グッド・ソーツ

 人間関係 第二部

 

  104.地方回りのセールスマンが、ある有名な実業家と直接会って話をするため、意気揚々とその人物の会社を訪れた。この人と取引ができるなら、この出張は素晴らしい成果を収めたことになる。しかし、本人に会うのは至難の業だ。実業家のオフィスの外で名刺を秘書に渡して待っていると、少し開いた扉から、社長がその名刺を見て半分にちぎってごみ箱に捨てるところが見えた。しばらくして秘書が戻ってきて、社長には会えないことを告げた。そこで、「では、名刺を返してもらえませんか?」とそのセールスマンが尋ねると、秘書は困った顔をしてその事を伝えに行った。秘書は5セントを持たされて戻ってきて、申し訳ないが名刺はどうかなってしまったとの伝言を伝えた。この状況に乗じて、このセールスマンはもう一枚の名刺を秘書に渡した。「この名刺を社長さんに持って行って下さい。そして、私なら2枚で5セントで売りますよ、と伝えて下さい。」

  すると、このセールスマンは社長に面会でき、商談をまとめることができた。

 

  105.ドイツの有名な科学者、ルドルフ・バチアノ博士は、首相としてのビスマルクの手腕を非難していた。ビスマルクは博士に決闘を申し込んだ。「まあ、まあ。」科学者は鉄血宰相のビスマルクにこう言った。「挑戦される側としては、武器を選ぶ権利があるわけですな。それではこれで。」そう言うと、同じような形のソーセージを二つ出してきた。

  「このどちらかは、猛毒性の旋毛寄生虫が繁殖しています。もう一つは普通のソーセージです。閣下の方が先に選ぶ権利がありますから、選んで食べてもらいましょう。私は残された方を食べますから。」

  一時間もしないうちに、鉄血宰相は笑って決闘を水に流した。

 

  106.誰かに話したいという思いに駆られると、人は友人に打ち明けたり、教会に懺悔(ざんげ)に行ったり、カウンセラーの所に行ったりなど、様々な方法を使う。最近では、これを商売にする人もいて、アーカンソー州のリトルロックに、「何でも話を聞く会」というものができたほどである。

  この事務所の宣伝文句はこうだ。「訓練された聞き手を準備しています。あなたが話したいだけ聞いてくれます。途中で口をはさんだりしませんし、料金もお手頃です。聞き手は、あなたの話を親身になって聞いてくれ、同情し、理解してくれます。お望みでしたら、憎しみを込めた表情、又は希望に輝く表情、失意の表情、悲しみや喜びの表情など、何でもいたします。弁護士、政治家、クラブリーダー、改革者の方は、わたくしどもの聞き手を利用してスピーチを練習されてはどうでしょうか。ビジネス等の秘密は厳守しますのでご安心下さい。わたくしどもの聞き手をご利用になり、安心してなんでも打ち明けて爽快な気分を味わわれてはいかがですか?」

 

  107.愚かな男性は、女性に、おしゃべりはやめてくれと言う。しかし、賢い男性は、あなたの閉じた口はとても美しいと言う。

 

  108.人の上に立つ人は、毎日が決断の連続である。小さな事から重要な決断まで幅広い。5分遅刻した人を戒めることから、製造部門での製造量を定めるに至るまで、あらゆる決断に追われている。その決断の一つ一つが相当のエネルギーと努力を要する。しかし、それらの決断はなされなければならない。そうでなければ、管理職が管理を怠っていることになってしまう。

  重要な方針を決定したり、多額の金がかかわる事なら、思い煩わずにじっくり検討してみること。あらゆる面を考慮に入れること。そして、それがあなたの肩にかかっているなら、自分にできる最善の決断をし、結果については心配しない事だ。決断というものは必ずしも100%正しいとは限らないし、部下の決断についても同じ事が言える。優柔不断ではなく、実行に移してほしいなら、必ずしも完璧な決断を期待してはいないことを、部下にはっきりと説明すること。

  良いリーダーは、行動する経営陣を望む。良いリーダーの望むのは行動であり、失敗よりも成功のほうが多いことであって、完璧さではない。間違いを犯して、自分の名誉が傷つくのを恐れるがゆえに何もしないよりは、行動する組織を望む。

 

  109.ウエスタン電気会社のシカゴ工場では、出来高払いの給料計算の方法が、かなり複雑でした。昔からいる社員が、それを計算する簡単な方法を考え出したのですが、その秘訣をどうしても他の経理係に教えようとはしませんでした。会社にとって必要不可欠な人物でいたかったのです。

  そこへ大学を出たばかりのウォルター・ギフォードという青年が、父の反対を押し切ってその工場で働いていました。ギフォードは、その古株社員が簡単な給料計算の方法を考えつくことができたのなら、大学出の自分にだってできるだろうと考えました。そこでギフォードは、毎晩、数週間かけて、その計算方法を見つけようと努力しました。そしてついに発見したのです。しかし、ギフォードはそれを秘密にはせず、経理の人達全員に教え、それによって会社にとって欠かせない人物になりました。

