グッド・ソーツ

 愛 第三部

 

  190.もっと友人がほしいなら、

口よりも耳を使いなさい。

 

  193.

主よ、一日一日を

自分を忘れて生きられますように

ひざまずいて祈る時でさえ

他の人のために祈れますように

 

私の行動のすべてが

誠実で真実なものでありますように

あなたのためにすることが

他の人のためになりますように

 

自己は粉々に砕いて

深く埋めてしまおう

他の人のために生きるためでない限り

自己を生き返らせる努力など無に帰すように

 

地上でのつとめが終わった時

天国での新しいつとめが始まる

もらった冠のことなど忘れて

他の人のことを考えられますように

 

他の人のため、そうです!

主よ、それこそ私のモットー

他の人のために生きて

あなたのようになれますように

                   

  196.ラフカディオ・ハーンの書いた物語に、地震の際の、ある中国人の英雄についての話がある。丘の上の農場にいたその中国人は、大海が、まるで獲物を狙って飛びかかろうとしている巨大な動物のように、素早く引いていくのを見た。これが津波なのは一目瞭然だった。低地の畑で働く近所の農民たちを、自分のいる丘の上に集めなければ、彼らが津波にさらわれてしまうことはわかり切っていた。そこで、ただちに積み重ねられた自分の稲に火をつけて、猛烈な勢いで寺院の鐘を打ち鳴らした。

  近所の人たちは、彼の田んぼが火事だと思って、急いで助けに来た。その時、その安全な丘の上から、ちょうど今離れ去ったばかりの畑を、大波がさらっていくのを目撃した。彼らは、自分たちが命拾いしたことと、それに伴った代価を知った。それ以来、その中国人が生きている間にさえ、近所の人たちはその英雄の霊を拝みに寺院に通ったと言う。

                   

  198.ある晩、一人の黒人が、ニューヨークの42番街のターミナルからホテルまで、重いスーツケースと、それよりもっと重い旅行かばんを持って歩いていた。すると突然、誰かの手が伸びてきて旅行かばんをつかむと、快活にこう言った。 「兄弟よ、かなりの重さだね!これ、持つよ。僕も同じ方向に行くから。」 

  黒人は拒んだ、が、ついにその若い白人に助けてもらうことにした。二人はまるで昔ながらの友人のように、しゃべりながら街を歩いて行った。 ブッカー・T・ワシントン (著名な米国の黒人教育者)はこう回想する。 「あれが、セオドア・ルーズベルトとの初めての出会いだった。」

                   

  204.真の友人なら、あなたの道をはばんだりしない。あなたが堕落の道をたどっているのでない限り。

                   

  205.真の友とは、あなたの事を十分に知り尽くした後でも、かたわらに立ってくれる友のこと。

                   

  206.人は、友を失ってもかまわないほど裕福になることはない。

 

 

  207.歯にほうれん草がくっついている時、それを教えてくれるのが、真の友。

                   

  208.もしあなたが別の人だったなら、あなたはあなたの友になりたいだろうか?

                   

  209.欠点の一つもない人でないと友人にしたくないなら、友人ができることはまず望めない。

                   

  210.友が倒れた後で助け起こしてあげるよりも、友が倒れないようにしてあげる方がいい。

                   

  211.たとえあなたに少し欠点があっても、あなたのことを良い奴だと言ってくれるのが、信頼のおける友。

                   

  212.隣りにいるあなたの友は、たとえ自分の大好きなテレビ番組が始まる時間だと知っていても、なお垣根越しに話し続けてくれる。

                   

  213.忠義な友とは、たとえ、あなたがその場にいなくても、あなたを弁護してくれる人のこと。

                   

  214.真に価値のある友とは、あなたの最も深い心の痛みに耳を傾け、それを自分の痛みであるかのように感じてくれる友。

                   

  216.自分でも黙っていられない秘密を、友が胸に秘めていられるなどと信じるのは、愚かなこと。

                   

  219.新約聖書時代の諸教会は、社会改革に関して、地域での具体的な計画などなかったが、キリストと福音があったので、当然ながら、社会改革が起こり、それには状況を向上させる素晴らしい力が伴っていた。

