グッド・ソーツ

 子供と両親 第四部

 

  300.いかに優れたカウボーイでも、おじいちゃん、おばあちゃんが財布から孫の写真を取り出すほど素早く銃を抜くことはできない。

 

 

  301.もう一つ、「すごく簡単で、子供でも扱える」のは、おじいちゃん、おばあちゃん。

 

 

  304.

夜も昼もあなたに注がれる小さな目

あなたの言うことを

素早く吸収する小さな耳

あなたのすることは

何でもまねしようとする小さな手

あなたのようになる日を夢見ている幼い子供

 

あなたはその小さな友のアイドル

賢者の中の賢者

その小さな心には

あなたに対していっぺんの疑いもない

あなたのことをひたすら信じ

あなたの言うことなすこと

すべてが正しいと思っている

あなたのような大人になった時

その子はあなたのように話し

あなたのように振る舞うことだろう

 

大きな目をした小さな男の子

あなたがいつも正しいと信じている

昼も夜も見守り

いつも耳をすましていて

毎日、あなたのすることを

手本としている

あなたのようになる日を夢見ている幼い子供

        −−レスリー・ヘイル

 

  305.

「人間は強力と言われている、

  地を治め、海を治めると。

万物に対して、

  強力なる王権を行使すると。

しかし、王座に座る者に

  勝る力を持つものがある。

ゆりかごを揺らす母の手、

  それは、世界を治める手。」

 

  306.

心のゆがんだ人がいた。

その人の笑みはゆがんでいた。

非常にゆがんだ方法で、

ゆがんだ富を築きあげ、

ゆがんだ人達がするように、

ゆがんだ人生を送った。

そして、不思議に思った。

どうして息子たちも

心がゆがんでいるのかと!

 

  307.

私の手は大きく、この子の手は小さい

世界中で、私に授けられたこの仕事ほど重要な仕事はない。

主よ、知恵を求めます、この子供を正しく導けるように。

この子のすべての必要は私にかかっています。

どうか私の導き手となって下さい、

この子のかたわらをゆく私が

この子のために正しい道を選ぶようにと。

月日はあっという間に過ぎてゆく。

行いにおいても言葉においても

私が注意深くあるよう助けて下さい。

主よ、私達が歩んで行く時に

この子の手が私の手にしっかりつながれ、

そして主よ、

私の手がいつもあなたの手をつないでいますように。

      グレース・ノル・クロウェル

 

 

  308.父親が帰ってくるのがみえたので、幼い恵子は、大急ぎでチョコレート・キャンディーを食べてしまおうとした。そして、最後の一口を口の中に詰め込むと、大喜びで父親の方に駆けていき、そのふところに飛び込んだ。「パパ、パパ、お帰りなさい!」

  父親は、恵子の手にも口にも服にもチョコレートがベタベタついているのに気がついたが、もう手遅れだった! 父親の白いYシャツは汚れてしまった! 最初は、娘を叱りたいという衝動にかられたが、娘を床におろすと、快活に笑った! こんなふうに無心に、愛と喜びでいっぱいになって抱きついてきたのに、叱ることなどできようか。父親はこう考えた。「私が天の父を知った時も、長年の罪のゆえに私は汚れていた。けれども、天の父は、私をやさしくその腕に抱いて下さった。」

 

  309.人生の道を歩み始めた若い母親は、こう尋ねた。「道は長いのでしょうか」 

  すると彼女を導く方はこう答えた。「そう、道のりは長く険しい。そして、道の終わりにたどりつく頃には、あなたは年老いているだろう。だが、その道の終わりは、初めよりも良いものとなる。」

  けれども、その若い母親は幸せで、これ以上の幸せなどありえないと思った。子供達と遊び、道を行きながら子供達のために花をつみ、きれいな川の流れがあると、子供達と共に水でたわむれた。太陽がさんさんと輝く、幸福な人生だった。若い母親は言った。「これ以上の幸せはないわ」と。

  夜がやってきて、嵐になり、道は闇に包まれた。子供達は寒さと恐れで震えていた。母親は子供達を引き寄せ、自分のコートでおおった。すると子供達は言った。「ママ、怖くなんかないよ。ママが近くにいてくれるし、何も僕たちに害を加えたりはしないから。」 母親は思った。「今日の方が、明るかった日々よりもいいわ。子供達に勇気を教えることができたもの。」

  朝になり、前方には山があった。その山を登るにつれ、子供達はだんだん疲れ、母親も疲れてきた。だが、母親はいつも子供達にこう言い聞かせた。「もう少し頑張るのよ。もうすぐだから。」 それで子供達は登り続け、頂上に達することができた。子供達は、「ママがいてくれたからできたんだ」と言った。母親はその夜、床につき、星空を見上げながら、こう言った。「今日の方がずっと素晴らしい。子供達は困難に立ち向かうことを学んだんだもの。昨日は子供達に勇気を教えたけれど、今日は、子供達を力を与えられたわ。」 