  オマハ支社の支社長のポストがあいた時、他の人を訓練しなかったあの古株社員は考慮に入れられず、ギフォードに白羽の矢が当たりました。それからというもの、彼はトントン拍子で出世し、40歳でAT&T(アメリカ電報電話局)の社長に就任しました。ギフォードは、人を訓練してどんどん仕事を任せたので、素晴らしい業績をあげたのです。

 

  110.ナポレオンは、兵士達の士気をかき立てる為に、ちょっとしたトリックをしたものだ。陣営の副官に、「どこどこの連隊の大佐に聞いて、その連隊の中でイタリア戦かエジプト戦で戦った者がいるかどうか調べてほしい。その兵士の名前と、出生地、家系と本人の経歴を調べ、階級と隊員番号、どの部隊にいるかを私に伝えてほしい。」と頼んでおく。

  閲兵式の日、ナポレオンはあらかじめ情報を聞いていた兵士を見つけると、その兵士の所に行って、名指しで話す。「ああ! 君はここにいるのか! 勇敢な男だ。君の事をアブーキールで見かけたよ。君のお父上はどうされているかな? おや、君はまだ勲章をもらっていないのか? ここにいたまえ。私があげよう。」

  そうすると、感心した兵士達はお互いにこう言う。「閣下はわれわれの事を知っておられる。家族の事やどこの戦場で戦ったかもご存じなのだ。」ナポレオンは、こうして兵士達を刺激する事で、兵士たちに、自分もいずれは帝国の元帥になれるという夢を抱かせる事に成功したのだった。

 

  111.日露戦争で輝かしい勝利を収めた日本の東郷海軍大将が訪米した時、熱烈な歓迎を受け、晩さん会が催された。その時の国務長官ウイリアム・ジェニングス・バイヤンが東郷大将のために乾杯の音頭を取る事になっていた。熱心な禁酒奨励者だったバイヤンはもちろんシャンペンには手をつけなかったので、もしかしたら外交上無礼な事になってしまうのではないかと、全員がはらはらしながら見守っていた。しかしバイヤンは時間通りに立ち上がって、水のグラスを取り、こう言った。「東郷大将は、水の上で戦い、立派な勝利を収められました。それゆえに、私は水で乾杯しましょう。東郷大将がシャンペンの上で勝たれる時には、シャンペンで乾杯しましょう。」

 

  113.戦闘中に、指揮をしている士官が逃げてしまったら、兵士はどうなると思うか? 兵士達も逃げてしまうだろう。士官に従う事、それが兵士のすべき事なのだから! これは私達が忘れてはならない教訓である。

                  −−デービッド・B・バーグ

  114.どの王も、庶民の生活の実態を聞き出すのに苦労していた。多くの王が、民と直接話をして、その実情を知るため、わざわざ単独でか、少数の護衛を連れて、農民や労働者に変装して出て行った。側近の高官などから現状を聞き出そうとしても、事実を歪めて報告したり、耳ざわりの良い報告だけするので、実情がわからないからだ。

                    −−デービッド・B・バーグ

 

 

   115.友人を獲得し、

人を動かすためのルール

 

 1. 非難したり、批判的になったり、不満を口にしたりしない。

 2. 誠実に感謝の意を表す。

 3. ぜひそれをしたいという気持にさせる。

 4. 誠実な関心を寄せる。

 5. 相手に、自分は重要だという気持ちにさせる。誠実に評価すること。

 6. 他の人の意見を尊重している事を示す。相手が間違っているなどとは決して言わないこと。

 7. 友好的な態度で始める

 8. 相手に、「はい、そうです。」と言わせるような質問をする。

 9. 相手に、そのアイデアはその人が思いついたものだと思わせる。

10. 美しい心情に呼びかける。

11. 遠回しに人の間違いを指摘する。

12. 他人を非難する前に自分のあやまちを話す。

13. 直接に命令をしないで、質問を投げかける。

14. 相手の顔をつぶさない。

 

  116.

親しみやすい人より、ぶつぶつ言う人のほうが、

より早く富への階段を上るだろうか?

ぶつぶつ言う人は、喜んで何でもする人よりも

よく仕事ができるのだろうか?

意地悪で、粗野な隣人は、

「おはよう!」と大声で挨拶し、

ほほ笑みをふりまく人よりも賢いのだろうか?

 

よく考えてみなさい。

意地悪だから成功した人を思いつくだろうか?

地位と富を持っていても気難しい人がいる

しかし気難し屋だから

偉くなったのではないはずだ

 

ほほ笑みをふりまく事で

貧しくなる事はなく

やさしい言葉をかけると

人生の道が険しくなるわけでもない

他の人のために割く時間を

無駄と思ってはいけない

富と地位を持つようになっても

友人を作ることはできるのだから。

 

  117.その日は、寒く、北風が吹きすさんでいました。本部を出たワシントンは外套をまとい、襟を立て、肌を刺すような風から顔を覆うために帽子を深くかぶりました。全身をすっかり覆っていたので、彼が軍隊の司令官だとは、誰も気がつかなかったことでしょう!

