの母親が、南アメリカにいる私達からの「祈りの手紙」を見せて、「私の子供の一人の里親になって援助金を出されてはどうですか」と言ったのです。今、彼女は私達のサポーターの一人であり、私達は、主の愛だけが彼女の問題に対する答えだという事を彼女に教えています!

       --ダミエンとレインボーより

 

  161.「わたしには、人の熱意を呼び起こす能力がある。これが、わたしにとっては、何物にも代えがたい宝だと思う。

  他人の長所を伸ばすには、ほめることと、励ますことが何よりの方法だ。上役から叱られることほど、向上心を妨げるものはない。わたしは決して人を非難しない。人を働かせるには奨励が必要だと信じている。だから、人をほめることは大好きだが、けなすことは大嫌いだ。気にいったことがあれば、心から賛成し、惜しみなく賛辞を与える。」

                     --チャールズ・シュワッブ、

                                鋼鉄製造業者

 

  162.1727年、ヴォルテールがイギリスに行った時、イギリスではフランス人の評判は良くありませんでした。ロンドンの街を歩くにも、身の危険を覚悟しなくてはならなかったのです!ある日、散歩をしていると、怒ったイギリス人の群衆がこう叫びました。「奴を殺せ! フランス人だ! 吊してしまえ!」ヴォルテールは立ち止まり、血気づいた群衆に向かってこう叫びました。「友よ、憐れみをかけて下さい! 私は、イギリス人でないというだけで、もう十分な仕打ちを受けているではないですか!」 そう言うと群衆はワァーッという歓声をあげ、護衛までつけて、ホテルまで無事に送ってくれたのです!

 

  163.ルイ11世が熱烈に愛していた婦人の死を、ある占星術師が予言した。その予言はあたり、婦人は死んだ。王は、婦人が死んだのは、占星術師がそのように予言したからだと考えた。そこで、罰としてその占星術師を窓から突き落としてやろうと、家来を送って占星術師を連れて来させた。「おまえは、賢く教養ある者がごとく振る舞っておったが、おまえの運命はどうなるのか、言うてみよ」

  王の企みに感づいていたその占い師は、王の弱みを知っていたので、こう答えた。「陛下、陛下がご逝去されます三日前に私が死ぬと占いで出ております」

  王は占星術師の言うことを信じ、それからは彼の命を大切にした。

 

  164.ニューヨーク州ブルックリンで小学4年生の受持ちルース・ホプキンス夫人は、学年の始めに担当クラスの出席簿をひと目見て、新学年への期待が不安で曇るのを感じた。クラスの中に、学校中で一番評判の悪い『悪たれ』トミーが入っていたのだ。3年の時の担任は、同僚や校長を始め、相手さえ見ればトミーのことをこぼしていた。ただいたずらをするだけでなく、授業中に規律を乱し、男の子には喧嘩をしかける、女の子はからかう、先生に対しては生意気で、時がたつにつれてますますひどくなるばかり。ところが、その半面、物覚えが早く、授業内容を楽々こなすという長所もあった。

  ホプキンス先生は、早急にトミーの問題を処理する決意を固めた。新学年の初日に教壇に立った先生は、児童の一人一人にひと言ずつ声をかけてまわった。

  「ローズ、すてきなドレスね」

  「アリシア、あなたはとっても絵がうまいという評判よ」

  トミーの番になると、トミーの目をまともに見て言った。

  「トミー、君は生まれながらのリーダーなんですってね。先生はこのクラスを今年の4年生で一番いいクラスにしようと思っているの。それには、君が一番の頼りよ。たのむわね。」

  ホプキンス先生は、最初の数日間、トミーの行動をいちいちほめ、確かにトミーは良い子だと断言した。良い評価を与えられたトミーは、評価どおりになろう、先生の期待を裏切るまいと努力した。そして事実、先生の期待にこたえた。

                          −−デール・カーネギー

 

  165.経営者のうちには、ストライキしている側と友好的になることは大きな利益だとわかり始めた者もいる。一例を挙げてみよう。

  ホワイト・モーター社の2千5百人の従業員が、賃上げとユニオン・ショップ制度採用を要求してストライキを起こした。社長のロバート・ブラックは労働者に対していささかも悪感情を示さず、逆に彼らが「平和な態度でストライキに入った」事を、クリブランド紙上でほめあげた。ピケを張っている者たちが退屈しているのを見ると、彼は野球用具を買い入れて、空き地を利用して野球をやるように勧め、ボーリングの好きな者にはボーリング場を借りてやった。

