グッド・ソーツ

 子供と両親 第一部

 

  1.輝く星に自分の名前を刻みたいだろうか

それなら子供たちの心に記しなさい

子供たちはそれを忘れはしない!

あなたは、より良い世界 より幸せな世界を

願っているだろうか?

子供たちに話しなさい!

子供たちはあなたのためにそういう世界を築いてくれることだろう。

 

 

  2.きのうの夜、幼い息子が打ち明けてくれた

子供のよくするあやまちを。

そして私のかたわらにひざまずいて

涙を浮かべながら祈った−−

「神様、僕をお父さんのような人にして下さい。

強くて賢い人にして下さい。

あなたにはできます。」

 

息子が眠っているときに

私はそのベッドのかたわらにひざまずいた。

自分の罪を告白し、

頭をたれてこう祈った。

「神よ、私を、

この息子のような者にして下さい。

誠実な信仰をもってあなたに信頼する

純粋で、無垢な、この子供のような者に。」

        --アンドリュー・ギリーズ

 

 

  3.ある日、6歳の男の子が担任の教師からの手紙を持って帰ってきた。手紙には、その子を学校に行かせるのはやめてはどうかと書いてあった。「とても頭が悪くて何も学んでいないから」というわけだ。その子の名は、トーマス・エジソンであった。

 

  4.あなたのクラスに、いくら教えても何も頭に入らない子がいても、望みを失ってはいけない。その子は大器晩成型なのかもしれない。ミサイルや人工衛星の権威であったワーナー・フォンブラウン博士は、中学生の時、数学と物理で落第したという。

 

  5.今日、子供に投資したものは、明日の配当となって返ってくる。

 

  6.子供は自然と人のまねをするものだ。子供に良いマナーを教えようとどれだけ頑張っても、親のする通りのことをする。

 

  7.小さな女の子ほど素晴しい存在はない。女の子は、天使のような輝きを持って生まれてくる。もちろん、その輝きが鈍くなることも時にはあるが、たとえ、水たまりに座り込んで泥まみれになっていても、泣きわめいていても、母親の一番大切な服を着て外を歩いていても、やっぱりあなたの心を捕らえて放さない。

 

  8.ソクラテスは語った。「アテネで一番高い場所にのぼることができたら、私は声を大にしてこう言おう。市民の皆さん、あなたがたは、富を築こうとあくせくするばかりで、なぜ、子供の世話をおろそかにするのですか。いつか、あなたがたはその富をすべて子供たちに譲り渡さなければならないというのに。」

 

  9.子供の成長と発達に関する専門家であるジェームス・ドブソン博士の語るところでは、子供は、自分の容姿に対する人々の態度によって、一生、精神的な傷を負うことがあるという。3歳あるいは4歳の子供でも、自分がかわいいか醜いかを知っている。博士の患者の一人で、36歳になる男性はこう語ったそうだ。「5歳の時に、私は自分が醜いと知りました。それ以来、私は変わってしまったんです。」

  悲しいことに、子供たちを、美人コンテストの出場者でもあるかのように扱う人々が少なくない。つまり、見かけの良い子供には優しくし、さかんにほめるが、太った子や、やせている子など、見かけの良くない子供のことは、あざけり、無視するのである。後者の扱いを受けた子供は、その結果、自己不信に陥り、自分は役立たずだと感じながら一生を過ごす。「出っ歯」とか「チビ」とか「電信柱」とかいったニックネームは、子供に一生消えることのない傷を与えかねない。ドブソン博士は両親にこう訴えている。美しさや、頭の良さや、何かを達成したことを高く評価するよりも、勤勉さや忍耐強さや正直さといった資質を強調するようにと。

  「現代社会の価値観に対抗するのは生やさしいことではありません。しかし、少なくともまずスタートとして、子供に精神的な価値観を教えることはできます。」

 

  10.新聞のコラムニストであるアビゲイル・ヴァンビューレンは、「両親の祈り」をつづった。その中で彼女は、子育ての実際的な側面に重点を置いている。親愛なるアビゲイルはこう言っている。