                   

  220.親切な言葉は、世界の音楽。

                   

  221.愛は何の重荷も感じない。

                   

  222.愛には二つの大切な任務がある。一つは与えること、もう一つはゆるすこと。

                   

  224.神の愛は、測っても測り切           れないほどの愛である。

                   

  225.神が私達を愛されるのは、私達が貴重な存在だからではない。神が私達を愛されるがゆえに、私達は貴重な存在となる。

                   

  226.愛情深い神は、私達がすべての面で幸福になるよう常に気づかっておられる。

                   

  228.キリスト教の栄光とは、ゆるす事によって征服することにある

            −−ウィリアム・ブレイク

                   

  233.笑いとは、人間の顔から冬を追い払う太陽である。

                   

  234.ウィリアム・L・スティッジャーは、30年前の担任の教師に、生徒だった自分をいろいろ励ましてくれたことを感謝する手紙を書き送った。その翌週に返事を受け取ったが、震える字でこう書いてあった。

   「ウィリアム、あなたの手紙は私の人生にどんなに大きな喜びを与えてくれたことでしょう。私はもう80代の老婆です。小さな部屋で一人きりで食事を作って、寂しい暮らしをしています。まるで枯れ木にかろうじてつながっている最後の一葉のようなものです。ウィリアム、これを聞くとびっくりするかもしれませんが、50年間、教師生活をして、感謝の手紙をもらったのは、あなたからの手紙が初めてでした。あなたの手紙は、ある寒い朝に届き、この孤独な心を慰めてくれました。こんなに幸せな気分になったのは何十年ぶりのことです。」

                   

  235.

クリスチャンの愛をもって

われらの心を結ぶ

このきずなに祝福あれ。

心を一つにする者たちの交わりは

天における交わりのようだ。

 

離ればなれになるとき

内に痛みは感じても

心は固く結ばれる

再会の望みを抱きつつ。

          

        ジョン・フォーセット

 

 

  237.こんなおかしな話があります。ある農婦が、一日の重労働が終わった後で、夕食の皿に干し草を盛りました。家の男連中は憤慨して、気でも狂ったのかと言うと、農婦はこう答えたのでした。 「あれま、これが干し草だって気づくなんて、ちっとも思ってなかったよ。あたしがあんた達のために食事をこさえてあげて、もう20年になるけど、あんた達の食事が干し草じゃなかったってこと、一言も私に言ってくれなかったからね。」

  数年前に、主婦の家出に関する調査が実施されました。その主要原因はいったい何だったと思いますか? 「感謝の欠如」でした。それと同じような調査を夫の家出に関しても行うなら、きっと似たような結果が出るでしょう。夫または妻がいるのを当然と思ってしまうと、感謝の言葉を忘れてしまいがちだからです。

 

 

  242.昔、デトロイトのある学校で、スティービー・モーリスは、教室内でいなくなったネズミを探してほしいと先生から頼まれました。スティービーが、他の生徒が誰も持ち合わせていない能力を授かっているということを、先生は認めてくれていたのです。目は見えなくとも、スティービーには驚くべき聴力がありました。でも、その才能ある耳を誰かが認めてくれたのは、それが初めてでした。それから、何年もたった今、スティービーは、そうやって自分の才能を認められたことが新しい人生の始まりだったと語っています。そう、その時以来、彼は その聴力の賜物を育て上げて、スティービー・ワンダーという名で、1970年代の偉大なるポップ・シンガー、およびソングライターの一人となったのです。

                   

  243.それは、私がまだ10歳のことでした。ある市立病院の福祉棟に入院していて、その翌日に整形外科手術を受けることになっていました。子供心にも、その後は、ただ何カ月もの入院と、療養、そしてたくさんの苦痛しかないことが、よくわかっていました。父を亡くし、私は母と二人きりで福祉の世話を受けながら小さなアパートに暮らしていました。そして、その日は感謝祭で、どこの家庭でもごちそうを囲んで祝う日だというのに、母は見舞いに来られなかったのです。

