グッド・ソーツ

 愛 第二部

 

  71.16歳になる少女がこんな話をしてくれました。 「日曜学校の先生が私のために、計り知れないほど良いことをしてくれました。私は14歳の時に救われましたが、まわりから馬鹿にされました。きっと私は弱いクリスチャンだったんでしょう。だから、また前のような生活に戻ってしまったんです。教会の人たちもほとんどが私の事を拒むようになりました。でも、Mさんだけは私を見捨てないでいてくれたんです。私がMさんに意地悪をしたり、素っ気なくしたりしても。ある日の夕方、Mさんは私を腕の中にしっかりと抱き締めて、こう言ってくれました。そして、その頬には涙がつたっていたのです。 「ああ、私は本当に心からあなたを愛しているわよ。そして、あなたのすべての葛藤(かっとう)をイエス様は本当に理解して下さっているの。私も、あなたと同じくらいの時には、私を絶対に見捨てないでいてくれた人がいたの。それで私は、罪の生活から救われたのよ。だから、私にはよくわかるの。」                   

 

  73.ある日、ロシヤの偉大な作家トルストイが通りを歩いていると、一人の乞食が彼を呼び止めて、施(ほどこ)しを乞いました。このロシヤの偉人は、どのポケットにも手を突っ込んで小銭を探しましたが、見つからず、残念そうにこう言いました。 「兄弟よ、どうか腹を立てないでほしい。でも、何も持っていないんだ。持っていたら、喜んであげるんだが。」 すると、その乞食は顔を輝かせてこう答えました。 「あなたは、私が求めた以上のものをくれました。私を兄弟と呼んで下さったのですから。」

                   

  74.義務感があると、私達は良い仕事をする。でも、愛があるなら、立派な仕事をする。

                   

  77.アメリカの開拓時代、リッチフィールドのある宿屋に一人のインディアンがやって来た。食物と一晩の宿がほしいのだが、そのお金がないのだと説明した。宿屋の女主人はインディアンを追い出そうとしたが、近くにいた男の人が、私がその支払いをするから、インディアンをもてなしてやりなさいと、女主人に言った。インディアンが心から感謝したのは言うまでもない。そして、いつの日か、きっとこの恩は返すと言ったのだった。それから何年かして、このインディアンに親切にしてやった男は、ある敵がい心に燃えたインディアンの部族に捕らえられ、遠く離れた場所で奴隷にされてしまった。だがある日、一人のインディアンがやって来て、彼にマスケット銃を手渡すと、後について来るようにと命じた。来る日も来る日も、二人は進み続けた。だが、そのインディアンは、その旅の目的も行き先も教えてはくれなかった。そして、ある日の午後、二人はとうとう見事に耕作された土地にやって来た。そこには家々も建ち並んでいた。 「この場所、わかるか?」インディアンは尋ねた。 「ああ、もちろんだとも。リッチフィールドじゃないか。」男は答えた。 「そう、そして、私、この場所で、あなた、助けてくれた、あの飢えたインディアン。私の食事の分、今あなたに、支払った。さあ、家に戻りなさい。」

                   

  78.F・B・メイヤーは、ある信仰復興集会について語っている。その集会はたいした成功もないまま、だらだらと続けられていたが、ある夜、長老の一人が立ち上がってこう言った。「牧師さん、ジョーンズさんと私とで話し合いをしない限り、決して信仰復興など起きないと思います。」 そしてジョーンズ氏に歩み寄ると、 「ジョーンズさん、私達はもう5年も口をきいていない。争いはやめて、和解しよう。さあ、握手だ。」 会衆からはすすり泣きまでもれた。すると、別の長老が立ち上がって言った。 「牧師さん、私はあなたの目の前では良いことを話していましたが、背後では悪口を言ってました。どうかゆるして下さい。」 その後も、教会員が次々に立ち上がって、自分たちの犯した過ちや悪い行いを告白した。その時から、神が働き始められ、信仰復興は3年間でその地方全体に広まったのだった。                   

 

  79.祖国のために戦って、心身ともに疲れ切っていたある老兵は、バイオリンを弾いて生計を立てようとした。ウィーンの街頭でバイオリンを弾き始めたのだが、まもなく、彼の手は力を失い、震えがくるようになってしまった。もうこれ以上バイオリンは弾けないのだ。ある日、彼がその場所で座り込んで泣いていると、見知らぬ人が近寄って来た。「友よ、あなたはあまりに年老いていて、弱っている。そのバイオリンを貸してごらんなさい。」 たちまちバイオリンから、絶妙な美しい調べが流れてきた。次々にお金が帽子に投げ込まれ、たちまちいっぱいになった。