  ワシントンが道を歩いて行くと、兵士達が要塞の防壁工事をしている所に差しかかりました。そこで立ち止まって、数人の兵士達が丸太で塀を作るのを見ていました。兵士達は重い丸太を積みあげるために奮闘していました。そのかたわらで、上官づらをした伍長が命令を与えています。「持ち上げろ! さあ、全員一緒に!」と大声で叫ぶと、兵士達は一斉に力をふり絞って押しましたが、その丸太は重すぎて、山と積まれた丸太の一番上に届きそうに思えた時に、すべって転がり落ちてしまうのでした。伍長はもう一度叫びました。「さあ持ち上げろ! どうしたんだ? 持ち上げろ、と言っているだろう!」

  兵士達はもう一度、懸命に持ちあげようとしましたが、もう少しで上に届きそうになったところで、丸太はすべり、またしても転がり落ちてしまったのでした。「力をこめて持ちあげろ!」と伍長が叫びました。「さあ、全員一斉に上げるんだ!」また懸命にやってみました。そして、三度目に丸太が転がり落ちそうになった時、ワシントンは大急ぎで駆け寄り、全身の力をふりしぼって丸太を押しました。すると、丸太は胸壁の一番上にうまく転がり込んで収まったのです。汗びっしょりの兵士達が、あえぎながらもしきりに礼を言い始めると、ワシントンは伍長の方を向いて言いました。

  「君の部下達がこの重い丸太を持ち上げるのを、なぜ手伝わないのか?」ワシントンが尋ねると、「何だと?」と伍長は言い返しました。「私は伍長だぞ。おまえにはわからんのか?」「無論わかっている!」そう答えると、ワシントンは、外套をパッと開き、その軍服を見せたのでした。「私はただの司令官にすぎない! 今度、丸太が重くて君の部下達に持ちあげられないようなら、私を呼んでくれたまえ!」

 

  118.遠回しに注意を与える方法は、 ちょっとの批判にも強く反発する神経質な人に驚くほど効果がある。ロードアイランド州ウーンソケットのマージ・ジェイコブという女性が、家の建て直しに来ただらしない職人達に、後片付けをさせた話をしてくれた。

  工事が始まって最初の二、三日、ジェイコブ夫人が仕事から帰ってみると、庭は材木の切れはしが散らばってひどい有り様だった。彼女は苦情を言いたかったが、職人達がいい仕事をしてくれるので、喧嘩はしたくなかった。そこで、職人が帰った後、子供達と一緒に木くずを拾い集め、きれいに庭の隅に積んでおいた。翌朝、監督の男を脇に呼んで言った。「昨日はお仕事の後、前庭をとてもきれいに片づけて下さったので、お隣から苦情も出ませんでした。どうもありがとうございます。」その日から、職人達は木くずをきちんと隅に集めるようになり、仕事が終わると、監督がやって来て、片付いた庭を点検してくれるというのが日課になった。                                    −−デール・カーネギー

 

  119.笑顔の効果は絶大である。たとえその笑顔が目に見えない時でも同じである。アメリカ中の電話会社が実施していた一つのキャンペーンがある。「電話パワー」と名付けられたこのキャンペーンは、サービスや商品を売るのに電話を使うセールスマンを対象にしたもので、「電話でセールスをする時は、笑顔を忘れるな」というのがモットーである。「笑顔」は声に乗って相手に伝わるというのだ。

  「わたしは、コンピューターの分野で博士号を持った部下がほしくて懸命に探していた。パーデュー大学の卒業予定者の中に希望通りの青年が見つかり、何回か電話で話をした。彼にすでに採用を申し入れている会社が数社あり、いずれも私達の会社よりも大きく、知名度も高かった。それだけに、彼が入社を承知してくれた時は嬉しかった。入社後この青年に私達の会社を選んだ理由を聞いてみると、彼は一瞬考えた後で、こう答えた。『それは多分こういうわけだと思います。ほかの会社の部長の電話は、どれもみな事務的な口調で、単に取引といった感じでした。でもあなたの場合は、私と話すのがいかにも嬉しいといった感じでした。こちらの会社の一員になってもらいたいという気持ちが声によく表れていました』 そういえば、私は、電話をかける時に笑顔を忘れたことはありません。」         

                          −−デール・カーネギー

 

  120.人を批判する際、まずほめておいて、次に、『しかし』という言葉をはさんで、批判的なことを言い始める人が多い。たとえば、子供に勉強させようとする場合、次のように言う。「ジョニー、お父さんもお母さんも、おまえの今学期の成績が上がって、本当に鼻が高いよ。でも、代数をもっと勉強していたら、成績はもっと良くなっていたと思うよ。」

  この場合、『しかし』という一言が耳に入るまで、ジョニーはほめられて気をよくしていただろう。ところが、『しかし』という言葉を聞いた途端、今のほめ言葉が果たして本心だったのかどうか疑いたくなる。結局は批判するための前置きにすぎなかったように思えてくる。信頼感がにぶり、勉強に対するジョニーの態度を変えようとする狙いも失敗に終わる。