  孤独感と絶望感と恐れは、時間がたつにつれ、ますます重くのしかかり、耐えられない思いでした。家では、母が私のことを案じていることでしょう。母も一人きりで、食事を共にする人もなく、感謝祭のごちそうを用意する余裕もないことを知っていました。

  私の目には涙がいっぱいたまっていました。そこで頭を枕の下に突っ込んで、シーツを全身にかけました。声を出さないようにして泣きました。でも、激しく泣いたのです。体に苦痛が走るほどに。

  ある一人の看護学生が、すすり泣く声を耳にし、私の所にやって来てくれました。彼女はシーツをそっと顔からのけると、涙を拭ってくれました。そしてその日は、自分もまた、勤務に出なければならなかったため家族と一緒にいられず、どんなに寂しい思いをしていたかを話してくれたのです。彼女は一緒に食事をしないかと誘ってくれました。そして、二人分の食事をお盆に乗せて運んで来てくれたのです。スライスされたターキーに、マッシュ・ポテト、それにクランベリー・ソースと、デザートのアイスクリームです。彼女は私に語りかけ、恐れをなだめようとしてくれました。午後の4時には勤務が終了するのに、11時近くになるまで私と時間を過ごしてくれたのです。一緒にゲームをしたり、話をしたりして、そして、とうとう寝入ってしまうまで一緒にいてくれたのでした。

  私が10歳だったその時から、多くの感謝祭が来ては過ぎて行きました。でも、感謝祭になると必ず思い出すのは、その特別な感謝祭の日のことと、あの挫折感、恐れ、孤独感であり、また、どういうわけか、それをすべて耐えられるものにしてくれた、その見も知らぬ人の温もりと優しさのことなのです。

                   

  245.

夜は一千の目を持つが

昼はただ一つだけ

でも、この明るい世界の光は

太陽が沈む時に死ぬ

 

思いは一千の目を持つが

心はただ一つだけ

でも、人の一生の光は

愛がなくなる時に死ぬ

  フランシス・W・ボーディロン

 

                  

  247.

友情は、

買うことも売ることもできない

かけがいのない贈り物

でもその価値は、金でできた

山よりもはるかに大いなるもの

 

金は冷たく、生命もない

それは

見ることも、聞くこともできない

また試練の時にあって

金は励ましをくれはしない

 

聞く耳もなければ

わかってくれる心もない

慰めもくれなければ

助けの手も差し伸べてくれない

 

だから、神に贈り物を求めて

神が、

ダイヤモンドでも真珠でも富でもなく

真の親友からの愛を送って下さるなら

神に感謝することだ。

    −−ヘレン・ステルナー・ライス

                   

  249.ケン・ノッティンガムは、昼食を会社のカフェテリアで食べることにしている。彼は、カウンターの向こうで働く女性がいつも陰気なしかめっつらをしているのに気がついた。 「あの人はもう二時間ほどサンドイッチを作っていたが、彼女にしてみれば、私ももう一つのサンドイッチに過ぎなかった。私がサンドイッチを注文すると、ハムを秤(はかり)に乗せ、それからレタスを一枚差し込むと、ポテト・チップスを数枚添えて、私にそれを手渡した。

  その翌日、私はまた同じ列に並んだ。同じ女性、同じしかめっつら。ただ、今回は彼女の名札が目に入った。そこで私はほほ笑んで、こう言った。                                           『ユーニスさん、今日は。』 そう言ってから注文したのだった。すると、彼女は秤を使わなかった。ハムを積み重ね、レタスも三枚はさみ、ポテト・チップスもこぼれ落ちそうなほど山盛りにしてくれたのだった。」

                   

  250.昔、10歳になる少年がナポリのある工場で働いていた。歌手になるのが少年の夢だったのだが、最初の教師は、こう言って彼を思いとどまらせた。 「君には歌えない。全く声量がない。まるで雨戸を揺する風のような声じゃないか。」

  ところが、貧しい農婦だった少年の母親は、少年を腕に抱き締め、心からほめると、こう言って励ました。 「お前には歌える。歌が上手になっているのが、手に取るようにわかるよ。」 そして、少年が音楽のレッスンを受けられるようにと、自分は靴も履かずにお金を蓄えたのだった。そして、その母親の励ましと称賛は、少年の人生を変えた。少年の名はエンリコ・カルーソ。少年は、一世を風びした、最も偉大で、最も有名なオペラ歌手となったのである。

                   

  251.