  バイオリンを弾いていた人は言った。 「さあ、そのお金をポケットにしまいなさい。」 老人のポケットはお金でいっぱいになった。老人がもう一度帽子を置くと、バイオリン奏者はさらに見事な調べを演奏したので、ついには涙を流す人、感動の叫びを上げる人さえいた。そして、帽子はまたもいっぱいになった。

  それから、バイオリン奏者は楽器を置くと、姿を消してしまった。 「あの人は誰なんだ? 一体どんな人なんだろう?」と皆がささやきあった。すると、誰かが答えた。 「あの、国中で有名な偉大なバイオリン奏者ブッチャーですよ。」貧しい老兵の窮状に同情した音楽家は、何とか楽にしてあげようと、老人のために音楽を奏で、自ら生活費を稼いであげたのである。その哀れな老人のために犠牲を払ったわけである。

                   

  80.戦場で、従軍牧師が、負傷して倒れている人のところに駆け付け、 「この聖書から何か読んでほしいですか?」と尋ねた。すると兵士は、 「喉が渇いているんです。水をもらう方がいいです。」と答えた。牧師が急いで水を持って来ると、兵士は言った。 「頭の下に何か置いてくれませんか。」 牧師は自分が着ていたコートを丸めると、それを枕代わりにそっと兵士の頭の下に入れてあげたのだった。 「そして、何かかけて下さい。とっても寒いんです!」 牧師には一つの事しか出来なかった。そう、自分の着ていた上着を脱ぐと、それを広げてかけてあげたのだ。負傷兵は牧師の顔を見上げると、弱々しいながらも、深い感謝をこめて、 「ありがとう。」と言った。そしてこう続けたのだった。 「その本の中に、今あなたがしてくれたような事を他の人にもしてあげる力を与えてくれる事が書いてあるなら、どうぞそれを読んで下さい。」

                   

  81.夫婦の間でも、親子でも、仕事でも、どんな人との付き合いにおいても、ちょっとした行為や思いやりに対して、感謝の言葉をかけたり、ほめてあげるなら、たいていは、相手のあら捜しをしようとするよりも、はるかに大きな効果がある。あまり好感も持てず、能力にも欠けているように見える人でも、気をつけて見ていれば、普通は、何かほめたり、励ましたりしてあげられることが見つかる。人というのは、往々にして、他の人を喜ばせたという輝かしい感情を持つと、もっとそうしたいと思うようになるし、自分が良くやっているとわかるなら、さらに良くやりたいと思うようになるものである。

                   

  82.人を客にしようと努める前に、まず時間をさいてその人を友とするように努めなさい。

                   

  83.ウェズレーとその部下の牧師とが、ある時、礼拝の後で、一人の紳士に昼食に招かれた。この巡回牧師はざっくばらんな性格で、上流社会のマナーにはかなり無知だった。

  この紳士の娘ははっとするほどの美貌の持ち主で、ウェズレーの説教に深く感銘していたが、牧師は彼女が指輪を幾つもつけているのに気づいた。

  食事の最中に話が途切れた時、牧師は間髪を入れずにその娘の手を取ると、その手をテーブルの上にかかげ、その輝く宝石にウェズレーの注意を促したのだった。 「ウェズレーさん、これをどう思いますか? メソジストの手として?」 その娘の顔は真っ赤になった。

  ところが、ウェズレーは、穏やかで優しい笑みを浮かべると、「美しい手だ!」と一言言っただけだった 娘はウェズレーの親切さに深く心を打たれたと言う。

                   

  85.リチャード獅子心王は、聖地への十字軍遠征から戻る途中で、ヨーロッパにいた裏切り者どもによって捕らえられ、投獄されてしまった。膨大な額の身代金が要求された。そこで、自分たちの王を自由の身にするために、英国民は重税を支払うことに承諾し、裕福な貴族らも多額の寄付をした。

  さてもう一人の十字軍兵士、サー・グリンバルドも、サラセン人に捕らえられ、身代金を要求された。夫を釈放させ、その命を救うため、グリンバルドの妻は敵の要求を受け入れて、あるものを与えた。それは、ゆりの花のように白い右手だった。

(ヨブ33:24、第一テモテ2:5,6、第一ペテロ1:18)

 

 

  86.この世の中をお互いにとってより住みやすいものにするために生きているのでないなら、私達は何のために生きているのか?