  「天におられる父よ、私をより良い親として下さい。子供を理解し、子供の言うことに忍耐強く耳を傾け、子供たちの質問に優しく答えられるようにして下さい。子供の話をさえぎったり、頭ごなしに言い返さないよう助けて下さい。私が、子供に礼儀を求めるのと同じぐらい、子供に対しても礼儀を忘れないように助けて下さい。子供の間違いを笑ったり、子供が自分の気にいらないことをしたからといって、子供に恥をかかせたり、あざ笑ったりすることが絶対にないように助けて下さい。自分の一人よがりの満足感のためや、自分の権威を誇示するために子供を懲らしめることがありませんように。

  嘘をつきたいとか、盗みたいなどといった気持ちを子供に起こさせることがないように助けて下さい。いつもいつも私を導いて下さい。そして、子供に、正直でいたほうが幸せになれるということを私自身の言動によって示すことができますように。

  私の内にある意地悪な気持ちを取り除いて下さい。私の機嫌が悪い時には助けて下さい。主よ、私の口を閉じておいて下さい。

  子供はやはりまだ子供なのだから、大人のような判断力は期待できないということを、決して忘れないようにして下さい。

  子供たちが自分のことを自分でし、自分で決断を下す機会を奪ってしまうことがないように助けて下さい。

  そしてどうか、子供たちの納得のゆく要求には応えてあげるだけの寛大さと、子供たちのためにならないとわかるような特権は決して与えないだけの勇気とを与えて下さい。

  公平で、正しく、親切な者として下さい。そして主よ、子供たちから愛され、尊敬され、まねされるにふさわしい者として下さい。アァメン。」

 

  11.小さな女の子は最高に優しくなったと思うと、最高に悪くなり、実にめまぐるしく変わる。そわそわと落ち着かず、ドンドン足を踏みならし、騒々しい音を立てては、大人の神経を逆なでする。ところが、いざ叱ろうとすると、純粋無垢な目をして、とりすました振る舞いをするのだ。

 

  15.少数派が人を動かしているという例としてぴったりなのは、家庭の赤ん坊である。

 

  16.

子供は批判を耳にしながら育つと

  人を非難するようになる

 

子供は憎しみの中で育つと

  人と争うことを覚える

 

子供はいつもあざけられながら育つと

  おどおどした小心者になる

 

子供は怒られてばかりいると

  罪悪感を抱くようになる

 

子供はまわりの人がいつもおおらかでいると

  忍耐強くなる

 

子供はいつも励まされていると

  自信を持つようになる

 

子供はほめられながら育つと

  人に感謝するようになる

 

子供は公平な扱いを受けていると

  正義を学ぶ

 

子供はまわりから良く思われていると

  自己嫌悪に陥ることはない

 

子供はいつも暖かく受け入れられていると

  この世界に愛を見いだすようになる

 

      −−ドロシー・ロー・ノルト

 

  17.

幼いから罪を犯さないとか

幼いから死なない、ということはない。

また、幼いから

信仰と喜びに満ちた人生を送れない、

ということもない。

  

救い主の自分への愛

地上に降りてきて

十字架で死なれた方の愛

その愛は

どんなに幼くても知ることができる。

 

幼いから愛せないとか、

幼いから祈れない、ということはない。

天におられるイエスに頼って

その言葉にすべて従うことは

幼くてもできる。

 

イエス様、私はあなたのお名前を愛します。

私から悪を遠ざけて下さい。

そして、あなたに信頼している

あなたの小羊をいつも抱きしめていて下さい。

 

  18.幼い女の子を作るのに、神は色々な生き物からあれこれ借りられる。小鳥の歌、豚の金切り声、ラバの頑固さ、猿の曲芸、バッタの元気よさ、猫の好奇心、キツネのずるがしこさ、子猫の柔らかさ…そして神は、女性の謎に満ちた心を加えられる。

 

  20.「赤ん坊みたいによく寝た」というのは、赤ん坊を持っていない人の言葉。

 

