輝くひととき 85−86 PDFファイル83-86

 

ゆるすことで人生が変わる

 

苦しみからの解放

 

  (AP通信、1997年12月22日)麻薬中毒者に息子を殺され、嘆き悲しむ父親。アルコール中毒で暴力をふるう母親に背を向ける娘。自殺するか、あるいは自分を捨てた妻を殺すことを考える夫。

  牧師、母親、弁護士、立場は違うが、耐えがたい苦悩を抱いて生きていた、普通の人たちだ。

  だが、彼らは普通ではない行為によって、その苦悩に終止符を打った。その行為とは、「ゆるし」である。

  信仰リバイバル(復興)、「プロミス・キーパーズ」などの運動の高まり、「ゆるすこと」を激賞する本がベストセラーになるなど、ゆるしが米国で大いに関心を集めている。彼らもゆるしを実行した人々だが、ゆるしに至る道はそれぞれ異なっている。

  この内の誰一人として、素早く簡単に相手をゆるせた人はいない。一人一人が異なる段階を経て、そこまでたどり着いたのだ。相手の方が悔いていない場合もあったが、誰もゆるしたことを後悔していない。

  最近、離婚したばかりのジムは言う。「怒りは完全に消えた。神には計画があった。それが何なのか、私にはまだわからないが、神が私にこのような経験をさせたのには、良い計画があるに違いない。」

 

     ―――――――

 

  ウォルター・エベレット牧師は、24歳の息子を殺された。しかも、犯人が検察側との取引により懲役5年の刑で済んだことを知って、息子を失ったショックは激怒に変わった。

  殺人者で麻薬中毒者のマイケル・カールーチに対する判決が下った時、カールーチは、遺族にとっては空しい言葉にしか聞こえないだろうが、自分のしたことを後悔していると言った。

  エベレットの友人たちは、カールーチは刑を軽くしてもらおうとして悔いたふりをしているだけだと言ったが、コネチカット州ハートフォード市にある統一メソジスト教会の牧師であるエベレットは、その言葉に心を動かされた。

  息子の一周忌に、エベレットは息子を失った家族の苦しみをつづった手紙をカールーチに送った。「時に、悲しみに打ちのめされそうになり、人の命を粗末にする者は誰も受け入れることができなかった」と。

  だが、エベレットはさらにこう書いたのだ。「いろいろな意味で、言葉は陳腐なものに思えますが(それでもそれ以外には意思を伝える方法がないのです)、私はあなたの謝罪を受け入れます。そして、この言葉を書くことは極めて難しいのですが、私は『あなたをゆるします。』」

  エベレット牧師は、当時のことを振り返りながら、この「あなたをゆるす」という言葉が転機になったと語った。「心に重くのしかかっていたものが取り去られたような気がして、そこから心のいやしが始まりました。」

  だが、それで終わりではなかった。彼の結婚生活は破たんした。妻は、夫がどうして相手をゆるせるのかが理解できなかったのだ。また、手紙を書いた数ヶ月後にカールーチに面会した際には、息子を殺した人物がすでに重犯罪者用の最大厳重警備の監獄から、それほど警備の厳しくない監獄に移されたと知って、再び怒りがこみ上げてきた。

  エベレットはこう語る。「いやしは即座に起こるわけではない。それは段階的なものであって、生涯続いていくプロセスなんです。」

  初めての面会で、エベレットはカールーチの体重について軽く言葉を交わした。すると、今まで誰からもゆるされたことのなかった囚人は、エベレットに抱擁した。二人はその場で泣き崩れた。

  こうして、エベレットとカールーチは友となった。カールーチが刑期完了を待たずに釈放されたのも、エベレットの証言があったからこそだ。そして一時仮出所期間には、カールーチはエベレットを訪問した。1994年、エベレットはカールーチの結婚式の牧師を務めた。彼らは今でもちょくちょく会っている。

  エベレットは殺された息子を決して忘れないだろう。だが、彼はこう信じている。キリストが命じたように、自分の敵を愛するつもりなら、まず相手をゆるさなければならないと。