  次の日になると、雲行きがあやしくなり、あたりは暗くなった。戦争と憎しみと悪の暗雲が立ち込めてきたのだった。手探りで進んでいた子供達は、つまずきながら歩いた。母親は言った。「上を見なさい。光を見上げるのよ。」 子供達が上を見ると、雲の向こうに永遠に続く栄光の光が輝いているのが見えた。そしてその光が彼らを導き、暗闇を抜け出させてくれた。その夜、母親は言った。「今まで、こんなに素晴らしい日はなかったわ。子供達に神さまのことを教えられたんですもの。」

  そうして月日は流れ、母親は年老いていった。やせて、腰も曲がってしまった。だが、子供達は背も伸び、強くなり、勇敢に歩んでいた。そして、道がでこぼこしている時には母親の手をとり、道が険しい時には母親をおぶった。母親はすっかり軽くなっていた。ついに彼らは丘にたどりつき、丘の向こうには、光に輝く道があり、黄金の門が開いているのが見えた。

  母親はこう言った。「私の旅はもう終わったわ。道の終わりの方が初めよりもいいという意味がよくわかった。子供達はもう自分たちで歩んで行けるし、孫たちも彼らの後を歩んでいるんですもの。」

  子供達は言った。「お母さんはいつも僕達と共に歩んでくれるね。あの門の向こうに行った後でも。」

  母親が一人で歩いて行き、門をくぐると、その門が閉ざされるのが見えたが、子供達はこう言った。「お母さんに会うことは出来ないけど、お母さんは今でも僕達と一緒にいる。僕達のお母さんは、記憶の中に生きているだけではなく、いつまでも僕達と一緒に歩んでくれているんだ。」と。

  

  310.子供が、私の首を抱きしめて、こう言った。短い言葉だが忘れられない言葉だった。私は祈らずにはおれなかった。その言葉は私の魂に鏡をあてたから。誰も知らない秘密に鏡をあてたから。その言葉は私を驚かせた。その言葉は今も私の耳に響いている。子供はこう言ったのだ。「僕、お父さんみたいになる!」

      −−ハーバート・パーカー

 

  311.「父と母とを敬え」(マタイ19:19)これは主の戒めである。イエスが引用されたから、それは主の愛のおきての一部である。主は、これは約束つきの最初の戒めだと言われた。「あなたの父と母とを敬え。そうすれば、あなたな幸福になり、地上で長く生きながらえ、養われるであろう。」(エペソ6:2,3)

   −−デービッド・ブラント・バーグ

  

  312.

盲目の子供

目は見えないけれど  

お母さんの顔がどんなだが知っている

ベルのかなでる音楽のようで

良い香りのするバラのよう

  そう、僕にとってはそうなんだ。

父さんの顔がどんなだか知っている  

本当に全部わかっているんだ

口笛のようで

僕が転ばないよう、ちゃんと世話してくれる腕のよう

そして、神様がどんな方かも知っている

誰にも神様は見えないけど

神様は、僕が心に描く両親のイメージ

神様は、僕の最高の夢以上に素晴らしい方

 

 

  313.

  赤ちゃんの澄んだ瞳の向こうから

    明日が私を見ている

  自分が神から信頼されていることを思い起こさせてくれる

    ああ、天の父よ、私を賢い者として下さい。 

 

 

  315.子供にこう言うには、大きな勇気と、先見の明とを要する。「今は、おまえが私のことをどう思うかなど気にしない。数年たっておまえが私のことをどう思うかのほうが大切なんだ。」

  

  317.ポケットの中にいらないものばかり突っ込むと言って息子を叱る母親は、自分のハンドバッグの中を調べてみるといい!

 

  

  319.ある小さな子供の話がある。その子は、暗い夜の雷や稲妻にすっかりおびえ、父親を呼んだ。「パパ、来て、怖いよう!」 父親は言った。「浩二、神様はね、おまえのことを愛していてくれて、おまえを守って下さるんだよ。」 すると男の子はこう答えた。「神様が、僕のことを愛してくれて、守ってくれてるのはわかるけど、今は、だれか目に見える人に一緒にいてほしいんだ。」

  

 

  320.お父さんとは、おもちゃを直す人、男の子達のリーダー、ヒューズを取り替える人、けがを直す人、ソファーを動かす人、痛みをいやす人、網戸を張る人、ティーンの相談役、クギを打つ人、話をしてくれる人、食器を乾かす人、望みをかなえてくれる人、主よ、お父さんに祝福がありますように

  ジョー・アン・ハインドブレダー

  321.

今までに戦われた中でも最大の戦い

  それがいつどこで戦われたか

         話しましょうか?