  21.ある金持ちが死んだものの、後継ぎがいなかった。そこで遺された財産がオークション(競売)に出された。その金持ちの息子の肖像画に値をつけたのは、みすぼらしい服を着た老婦人だけだった。幼くして死んだ息子の肖像画は、その金持ちがとても大切にしていたものだったが、オークションに集まった人々は、その絵には何の関心も示さなかった。その肖像画を買った婦人は、理由を聞かれてこう答えた。自分は昔、その男の子の乳母で、その子をとても愛していたからだと。

  後になって、彼女がその絵をよく見てみると、後ろの台紙のところにふくらみがあるのに気づいた。そこで切り込みを入れてみると、中から封筒が出てきた。それは亡くなった金持ちの遺書だった。そこには、彼は、愛する息子のことを今なお心に覚え、なつかしむ者に自分の財産を譲りたいということがはっきりと書かれていたのである。

 

  26.

子供たちが床で遊んでいたのが

  つい昨日のことのように思える

窓ガラスやドアについた子供の指の跡を

  拭き取るのに忙しくしていたものだ

 

キスでもって子供の涙を拭い

  幾つも靴下を繕ったものだ

そしてふうふう言いながら

  毎日、何とか過ごしていた

 

一日が終わっても、疲れ過ぎていて眠れず

  よくベッドに横になって考え事をしたものだ

この子達が皆大きくなったらどんなにいいだろう

  また自分の時間が持てるようになる、と

 

今、私は揺り椅子に座る

  仕事は終わり、手を休める

床で遊ぶ子供もおらず

  ドアに指の跡もない

 

靴下を繕うこともなければ、

  傷にキスをしてあげることもない

ああ神様、前にいやいやながらしていた事を

  懐かしく思う時が来るとは思ってもいなかった!

また私を必要としてくれる子供がいてくれたなら!

 

  27.子供について、教師から母親に。

「お子さんが私についてお母さんに話すことを、全部うのみにはしないで下さい。私も、お子さんがお母さんについて私に話すことを全部うのみにはしませんから。」

 

  28.南アメリカのアンデス山脈に住む5歳の女の子は、赤ん坊の弟をおぶっていた。「重いでしょう?」と旅行者が聞くと、彼女はこう答えたのだった。「いいえ、弟だから。」

 

  29.自分が罪を犯したとわかるほどの年になったら、子供は、救われる必要があるとわかるだけの年令に達したのである。

 

  30.

ある日粘土を手に取り

何気なく形作ってみた

指で粘土を押すと

自由自在に形を変えることができた

 

何日かたって、

その粘土は作った時のままだった

しかし、どんなに指で押しても

もう形は変わらなかった。

 

私は生きた粘土を手に取ると

毎日優しく形作っていった

力をこめ、わざをもって固めていったのは

幼いこどもの柔らかく素直な心

 

いつの間にか歳月が流れ

その子は立派な大人になっていた。

幼い頃の面影が残っていたが

私にはもう彼を変えることはできなかった。

 

  31.ワシントンは10人兄弟の一人で、ジョン・ウェスレーは21人兄弟の一人、シェークスピアは8人兄弟の一人で、ウォルター・スコット卿は11人兄弟の一人で、ベンジャミン・フランクリンは10人兄弟の末っ子で、「アンクル・トムの小屋」を書いたハリエット・ビーチャー・ストウの父親であるライマン・ビーチャーは13人兄弟の一人で、しかも、一番小さな赤ん坊だったということを覚えておくと良い。テニソンは12人兄弟の一人で、シエナの修道女カタリナは22人兄弟の一人だった。

 

  32.

息子について話しましょう

 息子はかなり騒々しい子で

今日も、お仕置きされて学校に出かけた

 悪いことをしていたから

 

息子がどうしてああいう振る舞いをするのか

 そのわけを教えて下さいと

私は主に尋ねた

 −−本当に努力したいから!

 

息子は心この世界にあらずといったふうで

 地に足がついた生活をさせようとしても

そのチャンスもない

 −−彼はいつも夢ごこち!

 

でもあれぐらいの年になったら

 髪の毛ぐらいとくべきだと思いませんか

それに顔を洗い、歯を磨くぐらいすべきだとは?

 私がついてなくても!?

