輝くひととき 7

 

世界を変える人へ…

神があなたを召されたなら、

   誰が後に従ってくるだろうかと振り返ってはならない。

 

己を否定するとは、慣習に捕らわれない者となることだ。聖書には、身体においても、知性においても、精神においても、この世にならってはならないと書かれている。−ビリー・グラハム

 

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  若い男性が、有名なアメリカ人福音伝道者ドワイト・L・ムーディーの所に来て、こう尋ねた。「ムーディーさん、私はクリスチャンになりたいと思っているのですが、そのためにはこの世の生活をあきらめなければならないのですか?」

  すると、いかにもムーディーらしい答が返ってきた。「君、クリスチャンの生活をとことん行なうなら、この世の方が君をすぐに見捨てるだろう。」

 

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  「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」(ローマ12章2節)

 

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  歴史の皮肉な結末とは、人間誰もが通過する最終的な審判において、世俗での階級や地位は全く意味をなさないという事である。歴史から見て、人生の最終的な評価の際に問われるのは、その人の地位や肩書などではなく、その人の行いの質や、心と精神である。

 

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  生きるためには、信念を持っていなければならない! そしてその信念に基づいて、何らかの行動を起こすこと。そうでないと、自分自身に耐えられなくなるだろう!−ファーザー・ダビデ

 

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  言い訳をするのは簡単だ。なぜ自分にできないのか、なぜそんな事を自分に期待すべきでないのか、理にかなった、もっともらしい言い訳をするのは簡単だ。たいてい、大部分の人がその言い訳を受け入れてくれるだろう。彼ら自身もやれると信じていないので、あなたの言い訳を受け入れる事によって、自分自身に言い訳をしているのだ。しかし、神はその言い訳を受け入れるだろうか?−ファーザー・ダビデ

 

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  裕福な生活を捨て、病人を看護するために、戦争と病気と貧困の中に飛び込んで行ったフローレンス・ナイチンゲールは、日記にこう記している。「私は今30才。キリストが宣教を始められた年。さあ、もはや子供じみたことは捨てよう。空しいことは捨て去ろう。主よ、これからは、ただあなたの御心だけを考えて生きていけますように。」 長い歳月が流れ、その輝かしく大胆な生涯の終わりに近づいたナイチンゲールは、その立派な人生の秘訣はと尋ねられて、こう答えた。「私に言えるのは、ただ一つ、私は何一つ差し控えることなく、すべてを神に捧げてきたということです。」

 

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  中国の宣教師であったジョンとベッツィー・スタム夫妻は、1934年12月8日殉教した。12月6日の日記に、ジョン・スタムはこう書き記している。「私は妻と赤ん坊と共に、共産主義者に捕えられました。私達の所有物はすべて没収されましたが、それでも心の中にある平安と今晩の食事を神に感謝します。神が皆さんにこれから何をすべきかの知恵を与え、私達には不屈の精神と勇気と心の平安を与えて下さいますように。神にはそれがおできになり、神はこのような時の素晴らしい友です。」 そして最後にこう締めくくっている。「主が、皆さんを祝福し、導かれますように。私達については、生きるのであれ、死ぬのであれ、神が栄光を受けますように。」

 

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  信仰の人を止めることはできない! 思いとどまらせようとしても無駄だ! 信仰の人は、あなたがいようといまいと、とにかく前に突き進み、必要ならあなたの上を乗り越えて行くだろう!−ファーザー・ダビデ

 

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無駄に人生を生きるよりは、

何かのために死ぬ方がよい。

  アメリカ沿岸警備隊の歴史に残る有名な話がある。バターン岬を受け持っていたパット・エセリッジ大佐の話である。恐ろしいハリケーンの夜、見張りが、危険なダイヤモンドショールズを航海していた船が遭難信号を発しているのを発見した。16キロの沖合いだった。救助船の出動が命じられたが、救助隊の一人がこう抗議した。「パット大佐、あの海域に行くことはできますが、絶対に戻って来れませんよ。」

 

  沿岸警備隊としての使命感に燃える大佐は、名言をもって答えた。「諸君、我々は戻って来なくてもよいのだ。」 その言葉は長いこと語り継がれている。

 