地図の上で探すことはできません

  それは、母親たちによって

         戦われたのです。

銃や大砲や剣によって

 戦われたのではなく

  また、ペンによってでもありません

素晴らしい人間の思考から発する

  流帳な言葉や思想によって

  戦われたのでもありません

そうではなく、女性の心の奥深くで

 戦われたのです

  決して屈することなく

勇敢に忍耐強く自分の役割を果たす女性

  そこに戦場があるのです

 

整列した軍隊もいなければ、

 野営の歌もないし

  輝きながらはためく旗もない

でも、この戦いは延々と続きます

  ゆりかがから墓場まで!

だが母親は、城壁に囲まれた町の中で  

  輝く星のように忠実に

         戦い続けます

終わりなき戦いにおいて、

 いつまでも戦い続け

  沈黙が訪れ、誰にも気づかれずに

        去っていくのです!

旗をかかげ、銃を撃ち

  兵士は叫び、賛美の声をあげる

でも、一番立派な勝利は

  ああやって静かに

        勝ち取られるのです。

         フォーキン・ミラー

 

  322.

母親として注意深くなければ....

幼い娘が私の後をついてくるから。

間達っても、道から外れたりはすまい。

娘が同じ道をたどってはいけないから。

娘はまだ3歳になったばかりだけれど、

娘の中に、小さな自分の姿が見える

娘は、「ママのようになる」と言う

この幼い娘が私の後をついてくる。

娘は私が料理したり縫い物をするのを

手伝うのが好き、

娘はどこでも私の行くところへついてくる

娘の目から逃れことはできない。

娘は私のすることは何でもやってみる

娘はまるで

私が神ででもあるかのように振る舞い

私の言うことは何でも信じる

私のいやな所はきっと見えないのだろう。

信じ切って私についてくる娘。

主よ! 夏の日も、雪の降る冬の日も、

私がこのことを忘れないようにして下さい。

娘は、教えられた通りの者になるという事を。

将来の母親が私の後をついてくる。 

         マーサ・E・ランバート  

 

  

  323.「これで、おまえより私のほうが痛い目にあうんだよ」と判事は言った。彼は、自分の娘に、スピード違反で罰金を科し、信号無視でも罰金を科し、それから、その罰金を払うために、自分のポケットのお金を探ったのだった。

 

  326.子供が間達いをすると、あなたはどれほど傷ついたり、がっかりしたりするだろうか?

もちろん、少しがっかりしたりはするが、子供が時に失敗したり、悪いことをしたり、間達った決断を下したりするのは、当たり前のことと考えているのではないだろうか。子供が何か間達ったことをしたからといって、ものすごく傷つき、気分を害するなどといったことはない。

  子供とはそういうもので、時々、間達いもする。子供は完璧ではないとあなたは知っているのだ。実際、最初は少しがっかりしても、子供が教訓を学び、正しいことをするよう学んでいるのを見ると、その喜びの内に、最初の落胆など忘れてしまう。学んでいるときには、間違いはつきものだ。

−−デービッド・ブラント・バーグ

 

 

  327.

お母さん、いらだちを覚えていますか?

 お父さん、疲れていますか?

すごく大恋な一日だったのに

 だれも感謝してくれないのですか?

誰も感謝の言葉をかけてくれず

 労をねぎらってもくれないのですか?

あくせくと

 今日も多くのことをしたのに?

こうした状態から抜け出すことがあるのだろうか

 光が見える時がくるのだろうか、と思うかもしれない

でも、子供達が自分を必要としてくれているから

 しっかりとしがみつく

 

もしもあきらめてしまったら

 誰が子供を助けるのだろう?

ただそう考えるだけで、

 新たな力が与えられるはず!

神の御子は、人間として来られ

 普通の肉体の力しか持っておられなかった

けれども、人間は彼から力をどんどん引き出し

 いつもいつも人々を助けるよう強いた!

その疲れた手で、彼は人々にふれ、病をいやし

 その疲れた口で、語られた!

疲れた足で、一人、道を行かれた

 すべて人々のためになさったのだ!

 

彼の人生は、自分のためのものではなかった

 彼はすべてを捧げた

彼に触れ、彼の語る言葉を聞こうと

 押し寄せてきた人々のために

 

ああ主よ、今、ほほ笑みと快活な心をもって

 私がこう言うのを助けて下さい

「自分の召された役割を果たすこと

 これは全く犠牲ではありません!」と

 

日々、子供達を教え、訓練し

 その小さな人生を形作る時

私は知っている。いつか、

 私の動きが百倍の実を結ぶ日がくると!

私の払う犠牲など何とちっぽけなものだろう

 子供達が心から神を信じ

神の愛をおきてを守るように教えること

 これ以上に尊い召しはないのだから

 

気落ちしているママ、疲れているパパ

気持ちはよくわかります

でも、すべてを捧げるなら、主が最後まで

力と喜びを与えて下さいます!

