――― 輝くひととき 62  ――― PDFファイル61-64

 

  かつて、漫画家のアーサー・ブリズベーンは、悲しみながらサナギの殻を墓地に運んでいる青虫たちを描いた。かわいそうに、喪服姿の青虫はみな肩を落とし、涙を流していた。だがその一方で、白い美しい蝶が地上の殻から永遠に自由になり、地上を見おろしながら、幸せそうに舞っていたのだった。

  言うまでもなく、ブリスベーンは人間の葬式を表現していた。愛する人が亡くなった時に、サナギのことだけを考え、なきがらにしがみついて、幸せそうな蝶のことを忘れてしまうのは愚かなことだと伝えようとしたのである。

 

 私は今、岸辺に立っている。白い帆に朝の潮風を受けて、船は沖に向かって行った。水平線のかなたに消えていく船の姿を見守っていると、誰かが言った。「船が行ってしまった」 どこへ行ったというのだ? 船は見えないが、船がなくなったわけではない。「船が行ってしまった」と言った時、向こう側では誰かが船が現れるのを見ている。彼らは、「船が来た!」と喜びの声をあげる。死とはそのようなものである。

 

 米宇宙開発の先駆者である有名なフォン・ブラウン博士は、死後の人生の存在を信じるに十分な「科学的根拠」があると言った。博士はこう説明している。「何の形跡も残さず消滅する物体は存在しないことを、科学は発見している。物体がただ消滅してしまうことはない。ただ、(何らかの形やエネルギーに)変換するのみだ。もし神が、宇宙のすみずみにまでこの基本的原理を働かせているなら、神ご自身が造られた人間の魂にもその原理が働いているとは考えられないだろうか。私はそう思う」

 

愛する人がこの世を去るとき

デービッド・ブラント・バーグ

  高齢になって、寂しい思いをしている人が少なからずいる。友人にも、長年連れ添った夫または妻にも先立たれ、辛い思いをするか、そうでなくとも以前していた楽しいこともできなくなり、自分は家族のお荷物ではないかと悩んだりする。

  イエスを信じている老人たちには、不安なく、死を迎える準備が整っている。自分が天国に行けると知っているので、安心していられる。それこそ、私たちが持っているべき態度である。

  辛いのは、むしろ、遺された友人や家族の方かもしれない。せめてもう一度会えたら、と思うからだ。生前に、もっと優しい言葉をかけてあげればよかった、ああしてあげればよかったのに考え、後悔するのだ。亡くなった人への思いで胸がいっぱいになってしまう。けれども、その人たちは「なくなった」わけではない。わかるだろうか? この世を去った人は、天国であなたを待っているからだ。

  天国から声援を送り、あなたのために祈っているのだ。だから、遠く離れたどこかに行ってしまったように考えてはいけない。その人たちは、すぐそばにいるのだから。