輝くひととき 4

 

試練を宝に変える!

 

  海底で、貝が殻をいっぱいに開きました。海水が流れ過ぎる時に、えらを使って、食物をつかまえ、胃に運ぶためです。突然、近くにいた大きな魚が、尾ひれをばたつかせて砂をかき回しました。砂だ! 貝はどれほど嫌がったことでしょう。少しでも砂が入ると、ザラザラするし、実に気持ち悪く、不快で、忌々しい限りです。貝は素早く殻を閉じましたが、手遅れでした。硬くてザラザラした一粒の砂が入り込んで、中の肉と殻のすき間に挟まり、取れなくなったのです。

  ああ、その砂のせいで、貝はどんなに不快な思いをしたことか! けれども、殻の内部を覆うようにと神が与えて下さった特別な腺が、ほとんど即座に働き始め、あの忌々しい砂の粒に、なめらかできれいな、輝くような覆いができ始めました。何年も何年も、貝はその小さな砂の粒に何層かの覆いをつけ加え、ついに、美しく、素晴らしい光沢の、とても貴い真珠が出来上がったのです。

  時として、私達が抱える問題は、その砂の粒のように思えることがあります。不愉快だし、なぜこんな不便で嫌な思いをしなくてはならないのかと考えるものです。けれども、私達の問題や弱味に対してこそ、神の恵みが働き始めるのです。むろん、私達が主にそれを願うならの話ですが。その時、私達はより謙虚で、自分自身を主の御手に委ねるようになり、もっと必死で祈り、主に近づき、知恵も備わり、問題に対してより強くなるのです。姿を変えた祝福のように、主は間もなく、私達の人生でのあのザラザラした砂の粒を、強さや力という尊い真珠に変えて、他の大勢の人達の希望や励ましとして下さるのです。

 

     ◇ ◇ ◇

 

  主は、私達が一つ一つの試練を乗り越える毎に私達をより強くして下さる。試練は免疫のようなものだ。病気にかからないように、また抵抗力が徐々につくようにと、主は少量ずつ与えられる。しかし、試みに会ったことも、少量与えられたこともないと、大量に受けるのには耐えられない。

  中世では、毒を使っての暗殺が頻繁に行なわれていたので、王や要人達は、毎日少量の毒を飲んでいた。微量から始めて、日毎にその量を少しずつ増やしていって徐々に抵抗力をつけ、誰かに大量の毒を盛られても、致命的にならないようにしたのである!

  主も私達に同じようなことをされる。私達を試みにかけて強くし、抵抗力をつけさせるために、毎日少しずつ余分に与えられるのだ。毎日、犠牲や試練や問題や戦いといった血清を少し余分に与えて、免疫をつけて下さる。

  主は、毎日私達をより強くし、私達がもう少し与え、もう少し犠牲を払い、もう少し多くの苦しみに耐えられるように、またもう少し大きな戦いを戦い、もう少し成長するようにしておられるのである。−−ファーザー・ダビデ

 

     ◇ ◇ ◇

 

  悲しみは、人を強くするため、また、いつか他の人を力づけられるようにするためにある。−−ファーザー・ダビデ

 

     ◇ ◇ ◇

 

  「神は、いかなる患難の中にいる時でも私達を慰めて下さり、また、私達自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。それは、キリストの苦難が私達に満ち溢れているように、私達の受ける慰めもまた、キリストによって満ち溢れているからである。」(第2コリント1章4-5節)

 

 

 

夜がなければ、

 星も見えない

空はいつもまぶしく

 目もあけていられなくなる

鉄格子を通して見る時

 自由は最高に素晴らしく思える

荒れ狂う海が凪(な)いだ時

 快適な航海ができる

 

喜びは、失ったものからしか

 計れない

祝福は、なくなった時に

 初めてわかる

苦難の十字架の周りでこそ

 私達は豊かに実を結ぶ

そして夜が来た時に

 み使い達は人に歌う

      −−作者不詳