                                     

  87.その時、私はほんの子供でした。確か、春でした。私は父親に呼ばれて、一緒にトラッセルという名の年寄りのかじ屋に行きました。熊手とくわとが修理に出してあったからです。きちんと修理されて、まるで新品のようでした。そこで、父は修理代として銀貨を一枚手渡したのですが、トラッセルさんは受け取ろうとしません。 「そんな簡単な修理に金はもらえんよ」と。でも、父は支払うと強く言い張って、なお、その銀貨を手渡そうとしました。私は、その時にトラッセルさんが言った言葉を、たとえ千歳になっても忘れはしないでしょう。 「エド、おまえさんも、人が自分のために何かしてくれるのを喜んだらどうだい? その人が大きな心を持つよう助けてるんだから。」 あの謙虚で、気さくなかじ屋の口から出た、短いけれども大切な説教によって、私達は、再三再四、大いなる喜びや静かな幸せを発見することができました。そうした喜びや幸せは、 「心を少し大きくする」ことから来るのです。

 

 

  88.ある婦人が卵とバターを買い求めました。質がいいだけでなく、配達が速いことでも評判のある農夫から買い求めたのです。さて、その婦人の家に客が訪れるという日に、注文の品が届きませんでした。やっと翌日に配達された時、婦人は農夫に、厳しい言葉を容赦なくぶつけました。すると、農夫は静かにこう答えたのでした。 「ご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ありませんでした。昨日はちょっと不幸がありまして、母の葬式をすませていたのです。」 すっかり恥じ入ったこの婦人は、遅延の原因がわかるまでは、決して誰に対しても非難の言葉を語るまいと、心に決めたのでした。

                   

  89.身寄りのない少年が街角で新聞を売っていました。ある男の人が、新聞を買うための小銭を捜しながら、少年にどこに住んでいるのかと尋ねました。少年は、貧民街にある川岸のちっぽけな小屋に住んでいると答えました。次に、 「誰と一緒に住んでいるの?」と質問されると、 「ああ、ジムだけですよ。ジムは体が不自由で、働けないんだ。僕の相棒なんです。」と答えました。男の人が、 「じゃあ、ジムがいない方が生活が楽になるね。」と言うと、少年は、軽蔑したように、こう答えたのです。 「とんでもない、ジムを手放すなんて。そんなことしたら、家に帰っても誰もいなくなっちゃうじゃないか。おじさん、稼いだものを分け合う人もなしに、働いて暮らしていくなんて、おじさんだっていやでしょう?」 それは、短いながらも考えさせられる説教でした。

                   

  90.画家のターナーについて感動的な話があります。ターナーの色彩は鮮明かつ強烈で、他の地味な色調の絵画を圧倒してしまうほどでした。一度、1826年に、展覧会でケルンを描いたターナーの傑作が、トーマス・ローレンス卿の二枚の肖像画の間に展示されることになりました。トーマス・ローレンス卿は、ターナーの鮮烈な空の色に影響されて自分の作品が全く引き立たないということに気づき、心を悩ませ、無念がりました。主催者側に苦情を言いましたが、どうしても、決定をくつがえすことはできませんでした。でも、一つだけ方法がありました。そしてターナーはそれをしたのです。当時、画家は、芸術協会の壁にかけられた自分の作品に手を加えることが許されていました。そこでターナーは、自分の絵に「手を加えた」のです。ローレンスが、彼の作品のすぐ隣りにかけられた作品を恐れなくてもいいようにするためでした。展示会の朝。前にターナーのこの作品を見たことのあるターナーの友人が来ました。友人の一団を率いて、かの壮大で見事な作品を見ようと、誇らしげにです。ところが、その友人はびっくり仰天しました。あの栄光に満ちた空の色が、さえない茶色に変わっていたのです。絵は台なしでした。ターナーを見ると、すぐに駆け寄り、あの絵は一体どうしてしまったのかと問いかけました。 すると、ターナーは小声でささやきました。「シーッ! 何でもないさ。全部洗い落とせるから。ただの黒色顔料だよ。ローレンスの哀れで不幸せな顔を見るに耐えられなかったんだ。」

                   

  91.第一次世界大戦中のことです。フォック元帥は、一人の口やかましいアメリカ人に出会いました。そのアメリカ人は、フランスの礼儀作法について、鼻でせせら笑いながらこう言うのです。 「そんなのは、中身のない、ただの空気のようなものさ。」 ところが、元帥はこうやり返したのでした。 「タイヤの中にも空気しか入っていないが、空気が入っているからこそ、自動車が快適に走るのではないかね。」

 

 

  92.微笑みは、陽光が花にもたらすのと同じ効果を人にもたらす。ささいなことに思えるかもしれないが、人生の行く先々で微笑みを放つなら、その影響は測り知れない。

 