誰かを愛するとは・・・

思いやること

分け合うこと

耐え忍ぶこと

働くこと−−変わること

そう、そのすべてを一緒にすること

            −−ジーン・ロウダー

                   

  254.不当な扱いをされてもそれをゆるすなら、私達は本当に神に似た存在となる。

                   

  255.クリスチャンにとって、ゆるすことは憤ることほど代価がかからない。ゆるすなら、怒るという支出、憎悪という代価、また霊の無駄が省かれる。

                  −−ハンナ・モアー

                   

  256.誰もが、友の過ちを埋葬する墓地を用意しているべきだ。

                   

  257.もしキリストを自分の救い主として本当に良く知っているなら、私達の心は砕かれた状態にあり、かたくなになることはない。他の人をゆるすのを拒むことなどできないのである。

                   

  258.もしゆるすべきことがあるなら、急いでゆるすべきだ。ゆっくりゆるすなら、それは、ゆるさないのとほとんど変わらない。

                   

  259.ゆるしを求めて祈っているか、他の人をゆるしている時ほど、人が美しくなる時はない。

                   

  260.自分の敵をゆるし、愛する時ほど、神の愛という大海に身近に触れている時はない。

                   

  261.深い思いやりは、他の人が傷ついている時に、その痛みを感じさせてくれる。

                   

  262.心(臓)にとって、かがんで人を引き上げることほど良い運動はない。

                   

  263.重要な人物になるのは好ましいことだが、好まれる人になることの方が重要である。

                   

  264.人々が不親切な時には、物覚えが悪くなるように祈りなさい。

                   

  266.

軽率な言葉−−争いを起こす

残酷な言葉−−人生を台なしにする

苦味をおびた言葉−−憎しみを抱かせる

粗暴な言葉−−たたきのめす

親切な言葉−−道をならす

喜ばしい言葉−−一日を明るくする

時にかなった言葉−−緊張をほぐす

愛のこもった言葉−−いやし、また祝福する                   

 

  267.人の背後でできる最善のこと、それは、肩をたたいて励ましてあげること!

                   

  268.真の愛とは、お返しを要求しない贈り物のこと。我を忘れて心から愛するなら、真の愛が返ってくる。達成感のため、満足感のため、あるいは、プライドのために愛するのは、愛ではない。

                   

  269.ほほ笑みは、顔のあかり、心の暖房。

                   

  270.ほほ笑みの生み出す曲線は、多くの状況をまっすぐに正す。

                   

  271.ほほ笑みとは、決して取り去ってはいけないしわのこと。

                                           

 

  272.ほほ笑みを浮かべて初めて正装したことになる。

                   

  273.愛のこもったほほ笑みは、クリスチャンの額面価格。

 

 

  274.微笑みは、値段が上がることはないが、価値が下がることもない。

                   

  278.友はこれらのものを与えてくれる

  困った時に助けの手を

  悲しい時にほほ笑みを

  疲れ切った時に支えを

  喜ばしい時に歌を

  たじろいだ時に助けを

  落ち込んでいる時に励ましの言葉を

  そして、あなたが特別な夢を

  持ち続けて行くための希望を!

 

         −−ピーター・アムステルダム

 

 

  279.ポーランドの政権の貴族たちが、マリー・ウリュースカに嘆願書を送って、ナポレオンを恋人として受け入れるように勧めました。そして、その論点をより説得力のあるものにするため、聖書の話を使ったのです。

   「エステルは、あふれんばかりの愛をもって、アハシュエロスに自分を捧げたとお思いですか? 王があまりにもぞっとするような人だったので、彼女は王の前で気絶してしまいました。それゆえ、エステルの決意は、王に対する深い情愛のゆえではなかったと考えてよいでしょう。彼女は、自分の国を救うために、自分の好みなど犠牲にしたのです。ただ国を救うこと、それだけが彼女が求めていた栄光だったのです。ですから、あなたの栄光と私どもの幸福のためにも、私どもが、あなたもエステルのような立派な方であったと言うことができますように!」