  エベレットはこう語る。「マイク・カールーチを見る時、私は彼を息子を殺した相手としては見ない。神によって永遠に変えられた人間として見ています。そして、そのことをこの上なく嬉しく思います。」

 

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  ある日、夫から、「クリスマスに君のお母さんを招待したよ」と言われたケイトは、カンカンに怒った。

  カナダの小さな町で、ケイトは貧しい子供時代を過ごした。アル中の母親は、酔っ払ってはケイトに暴力をふるった。そして、幼い6人の弟や妹をケイトに任せて外出するのだった。

  翌朝、あざだらけの痛々しいケイトの顔を見ても、母親は後悔するどころか、前の夜のことを説明する娘をうそつき呼ばわりするだけだった。

  20歳で家庭を持ったケイトは、決して過去を振り返ることはしなかった。だが、4番目の子供の出産を機に、夫は和解の時と考えて、クリスマスに母親を招待したのだった。

  それは、よそよそしい訪問だった。ケイトは母親が何か言いたげなのをたびたび感じたが、そのような機会は与えまいと心に決めていた。夫が母親を空港まで送りに行く時も、一緒に行きたくはないと言った。

  「玄関を出る時のことでした。母が『今までのこと、ゆるしてもらえないのね?』と言ったんです。その一言で十分でした。」と、ケイトは言う。もう48歳になるが、その時のことを思い出すと今でも涙が出る。「それは、全くの奇跡とも言えるいやしの過程の始まりでした。」

  ケイトは、フッター派の信者が生活する農場で平安を見いだしていた。そこでは誰もが初代教会のクリスチャンのように生きようとしている。しかし、憎しみはケイトの心に重くのしかかっていた。そんなケイトにこのチャンスが与えられ、本当はゆるしたいと思っている自分を発見した。

  「『ゆるすわ』と答えるのに、30秒ぐらいしかかりませんでした。というのも、長い間、そのことがいつも心に引っかかっていたからです。」

  それでも、実際にゆるしを行動に移すには時間がかかった。子供を見てもらうほど母親を信頼するのには、何年もかかった。

  「母から初めて抱きしめられた時には、しばらく緊張が解けませんでした。それまで母との接触は、暴力しかなかったからです。」

  ゆるしは忘れることではない。ケイトもそれは望んでいない。

  「忘れることなんて、できないと思います。さもなければ、ゆるしの奇跡を覚えていることもできないでしょうから。」

 

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  ジムはまさに聖書に出てくる「ヨブ」の現代版だ。なぜ善人に悪いことが起きるのかという、神の神秘の実例だからだ。

  90年代に入った頃、彼は弁護士として成功し、子供は大学か予備校に通い、休暇はバーモントで過ごすという生活を送っていた。

  それから長い闘病生活を送っていた母親を失い、次いで父親を交通事故で失った。仕事も失敗し、家を失った。

  2年後、28年間連れ添った妻は、犬と一緒に彼を家から追い出した。

  ヨブのように、彼は天を仰いだ。「私は神を呪いました。次から次へと不運が襲いかかってきたのですから。自殺した方がましだとね。」

  ジムは、「妻を殺すことを考えるぐらい、強い憎悪の炎」にさいなまれた。元海兵隊員でがっしりとした体格のジムは、コネチカット州ハムデンにある、離婚・別居者を助けるグループに相談した。

  裁判所は妻にもカウンセリングに参加するよう指示したが、彼女はそれに激しく抗議した。彼の人生を変えたのは、祈りと、この結婚はもう終わりだと認めることであった。それ以来、彼は「ゆるすのがもっと簡単になった」と言う。

  54歳になるジムはこう語る。「自分でもびっくりするぐらい怒りが収まって、心に安らぎが生まれたのです。」

  夜も眠れるようになった。心には、怒りの代わりに穏やかさが訪れた。最近は、高速道路で他の車に割り込まれても、ただ笑い飛ばすだけだ。

  ジムは、昔傷つけた人からゆるしを求めようと、いろいろな人を訪問した。今では元麻薬中毒者へのカウンセリングという新しい仕事がある。

  微笑みながら、ジムは自分が変わったと自覚した時のことを説明してくれた。離婚して間もない頃、前妻が彼らの息子の結婚式にボーイフレンドを連れて来たのだが、ジムは彼に対して礼儀正しく振る舞えたのだ。

