輝くひととき 77 PDFファイル75-82

 

四人の命を救った賛美歌

 

(アール・マーラットによって伝えられる)

  1916年の夏のことです。私が住んでいたインディアナ州[アメリカ]ラッシュビルで、王立ウェールズ男性合唱団が地元の夏季大学協会のためにコンサートを開きました。プログラムの最後に合唱団は、賛美歌四重唱「日暮れて四方(よも)はくらく」を歌いました。静かな調子で始まって時折コーラスで盛り上がります。このようなフィナーレは、水曜の夜の演奏会には場違いのように思われました。その夜の呼び物は神聖な宗教音楽ではなく、陽気なコーラスだったからです。不思議に思った私は、指揮者に賛美歌でしめくくった理由を尋ねました。

  するとこんな答えが返ってきました。「最後はいつもそうしています。しきたりのようなものですよ。」

  新聞記者の私はさらに質問をして、とうとう次のような話を聞き出したのです。

  「ある時、私たちはルシタニア号に乗船していましたが、アイリッシュ海で魚雷を受けて沈没してしまいました。海面にさざ波が起こったかと思うと、海中でにぶい爆音がしました。そして数分後には、船が傾き始めたのです。何が起こったかを悟って、私たちは直ちに行動に出ました。ウェールズの海辺で育ったので、皆、泳ぎは得意でした。というわけで、救命具をつけ、船が沈む前にデッキから飛び込むことにしたのです。どの方向に泳ぐかも綿密に決めました。水中にもぐってできるだけ遠くまで泳ぎ、沈んでいく船と共に海中に吸い込まれないような所まで行ってから顔を出すことにしました。

  間一髪のところでした。海面に顔を出して、数メートル離れてお互いがそろったところで後ろを振り返ると、ルシタニア号が一瞬、直立したかと思うと、悲鳴にも聞こえる甲高い金属音を立てながら海中に沈んでいくのが見えました。私たちは無我夢中で泳ぎ続けました。壊れた救命いかだがこちらの方に流れてきましたが、私たちが浮かび続けたり、立ち泳ぎをするのに疲れた時につかまる以外、何の役にも立ちませんでした。救命ボートはやって来ませんでした。ルシタニア号が沈んだちょうどその場所に太陽が沈み、突然あたりは暗く、寒くなりました。

  最初は指が、それから体全体がしびれてきました。救命いかだにつかまっているのが、ますます大変になってきました。光も音もない中で、私たちは救出されるという望みを捨て、不本意ながらも、それを互いに認めました。クリスチャンだったので、このいまわの際に、礼拝をしたいと思いました。誰も祈る気分にはなれませんでしたが、今までずっと歌ってきた仲間です。賛美歌を歌うこともありました。それで、賛美歌を一番だけ歌い、それからいかだから手を離して、その身を海に委ねることにしました。そして、「日暮れて四方(よも)はくらく」を歌ったのです。

  『日暮れて四方(よも)はくらく

  闇が深まるとも、主よ、共に宿りませ

  助けは来ず、慰めは来ぬとも

  よるべなき者の助け主よ、われと共に宿りませ!』

  歌い終わると、汽笛が聞こえました。私たちの声が風に乗って、ルシタニア号が沈んだあたりを巡航していた駆逐艦に届いたのです。元気が出た私たちは、残りも歌いました。やがて賛美歌の歌声に導かれて駆逐艦が到着し、私たちは無事に港に帰り着いたのでした。

それ以来、コンサートの締めくくりに感謝の祈りとして賛美歌を歌うことが、私たちにできるせめてものことだと感じているのです。」

 

イギリスの汽船ルシタニア号は、第一次世界大戦中の1915年5月7日にアイルランド沖で魚雷を受けて沈没。1198人が死亡。

 

神に身を委ねる者は、神の平安を味わう。

 

 

  すべてが過ぎ去っても、あなたにはイエスがいます! すべてがなくなっても、それでもイエスがいます! すべての人があなたを見捨てても、それでもイエスがいます! 自分には何も残っていなくても、それでもイエスがいます! すべてが破滅し、荒廃しても、それでもイエスはあなたと共にいます。世界に何も残らなくても、それでもあなたにはイエスがいます! そしてイエスがいるなら、あなたはイエスと二人で何でもできるのです!

−デービッド・ブラント・バーグ