             

  93.フロシスが、自分の友人がした話を紹介している。その友人は、オーストラリアで、毛を刈る時期にある羊の牧場を任せられた。彼は、囲いの中から小羊を一匹ずつ出すと、その小羊を何千匹もの羊のいる巨大なおりの中に置く。そこは、やかましく鳴く羊、毛を刈る者たちの声などで、耳をつんざくほどの騒がしさである。小羊は一瞬の間じっとしたままでいるが、その後、メエメエと鳴く。すると、おりの向こう端にいる母羊が答え、その声を頼りに小羊は母親の所に行くのだ。 フロシスはこう付け加えている。「あなたの声が神のもとに届かないなどと思ってはいけません。神は、まるで世界中にあなた一人しか子供がいないかのように、あなたを見ておられるのです。」

                    

  95.C・G・トランボルはこう書いている。 「英国のある海軍将校が、感謝の気持ちをこめて、こんな話をしてくれた。それは、初めて戦闘を経験した際に、誰かの助けによって不名誉なレッテルを貼られずにすんだという話であった。当時、海軍少尉候補生で、まだ14歳という若さだった彼は、敵のマスケット銃による一斉射撃にひどく脅えてしまい、ほとんど失神せんばかりだった。その状態を見た上官は、脇に寄って来ると、顔を敵に向けたまま、彼の手を握り、静かで穏やかな口調で、 「さあ、勇気を出すんだ。ほんの数分で立ち直れるさ。この私も初めて戦いに出た時には、君と全く同じだったんだから。」 それは、まるで天使がやって来て、新しい力を吹き込んでくれたみたいだったそうだ。苦悶はすっかりなくなり、その瞬間から、若者はまるで古参戦士のように勇敢な者に変わった。もし上官から手厳しい扱いを受けていたなら、若者は臆病者の失敗者になり果てていたことだろう。上官の同情のこもった親切な行為が恐れをすべて取り除き、若者の心を勇気で満たし、戦いのための勇敢さを与えたのである。

                   

  97.マックス・ドレイファスがジョージ・ガーシュインに言った。 「君の中には何かいいものがあるなあ。それは次第に出て来るだろう。ひょっとしたら何カ月、あるいは一年かかるかもしれない。五年かかるかもしれない。だが、それが君の内にあることは断言できる。だから、私はこうするつもりだ。君に賭けよう。毎週35ドルずつ君にあげよう。特別に、何の仕事を課すこともなしにだ。ただ毎朝、私の所にやって来て、 『こんにちは』と言うか何かするだけでいいのだ。結果はおのずと出てくるだろう。」

                   

  98.親切は二倍に祝福される。親切にする者も祝福され、親切を受け入れる者もまた祝福されるのだ。

                   

  99.才能ある赤毛のポーランド人の少年はピアニストになることを切望していた。ところが、芸術学校の教師らは何の励ましも与えてくれなかった。指が短いし、太すぎるので、ピアノには向いていないと言うのだった。その後、彼はコルネットを買った。それでも同じような事を言われ、たぶん別の楽器をやってみるべきだと勧められた。結局、どこでも厄介者のように扱われて、またピアノに戻って来た。

  苦々しい思いを抱き、すっかり落胆して‥‥そんな時、有名な作曲家でありピアニストでもあるアントン・ルビンシュタインと出会うチャンスに恵まれた。ルビンシュタインの前でピアノを弾くと、ルビンシュタインは彼を称賛し、激励した。少年は一日に7時間練習することを約束した。称賛の言葉で、のちの巨匠、ジャン・パデレフスキーの人生は大きく変わったのである。

                   

  101.政府での高い地位を失ったナタナエル・ホーソーンは、すっかりしょげかえって、ほとんどやけっぱちの状態で帰宅した。すると妻は、機嫌の悪い夫を責めるどころか、テーブルの上にそっとペンとインクを置くと、暖炉の火をつけた。 そして、夫の肩を優しく抱きながら、「さあ、今ならあなたの本が書けますね。」と言ったのだ。夫はその言葉によって励まされた。そして、世界中の人が、 『緋文字』という名作に預かった。

                   

  102.人を喜ばせることは、まず人をほめることから始まる。

                   

