――― 輝くひととき 63 ――― PDFファイル61-64
道化師
昔、ある王がいた。この王のお抱え道化師は、長年、王に仕え、楽しませたので、王はついに道化師を隠退させてやり、土地と財産を与えた。そして、旅行にでも行くようにと告げた。また、旅の共にと、王は自分のお気に入りの杖まで与えた。それは、金の装飾がほどこしてある、見事な木製の杖だった。
「特別なほうびとして、おまえにこれをやろう。長年、わしによく仕えてくれたし、楽しませてくれたからな。おまえは今からこの宮殿を出ていく。この杖を持っていくがよい。最高に『こっけいな』道化師だったことへの、わしからのほうびだ!」
数年後、王がかなりの高齢で、もう長くはないと聞いた道化師は、王に会いに行き、枕元で慰めた。
「死ぬ準備ができておられますか?」 道化師は王に尋ねた。
「何だって?」
「あれから私はイエス・キリストを知り、救い主として心に受け入れました。天国のイエスのもとに行き、そこで永遠に生きられると知っているので、死ぬ準備ができています」 道化師は続けた。
「王さまは死ぬ準備をなされましたか? イエスを救い主として受け入れましたか? 死ぬ覚悟ができていますか?」
「死ぬ準備だって? どんな準備がわしに必要だというのだ? わしは『イエス』も『天国』も信じていない。わしの国はここだ! それこそ現実だ! わしにとって大切なのは、目に見えるものだけなのだ!」
「それは残念ですね」 道化師は静かに答えた。
「王さま、あなたはご自分がどんな間違いを犯しているか、また何を今、断ったかに気づいておられません。天の王からの罪のゆるしと永遠の命を断ってしまったのです」
「王さま、私を旅に出されたときのことを覚えておられますか? ほうびにこの杖をくださいましたね。私が最高に『こっけいな』道化師だと言って。私は旅から戻り、次の旅への準備をしました。その旅は、誰も避けることはできません。二度と戻ることがなく、永遠に続く旅です。それなのに、王さまはその準備もされていないのです。さあ、この杖を返しましょう。あなたこそ、私以上に『こっけいな』道化師だからです!」
大勢が死から逃げようとする。それについて考えたくないのだ。遅かれ早かれ、必ずやってくるものなのに、ほとんどの人がその準備をしていない。
死を無視したり、恐れたり、死について考えるのを拒むべき理由はない。主を知っている私たちにとって、死は新しい世界、新しい人生への甘美な解放だ! 死ぬ瞬間、私たちの霊は自由になる。地上の肉体に伴うあらゆる問題や悩みから解放され、霊の世界に入る。地上の学年から卒業したのだ。
救い主としてイエスを受け入れることによって、必ずその準備をしておいて下さい。そうすれば、主が来られる時、その準備ができていることになるから。また、それまでは自分が安全で、守られ、天国に行けると知っているから、人生をフルに生きることができる! イエスを今日、受け入れて下さい!
デービッド・ブラント・バーグ
昇進!
デービッド・ブラント・バーグ
「死」という言葉はあまり使いたくない。厳密に言うなら「死」ではないからだ。私たち、イエスを信じる者は完全に死んでしまうわけではない。聖書に書かれているように、「生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない」のだ。(ヨハネ11:26) また、「その人はいつまでも死を見ることがない」とも書かれている。(ヨハネ8:51) 使徒パウロは、「死よ、おまえのとげは、どこにあるのか。墓よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死のとげは罪である」と言った。(第一コリント15:55-56)
私たちに、死のとげはない。私たちの罪はゆるされているからだ。墓に勝利もない。キリストとキリストの救いと来たるべき復活によって、墓を克服したからだ。私たちの霊はその瞬間、即座に解放され、主と共になりにいく。だから、他の人々と同じような死を味わうわけではない。私たちは、他の人々のような死を経験するわけではないのだ。
だから、それを「死」とは呼びたくない。「卒業」とか「移動」とか「昇進」と呼ぶ方がいい。それは一つの部屋から別の部屋に入るようなもので、主を知っており、主を愛している人にとっては、この上もなく素晴らしい体験なのだ。