  主は私達にも、進軍命令を出された。全世界に福音を宣べ伝えよと、命じられたのだ。しかし、主はご自分のメッセンジャー達に、楽な任務を約束されてはいない。また、基地に無事に戻れると保証されてもいない。しかし、主は確かに、「行け!」という命令を下されたのだ。

 

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  偉大な宣教師であり、探検家でもあったデービッド・リビングストーンは自分の人生についてこう語っている。「私が人生の大部分をアフリカで過ごしたことで、人々はよく、私が払った犠牲について口にする。だが、私達が神に対して負っている莫大な負債のほんの一部を返済することが、犠牲と呼べるのだろうか? 健全なる活動と、善をなしているという意識、心の平安、そして、明るい希望と栄光に満ちた将来という最高の報酬がもたらされるのに、それを犠牲と呼べるのだろうか?

  それは絶対に犠牲ではない。むしろ特権と言えるくらいだ。快適な生活に欠かせない物もあまりなく、心配、病い、苦しみ、危険に襲われるとなると、躊躇し、信仰は揺らぎ、魂が沈むこともあるだろうが、それはただ束の間のことにしようではないか。

  これら全てのものは、将来、私達の内に、また私達のために現わされようとする栄光に比べれば言うに足りない。私は決して犠牲を払ったことはない! ご自身を私達に賜わるために、高き父の御座を離れられた方によってなされた大いなる犠牲を思い出すなら、私達はこのようなことを口にすべきではない。」

 

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強くあれ!

これは遊びではない。ぼんやりする時間はない

私達には困難な仕事と重い責任がある

いやがらず、真っ向から取り組め。

それは神の賜物なのだから

 

強くあれ!

時代が悪い、などと言ってはならない。誰のせいか? 

腕組みして黙認するのか。恥ずべきことだ!

立ち上がれ、口を開け、堂々と。

神の御名によって

 

強くあれ!

悪がどれだけ深く根付いていても

戦いがいかに厳しくとも、終わりなきように思えても

気落ちするな。戦い続けよ!

明日は勝利の歌が響く

       −メルトビー・D・バブコック

 

 

戦う者となれ!

ファーザー・ダビデ

 ☆ 神が戦う者を与えられんことを。御言葉という武器を手に主のために戦うのを好む者、悪を打ち破るのを楽しむ者、負けることなどないと確信し、勝利を望む者である! 彼らは、イエスと兄弟姉妹と真理のために生き、戦い、死ぬのもいとわぬ勝利の英雄である!

 

 ☆ 十字架の苦難なしに冠はなく、試練なしに勝利はなく、戦いなしにも勝利はなく、とげのないバラもない! 戦い、勝つこと、それが主の軍隊に入隊した目的である! さあ、主の戦いに加わろう!

 

 ☆ すべての戦闘に勝つことはないかもしれないが、戦争そのものは勝利する!

 

 ☆ 神の約束にしがみつけ! それを手放してはならない! 御言葉への信仰を貫け! 疑ってはならない! イエスのために進み続けよ! 止まらずに、前進を続けよ!

 

 ☆ あきらめず、信じ、祈り続けるなら、その短い時間にどんな事でも起こりうる!

 

 ☆ 敗北はありえない! 勝利はすでに我らのもの! 目標に到達するまで、戦い続けよ! 戦い続けるなら、負けることはない! 悪魔を叱責し、御霊の軍旗を掲げ、御言葉の武器を振るい続けよ。戦い続けるなら、敗北はない! 「信仰の戦いを立派に戦い抜け!」(1テモテ6章12節、ユダ3節、2テモテ2章3節、4章7節、エペソ6章13ー17節を参照)

 

 

あえて異なる者となれ

 

あえて異なる者となれ この世は他の人と

同じことをする人であふれている

哀れな人々、苦労しながら

名前以外はすべて

皆と何ら変わらないと見せかける

 

神は人間を一人一人異なるものに創造された

あなたとも私とも、全く同じ人間は存在しない

魅力、つまりすべての創造物が持つ栄光は

この違いがあるからこそ輝く

 

あなた自身の魅力、栄光も

他の誰とも同じでないあなたでいること

最善のあなたでいることから来る

他と人と違っている所、それがあなたの魅力

         −ヘレン・マーシャル