           シーク、10人の母

 

 

  328.子供達はあなた達の最大の仕事、最大の責任である。神があなた達に与えて下さった小さな弟子たちを、あなた達は世話し、訓練しなければならない。しっかり教え、主の薫陶と訓戒とによって育て、行くべき道に従って教えるべきである。彼らが年老いても、それを離れることがないように!(箴言22:6) 

   −−デービッド・ブラント・バーグ

 

 

  329.テレビが登場して以来、家族が輪になって団らんの時を過ごすことはなくなった。半円になってしまったのだ。

 

 

  330.おばあさんは、テレビを見るよりも、子供を見たいと思っているベビーシッターである。

 

 

  331.

主は言われた、

「少しの間、わたしの子供をあなたに貸そう。

その子が生きている間、愛し、

その子が去った時にも、その子のことを思うために。

その子がずっとあなたと一緒にいると

約束することはできない。

すべてのものは戻るのだから。

だが、地上で学ぶべき教訓があり、

わたしはこの子にそれを学んでほしい。

わたしは、真の教師を求めて世界中を見回し、

大勢の人々の中から、あなたを選んだ。

さあ、自分の働きは空しいなどと思わず、

わたしがこの子を戻るようにと召しても

わたしを憎むことをしないで

この子にあなたの愛を

すべて注いでくれるだろうか。」

 

  332.息子よ、聞いてほしい。私は眠っているおまえに語りかけている。ほっぺたの下には小さなひっかき傷があって、汗で湿った額には、金髪のカールがくつっていているね。

  お父さんは、そっとおまえの部屋に入って来た。ほんの2、3分前、書斎で新聞を読んでいると、後悔の念に襲われたんだ。罪の意識を感じて、おまえのベッドの所に来たというわけだ。

  お父さんが考えていたことを教えてあげよう。私はおまえに対して怒りっぽかったね。おまえが学校へ行こうとして着替えていた時に、私は叱った。顔を洗うのに、タオルでちょこちょこっと拭くことしかしなかったからだ。それに、靴をきれいにしておかなかったからといって、怒鳴りつけもした。

  また、朝食の席でも、おまえの欠点を見つけた。色々こぼし、テーブルにひじをつきながら、がつがつ食べたことで、おまえを叱った。パンにはバターをぬりすぎたし…。わたしが駅に向かっていた時、おまえは遊びに行くところで、私に向かって「じゃあね、パパ!」と言ったが、私はまゆをしかめて、「背筋をまっすぐ伸ばさないか!」と言った。

  夕方になっても同じことだった。道を歩いてくると、おまえの姿が見えた。おまえは、地面にひざをついてビー玉で遊んでいた。ズボンには穴があいていた。家まで、おまえにお父さんの先を歩かせて、「ズボンは高いんだ。自分のお金で買ってみなさい。そしたらもっと大事にすることだろう!」などとガミガミ言った。友達の前でおまえに恥をかかせてしまったね。考えられるかい。父親からそんなふうに言われるとは!

  後になって、私が書斎で読み物をしていると、おまえは、傷ついた目をして、おどおどしながら入ってきたね? 私が、邪魔が入ったことにいらだちながら、新聞から目をあげると、おまえは扉のところでもじもじしていた。「いったい何なんだ?」と私はきつく言った。

  おまえは何にも言わないまま、突入するような感じで入ってくるなり、私の首に腕を回し、キスをくれた。おまえの小さな腕でぎゅっと抱きしめてきて、それには、神がおまえの心に満たしてくれた愛情がこもっていた。私がいくらおまえを無視しようとしても、おまえの私への愛情は色あせることがなかった。次の瞬間にはもうおまえの姿はなかった。ただ、階段を駆け下りていく足音がしただけだった。

  息子よ、その直後のことだった。新聞が手からパサッと落ち、ひどくいやな恐れが私を襲ったのだった。私は日ごろの癖で、何ということをしていたのだろう? おまえはまだ少年にすぎないのに、お父さんが期待をかけすぎて、おまえのあら捜しををしたり、叱ったりばかりしていた。おまえのことを愛していなかったわけではない。ただ、まだ幼いのにあまりにも多くを期待していたのだ。お父さんと同じ大人に対するのと同じ物差しで、おまえを見ていたんだ。

  おまえの性格には、良い所が沢山ある。おまえの小さな心は、広々とした丘陵地帯を照らす朝の太陽のように大きかった。おまえが自分から衝動的に入ってきて、私におやすみのキスをしてくれたことで、こういうことがわかったんだ。息子よ、今夜は、他のことはどうでもいい。暗い中、私はおまえのベッドのかたわらにきて、ひざまずいている。自分の事を恥じながら!

