――― 輝くひととき 57  ――― PDFファイル57-60

 

神は何不自由ない生活をしている?

  神の御座の前に広がる大きな草原に、何十億もの人たちがいた。彼らは地上での一生を終えて、神によって裁かれるのを待っていたのだ。前の方の一団が、熱っぽく議論を始めた。人生を振り返って反省するどころか、けんか腰だった。

  「どうして、神にわれわれが裁けるのか?」と一人が言った。

  「神は苦しみを経験したことがあるの?」 別の女性が苦々しく答えた。袖をまくると、手首にはナチスの収容所で受けた番号の入れ墨があった。「私たちは、殴打され、拷問されて、恐怖と死を味わったのよ!」

  別の一団にいた黒人は、「これを見ろよ」と言って、えりをぐいと下げた。縛り首のロープの跡が痛々しかった。「ただ肌が黒いってだけで、リンチされたのさ! 家族から引き離され、奴隷船に押し込まれ、『死によって解放されるまで』こき使われたんだ」

  見渡す限りのこの広大な草原に、似たような体験をした人たちの集団が何百もあった。神から授かった人生なのに、苦悩や苦痛を味わうのを神が許されたことで、一様に不平を鳴らしていた。涙も恐れも飢えも憎しみもない天国に住んでいられる神は、なんと運がいいことかと!

  確かに、地上で苦痛を強いられる人たちのことを、神はどれだけ理解しているのだろう? 「だって、神は何不自由ない生活をしているのだからな」と彼らは口々に言った。そこで人々は、自分たちの中から最も悲惨な目にあった人を一人ずつ代表者として選んだ。そのグループは、ユダヤ人や黒人、インドの最下層民たちや、広島の原爆犠牲者、シベリアの強制収容所で死んだ人、その他もろもろである。

  その広い草原の中央で、代表者たちは額を寄せ合った。ついに、神への申し立てが決まった。単純な内容だった。神が自分たちを裁く資格を得るには、まず神も自分たちと同じ苦難を通らなくてはならない、という事だ。「『神は人として地上での人生を送る』刑を受けるのが妥当」という結論に達したのだ。しかし、自分を助ようとして全能の力を使うことがないよう、一定の条件を設けた。

 

  ユダヤ人として生まれること。

 

  その出生の背景が疑わしいこと。

 

  革新的な信念と正義の闘士となること。それゆえに憎しみを買い、非難され、あらゆる主流宗教や宗教体制から命を狙われる。

 

  誰も、見たり感じたり味わったり聞いたり嗅(か)いだりしたことがないものを伝えようとすること。神と人の仲介者となろうとすること。

 

  最も近い友に裏切られること。

 

  ぬれぎぬを着せられて裁判にかけられること。偏見に満ちた陪審員によって裁かれ、臆病な裁判官に判決を下されること。

 

  孤独感にさいなまれ、誰からも完全に見放されたと思うような状況におかれること。

 

  拷問を受け、殺されること! 他の犯罪者と共に、最も屈辱的な死を味わうこと。

 

  代表者たちが決定事項を一つ読み上げるたびに、群衆の間から大きな歓声が上がった。

  しかし、全文が読み終えられると、長い沈黙があった。つぶやき一つ聞かれず、人々はその場に立ちつくしていた。皆、その時気づいたのだ。神はすでに、その刑を全うしていたことを。

―作者不詳