 

でも主よ、息子は本当に

 学びたがっているんです

彼は毎日興奮しています

 −−人生が彼を待っているんです

 

息子は謎を一つ一つ探り

 その一つ一つが彼を楽しませる

パンドラの箱の鍵をあけたのか

 それとも天国の宝をあけたのだろうか?

 

神の御言葉に信頼するには真の信仰を要するけれど

 私達が彼の心を鍛練し

その行くべき道に従って教えるなら

 息子はその道を離れることがない、

その約束が果たされることを私達は要求します!

 

息子が日々の旅を続けるにつれ

 彼は試練を通る

私達は先を行って、道をならし

 神の御言葉の道しるべをつける

 

5時だ、息子の声がする

 そのあいさつに私は唖然としてしまった!

「ママ、聞いて! クラスの友達が救われたんだ!

 僕が主に導いたんだよ!」

           −−シーク

 

  33.あなたが子供の頭をしっかりと真実によってプログラムしないなら、誰か別の人が真実と嘘の入り混じったものや、不真実や重要ではない真実によって、子供の頭をプログラムしてしまう事だろう。

 

  34.長年に渡って家庭裁判所の判事を務めてきた人がこう語っている。「私達大人は、若者のために道を作る事に時間をかけ過ぎて、その道のために若者を準備することを全くなおざりにしている。」

 

  35.4歳にして子供はあらゆる質問を知っており、14歳にしてすべての答えを知っている。

 

  36.幼稚園の先生に頼まれて、そのクラスの評価をしに出かけた。私がそこにいた50分間、その先生は子供たちを静かにさせて一方的に教えようとするだけだった。ついにベルがなると、彼女は暗記の節を暗唱させた。後になって彼女はほっとため息をつきながら、「ああ、やっと授業が終わったわ。」と言った。

  彼女が私のところにくると、私は言った。「自分が聖霊に逆らっているのではないかと考えたことはありませんか?」

  「えっ、そんなつもりは全くありませんけど。」

  「しかしですね、神はこの子達の集中力が4分か5分しか続かないようにされたということを考えたことはありませんか?あなたは子供にしょっちゅう、『静かにしなさい』とか『じっと座ってらっしゃい』と言っていましたが、神は、『体を動かしなさい』と言っておられるのです。そして子供はいつも神の言うことを聞いているわけです。

  学校や教会や家庭におけるしつけの問題の85%は、私達が、一緒にいる子供のことを理解していないことが原因である。

 

  37.何年か前、ニューヨーク州に、マグという名前の哀れな捨て子がいた。彼女と同じ境遇の子供は、まわりに無数にいた。彼女を救うのはそんなに大変なことだったろうか? 沢山のお金と多くの奉仕を要しただろうか? だが、何もなされなかった。そして彼女は悪に落ちていった。

  マグの死後、70年が過ぎた。マグのことを知っていたある人が、彼女の悪がどんな結果をもたらしたか探ってみようとした。すると、1200人の子孫ができていたことがわかった。その内の280人は貧困にあえぎ、148人は犯罪人であった。彼女の子孫は、その悪徳のゆえに、国家に103万8千ドルの損害をもたらしたという確かな証拠まであった。

  10、20、50、あるいは100ドルと出費して、彼女を救っていたなら、経済的にも節約になったとは思わないだろうか? マグが堕落するままにしておくことほど愚かな経済的観念があるだろうか?

 

  39.親は、子供たちといるのをもっと楽しむことができるだろう。幼年期という映画が再上映されることはないと悟るならば。

 

  40.フランス革命の初期、12歳から17歳の男子生徒は、希望隊を結成した。制服を身につけ、演習をした。休みの日にも、彼らの旗はひるがえり、そこには輝く文字で「Tremblez, Tyrans, Nous Grandirons!」(暴君よ、震えあがるがいい、今に僕たちは大人になる!)と書かれていた。

  今日の年若きクリスチャン達が「敵よ、震えあがるがいい、私達は神のために成長している!」と、自信と勇気をもって叫ぶ声が聞かれますように。

 

  42.父馬と母馬が速足でかけるなら、子馬がノロノロとぶらつくことはない。

 