  これはささやかな償いだ。おまえが起きている時にこういうことを話しても、おまえにはまだ理解できないだろう。だが明日、私は良いお父さんになろうと思う! おまえと一緒に遊び、おまえが大変な目にあっている時には、お父さんも一緒に苦しみ、おまえが笑っている時にはお父さんも笑う。怒りの言葉が出そうになったら、ぐっとこらえよう。「この子はまだ子供にすぎない。まだ小さな子供なんだ」と、いつも自分に言い聞かせるようにする。

  どうやら、お父さんはおまえの事を一人前の人間として頭に描いていていたようだね。だが、今見てるとわかるが、おまえは疲れ、ベッドに寝ていて、まだ赤ん坊のようだ。お母さんの腕に抱かれ、頭をお母さんの肩に休めていたのが、つい昨日のことのようだ。お父さんは期待しすぎていたんだね。

 

 

  334.

あなたの幼い息子のことを、死んだなど

と言ってはいけない

そんな言葉は、あまりにも過酷で絶望的に聞こえる

そうではなく、信じなさい、

その子は、小さなベッドを去り

朝日の輝く丘をのぼり

神の素晴らしき夢の国の

満ちあふれる喜びを受けに行ったのだと。

 

幼い息子のことを死んだなどと言ってはいけない

それは真実ではないのだから

そうではなく、信じなさい、

その子は、あなたもいつか必ず通る道を行ったのだ

そして顔いっぱいに笑みをたたえて待っている

あの真珠の門の所で、優しく待ち伏せている、

あなたが来たら、笑いながらあなたに飛びつこうと。

 

あなたに仕える騎士が死んでしまうことはない

それに、この先立った若い騎士は

主への奉仕で忙しくしている

そうだ、信じなさい、

その子は使節としての任務を果たすべく

先へと急ぎ

あなたの為に最善を尽くしてくれているのだから

天国の法廷にいる、あなたの大使として。

       −−T.A.デイリー

 

 

  336.自分の妻が、結婚して六ヶ月で赤ん坊を産んだのはなぜかと、ある紳士が医者に尋ねた。「心配する事はありませんよ。」と医者は言った。「初めての子供の場合には、こういう事がよくあるんです。でも、二人目からは大丈夫ですから。」

 

  

  337.母親の忍耐は、チューブに入った歯磨きのようだ。完全になくなってしまうことはない。

 

 

  338.流行遅れだから、というだけで何でも拒んでしまうなら、太陽や月、さらには母親の愛まで拒むことになる。

 

  

  340.

日曜学校の先生

その名も覚えていないが素晴らしい説教師だった

有名になることはなかったが

非常に忠実で、非常に熱心だった

私は少年の頃、彼をわずらわせたが

彼は自分の仕事に忠実だった

暑かろうと寒かろうと決して休むことなく

顔を合わせると必ず笑みを返してくれた

言葉だけでなく自らの手本によって教えてくれた

素晴らしい年老いた教師は主を敬っていた、そして

若かった私の人生を導いてくれた

何年もたった今、そのことを思い、

私は真実な者でありたいと願う

彼はもう亡くなり、天国に行ったことだろう

いつか、ありがとうを言える時がきますように

   ウィール・H・ヒュートン

 

 

  343.4歳の娘が、母親にきつく叱られて、えんえん泣きながら、こう言った。「ママが、神様を愛するのと同じくらい、私のことを愛してくれていたらいいのに。ママは、神様に話すときは本当に優しいんだもの」と。これを聞くと、ある偉大なる人物の話が思い出される。彼はこう語った。「今の私があるのも、母に負うところが大きい。母はいつも、祈る通りの生活をしていた。」

 

  344.ソニヤ・E・ハウは、著書「織物の中の風変わりなパターン」の中で、彼女が十代の頃に起こった出来事について述べている。有名なソ連の芸術家が、モザイクを製作していた。小さな大理石の破片を一つ一つ並べながら、美しいデザインをあみ出そうとしていたのだ。ソニヤはその芸術家に近づいて行って、こう尋ねた。「これは、とても退屈で、面白みのない仕事ではありませんか?」

  すると芸術家はこう答えた。「そんなことはないよ。わかるかな、これは永遠のための仕事なのだ。」(1コリント15:58)

 

 

   345.うだるような暑さの日、ある家庭では客に夕食をもてなしていた。全員が席につくと、その家の主人は6歳の息子のほうを向き、祈りを導くようにと求めた。

  しかし息子は、「でもパパ、何て言ったらいいのかわからないよ」と言って祈ろうとしなかった。

  母親が助け船を出して、こう言った。「ママが言っていた通りに言ったらいいわ。」

  そこで息子は、言われた通りにする事にした。頭をたれ、こう言ったのだ。「主よ、こんな暑い日に、何だってこの人達を招待したんでしょう!」

 

  346.イタリアのフィレンツェの彫刻家、アゴスティーノ・アントニオは、大きな大理石の彫刻に熱心に取り組んだものの、どうしてもうまくいかなかった。揚げ句の果てには、「これはどうにもならない」と言ってやめてしまった。他の彫刻家たちもこの大理石に挑戦したが、皆あきらめた。その大理石は捨てられ、40年間もガラクタの山の中に埋もれていた。

  ある日、散歩をしていてその大理石を見つけたミケランジェロは、それに隠された可能性を見いだした。その石は彼のアトリエに運ばれ、彼は制作に取りかかった。そしてとうとう、彼が心に思い描いていた通りのものが実現し、仕事は成功に終わった。何の価値もないように見えた石から、世界の最高傑作「ダビデ」が誕生したのだ!