  この失敗は、『しかし』という言葉を、『そして』に変えると、すぐに成功に転じる。「ジョニー、お父さんもお母さんも、おまえの今学期の成績が上がって、本当に鼻が高いよ。そして、来学期も同じように勉強を続ければ、代数だって、ほかの科目と同じように成績が上がると思うよ。」

  こう言えば、ジョニーは、ほめ言葉の後に批判が続かないので、素直に耳を傾けるだろう。ジョニーに改善させようとした問題点が後回しに伝えられたので、その結果、彼は期待にこたえようと努力するだろう。

                          −−デール・カーネギー

 

  121.デュヴァノイ氏は、以前からニューヨークのあるホテルに自社のパンを売り込もうと躍起になっていた。4年間、毎週、支配人の元に足を運んだし、支配人の出席する会合にも出席した。わざわざそのホテルの客となってしばらく滞在したこともあったが、成功しなかった。

  デュヴァノイ氏は、こう語っている。「そこで私は、人間関係の研究をしました。そして、戦術を立て直しました。この男が何に関心を持っているか、つまり、どういうことに熱を入れているかを調べ始めたのです。その結果、彼はアメリカ・ホテル協会の会員であることがわかりました。それもただ会員であるばかりでなく、熱心さを買われて、その協会の会長になり、国際ホテル協会の会長も兼ねていました。そして、協会の大会がどこで開かれようとも、必ず出席するのです。

  そこで次の日彼に会って、協会の話を持ち出しました。反応は素晴らしいものでした。彼は目を輝かせて30分ばかり協会のことを話していました。協会を育てることは楽しみであるばかりか、情熱の源になっているらしいのです。そのうちに、私にも入会を勧めにかかりました。

  この支配人と話している間、パンのことはおくびにも出しませんでした。ところが数日後、ホテルの用度係から電話があって、パンの見本と値段表を持ってくるようにとのことでした。

  ホテルに着くと、用度係が、『あなたがどんな手を使ったのか知らないが、うちの親父は、ばかにあなたが気に入ったらしいですよ』と私に話しかけました。

  考えてもみて下さい。その人と取引したいばかりに、4年間も追いかけまわしていたのです。もし、その人が何に関心を持っているか、どんな話題を喜ぶか、それを見つけ出す手数を省いていたとしたら、私はいまだに彼を追いまわしていたことでしょう。」

              −−デール・カーネギー

 

  122.ある朝、アイルランドのダブリンで開業している歯科医のマーティン・フィッツヒュー氏は、患者から、口すすぎ用の紙コップの金属製ホルダーが汚れていると言われ、がく然とした。患者は紙コップを使うので、直接それに口をつけるわけではないが、それにしても、器材が汚れているのは、医院として感心できることではない。

  患者が帰った後で、フィッツヒュー医師は診察室でブリジットあてのメモを書いた。ブリジットは、週一回、診療室の掃除に来る家政婦である。

 

  ブリジットさんへ

    あなたに直接お話しする機会があまりないので、診察室をいつもきれいに掃除して下さるお礼かたがた一筆したためます。

    これまでの、週一回一日二時間では時間が少なすぎませんか。紙コップのホルダーのように、時々手入れすればよい仕事に、時には30分ほども余分に時間をかけたいと思われるようなことがありましたら、どうぞ自由に時間を延長して下さって結構です。勿論、その分の給料は加算させてもらいます。

 

  「その翌日、診察室に入ると、デスクは鏡のように磨きあげられ、おまけに椅子まで磨き込まれていて、危うく滑り落ちそうになった。次に診察室に入ると、目についたのは、みごとに磨かれた紙コップのホルダーだった。私は、この家政婦に日ごろの仕事が立派だとほめ、その評価に背くまいとする気持ちを起こさせ、仕事に力を入れさせたのである。それで彼女は、どれくらい余分に時間をかけたか? 時間の延長はゼロだった。」

  古いことわざにこうある。「犬を殺すには、狂犬呼ばわりすればよい。」 一度悪評が立ったら浮かばれないという意味だが、逆に好評になれば効果は絶大だ!                                              −−デール・カーネギー

 

  123.デトマー毛織物会社といえば、今日でも有数の繊維会社だが、創立後まだいくらもたたない頃、初代の社長ジュリアン・デトマーの事務所へ一人の顧客がどなりこんできた。以下はデトマー自身が話した事である。

  「その客には、小額の売掛金が残っていた。しかし、当人はそんなはずはないと言い張る。当方では絶対に間違っていないという自信があったので、再三、督促状を送った。すると、彼は怒って、はるばるシカゴの私のオフィスまで押しかけ、支払いどころか、今後デトマー社とは一切取引をしないと言い切った。