 

 

  282.もうだいぶ前になりますが、ミズーリ州北西部のある田舎学校に、裸足で森の中を歩いて通っていた頃、私は北風と太陽の童話を読みました。どちらが強いかと言い争っていて、北風は言いました、「もちろん、僕さ。ほら、下に外套(とう)を着ている老人がいるだろ。僕の方が君よりも早くあの外套を脱がせることができるからね。」

  そして、太陽が雲の後ろに姿を隠すと、北風は猛烈な勢いで風を送り、ついには竜巻きになりました。けれども、北風が強く吹けば吹くほど、老人は外套をしっかりと握りしめたのでした。

  結局、北風はあきらめ、風を送るのをやめてしまいました。すると、今度は太陽が雲の間から顔を出し、老人に向かって優しくほほ笑みかけたのです。すると、老人は額の汗をぬぐい始め、ついに外套を脱いだのでした。そこで太陽は北風に言いました。「優しく親切にしてあげる方が、いつだって激しい怒りよりも強いんだよ。」

 

 

  283.セオドア・ルーズベルト大統領の驚異的な人気の秘密がしのばれる、あるエピソードがあります。彼は、使用人たちからも愛されていたのです。その一人であった黒人のジェームス・E・エイモスは、「召使の英雄、セオドア・ルーズベルト」と題された本を書き、そこで次のようなエピソードを紹介しています。

  「ある時、私の妻が大統領にウズラについて尋ねました。妻は、ウズラを見た事がなかったので、大統領は事細かに説明してくれました。しばらくして、私達の住んでいた小屋の電話が鳴りました。(エイモス夫婦は、オイスター・ベイにあるルーズベルト大統領の屋敷の敷地内の小屋に住んでいたのです。)妻が電話に出ると、ルーズベルト大統領からでした。大統領は、小屋のすぐ外にウズラがいるので、窓からのぞけば見えると教えてくれたのです。そのような小さな事が、大統領の性格をとても良く表しています。大統領は、私達の小屋のそばを通り過ぎるたびに、たとえ私達の姿が見えなくても、『おーい、アニー!』とか、『ジェームス、いるかい?』と呼びかけてくれます。親しく挨拶をしてくれるのです。)

  そのような主人なら、雇われている人は好きになってしまうでしょう? そのような人なら、きっとどんな人からも好かれることでしょう。

 

 

  284.第一次世界大戦に塹壕(ざんごう)戦で戦った兄弟の話がある。弟は「中間地帯」で重傷を負って倒れていた。そこは、敵味方の境目となる危険地帯だった。塹壕にいた兄は弟のことを聞くと、上官に言った。

  「弟を助けに行かせて下さい!」

  「ダメだ! 塹壕から頭を出したが最後、撃ち殺されるぞ。ここから出るなら、敵が攻撃してくるのは知っているだろう!」と、上官は答えた。

  兄は上官の手を振り切り、塹壕をすばやくよじ登ると、敵から攻撃されながらも弟を探しに走り出た。弟はすぐに見つかった。死にかけていた弟は、あえぎながらこうささやいた。

  「来てくれるって思ってたよ!」

  その時には兄も重傷を負っていたが、何とか弟を塹壕までひきずってくると、二人ともその中に倒れ込んだ。

        涙を流しながら、上官は言った。

        「どうして行ったんだ? 殺されると言っただろう?」

        兄は最期の微笑みを浮かべながら、こう言った。

        「行かなくてはならなかったんです!やつは僕が来ると信じていたんです。期待を裏切るなんて僕にはできなかった。」

          −デービッド・ブラント・バーグ

 

 