 

 

  347.いつの時代においても、どの国においても、自分の子供に祈ることを教えた母親は、国に最も貢献している人々である!

 

 

  348.母親とは、自分の人生を赤ん坊で飾る女性のことである。

 

 

  349.少年の非行を減らす一つの方法は、夜、親たちを帰宅させることだ。

 

  

  351.若い世代を非難するのはやめることにしよう。彼らについていけないとしても、少なくとも、後ろから彼らを支えてやることはできる。

 

 

  352. 二人の姉妹が人形遊びをしながら、「イエスの腕の中で安全」と歌っていた。姉が、「どうして安全なの?」と尋ねると、妹は、「両手で、イエス様の手をしっかりと握ってるから」と答えた。「でも、それじゃ安全とは言えないわ」と姉は反論した。「サタンがやってきて、手を切ってしまったらどうするの?」 妹は困った顔をして、人形を落とし、考えた。だが突然、喜びで顔を輝かせながらこう言ったのだ。「ああ忘れてたわ! イエス様が私を抱いててくれるのよ。サタンはイエス様の手を切ることは出来ないわ。だから私は安全なの。」

 

 

  353.ニューヨーク州ロチェスターには、険しい峡谷の間にジェネシー川が流れている。ある時、そこに住む紳士が、旅先から列車でそこの駅にたどり着いた。妻や子供達に会うのを心持ちにし、家族の団らんを思い描きながら、家路を急いだ。ところが、川の堤防の所に差しかかると、大勢の男たちが大声でわめいている。「どうしたんですか?」と聞くと、「男の子がおぼれてるんだ!」という返事が返ってきた。その紳士は、「助けてやったらどうか?」と言った。

  そう言うなり、旅行カバンを投げ捨て、急いでコートを脱ぐと、川に飛び込み、その少年の腕をつかみ、やっとの思いで岸まで連れてきた。そして、その少年の顔をぬぐい、髪の毛を後ろにやると、大声をあげた。「あっ、私の息子じゃないか!」 その人は、よその子のために飛び込み、自分の息子を救ったのだった。

 

  354.ある日曜の朝のこと。父親がくつろいで椅子に座り、新聞を読みながら、息子にこう言った、「マンガを片付けて、日曜学校に行く準備をしなさい。」「パパ、僕と一緒に行ってくれるんじゃないの?」「いや、一緒には行かない。だが、急いで支度をするんだ。」「僕みたいな小さな子供だった時、パパも日曜学校に行ったの?」「もちろんさ。毎週行ったものだ。」すると息子は、部屋を出ながら、悲しそうにこう言った。「僕にとっても、日曜学校なんか、きっと何の役にも立たないよ!」

 

 

  355.子供は人をまねる天才だ! ある幼い少女は、興味津々(しんしん)の様子で、母親のトランプ・パーティーを観察していた。母親のドレスや、トランプの切り方、女性達がカクテルを飲み、次から次へとタバコを吸う様子を見ていたのだ! あくる日、その少女は友達を集めて「パーティーごっこ」をした。母親の服を身につけ、母親の部屋に忍び込むと、タバコのパッケージを取ってきた。友達の所に戻ると、口にタバコをくわえ、マッチをすって、たばこに火をつけようとした。ところが、自分の着いていた大きすぎる服に火がうつってしまったのだ。一瞬の内に、彼女は燃える炎と化した。黒こげとなった彼女は、死に際に、あえぎつつこう言ったそうだ。「ママのまねをしたの。そしたら、私、死んじゃうの!」

  

  360.以前、ジョージア州アトランタの会議に出席した際、ある講演家が、お金の管理というテーマについて話しながら、こんな実話を紹介してくれた。その講演家の属していた教会に通う婦人が、ある土曜の午後、二人の子供を連れて、「ピーターパンのモード・アダムス」を見に行った。チケットは一人あたり2ドル50セントだった。子供達は、母親がハンドバッグから7枚の一ドル札を出して積み重ね、その上に50セントのコインを置いて、窓口の向こうに差し出すのを見ていた。3枚の入場券を受け取ると、母親は子供達を連れて劇場に入り、席についたのだった。翌日、娘を連れて教会に行った。献金箱がまわされると、子供は母親がハンドバッグをあけて25セント硬貨を取り出し、献金箱に入れ、それを隣にまわすのを見た。オルガンが静かに宗教音楽を奏でる中、その幼い娘は母親の顔を見あげながら、まわりの人に聞こえるようなささやき声でこう言ったのだった。「ママ! 教会は、劇場よりもずっと安いわね!」