  わたしは彼の言い分をじっと我慢して聞いた。途中、何度か言い返そうと思ったが、それは得策ではないと思い直し、言いたいことを残らず言わせた。言うだけ言ってしまうと、相手は興奮もさめ、こちらの話もわかってくれそうになった。そこを見計らって、私は静かにこう言った。『わざわざシカゴまでお越し下さって、何とお礼を申し上げてよいかわかりません。本当にいいことをお聞かせ下さいました。係の者がそういうご迷惑をあなたにおかけしているとすれば、まだほかのお客様にも迷惑をかけているかもしれません。そうだとすると、これは大変です。あなたがおいで下さらなくても、私のほうから聞きにあがるべき問題です。』

  こういう挨拶をされようとは、彼は夢にも思っていなかった。私をとっちめる為にわざわざシカゴまで乗り込んで来たのに、かえって感謝されるのだから、いささか拍子抜けしたに違いない。更に私はこう言った、『私どもの事務員は、何千という取引先の勘定書を扱わねばなりません。しかし、あなたは几帳面な上に、勘定書はわたしどもからの分だけに注意しておけばいい訳で、どうも間違いは、こちらにあるように思います。売掛金の件は取り消させていただきます。』

  わたしは、彼の気持ちはよくわかる、もし私が彼だったら、やはり同じようにしただろうと言った。その客は私の店からはもう何も買わないと言っているので、わたしとしては他の店を推薦することにした。

  前から、その客がシカゴに出てくると、いつも昼食を共にしていたので、その日も、昼食に誘った。すると、彼はしぶしぶそれに応じた。昼食をすませてオフィスまで一緒に戻ると、今までにないほど多量の品物を私達に注文した。機嫌を直して帰った彼は、それまでの態度を変えて、もう一度書類を調べ直し、問題の請求書を発見して、詫び状と共に小切手を送ってよこした。

  その後、彼に息子が生まれた時に、彼はその子にデトマーと名をつけた。そして、彼は死ぬまでの22年間、私達の良き友人であり、良き顧客であった。」                                                          −−デール・カーネギー

 

  124.有名なテスト・パイロットで航空ショーの花形だったボブ・フーバーは、ある時、サンディエゴの航空ショーをすませ、自宅のあるロサンゼルスに向けて飛んでいた。「フライト・オペレーションズ」誌によれば、その途中、上空90メートルの所でエンジンが両方ともぱったりと止まってしまったという。巧みな操縦で、そのまま着陸し、負傷者は出なかったが、機体はひどく損傷した。

  緊急着陸後、フーバーは直ちに燃料を点検した。案の定、この第二次世界大戦時代のプロペラ機に、ガソリンでなく、ジェット機用の燃料が積まれていたのである。

  飛行場に戻ったフーバーは、整備を担当した男を呼んだ。若い整備士は、自分のミスを悟って、自責の念に打ちひしがれていた。頬には涙がとめどなく流れている。高価な飛行機が台なしになったばかりか、危うく三人の命が失われようとしたのだから、ショックは当然だろう。

  フーバーの怒りは想像できる。このような言語道断の過ちを犯した男を、誇り高きベテランのパイロットが罵倒したとしても不思議ではない。ところが、フーバーは叱らなかった。非難もしなかった。それどころが、整備士の肩に手をかけて、こう言った。

  「君は、二度とこんなことを繰り返さないと私は確信している。その証拠に、明日、私のF−51の整備を君に頼もう。」      

−−デール・カーネギー

 

  125.ずっと前のことだが、私の講習会にバトリック・オヘアという男が参加した。教育はないが大変議論好きな男だった! トラックのセールスマンをやってみたがうまくいかないので、私の所にきたのである。二、三質問してみると、彼は、いつも客に議論を吹っかけたり、逆らったりしていたことがわかった。売り込もうとしているトラックにちょっとでも客がけちをつけると、ひどくいきり立ち、議論ではたいてい相手に「勝って」いたようだった。彼はこう言っていた。「相手の事務所を引き上げる時、私は、どうだ、一本やり込めてやったぞ、と独り言を言ったものです。私は確かに相手をやり込めはしましたが、トラックは一台も買わせてはいなかったのです。」

  私の最初の仕事は、オヘア氏に話し方を教えることではなく、彼を黙らせ、議論をさせないようにすることだった。

  そのオヘア氏が、今ではニューヨークのホワイトモーター会社の花形セールスマンとなった。そのやり方を、彼はこのように説明している。「今仮に私がセールスに行って、相手から『ホワイトモーターのトラック? あれはだめだ! ただでくれてもお断りだ。買うなら○○会社のトラックにするよ。』と言われたとする。そうすると私はこう答えるのです。『ごもっともです。全く○○会社のトラックはいいですね。あれはお買いになって間違いはありませんよ。会社は立派だし、セールスマンもみな良い人ばかりですから。』

  これには相手も二の句がつげない。議論の余地がないわけです。相手が○○会社が一番だと言ったことに対して、それは全くだと答えるのだから、相手は言うことがなくなる。こちらが同意しているのに、まだその上、『○○会社のが一番だ、一番だ』と言い続けるわけにはいかないでしょう。そこで私は、今度は話を変えて、ホワイトモーター社のトラックの長所について話し始めるのです。

  昔の私なら、こんなことを言われると、すぐむきになってしまって、○○社のこき下ろしを始める。私がむきになればなるほど、相手は○○社の製品の肩を持つ。肩を持って議論し返すうちに、競争相手の製品がますます良く思えてくる。

  今考えると、あんなことでよくも商売になったものだと、我ながら不思議なくらいです。私は長年、議論と喧嘩で損をし続けていました。でも今は、しっかりと口を閉じています。おかげで商売繁盛ですよ。」

  偉人ベンジャミン・フランクリンのこの言葉はとても有名である。

  議論したり反駁したりしている内には、相手に勝つことだってあるだろう。しかし、それは空しい勝利だ。相手の好意は絶対に勝ち取ることができないのだから!