  285.イエスが裁判に引き出された時、人々は言った。「イエスはただ愛を教えていただけだった!」と。すると、総督ピラトがこう言ったという言い伝えがある。「愛だって? 愛ほど危険な教義はない! それはこのローマ帝国を滅ぼすことにもなりかねん! ローマ帝国は、愛で生き延びる事は出来ない。剣によってのみ生き延びるのだ! われわれがイエスの愛の教義を説くなら、ローマ兵らはもう誰も殺したくなくなってしまう。また貧しい者たちを征服することも、人々から富を奪ってローマ帝国に捧げることも、したがらなくなってしまう! それは極めて危険な教えだ!』 ピラトは正しかった。なぜなら、ローマ帝国は結局、愛の教義によって征服されたからだ! クリスチャンはどんどん数を増し、強力になって、ついにはローマ皇帝の家にまで及び、ローマ帝国をキリスト教に改宗させ、ローマ皇帝自身がクリスチャンとなった! キリスト教がローマ帝国を覆してしまったわけである!

        −−デービッド・ブラント・バーグ

 

 

  286.なぜ、本を読んで友人を作る方法を知ろうとするのですか? 友人の作り方を知りたいなら、それにかけては世界一のテクニックを学んでみてはどうでしょう? それを知っているのは誰でしょうか? ひょっとしたら、明日、通りで顔を合わせるかもしれません。3メートルぐらいに近づくと、しっぽを振り始めます。立ち止まってなでてあげるなら、じゃれつかんばかりになって、あなたへの好意を全身で表してくれるでしょう。しかも、何の下心も隠されていないことは明白です。土地を売ろうとしているわけでもなければ、結婚を求めているわけでもありません。生活のために働かなくてもいい動物は、犬だけだということを知っていましたか? めん鳥は卵を産まなければならないし、雌牛は乳を出し、カナリヤは歌わなければなりません。でも犬は、愛を与えるだけで生活していけるのです!

 

 

  287.真に他の人をゆるした人、その人は、電球を発明した、あのトーマス・エジソンです。何百回も実験を重ね、苦労の末に、エジソンはとうとう電球を完成しました。やっと、史上初の電球が出来上がったのです。エジソンの心は喜びと誇りでいっぱいでした。この瞬間を何年間も夢見てきたのですから。

  「ジミー、これを二階に持って行っておくれ」、エジソンはそう言って、若い助手のジミー・プライスにその電球を手渡しました。ところが、すぐその後で何かが割れる音がしました。エジソンが振り向くと、彼の大切な電球が床の上で粉々になっているではありませんか。ジミーが手を滑らせて電球を落としてしまったのです!

  エジソンは無言のままでしたが、その心中は察しがつきました。しかし、黙って作業台に戻ると、もう一度電球の製作に取りかかったのです。この二個目の電球が出来上がるのに何日もかかりました。しかし、とうとう完成し、その電球は製作者の前の作業台の上に置かれていました。

  そしてエジソンは、最初の電球を壊した助手をゆるしたというしるしに、とても寛大なことをしました。にっこりとほほ笑むと、エジソンはその新しい電球をジミーに手渡して、こう言ったのです。「ジミー、今度は慎重に!」 エジソンはジミーにもう一度チャンスを与えたのでした。ジミーは、今度は電球を壊したりはしませんでした。こうして、今日の世界に、何億もの電球が存在するようになったのです。

 

 

  289.日曜の朝の習慣みたいなもので、その日も、近所の人たち数人が井戸端会議に夢中になっていた。きっといつもながら、車の故障だとか、税金だとか、インフレが話題になっているのだろうと私は思った。だが、もっと身近なことが話題だった。近所に引っ越してきたあるメキシコ人家族のことだ。近所で、一番騒々しい人がまくし立てた。「こうなることはわかっていたんだ。外人が越して来る。分かり切ったことじゃないか。」 「でも、彼らのどこがいけないんだい? よい人たちみたいだけど。」 私の家のすぐ隣に住む人が言った。「何を言ってるんだ。あの家を見てみるといい! 玄関のドアを真っ赤に塗ってるぞ!」 それを聞くと、私の家の隣りに住む人は、自分の家の車庫に入って行き、それから通りに面したポーチに歩いて行った。仕事は数分で完了した。自分の家のドアにも真っ赤なペンキを塗ったのである!