  104.皇帝ニコラスの治世に、ニコラスは臣民のもてなし具合を自らテストしたいと望んだ。ニコラスは乞食に変装し、家々の扉をたたいて、食べ物と泊まる場所を求めたが、どこの家でも冷たくあしらわれ、とうとう夕暮れに、粗末なほったて小屋の戸をたたいたのだった。そこの百姓は貧しく、妻は病気だった。だが、百姓はニコラスに言った。 「ほとんど何もありませんが、あるものを分けて差し上げましょう!」 そして 「乞食」を中に入れると、百姓は、暖かく、栄養のある食べ物を与えた。そして、寝場所と言えば、床に直接敷かれたわらの布団が精一杯のもてなしだった。こうして、みんな寝静まった。翌朝早くに百姓は起きたが、すでにその見知らぬ人の姿はなかった。数日後、百姓と、徐々に回復していた妻とが小屋の入り口に腰をおろしていると、兵士の一隊が自分たちの小屋に向かって行進して来るのが見えた。その後には、四頭立ての見事な馬に引かれた立派な馬車が続いていた。 「ああ、私はいったい何をしてしまったんだろう? 兵士らが私を逮捕しに来る!」 百姓は思わずそう言った。ところが、その恐れは喜びに変わったのである! 小屋の前で止まった皇室専用の馬車から皇帝ニコラスが降りて来て、百姓とその妻とにうやうやしく挨拶したのである。それから二人に豪華な報酬を披露すると、数日前に乞食としてその小屋に迎え入れられ、厚いもてなしを受けたのは自分であったことを告げた。

  「侮られて、人に捨てられた」方、主イエスに仕え、 「彼の辱(はずかし)めを身に負い、‥‥営所の外に出て行く」のは、現代の私達の務めである。(ヘブル13:13)イエスが 「王の王、主の主」として戻られる時、イエスは、私達がイエスのためにしたすべてのことに対して、豊かに報いて下さるであろう。イエスはこう約束しておられる。 「人の子は、父の栄光の内にやって来るが‥‥その時には、それぞれのおこないに応じて、各自に報いて下さるであろう。」 (マタイ16:27)

                   

  105.他の人々に関心を持って2カ月間過ごすなら、他の人々の関心を自分に向けようとして2年間過ごした場合よりも、友人を多く作れる。

                   

  106.機知に富むオリバー・ハルフォードは、キスを次のように定義している。 「言葉が余計なものに感じられる時に、二人とも話を一瞬休止させるため、巧みに考案された一連の手順」

                   

  107.憐れみは、非難よりももっと罪をいやす。

 

 

    108.

お金があれば家は建つ。

しかし、ただの家を

家庭にするには愛がいる。

                   

  109.

神様からの贈り物で

何よりも尊いのは友であろう

いつも理解してくれ

必要な時には必ず助けてくれる友

好天でも、嵐でも

その友情は試練に耐え

責められて当然の過ちを見ても

愛し続けてくれる

どんな説教にもまさって

良くあろう、誠実であろうという気にさせてくれる

この世は素晴らしき宝を数々、

与えるとも

ただ神様だけが友を授けられる

 

  111.ある電話交換手は疲れ、頭痛がしていました。さっきは、ある女性が電話をかけてきて、ある番号につないでほしいと頼み、何回やってみてもつながらなかったのですが、その女性がしきりに頼むのでさらに続けている内にやっとつながりました。ところが、またしてもこの人が電話をかけてきたのでした!  「この人ったら、少しの間でも静かにしていられないのかしら?」と思いながらも、つっけんどんな話し方にならないように気をつけながら、 「お電話番号をどうぞ。」と言いました。すると、相手はうれしそうにこう言ったのです。 「さっきの番号につなぐために、あんなに手間をかけて下さったから、そのお礼が言いたかったの。あなたはいつもとても親切で、喜んで助けてくれますね。本当にありがとう。」 あまりにも意外で、言葉に詰まりました。 「あ、ああ、そうですか。」と口ごもるのがやっとでした。こんな事は初めてです。突然、頭痛も軽くなり、一日が明るくなりました。そしてまた、胸にぐっとこみ上げてきて、涙をぬぐうためにハンカチに手を伸ばしたのでした。感謝されるって、何てうれしいことでしょう。

                   

  112.突然、「あなたは5分後に死ぬ」と宣告され、それまで自分の言いたいことを伝えることができたとしたなら、どもりながらも他の人に愛を伝えようとする人たちで、電話ボックスはすべてふさがってしまうことでしょう。

                   

  113.喝采されることが、自信の源になるので、俳優にはそれが欠かせないと誰かがシドンズという女優に言うと、その女優はこう答えた。「いいえ、それ以上の意味を持っています。喝采は呼吸するための空気のようなものです。」

                   

  114.弱っている人が立ち上がるのを助けても、その後で支えてあげなければ、十分ではない。

 

 

  115.