             −−デール・カーネギー

 

  126.望んでいるように「イエス」という答を最初から相手に言わせるには、どうするのだろうか? それはとても簡単だ。リンカーンはその秘密をこう明かしている。「議論を始めてそれに勝つための私のやり方は、最初に相手と意見が一致する点を見つける事です。」リンカーンは、最も激しやすい奴隷制の問題について議論している時でさえ、それが役に立つことに気がついた。中立の立場を取る新聞ミラー紙は、リンカーンの話し方についてこう書いた。「初めの30分は、彼の対立者達も、彼が口にする言葉に一つ残らず同意した。その時点を境にして、彼は対立者達を徐々に先導し始め、ついには全員を自分の味方につけてしまったかのようだった。」

                         −−デール・カーネギー

 

  127.毎年夏になると、わたしはメーン州へ魚釣りに出かける。ところで、わたしは、いちごミルクが大好物だが、魚は、どういうわけか、ミミズが好物だ。だから、魚釣りをやる場合、自分の好物のことは考えず、魚の好物のことを考える。いちごミルクをえさに使わず、ミミズを針につけて、魚の前に差し出し、「一つ、いかが」とやる。

  人を釣る場合にも、この魚釣りの常識を利用していいわけだ。

  英国の首相ロイド・ジョージは、これを利用した。第一次世界大戦中、彼と共に活躍した連合国の指導者、ウィルソン、オーランド、クレマンソーらが、とっくに世間から忘れられているのに、彼一人が相変わらずその地位を保持していた。その秘訣を問われて、彼は、釣り針には魚の好物をつけるに限ると答えた。

                         −−デール・カーネギー

 

  128.所得税の顧問をやっているフレデリック・パーソンズという男が、ある時、国税庁監査官と一時間にわたって議論を戦わせていた。9千ドルは事実上貸し倒れで、回収不能であるから、課税の対象にさせるべきではないというのである。「貸し倒れ! ばかばかしい!当然、税金の対象になるよ」監査官はどうしても承知しない。

  その時の話を、パーソンズは、わたしの講習会で公開した。「その監査官は冷酷、ごう慢、頑迷で、いくら理由を述べようと、事実を並べようと、全然受け付けない。議論すればするほど意地になる。そこでわたしは、議論をやめて話題を変え、相手を称賛することにした。

  わたしは、『ほんとうに、あなたのお仕事は大変ですね。この問題などはほんのささいなもので、もっともっと難しい仕事をなさっているんでしょう。わたしも商売柄、租税の勉強をしていますが、わたしのは、書物から得た知識にすぎません。あなたは実際の経験から知識を得ていらっしゃる。わたしも、あなたのような仕事につけばよかったと思うことがよくあります。きっといい勉強になるでしょう』といったが、それはまた、わたしの本心でもあった。

  すると監査官は、ゆったりと椅子に掛けなおして、自分の仕事について長談議を始めた。自分の摘発した巧妙な脱税事件の話をする内に、その口調も、だんだんと打ち解けてきた。しまいには、自分の子供のことまでわたしに聞かせた。帰りがけにその監査官は、問題の項目をよく考えた上、二、三日中に返事をしようといい残した。

  三日後、監査官はわたしの事務所にやって来て、税金が申告どおりに決定した旨を伝えた」

  この監査官は、人間の最も普遍的な弱点をさらけ出して見せたのである。彼は重要に思われたいと思っていた。パーソンズと論争している間は、権威を振り回すことによって重要感を得ていた。ところが、自分の重要さが認められて議論が終わり、自我の拡大が行われると、たちまちにして彼は、思いやりのある親切な人間に変わったのだ。

                          −−デール・カーネギー

 

  129.セオドア・ルーズヴェルトを訪ねた者は、誰でも彼の博学ぶりに驚かされた。ルーズヴェルトは、相手がカウボーイであろうと義勇騎兵隊員であろうと、あるいは又、政治屋、外交官、その他、誰であろうと、その人に適した話題を豊富に持ち合わせていた。

  では、どうしてそのような芸当ができたか、種を明かせば簡単だ。ルーズヴェルトは、誰か訪問者があるとわかれば、その人の特に好きそうな話題について、前の晩に遅くまでかかって研究しておいたのである。

  ルーズヴェルトも、他の指導者達と同じように、人の心をとらえる近道は、相手が最も深い関心を持っている事柄を話題にすることだと知っていたのだ。

              −−デール・カーネギー

 