 

 

  290.たとえ深い傷がいえても、ゆるしてしまうまでは決して立ち直れない。

 

 

  291.知っている人から故意に冷たくあしらわれても、なおその行為をゆるせるなら、それこそ真の大人の証拠である。

 

 

  292.健全な人はほほ笑みを絶やさず、人生をずっと価値あるものにする。

 

 

  293.ほほ笑むのには15、しかめっつらをするには65の筋肉を使うそうだ。

 

 

  294.人々に対する私達の態度は、私達がどのように神を信じているかを表す。

 

 

  295.友が間違いを犯したら、小言を繰り返すのではなく、記憶から抹消してしまうこと。

 

 

  296.物を利用し、人々を愛するべきなのに、物を愛して人々を利用することが、人の犯す過ちである。

 

 

  297.仲間の重荷を分かち合うならば、二人とも、もう少し背筋を真っすぐに伸ばしたまま歩けるようになる。

 

 

  298.礼儀正しさは伝染すると言われている。だったら、流行にしてしまったらどうだろうか。

 

 

  299.礼儀正しさの油が少量あれば、摩擦がかなり減ることだろう。

 

 

  300.価値ある友とは、たとえ少しの間あなたの気分を害そうとも、それでも言うべき事を言ってくれる友のこと。

 

 

  301.感謝には必ず感謝がついて回る。

 

 

  302.

もし誰かが気まずい思いをして顔を赤らめるなら、

もし誰かの心が傷つくなら、

もし何か尊いものが陳腐なものであるかのように響くなら、

もし誰かの弱点が笑い物にされるなら、

もし笑わせるために

何かを冒とくする言葉を使わなければならないなら

あるいは、子供が泣いてしまったり、

全員がその笑いに加われないならば、

        それは悪い冗談だ。

 

 

  303.感謝は保険証書のようだ。時折、更新されなければならない。

 

 

  304.世界中の人々が何に一番飢えているかといえば、感謝されることに飢えているのだ。

 

 

  305.人の性格は、自分に何の益をもたらすこともない人をどう扱うかで、容易に判断できる。

 

 

  306.賛辞は誠実に。たいていの人には、砂糖とサッカリンとの見分けがつく。

 

 

  307.生きている人にバラの花を一輪あげるほうが、墓場に高価な花輪を置くよりまさっている。

 

 

  308.死の存在する世界では、人を憎む時間などあるべきではない。

 

 

  309.今日という日に、できる限り親切でありなさい。明日はここにいないかもしれないのだから。

 

 

  310.

陽の沈む時に、

 心が少し痛むのは

自分がしたことのためではなく

  しないで残したことのため

言い忘れた優しい言葉

  書かなかった手紙

贈らなかった花束

  それが夜、心を悩ませる

 

友の歩む道から取り除いてあげなかった

 重い石

忙しすぎて言えなかった

 心のこもった助言の言葉

自分の悩みで頭がいっぱいで

 時間がなかった

優しい語らいと

  温かなふれあい

 

いともたやすく忘れてしまう

 そんなささやかな親切

天使にもなれたのに

  逃してしまったせっかくのチャンス

希望の光は消え入らんばかり

  信仰は力つきて

夜のとばりとともに

 重く心にのしかかる後悔の念

 

人の命はあまりにも短く

  悲しみはあまりにも大きいから

助けの手を差し出すのを

 後に伸ばすことはできない

陽が沈む時に、少し心が痛むのは、

  自分のしたことのためではなく、

しないで残したことのため。

   マーガレット・E・サンスター

 

 

  312.家は壁と梁(はり)とで建てられるが、家庭は愛と夢とで築かれる。

 

 

  313.世界を愛するのは大変なことではない。大変なのは、隣りに住むあの哀れな男を愛することである。

 

 

  314.真の愛は手をつなぎ合うことによってではなく、心をつなぎ合うことによって成り立つ。

 

 

  315.愛を一番必要としているのは、誰よりも愛に値しない人。

 

 

  316.愛が潤滑油となるならば、家の中の事はすべて円滑になる。

 

 

  319.危害を加えるなら、敵よりも劣る者となる。復讐するなら、敵と同等の者となる。ゆるすなら、敵に勝る者となる。

 