  経営者側のとったこの友好的態度は十分に報われた。つまり、友情が友情を生んだのである。労働者たちは、掃除道具をどこからか借りてきて、工場の周りを清掃し始めた。賃上げとユニオン・ショップ制実施のために闘う一方で、工場の周りを掃除しているのである。ほほえましい風景ではないか。激しい争いに色どられたアメリカ労働史上かつて見られなかった情景だ。このストライキは1週間もたたない内に妥結し、双方に何の悪感情も残らなかった。

                          −−デール・カーネギー

 

  166.ワナメーカーは一日一度はフィラデルフィアの彼のデパートを見回ることにしていたが、ある日、一人の顧客がカウンターの前で待たされているのを見つけた。誰もその婦人に気がつかない。店員は向こうの隅に集まって、何かしきりに笑い興じている。ワナメーカーは何も言わずに、そっと売り場の中に入って、注文を聞き、品物の包装を頼んで、そのまま行ってしまった。

 

  167.

助けになる友人を獲得する方法

  少年ボック。ボック一家は経済的に破綻し、息子のエドワード・ボックが6歳の時に移民としてオランダからアメリカに渡った。エドワードは、ブルックリンで、皿洗いや新聞売りと、金を稼ぐために少年達がやるような仕事は何でもやった。

  そして、仕事のやり方や秘訣を学ぶために、有名人達と知り合いになったのである。新聞で、著名人がニューヨークに集まると知れば、若いエドワードは、突然その人々を訪問したりもした。

  彼は、フィフス・アベニュー・ホテルに滞在していたグラント将軍を訪ね、将軍から夕食に招待された。大物達は、とても親しみやすいだけでなく、それと共に、孤独であり、楽しい話し相手を非常に喜ぶのもしばしばだということを彼は発見した。

  アブラハム・リンカーン未亡人が神経の病気でホルブルック博士の療養所に入った時、若いボックは未亡人を訪問した。

  16歳だったボックはボストンに行き、オリヴァー・ホームズと朝食を共にした。また、白髪のロングフェローにきた手紙を本人のために読んでやり、劇場にも同伴して、そこでさらに多くの有名人と会った。

  この少年は、大物のオフィスに入るのも一向に恐れなかった。会社が興味を抱きそうなアイデアを思いつくと、遠慮せず、恥ずかしがりもしないでその会社の社長を訪問した。

  19歳の時にまるで子供のまねごとのような新聞を発行し始め、有名人に寄稿を勧めた。大物達とのつきあいから勢いを得て、23歳で、世界最初の新聞記事配給組織を創設した。

  そして、その勢いから、アメリカの指導者的存在の一人となり、アメリカ平和賞とハーバード広告賞を受賞した。

  エドワード・ボックは、独学の道を探求しながら、これらの成功者達は誠実で勉学精神に燃える若者のために時間をさき、友情さえ抱くことを知っただけでなく、独学の最善の方法の一つとは、偉大な人物から学ぶことだということも知った。

  普通、若い人々は、自分が英雄と考える人物がいることを隠したりもしないが、残念ながら、年を取ってくると、人は、誰かが自分の英雄だということを隠してしまおうとするようだ。そのことを隠してはいけない。自分のヒーロー達と知り合いなさい。それは英雄達を喜ばせるし、あなたにとっても刺激となり励ましとなることだろう。

  旧友達とのつきあいをやめてはいけない。見下げてはいけない。しかしまた、精力的に行動する人物の中から、新しい友人を常に見つけなさい。

 

  168.小人物は何でも自分でしたがる。偉大な人は、他の人の手を借りてやり遂げる。

  フランク・ウールワースも最初は小人物だった。何度か安物雑貨店を始めようとしたが、惨めにも失敗し、後になってやっと店が軌道に乗ってきたという時に、病気になってしまった。しかし、この病気こそ彼を大物にするきっかけとなったのだった。

  彼はこう述べた。「その病気をする時までは、私はすべての事に自分で手をつけなくてはならないと思っていました。しかし、経理係を雇った後で私は、自分が購入からディスプレイ、経営に渡るすべてを、誰よりもうまくする事ができるという自惚れを砕くことができました。これが私の成功のきっかけとなり、店が大きく発展する転機となったのです。」