  130.ユージン・ウェッソンの例を考えてみよう。彼はこの真理を会得するまでに、手数料を千ドル儲けそこなった。ウェッソンは、織物製造業者に意匠を供給するスタジオに下絵を売り込むのが商売だった。ニューヨークのある一流デザイナーを、3年間、毎週訪問していたウェッソンが語るには−−

  「彼はいつも会ってくれたが、決して買ってくれない。わたしのスケッチを入念に見て、必ず、『だめですね、ウェッソン君。今日のはどうも気にいりませんね』と言う」

  150回失敗を重ねたすえ、ウェッソンは、頭を切り替える必要があると思った。そこで彼は、人を動かす方法についての講習会に週1回出席する決心をした。そして、新しい考え方を学び、新たな熱意を奮い起こした。

  彼は新しいやり方を試すために、未完成の絵を数枚持って、買い手の事務所へ駆け付けた。

  「実は、ここに未完成のスケッチを持ってきていますが、これをどういうふうに仕上げたら、あなたのお役に立つでしょうか? 差し支えなければ、教えていただきたいと思います」

  そういって彼が頼むと、デザイナーはスケッチを無言のまま眺めていたが、やがて「ウェッソン君、二、三日預かっておくから、もう一度来て下さい」と言った。

  三日後、ウェッソンは再びデザイナーを訪ね、いろいろと意見を聞いた上、スケッチを持ち帰り、注文通りに仕上げた。その結果は、もちろん全部買い上げということになった。 

                           −−デール・カーネギー

 

  131.カナダのマニトバ州ブランドンの技師E・ディリストーンは、新しく雇い入れた秘書に手紙をタイプさせると、1ページに必ず二、三カ所の誤りがあるので困っていた。この問題の処理について、ディリストーンは次のように報告している。

  「技術者の例にもれず、私も文章や綴りについては自信がなく、何年も前から、綴りの難しい言葉を書き込んだ単語帳を作って持ち歩いている。ミスプリを指摘するだけでは、この秘書に、よく読み合わせたり、辞書を調べたりする習慣をつけさせる事などできそうもないと気付いて、別の手を使う事に決めた。ある日、この秘書がタイプした手紙を見ると、例によってミスプリがある。そこで私は彼女に次のような話をした。

  『この単語は、どうも綴りがあやしいように思うのだが、実を言うと、この単語には私自身、いつも悩まされる。それで、私はこの単語帳を調べるんだ。(ここでそのページを広げて彼女に見せる)ほら、ここにある。私は、単語の綴りにはとても気を使っている。世間の人は、手紙によって、私達のことを判断するらしいからね。手紙に綴りの間違った単語があると、私達の技術にもどこか欠陥があるような印象を与えるんだよ』

  彼女が単語帳を作ったのかどうか知らないが、このことがあって以来、彼女のミスプリは目立って減った」                           

                           −−デール・カーネギー

 

  132.オクラホマ州エニッド市のジョージ・ジョンストンは、ある工場の安全管理責任者で、現場の作業員にヘルメット着用の規則を徹底させることにした。ヘルメットをかぶっていない作業員を見つけ次第、規則違反を厳しくとがめる。すると、相手は不服そうにヘルメットをかぶるが、目を離すと、すぐ脱いでしまう。

  そこでジョンストンは別の方法を考えた。

  「ヘルメットってやつは、あんまりかぶり心地が良いもんじゃないよ、ねえ。おまけにサイズが合ってなかったりすると、たまらんよ。君のは、サイズ合ってるかね」

  まず、こう切り出して、その後、多少かぶり心地が悪くても、それで大きな危険が防げるのだから、ヘルメットは必ずかぶろうと話すのである。これで、相手は怒ったり恨んだりすることもなく、規則はよく守られるようになった。  

                          −−デール・カーネギー

 

  133.ウィスコンシン州オークレアのデービッド・スミスが、あるチャリティー・コンサートでの体験談を話してくれた。主催者の依頼で喫茶コーナーを受け持った時の話だ。

  「その晩、コンサート会場に着くと、既に老婦人が二人、喫茶コーナーに立っていた。どちらも大変ご機嫌斜めで、それぞれ自分がこのコーナーの主任だと思い込んでやってきた様子だった。さてどうしたものかと思い悩んでいると、実行委員が回ってきて、私に手提げ金庫を渡し、私の協力を感謝して、二人の老婦人がそれぞれローズとジェーンという名前で、私の助手を務めてくれることになっていると紹介したまま、そそくさと歩き去った。

  その後、気まずい沈黙が残った。やがて私は手提げ金庫がある種の権威だと気付き、これをまずローズに渡して、『お金勘定は苦手でして、あなたにお願いできれば助かります』と言った。次にジェーンには、サービス係のティーンエージャー二人にソーダの機械の扱い方を教えて、サービスのほうを監督してほしいと頼んだ。