友情とは庭のよう

たぐいまれなる見事な花が咲きほこる庭

愛をこめて世話をするなら

新しい日を迎えるごとに

可憐な花が次々に咲く

友情とは庭のよう

新しい年を迎えるごとに

その美しさが増す

 

  

  117.ある老齢のクリスチャンが、エジンバラで死の床に伏していた。彼は、一人の友を招いて、別れを告げようとした。 「ちょうど他に3人の客が来たところです。」 まもなく死を迎えようしていたクリスチャンは言った。 「その内の二人とはもう別れたのですが、3人目の人は私といつまでもいて下さるのです。」 「それは誰なんですか?」 「第一の客は信仰でした。そして、私は、 『信仰よ、さらば!』と言いました。 『初めてキリストを信頼したその時から、あなたがずっと一緒にいてくれたことを、神に感謝しています。でも今、私は、すべてが目に見え、もう信仰が必要でない所へ行こうとしているのです。』 その後にやって来たのは希望でした。そこで言ったのです。 『希望よ、さらば! 戦いと挫折の時に、あなたは何回も私を助けてくれました。でも、もうあなたは必要ではありません。希望が現実のものになる場所に行こうとしているからです。』そして最後にやって来たのは愛でした。私は言いました。 『愛よ、あなたはまことに私の友でいてくれました。あなたは神や私の同胞と私とをしっかりつないでくれました。そして、私の巡礼の旅の初めから終わりまでずっと、私に慰めと喜びとを与えてくれたのです。でも、あなたを置いて行くわけにはいきません。あの門をくぐって、神の都に行く際に、あなたも一緒に来て下さらなければなりません。愛は天国で全うされるようになるからです。』」         

        

  

  119.ある賢明な医者が私に言った。「医者になってもう30年になるし、多くの薬を処方してきたが、結局私が学んだのは、人間の病気のほとんどは愛で治るということだ。」

  私が、 「でも、もしそれで治らない場合には?」と尋ねると、

  彼は、 「量を二倍にしなさい。」と答えた。

                   

  120.愛は、与えて富を増す。欲は、しまい込んで貧しくなる。

                   

  121.親切を施した者は沈黙を守り、親切を受け取った者がそのことを語るべきだ。

                   

  122.ウォルター・スコット卿は、子供の頃、皆からどうしようもないほど出来の悪い子だと思われていた。教室では、いつも罰として紙製のとんがり帽子をかぶらされ、劣等生用の席に座らされていた。ところが12歳か14歳の頃、たまたまある家で著名な詩人たちが客として訪れている所に居合わせた。スコットランド人の詩人、ロバート・バーンズが壁にかかっている絵画を称賛していると、その絵の下に二行連句になった詩が書かれているのに気づいた。ロバート・バーンズはその作者が誰か尋ねたが、誰も知らないようだった。だがその時、一人の少年が恥ずかしそうに脇に近寄って来ると、その作者の名を告げ、その詩の残りをそらで言ったのである。バーンズは驚き、また喜んだ。そして少年の頭に手を乗せて、こう賛辞した。 「ああ、君はいつの日かスコットランドの偉人となるだろう。」その日から、ウォルター・スコット少年は別人になった。一言の励ましの言葉が、偉人への道を開いたのだった。

 (申命記1:38; 3:28; イザヤ41:7)

                   

  123.ウェリントン公爵が脱走の常習犯に死刑を宣告しようとしていた。その偉大な将軍は、胸をつまらせてこう言った。 「このような厳しい刑を申し渡さなければならないことを、極めて遺憾に思うが、私は全てのことを試みたのだ。あらゆる懲戒や刑罰もこの男を変えることはできなかった。脱走しないのであれば、彼は勇敢で良い兵士なのだが。」  それからウェリントン公爵は、その兵士の僚友に、申し開きをする機会を与えた。すると、一人がこう言ったのだ。 「閣下、お願いです。閣下がまだ試みていないことが一つだけあります。まだこの男をゆるしたことはありません。」 そこで、将軍は兵士をゆるした。すると、効果はてきめんだった。兵士は二度と脱走をはかろうとはしなかった。そして、いつまでも、ウェリントン公爵に対する感謝を忘れることはなかった。

(詩篇103:2、ルカ7:47,48、エペソ1:7)

                   

  126.つい最近のこと、小鳥が地面の上で動かず冷たくなっているのを見て、私は思った。 「ああ、神にお会いするのを何とか逃さずにすんだ」と。神は、その葬式に立ち会っておられたからである。 (マタイ10:29)

                   