  

  361.ある若き父親が、通りで乳母車を押していた。中の赤ん坊は大声で泣いていたが、父親は取り乱した様子もなく、穏やかにこう言っていた。「落ち着くんだ、アルバート! 抑えて、抑えて! 静かにしていなさい!」 赤ちゃんはますます大声をあげた。「ほら、ほら、アルバート、怒ったりしてはだめだよ!」と、父親は話し続けた。そこを通りかかったある母親が言った。「赤ちゃんがそんなに泣いていても、取り乱さずにいるのは、見上げたものですわ。赤ちゃんに、どうやって穏やかに優しく話しかけたらいいかをご存じなのね!」 それから、泣いている赤ん坊の頭をなでながら、なだめるようにこう言った。「アルバート君、どうしたの?」 すると父親はこう言ったのだ。「違うんです! 赤ん坊の名前はジョニーです。アルバートは僕のほうです!」

 

 

  362.何年も前の冬のこと、ある田舎で、十代の女の子が、はしかにかかっていた。彼女はベッドで寝ていたものの、気分は悪くなかった。両親は仕事で町に出かけなければならなかった。娘に、ベッドにいて暖かくしているようにと厳しく言いつけておいたものの、少し心配だった。彼女はわがままで、全く言いつけを守らないからだ。両親がいなくなるとすぐに、彼女は暖房のない2階にあるものがほしくなった。そこで、両親の言いつけにもかかわらず、ベッドから出て、パジャマだけで2階に上がって行ったのだった。数日後に、私達は彼女の葬式をとり行なった。肺炎にかかって死んでしまったのだ。私達は、ある有名な児童専門家の言葉を思い出した。「重い病気にかかると、言いつけを守るよう教えられた子供のほうが、甘やかされ、しつけられていない子供よりも、回復の可能性が4倍高いのです。」

 

  

  364.小さな子供がクッキーの缶から勝手にクッキーを出さないようにする秘訣。それは、缶に鍵をかけて、鍵を石鹸の下に隠しておくこと。

  366.若い世代の直面する最悪の危険は、年上の世代が示す手本である。

  367.昔、スコットランドの、ある工場ばかりの町で、若い女性が日曜学校の校長に、クラスを受け持たせてほしいと申し出た。校長の提案で、彼女は貧しい少年を集めてクラスを始めた。子供達の身なりはみすぼらしかったので、校長が、日曜日の前に自分の家に来るなら、一人一人に新しい服をあげると言うと、子供達はやってきて、みんなぴったりの良い服をもらった。

  クラスでも一番ワルで、見込みのなさそうな少年はボブという名前で、二、三週間たつと、姿を見せなくなった。先生が探しに行くと、彼の新しい服は裂け、汚れていた。しかし日曜学校に戻ってくるよう誘うと、戻ってきた。校長は彼に、二着目の新しい服を与えた。だが、一度か二度出席すると、ボブはまた来なくなった。もう一度先生が彼を見つけると、二着目も同じだった。

  そのことを校長に報告した彼女は、こう言った。「私はボブにがっかりしました。もうさじを投げるしかありません。」

  だが校長の返事はこうだった。「そんなことをしてはいけない。ボブにも、どこか良いところがあると願わずにいられない。もう一度やってみなさい。私は、彼がきちんと出席すると約束するなら、三着目の服をあげるとしよう。」

  ボブは約束し、また新しい服を受け取った。その後、きちんと出席するようになり、そこで教わることに興味を持つようになった。そして、熱心に忍耐強くイエスを求める者となり、イエスを見いだしたのであった。彼は教会の一員となった。そして教師となり、牧師となるべく勉強した。この、人をがっかりさせていた少年、見捨てられ、貧しく、学校をさぼっていたボブの話の結末はこうである。彼、ロバート(ボブ)・モリソンは、中国の偉大なる宣教師となり、聖書を中国語に訳し、そうすることによって、その広大な国の何億という人々のために、天国の扉を開いたのであった。

 

 

  368.戦争を布告するのは年がいった人々だが、実際に戦わなければならないのは若者である。

 

 

  369.若さの利点は、常識をわきまえてえないために、誰もが不可能だと思うことでもやってのけることだ。

 

  271.この若い世代は一体どうなるのだろうと案じている人々は、この世代が誰の所産であるかを考えてみるといい。

 

 

  372.ある父親が、別の父親の前で、息子のための出費が多くて困るとこぼしていた。服代に本代、交通費、食事代など、金がかかって大変だと。

  するともう一人の父親はこう言った。「うちの息子には全然お金がかかりません。何かしてやれたらいいとは思うのですが…」

  「どうしてお金がかからないのですか?」と聞かれて、その父親はこう答えた。「数ヶ月前に死んだのです。」

 

