――― 輝くひととき 64  ――― PDFファイル61-64

 

ジムじいさんの祈り

  毎日、正午になると、みすぼらしい姿の年取った男性が教会にやってきては、数分で出て行く。一体、何をしているのだろう? 不審に思った司祭は、教会の管理人に、この年寄りに質問するよう頼んだ。礼拝堂には貴重な調度品もあるからだ。

  「祈ってるんですよ」と、老人は答えた。

  「冗談でしょう」 管理人が言った。「あんた、あっという間に、教会から出て行くじゃないですか」

  「長い祈りなんか、わしにはできねえ。だから毎日、正午になったら教会に行って、こう言うんですよ。『イエス様、ジムです』とね。それから少し待って、出ていくんです。子供じみた祈りだが、それでも聞いてくださると思うんですよ」

  それからしばらくして、ジムじいさんはケガをし、入院した。病室の雰囲気はいっぺんに明るくなった。ひがみっぽい患者はにこやかになり、病室には笑い声が絶えなかった。

  ある日、看護婦がジムに話しかけた。「あなたが来てから、病室の雰囲気が変わったわ。あなたはいつも機嫌がいいのね」

  「その通り。うれしくってしょうがないんですよ。毎日、面会に来てもらってるから。わしが幸せなのは、その方のおかげです」

  「面会?」 看護婦は当惑した。ジムには誰も面会者がないことを知っていたのだ。ジムは天涯(がい)孤独で、家族はいなかった。

  「面会ですって? いつ、いらっしゃるの?」

  「毎日ですよ」 ジムは目をキラキラさせながら答えた。「毎日、正午になると、あの方は入ってきて、わしのベッドの足もとに立たれるんです。そして、微笑んでこう言われるんですよ。『ジム、イエスだよ』とね」

 

   * * *

 

  このジムの話について、タイにいる宣教師マイケルから、感動的なニュースが寄せられました。皆さんにもここで紹介します。

 

  私達は、ここタイで働いているスコットランド人に出会いました。その人は、イエスを受け入れ、私たちをディナーに招待してくれました。その人の名前が「ジミー(ジム)」だったので、私たちは彼に「イエス様、ジムです!」の話をし始めました。毎日、祈るために教会に行った老人の話です。話し出した途端、その人はこの話をよく知っていると言いました。それどころか、スコットランドでその人が住んでいた場所の近くで実際にあった話だというのです。

その老人の名はジミー・ミーカンで、ジミーの葬式をつとめた枢機卿をその人は知っていました。そして、この話の驚くべき結末を話してくれたのです。その話が真実であると証言してくれる人が大勢いるそうです。その内の一人は枢機卿で、聖書に手をおいて宣誓(せい)証言してくれるだろうと言いました。

  ジムが重病で入院していた時、その病状をよく知っていた医者たちは、ジムがそれでも快活で、常に他の患者を励まそうと努めていることに驚いていました。けれども、イエスが毎日面会に来ることを話すと、大勢がジムを馬鹿にしたそうです。けれども、その葬儀の時、参列者がひつぎのそばに立っていると、まるで天から呼びかけているような大きな声が聞こえたのでした。「ジム、イエスだよ!」と。

 

始まりにすぎない

デービッド・ブラント・バーグ

  死は素晴らしい! クリスチャンにとって、それは解放である! 晴れて自由になるのだ! キリストを信じる者にとって、死とは、さんざん苦労をかけてきたこの古い体から自由になることなのだ。古い体は重く、疲れ、痛み、病気になる。だが、私たちは肉の束縛から自由な新しい世界へ、広大で無限の霊の領域に入ることになる!

  私たちにとって、この人生の終わりは始まりにすぎない!「天国に行く日、それは大いなる喜びの日となる! イエスに会うとき、私たちは歌い、勝ちどきをあげる!」 主よ、感謝します!

  先に他界した愛する者たちと再会し、失った愛を取り戻し、いつまでも幸せに暮らすようになる。愛の神と愛する人たちと共に、愛と喜びと永遠の幸せに包まれて!