  43.私達が植物に、子供に寄せるほどの関心しか与えないなら、私達は今頃、雑草に埋もれて生活していることだろう。

 

  44.子供は、あなたの二度目のチャンスだ。

 

  45.偉大なる思想や信条も、ただ優れているとか、法で定められているからというだけの理由で、世代を越えて継承されていくことはない。子供が成長していく過程において子供の心に植え付けられないなら、思想や信条が世代を越えて受け継がれていくことはないのだ。(ジョージ・S・ベンソン博士)

 

  47.親から子供への最高の贈り物は、毎日幾らかの時間を子供と一緒に過ごしてあげることである。

 

  48.人が若者に期待するのは、大人のように振る舞い、かつ子供扱いされることで満足することである。

 

  49.他の人のお金を扱う人は、1円1円についてどうなったか説明するよう求められている。子供たちはそれ以上に貴重ではないだろうか?

 

  51.子供を一人一人育てることによって、私達は国家を築いているのである。

 

  52.非行少年少女がいるのは、リモコンで子供を育てようとする親が大勢いるからだ。

 

  53.テレビはどれも教育テレビである。問題は、何を教えているかだ。

 

  54.子供は、将来なるであろう種類の人物に、すでになりつつある。

 

  56.モハメッド・アリは、コネチカット州ニューイングトンの小児病院を毎週金曜日に訪問していたが、その時にこう言ったことがある。「どうして子供が好きかと言うと、子供は天国からやってきたからだ。子供たちの内に神を見ることができる。それは、子供はまだ、悪にそまる機会を持ったことがないからだ。この世に生まれ出た時に泣くのはそのためだ。」簡潔ながら、うまく要点をついている。

 

  57.有名な伝道師、キャンベル・モーガンはこう語っている。「まだ8歳だった時に、私は、自分の前にきちんと並んだ人形と妹を相手に説教をしていた。その内容は、母親から初めて聞いた聖書物語であった。」

 

  58.子供時代とは鏡のようなもの。鏡の中の姿が、後の人生に映し出される。

 

  59.良すぎて子供にはあげられないものなどない。

 

  60.子供は貧乏人の宝

 

  61.3歳になるまでに、子供の人格の半分以上が形成されるということを、すべての親は悟るべきである。

 

  62.子供を作った者よりも、子供をしっかり教育する者のほうが尊ばれるべきである。前者は子供に生命を与えるだけだが、後者は人生の生き方を教えるのだから。

 

  63.子供は一人一人、神の御心にそってこの世に新しく生まれてくるのであって、輝くばかりの新鮮な可能性を秘めている。

 

  64.男の子というものは大体、その母親が、「こういう子とは遊んではいけませんよ」というタイプの子供である。

 

  65.まだ小さいから教えても無駄だなどと考えてはいけない。

幼い心は、まるで磁石のように、

真実に引き付けられ、それに触れる。

 

  68.お金で家を建てることはできるが、家庭を築くには愛が必要。

 

  70.子供には愛が必要。特に愛を示されるにふさわしくない時に。

 

  71.幸せな家庭では、前もって天国が味わえる。

 

  72.子供には、親からのプレゼントよりも、親が一緒にいてあげることのほうが大切。

 

  73.子供がキリストを知らずに育つままにしているのは、読み書きができないままにしているよりもはるかに親としての義務を怠っていることになる。

 

  74.最初に教え、導き、励ましてやることもせずに、ただ子供に自分で決断を下させるのは、断じて、クリスチャンの義務ではない。

 

  75.神を信じる親は、子供に向かって、「何でもやりたいようにすべきだ」と言うような残酷なことはしない。

 

  76.日曜学校に行った4歳のスーザンは、献金するはずだったお金を持って帰ってきた。

  「どうしてそのお金を献金しなかったの?」と母親は尋ねた。

  「私達がイエス様を愛しているなら、イエス様は私達の心の中に入ってきて、そこに住んで下さるって、先生が言ったの。でもママは、口の中にお金を入れちゃいけないって言ったでしょ。だから、どうしたらいいかわからなかったの。私の心の中にいらっしゃるイエス様にお金をあげるには、お金を飲み込まなくちゃでしょう。」