  127.愛を惜しみなく与える者となりなさい! 愛は、分配することによってどんどん増えていく宝物、取って与えればますます大きくなっていく贈り物です。惜しみなく与えても割に合うのは愛だけです。愛をどんどん与え、まき、ポケットがすっかり空になってしまうまで与え、カゴを逆さにして揺すり、コップを逆さまにして与えなさい。そうすれば、明日あなたは、今までよりさらに多くの愛を受け取ることでしょう。

 

 

  128. 「愛は不作法をしない。常に礼儀正しく、不作法をせず、良い振る舞いをする」と言うのは、 『人生の諸問題に光を』のJ・オズワルド・サンダースです。その本の中で、フランス国王のルイ14世についての逸話を述べています。

  ある時、ルイ14世がベルサイユ宮殿で廷臣らに、ある話をしていたところ、中途でその話を終えてしまいました。しばらくして、ある公爵が席を外して広間から出て行きました。それを見届けたルイ14世は、こう語ったのです。 「私の話が中途半端な形で終わってしまったのに気づいたと思う。その話の結末が、たった今広間を出て行った公爵の先祖の一人の不名誉になるという事を私は忘れていたのだ。そこで、その立派な公爵の心を痛めるよりは、興味深い話を途中で終わらせる方が良いと思ったわけだ。」 これが、礼儀というものです。

 

  130.人を非難する者ではなく、人をゆるす者になろう。

 

  131.私の目につく人の過ちの内で、自分が犯したことのない過ちはない。

 

  132.小さな過ちに目をつぶり、自分は大きな過ちを犯すことを思い出しなさい。

 

  133.ゆるしとは、罰を免除する以上のものである。それは、仲直りするという意味でもあるべきだ。

 

  134.あからさまな敵は災いの種かもしれないが、見せかけの友はもっとひどい。

 

  135.友には、その友を失わないように善をなし、敵には、その人を友として勝ち取るために、善をなせ。

                   

  136.ある母親がナポレオンのところに来て、息子の罪をゆるしてほしいと必死に嘆願しました。皇帝は、これが二度目なので、死刑こそ公正なる裁きであると答えました。

  すると、母親は言いました。 「でも、私は公正なる裁きは求めてはおりません。憐れみを乞い願っているのです。」

  「だが、この者に憐れみは値しない。」と皇帝は言いました。

  しかし母親は、 「陛下、値する人に与えるのでしたら、それは憐れみではありません。だからこそ、陛下に憐れみを乞い求めているのです。」と言いました。

  すると皇帝はこう答えたのでした。 「よろしい、それならば、憐れみをたれてやろう。」 こうして、息子は命拾いしたのでした。

  恵みとは、それに値しない者に与えられ、功なくして得られる、神からの祝福であり、憐れみは、裁きを受けて当然の者たちに対する神の同情に満ちた親切な行為です。恵みは私達が値しないものを与えてくれるし、憐れみは私達が当然受けるべきものを免れさせてくれるのです。

  (出エジプト34:6,7、ミカ6:8、ヘブル4:16)

                   

  139.性的行動の研究を専門にし、性的能力高等研究所の医療部長であるアール・マーシュ博士はこう語っている。 「アメリカ人が自分の愛している人と、もっと性的な関係を持つならば、病気は減少するし、睡眠ももっと良く取れるし、入院患者の数も、早死にする人の数も減るだろう。私が言っているのはセックスという性行為のことだけではない。抱擁、キス、触れるといった行為でも効果がある。」

                   

  140.失恋に効く薬は、もっと愛することだけ。

 

  143.

私はどこにでもいる

ただのスズメ

誰も大切な存在と思わないかもしれない

でも、神様は世話をして下さる

 

スズメは

世界中に無数いる

けれど一羽でも地に落ちるなら

天の父はそれをご存じ

 

小さくとも、忘れられたりはしない

弱くとも、決して恐れない

神様は、お造りになったものを

必ず守ってくれるから

 

夜に翼をとじる時

どこにいようとも

安心して眠れる

天の父が見守っていてくれるから

 

私はただのスズメ

どこにでもいる鳥

神様は私を愛して下さる

 

  144. 親切はただ返すのではなく、他の人に回していくもの。「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。」(マタイ5:46,47)

                   

  145.神が私達を愛されるのは、私達が貴重な存在だからではない。神が私達を愛されるがゆえに、私達は貴重な存在となる!

 

 

  146.神があなたという一かたまりの土くれを取って、新しく形作り直されるとしたら、それは神の力を誇示するためではなく、あなたを愛するがゆえのことである。

                   

  147.

鐘は

鳴らされるまでは、鐘ではない。

歌も

歌われるまでは、歌ではない。

心の中にある愛も

しまっておく為に与えられたのではない。

愛は、与えてしまうまでは、

愛とは言えないのだから!