  こうしてその晩は実に楽しく過ごせた。ローズは上機嫌で金の勘定を、ジェーンはティーンエージャーたちの監督を、そして私はゆっくりとコンサートを楽しむことができた」

  この賞賛の哲学は、外交官や慈善会長になるまでは、応用の道がないなどということはない。日常に応用して大いに魔術的効果を収めることができる。

              −−デール・カーネギー

 

  134.南アフリカのヨハネスバーグに住むイアン・マクドナルドは、精密機械部品を専門に製作する小さな工場の所長だが、ある時、非常に大きな注文が取れそうだった。ところが、指定の期日までに納入する自信がなかった。工場ではすでに予定がぎっしり詰まっている。指定の納期は守れそうもない。この注文は、引き受ける事自体無理ではないかと思われた。

  マクドナルドは、従業員に命令して突貫作業を強行するのではなく、まず全員にいきさつを説明する方法を選んだ。この注文が無事納入できたら、従業員にとっても、会社にとっても計り知れないほどの意義があることを話して聞かせたのである。話が終わると、次のような質問をした。

  「この注文をさばく方法があるのか?」

  この注文を引き受けて納期に間に合わせるには、どんなやり方があるか?」

  「作業時間や人員配置をどう調整したらよいか?」

  従業員は次々とアイディアを提供し、会社はこの注文を引き受けるべきだと主張した。こうして、従業員は自信のある積極的な姿勢でこの問題に臨み、会社は注文を引き受け、製作し、そして期限を守った。  

                           −−デール・カーネギー

 

 

  135.最良のエグゼクティブとは、自分がぜひ成し遂げたいと思っていることをするのにぴったりの人を選ぶ良いセンスと、その人達が働いている時に、やたらとちょっかいを出さないほどの自制心を持ち合わせている人のこと。

 

 

  136.第一次世界大戦直後のこと、私はある夜、ロンドンで貴重な教訓を得た。当時私は、ロス・スミス卿のマネージャーをしていた。ロス・スミス卿は、大戦中パレスチナの空中戦に赫々(かくかく)たる武勲を立てたオーストラリアの空の勇士で、終戦直後、30日間で世界半周旅行をなしとげ、世界を驚かせた人である。当時としては、破天荒の試みで、一大センセーションが巻き起こった。オーストラリア政府は彼に5万ドルの賞金を与え、イギリス国王は彼をナイトに叙し、彼は英帝国の話題の的となった。ある夜、彼のために催されたパーティーに私も出席していた。皆がテーブルについた時、私の隣にいた男が、『人間が荒削りをし、神様が仕上げをして下さる』という引用句に関係のある面白い話をした。

  その男は、これは聖書にある文句だといった。しかし、それは間違いで、私はその出典をよく知っていた。そこで私は自己の重要感と優越感を満たすために、彼の誤りを指摘する憎まれ役を買って出た。

  「なに? シェークスピアの文句? そんなはずはない! ばかばかしい! 聖書の言葉だよ! これだけは間違いない!」

  彼は大変なけんまくでそう言い切った。その男は、わたしの右側に座っていたのだが、左側には私の昔からの友人フランク・ガモンドが座っていた。ガモンドはシェークスピア研究を長年続けてきた人だったので、ガモンドの意見を聞くことになった。ガモンドは双方のいい分を聞いていたが、テーブルの下で私の足をそっと蹴って、こう言った。

  「デール、君のほうが間違っているよ。あちらの方のほうが正しい。確かに聖書からだ。」

  その晩、帰宅する途中で私はガモンドに言った。

  「フランク、あれはシェークスピアからだよ。君はよく知っているはずじゃないか」「もちろんそうさ。『ハムレット』の第五幕第二場の言葉だよ。だがね、デール、僕たちは、めでたい席に招かれた客だよ。なぜあの男の間違いを証明しなきゃならんのだ。証明すれば相手に好かれるかね? 相手の面子のことも考えてやるべきだよ。まして相手は君に意見を求めはしなかっただろう。君の意見など聞きたくなかったのだ。議論などする必要がどこにある? どんな場合にも鋭角は避けたほうがいいんだ。」この友人は私に生涯忘れられない教訓を与えてくれた。私は面白い話を聞かせてくれた相手に気まずい思いをさせたばかりか、友人まで引き入れて当惑させてしまったのだ。議論などしないほうがどれほど良かったかわからない。

  生来私は大変な議論好きだったので、この教訓は実に適切だった。若いころ、私は、世の中のあらゆるものについて兄と議論した。大学では論理学と弁論を研究し、討論会に参加した。恐ろしく理屈っぽくて、証拠を目の前に突き付けられるまでは、めったにかぶとは脱がなかった。やがて私は、ニューヨークで討論と弁論術を教えることになった。今から考えると冷や汗が出るが、その方面の書物を著す計画を立てたこともある。その後、私は、あらゆる場合に行われる議論を傾聴し、自らも加わって、その効果を見守ってきた。その結果、議論に勝つ最善の方法は、この世にただ一つしかないという結論に達した。その方法とは、議論を避けることだった。毒蛇や地震を避けるように議論を避けるのだ。     

                          −−デール・カーネギー