 

  169.第一次世界大戦中のことです。あるアメリカの将校が戦闘地域を偵察していました。英国の准大尉の服を来た陽気な青年が彼の所に近づいてきました。「誰だ?」とそのアメリカ人は彼に挑戦的に尋ねました。「英国皇太子です。」その青年は穏やかな口調でこう答え、通り過ぎようとしました。「それはそれは。」とアメリカ人は皮肉っぽく言い、「とすると私は英国の王だとでも言っておこうか。」それから数日後、赤十字のテントで、この二人は再び顔を会わせました。そのアメリカ人は、あの青年が本当に英国皇太子だという事を知り、顔が真っ赤になりました。皇太子が、彼を見るなり大きくほほ笑み、部屋の向こうから手を降って、「父上、ごきげんいかがですか!」と言った時は、もう穴があったら入りたい気持ちだったことでしょう!

 

  170.

愛する聖徒達と遥かなる天国で暮らすこと

それこそ栄光に満ちた喜び

でも、この地上で知人の聖徒達と一緒に

暮らすとしたら、

少し話が違ってくる!

 

  171.裁判官には次の四つの条件が求められている。丁寧に聞く事、賢く答える事、真剣に考慮する事、それから一方の肩だけ持つ事なく決断する事。

 

  172.人の言っている事に従ってその人を裁いてはならない。その人がどうしてそう言ったか、理解するようにしてみなさい。

 

  173.人を判断する最善の方法は、人々が彼について何と言っているかではなく、彼が人の事を何と言っているかによって判断する事だ。

 

  174.その人が自分について言っている事をうのみにしてその人のことを判断するなら、間違った判断をするだろう。

 

  175.正しい判断をする人の中には、自分の判断力に完全に頼り切っている人は少ない。

 

  176.相手の事について話しなさい。そうすれば相手は喜んで何時間でも聞いてくれるだろう。

 

  177.人というものは、自分の得る情報内でしか物事を判断できないものだ。

 

  178.他人の判断が自分のとは違うという理由でそれを非難してはならない。両方とも間違っている場合があるのだから。

 

  179.神の御前に謙虚に頭を下げる人は、人の前で胸をはって正しく歩む。

 

  180.人と住めばその人の問題を見つけられる。神と住めば、その問題も解決できる。

 

  181.誰でも、どこか良いところを持っているものだ。ただし、良い所を見つけるのに時間がかかる場合もある。

 

  182.ぶっきらぼうに言った言葉には、鋭い角が立っている時がある。

 

  183.トップリーダーには重い責任が伴う。エリザベス女王の言葉にこういうのがある。「冠をかぶる者にとって、冠は何と重いものか!」 私は、あの詩人、ロバート・バーンズのように感じた事が何度かあった。彼の詩が世界的に有名になったのを祝って開かれた盛大な祝賀パーティーの最中に、彼はテーブルの下でこの短い詩を書きとめた。

  「ああ、あの小さなヒナギクと戯れていた時に戻れたら!」おそらく全ての偉人、有名人、政治家、世界的な指導者、預言者、祭司、王がこのように感じる事だろう! 私達は、あの無名で誰にも知られていない頃の、「ヒナギクと戯れていた時に戻れたなら」と思う時がよくある。しかし、名声、または悪名が高まる事、非難、敵、プライバシーや自分の生活があまりない事、大手を振って公の場を自由に歩けない事、また、亡命、寂しい生活を送るといった事は、トップリーダーの払わなければならない代価なのだ。   

                     −−デービッド・B・バーグ

 

  184.誰もあなたに反対しないなら自信を持ちなさい。あなたはまれにみる天才だ。それか、ワンマンなボスだろう。

 

  185.何かを成し遂げるために権力を持ちたいと望むのと、権力を振るいたいために権力を持ちたいと望むことには微妙な違いがある。

 

  186.高貴な目的がなければ権力があっても滅びに至る。高貴な目的があっても、それを行動に移す事ができないなら、全くの役立たずだ。

                  −−セオドア・ルーズベルト

 

  187.人の価値というものは、権力をどのように使うかによって決まる。                        −−ピタカス(紀元前650-569年)

 

  188.敵意を抱かせておいて、同時に納得させる事はできない。

 