                   

  151.神の恵みに満ちた真理は、屈辱を味わわせることなしに、人を謙虚にさせ、高ぶらせることなしに、人を高める!

                   

  152.借金は返済できるかもしれない。しかし、人に親切にされたなら、一生に渡ってその恩を返さなければならない。

                   

  153.他の人に良くしてあげているとき、自分にも、一番良くしていることになる。

                   

  154.

もし私が一人でも傷ついた人のこころを

いやすことが出来たら

私が生きていることは無駄ではなくなる

もし一つの人生でも苦しみをやわらげることが出来たら

一つの痛みでも軽くし

一羽のこまどりでも弱り果てているのを

巣に戻してやれたなら

私の生きていることは無駄ではなくなる

          −−エミリー・ディキンソン

                   

  156.人から不当な扱いを受け、自分の気に入らないことをされたからといって、天におられる神が一度だってストライキを起こされたことがないのは、何と素晴らしいことか。

一度でも、神が見切りをつけて、こう言われたとしたらどうだろうか。

「もうこれまでだ! うんざりした!

もう地上でのゴタゴタはたくさんだ。

だから、こうしてやろう。

太陽には、熱の供給を断つように命じよう!

月には、光を放つのをやめさせ、

海を干上がらせてしまうように命じよう。

それから、全ての命あるものが息絶えてしまうまで、欠かすことのできない酸素を断ってしまおう

人間を痛い目にあわせてやろう!」

さて、公平さで言えば神はそうなさって当然だ。

神ほどに酷使され、

さげすまされてきた方はいないのだから!

でも、神はそれでも、恵みを施し、

私達に良くして下さり、

一切のものをふんだんに与え続けて下さる。

人は、もっと待遇を良くしろと言って

ストライキをする。

でも、何もかも神のおかげだというのに、

人は神に対してどんな待遇をしてきたことだろうか!

ほしいものを手に入れるためには、

誰を踏み付けようと構いもしない。

でも、もし神がストライキをなさったなら、

人はとんでもない状態に陥るだろう!

                   

  162.

あなたに会った時、

夜は昼に変わり、

陽光がさしこんで、陰は逃げ去った。

美しい鳥のさえずりは

いっそう美しさを増し

行く先々に色鮮やかな花が咲く。

世界も愛と優しさに満ちて見え、

人生も豊かになった。

そう、あなたに会った時に。

                   

  163.親切な行為は、しても、されても、とにかく気分を良くする。

                   

  164.あなたの語る言葉がすべて親切な言葉であるようにしなさい。そうすれば、常に親切なこだまが聞こえるようになる。

                   

  166.親切な行為は、生活の中の摩擦を取り除いてくれる潤滑油。

                   

  167.親切な行為ほど王者を思わせるものはなく、真実ほど高貴なものもない。

 

 

  168.親切な行為は雪のようだ。何もかも美しく包み隠してくれる。

                   

  170.同情でいっぱいになって肥大した心(臓)が原因で死んだ人は、まだ一人もいない。

                   

  171.心を打ち明けるなら、相手は、それによって勇気づけられる。

                   

  172.隣り人の心に触れるには、自分の心をもってするしか方法はない。

                   

  173.同情とは、一つの荷を共に引っ張ること。

                   

  175.誰かが丘を登るのを助けてあげる時、自分の方が少し頂上に近いんだということを知るのは、よいものだ。

                   

  176.神は人を使って人の世話をされる。

                   

  177.与えることは、私達の愛の温度計。

                   

  178.どんなに役立たずの人でも、その人の友情はその憎悪よりもっと価値がある。

                   

  179.友情とは、親切や同情や理解によってはぐくまれている間だけ存続する生き物である。

                   

  180.友情を自分の人生の砦(とりで)とする者は賢い。

                   

  181.あなたにできるのは、ただ友情の手を差し延べることだけで、相手がそれをつかむよう強いることはできない。

                   

  182.友情は、与えるものではなく、受け取るものだと考えているなら、間違っている。

                   

  183.純粋な友情は、健康のようなもの。なくなってしまうまで、滅多にその真価がわからない。

                   

  184.汝の敵を許しなさい。それは、敵に仕返しをする最善の方法である!

                   

  185.ゆるしはおかしなものである。それは心を暖め、刺すような痛みを和らげてくれる。

                   

  186.私達はまずゆるし、そして、ゆるしたことを忘れるべきだ。

                   

  187.いつも自分の敵をゆるしなさい。敵にとって、これほどいやなものはない。