 

  77.今子供たちを幸せにしてあげるなら、20年先、子供たちはその思い出によって幸福感を味わうことだろう。

 

  81.ロサンゼルスに住むハワード・マックスウエル氏には4歳になる娘メリンダがいた。彼女は「ダビデとゴリアテ」の話がひどく気に入り、毎晩毎晩、父親に読んでとせがんだ。そこで、マックスウエル氏は、それをテープに吹き込み、一人満足していた。メリンダがまたその話をしてとせがむと、ただテープをかけたのだった。二晩ぐらいはそれでうまくいった。ところが、メリンダはまたその物語の本を父親の元に持ってきたので、「テープ・レコーダーの使い方は知ってるだろう。」と父親は言った。

  するとメリンダはこう答えたのだった。「知ってるけど、ひざの上に座れないんだもん。」

 

  82.彼はまだ7歳。

次のものからなっている:

  うるさい音、エネルギー、創造力、好奇心、

  空腹感。

彼が、「そこの通りに住んでいるかわいい坊や」であり、「隣の悪ガキ」であり、「私の息子」である。

  人によって呼び方が違うのだ。

彼に食べ物を与え、服を着せ、健康で幸せに保ち、トラブルに陥らないようにしてあげる必要がある。

 そして‥‥

彼は、明日そのものでもある。

彼こそ、私達がそのために働いている将来

  なのだ。

世界で最も大切な世代の一人。

私達の世代は、彼らを愛し、勝ち取らなけ

  ればならない。

彼の世代が、それが甲斐があったかどうか

  を決める。

彼は、歴史上最も重要な人物の一人。

 だから‥‥

彼の人生に影響を及ぼす人は誰でも、

  とても重要な人。

 

  84.ディナーのテーブルを囲んで、さかんに会話を交わしていた大人達とその日の客は、4歳のドロシーのことなどすっかり忘れていた。自然と、ドロシーは一人取り残されていたのだ。しばらくしてドロシーはためらいがちに母親の袖を引っ張り、こう言った。「あたしのこと覚えてる?」

 

  86.

世慣れて

世俗的な知恵にたけていた私は

神を探したものの 見つけられなかった。

でもある日

私は赤ちゃんの瞳に神を見つけた。

     メアリー・アフトン・タッカー

 

  87.アアロン・バーが不品行な男性だという評判をもらっていたのは、一つには、虚栄心に満ちた女性たちのせいだった。彼は決して、子供の父親になることを拒まなかった。

  彼の死ぬ二、三カ月前に、「自分がその子供の父親ではないとわかっていたのに、なぜ、この女性が君に子供の責任をなすりつけるままにしていたんだい?」と、ある友人が尋ねた。

  彼の答えはこうだった。「女性が私をその子供の父親だと言ってくれるのは光栄なことだ。私は、そのような好意を受けたらいつでも、親切に応えるようでありたいと願っている。」

 

  88.

私に、道を示してくれる子供を下さい

あなたへと続く、

私の知らない素晴らしい道を示してくれる子供を

祈ることを教えてくれる、小さな子供を下さい。

あなたの御顔を見る、輝く目をもった子供を下さい。

 

私が求める冠はただ一つだけ

それは、幼い子供を教えること

自分が、賢人や大物や偉人の仲間入りをすることを

望みはしません−−

私が望むのはただ、子供と私と手をつないで

門をくぐることだけです。

                        −−C.A.フィールズ

   89.

人生の道を歩みながら

  お金をためる人もいれば

バラの花を摘みつつ

  世間のゴタゴタから逃れ 

一息つく人もいる。

  でも私は子供を集める

罪というとげの間から

  私の探すのは 金色の巻き毛や

ソバカスいっぱいで 

  何本か歯の抜けている笑顔

いくらお金があっても

  あの永遠の国に入ることはできない

バラを摘んでも

  すぐに枯れてしまう

でも 笑顔の子供たちは

  人生の夕暮れが訪れて

天国への扉が広く開いた時に

  私と一緒に連れて行くことができる!

