「神さまが一緒にいる」
フィリス・I・マーティン
突然、黒雲と強風がアルパイン小学校を襲いました。ラジオでは、竜巻警報をさかんに流しています。児童を家に返すのは危険すぎるので、私たち教師は、彼らを地下室に避難させました。子供たちはそこで不安げに肩を寄せ合っていました。
私たち教師も不安でした。校長が、歌を歌って緊張を解くように提案しました。けれども、子供たちの声は、弱々しく、今にも消えてなくなりそうでした。次から次へと子供が泣き出し、私たちがなだめようとしても無駄でした。
すると一人の教師が、となりに座っていた子供にこうささやきました。彼女の信仰は、どんな非常事態にも負けないようでした。「ケイティー、何か忘れているんじゃない? 私たちを守ってくださる、嵐よりもずっと強い力があるのよ。こう言ってみて。『神さまが一緒にいる』って。そして、となりに座っている子にこの言葉を伝えるのよ。」
次々にこの言葉が伝わっていくにつれ、子供たちは落ち着きを取り戻しました。相変わらず外では風が激しく吹き荒れるのが聞こえましたが、今ではそれも関係ありません。ここでは恐れは静まり、涙は消え去ったのです。
しばらくしてラジオが警報解除を知らせると、皆はいつもの押し合いへし合いやおしゃべりもせずに、それぞれの教室に戻ったのでした。
あれから長い年月がたちましたが、心に平安を与えるこの言葉は、今でもはっきり覚えています。そして、試練や悩みの時には、「神さまが一緒にいる」という言葉を繰り返せば、いつも恐れや緊張から解き放たれるのです。
この瞬間にも
主は私を助けておられる。今、この瞬間にも。
見えもせず、聞こえもしないが、
もしかしたら遠方の友人によって
あるいは近くにいる見知らぬ人
または誰かが語る言葉
それとも読んでいるものによってかもしれない。
私がその方法を知っていてもいなくても、
主は助けてくださる。
主は私を守っておられる。今、この瞬間にも。
私が最も必要とする方法で。
もしかしたら一人の天使によって
あるいは大勢の天使
または私をいらだたせる鎖
それとも私を閉じこめる壁によってかもしれない。
私がその方法を知っていてもいなくても、
主は私を守ってくださる。
太陽が沈み、その消えゆく光を見ても
再び昇り
世界を照らすことを人は疑わない。
だから明日を信じよう。
太陽を昇らせ、沈ませる方が
あなたと私を見守っておられるという信仰を持って。
−アニー・ジョンソン・フリント
さいはての地で
英国人探検家のアーネスト・ヘンリー・シャックルトン卿(1874-1922)率いる南極横断探検隊が遭難し、シャクルトンはワースリーとクリーンと共に、他の隊員たちの救助を求めてサウスジョージア島を横断しました。零下何十度にもなる雪と氷に包まれた山々や危険な氷河を彼らは乗り越えたのです。この過酷な状況について、シャックルトンは後にこう記しています。
「当時を振り返ると、神が我々を導いておられたのがはっきりわかる。…サウスジョージア島の名もなき山や氷河を越えるという、あの長く厳しい36時間に、実際は三人だったのに、私は幾度か四人いるような気がしてならなかった。誰にもそのことを言わなかったが、後でワースリーは私に、『あの時、私たちのほかにもう一人いたような、不思議な気持ちがするんです』と言った。クリーンも同じだった。目に見えぬものを表現しようとするのに、『人間の言葉は不十分であり、お粗末な表現』としか思えないが、我々にとって非常に大切な方の存在について記さずして、この旅の記録は完結しない。」