 

  320.愛は、定義されるより、実演してもらった方がたやすく理解できる。

 

 

  321.愛とは、神の花園に咲く最も可憐(かれん)な花。

 

 

  322.他の人を愛する時、人は幸福になり、自分を愛する時、人は孤独になる。

 

 

  323.愛は、他の人の罪や過ちを台帳に記録したりはしない。

 

 

  324.兄弟愛の電車は思いやりと憐れみの線路を走る。

 

 

  325.汝の敵を愛せよ。そうすれば、敵は自分が馬鹿なことをしているように感じるだろう。

 

 

  328.誰よりも先にほめる者となり、誰よりも先にほめられるに値する者となりなさい。

 

 

  329.

愛する友は決して死なない

 ただ外なる姿が滅び行くだけ

涙する時にはいつでも

 友が皆そばにいてくれる

力尽き、望みが消え去るとも

 亡き友はいつでもやって来て

昔ながらの快活さで

 私を励ましてくれる

 

闇の中でも聞こえる

 助言や励ましのささやき

望みの炎がゆらめいて、消え入りそうになると

 優しい友がいてくれる、私のすぐそばに

                 −−エドガー・ゲスト

 

 

  330.

私は空に向かって矢を放った

その落ちた先を私は知らなかった

矢はあまりにも速く飛んだので

その落ちた先は目に止まらなかった

 

私は空に向かって歌をうたった

その落ちた先をやはり知らなかった

歌が飛ぶのを追って行けるほど

鋭い目を持った人がいるだろうか

 

長い歳月の後、かしの木に私は見た

まだ折れずに突き刺さっている矢を

また、ある友の心の中に私は再び見た

あの歌、しかもその初めから終わりまでを

    −−ヘンリー・W・ロングフェロー

 

 

  331.神の無限の力の前では、私達のどんな大きな問題もささいなもの。そして、愛あふれる父なる神にとっては、私達のどんなにささいな問題も極めて大きなもの。

 

 

  332.不親切を消すことができるのは、親切という消しゴムだけ。だから、その消しゴムをなくさないように。

 

 

  333.ほめ言葉は、おいしいサラダに加えたガーリックのようなもの。少量でも効果は抜群。

 

 

  334.ほめるのは気前良く、批判は慎重に。それが普通は最善の策。

 

 

  335.親切は、それを為す者は黙しているべきであり、為された者は大声でそれを言い広めるべきだ。

 

 

  336.親切は、世界中で一番活用されていない資本である。

 

 

  337.親切の種をまく者は、一年中、収穫に預かるようになる。

 

 

  343.愛とは他人の問題を自分の問題にしようと決断すること!

  日曜学校に通うある少年が、こう定義した。『おなかを空かせている僕に、誰かがバターを塗ったパンをくれるなら、それは親切な行為。でも、それにジャムを塗ってくれるなら、それこそ愛のこもった親切だな!』

 

 

  344.

恵みとは何か?

ユダはイエスを裏切り

トマスはイエスを疑い

ペテロはイエスを否定し

弟子たちは皆 (ヨハネを除いて)

イエスを見捨てて逃げ去った

ユダヤ人はイエスを軽んじ

民はイエスを訴え

この世はイエスを死に追いやった

でもイエスは彼らを愛し、こう祈られた

『父よ、彼らをおゆるし下さい』と。

それこそ恵みである!

            −−W・H・シューフ

 

 

  345.年取ったクェーカー教徒が通りを歩いていると、馬車を引く馬が突然死んでしまうのを見た。それは大変な損失であった。その馬車の御者にとって、馬は、生計を立てていく手段だったのだ。通りがかりの人達は、首をふり、同情のため息をもらした。すると、クェーカー教徒は、つばの広い帽子を脱ぐと、そこにお札を入れ、こう言ったのである。「皆さん、私はこの人のことを気の毒に思います。それで、10ドルあげることにしました。皆さんは、どれほど気の毒に思っておられますか?」

 

 

  346.同情は、見て、ただ、「かわいそうに」と言うだけだが、憐れみは相手の気持ちを感じとって、「助けましょう」とささやく。