 

  90.

建築者は神殿を築いた

優雅さと技巧をもって念入りに仕上げた

柱、丸天井、アーチ

すべて、建築者の思いのままに作られた

人はその美しさを見て語った

「これが朽ちることはあるまい

ああ、建築者よ、素晴らしい腕ではないか!

あなたの名声は永遠に渡ってこだまする事だろう」

 

教師が神殿を築いた

愛に満ち、心をこめて

一つ一つのアーチを忍耐をもって計画し

祈りをこめて一つ一つ石を積み重ねた

その果てしない努力を賞賛する者はいなかった

その素晴らしい計画を知る者もいなかった

教師の築いた神殿とは

人の目には見えないものだったのだ

 

建築者の神殿は今はもうない

ちりとなって消え去ったのだ

堂々たる柱も地に倒れ

さびつくままになっている

けれども、教師の築いた神殿は

年月が流れても朽ちることはない

その美しい目に見えない神殿とは

子供の不朽の魂なのだから

 

  91.一人一人の新生児の内にある疑問符と、約束と、計り知れない可能性は、私達の内にある神に似た所を思い起こさせてくれる。理性と、理解力と、ビジョンにおいて神に似ているのだ。それは、ゆりかごの上に虹のようにかかっている。そのかよわい肉体には魔法と神秘とがある。その小さな頭には天才の頭脳がある。赤ん坊は成長し、学ぶことができる。その顔には、この上ない美しさがある。雪のような潔白さをもって眠り、権威をもって怒る。その小さな花のような握りこぶしは、大きくなってすきを握り、船を動かし、病人をいやし、大勢の人々に影響を与え、さらには、幸せな新世界を指さすことだろう。

 

  92.

彼は私の息子ではない

だが彼の手を握ると 彼の直面している問題が

手にとるようにわかる

そして 人生という長い道程における彼のゴールを

かいま見ることができる。

すると 喜びがこみあげてくる−−

彼は私の息子なんだ。

 

彼は私の息子ではない。彼には父親がない。

彼は孤独な少年だ。

ずっと戦い続けていかなければならない。

だから 彼が私を信頼して

私の手を握ってくると

私はその少年を助けることに喜びを覚える。

私はその少年を 息子と呼ぶ。

 

  93.

幼き日々はまたたく間に過ぎ去る

  子供たちはみるみる変わっていく

知らない内に型にはまっていき

  柔軟性のある時期は過去のものとなる

 

だから、幼い内に彼らの人生を形作りなさい

  だからこれは私達の祈りであり、

          目標である

私達の出会う子供一人一人に

  主の名が刻まれていること

  −−マーサ・スネル・ニコルソン

 

  94.良いマナーで物事をするには時間がかかるものだ。子供を賢く扱うのに時間がかかるのと同じである。

 

  96.子育てというのは、1日24時間の大仕事だ! 母親であるには、サムソンの力と、ソロモンの知恵と、ヨブの忍耐と、ダニエルの洞察力と、ダビデの管理能力、またダビデの闘志も要する。それに、信仰の父であり、忠実な者の父であるアブラハムの信仰も。そして何よりも、神の愛を要する!                            

−−デービッド・ブラント・バーグ

 

  100.あなたは、幼い時から聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって、救いに至る知恵をあなたに与えうる書物であることを知っている。         第二テモテ3:15

 

  101.私達は善を行うことにうみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。  ガラテヤ6:9

 

  102.子供を怒らせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。 エペソ6:4

 

  103.私達にまだ子供が一人しかいなかった時に、9人の子供を持つ女性に会った。私達は一人世話するだけでも全部の時間を取られてしまうのに、どうやって9人も世話できるのかと驚いたのだが、その女性は簡単にこう答えたのだった。「一人で全部の時間が取られてしまうとしても、9人いたって、それ以上の時間を取られることはありませんから!」自分では、もうこれ以上できないと思うかもしれないが、神の助けによってそれができるのだ!