  189.若い未亡人がある青年に、自分が何歳くらいに見えるかと聞くと、青年は賢い答えをした。「実は、あなたの外見を見て、実際よりも10歳若いと言うか、それともあなたの理知的な面を考えて実際よりも10歳大目に言うか迷っているところです。」

 

  190.外交術はガードルのようなもの。気まずい事実を、魅惑的に見せる。

 

  191.カルビン・クーリッジ大統領のホワイトハウスでの振る舞いは、常に謙虚で、気取らなかった。その大統領が、ベテランの劇場演出家、デイビッド・バラスコの訪問を受けた。

  この静かな物腰の白髪の訪問者は、恥ずかしそうに、大統領の延ばした手を握り、こうささやいた。「大統領、私はとても光栄に思っています!」 バラスコの言葉をさえぎってクーリッジは言った。「バラスコ氏よ! とんでもありません。私こそ光栄に思っていますよ、アメリカには今まで沢山の大統領がいましたが、デイビッド・バラスコは一人しかいませんから。」

 

  192.著名な作家のジェームス・A・ミッチェナーがホワイトハウスに招待されましたが、ドワイト・D・アイゼンハワーに宛てて、この気品ある断り状を書きました。「大統領殿、実は、私に書くことを教えてくれた高校の先生を称える夕食会の席でスピーチをしてほしいという依頼があり、行きますという返事をしましたが、その3日後に、大統領からの夕食会の招待を受け取りました。私がそちらの夕食会に行かないことくらいで大統領は別に残念に思われないでしょうが、その日に私が出席しないなら、その先生はとても残念に思われることでしょう。」

  大統領は暖かい返事を書きました。「人は一生の間に15人か16人の大統領を知る。しかし素晴らしい先生というものは人生でめったに会えないものです。」

 

  193.権力は、それ自体は悪いものではない。ただそれを使う者次第なのだ。チャーチルが使えば良いものも、ヒットラーが使えば悪くなる。

 

  194.良き管理者は、自分の仕事について心配するのではなく、自分の下で働いている者達の仕事の事を心配する。自分の事を心配するなと私はアドバイスしたい。自分の為に働く人達の世話をしなさい。そうすれば彼らの成功の波に乗ることができるだろう。

 

  195.エグゼキュティブの素質を判断する時、私はその人が仕事を正しく人に委任する事を知っているかどうかで判断する。この課題について私が話し合った人の意見もこれと同じなのだが、委任する能力がない事がエグゼキュティブの失脚する主な原因の一つだと思う。もう一つの原因は、効果的な結論を出す能力に欠ける事。この2つの要素に欠ける事は、ノウハウを知らない事よりももっと大きな、エグゼキュティブの失脚の原因となっている。

                                 −−JC・ペニー

 

  196.「私にはあるポリシーがある」とナビスコ会長のリー・S・ビックモアーは言った。「それは、人は決断を求めて上司のもとに行くのではなく、自分なりに決断を下した上で上司のもとに行くべきだということだ。上司にこう言わせるのだ。『もし、そうするなら、この面においてどのような効果があるのか。』とか『そうするなら、誰々はどう反応するだろうか?』といったように。こうすれば、自分の考えを上司にもっと深く考えてもらうチャンスができる。」

 

  197.どのようなリーダーでも、良いリーダーなら、緊張状態になった時にパニックになって、下で働いている人達にそのパニックを広めたりはしない。状況が困難になればなるほど、落ち着いた態度を取り、その状況に対する最善の答えを見つけ、何とかして成功させようとする。

  198.指導者は、まず自分を改善する事によって、下の者達を改善する事ができる。ある作家がこう言っているように、「自分を改善するなら、自分とかかわりのある人もすべて改善する事になる。」

 

  199.リーダーとしての真価が問われる最終的なテストは、自分の仕事を引き継ぐ人にその仕事への確信とやる気を持たせられるかどうかである。

 

  200.指揮することは、仕えることである。

 

  201.エグゼキュティブとは、組織の中で、夢を描く勇気があり、それをまとめる能力があり、それを実行する力のある者。

 

  202.

柔らかな心に傷がつき

人生の甘美はすべて

消え去ったかに見えた

心の秘密を打ち明けたけれど

残されたのは心の傷だけ  

悲しい年月がゆっくりと過ぎ去った

すると、目には見えない

天使がやって来て

心の傷にいやしの霊薬をぬってくれた

まだ傷あとは残っているけれど

心はすっかりいやされた