  「私には信仰があって、神は自分のことをわかってくれていると知っています。私には、それだけでいいんです。」

 

ゆるしの力

 

ジェーン・ランプマン、1999年1月28日付クリスチャン・サイエンス・モニター紙

 

  父親も母親も、7歳になる息子のアールに手を焼いていました。多動症と診断され、おまけに学校でも家庭でも反抗的な、ソバカスだらけのこの赤毛の少年は、怒りをコントロールできないようでした。ある週は大騒ぎを起こして、週末を病院で過ごすはめになったのでした。

  それから、半年が過ぎました。アールはずっと幸せです。自分の感情を扱う新しい方法を見つけたのです。両親の夫婦仲も良くなりました。アールは、多動症を抑えるために飲んでいたリタリンやプロザックのような薬も、もう必要ありません。学校での態度も良くなり始めました。

  アールも両親も、彼の怒りを扱う「もう一つの方法」を見つけたのです。怒っていないと否定したり、怒りを爆発させたりするのではなく、ゆるすことを学んだのでした。この「ゆるし」という手段は、現在、さらに幅広く研究されています。

  「ゆるしには、素晴らしい『いやし』の力があって、それを使う人にその効果を現す」とは、アールの治療を担当したフィラデルフィアの精神科医、リチャード・フィッツギボンズ医師の言葉です。フィッツギボンズ医師は、メンタルヘルス(精神的健康)の分野に「ゆるしの力」を取り入れた先駆者の一人です。

  自分になされたのが小さな不正や裏切りであろうと、深刻な犯罪、不法行為であろうと、大半の人は、不当に扱われたことからくる怒りや恨みに悩まされます。そして現代社会において、そのような感情をうまくコントロールできない人が大勢いるという事実は、校内暴力や、高い離婚率、家庭内暴力、麻薬、過度の飲酒、さらには犯罪、民族紛争、テロ行為などを見れば明らかです。

  ゆるしの力を再認識して希望を見いだす人もいます。自分の人生だけでなく、地域社会や国全体、国際関係において、ゆるしの可能性を見ているのです。そして、大勢の人がそれを実行しています。

  ゆるしは今では、学術研究から結婚・家庭問題カウンセリング、政治、地域社会に至る多くの分野において「ホットな話題」となっています。カリフォルニア州パサデナにあるフラー神学校で、ルイス・セメダス神学・倫理学教授は、著書「ゆるしの次元」(Templeton Foundation Press、1998年)でこう述べています。「以前は、自分を傷つけた人に余分の憐れみを持つという行為は、『宗教の信者』のつとめと考えられていたが、今ではゆるしが、疎遠な人間関係を克服していく、人間のクリエイティブな能力として再発見されている。」

  「ゆるしは、道徳的義務や神学上の見解以上のもの。それは、人間的で不完全な我々にとって、憎しみや自責の念を克服して、成長し、愛するという過程を続けていくための唯一の手段である」と、ニューヨーク州ワピンジャーフォールのポール・コールマン心理学博士は語っています。カウンセリングを受ける人々に「ゆるし」の種をまき始めると、博士のカウンセリングは「一新した」そうです。

  ゆるしには「超自然的な崇高な要素があり」、「それを、神の恵みと言うこともできるであろう」と、コールマン博士は言っています。やっと10年くらい前から、この超自然的要素はメンタルヘルスの分野で、もう少し認められるようになりました。

  「To Forgive Is Human」(「ゆすることは人間的」の意)の著者、ワージントン博士は、共感こそ、ゆるしにとって重要な鍵であると語っています。「どれだけ共感できるかは、その人がどれだけゆるせるかに大いに関係している。」ワージントン博士は、現代社会で起こっていることを考えてみるなら、ゆるしは21世紀に「計り知れないほどの影響を与える可能性がある」とも言っています。また、何かの出来事や個人をゆるすほかに、ゆるせるだけの人格を持つこと自体、非常に健全であることが、研究によって間もなく明らかになるだろう、と博士は語っています。