   −−デービッド・ブラント・バーグ

 

  104.ドイツのハンブルグの街では、さくらんぼが熟する頃になると、素晴らしい光景が見られる。毎年、熟したさくらんぼのなっている桜の枝を手に、通りを行進する子供たちの喜びに満ちた姿が見られるのだ。このパレードは、5百年以上前の勝利を記念して行われている。その勝利は、ハンブルグの子供たちによって収められたのである。

  事の次第はこうだ。5百年前、強力な敵軍がハンブルグに向かっていることがわかった。知らせを持ってきたスパイによれば、近づいてきている敵軍のほうが圧倒的に優勢で、ハンブルグにはそれに対抗できるだけの数の男がいないので、とても勝ち目がないということだった。「敵は刻々と近づいています。すぐにここに到着することでしょう!」とメッセンジャーは大声をあげた。恐ろしい大虐殺は避けられないかに思えた。

  ところが、市のお偉方の一人がある事を思いついた。「子供たちに助けを求めようじゃないか」と提案したのだった。ほかの者達は、「そんなことをして何になる?」と文句をつけるばかりだった。だが、そのことを思いついた者は、子供たちを全員集めて、助けを乞い求めた。

  今や、街中の子供たちが、黒い服に身を固めて街の門からあふれ出た。そして、長い行列をなして、こちらに向かってくる軍隊に向かって行ったのであった。ついに、彼らは敵の見張りの所まで達した。見張り達は子供たちを見て驚いてしまい、どうしていいのかわからなかった。

  彼らは、「将軍の所に行かせたほうがいい」と判断し、まもなく、子供たちからなる軍隊は、恐ろしい顔をした敵の指揮官の前に出た。

  「何をしに来たのか?」と、指揮官は厳しい口調で尋ねてきた。そこで子供たちは口ごもりながらも、何とかして自分達や家族に憐れみをかけてほしいと嘆願した。将軍は、無表情な顔つきをしながら耳を傾けていた。だが、われ知らず、心に感じるものがあり、突然立ち上がるとこう言ったのだった。

  「おまえ達は両親の命を救った。誰一人として殺されることはない。」

  そして、喜び踊る子供たちには、さくらんぼが山と与えられた。ちょうど、さくらんぼの熟する時期だったのである。まもなく、子供たちは、救われた街へと帰った。桜の枝を振り、この素晴らしい知らせを叫びながら。こういうわけで、ハンブルグの子供たちは、勝利を勝ち取ったこの素晴らしい日を記念して、桜の枝を手に通りを行進するのである。

 

  105.

女の子は女の子 おしゃれでスィート

見るとすぐに抱き締めたくなる

ピンクの飾りに ナイロンに レース

小さな顔にピンクのほっぺ 無邪気な目

 

女の子はアイスクリーム キャンデー 

ピンクのバースデー・ケーキ

母親が焼くのを手伝ったクッキーでもある

どの男の子にとっても 完全なる邪魔者

でも パパの恋人であり 誇りであり 喜び

ふくれっつらしたり じたんだを踏んだり 

からかったり 泣いたり

でもやっぱり 目に入れても痛くない 

パパのお気に入り

女の子は子猫みたいに 

抱き締めたくなるすべてのもの

そして 神ご自身のパラダイスの一部

      −−フィリス C.マイケル

 

  106.

子供たちが小さかった頃がよく思い出される

 −−こんなに大きくなったと思うと、

  奇妙な感じもする

いろいろな意味で大変だったけれども

 それでも最高の日々だった!

 

子供たちの笑顔や涙を大切にしなさい

 あなたがその腕に抱く子供たち

魅力でいっぱいのかわいらしい仕草

 そんな思い出を大切にしなさい

 

時々、仕事が延々と続くように思えても

 今日という日はあっという間に過ぎ去っていく

子供が幼い時、そうした日々を大切にしなさい

  子供がいなくなった時に、

  なつかしく思うのだから!

 

子供が成長して、独り立ちし

  キリストに召された仕事をするように    なる時

あなたが彼らに捧げた年月や、

彼らの与えてくれた喜びを

  感謝するようになるのだから!

              −−ハート

 

  107.幼な子をわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。‥‥だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこに入ることは決してできない。          ルカ18:16,17