  373.牧師が通りを歩いていると、数人の少年が犬を取り囲んでいた。

  「何をしているのかかね?」と牧師は優しく尋ねた。  

  「一番大ぼらを吹いた者が、その犬をもらえるんだ。」

  「やれやれ」牧師はあきれて言った。「私が君たちぐらいの年だった時には、嘘などつかなかったものだ。」

  一瞬の沈黙の後、一人の少年が言った。「牧師さん、犬は牧師さんのものだよ。」

 

 

  374.ある少年が、朝の礼拝で、母親が献金箱に1ドル入れるのを見た。教会からの帰り道、母親が、牧師の説教が下手だったと、いつまでもぶつぶつ言っているのを聞いて、その少年はこう言った。「ママ、1ドルじゃ、たいしたものは期待できないよ。」

 

 

  375.ある少年が、川で泳いでいておぼれそうになった。誰かが堤防を歩いているのを見て、少年は大声で助けを求めた。だがその人は、少年が軽率だったからだと言って説教を始めた。そこで少年は叫んだ。「今助けてほしいんだ。説教は、僕が助かってからでいいから。」

 

 

  376.シェークスピアが現代の世界に戻ってきたら、日常会話の言葉九つにつき、五つしか理解できないだろうと、ある辞書編集者は言う。現代の親でも、それだけ理解できる人は少ない。

 

  377.暗い嵐の夜。街で迷子になった子供が激しく泣いていた。子供の話から、何とか家の場所をつきとめた警官は、家への帰り道をこんなふうに説明した。「この通りをずっと8百メーターぐらい行って曲がり、大きな鉄橋を渡り、右に曲がって、川沿いに少し行けばいいんだよ。」 かわいそうに、その子供は、半分ぐらいしか理解できず、寒さに震え、嵐におびえながら、おぼつかぬ足取りで歩き出した。そこに、別の人が優しい口調でこう話しかけてきたのだった。「私についておいで。」 男の子がその力強い手につかまると、暖かなコートがその震える子供の肩にかけられた。そうやって簡単に家に戻ることができたのだった。最初の人は道を教えてくれたが、二人目の人は、自ら道案内となってくれたのだった。

 

  

  379.どんな若者でも、人生のある時期には、あんな鈍い両親からどうしてこんな頭の良い子供が生まれたのだろうかと思うものだ。

 

  

  381.息子のことを心配し始めるべき時というのは、その子が家を出る時に、バタンとすごい音を立てたりせず、そっとドアを閉めるようになった時だ。

 

 

  382.不満を抱いた学校教師は、次のような辞表を提出した。「現在の公立学校では、教師は校長を恐れ、校長は教育委員会を恐れ、教育委員会は両親を恐れ、両親は子供を恐れており、子供のことは誰も恐れていないのです。」

  (エペソ6:1-4、コロサイ3:20)

 

 

  383.小さな子供が母親に連れられて大聖堂に行った。ステンドグラスを通して太陽の光が差し込むのを見ていたその子は、母親に聞いた。「窓に描いてある人達はだあれ?」「聖徒たちよ」 するとその子はこう言ったのだった。「聖徒がどんな人たちかわかったわ。自分を通して光が輝くようにする人たちのことね。」

 

 

  384.子供部屋で子供達がうるさくしていたので、母親が入って行き、何のことで喧嘩しているのかと尋ねると、こんな返事が返ってきた。「喧嘩しているんじゃないわ。パパとママごっこをしているのよ。」

 

 

  385.

ある母親が暖炉の前に座り

満足げに読書をしていた。そこへ、

子供が子供っぽいしかめっつらをしてやってきた

そして本を押して、「これどけて」と言った。

母親はその子のくせっ毛の頭をたたき

こう言った、「やな子だねえ。ベッドに行きなさい。

おまえを行くべき道に従って教えるためには

聖書を沢山読まなければならないっていうのに」

子供はふとんにもぐって泣きじゃくり

だんだん、宗教を否定するようになった

 

さて別の婦人も本を読んでいた

熱心に読むその顔には喜びが満ちていた

そこへ、子供がやってきてひざをゆすった。

そして本を見て、

「それを置いて、だっこして」と言った

母親はその子の頭をなでながら、

ため息をつきつつも優しくこう言った、

「これを読み終えるのは無理ね。でも、

主の御心にならって、子供を愛することにしましょう

そうすれば子供にも愛が植え付けられるでしょう。」

子供は、ベッドに入っても、

ため息をついたりはしなかった

その子はやがてイエスを愛するようになるだろう。

                   −−アキラ・ウェブ

 

 

  386.若い世代が、自分たちが何を目指しているのかわからないとしたら、それは、父親の足跡をたどっているからに違いない。

 

  387.今日の若者は、恵まれすぎているというハンディーを負っている。

 

 

  388.良い教材を持っているだけで優れた教師になることはできないが、優れた教師は、教材をうまく利用する。